Essay エッセイ
2010年03月11日

ダンナ様の教育

いえ、他愛もないお話です。

先日、連れ合いが昼食にカレーを食べたんです。カレー屋さんのカレーではなくて、缶詰に入ったカレーです。こちらの日本語放送で宣伝していたので、それにつられて、つい買ってしまったものなのでした。

けれども、食べてみると、期待に反してあまりおいしくなかったそうなんです。わたし自身はカレーを食べませんが、鍋に残ったものは、確かに醤油っぽい匂いがしていました。

すると、連れ合いがこう言うのです。「これってあんまりおいしくないから、寄付した方がいいかな」と。


連れ合いが寄付したいと思った先は、「食料銀行」。英語で「Food Bank(フードバンク)」と呼ばれていて、1970年代にアメリカ全土に広がった人助けのシステムです。

まるで銀行がお金を貯めるみたいに、食料銀行は食料を貯めておくのです。常時、2ヶ月分くらいの食料を倉庫に貯蔵しています。(こちらの写真は、シリコンバレーの食料銀行 Second Harvest Food Bank の倉庫内です。)

倉庫に集めた食料は、直接個人に配布するか、契約している慈善団体を通して配布するかして、食べることにも困っている地域の人たちに差し上げるのです。子供のいる家庭、高齢家族、所得が足りない人、障害を持つ人と、あらゆる世帯を助けることを目的としています。
 シリコンバレーの食料銀行では、平均すると、月に20万人以上の人たちに食料を分配しているのです。年間1万8千トンの食料となります(って言われても、想像もつきませんよね)。

この食料銀行は、ときどきは農家やスーパーマーケットから寄付された新鮮な野菜や果物を配布することもありますが、基本的には日持ちのする物を配布します。ですから、缶詰とか、豆類・穀類とか、箱に入ったシリアル(コーンフレーク)の類とか、そんなものを中心に集めているのです。

日本でも年末・年始になると、クリスマスや元旦のおせちとご馳走を食べる機会が多くなりますが、アメリカでも感謝祭やクリスマスや元日には、誰でもお腹を満たしたい時期となります。
そこで、食料銀行でも、この時期に一般の人や企業から食品の寄付を募ろうと、Food Drive(フードドライブ、食料集めのキャンペーン)を催します。
 たとえば、シリコンバレーの小さなスタートアップ会社にも、大企業のオフィスにも、そしてスーパーマーケットの店先にも、食料銀行の大きなドラム缶が登場するのです。
 写真のドラム缶にも「Donate Food Here(ここに食料を寄付してください)」と書いてありますが、この中に、どんどん食品を入れていくのです。

これを見ると、「あ~、食べ物を寄付する時期になったんだなぁ」と実感するような、一種のアメリカの風物詩ともなっているのです。

けれども、食料を寄付してもらいたいのは、なにも年末に限りません。食事は毎日必要なものですから、食料銀行が食料を必要とする時期にハイシーズンもローシーズンもありません。

ですから、うちの連れ合いみたいに、缶詰を寄付しようという発想になるのですね。

まあ、おいしくないと思うものを寄付するのは、ちょっと申し訳ないことではありますが、少なくとも、食べずに捨ててしまうのよりはマシだと思うのです。それに、シリコンバレーにはアジア系住民が多いので、きっとカレーを好む方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。


それにしても、連れ合いが「缶詰を寄付しよう!」と思うようになったのは、ひとえにわたしの「教育」の賜物だと思っているのですよ。だって、結婚するまでは、世の中に慈善団体が存在することを知っているかどうかも疑わしい限りでしたから。

今では、クローゼットに要らない洋服を見つけたり、古い電化製品が必要なくなったりすると、せっせと慈善団体の『The Salvation Army(救世軍)』に持って行くようになりました(以前、「シーズン・オヴ・ギヴィング、与える季節」というお話でご紹介したことがあります)。

そして、わたしが必ず年に2回、食料銀行にお金を寄付することを知ってからは、食料銀行の存在や、いったいどんな食品を寄付すればいいかもしっかりと学んだようです。

(蛇足となりますが、わたしが食品ではなく、お金を寄付するにはわけがありまして、それは、食料銀行が破格の値段で食料を調達するすべを知っているからなのです。ということは、自分で食品を買って寄付するよりも、彼らは同じ値段でもっとたくさん調達できるということですね。食料銀行は、そんな利点を生かして、必要な食料のおよそ半分を自ら調達しています。こちらの写真は、山のように積まれた豆の袋です。)


ところで、表題ともなっている「ダンナ様の教育」というと、わたしはいつも思い出すことがあるのです。それは、日本で勤めていたときに、先輩社員がおっしゃっていたことでした。

その方が結婚なさったお相手は、それこそお母様から大事に育てられた方で、炊事、掃除、洗濯、ほとんど何もできなかったそうです。

それで、せめて洗濯のお手伝いだけはやって欲しいと思った先輩は、洗濯物の干し方を伝授したんだそうです。「シャツにアイロンをかけるにしても、こうやってパンパンと伸ばして干すと、後でアイロンかけが楽になるでしょう」と。

すると、さすがに賢いダンナ様。すぐにそれを学んで、ひとりでもきちんと洗濯物を干せるようになったそうです。(隠れて観察していたら、ちゃんとパンパンとやっていたわ、と報告なさっておりました。)

まあ、それに比べると、我が家は楽なものでしょうか。だって、連れ合いは料理が大好きなので、黒豆を煮てくれたり、おからで卯の花を作ってくれたりするのです。

それを古い友達に話したら、「それは、あなた、宝くじに当たったのよ!」と言われました。

そして、母は、「まあ、あなたって情けない!」と言うのです。


それにしても、結婚生活には困難な場面は付きものでして、たとえば喧嘩をしたり、なんとなく心が通じなかったりということもたびたびですよね。

けれども、それはどっちか片方が悪いわけではなくて、両方に落ち度があるのだと思っているのです。

あるドキュメンタリー番組にこんなエピソードがありました。

結婚して数年、4人の子供に恵まれたのはいいけれど、子育てに忙しい奥さんはだんだんとダンナさんを遠ざけるようになる。すると、ダンナさんは寂しいものだから浮気をしてしまって、それを知った奥さんは相手がまったく信じられなくなって、ダンナさんが何を言っても、すぐにけんか腰になってしまう。
 すると、ダンナさんの方は、かたつむりのように自分の殻に閉じこもって押し黙り、そんな様子を見ていると、奥さんはますます烈火のごとくに逆上する。

そんなこんなで、ふたりは結婚カウンセラーに通うようになったのですが、そこでもふたりはソリが合いません。かたつむりのダンナさんが、せっかく何か訴えかけても、奥さんはこう言ってはねつけるのです。
 「そうやって、あなたはいつもバスケットボールのたとえ話ばっかりなのよ。バスケットがどうのこうのって、スポーツがそんなに大事なの?」

見るに見かねたカウンセラーが、ダンナさんに向かって質問の角度をちょっと変えてみるのです。あなたのお父さんは、あなたが何歳のときに亡くなったのですか?と。

なんでも、ダンナさんが2歳のときにお父さんは殺されたそうですが、そんな幼い頃であっても、父親の姿をたった一場面、鮮明に覚えているそうです。それは、お父さんがにこにこと笑いながら、バスケットボールを抱えている場面。
 きっとバスケットボールはお父さんが一番好きなスポーツだったのでしょう。そして、ダンナさんにとっては、バスケットというスポーツ自体がお父さんなのでしょう。

数年一緒に暮らしているけれど、奥さんは、そんなことは初耳だったそうです。そして、バスケットボールの意味を知ってからは、ガラリと態度を変えるのです。それは、奥さんがダンナさんの心をわかろうと、ちゃんと考えるようになったから。

すると、双方の会話もスムーズになっていくし、話が通じると、一緒にいることも楽しくなってくるのです。

人間は、お猿さんやミツバチさんと同じように社会動物ではありますが、人間がとても優れているところは、感情移入をして、人と共感できることでしょう。
 そして、この素晴らしい特技は、結婚にしても、友情にしても、仕事のパートナーシップにしても、いろんな場面で何かと助けになるのだと思います。

「共感(empathy)」というのは、人間が人間たるもっとも根本の部分なのかもしれませんね。

話題が大きく脱線してしまいましたが、こちらのお話は、公共放送で放映されたドキュメンタリー番組『This Emotional Life: Family, Friends, Lovers』 (WGBH Boston/Vulcan Productions 2009年制作)に出てきたエピソードでした。


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