Life in California
ライフ in カリフォルニア/日常生活
Life in California ライフ in カリフォルニア
2010年08月18日

自然を守る軍隊

前回は、「赤い海に家を建てよう!」と題して、サンフランシスコ湾の塩田を埋め立てて一大住宅地をつくろうよ! という計画があることをご紹介いたしました。

開発推進派は、地域の住宅事情を改善する絶好のチャンスだと主張する一方、自然保護派は、どうせ塩田を止めるんだったら、いっそのこと昔ながらの湿地に戻しましょうよと反論し、ふたつの主張はどこまでも平行線のままなのでした。

このお話の後半で、国の機関である USACE(the U. S. Army Corps of Engineers)が、開発計画を承認する一機関であることをご説明いたしました。

今日の話題は、この USACE についてなのですが、これがちょっと変わっているんです。


USACE という名前にある ACE の部分は「Army Corps of Engineers」なのですが、「Army」というのはニックネームでも何でもなくて、本物の「米国陸軍(the United States Army)」のことです。

開発計画の承認に軍隊が出てくるのはちょっと意外なことではありますが、USACE という組織は、アメリカ陸軍に所属するエンジニア(技術者)の団体なのですね。

この組織の歴史は古く、まだ植民地だったアメリカがイギリスを相手に独立戦争を起こした時代(1775年)に、当時、陸軍大将だったジョージ・ワシントン(のちに初代大統領)が、ボストンの近くに要塞を建設するために技術者を雇ったのが始まりだそうです。

なんでも、このときには、雇ったほとんどがルイ16世お抱えのフランス人技術者だったとか。その頃は、フランスの方が、大規模な建築技術がうんと進んでいたのでしょう。
 それに、当時フランスとイギリスは張り合っていたので、イギリスを向こうに回した戦争に加担する意義は、フランスにとっても十分にあったのでしょう。 (「Army Corps」という名前を「アーミー・コア」と呼ぶのもフランス式なのでしょうか?)

そんな歴史的背景があって、米国陸軍が公共事業の技術者集団を抱えるようになったわけですが、これまで手がけたプロジェクトは、パナマ運河だとか、ペンタゴン(国防総省)だとか、フロリダのケネディー宇宙センターだとか、それから、あちらこちらのダムや道路だとか、有名なものから無名なものまで数限りなくあるのです。

たとえば、1914年に10年がかりで完成したパナマ運河などは、アメリカの東海岸と西海岸を結ぶ船のルートとして、大変ありがたいものとなりました。それまでは南アメリカの先端をグルッとまわっていたところが、パナマ運河のおかげで航行距離が半分以下となったのです。これで東と西の交易もグンと活性化したのでした。

そんな歴史のある USACE ですが、今では、組織のほとんどは民間人で構成されていて、軍人は数百人しか在籍していません。軍隊に所属していながら、戦争にはあまり関係のない組織というわけです。(もちろん、戦地に派遣されれば、軍隊を前に進めるために道路をつくったり、橋をつくったりと戦争に加担することもあるでしょうけれど。)


そして、前回のお話に出てきたように、USACE に塩田の埋め立て・開発計画を承認する権限があるというのは、この組織には、橋や港の整備、ダムの建設、灌漑工事と、大規模な治水事業を統括する役割があるからです。

まあ、ひとくちに「治水事業」といっても、それこそパナマ運河のような大プロジェクトを成し遂げることから、船の航行の妨げにならないように港のまわりのゴミを回収することまで、仕事は多岐にわたっているのです。ゴミ回収だって、立派な公共事業ですからね。

それと同時に、USACE には「行き過ぎた開発に歯止めをかけ、自然を守る」という大切なミッションもあるのです。そして、単に「守る」だけではなくて、自然環境をもとの姿に戻す「修復(ecological restoration)」のミッションも持っているのです。

ですから、「カーギルの塩田開発計画は、国の法律に照らし合わせて、当局が厳しく審査する」と明言したわけなのですね。自分たちは自然の守り神という自負がありますから、塩田を埋め立てて住宅地にしてしまったら、自然界にどんな影響が出てくるかを厳しく審議してやろうじゃないか、という使命感に燃えているのです。

なんとなく、軍隊というイメージからはほど遠い方たちではありますが、その裏側には、軍の飛行場をつくるような軍事プロジェクトにしても、ダムを築く公共プロジェクトにしても、これまで自分たちは自然を壊し過ぎたなという反省があるのかもしれません。


そんなわけで、アメリカには何とも不思議な組織があるものですが、先日、この USACE の施設を訪れる機会がありました。

サンフランシスコからゴールデンゲート橋(Golden Gate Bridge)を渡ってちょっと先を右に下ると、サウサリート(Sausalito)という有名な街がありますが、このおしゃれな観光地のはずれに USACE の施設があります。

今は改築工事中で普段は閉まっているのですが、8月の夏休み期間中は市民に公開されていて、簡単な教育講座シリーズを開いているのです。

わたしが参加したのは、「どうして湿地を大事にするの?(What’s to love about wetlands?)」という講座で、手軽なデモンストレーションを交えた短い講義なのでした。

サンフランシスコ湾は、その昔、海岸線がすべて湿地で覆われていたというお話はいたしましたが、その先(サンフランシスコ湾の北)にあるサンパブロ湾(San Pablo Bay)も、その東にあるススーン湾(Susuin Bay)も、昔は沿岸全部が湿地帯だったのでした。(写真は南西から湾を眺めていて、手前がサンフランシスコ湾からサンパブロ湾にかけて、右手奥がススーン湾となります。)

とくにススーン湾には、カリフォルニアで一番大きな湿地帯、ススーン湿地(Susuin Marsh)があったり、ススーン湾に注ぎ込むサクラメント川・サンホアキン川の巨大デルタ地帯(Sacramento-San Joaquin River Delta)があったりと、淡水と海水の混ざり合う「入り江(estuary)」のエコシステムが広がっていたのです。

18世紀後半にヨーロッパ人が到来するずっと以前から、サンフランシスコ湾にはオローニ族(the Ohlone)、サンパブロ湾とススーン湾にはミウォック族(the Miwok)やパトウィン族(the Patwin)と、先住民族が周辺の豊かな自然を享受していたのでした。
 「川には魚が豊富で、水面を歩けるほどだし、水辺にはたくさんの渡り鳥が飛来し、一気に飛び立つときには天を真っ暗に覆い尽くすほどだ」というような、スペイン人の記述も残されているそうです。

ということは、歴史的にサンフランシスコ・ベイエリアと湿地とは切っても切れない間柄だったので、湿地というものの意義を市民にも伝えておきたいというわけなのでした。

USACE に所属する公園管理官リンダ・ホームさんは、こう解説してくれました。

湿地には大切な役割がいくつかあるけれど、まず、湿地があることで、海岸線の浸食(erosion)を防いでくれているのですと。

こちらは、ほんとに簡単なデモンストレーションではありますが、左にある緑色のスポンジが湿地を表し、右が湿地のない海岸線を表しています。
 霧吹きを使って同時に水を吹きかけると、スポンジのある方は何も変化がありませんが、右のスポンジのない海岸線はだんだんと崩れてきて、崩れた土砂が水(海)に流されて沈殿するのです。

このように海に流された土砂の一部は、たえず水中に浮遊し、海水の温度を上げる原因ともなるそうです。すると、今までの環境が急激に変わってしまって、魚などの水生生物が住み難くなってしまうのです。

さらに、湿地には自然のエアコンの役割もあって、陸地の温度を適度に下げてくれるのです。コンクリートの埋め立て地なんて、夏場は耐えられないほどに暑かったりしますが、湿地から吹いてくる風は快適に涼しいのです。

現在、USACE は、サウサリートの北にあるハミルトン空軍飛行場を湿地に修復中なのですが、「オーブン」とあだ名がつけられたコンクリートの滑走路を土で埋め立てたら、夏場の周辺気温がグンと下がったとか。

そして、湿地というものは、人間が築く防波堤なんかよりもよっぽど優れていて、嵐で水かさが増したときには、一番いい洪水管理(flood control)の機能を果たしてくれるそうです。
 なぜなら、湿地は信じられないくらいたくさんの水を吸うことができるし、一度吸収した水は、一気にドッと吐き出すのではなくて、少しずつ海に戻してくれるから。しかも、ありがたいことに、きれいな水にして返してくれる、というおまけも付いているのです。

そう、前にもお話しましたが、湿地は自然のフィルターの役目を果たしていて、都市部から流れ出た生活排水や、化学肥料をまいた農地から流れ出る水もきれいに浄化して海に返してくれるのです。

こちらの写真では、土を入れた植木鉢を湿地に見立てていて、これにきたない泥水を注ぐと、あーら不思議。植木鉢の下からは、チョロチョロときれいな水が出てくるのです。
 なんだか、子供の頃にやったような実験ですが、これが湿地の浄化作用となるのですね。
 実際の湿地には植物がいっぱい生えているので、こういった植物たちも浄化に一役買っているそうです。ですから、近頃は、自宅の裏庭に湿地性植物を植えて、シャワーに使った水を浄化して庭にまこうよ、といった水のリサイクルの試みもあるのです。

この湿地のフィルター効果はとても優れたもので、バクテリアだって、湿地を通ると7割ほどが浄化されるという研究もあるくらいなのです。(参考文献: Rebecca Winer, “National Pollutant Removal Performance Database for Stormwater Treatment Practices 2nd Edition”, Center for Watershed Protection, March, 2000)

まさに、湿地はいろんな役目をあわせ持っていて、人間さんがつくるよりもよっぽど上等な自然の設備となっているようですね。


ところで、どうして観光の街サウサリートに USACE の施設があるのかというと、これには、ある目的があったからなのです。

それは、「Bay Model(湾の模型)」と呼ばれる大きな模型をつくるため。

模型というのは、文字通り、サンフランシスコ・ベイエリア全体の巨大な模型で、USACE が手がける治水事業を検討するために、実際に使われていたものなのです。

模型では、周辺の陸地や海や川が精巧に再現されていて、実際に海や川の部分に水を入れてみて、「この川をせき止めたらどうなるだろう」とか「ここにダムを築いたら近隣にどんな影響がでるだろう」とか、そんなことを実験してみたものなのです。
 もちろん、今の時代だったらコンピュータのシミュレーション(模擬実験)でやってしまうことでしょうが、この巨大模型がつくられたのは、1956年から翌年にかけて。

それで、どうしてそんな話になったかというと、とんでもない案が持ち上がったからなのです。

1940年代に地元の実業家がこんなことを言い出したのです。「ススーン湾やサンフランシスコ湾に流れ込む水がもったいないから、この辺の川を全部せき止めて、巨大なダム2つを建設しよう!」と。
 この思い切った案にアメリカの連邦議会も賛同し、計画検討のためにお金を出してくれたので、サウサリートに巨大な模型をつくることになったのでした。

もちろん、そんな計画は撤回されたわけではありますが、それからあとも、「人口増加にそなえて湾を埋め立てよう!」というような話は、湾のあちらこちらで沸き起こったのでした。
かわいそうに、サンフランシスコの市街地と空港の間にあるサンブルーノ山(San Bruno Mountain)なんて、「こんなところに山があったってしょうがない!」と、あやうく頭を削られて、削った土を湾の埋め立てに使われるところでした。

もしこのような計画が進んでいたならば、サンパブロ湾やススーン湾、それからサンフランシスコ湾の大部分は、過去の遺産となってしまっていたのでした。


振り返ってみると、サンフランシスコ・ベイエリアの環境は、先住民族の時代からは大きく様変わりしています。

湾は埋め立てられ、掘り返され、海岸線が著しく変形し、湾周辺に住みつく生物の9割は、在来種ではなく外来種だともいわれます。
 もう後戻りできないことはたくさんあるのです。

けれども、何か人間にできることがあるのではないかと、ここでご紹介した USACE だけではなく、いろんな団体が立ち上がって、可能な限りの自然の修復を行おうとしています。

サンフランシスコ湾ひとつをとってみても、想像もつかないような試練をくぐってきたのです。「赤い海」のことを書き始めたら、今までまったく知らなかったベイエリアの姿が見えてきたのでした。


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