Essay エッセイ
2014年12月16日

プッチーニの調べ

サンフランシスコにオペラハウスがあります。

市庁舎(写真)のすぐ裏手にあって、バレエ劇場とシンフォニーホールが両脇に建ち並び、ちょっとしたヨーロッパ風の劇場地区になっています。

このオペラハウスは、サンフランシスコオペラ(San Francisco Opera)の舞台。

秋に始まるオペラのシーズンでは、有名なオペラがいくつも上演されますが、シーズンを通してチケットを買わなくても、自分の好きな演目だけ買うこともできます。

家に舞い込んだサンフランシスコオペラのプロモーション資料を見て、ふと買ってみたのが、プッチーニの『トスカ』。

イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニのオペラの中でも、『蝶々夫人』と並ぶくらいに有名なオペラです。


楽しみにしていた『トスカ』ですが、当日は、連れ合いの仕事が長引いたせいで、だいぶ遅れて第一幕が終わる頃に劇場に到着。

間もなく中休みになるので、それだったら地下のカフェでワインを飲んだあと、第二幕から楽しみましょう、ということになりました。

カフェの壁には、往年の名演技の数々がフォトフレームで飾れていて、いかにもオペラハウスといった雰囲気。

そして、ここにも舞台のライヴ映像と歌声が流れているので、トスカ役のソプラノがとってもいい声ねぇと、期待感がふくらみます。

オペラ『トスカ』は、とってもわかりやすいストーリーに仕上げてありますので、その明快さも魅力のひとつ。

第一幕はトスカの恋人、画家のマリオ・カヴァラドッシが壁画を手がける教会、第二幕はローマ市の警視総監スカルピア男爵の公邸、そして、第三幕はサンタンジェロ城の屋上の処刑場と、三つのシーンに分かれています。

第一幕では、政治犯をかくまった罪でカヴァラドッシが捕らえられ、第二幕では彼の罪が許されるようにと、トスカは警視総監スカルピアと懸命の駆け引きを繰り広げ、第三幕はトスカが思い描いた「恋人との逃避行」とは逆に悲劇で幕を閉じるのですが、それぞれに誰もが一度は聞いたことのあるような有名なアリアで盛り上がるのです。


中休みも終え、ようやく席に落ち着くと、スカルピアの公邸の第二幕が開きます。

が、しばらくすると、しまった! と後悔することに。

いえ、面白くないとか、そんなことではなくて、まったくその逆。あまりにも、ストーリーにのめり込みすぎるんです。

恋人を助けたい一心のトスカは、自分に言い寄ってくるスカルピアと駆け引きをして、ようやく一筋の光明が見えてくるのですが、しまった! と思ったのは、ある曲が『トスカ』の一場面であることを思い出したから。

それは、トスカが美しい声で歌い上げるアリア「歌に生き、愛に生きVissi d’arte)」。

愛するマリオが拷問で苦しむ叫びを耳にして、信心深いトスカが天を仰いで嘆き悲しむ歌。

わたしはこれまで、ただただ愛と歌に生き、何者も傷つけず、聖母の前にも花や宝石と持っているものすべてを捧げてきたのに、神よ、どうしてあなたはわたしをお見捨てになるの?」と問いかける歌。

もう、この曲を聞くと、自然と涙がこぼれるんです。まさに、わたしにとっては「禁断のアリア」とでも言いましょうか。

瞳に涙をためるなんて生易しいものではなく、ボロボロとこぼれ落ちる涙。

あぁ、この曲が出てくるんだったら、『トスカ』は止めとけば良かった! なんて思っても、後の祭り。ダメダメ、ここは自宅じゃないんだから、場もわきまえずに涙は禁物よ! なんて自分に警告したって、まったく通用しません。

最初のうちは左目だけでおさまっていたのに、アリアが佳境に入ると、両目からボロボロと流れる涙。

間もなく、思いあまったトスカが総監スカルピアを刺して第二幕が閉じると、真っ赤に泣きはらした顔をまわりの人たちにさらすことになったのでした。


それにしても、不思議です。

最初にこの歌をCDで聴いたときには、歌詞の内容なんてまったく気にも留めなかったんですが、それでも、自然と涙してしまう。

悲劇のクライマックスシーンですので、物悲しい旋律ではあるのですが、何かしら、琴線に触れるメロディーをプッチーニは知り尽くしている、といった感じでしょうか。

同じく『トスカ』の第三幕、処刑にのぞむ恋人マリオが歌うアリア「星はきらめき」もそうですし、かの有名な『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」もそうです。

プッチーニのオペラには、涙なしには聴けない歌が多いんですよね。

世界的なテノール歌手プラシド・ドミンゴさんは、心の中で『トスカ』を一番大事になさっているそうですが、中でも「星はきらめき」は、最も大切に思っている歌だとか。

そんなインタビューとともに、彼が熱唱する処刑場のアリアを聴くと、もう、それだけで涙がこぼれてくるのです。

そして、長崎を舞台にした『蝶々夫人』は、以前、サンノゼのオペラハウスで堪能したことがありますが、このときも蝶々夫人が歌い上げる「ある晴れた日に」に涙してしまって、劇場を出るときに恥ずかしい思いをしたのでした。


まあ、オペラというと、一般的には、どうしても縁遠いものですよね。

わたし自身は、両親の影響で小さい頃からクラシック音楽に親しんできたものの、オペラが好きになったのは、ごく最近になってからでしょうか。

それは、たぶん、「歌」としてのオペラを楽しむだけではなくて、歌の後ろにある「お話」にのめり込めるようになったからだと思うのです。

それぞれの歌には必然性があって、その中で愛を唱えたり、嘆き悲しんだりと、歌い手がそれはそれは大事に歌詞を歌い上げる。

歌詞は演劇の「セリフ」みたいなものですので、その歌詞の意味を追いながら「お話」を思い描くわけですが、それができるようになったから、オペラを楽しめるようになったのかもしれません。

そう、オペラって、意外と演劇みたいなものなんですよね。

オペラ歌手の方だって、歌が上手なだけじゃなくって、かなりの演技派です。それに、彼らはオーケストラの生演奏を従えているので、「効果音」もばっちりです。

だからこそ、彼らが熱演する「ドラマ」も面白い。

そして、そのドラマにも、自分が歩んできた人生の中から「そうなのよねぇ」と共感する部分が増えてきたからこそ、ドラマにのめり込めるようになったのだと思うのです。

ですから、子供の頃からオペラが好きなんて人は、あまりたくさんはいないのではないでしょうか?

子供が「煮しめ」や「鍋」は好きじゃないように、年月を経てみないと、理解できない深い「味わい」というのもあるのではないでしょうか。

そう、オペラは「大人の味わい」。

そして、プッチーニさんは、大人の味わいをメロディーにする達人だったのかもしれませんね。

蛇足ではありますが: サンフランシスコのオペラハウスと言えば、思い出すのは、リチャード・ギアさんとジュリア・ロバーツさん主演の映画『プリティウーマン(Pretty Woman)』(1990年公開)。

この映画では、ビバリーヒルズからプライベートジェットに乗って、サンフランシスコにオペラを観に行くシーンがありますね。
 ジュリアさん演じるヴィヴィアンが真っ赤なドレスを着飾ると、「何か足りないものがあるね」とリチャードさん演じるエドワードが豪華なダイヤモンドの首飾りをつけてあげて、夜の飛行を楽しみながらサンフランシスコに向かうシーンです。

ここでは、サンフランシスコのオペラハウスでヴェルディの『椿姫』を楽しんだことになっていますが、どうやら撮影に使われたのは、サンフランシスコのオペラ座ではないようですね。
 サンフランシスコの劇場は、わりとシンプルなつくりで、壁沿いのスイート席もごくシンプルですが、映画では、かなり豪華な装飾のある劇場でした。

『椿姫』に涙を流さんばかりに感動したヴィヴィアンでしたが、隣席のレディーが「どうだった? 楽しめた?」と彼女に尋ねるシーンがおかしいのです。

I almost peed in my pants(面白くて、もう少しでおしっこちびりそうだったわ)
 と言うヴィヴィアンに、

She said she enjoyed it as The Pirates of Penzance(彼女は『ペンザンスの海賊』くらい楽しんだわと言ったんですよ)
 と、あわてて取りつくろうエドワード。

Peed in my pantsPirates of Penzance の韻を踏もうとしたのですが、それを復唱しながら「何かしら韻が合わないわねぇ」という困惑の表情のレディー。

どこまでもストレートに感情を表現するヴィヴィアンと、どこまでも紳士にふるまうエドワードのコンビなのでした。

いえ、蛇足ではありましたが、サンフランシスコのオペラハウスに来ると、いつも『プリティウーマン』のオペラのシーンを思い出すものですから。


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