Essay エッセイ
2013年07月11日

お茶碗一杯のご飯

前回は、「おにぎり」のお話をいたしましたが、今回も、お米にまつわるショートストーリーをどうぞ。

日本のホームドラマを観ていると、いつも不思議に感じることがあるんです。

それは、食事のシーン。

家族のお話には付きものの食卓シーンですが、なぜかしら、夕餉(ゆうげ)のテーブルに、ご飯をよそったお茶碗がおかずと一緒に並んでいるのです。

わたしにとっては、かなり奇異に感じるシーンなのですが、連れ合いに聞いてみると、「それは普通なんじゃない?」と言うのです。

いつの頃からか、母は夕餉の最後にご飯を出すようになって、「おかずをしっかり食べて、お腹に余裕があったらご飯を食べなさい」と言われて育ちました。

おかずだけ先に食べるのですから、味付けもごく薄め。「今日は味付けが濃かったから、食後に喉が渇くわねぇ」というのは、母の口癖のようなものでした。


それで、そんな話をしていると、連れ合いがふと思い出しました。

「そういえば、お義父さんが、『若い頃はあまり飲まなかったのに、いつからかストレスで晩酌をするようになった』と僕に語ったことがあったよ」と。

長い父の職歴の中で、いったいいつ頃からお酒をたしなむようになったのかはわかりませんが、とにかく、子供のわたしには理解できないところで、何かしら気苦労があったのでしょう。

心血を注いで成し遂げようとするほど、その過程では、大きなストレスに立ち向かうことにもなるのでしょうから。

それで、父が晩酌をするようになると、おかずを肴(さかな)にチビチビとやるので、家族もそのペースに合わせて、自然と最後にご飯をいただくようになったのではないかと、連れ合いは仮説を立てました。

「だって、お義母さんって、しっかりして自立した人に見えるけど、きっちりとお義父さんをたてるところがあるでしょう。だから、お義父さんの事情で家族の習慣ができあがったんじゃないかなぁ」と。

なるほど、外から覗いてみると、家族の「決め事」がどうやってできあがったのかと、如実に見えることもあるのでしょう。

家庭で女性に囲まれた父にしてみたら、男同士、連れ合いに話しておきたいこともあって、それが謎解きに結びついたのかもしれません。

今では晩酌をしなくなった父ですが、今でも「ご飯は最後」の習慣は健在ですし、我が家でも、それは立派に踏襲されています。

そう、我が家でも、「ご飯は食事のしめ」が習慣になっています。

もちろん、おかずを肴に晩酌をする事情もあるのですが、どちらかと言うと、わたしの子供の頃からの習性で「おかずとご飯は一緒には食べない」ルールになったような気がします。

(そういえば、これに対して、連れ合いが文句を言った記憶がないのですが、それって感謝すべきことなのかもしれませんね。)

ま、それにしても、おにぎりといい、茶碗一杯のご飯といい、晩酌の「しめ」は、やっぱりお米がおいしいな! と思うのですが、

いかがでしょうか?

後記: これを書きながら思い出したのですが、父の晩酌は、最初のうちはウイスキーの水割りだったものが、いつの間にやら、日本酒に変化した気がします。
 そう、昔は、ウイスキーのボトルに「今日はここまで」と印をつけて、氷と水で薄めて飲んでいたような記憶があるのですが、ある日、実家に帰ったら、「最近は日本酒党なのよ」と母が説明してくれました。

たしかに、昔は、おいしい日本酒が全国的に出回っていなかったように思いますし、「米どころ」でなければ、日本酒の良さが伝わりにくかったのかもしれません。

それから、最後の写真は、東京・港区麻布十番にある、季節のおまかせ料理『かどわき』さんの名物料理「トリュフご飯」です。こちらは、かどわき氏が炊きたてご飯の釜を見せてくださっているところ。
 スライスしたトリュフをふんだんにのせて炊くのですが、この香りとコクが、ご飯と絶妙にマッチします。
 あわびの肝ソースでこんがり焼いた胡麻豆腐や、花山椒をたっぷり散らした「ハモと破竹の鍋」と、コース仕立ての品々はうなるほどおいしいのですが、「しめ」のトリュフご飯は、誰もが楽しみにしている一品です。

もちろん、日本料理には日本酒ですが、前回は「こういうのお好きでしょ?」と、かどわき氏が連れ合いに出してくださったお酒があって、これが『出品吟醸・飛露喜(ひろき)』という香り高い限定品。
 飛露喜は福島の名品ですが、なんでも、蔵元の廣木酒造さんは東日本大震災で大きな被害に遭われて、麹を分けてもらったりしながら酒造りを再開されたのだとか。元通りの営業になるまで、ずっと『かどわき』さんが仕入れ続けていらっしゃったので、感謝の意味を込めて、品評会出品吟醸300本の中から、5本を分けてくださったということです。

その一本をふたりでペロッと飲んでしまったのですが(いえ、わたしは量は飲みません、味わうだけです!)、「大切な記念に」と、ラベルをいただいて帰りました。

やっぱり、おいしいお店には、おいしいお酒との出会いがありますね(って、本文よりも、後記の方が長い?!)


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