Essay エッセイ
2010年08月25日

親のすねかじり(?)

あの~、「親のすねかじり」なんていっても、人間のお話でも、子羊のお話でもありません。

申し訳ありませんが、虫、それもモゾモゾと動くクモ(!)のお話です。

クモがお嫌いな方もたくさんいらっしゃいますので、そういう方は、このお話は絶対に読まないでください。きっと気持ちが悪くなってしまいますよ。


と、前置きをしたところで、先日、ものすごく不思議なことがあったのでした。

ある朝、キッチンで朝ご飯の用意をしていたら、わたしのいる方を目がけてクモが歩いてくるのです。

真っ黒い、細長いクモで、前足と後ろ足が長くて、かなりスマートな感じのクモです。全長2センチくらいはあるでしょうか。

まあ、わたしは決してクモが嫌いではありませんし、ときどき家で見かける種類だったので、べつに驚きもせずに視界の端で観察していたのです。が、困ったことに、どうもわたしの足元に隠れようとしているようでした。

クモって、物陰に隠れるのが好きでしょう。だから、スリッパを履いたわたしの足がちょうどよいと思ったのかもしれません。

さすがに足元に来られると困るので、そこから逃げたのですが、見ていると、そのうちにダンスをするみたいにクルクルと円形に床を歩き回るのです。まるで何かに突き動かされているみたいに、忙しくクルクル、クルクルと。

「あ~困ったわぁ、どうしましょう、どうしましょう」とでもつぶやいているようなせっかちな様子。

そんなにクルクルと回ったって、どこにもたどり着きゃしませんよ。

「変なクモ!」と、わたしは気にもせずに朝ご飯を食べて、それから新聞に没頭していたのですが、ふと気が付くと、キッチンの隅っこで巣を作っているではありませんか。

そう、あのクモの糸を懸命に出して、いつの間にか立派な巣が完成しているのです。

それを見てわたしは、「もうすぐこのクモは死ぬんだな」と思ったのでした。
 なぜなら、クモという生き物は、ある意味、優雅で品のある生き物でして、死期を悟ったクモは物陰に隠れて静かに死を迎えようと「身辺整理」のような行動を始めるからです。

そうか、ある命が終わってしまうのだなと思いながら、そこからそっと離れたのでした。


そして、ほんの4、5分の後、その場に戻ってみると、なんとクモの巣にもうひとつの生き物がいるではありませんか!

それも、飴色をしたミニチュアのクモが!

しかも、ミニチュアはたったの一匹!

ここで、わたしの頭は疑問でいっぱいになったのでした。

このちっちゃいクモは、いったい何者? 黒いクモの子供?

でも、クモって卵を産むんでしょ? しかも、卵からは一匹ではなくて、たくさんの子グモが一気にかえるんでしょ?

そう、クモは幼虫を産む胎生ではなくて、卵を産む卵生ですよね。

でも、もしこのミニチュアグモが黒いクモの子供だとしたら、体から出てきたことになると思うのです。だって、卵のう(たくさんの卵が入った糸のかたまり)なんて見かけなかったですもの。

しかも、ミニチュアが一匹しかいないということは、あの「蜘蛛の子を散らすように」という表現とは矛盾するではありませんか。だって、「たくさん」のものが四方八方に散って逃げるという意味でしょう。一匹しか子供を産まないクモなんて、この世の中にいるのでしょうか?

そして、そんな疑問で頭を悩ましていると、もっと不気味なことが起きたのでした。

この飴色のミニチュアが、まるで獲物を捕らえたみたいに、黒いクモに向かって糸を出しているのです。

それだけではありません。黒いクモにとりついて体液を吸っているのです。ちょうどスネのあたりにかじりついて・・・。


いやはや、いくらクモが大丈夫なわたしでも、これを見たらゾッとしてしまったのですが、そんなことにはお構いなしのミニチュアグモは、だんだんと色を変えていくのでした。

最初は、なんとも頼りない飴色だったのが、少しずつ茶色が濃くなってきて、腹部のあたりはツヤツヤと輝きすら増してくるのです。こうなってくると、小さいながらも、もう立派なクモといった感じでしょうか。

そんなわけで、この日はなんとなく厳しい自然の営みを垣間みたような気分になってしまったのですが、ちょっと調べてみると、クモは卵生ではあるけれど、メスが卵のうを体で守って、まるで幼虫が母親グモの胎内から生まれてくるように見える種類のクモもいるそうです。

コモリグモ(子守蜘蛛)と呼ばれるコモリグモ科のクモに、そんな習性があるのだそうです。

おもしろいことに、コモリグモ科(family Lycosidae)のクモは、糸を出すお尻のあたりに卵のうを抱えて、親戚のキシダグモ科(Pisauridae)のクモは、口のあたりに卵のうを抱えるということです。

だとしたら、わたしには卵のうが見えていなかっただけなのかもしれません。

そして、自然の残酷なところではありますが、子供を産んだあと、子に自分を食べさせる母グモはいるそうですよ。

それにしても、ミニチュアグモが一匹しかいなかったことが妙に気にかかるわけではありますが、このミニチュアくん、丸一日は巣に留まっていたところが、その翌日には、もう姿を消しておりました。

そして、ミイラのようになった黒いクモは、いつの間にか床へと・・・。


こんなお話をすると、「やっぱりクモは不気味だ」と思われるかもしれませんが、地球上にはいろんな生き物がいるということをお伝えしたかっただけなんです。

アメリカ人って、クモを見つけるとすぐに足で踏んづけて殺してしまうのですが、わたし自身は、それはあまりにも残酷だと思っているのです。だって、クモは、どちらかというと害虫を食べてくれる人間の味方なんですよね。

それに、毒を持っているクモなんて、熱帯雨林でもない限り、めったにいるものではありません。
 毒グモのイメージの強いタランチュラだって、かまれたらちょっと痛いくらいで、大部分のタランチュラには毒はないということですよ。

だとしたら、多くのクモには、目の敵(かたき)にされる理由なんてないでしょう?

もし、何かしらの勘違いで歴史的にクモが嫌われるようになったとしたら、それはクモにとっては大いに迷惑な話ですよね。だって命乞いをする間もなく、すぐに殺されてしまうのですから。

そんなクモたちに、ちょっと同情してしまうのでした。

というわけで、あまり気持ちの良い話題ではありませんでしたが、ひとつの世代から次の世代へと、ある命の受け渡しのお話でした。

追記: 最後の写真は、誰かさんの家から逃げ出したペットのタランチュラくん。ゴルフコースをのんびりとお散歩なさっていたところ、カメラを向けたら、ちゃんと立ち止まってポーズをとってくれました。なかなか、フォトジェニックなタランチュラなのです。
 それに、カメラ目線を感じてくれるなんて、いいモデルさんですよね!


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