Essay エッセイ
2007年10月01日

夏にさようなら

お久しぶりでございます。

最近、ずいぶんとご無沙汰しておりまして、わたくしといたしましても、たいそう気になっておりました。

いつもは、「エッセイ」も「ライフinカリフォルニア」も「英語ひとくちメモ」のセクションも、少なくとも月に一度は、最新情報をお届けしてきたのですが・・・

とっても気になっているのですが、まだ7月に行ったトルコ旅行の後半部分、カッパドキアについても書いていないし、お約束しているトルコの食べ物編の「フォトギャラリー」も掲載できておりません。カッパドキアの奇石群なんかもご披露したいのに・・・


先週の金曜日、久しぶりに外へ出てみたのですが、考えてみると、そうやって外の空気を吸うのは、ほぼ一週間ぶりだったのですね。

気が付くと、冷蔵庫の中には、ほとんど何も残っていなくって、さすがに材料を買ってこなくちゃと、スーパーマーケットに出向いたところでした。

いえ、べつに病気をしていたわけではないのです。ずっと家にこもって、お仕事をしておりました。連れ合いは出張中だし、それこそ自由に自分のペースでお仕事できるので、ついつい家にこもってしまうのです。

わたしみたいに、ほとんど家でできる商売だと、かえって、時間配分に偏りができてしまって、あんまり健康的ではないですよね。取材とかは別としても、ほっとくと、ずうっと何やら読んだり書いたりしてる・・・それに「締め切り」という恐い相手がいると、土日もないですしね。

とくに、今は、ちょっと大きな仕事を抱えておりまして、とっても忙しくしているという事情もあるのです。というわけで、11月くらいまでは、「おこもり状態」となってしまうと思いますので、ご無沙汰が続いてしまうかもしれません。

頭の中には、書きたいことが何十もグルグルと巡っているのに・・・

早く自由になりたいです!


そんなこんなで、いつの間にか、シリコンバレーの夏も過ぎ去ってしまいました。

知らない間に、秋分の日(autumnal equinox)も過ぎ、「なんだか月がきれいだなぁ」と思っていたら、中秋節(Moon Festival、または Mid-Autumn Festival)も過ぎてしまいましたね。

あ、そうそう、今年は、中秋の名月に月餅(moon cake)を食べるのを忘れました。

そうなんです、中国系やヴェトナム系の人々は、名月の頃に、お団子じゃなくって、月餅を食べるんですね。名月を愛でながら、月餅や果物を食べたり、盃(さかずき)をかわしたりするそうです。

この月餅は、長寿や家内安全を祈願するものだそうですが、もともとは、中国の元の時代に、モンゴルの支配から逃れようと、革命家たちが秘密のお手紙を隠した「道具」だったのですね。悪い病気が流行っているから、これを治すには月餅を食べなくちゃいけないと噂を流し、津々浦々まで、革命の密書を行き届かせたとか。

その結果が、漢族の反乱となり、その後の明の時代に結びついたんだそうです。あのずっしりと重い月餅は、その昔、ずっしりと重い密書を隠していたんですね。


ところで、アメリカでは、9月初旬のレイバーデー(Labor Day、勤労感謝の日)を過ぎると、「もう白いものを着てはいけませんよ」ということになって、「あ~、夏ももうすぐ終わりだねぇ」と、みんなが思い始めます。

けれども、そこは、夏の長~いシリコンバレー。そう簡単には、涼しくなりませんね。だいたい、秋分の日を過ぎるまで、いつまでも盛夏が続きます。

ところが、今年は、変なお天気でした。秋分の日の前日、シリコンバレーで雨が降ったのです。

普通は、そんなことはまずありません。雨は、せめて10月の終わりにならないと、一滴も降らないのです。

でも、今年はちょっと違っていて、9月中旬に、カナダから張り出した低気圧のおかげで急に寒くなり、カリフォルニアの名峰シエラ・ネヴァダ山脈では雪が降って、シリコンバレーでも雨となりました。(写真は、ポロッと涙を流すお花です)

(こちらの写真は、秋分の日のローカル版の一面です。「わんこちゃんにも、雨合羽(あまがっぱ)のお天気です」と見出しに書いてあります。)

さすがに、雨のあとはちょっと暑さが戻りましたが、そうやって寒暖を繰り返しているうちに、もう秋風も立つようになりました。


こんなさわやかな秋風(crisp autumn air)を顔に受けると、あ~、ボサノヴァの似合う夏も、とうとう行ってしまったんだなあと、感慨にふけるのです。

そして、こう思うのです。やっぱり夏が好きだなあと。

いえ、こんなに日焼けのない顔で言うと、ちょっとウソくさく聞こえるのですが、やっぱり、自分は冬よりも夏の方が好きだし、カリフォルニアには、夏が似つかわしいのだと思ってしまうのですね。

いつも、夏が行く頃になると、ユーミン(松任谷由実)の「晩夏(ひとりの季節)」という歌が、自然と頭の中で流れ始めるのです。

「ゆく夏に・名残る暑さは・夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭、秋風の心細さは・コスモス・・・」

といった、ユーミンの歌の中でも、かなりポエム風の叙情的な歌です。

このあとに、「やがて来る淋しい季節が恋人なの」っていう部分があって、それはちょっと悲しいなと思うのですけれど、それでも、なんとなく晩夏の心細さがよく出ていますよね。

秋になってしまったら、それはそれで元気になるんでしょうけれど、季節の変わり目は難しいですよね。不安定になりやすい。

そう、晩夏の寂しさって、夕暮れ時のわびしさみたいなところがありますね。だから、「夏が好き!」って自己主張したくなるのでしょうか。

日本はまだまだ残暑厳しい頃かもしれませんが、どうぞみなさま、さわやかな10月をお過ごしくださいませ。

こぼれ話: 月餅のお話で、おもしろいことを発見しました。月餅の中には、革命を扇動する密書を入れていたという説明をいたしましたが、こちらはよく知られているお話ですね。けれども、これには、もうひとつ説があって、月餅の上に刻まれている文字を暗号に使ったという説もあるそうです。
 箱の中に月餅を4個入れて送り、受け取った側は、各々に刻まれている4つの漢字をバラバラにして、合計16の漢字を工夫してつなぎ合わせ、文章にしたという説です。

それでひとつ思い出したのですが、わたしのお友達にこういう方がいらっしゃいました。会社のある方が定年退職したので、送別会の趣向として、出席者ひとりひとりにその方を表す漢字を一文字ずつ書かせ、合計16の漢字を漢詩にして、退職なさる方に手渡したというのです。
 集まった16の漢字はオフィスの席順に並べてみたのですが、それだけじゃ芸がないからと、お友達がつながりのある文章として解釈してあげたそうです。それがなかなか良い漢詩となり、送られる方にも非常に喜ばれたようです。というよりも、感極まって、涙を流されたとか。

なんでも、最初は、「愛」「優」「夢」といった通り一遍の漢字が集まったそうですが、考え直してもらううちに、みなさんから正直なおもしろい答えが返ってきたそうです。
 「酔」「放」「万」「悠」といった漢字も飛び出しましたが、「酔」は、「万の夢に優しく酔い」という風に、粋に使われています。

そういうお話を聞くと、漢字を操れるということは、ほんとにすごい事なんだと思います。その漢字に、平仮名という柔らかさが加わった日本語は、芸術のように美しい言葉なのだと思いますね。


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