Life in California
ライフ in カリフォルニア/季節
Life in California ライフ in カリフォルニア
2009年02月09日

ベイエリアあれこれ

前回は、「新年のお祝い」と題して、我が家の大晦日の様子をご紹介いたしました。日本からお客様をお迎えして、サンフランシスコのコンサートホールで楽しく過ごさせていただいたのでした。

そこで、今回は、そのときに日本からの来客がアメリカやサンフランシスコ・ベイエリアに対して抱いた疑問をいくつかご紹介することにいたしましょう。

ある土地に何年か住んでいると、もう慣れっこになっているようなことでも、初めていらっしゃる方には驚きに値することも多々ありますので。そして、そんな驚きを耳にすると、慣れっこになっている方でも、「初心」を思い出すことにもなるのです。


そこで、まずは、ちょっと季節外れとはなりますが、時候のごあいさつからいきましょうか。

年末年始になると、アメリカでは感謝祭(Thanksgiving)、クリスマス(Christmas)、新年(New Year)と大事な行事が続くので、なにかと季節のごあいさつを耳にいたします。

たとえば、11月下旬の感謝祭が近づいてくると、Happy Thanksgiving!
 クリスマスが近づくと、Merry Christmas!
 そして、新年が近づけば、Happy New Year!となりますね。

近頃は、感謝祭に七面鳥を食べることから、Happy Turkey Day! などと言う人もいます。
 それから、クリスマスの常套句「メリークリスマス」の代わりに、Happy Holidays! を使う人もいます。

けれども、どれにしたって、いつになったら季節のごあいさつができるのかなと、そのタイミングが気になりますよね。

わたし自身は、誰かが言い始めたら自分も真似をするようにしていますが、だいたい各行事の2週間くらい前だったら大丈夫なのだと思っています。

しかし、近頃は、購買意欲をあおってやろうというお店の作戦で、年々いろんな行事の準備が前倒しの傾向にあるので、それにつられてあいさつも早めに始まっているような気もいたします。なにせ、9月に入ってすぐに、クリスマスの飾り付けを売り始めるお店すらあるのですから。
 昨年、わたしは12月10日頃にはメリークリスマスのあいさつをしたのですが、「なんだか早過ぎるなぁ」と自分で半ばあきれてしまいました(でも、相手はこれから会社のクリスマスパーティーに行くというので、仕方がなかったのです)。

この点、Happy Holidays だと、感謝祭から新年までずっとOKかもしれませんね。だって、一連の行事をひっくるめて「どうぞ楽しい休暇の時期をお過ごしください」と表現しているのですから。
 そして、この言葉には、メリークリスマスと違って、宗教性はまったくありませんから、キリスト教のクリスマスを祝わない人(たとえば、ユダヤ教のハヌカやイスラム教のラマダンを祝う人)にでも使えるあいさつではあります。

ちなみに、昔は、Compliments of the Season(to you)! という表現もあったみたいですね。昨晩観ていた名探偵シャーロック・ホームズのドラマで、クリスマスを控えた場面に、そういう表現が出ていました。「季節の表敬をあなたに」というのは、なかなか合理的なあいさつではありますが、アメリカでは聞いたことがありませんので、イギリス独特の表現なのでしょうか。
 けれども、シャーロック・ホームズというと、日本の時代劇みたいなものですから、今はイギリスでも使わないのかもしれませんね。


さて、ひとたびクリスマスが終われば、Happy New Year! を使っても大丈夫になります。もともとクリスマスと元日の間には、あまり日数がないので、タイミングを気遣う必要はありません。(こちらの写真は、かの有名なニューヨークのタイムズスクウェアの大晦日です。みなさん、カウントダウンを待ちわびているところです。)

けれども、この言葉のトリッキーなところは、年の瀬が押し詰まったときだけではなくて、新年が明けても使うところでしょうか。つまり、Happy New Year というあいさつには、日本語の「どうぞ良い年をお迎えください」と「明けましておめでとうございます」の両方が備わっているのですね。

ですから、1月2日の初出勤のときには、オフィスでは Happy New Year とあいさつし合うし、その後も1、2週間くらいは、初めて顔を合わせる人には Happy New Year と言うのが習慣となっています。ここがなんとも、日本からいらした方には不思議だったようです。

この方が指摘していらっしゃいましたが、日本に比べると、アメリカの方が季節の分け方が大雑把なのかもしれませんね。とくに、新年の前後に同じあいさつをするというのは、日本よりも新年の「価値」が低いのかもしれません。
 それに、日本の場合は、二十四節気などといって、四季だけではなく、一年がいろんな季節の節目で細かく分かれているので、時のうつろいには敏感な国民ではありますね。2月に入って「立春」と聞くと、なんとなく春も近づいてきたなと実感するようにできているのです。

そうそう、二十四節気といえば、日本には中国の影響が色濃く残っているわけですが、アメリカ、とくに中国系の多いサンフランシスコ界隈では、こんな新年のごあいさつもあるんですよ。

Gung Hay Fat Choy!(恭喜発財、グンヘイ・ファッチョイ)
 「おめでとう。そして、幸多きように!」とでも訳せばいいのでしょうか。

毎年、サンフランシスコでは、太陰暦の中国の新年の頃、街の中心部で新年を祝う大きなパレードがあるのですが、そのときは、この Gung Hay Fat Choy をたくさん耳にしますね。

太陰暦の元日というのは、1月21日から2月20日の間にあたるのですが、サンフランシスコのパレードは、旧暦の年明けから2週間ほど後に開かれるので、中心部のユニオンスクウェアや中華街の辺りには、いつまでも正月気分が漂っている感じです(今年は、1月26日の丑年の元日に対し、パレードは2月7日に行われました)。
 ちなみに、来年の寅年の元日は、ヴァレンタインデーになります!


さて、日本からいらしたカップルのうち、まだお若い彼女はアメリカが初めてだったので、いろんなことが珍しく感じられたようではあります。
 その中でも、とくに、我が家のあるサンノゼ市のことを「San Jose」と書くことを意外に思われたようです。

「あら、なんだ、サンジョゼと書くのね」とおっしゃっておりました。

たしかに、J が使われておりますが、ご存じの方も多いように、これはスペイン語から来ております。スペイン語の J は、ハ行の発音となりますね。
 たとえば、Jalisco は、「ハリスコ」(メキシコの中心部にある州の名前。州都のグアダラハラには、多国籍企業の支店や工場も多く集まります)。
 それから、イエス・キリストのイエス Jesus は、「ヘスース」と発音します。

わたしはサンノゼ市のことを「サンノゼ」と英語読みで書いていますが、もともとは「サン・ホセ」ですね。
 スペイン語で「聖ホセ(San Jose)」、英語で「聖ジョセフ(Saint Joseph)」、つまり日本語で「聖ヨセフ」となります。聖マリアの夫であり、イエスの養父である聖ヨセフ。

どうして聖ヨセフなのかというと、まだカリフォルニアに先住のインディアンが暮らしていた頃、メキシコからカリフォルニアに進出してきたスペイン人が、カリフォルニアで最初につくった集落(プエブロ、村)を聖ヨセフにちなんで名付けたからです。

1777年につくられたこの集落は、Pueblo de San Jose de Guadalupe(グアダルーペの聖ヨセフの村)という名前でした。
 そもそも、どうしてこのサンノゼの地に集落をつくったのかといえば、北はサンフランシスコ、南はモントレーにあるスペイン人開拓団の基地(プレシディオ、要塞)のちょうど真ん中にあって、ここで兵隊たちを養う食べ物を生産するにはちょうどよい肥沃な土地だったから。
 そして、聖ヨセフを村(プエブロ)の名に頂いたのは、スペイン人開拓団の守り主だったからです。

その後、メキシコの統治を経て、カリフォルニアは1848年にアメリカの州となったわけですが、ここでサンノゼは、華々しく最初の州都となったのですね。カリフォルニアで初めてできた集落ではありますし、街も大きかったのです。
(その後すぐに、州都はベニーシャ、ヴァレホと移転し、現在はサクラメントが州都となっています。こちらの写真は、1890年代にサンノゼの中心地に建てられた郵便局です。1906年のサンフランシスコ大地震では辛くも倒壊をまぬがれ、今は、美術館となっています。)

今では、サンノゼ市はアメリカで10番目、カリフォルニアで3番目に人口が大きな街に成長していますが、プエブロ時代の名残と言えば、サンノゼ市の真ん中を流れる川は、今でもグアダルーペ川と呼ばれていることでしょうか。
 1776年3月、デ・アンザ探検隊が初めてメキシコからサンフランシスコへと探検に向かったとき、サンノゼで渡ろうとした川が急流だったので、「どうぞ我らをお守りください」という意味で、Rio de Nuestra Señora de Guadalupe「グアダルーペの聖母の川」と名付けたところから、グアダルーペ川となったんだそうです。

このように、「グアダルーペ」という名前は、メキシコではとても重要なものとなっています。1531年、メキシコに現れたとされる聖マリアを「グアダルーペの聖母(Nuestra Señora de Guadalupe)」と呼び、メキシコ独立革命(1810年~1821年)の旗印としただけではなく、今でも自分たちの象徴として、人々の間で深く崇(あが)められているのです。Nuestra Señora、つまり「わたしたちの聖母」と、親しみをこめて呼んでいるのですね。

それから、「グアダルーペの聖ヨセフ」は、現在もサンノゼ市の守護聖人とされていて、街の中心部にある聖ヨセフ・バシリカ聖堂(the Cathedral Basilica of St. Joseph)は、付近のカトリック教会や信者のまとめ役となっています。

こんな風に、サンノゼ市を筆頭に、カリフォルニアの都市には「サン」とか「サンタ」が付く名前が多いわけですが、これは「聖ヨセフ(サンノゼ)」と同じく、「聖フランチェスコ(サンフランシスコ)」「聖クララ(サンタクララ)」「聖マリア(サンタマリア)」「聖ディエゴ(サンディエゴ)」と、聖人の名を表しているのですね。
 はっきりとはわかりませんが、サンディエゴは、「グアダルーペの聖母」を見たというメキシコの聖フアン・ディエゴからきているのでしょうか。
 それから、観光地として有名なロスアンジェルスは、なにやら一人だけ違うタイプですが、Los Angeles というのは、スペイン語で「天使たち」という意味ですね。やっぱりキリスト教に関係があるのです。

そうやって考えてみると、ピューリタン(清教徒)がつくったマサチューセッツ州プリマスの集落をはじめとして、イギリスの統治下にあった東海岸の古い州に比べて、カリフォルニアやアリゾナなどの西の州は、スペイン人が新天地で築いたメキシコの支配のもとにあった、という大きな違いがあるわけですね。

かたや清教徒とは、英国国教会に残っていたカトリック的な要素に猛反発したキリスト教の新派。かたやスペインは、バリバリのカトリック教国。ひとつの国でも、アメリカの東と西は、成り立ちがずいぶんと異なるのです。


さてさて、前回の「新年のお祝い」でもお伝えしたように、今年の元日は、サンフランシスコは濃い霧に包まれていたのでした。

なんでも、前日の大晦日の朝にサンフランシスコ空港に着いた来客は、着陸の直前まで陸地が見えず、急にタッチダウンしたので驚いたそうです。

雨季の冬場は、どうしても霧の日が増えるのですが、元日、サンフランシスコから一路南下してみると、来客は大いにびっくり。なぜって、場所によって天気がまったく違うからです。

たとえば、その日の正午、サンフランシスコの観光目玉であるゴールデンゲート橋は、こんなに濃い霧に包まれていました。

元日なので人は多かったですけれど、細かい霧の粒に濡れながら、橋を歩いて渡っている観光客がひどく寒そうに見えました。

そして、橋を渡ったところにある観光地のサウサリート(Sausalito)も、やっぱり霧に包まれ、せっかくの海の景色がどんよりと鉛色でした。
 風は冷たく、海に突き出したレストランでは、その日は屋内のみのお食事となっていました。普段は、海を眺めながらパティオでお食事ができるのですけれどね。

けれども、もう一度サンフランシスコ方面に戻り、街中を南に突っ切り、ちょうどサンフランシスコ市の境界線を越える頃から、少しずつ青空が見え始め、シリコンバレーに着く頃には、雲もほとんど晴れています。

そして、シリコンバレーも通り過ぎ、小一時間ほど南のモントレー(Monterey)にたどり着く頃には、サンフランシスコの濃霧なんて、もうすっかり過去のお話。いったい、これが同じ日なのかと疑うほどに、まったく違ったお天気なのでした。

こんな風に、サンフランシスコ・ベイエリア内で体験するお天気の違いを、microclimate(小さな気候)、つまり「細かく分かれた気候帯」と呼びますね。
 トンネルを抜けると、そこは青空だった、なんてことはよくある話なのです。

モントレーも海沿いの街ですから、もともと霧が出やすい場所ではあるのですが、その日は、ほんとに気持ちがいいほどに晴れていましたね。誰かをご案内するには、最適の日でした。
 ここには、「17マイル・ドライヴ(17-Mile Drive)」という有料道路があって、晴れていると、カリフォルニア独特の美しい海岸線を満喫できるのです。
 この辺からちょっと南のビッグサー(Big Sur)までは、とくに美しい景色が連なっているので、自然の大好きなカリフォルニア人の自慢の種でもあるのですね。

お買い物の好きな方でしたら、有料道路の途中にあるペブルビーチ・ゴルフ場(Pebble Beach Golf Links)のプロショップでロゴ入りのグッズを買うのもいいでしょうし、カーメル(Carmel)の街まで足を伸ばして、ここでウィンドウショッピングをするのもいいでしょう。
 カーメルには芸術家も多く住んでいるので、地元の絵描きさんを紹介する画廊や、オブジェや手作り家具、手芸などを扱う店も多く、街並もとてもかわいいのです。

この日は、あちらこちらのポイントから海を眺めているだけで、もう夕方になってしまったので、カーメルをすっ飛ばして、サンノゼの我が家に向かったのですが、やっぱりお買い物が好きそうな彼女には、悪いことをしたなと反省したのでした。

けれども、その晩は、黒豆やなます、煮しめにお雑煮と、我が家のおせち料理をご披露したので、もう何年もお正月料理を食べていないという彼女は、それなりに満足されていたようでした(連れ合いが作った黒豆を、おいしいおいしいと4回もおかわりしていらっしゃいました!)。


そんなこんなで、翌日、彼らはネヴァダ州のラスヴェガスに向かったのですが、午後一番の飛行機が4時間も遅れてしまったのでした。サンフランシスコ空港では、午前中あまりに霧がひどくて、着陸できない飛行機が続出したそうですが、そうなると、折り返し運行する便は、軒並み遅れてしまうのですね。

サンノゼの家を出る頃は、早朝の霧も晴れ、天気も良くなっていたのですが、やはり霧の街サンフランシスコまで行くと、どうなるかわからないのです。車で1時間と離れていないのですけれどね。

ご本人たちは「あんなに遠慮なく黒豆をいっぱい食べてしまったから、黒豆のたたりだ」などと冗談で笑っていらっしゃいましたが、空港で4時間も待つなんて、さぞかしお疲れになったことでしょう。

どうもご苦労様でした。これに懲りずに、またベイエリアに来てくださいね!

後日補記: これを掲載したときには知らなかったのですが、実は、ロスアンジェルスだって、サンノゼと同じくらい、メキシコの影響を受けた名前だったんですね。
 この地には、サンノゼに次いで1781年にプエブロ(村)が置かれたのですが、そのときの名前が、Pueblo de Nuestra Señora la Reina de Los Angeles、つまり、「天使たちの女王である、われらの聖母の村」というものだったのです。
 サンノゼのグアダルーペ川と同様、最後のLos Angeles(天使たち)というところだけが街の名として残ったのでしょうね。

ロスアンジェルスという街は、カリフォルニアの中では最後の最後までメキシコとして残った場所で、1850年にカリフォルニアがアメリカの州となっとき、ロスアンジェルスの街は、最後に州に加えられたということです。


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