Essay エッセイ
2006年05月03日

捨てる神あれば拾う神あり

ちょっと驚かれるかと思いますが、わたしは生まれてこのかた、いただいた手紙やカードを捨てたことがありません。せっかく人様が書いてくれたのに、それをむざむざとゴミ箱に入れる勇気がないのです。
 だから、うちのクローゼットや実家の押入れには、手紙の束がわんさか眠っています。

そんなわたしの連れ合いは、引越しが大好き。なぜって、引越しをするとどんどん物が捨てられるから。


ある年の年末、わたしが風邪でダウンしている間に、連れ合いはガレージの整理を始めます。うちのあたりの住宅は、屋根裏もなければ、地下室もありません。だから、ガレージが物置に早変わり。鬼のいぬ間に、その物置を物色します。

すると、出てくるわ、出てくるわ、普段まったく使わないものが。何かの景品で手に入れたものの、一度も乗ったことがない小型自転車。タイヤはいつの間にかパンクしています。わざわざ日本から持って来たのに。

お次は、アパートに住んでいたときに使っていた金属製のベッドフレーム。今はもう木のフレームに代替わり。

それから、真夏の太陽ですっかりボロボロになった、パティオ家具のセット。裏庭は直射日光がきついので、プラスティックの表面が粉みたいになっています。

ついでに、車輪付きの手軽に運べるバーベキューグリル。まだ使えるけれど、裏庭には備え付けのバーベキューグリルがあるので、お払い箱。

そして、十数年前に買ったスキー。もうあんな昔のスキーを使っている人なんて、いないんじゃないかな。


こんなに大きな物は、ゴミ容器には入りません。だから、市の清掃局に電話して、ゴミ収集のトラックを手配しました。
 有料ではありますが、自分で収集場まで持っていくことを考えれば、ありがたいことなのです。(写真は、市が供給するゴミ収集容器です。燃えるゴミ用とリサイクル用があり、家の前に置いておくと、毎週一回トラックがやってきて中身をカラにしてくれます。)

そして、収集予定日の前日、家の前に粗大ゴミを並べます。

すると、夕方になって、誰かさんがチャイムを鳴らします。玄関には、まったく知らないご近所の人が立っていて、こうおっしゃいます。「家の前に置いてあるものは、もう捨てるものですか?ちょっとパティオテーブルを見せてもらってもいいでしょうか」と。どうもお散歩の途中で、我が家のゴミの山を見つけたようです。

「どうぞ、どうぞ」と口では言いながらも、そんなもの見てもしょうがないよと、こちらは心の中でこっそり思っています。


さてさて、翌朝、家の前を見てびっくり。なんだかゴミの山が小さくなっているのです。

よく見てみると、昨晩リクエストのあったテーブルはそのまま残っているものの、スキーとベッドフレーム、それからバーベキューグリルがなくなっているのです。

昔、日本で、木製のベッドフレームをゴミ置き場に置いたら、その場で誰かが運んで行ったという経験がありました。だから、自分が捨てるものは、まだまだ磨けば使えるということは充分に承知しています。

けれども、何がびっくりって、このあたりは、普段高級自家用車を乗り回すような方々もたくさん住んでいるのです。そんな方々が、よりによって、人の粗大ゴミを持って行くのでしょうか。

拾っていただいた側としては、物を無駄にしないのは喜ばしいことではありますが、なんとも不思議な経験ではありました。

まさに、「捨てる神あれば、拾う神あり」。英語では、One man’s garbage is another man’s treasure。こういうことは、実は、万国共通だったんですね。


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