Essay エッセイ
2012年11月23日

感謝祭の日

今年は、11月22日が感謝祭でした。

感謝祭は、英語で Thanksgiving

この日は、 give thanks をして、be thankful になる日。

つまり、感謝をする日。

家族や親戚や友達が一堂に会し、みんなが無事に一年を過ごしたことを感謝する日。

そして、七面鳥を始めとして、ご馳走(Thanksgiving dinner)を食べながら、のんびりと過ごす日でもあります。

今年のシリコンバレーの感謝祭は、それまでの曇天がウソみたいに、よく晴れ渡った、すがすがしい一日となりました。


もともとの起源をたどると、1620年にメイフラワー号に乗ってアメリカにたどり着いた清教徒たちが、その翌年、初めての収穫を手にして、それを感謝したのが始まりとされています。

けれども、実際に「感謝祭」という国の祝日をつくるには、かなりの試行錯誤があったみたいですよ。

1789年、初代大統領のジョージ・ワシントンが11月26日を「感謝の日」としたそうですが、のちに第3代大統領となるトーマス・ジェファーソンは、「おろかなことだ!今まで耳にした中で一番馬鹿げている!」と憤慨したとか。

まあ、何かに感謝する日を特別に定めるというのは、ある意味、稚拙な感じはしますが、そういう日がないと、なかなか感謝しないのも人間の悪いクセかもしれませんよね。

そして、同じく「建国の父(Founding Fathers)」と呼ばれるベンジャミン・フランクリン。

以前も二度ほどご紹介したことがありますが、彼は、感謝祭にご馳走となる七面鳥こそが「国鳥」となり、国のシンボルとなるべきだ、という信念を持っていました。

七面鳥こそが気品のある鳥であり、真のアメリカ原産の鳥であると。

代わりにハクトウワシ(the Bold Eagle)が国鳥に定められたとき、彼は憤慨してこう書いたのでした。

「ハクトウワシは、モラルに欠ける鳥だ。正直に生きていない。彼は、勤勉なタカが魚を獲って、巣に持ち帰り家族を養おうとするところを見計らって、タカから魚を奪い取るのだ」

「それに比べて、七面鳥は、少々虚栄心と愚かさはあるが、勇敢な鳥である」と。

まあ、鳥に向かって「モラルに欠ける」と批判するのもおかしな話ですが、たしかに、わたし自身も、我が家のまわりの野生の七面鳥と接していて、なかなか賢い、美しい鳥なのかも・・・と、うなずけるところはありますね。


こちらのエッセイの後半部分で「美しい」七面鳥の話が出てきます。それから、ハクトウワシの写真は、ワイオミング州のグランドティートン国立公園で撮ったものです。感謝祭の歴史については、11月22日付けサンノゼ・マーキュリー新聞の社説を参考にさせていただきました。)


というわけで、感謝祭をめぐっては、いろいろと論争はあったようですが、1941年、正式に「11月の第4木曜日が感謝祭」と議会によって定められました。

そして、日頃のゴタゴタは脇に置いておいて、みんなで仲良く自分たちの暮らしを感謝するのが、この日の主旨。

それで、ふと思ったんですが、人が「幸せ」を感じるのって、どういうときだろう? と。

たとえば、国民総幸福量(Gross National Happiness)という言葉があるでしょう。

「国民全体がどれだけ幸福に感じているか」という小難しい指数ですが、仏教王国ブータンがトップに挙げられることで知られていますよね。

わたし自身はブータンには行ったことがありませんが、たぶん、ブータンに住んでいらっしゃる方々は、「幸せ」なんて考えたこともないと思うのです。

なぜなら、幸せ(happiness)という概念は、ひどく西洋的だから。

だったら、幸せの代わりに感じるものは何だろうというと、満足感(contentment)なのではないかと想像するのです。

なんとなく、生きていて満ち足りた感じ。とくに不満もないし、こんな感じでいいんじゃないか、という満足感。

先日、ドイツのDW-TV(Deutsche Welle)の英語番組を観ていたら、ブータンの人々にインタビューする番組があったんです。

「あなたは幸せについてどう思いますか?」という現地語の質問に対して、三者三様の答えが返ってきました。

ある青年は、こう答えます。「(幸せになるのに)お金なんていらないよね。だって、お金があると、他の人にねたまれたり、盗まれたりって、災難の種になるじゃないか。べつにそんなものは必要ないよね」と。

あるティーンエージャーに質問すると、彼はニコニコ笑いながらこう返します。「僕は、女の子のお尻を追っかけてる時が、一番楽しいよ」と。

そして、あるおばあちゃんは、こんな風に答えます。

「そうねぇ、幸せねぇ。たぶん、わたしが嬉しいのは、次に生まれてくるときに、また人間に生まれることかしらねぇ。もしも人間がダメだったら、猿でもいいけれど。ハッハッハッ!」

はあ、猿ですかぁと、聞いていたわたしは面食らってしまったのですが、なるほど、文化によって、人によって、感じ方はいろいろあるものですよねぇ。

ちなみに、わたし自身は、「幸せとは健康であること」というような気がしているんですけれど。

ま、明日になったら、気が変わっているかもしれませんけどね。

(Photo of the Buddhist Taktshan monastery from Wikipedia)


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