Essay エッセイ
2006年11月03日

世界で一番の散歩道

世界で一番の散歩道。

べつに、風光明媚だというわけではありません。世界で一番安全という意味なんです。

東京に滞在中、お散歩といえば、よくこのルートを歩くのです。六本木から広尾へ向けて。

ヒルズ族で有名な六本木ヒルズの裏手から、「テレ朝通り」をテクテク歩き、広尾へと降りて行くお散歩コース。


歩き始めると、左手にごく小さなお寺が見えてきます。あら、こんなところにと、ふと気が付くような小さな寺。門には「専称寺」と書いてあります。

今はもう近代的な造りになっていて、昔ながらの門と本堂の間には、砂利敷きの駐車場。住職さんのものでしょうか、銀色のセダンが停まっています。そして、本堂の雨戸は、重厚な黒のステンレス製。快適なお寺なのです。

でも、何に惹かれたかって、瓦が昔のまんま。長年、雨露をしのんできた風格があります。そして、その向こうには、空にそびえたつ六本木ヒルズ。そのお隣には、ホリエモンさんも住むという高級マンション。

歴史的な建造物と、現代建築の粋を集めた巨大ビル。そのおかしな取り合わせが、いかにも東京的な空間を作り出しているのです。


も少し歩くと、道は少々右に曲がっていて、その左手の出っ張りに灰色の壁が見えてきます。ここは、中国大使館。味も素っ気もない灰色のコンクリートの壁は、裏門から正門へとずっと続いています。中を覗き見ることもできないし、退屈な壁なのです。

はす向かいの歩道では、中国大使館に抗議する同胞の人々が、横断幕を広げ、静かに立っていました。

この辺りは、中国大使館のあるせいで、「日本国を憂える」人々も、車を連ねシュプレヒコールを上げるところなのです。そんなわけで、大使館のまわりは警視庁の警察官だらけ。正門や裏門は当然のことながら、2、30メートルおきに警官が立っています。

まあ、安心して歩くことはできるのですが、信号無視でもしようものならすぐに注意されそうで、小道でも、じっと信号が青になるのを待つしかありません。
 世界で一番安全な道には、お巡りさんの目がらんらんと光っているのです(写真を撮るのすら、はばかられますね)。

そうそう、中国大使館の一般受付は、週日の正午までですよ。中国人と思しきカップルが、今日はもうおしまいだよと、警官に追い返されていました。


中国大使館を通り過ぎると、交差点が見えてきます。左の角に交番があって、昨日の都内の交通事故の件数なんぞをチェックしながら交差点をまっすぐ進むと、左手に黄土色の建物が見えてきます。これが、愛育病院。そうです、つい先日、宮家の男児が誕生なさった病院ですね。

ここから出てくる車は、なぜか外車が多いですね。BMWにベンツにジャガー。そういった方々がご出産なさる場所なのでしょうか。

病院のちょっと先には、濃い緑の一帯が見えてきます。ここは、有栖川宮記念公園。木々は鬱蒼(うっそう)と茂り、昼なお暗いといった感じになっています。けれども、公園内はきれいに整備され、小川のまわりでは、スケッチにいそしむ人たちも見かけます。

斜面に沿って、公園の中をトントンと下っていくと、大きな池が見えてきます。鴨がのんびりと泳ぎ、おじさんたちが釣りを楽しんでいます。
 きっと、ここの釣り人たちは、毎日この公園にやって来ては、日がな一日、釣り糸をたれているのでしょうね。いったい何が釣れるのでしょうか。一度、「ザリガニ」という言葉を小耳にはさみましたが。


さて、のんびりとした公園を出ると、そこは交差点。左向こうには、ナショナル麻布スーパーがあります。この辺りは、とっても外人さんが多いところ。行き交う人の半分は外人さん、といった感じなのです。だから、アメリカを始めとして、外国の品々が手に入るスーパーが繁盛するのですね。

わたしも以前、アメリカの食べ物が妙に懐かしくなって、ここでお買い物をしたことがありました。一緒に入ったのは、ワシントン州出身のアメリカ人。日本の生活は、まだ一年ちょっとの新米さん。きっと、日本語などまったくわからず、ホームシックになっていたのかもしれませんね。

今でも、スーパーのお隣では、サーティーワンのアイスクリームを味わえたり、そのお隣の花屋では、ハロウィーンの飾り付けを調達できたりと、アメリカ的な雰囲気が立ち込めています。


ナショナル麻布スーパーを左手に、更にまっすぐ進んで行くと、そこはもう広尾の交差点。

わたしのお散歩コースは、ここからふた通りあって、ひとつは、左手にある広尾ガーデンというビルの2階を散策して帰るもの。ここには、小さな文房具屋さんと本屋さんがあって、楽しいひとときを過ごせるのです。

わたしにとって、日本の文房具屋はおもちゃ屋さんみたいなもの。手作りの和風グリーティングカードや、鮮やかな色の手帳など、見るものには事欠きません。

そして、もひとつのお散歩コースは、足をのばして、広尾商店街を散策するもの。横断歩道を渡って、まっすぐ進むと、そこは昔ながらの商店街。飲食店やお惣菜屋、薬屋や雑貨屋など、新旧織り交ぜ、こまごまと小さなお店が並んでいます。

ここは、近くの麻布十番商店街なんかと比べて、道幅も狭いし、お店の間口もだいぶ小さいし、こぢんまりとしています。それだけに、どこにでもある庶民派の商店街といった印象なのです。


いつもは、商店街の終点にある鶯餅屋さんの2階で、名物のにゅうめんを食べ、そのまま六本木へ戻るのですが、ある日、もうちょっと足をのばしてみました。

いくつかお寺のある角をふいっと曲がり、大きな明治通りへと出て行くのです。

ちょっと前まで、この辺りの角には、とっても古いおもちゃ屋さんが建っていましたが、今は立体駐車場になっています。やはり、時代の流れには勝てないのでしょう。
 けれども、辺りには、まだまだ古い造りの家々が残っていて、裏道から覗くと、何十年も前の雰囲気が取り残されていました。

こんな風な、ちょっと傾きかけた家も、まだまだ健在です。濃い外壁の色が、なんだか、子供の頃の駄菓子屋さんを思い起こさせます。

こちらは、猫ちゃん。2階の小さなベランダは、この猫ちゃんのお気に入りなのでしょう。しっぽしか見えませんが、きっと満足げに昼寝なんかしているのでしょうね。


いよいよ明治通りに出ると、おしゃれなレストランやカフェが出てきます。広尾はやっぱり、おしゃれな街なのです。

とっても素敵な花屋さんもあって、思わずレンズを向けてみました。
 お店の方も快く写真を撮らせてくださって、街に溶け込み行き交う人々の目を楽しませたい、といった願いが自然と伝わってくるのです。


明治通りをどんどんまっすぐ進んでいくと、JR恵比寿駅に出ます。でも、そのまま電車に乗るのはもったいないので、渋谷橋の交差点をぷいっと右に曲がり、坂道を上って行くことにします。天気はいいし、ポカポカと暖かくって、絶好のお散歩日和。

左手に広尾小学校、広尾高校と超えたあたりで、さすがに、ちょっと息が切れてきました。
 通りがかりの薬屋さんの前には、なにやら昔の薬剤道具が置かれ、とっても興味深いことではありますが、ちょいと調子に乗って歩き過ぎたようです。

それに、帰り道がわかりません!この辺りは静かな住宅街で、行き止まりの小道が多いのです。
 「羽沢(はねざわ)」なんていうマンションの名前から推測するに、ここは以前、羽沢ガーデンがあった辺りのようです(羽沢ガーデンは、昔の日本式邸宅を改造し、レストランにしたものです。趣があって、外人さんが大好きなレストランでしたが、建物の老朽化が進み、最近、閉店しました)。
 でも、この袋小路をどうやって脱出しよう!

空はカラリと晴れているのに、なんとなく暗い気持ちになってきます。これからどうしよう。もう、大して歩けないし。

幸い、乳母車を押す若いお母さんが登っていく先に、日赤病院の看板が見えています。そこで、迷った末、日赤病院の前でタクシーを拾って、六本木へ戻ることにしました。


近くて申し訳ありませんが、道に迷ってしまいました、とタクシーの運転手さんに告げると、「いやあ、女性の方は道に迷っても大丈夫ですよ。誰も嫌な顔はしませんから」との仰せです。はあ、そんなものでしょうかと怪訝に思いながらも、運転手さんと世間話をしながら六本木へ向かいます。

この運転手さん、病院の前で待たれるだけあって、なんとなくのんびりとした、乗っていてほっとするようなお方でした。ワンメーターだったら気の毒だなと思っていると、目的地の直前でパキッとメーターが上がります。

まあ、着いてみると、何のことはない、「堀田坂」という坂を下って、西から東にちょいと歩けば、そのうち見知った「テレ朝通り」に出たのです。でも、そこは東京の仮住人。運転手さんに教えられるまでは、わからないのです。

無事に生還したところで、ホッと一息。翌日も、知らない散歩道に再挑戦してみます。

そして、ふと出て来たところが堀田坂。でも、もう迷わずに帰れます。運転手さん、どうもお世話になりました!


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