Essay エッセイ
2016年12月31日

母の看病

とっても楽しいはずのハロウィーンの日(10月31日)、母が緊急入院しました。

 

 サンフランシスコにいたわたしは、それまでの数日間、なんとなく気が晴れないし、誕生日に素敵なレストランで食事をしても思う存分に味わえないし、自分はなにかしら悪い病気にかかっているのかも・・・と、不安な日々を過ごしていた矢先のことでした。

 

 ですから、母の入院と二日後の緊急手術の知らせを受けて、いつもあんなに元気な母が! と驚くとともに、あ~、自分の不調は母の病気のせいだったんだと、大きなショックの中にあっても、心の片隅では納得していたのでした。

 

 けれども、アメリカから駆けつけるとなると、どう頑張っても執刀には間に合いません。仕方がないので、手術には叔母たちに立ち合ってもらって、ようやくたどり着いた夜中の病院で、術後24時間の母に会いました。

 

 もちろん、母の意識はありませんでしたが、当直の医師から説明を受けたり、ベッドに横たわる青白い母の顔を見たりしていると、やっぱり現実に起きたことなんだと、いやがおうにも実感させられるのでした。

 


 それからの2ヶ月間、これほど世の中が灰色に感じたことはありませんでした。

 

なにをするにも、いつも頭の隅には母のことがひっかかっているし、明るい陽光の中、楽しげに歩く家族連れを見かけても、どこかしら遠い宇宙の出来事かと思えるほど、現実味に欠けているのです。

 

 緑色だったイチョウの葉が色づき、ハラハラと舞い落ちたと思ったら、いつの間にやらクリスマス。

 

 そんな楽しげなイベントも過ぎ去り、もうすぐお正月です。

 

その間、母は、ひと月以上を過ごした集中治療室から病棟に移ったのも束(つか)の間、たった数日で集中治療室に舞い戻り、また大きな手術を受けなければなりませんでした。

 

 手術室に向かう母に「お外で待ってるからね、ずうっと待ってるからね」と声をかけたのを覚えていますが、それは、手術には危険がともなうと聞き、自然と口をついて出た言葉でした。

 


 体の小さな母が、あれほどの大手術を二度も乗り越え、また元通りに元気になろうと闘っています。

 

 「わたしは、お産の時しか入院したことがない!」と自慢していた母ですので、きっと自分の足で歩けるようになるはず。

 

そう固く信じて、母のベッドサイドに足を運んで、声をかける毎日を送っております。

 

 2016年も残りわずかとなりましたが、新年が母にとっても、皆さまにとっても良い年となりますように。

 

 


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