Life in California
ライフ in カリフォルニア/日常生活
Life in California ライフ in カリフォルニア
2019年08月28日

モザンビークのレディー

<ライフ in カリフォルニア その161>



サンフランシスコで過ごす日曜日、お買い物に出かけました。



前日、街を冷やした霧も晴れ、朝から雲ひとつない青空。こんな日にウィンドウショッピングをすれば、さぞかし気持ちがいいことでしょう。



建物を出て、横断歩道を渡り、目の前の美術学校まで来ると、「エクスキュースミー」とレディーに呼び止められました。



どうやら道に迷っていらっしゃるようで、「メイシーズを探しているんですが、どこでしょうか?」とおっしゃいます。



メイシーズ(Macy’s)は、アメリカでは有名なデパートですが、サンフランシスコのダウンタウン地区には、たしか ユニオンスクエア(Union Square)にしか店舗はなかったはず。ここからはちょっと離れているので、思わず「メイシーズって、ユニオンスクエアのですか?」と確認してしまいました。



すると、彼女はそうだと答えるので、「ちょうどわたしもユニオンスクエアに向かうところですから」と一緒に歩いて行くことにしました。説明するよりも簡単ですので。



彼女は明らかに観光客の雰囲気なので、そばに見える老舗パレスホテルに泊まっているのかと聞けば、市内のメインストリート、マーケット通り(Market Street)にあるホテルに泊まっているとのこと。



ここはマーケット通りよりも2ブロックも南で、しかも、かなり東の方。マーケット通りのちょっと北にあるユニオンスクエアとは、方向違いなのです。



わたしも子供の頃は、母譲りの方向音痴でしたが、彼女はもっと方角が苦手なのかも! と心の中でつぶやいていました。




道すがら、あまりプライベートなことは聞いちゃいけないかなと思っていると、彼女は自分の方から「わたしは アフリカ から来たの」とおっしゃいます。はるばるアフリカのモザンビークからアメリカ観光にいらっしゃったとか。



モザンビーク(Mozambique)と聞いて、どこにあるのかわからなかったのですが、名前はよく聞きますよね。



あとで調べてみると、大きなアフリカ大陸の南東に位置する共和国。珍しい動植物がいるマダガスカル島と対峙する海沿いの国で、ちょうどマダガスカルみたいな細長い国土を持ちます。日本の倍の広さで、液化天然ガスをはじめとして豊かな資源に恵まれるとか。



アフリカは、ヨーロッパ諸国の植民地だった時代が長いので、ヨーロッパの言語を公用語(official language)とする国が多いです。そこで、「モザンビークではどんな言葉を話すんですか?」と聞いてみると、ポルトガル語(Portuguese)とおっしゃいます。



フランス語や英語を話すアフリカ諸国は耳にしますが、ポルトガル語というのは珍しい。ポルトガル語と聞けば、本国の他には南米ブラジルって感じがするではありませんか。ですから、わたしは、いきなり勘違いしてベルギーなまりのフランス語を思い浮かべてしまいました。



あとで調べてみると、モザンビークに加えてポルトガル語を公用語とするアフリカ諸国は、大陸の南西にある アンゴラ(Angola)、西アフリカの ギニアビサウ(Guinea-Bissau)、ギニアビサウの沖に浮かぶ カーボベルデ(Cabo Verde, (英)Cape Verde)そしてギニア湾の島国 サントメ・プリンシペ(São Tomé and Príncipe)があるようです。(地図の右下に位置するのがモザンビーク:Map of Portuguese-speaking African countries by Waldir, from Wikimedia Commons)



そのうちモザンビークは、1498年のヴァスコ・ダ・ガマの大航海をきっかけにポルトガル人が訪れるようになり、だんだんとポルトガルの植民地となった歴史があるようです。1975年にはポルトガルから独立したものの、近年まで国内紛争が続き、国が安定して経済が順調に発展し始めたのはごく最近のことのようです。




そんなモザンビークからいらっしゃった彼女は、サンフランシスコの印象をこう語ります。この街には、ホームレスの人が多いのね、と。



そう、彼女が指摘する通り、とくにこの1、2年、路上に生活する方々が目立つようになりました。



少し前までは、ダウンタウンのすぐ西にある テンダーロイン(Tenderloin)地区に集まって暮らしていました。ここには、格安の値段で泊まれるホテル(ホテルとは名ばかりの宿泊施設)が建ち並び、泊まるお金がなくて路上に寝起きする人も多く、市当局もそんな状況を十分に把握して黙認してきました。



ところが近年、以前は小ぎれいにしていたダウンタウン地区でも、ストリートによっては建物やレストランの真ん前に人が横たわっていたり、横断歩道の前で歩行者に小銭を求めてきたりと、歩きにくいシチュエーションも増えてきました。



ひとつに、路上に寝泊まりする人が増えたこともあるのでしょう。そして、市内いたるところで行われる工事も影響しているのかもしれません。



ダウンタウンの真ん中には立派なオフィスビルや高層マンションが建てられ、それに隣接する巨大な交通ターミナルや新たな地下鉄路線も整備されつつあります。そして、深刻な渋滞や交通事故を少しでも緩和しようと、歩行者や自転車、公共の交通機関を優遇するために道路の改修工事があちこちで展開します。



そんな大小の工事現場を縫うように、人の流れも自然と変わってくるし、ちょっと前まで寝起きできたところが工事現場となり、居場所を求めて人が動く。すると、それとともにストリートスケープ(街並みの景観)も変化する。



けれども、「路上生活」の根本にある問題は、「家賃が高すぎて、払えない人が多い」ということでしょう。



ですから、「ホームレスの人が多いわね」とおっしゃった彼女には、サンフランシスコの家賃はものすごく高くて、小さなアパートにすら住めない人が多い、という説明をしました。世界じゅうからサンフランシスコやシリコンバレーのテクノロジー業界に憧れて人がやって来るので、住宅物件が劇的に増えない限り、自然と家賃が高くなるのだと。



なにせ、サンフランシスコ半島は、ごく細長い狭いエリア。サンフランシスコにしても半島のコミュニティーにしても、家やアパートを新たに建てようにも、無尽蔵に住居を増やすことはできない。住宅物件よりも人がどんどん増えていく現状では、遠くから何時間もかけて通って来たり、車中や路上に住んだりする人が出てきてもおかしくないのです。



サンフランシスコの前にロスアンジェルスを観光してきた彼女にとっては、だだっ広いロスアンジェルスではそれほど見かけなかった路上生活者が、こぢんまりとしたサンフランシスコの街中ではとても印象に残ったようでした。(写真は、サンフランシスコ市を真西から俯瞰したところ)




そして、世界じゅうから人がやって来ると聞いた彼女は、「アメリカで働く資格は取りやすいの?」と尋ねてきます。



実は、彼女はモザンビークのアメリカ大使館に勤務し、ごく最近、定年退職を迎えられたとのこと。そんな経験からビザ(査証)についても興味があったのでしょう。



わたし自身の体験からいうと、たとえば「H-1B」という特殊技能者向けの就労ビザに関しては、テクノロジー業界が盛んになってきた1990年代は、そこまで取得が難しくなかった印象があります。ところが、だんだんと「外国人を雇わないでアメリカ人を雇え!」という声が強くなってきて、一旦増えたH-1Bの発行数が元に戻され、それによって申請解禁日の第1日目には定数を超えてしまうような状況に陥ってしまいました。



ですから、彼女には、「昔と比べて就労ビザは取りにくくなったし、とくに今のトランプ政権は外国人を受け入れたくない姿勢だから、以前のようにはスムーズにいかないみたい。でも、アメリカの大学を出て、一時的な就労ビザで経験を積めば、そのあとに続けて雇ってくれる会社もあるのかもしれない」と答えました(その場合も、学士号取得者の65,000と修士号取得者の20,000というH-1Bの年間枠が問題になってきますが)。



さすがにアメリカ大使館に勤めていただけあって、事情通でいらっしゃるみたい。「現政権は」と口にしただけで、「そうよねぇ、わかるわぁ」と大きく首を縦に振っていらっしゃいました。



ついでに、わたしの方からも「大使館という政府機関にお勤めだったら、公的年金も平均的な方よりもたくさんもらっていらっしゃるんでしょ?」と、ちょっと失礼な質問を投げかけました。



すると、「そんなことはないのよ。年金は十分ではないわ」とおっしゃいます。



ですから、「それはこっちも同じですよ。貯金がないと、公的年金だけじゃやっていけないようですから」と、アメリカと日本の現状を思い浮かべなから相槌を打ったのでした。



そんなわけで、話題は尽きず。彼女とはもっとお話ししていたかったのですが、いつの間にか、目的地のユニオンスクエアに到着です。



「あそこの建物がデパートのメイシーズ。その向こうに見えるのが、あなたのホテルのあるマーケット通りですよ」と指をさし、さようならと別れました。



定年退職を迎えたようには見えない、真っ赤なブラウスがお似合いのレディー。



サンフランシスコに3泊した彼女は、次の朝ニューヨークへ発つとおっしゃっていました。無事に東海岸に着いて、まったく違った街の雰囲気を楽しんでいただければいいなと思ったのでした。



追記:

彼女と歩き始めてすぐに「昨日はどこを観光しましたか?」と聞いてみました。乗り降り自由の観光バスに乗って、おもな観光地は回られたそうですが、「そうそう、チャイナタウンに行って、あの大きな門も見たわよ」とおっしゃいます。

たぶん、わたしのことは中国系住民だと思っていらっしゃるんだろうなと感じて、それ以上は言及しませんでした。サンフランシスコには日本街もありますが、やはりチャイナタウンの方が大きくて知名度も高いのです。




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