Essay エッセイ
2011年11月27日

フランスのカレーからロンドンへ

前回のエッセイは、「オリエント急行で気取った旅を」と題して、誕生日に乗った寝台列車「オリエント急行(the Orient Express)」のお話をいたしました。

なんとなく優雅な気分になって、ゴージャスな旅でした、というお話です。

実は、この列車の旅には続きがあるのです。なぜなら、寝台列車がフランスに着いたあと、海峡を渡って、イギリスに向かわないといけないから。

チェコ共和国プラハから乗り込んだ寝台列車は、一泊ののちフランスのカレーにたどり着きました。
 一旦、ここで列車を降りたのですが、どうにかして海を渡って、最終目的地のロンドンに向かわなければなりません。

旅に出るまで、いったいどうやって海を渡るのか、まったく想像もつきませんでした。紹介番組を観たり、列車の案内状を読んだりすると、「コーチに乗って海を渡る」というのですが、この「コーチ」っていったい何だろう? と思っていたのでした。

カレーに着いて寝台列車を降りて、スタッフのみなさんに「さよなら」の手を振ると、そこにはバスが4台ほど待っていました。

実は、このバスが「コーチ(coach)」と呼ばれるもので、このバスに乗ったまま、海峡を渡る仕組みになっているのです。


カレー駅からちょっと走ると、バスはイギリスの入国管理オフィスに到着します。ここでパスポートを提示して、入国の手続きをいたします。

そう、フランスを離れる前に、イギリスの入国手続きをするんですね。

まあ、今でこそ、そんなに厳しい手続きではありません。フレンドリーな男性管理官に、「いったい何日間イギリスにいるの?」と尋ねられただけでした。

けれども、昔はもっと厳しかったそうですよ。それこそ1960年代、70年代の「ヒッピー文化」の時代には、アメリカドルで何百ドルか持っていないと、イギリスに入国させてもらえなかったとか。

どうしてって、お金もないヒッピーや学生たちがどんどん入って来て、イギリスで仕事をしたりして居座られたら困るから。

でも、今は大丈夫。観光客だとわかれば、そんなに厳しいことなんて聞かれません。


というわけで、無事に入国管理を済ませた乗客は、また同じバスに乗り込み、ここからいよいよ海峡を渡るのです。

また少し走ったら、見えてきたのは、長~い銀色のコンテナー(写真に見えているのは、ずらっと並んだコンテナーの屋根です)。

え、貨物用コンテナー?

と思っていると、バスはコンテナーの中にもぐり込んで、またたく間に窓の景色が見えなくなってしまうのです。

そう、バスごとコンテナーに入れて、それを列車で引いて海峡を渡るのです!

ユーロトンネル(EuroTunnel)というコンテナー列車なんです。

なんでも、一台ずつ車が海峡トンネルを渡るよりも、その方がずっと環境に優しいそうです。ですから、「コンテナー」に乗ったバスや自家用車は、エンジンを止め、エアコンを止め、まるで荷物のようにおとなしくしてコンテナーの中に収まるのです。

列車がコンテナーを引いて海峡トンネルを渡る間は、ゴトゴトと小刻みに揺られますので、ほんとに荷物になったような気分です。エアコンがないので、バスの車内はムンムンしてくるし、思ったよりも揺られるので、あまり快適な行程ではないでしょうか。

まあ、その間、ロンドン在住のマレーシア国籍の中国女性(複雑!)とおしゃべりをしていたので、あっと言う間にイギリス側に着いてしまいました。たぶん、20分か30分くらいは乗っていたのでしょうか。

バスがコンテナーに入るときには、オリエント急行のバスは一緒に行動するのですが、もしトンネルが混雑していて一台が乗れなかったりすると、全部のバスがコンテナーをあきらめて、フェリーに鞍替えするそうです。
 これは、列車の案内状にも明記されているのですが、フェリーだって、あんまり快適ではないかもしれませんよね。

海峡トンネルとコンテナー列車のない時代には、みなさんフェリーで海峡を渡っていたそうですが、これだと、天候の悪い日に船酔いする乗客もいたので、評判はあまり良くなかったとか。


というわけで、無事にイギリス側に渡ると、ほんの少し走ったのち、フォークストン・ウェスト(Folkestone West)という駅に到着します。

なんとなく田舎の停車駅という雰囲気の駅ですが、ここでは、いきなりバンド演奏がオリエント急行の乗客たちを迎えてくれるのです。
 デキシーランドジャズでしょうか、黄色のスーツを着込んだメンバーが、とっても賑やかな音楽を奏でてくれるのです。

この小さな駅で別の列車に乗り込むのですが、これがまた、オリエント急行ご自慢の列車なのですね。

イギリスのフォークストンからロンドンの区間は、「プルマン(the British Pullman)」と呼ばれる列車が営業しているのですが、それまで乗っていた寝台列車と同様、由緒ある豪華な列車なんです。

こちらは寝台列車ではなくて、どちらかというと食堂車のような列車ですが、やはり、1920年代、30年代の歴史ある車両を修復して使っています。ですから、その内装は、とっても贅沢なつくりになっています。

そして、おもしろいことに、11両の車両にはそれぞれ女性の名前がついていて、おのおのの車両が、異なる装飾や歴史を誇っているのです。ですから、何回目かの方は、「今度はどの車両に乗れるのかしら?」と、わくわくして待っていらっしゃるのですね。

中には、エリザベス2世(今の女王さま)やお母さまの王太后(クイーン・マザー)が乗られた車両もあって、「クイーン・マザーのお気に入りだった」というものもあるそうですよ。

わたしが乗ったのは、「アイビス(Ibis)」という車両。なんでも、1925年につくられた、一番古い車両だとか。

車内の壁には、「アイビスさん」でしょうか、ギリシャ神話に出てくるような女性の寄木細工が施されているのです。

座席に案内されると、テーブルにはレストランのように白いテーブルクロスがかかっていて、ひじ掛けつきの椅子は、とっても心地よいのでした。

あんまり心地よいので、ここからロンドンへ向かう道のりは、ほとんど居眠りをしておりました。


いえ、普通は居眠りなんて、そんなことはあり得ないんですよ。

だって、このプルマン列車では、かの有名な英国式の「アフタヌーンティー」が出されるのですから。

みなさん、これをとっても楽しみにしていらっしゃって、席に着いてグラスにシャンペンがつがれ、目の前にサンドイッチが置かれると、もう喜んでそれを口に運ばれるのです。
 サンドイッチのあとのスコーンや、甘いお菓子といったものも、まったく残さずにお召し上がりになるようです(揺れる列車の中ですから、通常の「アフタヌーンティー」の3段重ねのトレーとは違って、ひとつひとつお皿に置かれる形式でした)。

まあ、それも全部、連れ合いから聞いた話ではありますが・・・。

わたしが居眠りしていた「敗因」は、いくつかあるんです。まず、アメリカからヨーロッパにやって来て、時差ボケが続いていたこと。前夜、列車では熟睡できなかったこと。それから、コンテナーの中で荷物のように揺られたせいで、少々乗り物酔いしてしまったことがあるでしょうか。

そして、一番の敗因は、昼間のおいしいブランチが、まだお腹に残っていたことでした。だって、ほんの2、3時間前にたらふく食べたら、お腹は満杯で、何も入る余裕はないでしょう(それ以上「食べろ」と言われるのは、わたしにとっては、拷問みたいなものなのです・・・)。

というわけで、居眠りから起きたら、もうロンドンのすぐそば。きっと2時間ちょっとの行程だったのでしょうけれど、車内を探検する間もなく、黄昏時のヴィクトリア駅に到着でした。

あとから考えてみると、こんな「旅の後半部分」を知っていたならば、ブランチはちょっと控えたかもしれませんね。

そして、海峡トンネルで「コンテナーの荷物」になるのを知っていたら、たぶんロンドンを列車の目的地には選ばなかっただろうなと思ったのでした。

いえ、ロンドンも、イギリスの他の街も素敵なところです。行ってみる価値は十分にあります。けれども、海峡を渡るのだったら、別の方法で渡った方がいいかもしれないなと思ったのでした。

次回、オリエント急行に乗ることがあったら、わたし自身はヨーロッパ大陸の中にとどめておくことにいたしましょうか。

(もちろん、それは、人それぞれの好みの問題ですので、海峡を渡ってロンドンに向かう部分が好き! プルマン列車が好き! という方もたくさんいらっしゃると思いますよ。そして、ロンドンから逆向きに乗る、という手もありますよね。それだと、午後の「アフタヌーンティー」はお昼の「ブランチ」になって、だいぶ雰囲気は変わるかもしれません。)


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