Essay エッセイ
2023年02月18日

チロリアンで恵方巻!

<エッセイ その197>

2月に入って、寒さがゆるんだと思ったら、思い出したように列島各地で雪が降ったりしています。


一方、我が家が慣れ親しんだカリフォルニア州サンノゼ市では、黄色いマスタードの花が咲きはじめ、お散歩する人たちの目を楽しませています。どうしてもこの風景を分かち合いたいと、親友も写真を送ってくれました。


マスタード(mustard、和名アメリカカラシナ)は、日本の菜の花と同じアブラナ科。カリフォルニアの在来種ではありませんが、今では野原を一面に彩る早春の花となっています。


そう、カリフォルニア北部のサンフランシスコ・ベイエリアでは、2月になると一気に春の息吹を感じます。木々には若葉が芽吹き、桃色や紅の花を開かせる。


Joy of life(生命の喜び)とは、まさにこの時のためにあるような言葉。それまで冬の雨で心がふさぎがちだった人も、命の力強さに感嘆の声をあげる季節でしょうか。



そんな2月、日本には、春の始まり(立春)を合図する「節分」がありますよね。


季節の分け目となる節分に、一連の行事で厄を払う。神社やお寺では節分厄除大祭が開かれ、厄払いを願う人々で混雑する時期です。


節分と聞いて、真っ先に思い出すのが「豆まき」。子供の頃に親しんだ豆まきは、鮮明に記憶に残っています。


母は豆を炒り、父が「鬼」の役を買って出てくれて、姉とわたしで「鬼は外!」と容赦なく豆を投げつける。


「痛い、痛い!」と逃げまわる父鬼を追いかけるのも面白かったですが、あとで部屋じゅうに散らばった豆を探すのも楽しかったですね。


そして、近年は日本じゅうに「恵方巻」も広まっているようですね。


福岡のデパートやスーパーでも、「恵方巻の予約受付」といったポスターを見かけましたが、わたし自身は恵方巻の行事を知らずに育ったので、日本全国に広まったのは、ごく近年のことでしょうか。


今年は南南東微南が「恵方」だったそうですが、縁起の良い方角を向いて、願い事をしながら無言で太巻きを食べる、というのが恵方巻のしきたりとか。もともとは関西地方で生まれた慣習のようですが、ヴァレンタインデーのチョコレートと同じく、食品業界の企てか? と思ってしまうのは罰当たりでしょうか。


いえ、わたしも興味はあったので、こんな恵方巻を買ってみました。『チロリアンで恵方巻!』と銘打って、福岡の老舗菓子店・千鳥屋(ちどりや)さんが出した、新手の恵方巻です。


1630年に佐賀で創業した千鳥屋さんは、今は本店のある福岡を代表する銘菓の老舗。かわいらしい千鳥の焼印がついた「千鳥饅頭」で有名ですが、クリームを焼き菓子でくるりと巻いた洋菓子「チロリアン」でも知られます。


香ばしいカリッとしたクッキーとバニラやイチゴの優しい味のクリーム。わたしも子供の頃から大好きだったお菓子ですが、それがちょっとサイズを拡大して、食べ応えのある大きさになっています。


もちろん、太巻きよりもずいぶんと小さいですが、チロリアンを太巻きに見立てたユーモアが気に入って、つい手に取ってしまいました。


味のセレクションは、バニラ、チョコレート、コーヒー、ストロベリー、アルプスショコラの5種類。普段は見かけない、チョコレートコーティングのアルプスショコラが入っているのも嬉しいです。


なんでも、冬から春への節目にあたる節分には、お正月のようにご馳走をいただく風習があったとか。太巻きに使う白米や海苔、卵などは、それこそ貴重な食材です。太巻きに丸のままかじりつく「恵方巻」は、至福の喜びであり、福を招く縁起の良さそうな行事となったのでしょう。


今は、デパートの食品売り場に行くと、当たり前のようにご馳走が並んでいます。今に伝わる恵方巻の行事は、食を祝いの中心に据えて尊ぶ、昔の風習を思い出させてくれるものでしょうか。


わたしの父方の祖母は、若い頃に中国の上海で働いていたことがありました。忙しさに追われる日々の中、誰かがお土産に持ってきたカステラの小さなひと切れをいただいて、「カステラ一斤(いっきん)を両手に持って、丸ごとかじりついてみたい!」と思ったそうです。


まさに「太巻きを丸ごと!」と同じ、憧れの表れでしょうか。



今年の節分は、福岡市の中心地にある櫛田神社(くしだじんじゃ)に行ってみました。こちらは有名な夏祭り『博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)』が開かれる博多総鎮守さまで、午前中のニュースで「豆まきをやっている」と聞いたからです。


今年はコロナ禍で延期になっていた豆まきも各地で再開されたようですが、ここ櫛田神社でも3年ぶりの節分厄除大祭です。そして、2年前に福岡に移住してきた我が家にとっては、初めての豆まき神事となります。


この時期、お櫛田さんでは、三方に大きな「お多福」の入り口が設置されていて、ちょっとシュールなお多福さん三人が参拝客を出迎えてくれます。


三人三様の顔立ちではありますが、大きなお口を開けて、どんどん人を呑み込んでいく様子は、ちょっと不気味でもあります。


30分おきくらいに開かれる豆まきには、かなりの人だかり。午前中は、博多座『新・三国志』の公演を控える歌舞伎役者の市川猿之助さんが参加されたそうで、そんなニュースも客寄せとなったのでしょう。


いえ、神社の豆まき神事は初めてでしたが、争奪戦となることはわかっていました。なにせ「小さなお子様と車椅子の方はこちらへ」とエリアが設けられているほどですから。が、驚いたのは、人だかりの最前列に陣取って、紙袋を広げている方々がいらっしゃること!


あんなんじゃあ、何も手に入らない! とあきらめていたんですが、なんと、連れ合いが地面に落っこちたお餅をゲット。


するとその直後、わたしの懐には、ツルッと豆の袋が入ってきたのでした。どうやら、誰かがバレーボールのようにアタックした袋が、偶然飛び込んできたよう。


たったひとつゲットしただけですが、「福が舞い込んできた!」といい気分。


お餅はお雑煮風にして、ありがたくいただきましたし、かわいらしい豆の袋はテーブルに飾って、毎日眺めています。



それにしても、お多福さんは、生活のいろんな場所に登場されますよね。「福が多い」と書きますので、縁起の良い方なのでしょう。


こちらは、学問の神様・菅原道真公(西暦845〜903年)をお祀りする太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)にある休憩所の看板。歴史を感じさせるメニュー看板ですが、看板に添えるイラストとしては、昔から代表格でしょうか。


お多福さんは、企業のロゴにも採用されていて、たとえば広島オタフクソース株式会社の「オタフクお好みソース」や、茨城タカノフーズ株式会社の「おかめ納豆」といろいろ思い浮かべます。


眉目秀麗とは言いがたいものの、見ていると自然と笑みがこぼれるような、ありがたいお顔をしていらっしゃいます。


なんでも、お多福さんの起源は、「鈿女(うずめ)」と呼ばれる踊り手にあるとか。


正式には「天鈿女命(あめのうずめのみこと、天宇受売命)」といい、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)を誘い出そうと、岩屋の前で楽しげに舞うのが鈿女。


宮崎県・高千穂の里に伝わる夜神楽でも、代表的な舞のひとつとなっています(写真は、高千穂で鑑賞した夜神楽『鈿女の舞』)。


「鈿」という文字は「でん」と読み、螺鈿(らでん、貝殻で文様を施す漆器工芸)にも使われますが、「かんざし」とも読むようです。鈿女とは、かんざしの飾りを付け、優雅に舞う女性という意味なのでしょうか。


鈿女の舞は、神楽の起源ともいわれますが、日本各地に伝わるユーモラスなお多福の踊りにも転じたのかもしれませんね。



というわけで、立春の2月は、梅の季節であり、受験シーズン。


学問の神様がいらっしゃる太宰府天満宮は、合格祈願の方々で長蛇の列。


本殿前にある御神木「飛梅(とびうめ)」も白いつぼみがほころびはじめ、こちらも参拝客の熱い視線を集めます。


2月14日のヴァレンタインデーには、梅の親善大使として太宰府天満宮から宮司さんと巫女さんたちが梅の鉢植えを持って、東京に向かいました。


白やピンクの梅の鉢は、太宰府と同じく菅原道真公をお祀りする亀戸天神社(かめいどてんじんじゃ)と湯島天神(ゆしまてんじん)、そして首相官邸にも贈られたそう。鼻の手術を受けたばかりの首相も、「良い香りですね」と喜ばれたとか。


「飛梅」は、京都から太宰府に経った道真公を慕って、一夜で都から飛来したという梅の古木。


梅に告げられた別れの歌を味わいながら、早春を楽しむ。昔と今がつながる、風流なひとときでしょうか。


東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花

         あるじなしとて 春な忘れそ



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