Essay エッセイ
2009年04月02日

先人の知恵

いよいよ4月ですね。新しいスタートの季節です。

そんな4月ではありますが、ここでちょっと先人に感謝することにいたしましょう。

いえ、たいした話ではないのですが、先日、晩ご飯のときに、魚の骨が喉にひっかかってしまったんですよ。

わたしはサーモン(鮭)が大好きでして、とくにスモークサーモンやサーモンステーキには目がないのです。それに、スモークサーモンとなると、お料理しなくても立派な一品になるでしょ。忙しいときにも、とっても重宝する具材なのです。

そんなこんなで、その日オーガニックのお店で手に入れた、個人商店お手製のスモークサーモンを晩ご飯の一品といたしました。ま、スモークサーモンといっても、レストランで出てくるようなお上品なピンク色のスライスではなくて、サーモンの固まりをドンとスモークしたようなやつ。だから、端の部分に骨がいくらか残っていたのでしょう。

何本かは気がついて口から出したのですが、そのうちの一本が喉に突き刺さったようなのです。食後、だんだんと喉が痛くなってきて、あきらかにチクッとする感覚が喉の奥から伝わってくるのです。

喉に骨がささるなんて、久しぶりだなぁとのんびりと昔を懐かしみながらも、「取れなかったらどうしよう」と、ちょっと恐いではありませんか。

そこで、「魚の骨がささったら、ご飯をまるごと飲み込みなさい」と母に言われていたことを思い出して、さっそくご飯を炊くことにいたしました。その晩は、珍しくリコッタチーズのチーズケーキなんていう洋風のデザートを食べたので、お腹はすでにはちきれそうです。でも、こうなったら仕方がありません。

夜中の12時近くになってご飯が炊きあがり、さっそく一口、二口と、ご飯を丸飲みいたします。すると、あ~ら不思議、喉の痛みがすっかりなくなったではありませんか!

ありがたい先人の知恵に、思わず手を合わせたのでした。


そして、一段落してみると、ふと疑問に感じたのです。ご飯を主食としない人たちが喉に魚の骨を詰まらせたらどうするのだろうと。だって、西洋の人たちだって、お魚はたくさん食べるでしょ。

そう思ってネットをサーチしてみると、「fish bone stuck in throat」という見出しで20万件くらいひっかかるんですよ! やっぱり、みなさん一度や二度は嫌な経験をなさっているのでしょうね。

そして、こんなアドバイスが載っておりました。

魚の骨が喉にひっかかったと思ったら、まずあわてずに、落ち着いて、ゴホッと咳ばらい(coughing)をしてみましょう。それでも取れないようだったら、パンのかたまりとか、ピーナッツバターやアーモンドバターを食べてみましょう。

何かが喉に刺さっている感覚(the sensation of “a bone stuck in your throat”)は、骨が取れても何日か残ることがあります。そういうときは、お医者さんが器具を使って覗いても、何も発見できません。きっと喉が少し傷ついているのでしょう。こういうことは、魚の骨ばかりではなく、スナック菓子なんかでも起こります。もし4、5日たっても痛みが消えないようなら、炎症をおさえる薬を飲めばいいでしょう。

なるほど、ご飯の代わりに、西洋ではパンやピーナッツバターですか! なんとなく、感覚的には日本のご飯と似ていますよね。

(ちなみに、パンの代わりに、マッシュポテトを勧める方もいらっしゃいましたし、「フィリピンでは、バナナよ!」という方もいらっしゃいました。「パンとバナナを試したけどダメで、ご飯だけが救いの神だった」という方もいらっしゃいました。「なんでも、日本ではご飯を丸飲みにするらしい」と書いていた方もいらっしゃいました。)

そういえば、わたしには子供の頃に嫌な思い出があって、そのときは、ウナギの骨が喉に突き刺さったのでした。近所の耳鼻咽喉科では発見できなかったので、大学病院まで行って診てもらったのですが、どうやら骨はすでに取れていたものの、かなり頑丈な骨だったようで、喉を傷つけていたみたいです。
 それ以来、風邪をひいたり、強い風に当たって喉が痛くなったりすると、必ずその場所から痛むようになりました。

今はもう大丈夫ですが、ウナギが大っ嫌いになったことは言うまでもありません。だって、せっかくの卒業祝いに食べたウナギだったんですもの。


それにしても、魚の骨ばかりではなくて、母からはいろんなことを学びましたね。まあ、育てられているときには、「口うるさい」なんて思っているわけですけれども、今思い返してみると、母の言葉が自分のモットーの根幹の部分を作っているような気もいたします。

たとえば、お友達が何かいいものを買ってもらったとき、「みんな持ってるから、わたしも欲しい」というのは、母には通じませんでした。どうして欲しいのかを自分なりに説明しなければ、母は納得しなかったのです。そういう母からはいつも「人は人、自分は自分」と言い聞かせられていました。

今となっては、そうやってずっと言い含められていたからこそ、人の言うことはあまり気にせず、自分のやりたいことを考えられたのかもしれないなぁと思うのです。

この新しいスタートの季節、初めて親元を離れた方もいらっしゃるでしょうし、初めて子供を巣立たせた方もいらっしゃることでしょう。

巣立たせた側は、とても寂しい思いをなさっているのでしょうけれど、巣立った側は、口には出さないまでも、きっと感謝の気持ちでいっぱいのことでしょう。だって、親元を離れてみて初めてわかることもたくさんありますからね。

どこに羽ばたくにしても、今までの人との繋がりは大切にしたいものですね。

そう、英語でもこう言うんですよ。Don’t burn your bridges.

今まで築き上げた人との関係は、あなたと人を結ぶ橋のようなもの。今のあなたがあるのは、その橋があるからこそ。それを焼き切ってしまったら、もう元の場所には戻れなくなる。そんな大切なメッセージが含まれているのです。

これもきっと、ありがたい先人の知恵でしょうか。

追記: 最後の写真は、「親元を離れる」イメージで、新しく買った器の写真にいたしました。桜の模様がなんとも春らしいのです。この花の季節、新たなスタートをきられた方には、ぜひがんばってほしいものですね!


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