Essay エッセイ
2023年11月26日

お米のおはなし〜どうやって作るの?

<エッセイ その206>

秋は、日本じゅうで祭りが開催されます。


その起源をたどると、多くは「収穫祭」の意味合いが強いのだと思います。


アメリカでは、11月の第4木曜日は、収穫を感謝する「感謝祭(Thanksgiving)」の日。そして日本では、10月、11月と、神社の秋季大祭や夜を徹しての神楽や神舞(かんぶ)が催されます。


収穫といえば、日本では米。


秋になると田んぼが黄金色に実り、地域の皆で稲刈りをする。無事に収穫を済ますと、ホッとしたところで鎮守の神さまに感謝し、収穫物や舞を奉納する。それが、日本の原風景でしょうか。


(写真は、今年10月開催の『長崎くんち』、桶屋町の「本踊り」より、所望踊(アンコール)の『実り』。稲穂を手に持ち、華やかに踊ります。)



というわけで、今日は、お米のお話をいたしましょう。


いえ、わたし自身、田んぼに足を踏み入れたことはありませんし、田植えの体験もありません。けれども、連れ合いのゴルフ友達がお米を育てていらっしゃって、その美味しいお米を分けていただいたときから、「稲」の実である「米」に対する興味がぐんとわいてきたのでした。


興味がわいてくると、郊外をドライブしていて、稲穂がたわわに実り、収穫が始まっている様子も自然と目に入ってきます。


そして、お米とは単に「ご飯茶碗に盛られた、日本の主食」ではない、という認識が生まれるのです。


まず、お米を分けていただくのと、お店で買ってくる袋詰めの米は何が違うのか? というと、それは「新鮮度」にあるでしょうか。


そう、意外なことに、お米にも新鮮さが大事なのです。


稲の実から籾殻(もみがら)を取り除いたものは「玄米」で、玄米から精米機で糠(ぬか)を取り除いたものが「白米」です。健康の面から玄米を食べる方も多いですが、大部分の方は白米を好みますよね。


お店で売っている袋詰めの白米は、流通の関係で、精米をして何日もたっているもの。お米というものは、通常、精米をして数日で新鮮度が落ちるそうなんです。


我が家は玄米の状態でお米を分けていただいているので、精米機を買い込んで、利用のつど精米することにしています。毎回「精米したて」の新鮮なお米を炊けるので、ふっくらとして、甘みの強いご飯が味わえるようになりました。


ちょっと厄介なのは、玄米は、摂氏13〜14度で保存するのが理想的なこと。が、我が家には、ワインを保存する小型の冷蔵庫があります。そこからワインボトルを引き抜き、玄米と物々交換していただいて、空いたスペースに玄米を保存するようにしています。


この「技」を編み出した連れ合いは、摂氏13〜14度と聞いてワイン冷蔵庫を思い浮かべたことを自慢にしています。それほど、玄米から精米したての白米は、素人にもわかるくらい味が違う、ということでしょうか。



新鮮な白米の味の違いがわかってくると、次は、どうやって米を栽培するのだろう? という疑問がわいてきます。


そこで、お米を分けていただいているT氏のお宅を訪問することになりました。


稲刈りを控える9月半ば、忙しくなる前にと、ご自宅を囲む田んぼや愛用の農機具を見せていただきました。


場所は、福岡県遠賀郡(おんがぐん)水巻町(みずまきまち)。馬見山を源とする一級河川、遠賀川(おんががわ)がゆったりと流れる、筑豊の平野部に位置します。


筑豊地方は、以前は炭鉱で栄えた地域。石炭を利用し鉱工業が盛んな北九州市とともに、北九州都市圏を形成。炭田地帯としては田川市や飯塚市が知られますが、昔は水巻町にも炭鉱があったそう。


今では、東に北九州市に隣接する地の利を活かし、都市圏のベッドタウンとして人気のある水巻町。ここで生まれ育ったT氏の家のまわりでも、田畑が人手に渡り、住宅やマンションに変わりつつあるようです。


T氏は長年務めた教職を退いてからは、本格的に米作りを引き継いでいらっしゃいます。さすがに先生だったT氏は、うまい語り口で、米作りの複雑な行程を簡素に解き明かしてくださいます。


なんの知識もないわたしにとっては、すべてが「初耳」のお話。こんなにやることがあるの? とびっくりです。


まずは、種となる種籾(たねもみ)を塩水につけるところから始まります。これは、軽い種籾を取り除き、良質なものを選ぶため。軽いものは、芽や根(胚、はい)を育てる栄養部分(胚乳、はいにゅう)が少ない。ですから、胚乳が多く、水に沈んだ良質のものを選びます。


選んだ種籾は、水に浸します。これを「浸種(しんしゅ)」と呼ぶそうですが、種籾の中に水が入ると、細胞の呼吸が盛んになって、でんぷん質が分解され、発芽も促進されます。水温によって浸種の日数は異なりますが、あまり高温でもよくないので摂氏10〜15度を保ち、15度では一週間くらいとのこと。


昔は、種籾は前年に自分の家で穫れたものを使い、風呂場で水につけて発芽させていたそう。今は、原種の種籾を購入し、専用の容器で水を温めながら浸種します。前年に収穫したものではなく、一世代ずつ原種を使うのは、異品種の混入や病害虫を防ぐためだとか。


優良な品種を保つためには、まずは遺伝的に健康な種から、ということなのでしょう。


次に、苗(なえ)を育てます。平べったい育苗箱に床土を入れて、水をそそぎ、これに種籾を均等にまいて、土で覆います。数日して芽吹き始めたら、育苗箱は田んぼに運んで、ここでさらに成長させます。


一般的に、育苗箱を並べておく場所を「苗代田(なわしろ・だ)」と呼ぶそうです。福島県の会津地方に「猪苗代(い・なわしろ)」という町がありますが、「猪(いのしし)」と「苗代」とは、面白い名前です。町を見下ろす磐梯山(ばんだいさん)から猪が田んぼに訪れていた、といった由来でしょうか?



苗を育てるのに並行して、稲を育てる圃場(ほば)を準備します。


田んぼをつくるわけですが、まずは、2月と5月に「田起こし」をしておきます。


田起こしは、固まった田んぼの表面を掘り起こして、土を乾燥させ、前年の稲の切り株などの有機物や肥料を土に混ぜ込む作業です。


昔は、鍬(くわ)や鋤(すき)を使って、人の力で土を耕したり、粘質土や湿地を掘ったりしていましたが、今は、最新鋭のトラクタを使います。


写真は、田起こしのため、トラクタの後部にロータリ(耕うん爪)という農具を取り付けたところ。爪が見やすいようにと、ロータリ部を上げていただいています。


田起こしが完了したら、田んぼに水を溜めて、「代掻き(しろかき)」を行います。水は、代掻きの1、2日前に入れておいて、代掻きは田植えの数日前に行います。


代掻きは、土をさらに細かく砕き、丁寧にかき混ぜて、土の表面を平たくする作業。苗を植えやすくすることで、発育が安定したり、苗がムラなく育ったり、雑草が発芽しにくくなったりと、いろんな効果があるそうです。


農作業に牛や馬を使っていた時代には、平たい馬鍬(まぐわ)を引かせて田んぼを平たくしていたそうですが、今は、ハロー(代掻き爪)をトラクタに取り付けて、代掻きを行います。


目的に応じて、ロータリやプラウ(鋤、すき)、ハローと、いろんな農機をトラクタに取り付け、一台のトラクタにも汎用性を持たせます。


最新鋭のカラフルなトラクタと取り替え可能な農機は、合体ロボットのようでもありますね!



と、圃場が整ったところで、ここで初めて「田植え」となります。


苗が15センチほどに育ったところで、育苗箱の苗を田植え機にのせて、均等に田んぼに植えます。台にのった苗は、田植え機後部の「植え付け爪」で、下から順繰りに規則正しく植えられていきます。


田植えといえば、昔は手で一本ずつ苗を植えていて、紺色の絣(かすり)に赤い襷(たすき)の「早乙女(さおとめ)」のイメージがあります。現代の田植えは、苗を植えるだけではなく、肥料も田植え機で同時にまくことができるそう。


母はその昔、農家から婿入りした父親の実家で、田植えをしたことがあるそうです。母が子供のころのお話で、「田んぼに裸足で入ったら、足に蛭(ヒル)が吸い付いて痛かった」そう。また、いちいちお昼に足を洗っている時間もないので、「裏がきれいで、表が泥で汚れている草履を履いて座敷に上がっていた」とのこと。母が亡くなる直前に、ガーデニングをしながら語っていたのが印象に残ります。


日本には「蛭田(ひるた)さん」という苗字もあり、田んぼと蛭は、古来、切っても切れない関係でした。そして、ひとたび田植えをはじめたら、もう家族総出で忙殺されたことでしょう。



田植えが終わって、ひと安心。


が、その後も、田んぼの雑草の草取りをしたり、畦道の草刈りをしたり、水や肥料をコントロールしたりと、さまざまな作業が待っています。


今は一般的に除草剤を使いますが、その昔、田んぼの草取りというと大変な作業だったそう。数ある雑草の中でも、とくに、雑草ヒエ類(ノビエ)などはイネ科なので見分けにくいし、稲に混じって生育するとか。


稲の葉は珪酸(けいさん)をたくさん含み、縁がガラスのように鋭く、これが目に入るし、肌を切る。そんな田んぼにつかって暑い盛りに草取りをするなんて、まさに想像を超える重労働。


肥料に関しては、何度か重要なタイミングがあるそうです。


まず、田植えの前にまく肥料は「元肥(もとごえ)」、田植えが終わったあとに施す肥料は「追肥(ついひ)」と呼ばれ、重要なタイミングです。あまりたくさん葉が茂ると、下の葉が育たないし、茎が伸びすぎると、雨風で倒れてしまうので、肥料をまきすぎるのも良くありません。


そして、「穂肥(ほごえ)」というのもあります。稲の穂が出るころに追肥することだそうですが、今は穂肥が必要ない粒状の肥料もあって、この場合は、田植えのときに苗と一緒に田植え機が根元に植え込んでくれるだけで十分だそうです。


水の管理に関しては、「中干し(なかぼし)」と呼ばれるものがあります。


そう、水田と聞くと、稲刈りまでずっと水が張られているような印象がありますよね。でも、それは違っていて、8月上旬ころ、水を抜く時期があるそうです。「水をやり過ぎて、お腹をこわさないように」という理由だとか。


そう、根腐れを防いだり、土中の有毒ガスを抜いたり、肥料である窒素の吸収を抑えて育ち過ぎを防いだりと、いろんな効用があるそうです。


8月中旬、穂が出はじめると、「3日水を入れて、2日やめる」という水のコントロールを繰り返すそうです。


T氏の田んぼには、遠賀川支流のポンプ場につながる灌漑用水が引き込まれ、田んぼ脇の用水路の水門を開閉するだけで、水の管理が容易にできるようになっています。



ところで、稲は花を咲かせることをご存じでしょうか?


そう、お米は植物の種子ですから、「受粉」する必要があるのです。


田植えから2ヶ月ほどすると、籾(もみ)がたくさん集まった「穂」が出てきますが、この時点では、籾の中にお米は入っていません。


晴れた日の午前中、緑色の籾の中からは白いオシベが出てきて、花粉は風にのってメシベに受粉します。受粉したら、開いた籾が閉じて、籾の中にできた胚(芽と根)を育てるために、胚乳(ブドウ糖から生成されるデンプン)を蓄積します。これが、お米の粒となります。


「花」といっても、野の花と違うところは、花びらがないこと。そして、「自家受粉」なので、受粉に虫や蜜蜂、人の手といった助けがいらないこと。


稲の開花は2時間ほど、開花期は一週間で終わるので、「お米の花なんて知らない」というのも、うなずけます。



というわけで、穂が出て一月半ほどすると、黄金色の稲穂が頭(こうべ)を垂れ、稲刈りの季節となります。


稲刈りには、コンバインという機械を使います。


そう、今のコンバインは進んでいて、稲を刈るだけではありません。


稲を刈りながら、同時に脱穀(だっこく)したり、ワラを細かく刻んだりと、いろんな作業を行ってくれます。


こちらは、コンバインの側面のカバーを開けたところ。


刈り取られた稲は、チェーンでこちらの脱穀部に運ばれ、「こぎ歯」がついた胴体が回ることで、穂先から籾を分離して脱穀します。


脱穀された籾は、下に落ちてタンクに集められ、細かいワラくずは、吸引ファンに吸われて、機外に吐き出されます。タンクが籾でいっぱいになると、「アンローダ」と呼ばれる長い管でトラックに排出されます。


脱穀されたあとのワラは、ワラを処理する部分に運ばれ、回転式カッタで細かく裁断されます。


これをどうするかというと、田んぼにまくのです。


田にまかれたワラは、翌年の田起こしのときに土と一緒に耕されて、自然の肥料となります。(写真は、稲刈りのあとの田んぼですが、株からは緑の葉が育っています)



刈り取った籾は、トラックで運ばれ、すぐに乾燥機で乾燥させます。


籾は水分含有量が多いので、すぐに変質してしまいます。ですから、すぐに乾燥させて、品質を保つとともに、硬くして粒が砕けにくくします。


乾燥が終わると、熱を持っているので、一週間ほど冷まします。


十分に冷めたら、次に「籾すり(もみすり)」を行います。


これは、籾から籾殻を取り除いて、玄米の状態にすることです。


籾殻を取り除くと、つやつやとした玄米の誕生です。


この玄米の状態で保存しておくわけですが、冒頭でご紹介したように、ここで冷蔵管理をするのです。そう、摂氏13〜14度で冷蔵するので、連れ合いが「ワイン用の冷蔵庫を思い浮かべた」というお話。


T氏は専用の冷蔵庫を使われていますが、中が広くて、たくさん玄米が入りそうです。



今年T氏は、『夢つくし』と『元気つくし』を育てました。ともに福岡県産米の代表品種で、つややかな光沢とふっくら感、もっちり感で人気です。


毎年、JA遠賀(北九州農業協同組合・遠賀支店)が推奨する品種の種籾を買うようにしているので、同じ品種を植えるとは限らないそうです。


T氏を訪問したのは9月20日でしたが、『夢つくし』の稲刈りはすでに終わっていて、『元気つくし』はこれから行う、とのこと。『こしひかり』などは、さらに稲刈りが早いということでした。


2月に耕うんして土をひっくり返し、5月にまた「田起こし」を行い、「代掻き」をして田植えの準備をする。田づくりと並行して種を選んで、発芽させ、育苗箱で芽を育てる。


6月には田植えをして、台風シーズンでもある夏の間は、草刈りや、水や肥料の管理と、さまざまな農作業が続く。そして、9月下旬から10月初旬には、待望の収穫を迎える。


毎年、同じようなプロセスに見えても、栽培品種も天候も異なるので、一年として同じ体験をすることはないのでしょう。品種によって留意点は異なり、暑いと「干ばつ」が気になるし、天候が不順だと「冷害」が心配になる。


自然を相手にするということは、「予想通りには行かない」ことの連続でしょう。が、それゆえに、豊かな収穫を迎えた喜びはひとしおなのかもしれません。


喜びは、お裾分けするもの。米は、贈り物でもありました。その昔、母の父親が婿入りした商家を建て直したとき、実家からは米俵(こめだわら)を積んだリアカーを引いて、祖父がお祝いに駆けつけてくれたそう。


ひと粒のお米には、育てた方の情熱が込められている。


そんなことを学ばせていただいた「田んぼ見学」でした。


「いただきます」と自然と手を合わせたくなる、日本の主食なのです。



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