Essay エッセイ
2012年02月21日

かずこちゃんのお父さん

新しい年も、はや2月。

いつの間にやら、サンノゼで迎えた元旦も過ぎ、日本で迎えた旧正月(今年は1月23日)も過ぎ行きました。

そういえば、日本では、「豆まき」だってありましたね。

「一月は行く、二月は逃げる」という表現がありますが、まさに、言い伝えどおりのあわただしさなのです。


そんな気ぜわしい年明けでしたが、ふと子供の頃を思い出していました。

たぶん幼稚園の頃か、その前だったのかもしれません。

近所には、何人かのお友達が集まる「お遊びグループ」ができていました。

わたしは、年齢では下から2番目。

まわりはみんな、お兄さん、お姉さんなので、いつも彼らの振る舞いをまねて、懸命に背伸びをしていたように思います。

あるとき、ひとつ年上のかずこちゃんの家に遊びに行きました。

たぶん小雨が降っていたのでしょう。お家の中で遊んでいました。

窓際には椅子が置いてあって、わたしはそれをガタガタとゆすって遊んでいます。

どうしたものか、子供の頃は、とにかく椅子をゆらして危なっかしいバランスを取るのが、面白くってしょうがなかったのです。家でもしょっちゅうバタンと椅子を倒しては、母にしかられていたものでした。

ときには、後ろにドンとひっくり返って、床に頭をぶつけることがあったのですが、自分でやっているので泣くわけにもいきません。じっと我慢なのです(ま、たまには、ワンワンと泣きながら助けを求めることもありましたが)。


けれども、その日は、もっと悪いことが起きました。

後ろにエイっとゆらし過ぎて、椅子が窓ガラスに当たったのです。

そして、ガラスはガシャンと割れる。

わたしはとっさに、大声で泣き始めました。

怪我をして、どこかが痛いというわけではありません。ガラスが割れたことにびっくりしたのと同時に、これからいったい何が起きるのだろう? と、恐怖心にかられたからです。

そう、これから、この家の人にこっぴどく怒られるのだろうな、という恐怖心。


ところが、不思議な展開となりました。

窓ガラスのガシャンとわたしの大泣きを聞きつけて、かずこちゃんのお父さんが登場しました。

お父さんは、怒るどころか、こうおっしゃったのです。

よし、よし、もう泣かないでもいいよ。そんなところに椅子を置いていたおじさんが悪いんだからね、と。

え? なに? どうしてそんなことを言うの?

怒られることを予測していたわたしの頭は、もう大混乱。

大混乱ついでに、泣き止むことを忘れて、いつまでもボソボソと泣いていたのでした。

もしかすると、後日、母が謝りに行ったのかもしれません。

あれだけ大泣きすれば、目のまわりは真っ赤になって、ただ事じゃないというのは明白です。たぶん、家に帰ってすぐに「いたずら」を白状するハメになったのでしょう。

よくは覚えていませんが、母にはひどくしかられたことでしょう。「だから、いつも椅子をゆすっちゃいけないって言っているでしょう!」と。


そんなわけで、子供ながらに、ほんとに恥ずかしい出来事ではあったのですが、大人になって思い返してみると、とっても不思議に思うのです。

ぜんぜん怒ろうともしなかった、かずこちゃんのお父さんは、もしかしたらキリスト教の信者だろうかと。

いえ、もちろん、キリスト教徒でなくとも、同じことをおっしゃったかもしれません。

けれども、人の間違いを問いたださない、あやまちは許す、というところが、なんとなくキリスト教徒のようにも感じられたのでした。

そして、こうも思うのです。

今の自分は、当時のかずこちゃんのお父さんの年齢をとっくに超えているだろうけれど、自分が同じような状況におちいったら、あのように寛大でいられるだろうかと。

あの頃、かずこちゃんのお父さんがいくつだったかはわかりませんが、きっと年齢のわりには、しっかりとした人物だったのだろう、と想像するのです。

残念なことに、あのお父さんには「窓ガラス事件」の記憶しかありませんが、どうかご健在でありますように、と願うばかりなのです。

追記: ちょうど今日の新聞の相談欄に、こんな回答が載っていました。

(人を)許すことは、自分自身への贈り物です。なぜなら、許すことは、怒りや憎しみの束縛から解き放たれることだから。

Forgiveness is a gift you give to yourself. Forgiveness equates with freedom from the shackles of anger and resentment.
Excerpted from “Ask Amy” by Amy Dickinson, published in the San Jose Mercury News, on February 21st, 2012

もちろん、こちらの話題は「窓ガラス事件」よりも複雑ではありましたけれど、洋の東西にかかわらず、誰かを許すということは、人生の大きな課題なんですよね。


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