Essay エッセイ
2015年12月30日

おかえりなさい、チャーリーくん

今年最後の出番は、チャーリーくん。

 

 「チャーリー」とは、かの有名な漫画『ピーナッツ・コミック』の主人公、チャーリー・ブラウン

 

 そう、スヌーピーの同居人ですね。

 

 彼らの生みの親は、長年、サンフランシスコの北サンタローザに住まれたチャールズ・シュルツさん。没後は、この街に美術館ができています。

 

それで、毎年、年末になると、アメリカの郵便局(the U.S. Postal Service)はクリスマス用の切手を発売していて、今年は、チャーリーくんをはじめとして、ピーナッツシリーズの仲間たちがフィーチャーされました。

 

 それを知ったわたしは、ぜひクリスマスカードに使おうと、12月初めにネットで注文したのでした。

 

 ところが、いつまでも届かないのでメールで問い合わせると、「すでに配達したと記録にある」との返事です。

 

 じゃあ、週末が終わったら、再発送してもらうように電話しなきゃ・・・と思っていると、土曜日の朝、誰かが玄関のチャイムを鳴らしています。

 

ドアの外には知らない女性が立っていて、「これって、あなたのでしょう? うちの主人が大事なものだって言うから、持ってきたのよ」と封筒を差し出します。

 

 それは、紛れもなく、郵便局の切手が入った封筒で、ご近所さんの親切に感謝しながらも、「どうして一週間もそのままにしていたんだろう?」と、うらめしくも思ったのでした。

 

 せっかく戻ってきた「チャーリーくん」ですので、すぐに使いたいのですが、国内のクリスマスカードは出したあとだったので、来年の楽しみにとっておくことにしました。

 

(ちなみに、アメリカの切手は、今は国内用の「Forever(永久版)」と、写真のような海外用の「Global Forever(グローバル永久版)」があって、料金が上がっても、いつまでも使えるようになっています。
 チャーリーくんの切手は国内用なので、海外に使う場合は、何枚も貼らないといけないんですよね)

 


 そんなわけで、ちょっとケチのついたクリスマス切手でしたが、サンノゼ市内では、学校のクリスマス行事にケチがついたのでした。

 

 年末のこの時期、市内のカフェに「サンタさん」がやって来るので、ある公立幼稚園では、毎年クリスマス前の金曜日にサンタさんに会いにフィールドトリップ(体験学習)をするそうです。

 

ところが、あるユダヤ教徒のお母さんが、「クリスマスというキリスト教の習慣だけを子供たちに教えるのはおかしい」と異議を唱え、訴えられた学校側は、早々と今年のフィールドトリップをキャンセルしたのでした。

 

 ここで怒ったのが、他の親たち。「ひとりの親が文句を言ったからって、どうして親たち全員に相談もなく、今までの伝統を打ち切るのよ!」と、キリキリと先生たちを責めあげたのでした。

 

 結局は、キャンセルのまま「来年は考えます」ということで落ち着いたのですが、この「事件」をきっかけに、まわりの住民も地元紙の紙面で討論を繰り広げました。

 

 「もともと、公立の学校でクリスマス行事を奨励するのがおかしい。政教分離の主義を貫くためには、フィールドトリップはキャンセルして正しかったよ」と、ある人は主張します。

 

 また、ある人は、「そんなに目くじらを立てることはないでしょう。だって、幼稚園児の話をしているのよ。フィールドトリップの前には、教室でサンタさんにお手紙を書いたり、ソリを引くトナカイについて学んだり、たくさん勉強することだってあるのよ。第一、クリスマスって、みんなに優しくしたり、助け合ったりって思いやりの時期でしょう?」と、大人たちをなだめます。

 


 まあ、「政教分離(the separation of church and state)」というのは、ひどく正論ですよね。

 

 公立学校(幼稚園)であるかぎり、できるだけ宗教色は出すべきではないのでしょう。

 

そして、もしもクリスマスを教えるのなら、ユダヤ教のハヌカ(Hanukkah)、黒人コミュニティーで祝うクワンザ(Kwanza)、ヒンドゥー教のディワリ(Diwali:新年を祝う光の祭典)、アジア系の旧正月と、コミュニティー内で行われる他の習慣も教えるべきなんでしょう。
(ハヌカの燭台メノラの写真は Wikipediaより)

 

 けれども同時に、「そんなに目くじらを立てることではない」という二人目の意見にも賛成です。

 

 だって幼稚園児の話だし、何かしら学ぶことがあれば、クリスマスでもなんでも利用して、考える材料にすればいいのになぁ、と思うのです。

 

 サンタさんに書くお手紙だって、プレゼントをおねだりするばかりではなく、おもちゃを添えて「これを誰かにあげてよ」という子だっているそうですから。

 

わたしの知り合いにイランからやって来た方がいらっしゃって、カトリックの彼は、イスラム教国のイランでは異教徒の少数派。

 

 ですから、「クリスマスツリーは、テヘランのフランス大使館でもらっていた」と言うのです。

 

 キリスト教国ではクリスマス(降誕祭)は大事な時期ではありますが、ツリーを手に入れるのですら苦労する人がいる。

 

 そんな経験を知るのも大事なことかもしれませんよね。

 


 イラン出身の彼は、こうもおっしゃっていました。

 

いとこがシリコンバレーのショッピングモールで、宝石店に勤めているんだけど、年末あまりに買い物客が多くて、そんなのを見ていると、だんだんとクリスマスが嫌いになったらしいよ、と。

 

 まあ、アメリカではショッピングは「娯楽」のようなもので、感謝祭翌日のブラックフライデーお店が黒字になる金曜日)が終わると、今度はサイバーマンデーオフィスでネットショッピングの月曜日)、スーパーサタデークリスマス直前の土曜日)、クリスマス後のクリアランス、年末セールに新年セールと、限りなく「安売り商戦」が続くのです・・・。

 

 そういえば、クリスマスイヴの晩、毎年恒例になっているミサで、ローマ教皇フランシスコはこんなことをおっしゃっていました。

 

 この社会では、みんな商業主義や快楽主義、富、贅沢、見かけ、自己賛美といったものに酔いやすいのだけれど、質素にバランスよく、何が本来の姿かを見極めながら暮らすことが求められているではないか、と。

 

そんなお話をされる「フランシスさん」の左袖には、黄色いシミがあるではありませんか!

 

 そう、この方は、歴代の教皇よりも質素なお召し物なんですが、そんな簡素な服ですら、たくさんは作らずに、着まわしをされるんです。

 

 9月にアメリカにいらっしゃったとき、子供たちと一緒にお絵かきをしたかったんですが、「白の祭服の着替えが一着しかないので、絵の具が付いたら困る」という理由で、参加をあきらめたというエピソードがあるくらいです。

 

それから、頭に乗っける宝冠(miter)は、アルゼンチン・ブエノスアイレスで神父さんだった頃から愛用されているものだとか!

 

 この方は、ブエノスアイレス時代から「質素」「倹約」で知られる方ですので、現代社会の「物欲」とか「虚像」といったものに警鐘を鳴らされるのも無理もないのでしょうね。

 

 そして、わたしのように何教徒でもない者にとっても、何かしら、ありがたく耳を傾けたいことをおっしゃる方なんです。

 

 シンプルな言葉の中にも、深い意味合いが隠されている、というような。

 

 というわけで、いつの間にか「チャーリーくん」のお話が「フランシスさん」のお話に化けてしまいましたが、

 

年末から新年を迎える、この時期

 

 何か新しいことを知ってみようかなと、いつもよりも素直になれる季節かもしれません。

 

 


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