Essay エッセイ
2012年10月04日

心のハンマー

台風一過の朝は、まるでウソのように晴れわたっていました。

そうなんです、今は日本に滞在しているのですが、「中秋の名月」の晩、首都東京は暴風雨に襲われ、交通機関がマヒするなど大きな影響が出たのでした。

帰宅途中で電車が止まった方は、嵐のさなか、車両の中に避難するように指示されたそうですが、重い車両までが「遊園地のアトラクションのように激しく揺れていた」と体験を語ってくれました。


そんな台風の秋、日本に到着してすぐ、ちょっと驚いたことがありました。

到着してひと眠りした朝、NHKの番組を観ていたら、なにやら深刻な話題を取りあげていました。

それは、『あさイチ』という朝の番組でしたが、「わたしが暴力にハマった理由・・・」などと、物騒な家庭内暴力の話をしているのです。

それで、わたし自身は「いつの時代も、暴力を受けるのは女性なのね」と思いながら聞いていたのですが、どうも話がかみ合いません。

それもそのはず。なんと、暴力をふるっていたのは、ダンナさんではなく、奥さんの方だとか!

近頃は、男性もすいぶんとおとなしくなってきて、女性側の殴ったり蹴ったりという攻撃に抵抗しない方もいらっしゃって、そうなってくると、女性の方もどんどんエスカレートしていって、なかなか自分を律することができなくなるということなのです。


まあ、NHKのさわやかな朝番で取りあげるほど、世の中に広がっている問題なのかとびっくりしたわけですが、半信半疑で話を聞きながら、ひとつ痛感したことがあったのでした。

それは、言葉の暴力にしても、腕力の暴力にしても、男であっても、女であっても、激しい行動に出る人は、なにかしら狭い世界に住んでいるんじゃないか、ということでした。

番組では、自分の激しい行為に対して、あとで冷静に自己分析し、その反省点・改善点を紙に明記することをアドヴァイスしていました。
 そうすると、だんだんと気持ちが落ち着いていって、「悪いことをした」ことが見えてくるそうなのです。

なるほど、それはいいアドヴァイスかもしれません。でも、もしかすると問題の根っこには達していないのかも・・・とも思えるのです。

きっと根っこの部分には、自分の世界の狭さに対するフラストレーションがあって、それを改善しないと、「暴力」という現象は治らないのでは・・・。

そう、暴力とは、自分が生きる世界を打ち破るハンマーになっているのではないかと。

だから、根っこにある問題が解決しなければ、いつまでもハンマーを使い続けてしまうのではないかと。


だとすれば、自分の世界をちょっと広げてみれば? とも感じるのですが、それはなにも、世界に出かけて行って幅広く行動することではないと思うのです。

わたしにとって、自分の世界を広げるということは、世の中を見渡すということなのです。

見渡すということは、考えること。

家からは一歩も出なくても、わざわざ世界に出かけて行かなくても、「考えてみる」ことで、世界じゅうを見渡すことはできるんじゃないかと思うんです。

「世界じゅう」なんて大げさな言葉を使いましたが、たとえば、「ああ、お隣の息子さんは、来年、大学受験なのねぇ」でも「まあ、お隣の国からは、日本に来る観光客がずいぶんと減っているのねぇ」でも、なんでもいいんです。

大事なことは、自分を超えたものを考えること。

すると、自分の生活空間とか世界がどんどん広がって行って、自分は広がった世界の参加者であることを感じることでしょう。

そう、たとえば、科学者や宗教学者は、研究室や書斎にこもってじっと考えているでしょう。

なんであんなにじっとしているのだろう? と不思議に感じるのですが、実は、じっとしている彼らの体の中には、「世界」なんてケチなことは言わず、広大な「宇宙」が広がっているんだと思うんですよ。

考えることで、自分の中の「宇宙」は広がる。そんな風に「宇宙」を広げることが、彼らのお仕事。

そして、もっともっとたくさん考えることで、「宇宙」はどんどん広がって行く。それが、最終的に彼らが目指しているものだと思うのです。


それで、おもしろいことに、自分の「世界」や「宇宙」が広がって行くと、自分という存在が小さくなっていくのに気づくと思うんです。

だって、広大な「世界」や「宇宙」に比べると、自分はちっぽけな生き物ではありませんか。

そうすると、自分が小さいことを自分で認めるようになって、あまり自分にしがみつかなくなると思うんです。ま、わたしのことなんてどうでもいいかな? というような、ちょっと突き放した考え。

すると、自分が自分の世界の王様ではなくなって、他の人のこととか、社会のこととか、自分とは別のものが王様になっていくんだと思います。そう、「王様」というのは、大事なことという意味。

そして、究極になると、自分の世界の中でも、自分という存在が消えてしまうのではないかと想像するのです。

そう、「自分」「自分」「自分」という連呼が、自分の中からすっかり消えてしまって、さらには自分すら消えてしまうのでしょう。

まあ、そこまでに達するには、ちょっとした修行が必要なのでしょうけれど。


というわけで、ごちゃごちゃと変なお話をいたしましたが、言いたかったことは、たったひとつ。

自分の世界が広がって、自分という存在が小さくなると、自分の世界を打ち破ろう! とハンマーをふりまわす必要もないでしょう、ということでした。

だって、ハンマーをふりまして傷つけている相手は、一番大事にしなければならない人なんですものね。


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