2001年を振り返って:とにかく大変な一年でした

Vol. 28

2001年を振り返って:とにかく大変な一年でした

いつの間にか12月になってしまい、いよいよ今年も終わりが近づいてきました。カリフォルニア北部は冬が雨季なので、毎日のように雨の日が続き、毎年恒例となっている水害の話も、ちらほらと聞かれるようになりました。
今回は、今年の締めくくりとして、一年を振り返り、特に記憶に残っている話題をまとめてみたいと思います。


【エネルギー問題】

カリフォルニアの電力不足は、今年初めから深刻な問題になっていて、今年の夏は、停電が常識になるだろうとまで言われていました。でも、蓋を開けてみると、電力不足のため計画的な地域移動型停電(rolling blackout)が行なわれたのは、5月が最後でした。
ひとつに、消費者の意識が上がって、電力を無駄にしないことが徹底してきた事があります。電力消費量の大きいエアコンやセントラル・ヒーティングは極力控え、洗濯などは、日中の消費ピーク時を避けて行なうなどです。それに加えて、今年1月から、地元の電力会社に成り代わり、電力購入に介入したカリフォルニア州が、数十社の電力供給会社と長期契約を結んだ事もあります。これにより、州内外から、寸断なく供給が行なわれるようになりました。また、スポット市場で購入する必要がなくなり、今は以前の3割の値段で、同量の電力が買えるそうです。

しかし、良い事は続かず、今となっては、電力が充分にあるどころか、売るほど余っているらしいです。大きな企業などが、自分達で電力調達を始め、州の調達とは無関係となっているのも一因のようです。
電力は、貯蔵することができないので、余ると文字通り売るしかないらしく、そうなってくると、当然買い叩かれることになります。ところが、もともと契約書に記された購入価格は、全国的な電力不足下で設定されたため、今では考えられないほど高いものです。州の分析によると、今後数年、購入電力の3分の1は叩き売りに廻され(通常、5パーセントの売り払いは許容範囲だそうです)、購入にかかった金額1ドルにつき、20セントしか回収できないそうです。
こういった付けは消費者が被るしかないようで、電力不足で苦しんだ後は、二重の価格高騰で苦しむことになるようです。今後、州が長期契約を再交渉しない限り、この状態からそう簡単には逃げられません。去年不評だった、クリスマス・ライティング節制のお達しは、今年はさすがに州が遠慮することになりましたが、そんなことで煙に巻かれる消費者ではありません。

ところで、日本の金融業にも影響を与えている、エネルギー供給会社、エンロン社(本社、テキサス州ヒューストン)の会社更生法適用の申請は、カリフォルニア州の長期契約には、どうやら無関係のようです。州は、年初からエンロン社のビジネスのやり方を批判していて、州立大学系列の電力供給を除いて、早々と関係を絶っていました(人工的に価格を吊り上げ金を巻き上げる、price-gougingをしている、とデイビス州知事に名指しで非難されていました)。
もし、エンロン社とのビジネスを続けていたら、電力を買い叩ける立場に逆転していたのに、という声も聞かれます。


【経済停滞】

2000年4月を境に、株式市場は下落・低迷していましたが、今年に入り、あちらこちらで景気の悪さが肌で感じられるようになりました。先日、米国造幣局で300人以上の解雇が発表されましたが、これは、消費者が今までボトルや引出しに貯めこんでいたコインが流通し始めたため、来年は新しいコインの製造が4割減になることが予測されるためだそうです。
25セント・コイン(クウォーター)を造ると、そのうち20セントは造幣局の収益となり、連邦政府の経費に廻されていたそうですが、政府にとっても、思わぬところで財源が縮小するようです。

経済指標のGDPは、9月までの四半期で、マイナス1.1パーセントの成長だったそうで、過去10年来最悪のスランプとなっているようです。成長率は、来年明けるまでは、プラスに転じないと予測されているようです。
11月にぐんと盛り返した株式市場の回復パターンも、V型、U型なんて生易しいものではなく、W型(一旦回復した後、また下がる)かもしれない、という悲観的予測もあるようです(9月のテロ攻撃後、最安値を記録したダウは、11月末までに1500ポイント、ナスダックは500ポイントほど戻しました。12月に入っても、上昇傾向にあるようです)。
全米の11月の失業率は、過去6年最悪の5.7パーセントを記録し、月間解雇数は前月より減少したものの、確実に上昇中のようです。

米国経済の3分の2を占める個人消費(consumer spending)は、9月に劇的に減った後、10月には、自動車業界の "ローンの利子ゼロ" 作戦や、根強さを見せる住宅の売買などで、かなり戻ったようです。でも、世間の厳しい雇用状況を反映し、消費者の経済に対する自信度(consumer confidence)はまだまだ低く、歳末商戦に向け、財布の紐はかなり堅いと予想されています。
そうは言っても、個人的観測によると、アメリカ人のお買物好きには計り知れない底力があり、これからクリスマスに向けての巻き返しは、決してあなどれません。現に、正式な歳末商戦のスタートであるサンクスギヴィングの翌日("Black Friday")、ショッピングモールでは駐車もできず、すごすごと帰って来ました。不景気というのは、本当なのでしょうか?


【9・11】

いまさら言うまでもなく、9月のテロ攻撃は、米国社会を揺るがす重大事件でした。後遺症は各方面に広がり、思わぬところで、良くも悪くも影響が出ています。
経済的波及効果は、航空業界や旅行業界に留まらず、ティッシュペーパーや紙おむつの最大手、キンバリー・クラーク社は、5つの工場を閉鎖すると発表しました。"Kleenexティッシュ" や "Huggiesおむつ" といった家庭に浸透したブランドは、一見テロには無関係のようですが、事件後、ホテルやオフィス、空港などでの需要が減り、生産を減らすことになったそうです。6分の1を占める一般家庭外の売上は、今後数ヶ月間は回復しないだろうと見られているようです。
空港が一番賑わうはずのサンクスギヴィングの時期にも、旅行者は通常の2割は少なかったそうで、まだまだ国民の恐怖心は拭い去られてはいないようです。

炭疽菌への警戒も、社会全体に徹底していて、郵便物を扱うのをためらう人も多いようです。ダイレクトメールは、封を切らずに捨てられる場合が多く、新聞や雑誌社への投書は、Eメイルやファックスでしか受け付けない所もあるようです。お誕生日カードから出てきた細かい色紙が、機上で大騒ぎを起し、カードを開いた人が、着陸後尋問を受けたこともありました。
ドイツの名バイオリニスト、アンネ・ゾフィー・ムッターは、ニューヨークに着陸直後、全米のコンサートツアーをキャンセルしました。ニューヨークには着いたものの、怖くてとてもアメリカ中を演奏して廻る自信はない、というのが理由でした。

この時期、一番寄付金の多い非営利団体も、必要な額が集まらず、運営に四苦八苦しています。不景気や失業率の増加のせいもありますが、一般や企業の寄付が、テロ攻撃の被災者救済に流れたため、他の団体に廻ってこないという理由もあるようです。年末、どの家庭も、数十通もの寄付を促すダイレクトメールを受け取りますが、今年はそれが、そのままゴミ箱行きになっているせいもあるようです。
アメリカ人は、年収の3パーセントほどは何らかの形で寄付をするそうですが、決められた予算の中でどこかが膨らんだら、どこかがひっこむしかないようです。不況でお腹を空かせている人が全米で増えているのに、食料銀行(Food Bank)の棚はどこも、隙間だらけのようです。

一方、国民への心理的な影響も大きく、ニューヨークにいて直接惨事を目の当たりにした人も、テレビでの報道に接した人も、一様に悪夢にうなされたり、不眠症になったりしているようです。お陰で、うつ病の薬や睡眠薬の処方が増えているとか。
プラスの面では、人の命の大切さ、はかなさを痛感し、家族に対して優しくなった人が増えているそうです。前よりも頻繁に感謝の言葉を口にしたり、より長い時間一緒に過ごしたりと、人を繋ぐ効果もあったようです。
人を繋ぐと言えば、最近結婚件数が増加しているそうです。数年間つきあっていたカップルとか、2,3年先に漠然と結婚を考えていたカップルが、相手と一緒にいる必要性を感じ、大挙して式を挙げているらしいです。ブライダル産業は、宝石屋やギフト業界も含め、季節はずれの思わぬブームに、たいそう喜んでいるようです。

へんてこな話ですが、統計によると、9月以降、ポテトチップスなどスナック菓子の売上が増加しているそうです。もともと、ポテト料理、シチュー、ミートローフなどは、人の心を落ち着かせる食べ物(comfort food)として、特に冬場に好まれていますが、テロ関連のストレスから、食事に助けを求める人も増えているようです。
"どうせ明日の命も確かじゃないから" と、ダイエットにさようならをした人もいるようで、もしかしたら、国民の肥満度に拍車をかけることになるかもしれません。


【メイジャーリーグ】

今年のメイジャーリーグ野球は、ホームラン記録を塗り替えた、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズの活躍も際立っていましたが、何と言っても、イチローの存在感は驚くべきものがありました。アメリカに来て、いきなり新人王とアメリカン・リーグのMVPを獲得するというのは、言うまでもなく、普通では考えられない快挙です。
オークランドA’sのジェイソン・ジアンビとMVPを争っていたので、あまりおもしろくないと思っているベイエリアの住人も多いでしょうが、イチローが文句なくスゴイ人だというのは、誰もが認めることでしょう。来年も、同じくらい活躍してほしいと願っているアメリカ人も、きっとたくさんいるはずです。
日本だけでなく、世界各地から名選手が集まっているお陰で、アメリカのワールド・シリーズは、本当の意味で、"ワールド" シリーズになって来ているようです。


【おまけ】

前回の話題、"ヒューレット・パッカードのコンパック買収劇" の中間報告です。12月7日、渦中の団体であるパッカード財団が、買収案に反対すると予備決定しました。"予備(preliminary)" という言葉がちょっとひっかかりますが、どうやらこれで、ヒューレットとパッカード両家関連の持ち株(全体の18パーセント)は、反対勢力となってしまったようです。

夏来 潤(なつき じゅん)

ベイエリアの昼メロふたつ:ハイテクとスポーツ

Vol. 27

ベイエリアの昼メロふたつ:ハイテクとスポーツ

サンクスギヴィングの週末も終わり、いよいよクリスマス商戦に突入した今日この頃です。クリスマスツリーのライティング・セレモニーも連日各地で行なわれ、年末のムードを一気に盛り上げています。先日、国の経済研究所が、"アメリカ経済は既に3月の時点で不景気に入っていた" と正式に発表しましたが、そんなことにはお構いなく、庶民は各々の生活を続けている毎日です。
そんな中、最近ベイエリアで取り沙汰されている、取って置きの話題をふたつご披露いたしましょう。


【その1:ヒューレット・パッカードのコンパック買収劇】

何と言っても、まず筆頭に上げられるのが、HPとコンパックの吸収合併騒ぎです。9月28日掲載の "ヒューレット・パッカードとフィオリナ氏" で、合併話発表直後の市場の冷ややかな反応はご紹介しましたが、実は、この話がまだ延々と続いているのです。と言いますのも、このお話は、HPの株主と米国政府機関やヨーロッパ連合の承認を得て初めて実現するもので、それまでは、いろんな人が自分達の思惑で動き回り、話をややこしくしているからです(ちなみに、合併を決める株主会の日程は、未定だそうです)。

事の発端は、11月6日、HPの創設者であるヒューレットとパッカードの息子達が、合併案への異議を公にしたことにあります。この日、ウィリアム・ヒューレットの息子、ウォルターと、デイビッド・パッカードの息子、デイビッドWは、来るべき株主会では、合併に反対投票すると発表しました。
ウォルターは、合併では株主が必要としているビジネス価値を見出せない、と述べています。HPは、黒字のプリンター部門を初めとして、イメージ、サービス、サーバー部門を強化すべきであって、魅力のないPCビジネスを拡張すべきではないとしています。
一方、デイビッドWは、この合併プランは、従業員の大量解雇に頼っており、このような人を消耗品のように扱うビジネス戦略には賛成できないとしています。また、現HP政権が、今まで培われてきたHP文化を一夜のうちに変えようとしている、と不快感を表しています。

このふたりは、あくまでも個人として意見を発表したわけですが、合わせて7.7パーセントのHP株を持っており、決して無視できない反対勢力です。また、生前創設者が設立した各種の財団は、主にHP株で運営されており、株主としては、大きな影響力を持っているようです。
ヒューレットとパッカード一族が代表運営するこれらの団体は、いずれも態度を保留していますが、特に、HP株の10パーセントを保持するパッカード財団などは、今後の動きが注目されています(この財団は、デイビッドWの妹、スーザンが代表していて、アカデミアや自然保護団体、地域の非営利団体と繋がりが深いようです。今のところ、12人の役員がどう判断するかは、不透明のようです)。
ウォルター・ヒューレットは、既に財務・法的アドバイザーを雇っており、合併に反対投票するよう、株主達にアプローチしているようです。

こういった反対グループの台頭に応戦する構えのHP取締役会も、株主達に合併の正当性を訴えるため、勧誘代理会社を雇い、一歩も譲らない様子です。11月中旬の四半期業績発表でも、期待以上の成績を上げたと市場から評価されており、その勢いに乗り、合併話を一気に進めたいところです。
HP役員の中には、自ら役員であり、7月の取締役会では合併案に合意していたウォルター・ヒューレットに対し、憤懣を抱いている人もいるそうです。2日間の役員会のうち、初日は欠席し、政界・財界の会員制クラブで、クラブのオーケストラ・メンバーとしてチェロにうつつを抜かしていた、といった中傷まで聞かれます(ウォルターは音楽専攻で、日頃もクインテットのメンバーとしてチェロ演奏を披露しているそうです。件(くだん)のクラブでの演奏は、以前から計画されていたことだそうですが、この歴史的会員制クラブが男性のメンバーしか入れないことが、少なからず災いしているのでしょうか)。
ウォルターの心変わりについて、有力ベンチャーキャピタリストのトーマス・パーキンスは、"役員が、自分の最高経営責任者に反旗を翻すのは、非常に珍しい" とし、フィオリナ氏への個人的な攻撃を示唆しています。また、ヒューレットとパッカードが存命だったなら、ふたりとも合併に賛成だったに違いないとも述べています(パーキンスは、VC会社、クライナー・パーキンスの創設者で、現在コンパックの役員を務めています。彼はまた、HPのPC部門、初代の責任者でもあり、ヒューレットとパッカードをよく知る人のようです)。

一方、従業員の立場から見てみると、デイビッドW・パッカードは、現HP社員200人から、賛同の手紙やメールを受け取っているそうで、やはり今までの6千人の解雇や、合併後計画されている1万5千人の解雇が、社内でかなりの反発を生んでいるのは明らかなようです(6千人の中には、28年勤続の後、所属のマーケティング・チームごと無くなってしまった人や、サーバーのチップセットの開発グループにいて、仲間と一緒にインテルに移籍させられた人など、いろいろのようです)。
また、既に退職したOB組も心中穏やかではないようで、この合併騒ぎを、一家の一大事として受け止めているようです。退職者の中には、財産のかなりをHP株で持っている人もいるようですが、そういった経済的要因からばかりではなく、元HP社員としての誇りと憂いから、いやがうえにも論争に巻き込まれていくようです。

最近、政府の監査機関であるSEC(the Securities and Exchange Commission)に提出された合併案の報告書によると、何らかの理由で、HPのフィオリナ氏の雇用が途切れた場合、年棒の2倍の額とボーナス、そして150万ものHP株が、退職手当として彼女に支払われるそうです。同様に、コンパックのカペラス社長にも、17億円相当の退職手当が支給される予定だそうです。
万が一、合併話がお流れになって、ふたりが退陣要求されたとしても、路頭に迷うことがないように計画されているようですが、これには、さすがに巷の一般市民も反感を抱いているようです。

何やかやと、大きく膨らんでいるお話ではありますが、シリコンバレーのロイヤルファミリー対フィオリナ氏率いるHP取締役会の戦いは、まだまだ続きます。乞うご期待です。


【その2:サンフランシスコ49ers】

スポーツであろうと、仕事場であろうと、人が集まれば、必ず合う人と合わない人が出てきます。そんな事は初めからわかりきったことなのに、我慢ができない時があるようです。
フットボールチームのサンフランシスコ49ersの場合、始末の悪いことに、これがヘッドコーチとスター選手の間に起こりました。日頃から、何となく馬が合わないふたりですが、先日、それが世間の知るところとなり、国中のスポーツニュースの話題となってしまいました。

事の起こりは、10月28日の対シカゴ・ベアーズ戦です。残り3分で15点リードしていたのに、みるみる同点にされ、延長戦にもつれ込みました。ラッキーな事に、先に攻撃権を取ったのですが、スター・レシーバーのテレル・オーウェンズがパスを落っことし、それを拾った敵がエンドゾーンにタッチダウンしてしまい、試合終了となりました。何でも、NFL史上、一番短い延長戦だったとか。
試合後、オーウェンズは、自分のミスを責め、かなりしょげ返っていたようですが、それとともに、ヘッドコーチ・マリウチ氏への不信感をあらわにしました。彼の後半の采配が生温かったし、第一、自分のお友達であるベアーズのジュロン監督に遠慮していた。チャンピオンになるためには、そんな感情を持っちゃいけないよ、というものです。
これを聞いたマリウチ氏は、かなりカチンと来たようで、"今まで聞いた中で、一番アホくさい言い分だ" と反論しました。"ミスター・ナイスガイ" で知られる彼もさすがに我慢できず、報道陣にこう暴露してしまったようです。
これを喜んだのは勿論マスメディアで、それから2,3週間、49ersと言うとこの話題になり、火に油を注ぐような状態でした。ファン達は、今後の事を考えると心配になってくるし、新聞には、"ちゃんとふたりで話し合ってよ" という、精神科医やカウンセラーのアドバイスまで載る始末です。

でも、この大人気ないふたりも、フィールドに立つと豹変するようで、マリウチ監督は冷静に自分のスター選手を使っているし、オーウェンズもその期待に答え、いつもの通り、クウォーターバックのジェフ・ガルシアの長いパスを受け、ファン達を魅了しています。その後4つの試合は全部勝っていて、このまま行くと、スーパーボウルも夢ではないかも、と言われています。
ピーチクパーチクやっていても、やる時はやるのがプロなのです。これはまた、アメリカ人の特質とも言えるかもしれません。

ところで、ついでにもうひとつ。先述のテレル・オーウェンズは、フットボールリーグの中でも際立った名選手であることは、間違いありません。でも、今の49ersの好成績に同じくらい貢献しているのは、ラニングバックのギャリソン・ハーストです(RBは、ボールを持って走ったり、パスを受け取って走ったりと攻撃の要とも言えるポジション)。ウェストコースト・オフェンスと言われる、レシーバーへのパスを重点的に採る49ersの攻撃パターンの中、彼は足で稼ぐオフェンスに貢献し、チームとしての攻撃ヤードをぐんぐんと引っ張っています。
そんな名選手は他のチームにもいるのですが、彼が他と違うところは、1999年の1月、人工芝のアトランタ・ファルコンズのドームで左足首を複雑骨折し、再起不能どころか、歩くことさえできないとまで言われていたことです。1999年と2000年のシーズンを棒に振り、その間、5回の手術とリハビリを乗り越えての今シーズンの復帰でした。
血液が骨にうまく行き渡らないため、かかとの骨がぼろぼろと朽ちていた状態だったそうで、普通の人なら、そこで何もかも諦めてしまうところです。でも、彼は復帰を目標に、黙々と治療とリハビリとトレーニングに専念してきたようです。敵をかわしての瞬発力は目をみはるものがあり、けがをする前よりも調子がいいのかも、というスポーツキャスターのコメントすら聞かれます。

そういう彼は、チームメイトだけではなく、NFL全体の元気の源ともなっているようです。

夏来 潤(なつき じゅん)

死者の日:メキシコから来たお盆

Vol. 26

死者の日:メキシコから来たお盆

先日11月1日と2日は、メキシコで伝統的に祝われている"死者の日(スペイン語でLos Dias de Los Muertos)" でした。ちょうど日本のお盆のような祭日で、この間、死者を暖かく迎え、もてなし、手厚くお送りするという一連の行事が行なわれます。

まず、10月31日の深夜、子供達の魂がこの世に戻り始め、翌日、大人達が戻ってきます。そして、この世に残した家族と楽しい食事の時間を過ごし、11月2日に自分達の世界に戻って行くと信じられているのです(メキシコの伝統的思想では、人は死後も現世の姿形や職業をそのまま持ち続けると考えられており、家族の元に戻った時も、すぐに誰だか見分けがつくのだとされています)。
メキシコで始められたこの習慣も、メキシコ系移民の増加に伴い、アメリカでも徐々に知名度を得ているようです。最近は、住民の3分の1がラテン系というカリフォルニアでは、死者を迎える仮設祭壇を設けるカトリック教会まで出ています。

もともとこの祭日は、古代アステカ歴の10番目の月、"死者の小祝宴" に由来します。グレゴリオ歴で言うと7月末から8月初旬に当たり、死の女神が司り、子供と死者に捧げられる期間とされています(死者を尊び、祖先から子孫へと生命の存続を祝う意味があります)。
1521年、アステカ王国の首都テノチティトランが征服された直後、カトリックの神父達がメキシコでの布教を始めました。その古来の信仰とキリスト教との融合化の過程で、11月1日のカトリックの祭日、"万聖節(諸聖徒・殉教者の霊を祭る日)" と、その翌日の "万霊節(信者の霊を祭る日)" に合わせて、"死者の日" は11月の初めに移されました(この習慣は、必ずしもアステカの文化を受け継ぐ住民だけのお祝いではなく、メキシコ南部に先住するマヤ系や、その他の住民にも広がっているようです)。

Silicon Valley Nowのシリーズ第一弾、"ハロウィーン" でちょっと紹介しましたが、この万聖節の前夜がEve of All Hallows(Hallow’e’en)となり、異教徒ケルト人の習慣がハロウィーンに変身しました。メキシコにルーツを持つ "死者の日" も、カトリックの静粛な祭日と言うよりも、ハロウィーンのように、古来の伝統を保ちつつ、なおかつ楽しい祝日のようです。
まず、お墓は、大小を問わず、きれいに磨き上げられ、黄色やオレンジ色の花で飾られます(アステカの昔、"四百の命の花" と呼ばれていたマリーゴールドや、菊などの鮮明な色彩が使われます)。そして、亡くなった家族が好きだったご馳走を並べます。また、お墓の脇で一晩中バンド演奏を続け、死者をにぎにぎしく迎える家族もあるようです。普段は頻繁に会えない親戚が一同に会し、思い出話に花を咲かせるのも、墓地でのご近所さんと親しくなれるのも、このファミリー・ピクニックのお陰です。街ではパレードが行なわれ、ブラスバンドの演奏や、着飾った少女の騎馬行進でムードを盛り上げます。
家では祭壇が設けられ、生前の写真、花、好物の料理やテキーラなどが捧げられます。渇きを癒す水、お腹を満たすパン、食べ物の味付けと清めのための塩は、祭壇に欠かしてはいけないものです。他界した家族を表すろうそくが一晩中灯され、邪鬼を追い払うため、アステカの頃から神に捧げられていた香が薫かれます。祭壇や香は、死者の魂を迷わず家に導く役目も果します。
元来、この祝日は死をモチーフとしているので、砂糖でできた骸骨や頭蓋骨を祭壇に飾ったり、家族や友達に贈ったりします。骸骨に自分の名前が書かれていたりすると、喜びも倍増です。伝統的な慣習を保つ地域ほど、死者との祝宴は豪勢になり、都市部などでは、簡単に済ます意味で、骨のクロス模様の付いたパンを買って来て、それでお祝いする所もあるようです(この丸いパンの中に隠される、プラスティックの骸骨に噛り付いた人には、幸運が訪れるとされています)。

今年の死者の日は、一部のメキシコ人やメキシコ系アメリカ人にとって、異例な日となりました。それは、去る9月11日に米国東海岸を襲ったテロ攻撃に起因しています。事件当時、被害者のほとんどが出たニューヨークの世界貿易センターでは、たくさんのメキシコ人が働いていました。メキシコ政府によると、公称18人とされていますが、不法移民を入れると、何百にものぼる人達が命を失ったと言われています。ところが、犠牲者の遺体は、大多数が回収不能だと考えられています。
けれども、メキシコ人にとって、遺体を受け取り、手厚く葬ることは、亡くなった人の "完全な死" を意味します。その段階なしでは、他界した人の人生が完結しないし、残された人の心は、穏やかにはなれません(メキシコの伝統では、人は三つの死を経験すると言います:一つめは、肉体的な死、二つめは、地中への埋葬、母なる大地への回帰、三つめは、死者を思い出す人が現世からいなくなり、この世との繋がりを絶った時。死者の日とは、二つめの死を迎えた大切な家族を思い出し、彼らがまだ魂としてこの世に繋がりを持つことを知らしめる、重要な行事なのです)。

今回のテロ事件で、"二つめの死" を経験できない犠牲者の家族のために、メキシコやニューヨークでは、死者の日に合わせ、さまざまな援助活動が行なわれました。ニューヨークでは、メキシコ系移民援助団体のネットワークが、オフィスに豪華な祭壇を設け、行方不明者の家族を招きました。メキシコ・シティーでは、ある一家が、アメリカ大使館の近くに死者の祭壇を寄付しました。先に孫達がニューヨークで出会った消防士達のほとんどが、貿易センタービルで殉死してしまった事を知ったからです。祭壇には、メキシコ人の犠牲者だけではなく、これらアメリカ人の消防士も祭られました。
また、メキシコ政府は、ニューヨークで犠牲になったと確認されている人の家族を被災地に招き、追悼式に出席するだけでなく、貿易センターの焦土を持ち帰るという計らいをしました。この土は、先祖とともに家族の墓地に埋葬され、これから毎年11月に、残された家族が訪れてくれるようです。

けれども、不幸な事に、多くの犠牲者の家族は、自分達自身も不法移民であるため、米国移民局の摘発を恐れ、正式に名乗りを上げていないようです。不法滞在し、ビルの清掃や食べ物の配達などに携わっていた行方不明者は、どのリストからも漏れ、身元確認の対象にはなっていないようです。現在、アメリカでは、人口の8分の1がラテン系となっていますが、そのうち6割は、メキシコからの移民とその子孫で占められます。ただし、これはあくまでも国勢調査の結果で、数に表われない不法移民は、アメリカ中で推定7百万人とされます(最新の2000年の国勢調査では、アメリカの人口は約2億8千2百万人と発表されています)。
その不法移民の大部分は、近年の好景気に誘われ、メキシコや中米から国境を渡って来たとされています。行き着く先は、大都会が多く、多国籍のニューヨークも絶好の働き先となっていたようです。そういった中で、いったいどれくらいの人が新天地アメリカで犠牲になってしまったのかは、誰にもわかっていません。でも、少なくとも、今年の死者の日は、事件に巻き込まれ、永遠に行方不明となってしまった人の家族を、若干でも慰める役目を果したようではあります。

元来のケルトの伝統、ハロウィーンも、メキシコの慣習とカトリックが融合した死者の日も、あの世に行ってしまった人を思い出し、戻って来た魂と親しむという意味があります。日本のお盆もこれに似ていますが、人は死んでも、この世から完全に消えてしまうわけではない、というのが世界共通の考えのようです。
メキシコの場合は、特に、生きる事は難しく、不確かな事とされていたので、時に救いともなる死と、子供の頃から慣れ親しんでおく必要があったようです。頭蓋骨のお菓子や切り紙細工が飾られ、子供達が骸骨のマリオネットと遊ぶ光景は、ちょっと異質な感じがしますが、死と遊び、ジョークの種とし、死を祝うことは、いつの日か訪れる後の世代へのバトンタッチを、ちょっとだけ予行演習しているだけなのかもしれません。


夏来 潤(なつき じゅん)

ルイ・アームストロング:ジャズと人種的偏見

Vol. 25

ルイ・アームストロング:ジャズと人種的偏見

最近、何かと物騒なテロ攻撃関連のお話が続いたので、今回はちょっとトーンを変えてみようと思います。
以前、8月27日掲載の怪談話で、"ジャズとカーニバルで有名なニューオーリンズ" という表現が出てきましたが、今回は、このニューオーリンズに纏わるお話から始めることにします。

ニューオーリンズで一番知られたジャズプレーヤーと言えば、やはり、トランペッターで歌手でもあった、ルイ・アームストロングでしょう。"What a Wonderful World" で有名な、渋い声の持ち主です。また、その独創的なトランペット奏法は、後のトランペッターが皆真似たとも言われています。

あまり広く知られてはいないようですが、今年は、彼がニューオーリンズに生まれてちょうど百年になります。実は、本人はいつも、"僕は1900年の7月4日(この日は、アメリカの独立記念日)に生まれた" と言っていたので、そのお陰で、昨年が生誕百年記念だと思っていた人が多いそうです。でも、地元の歴史家によると、教会の洗礼記録には、1901年8月4日誕生と記されており、この日が本当の誕生日だということです。
彼が亡くなって既に30年程経ちますが、去る8月、ニューオーリンズでは地元一番の名士を祝うフェスティバルが開かれ、やはりこの街で育ったトランペッター、ウィントン・マルサリス、お父さんのエリス・マルサリス(ピアニスト)、そしてエリスの昔の生徒だったハリー・コニック・ジュニア(ピアニスト、歌手、映画俳優)などが共演したそうです。

ニューオーリンズの目抜き通り、バーボン・ストリートからそんなに遠くない所に、アームストロング公園というのがありますが、ここはまさにジャズ、いわゆるデキシーランド・ジャズの発祥の地とされています。公園の中には、トランペットを片手に微笑むアームストロングの像があり、ジャズファン達の名所になっています(このあたりは、昔はコンゴ・スクエアと呼ばれていましたが、1980年にアームストロング公園と改名されたそうです)。
サッチモ(Satchmo)とかポップス(Pops)などの愛称で親しまれた彼は、実は、人生の大半はシカゴやニューヨークで過ごし、生まれ故郷であるニューオーリンズでは、あまり演奏したがらなかったそうです。それは、この街に帰って来ると、白人、黒人と分かれたバンドで演奏し、しかも、人種で区別された聴衆を相手にしなければいけなかったからだそうです。北部に慣れてしまった彼には、前時代的なこの南部の風習が、奇異で嫌なものに感じられたのでしょう。

この風習は、人種隔離政策(segregation)と呼ばれるもので、ニューオーリンズのあるルイジアナ州、隣接するミシシッピ州、テキサス州、更にアラバマ州、ジョージア州などの米国南部で、1960年代まで延々と続けられていました。これは、南北戦争で平等となったはずの黒人の権利を、ことごとく脅かすものでした(以前、ホリデーシーズンに関する回で、"黒人(blacks)" という言葉は死語になり、今はアフリカン・アメリカンと総称すると書きましたが、今回は歴史的表現に則り、この言葉を使います)。

1865年、北軍勝利で終わった南北戦争は、黒人を奴隷から自由人とすることに合意し、彼らに市民としての権利を与え、更に選挙権を与えるという画期的なものでした。米国憲法に追加された修正第13条から15条は、まさにこのことを保証しています(修正13条は1865年、14条は1868年、15条は1870年にそれぞれ制定されています)。
けれども、必ずしもこれに同意する者ばかりではなく、1880年代に入り、白人至上主義の新たなシステムを作り上げようという動きが、南部各州で起こりました。連邦最高裁判所も、この南部の政策を支持するような判決を次々と言い渡しました。

これによって、交通機関から始まり、待合所、公園、病院、教会などありとあらゆる場所での人種隔離は常識となりました。バスでは後部座席が、そして教会ではスクリーンで仕切られた後ろの席が、黒人に与えられました。また、黒人の市民権を明言した修正第14条は著しく制限され、15条の選挙権も剥奪されることとなりました(2代前のおじいさんが選挙権を持っていないとダメ、という奇妙な、しかし効果的な規則が生まれたりもしました)。
今でも活動を続けている有色人種差別組織、クー・クラックス・クラン(the Ku Klux Klan)が結成され、黒人に対する暴力がはびこったのも、この頃からです。ビリー・ホリデーの有名な歌、"奇妙な果実(Strange Fruit)" は、まさに、これら黒人への理不尽な差別や執拗な暴力を如実に表現しています。
さすがに今のKKKは、暴力に訴えるよりも、お互いに干渉せず、の主義を取っているようではあります。

ちょっと詳しい歴史の話になってしまいますが、この時期の連邦最高裁判所の判例で一番重要なものは、プレッシー対ファーガソンと呼ばれるものです。
1892年、ルイジアナ州で、プレッシーという男性が白人専用の鉄道車両に乗り込み、有色人種(colored)の車両に移ることを拒否した理由で逮捕されました。彼には、8分の1黒人の血が混じっていたからです。
これに対し、ニューオーリンズの犯罪裁判所判事ファーガソンは、その2年前に制定された人種隔離の州法を盾に、逮捕を認める判決を下しました。続く1896年の連邦裁判所の判決でも、人種を隔離したとしても、平等の扱いを保つなら米国憲法には反しないとして、ファーガソンの決定を支持しました。これが、"分離しても平等(separate but equal)" 主義が、国家的な法の元に出来上がった瞬間とされています。

このように、最高裁の判事達がこぞって分離主義の合法性を認めた中で、その違憲性を主張した人がひとりだけいます。このハーランという名の判事は、"私達の憲法は、人種を区別しないし、市民間の階級を認めない(Our constitution is color blind, and neither knows nor tolerates classes among citizens)" と強く反対意見を述べました。これは今でも、最高裁の判例史上の名言とされています。
しかし、ハーラン判事の反論も虚しく、この時の連邦裁判所の判決は、1954年に公立学校での人種隔離を禁止する画期的な決定が為されるまで、不可侵なものとして、白人至上主義者達に支持されていました。(その間に勃発した第二次世界大戦においても、米国軍は人種別に構成されていました。)

その後、半世紀以上経ってようやく最高裁から下された、公立校での隔離禁止の判決は、"分離しても平等" 主義に終わりを告げる、最初の出来事と言えます。
けれども、実際に世の中から人種隔離の習慣がなくなるまでには、最高裁の決定だけではなく、一般の人の意識を地道に変えていく必要がありました。その役を担ったのが、一介の大学生の間から起こった "フリーダム・ライダー(the Freedom Riders)" という運動です。

この平和的な市民権運動は、1961年5月、首都ワシントンDCからニューオーリンズに向けたバスから始まりました。先に最高裁が下した、州間のバスや鉄道での人種隔離を禁止する判決は、何年経っても有名無実であることに抗議するものです。
黒人、白人合わせて13人の若者がひとつのバスに乗り込み、途中、人種で区別された停留所では、黒人は白人専用のトイレを使い、白人は黒人専用の水飲み場を使おうとしました。しかし、隔離撤廃への道のりは厳しく、若者達は各地で白人暴徒に襲われただけではなく、アラバマ州では焼夷弾でバスに放火され、命からがら逃れたものの、州法違反の罪で警察に逮捕され、目的地であるニューオーリンズにはたどり着きませんでした。
それでも、この平和的なうねりは意識の高い若者の間に瞬く間に広がり、13人が300人になって一路南部を目指し、最終的には、黒人、白人入り交じり、千人ほどがバスや鉄道で南下の旅に出たそうです。アラバマ州では、やはり暴徒に襲われたフリーダム・ライダー達が、近くの教会に逃げ込んだりしたそうですが、それでも、彼らの願いはようやく実り、この年の終わりまでには、公共の交通機関はすべて黒人にも分け隔てなく開放されるようになったそうです。

フリーダム・ライダーから今年でちょうど40年になりますが、その間、ルイ・アームストロングが嫌っていた南部の風習は、すっかり過去の話となってしまいました。今ニューオーリンズに行くと、ジャズファン達は人種を問わず、黒人ミュージシャンが演奏するフレンチ・クウォーターのクラブに足を運びますし、路上で演奏する駆け出しの黒人サックス奏者に熱心に耳を傾けたりしています。

ジャズは勿論、ニューオーリンズだけのものではなく、夏になると、アメリカ各地でジャズフェスティバルが開かれ、ひとつの風物詩ともなっています。
シリコンバレーでも、毎年8月、サンノゼの中心地でジャズが楽しめます。今年で12回目を迎えるこのフェスティバルでは、4日間に渡り、ジャズ、ラテン、アフリカ系の音楽が熱演されました。嬉しいことに、協賛企業が費用をすべて持ってくれるので、観客は無料で演奏を楽しめるのです。
今年は、ハイテク産業のスランプのお陰で資金が充分に集まらず、ステージの数は八つに減ってしまいましたが、15万人ほどのジャズファン達がダウンタウンに集まったそうです。世界各地の味を楽しめるフード・スタンド(食べ物の屋台)も、皆のお目当てのひとつです。

最終日、歌手のディーディー・ブリッジウォーターが取りをつとめるメイン会場での小さな出来事です。会場になった公園には座席がないので、キャンプ用の椅子や敷物をおのおの持ち寄るのが習慣になっているのですが、ここでは必ずしも先住権が利かないのが玉にきずのようです。
ジャズバイオリンのレジーナ・カーターの演奏がまさに始まろうとしている時、地べたに座っていた白人男性の前に黒人夫婦が割り込み、簡易椅子を堂々と広げ始めました。目の前で椅子に座られたら、ステージはまったく見えなくなり、たまったものではありません。でも、この夫婦がいやに強引だったのと、初老の男性がおとなしかったせいで、黒人夫婦の勝ちとなりました。
"ごめんなさいねー" と言いながら、実は謝ってなどいない彼女の口ぶりは、"あなた達白人には、ジャズはわかるわけないのよ" と、冷ややかに宣言しているようにも感じました。

気の毒なことに、初老の男性は、演奏途中で席を立ってしまいましたが、こちらとしても、40年前の南部とはまったく違う光景に気を取られ、せっかくの一流ミュージシャンの演奏も上の空でした。"ジャズはやはり黒人" という神話は、どうやら黒人自身も強く自負しているようです。

夏来 潤(なつき じゅん)

米国テロ攻撃の影響:経済とセキュリティーの観点から

Vol. 24

米国テロ攻撃の影響:経済とセキュリティーの観点から

先月9月11日のテロ攻撃は、米国の政治・経済だけではなく、市民の生活全般に、計り知れない多大な影響を与えています。国民の8割以上が、あの出来事を境に、住んでいる世界が変わってしまったと表現しています。米国がアフガニスタンを報復攻撃すれば、アメリカ本土、海外拠点、そして米国市民に対する再攻撃が必ず起こるとも恐れられています。実際、10月7日、米国と英国のタリバンに対する攻撃が始まってしまった今、これまで通りの普通の生活を取り戻そうと努めるアメリカ人の間でも、不安は隠せないようです。
 今回は、そういったテロ攻撃の影響を、米国経済とセキュリティーの角度から見ていきたいと思います。


【全米での経済的影響】

米国経済は、既に9月11日以前、不景気に入っていたと言えます。昨年4月の株価急落から、どうにか持ちこたえてきた景気が、今年に入りいよいよ悪化していました。あらゆる業界で業績不振が報告され始め、連鎖反応のように、従業員の解雇が続きました。
シリコンバレーでも、ヒューレット・パッカードやシスコ・システムズをはじめ、セミコンダクター分野のインテル、ナショナル・セミコンダクター、アプライド・マテリアル、光ファイバー通信分野で飛ぶ鳥を落とす勢いだったJDSユニフェイズなど、大手企業が次々と大量解雇を発表しました。そのお陰で、昨年8月には2パーセントだったシリコンバレーの失業率も、今年8月には軽く5パーセントを越えてしまいました。米国全体でも、過去4年で最悪の5パーセントを記録していました。

今回のテロ攻撃は、それに追い討ちをかけるもので、会社の投資や個人消費の衰えが、更なる経済停滞を招くのは避けられないようです。分野別では、当然、航空業界のスランプが大きく、飛行機を失ったアメリカンとユナイテッド航空に限らず、運行再開後も乗客の足が遠のいたお陰で、ほとんどの航空会社で、フライトの大幅な間引きを余儀なくされました。航空会社全体で、10万人もの解雇が発表され、それだけに留まらず、ボーイングなどの関連企業や、タクシー業界、空港に支店を持つ飲食店などにも影響が及んでいるようです。
また、悪影響は旅行業界全般に波及し、もともと業績不振のせいで、企業の出張が制限されていたこともあり、傷に塩を塗り込むような状態です。当然、個人の旅行も控えられ、旅行代理店だけではなく、Priceline.com、Expedia.com、航空会社5社協業のOrbitz.comなどのオンライン旅行会社でも、売上が半減しているようです。旅行Webサイト最大手のTravelocity.comでは、300人以上の解雇と、一部のコールセンターの閉鎖を発表しました。今年夏には、ようやく各社黒字転換し、上向きになりかけていたオンライン旅行業界ですが、このままでは赤字転落してしまうかもしれません。
また、ホテル業界の落ち込みも激しく、大型ホテルチェーンの中には、建物の一部を閉鎖してしまったところもあるそうです。今後この業界では、全米で50万人が解雇や就業時間短縮を経験するようです。
旅行の落ち込みは、思わぬところに影響が出ていて、インスタント写真のポラロイドは、以前からの経営不振が進み、身売り話がいよいよ現実化しそうです。


【地域的な経済の落ち込み】

地域別に見ると、航空業界や観光が中心だった都市は、最も悪影響を受けると言われています。経済リサーチ会社、Economy.comの発表によると、サンフランシスコ、マイアミ、シアトル、アトランタなどが、テロの影響をまともに受けることになるそうです。直接被害を受けたニューヨークは、国に6兆円の補助を求めるそうで、個人や法人の寄付金等を合わせると、復旧にもかなり希望が持てるようです。
シリコンバレーのサンノゼは、もともとのスランプもあり、調査された40都市の中で最低の経済成長率が予想されています(テロ後修正された数値では、今年第2四半期から来年第2四半期まで、マイナス2パーセントの伸び率という結果です)。
一方、投資情報サービスのMoody’sは、ディズニーランドやハリウッドを抱え、エンターテイメントの首都とも言えるカリフォルニア州を、"要注意リスト" に入れると発表しました。これまでのエネルギー危機やインターネット業界の縮小に加え、今後の観光、航空業界の不振は、州全体に少なからず悪影響を与えるという予想からです。また、カリフォルニア州が足踏みすると、全米に波及効果が及ぶと言われています。

シリコンバレーでもさっそく悪影響が表われ始め、パロアルトに本社のあるサン・マイクロシステムズでは、19年の歴史の中で初めて、3900人の大量解雇を発表しました。世界貿易センタービルのオフィスでは、誰も失わないで済みましたが、その後2週間、まったく商売にならなかったらしく、9月までの四半期では、前期の3割減の売上になると予想されています。今回の解雇は、従業員全体の9パーセントになるそうですが、2割カットされてもおかしくない、と言うアナリストもいるそうです。
サニーベイルのチップメーカー、AMDでも、今期は前期に比べ2割の売上低下を警告していて、2千人以上の解雇が決定されたようです。その不安を受け、主にテクノロジー株が取引されるナスダックでは、取引再開後2週間で、市場全体の価値が34兆円も下がったそうです。
テクノロジー会社に限らず、ほとんどの企業では、消費者の買い控えの余波で、9月以降の成績不振は避けられないようです。いつになったら景気が戻るのか誰にもわからない状況にあり、今後、シリコンバレーでも全米でも、失業率は更に悪化していくようです。


【売上好調の分野】

経済的には黒雲がアメリカ全土を覆っているようなものですが、その中で確実に売上を伸ばしている企業もいくつかあります。当然の事ながら、空港などのセキュリティー関連企業がその筆頭に挙げられます。たとえば、ボストンにあるViisage Technology(ビザージ・テクノロジー)は、ビデオカメラが写し出した顔を認識し、データベースにある犯罪者の顔と照合するというテクノロジーを持ちます。顔のいくつかのポイントをピックアップし、それらのポイント間の寸法から、人の顔を認識する方法です。
この会社は、アメリカの報復攻撃が始まった翌日、さっそくある空港から2億円ほどの注文を受けたそうで、他の空港も右に習えすると思われます。今年1月のフロリダ州、タンパ・ベイでのスーパーボウル(フットボール)では、スタジアムに集まった観客7万人の顔を、試験的にひとりひとり認識し、19人の逃亡者を見つけ出したそうです(誰も逮捕されなかったそうですが)。既に、カジノや海外の空港では実用化されているそうで、この会社のCEOは、もしこのテクノロジーがボストンの空港に設置されていたならば、ふたつのハイジャックを未然に防ぐことができたと言っています(ハイジャック犯の何人かは、既にFBIのデータベースに入っていたそうです)。

このような人の認識テクノロジーは、バイオメトリックス(biometrics)と呼ばれ、顔全体だけではなく、指紋、手、目の虹彩などが認識に使われています。シリコンバレーにあるIdentix, Inc.では、指紋認識スキャナーを開発しており、建物に入る時や、コンピュータ・システムに入る時の確認方式を提供しています。この会社は、コンパック、デル、モトローラとパートナー関係にあり、既にこの分野では著名なようですが、テロ攻撃後、売上は早くも倍になったそうです。
また、やはりシリコンバレーにあるDrexler Technologyという会社は、身分証明書のチップに指紋情報を書き込み、セキュリティー・チェックポイントで本人かどうかを照合するテクノロジーを持ちます。テロ攻撃後、カナダ政府から発注を受け、各地の空港に設置されることが決まっています。アメリカでも、既に移民局はこのテクノロジーを採用しているそうです。
一般人の意識からすると、バイオメトリックスはプライバシー侵害の恐れがあるけれど、指紋の照合くらいはセキュリティーの観点から許せるらしいです。顔全体の照合に賛成する人が3割に満たない中、8割の人が、この際指紋照合くらいなら許せると思っているそうです。これらバイオメトリック・テクノロジーは特別新しいわけではありませんが、ここに来て急に、インフラストラクチャと需要が整ってきたと言えそうです。

その他、セキュリティー分野で成績を上げつつある企業としては、爆発物探知装置のInVision Technologies、武器残留物検知機のBarringer Instruments(乗客が持つラップトップのキーボードなどから爆発物や銃の残留物を検知する機器)、7月16日掲載の記事に出てきた、高性能X線写真のAmerican Science and Engineeringなどがあります。InVision社などは、特に市場の注目株で、9月11日以降、株価は5倍になったそうです。


【警備体制】

いくらテクノロジーが進み、ハイジャックやテロ活動を未然に防ぐ可能性が高くなったとは言え、やはり最終的に頼れるのは、人による警備です。全米の空港では、テロ攻撃後さっそく、機上やレストランから食事用のナイフが姿を消し、搭乗前の荷物検査が厳しくなり、爆発物発見の訓練を受けた犬が闊歩するようになりました。
また、10月に入り、M16ライフル銃を持った国家警備隊が、空港を守るようになりました。ヨーロッパの空港では珍しくない光景ですが、アメリカでは、湾岸戦争以来の緊急措置です。また、各航空会社に対し、米国運輸省は、90日以内に機内コックピットのドアを補強し、パイロットが乗客キャビンを監視できるように、ビデオカメラを設置するよう命じました。

こういったテクノロジーと人によるセキュリティー強化が、今後、空港だけではなく、駅、スタジアム、ショッピングモール、学校など、人が集まる場所を守ってくれますようにと、国民全体が切に願っている毎日です。

夏来 潤(なつき じゅん)

ヒューレット・パッカードとフィオリナ氏:1足す1は2でしょうか?

Vol. 23

ヒューレット・パッカードとフィオリナ氏:1足す1は2でしょうか?

2週間前のテロ攻撃で、忘却の彼方に去ってしまいそうなニュースではありますが、9月上旬、シリコンバレーのコンピュータ会社、ヒューレット・パッカードが、テキサス州のコンパック・コンピュータを買収することを発表しました。
この日、9月3日は "労働の日(Labor Day)" と呼ばれるもので、地下鉄や大手スーパーマーケットなど一部の雇用者が、経営者側と賃金交渉をしていた他は、家族とのんびり夏の最後を楽しむ一日でした。HPとコンパックの合併は、ウォールストリートの株式アナリストの間では、既に噂になっていた話だそうですが、一般人にとっては、3日間のウィークエンドをびっくり話で締めくくることとなりました。


【フィオリナ氏、最大の賭け】

今回のニュースに関しては、HP、コンパック両者とも、IT業界での自分達のあり方を模索していたようなところがあるので、そういう意味では有意義な合併になる、と評価するアナリストもいるようです。でも、大方の見方は、こんなに文化の違う2社がうまく融合できるのか、とか、結構やっていることが同じで、無駄がいっぱいあり、1足す1は2にはなれないかもしれない、といった懐疑的なもののようです。コンパックにとっては、1998年のデジタル・イクイップメント社買収での苦い経験という前科があるので、吸収する側のHPも同様にかなり苦労するだろう、と眉をひそめるアナリストや株主も多いようです。
また、14万5千人に膨れあがる新会社の従業員の中から、1万5千人を解雇することが既に決まっていて、雇用者にとっても、手放しで歓迎するような雰囲気ではないようです。特に、HPでは、合併を待たず、今年中に1万人以上が解雇や配置換えされる予定で、テレビなどで突然今回の合併話を知らされた従業員は、心中穏やかならず、といったところのようです。
株式市場でも、発表の翌日、HPの株価が19パーセント、コンパックは10パーセント下がりました。その翌日も、更に下落が続き、両社とも数年来の最安値を記録することとなりました。普通、合併話が発表されると、買う側の株は若干下がり、買われる側は期待を反映し、かなり上がる、というのがシナリオですが、今回は、投資家達の冷ややかな眼差しが、株価に如実に表われているようです。この合併の意義は、首切りで経費を切り詰めるところにある、という意地悪すら聞かれます。3兆円の値段がついた、HP株での買収も、たった二日間で、7千億円も価値が下がったらしいです(1ドル120円換算)。

HPのCEO(最高経営責任者)、カールトン(カーリー)・フィオリナ氏にとっては、コンパック買収を成功させることは、経営者としての信用巻き返しをはかる、またとない機会と言えます。2年前にCEOとなって以来、何かと話題にのぼってきた彼女ですが、最近は、シリコンバレーの皮肉屋の間では、いつまでCEOを続けられるか、とまで噂されていました。
その中には、ルーセント・テクノロジーズから引き抜かれた2年前、契約金が80億円ほどだったことへのやっかみもかなりあるようです(今は、年棒4億4千万円だそうです)。また、シリコンバレーの外からやってきたマーケティング屋の彼女が、今までヒューレットとパッカードが長い間かけて築き上げてきた、技術に重きを置き、人を大切にする会社文化(the HP way)を、著しく変えようとしている、という反発もあるようです。でも、それだけではなく、在任中必ずしも会社の業績が芳しくないことや、たとえばサン・マイクロシステムズのスコット・マクニーリーのように、過去に会社建て直しの経験がない、などの不安材料も否めません。
それに対し、フィオリナ氏は、サービス分野強化のため、プライスウォーターハウス・クーパーズのコンサルティング部門の買収を試み、それに失敗していただけに、今回の合併は、何としても成功させたい意気込みです。米国経済の低迷が続く中、これは、会社建て直しに向けた、彼女、最大の賭けと言えます。


【女性CEO】

この合併話は、これから両社の株主達の承認を受け、また、独占禁止の観点から、米国政府やヨーロッパ連合の認証が必要となります。お互い思いが変わり、途中で話がお流れになる可能性も、まったくないわけではありません(そうなると、お互いが違約金を支払うことになるそうです)。また、実現したとしても、成功、失敗の結果が出るのは、かなり先のことになります。
この買収に関し、フィオリナ氏の経営者としての才覚がうんぬんされるのは、本来、もっと先になるべきなのですが、発表翌日から、さっそく否定的な意見が大勢を占めるのは、若干公平さに欠けるところがあるようにも見うけられます。

勿論、今のパソコン業界の難しさを考えると、合併が問題解決には必ずしも繋がらない、という意見にうなずけるところはあります。また、オラクルのラリー・エリソンが耳打ちしていたと言われる、2社間のUnixサーバ分野での技術提携に留まっていた方が、ずっと良かったのかもしれません。
ただ、新会社のCEOとなるフィオリナ氏が、いきなり矢面に立たされている背景には、彼女が女性であることが多少なりとも影響しているのでは、という見方もできそうです。しかも、単に女性というだけではなく、9月6日に47回目の誕生日を迎えた、魅力的な女性、と来ています。表立って口にはしないけれど、そんな彼女にちゃんと経営ができるのかな、と疑問視する人も中にはいるようです。
男性が圧倒的にトップマネージメントを占めるハイテク産業で、HPのような、シリコンバレーを代表する企業の経営を彼女に任せるのは心外だ、と密かに思っている人も少なくないのかもしれません。もし彼女が、前クリントン政権の司法長官、ジャネット・リノ氏のような人だったら(背が高くて、がっちりしていて、パロディーショーの中では、必ず男優が真似をする人)、みんな "まあ、いいか" と納得していたのかもしれません(そのリノ氏は、ブッシュ大統領の弟、ジェブ・ブッシュ氏が知事を務めるフロリダ州で、来期の州知事戦に出馬しようと、元気にがんばっています)。

ところで、フィオリナ氏と並び、シリコンバレーの女性CEOとして有名な、ウェブ・ホスティング会社、エキソダス(Exodus Communications)のエレン・ハンコック氏は、HP・コンパック合併騒ぎの中、突然辞任を発表しました。
エキソダスは、ヤフーのホスティングで一躍有名になった会社ですが、最近は、顧客であるドットコム会社の不調や、ホスティング分野の変革に適応し遅れていたなどの理由で、経営がかなり難しい状況にありました。ハンコック氏は、会社の身売りもありえることを公にし、魅力的な買い手を探してもいましたし、経営安定のため投資を募ってもいました。
その彼女は、IBMで重役まで勤め上げた後、ナショナル・セミコンダクターとアップル・コンピュータを経て、3年前エキソダスに入り、昨年6月、CEOに就任しました。ハイテク産業30年のベテランですし、シリコンバレーでもかなりの経験があります。でも、ビジネス環境が急激に悪化する中、彼女の元の雇い主IBMや、電話会社ワールドコム、そしてアメリカに触手をのばしつつある、イギリスのケーブル&ワイアレスなどの競合会社を相手にし、四苦八苦していたようです。
彼女は、以前、サンノゼ・マーキュリー紙のインタビューで、経営者としての一番のチャレンジは、会社を存続させることではなく、ウォールストリートの期待に応えることだ、と言っていたそうです。今回の急な辞任の理由は、明らかにされてはいませんが、もしかしたら、ウォールストリートからの黒字転換のプレッシャーに、少し疲れたのかもしれません。自分のスタッフが気に入らないと、トップクラスの重役でも辞めさせるほどの強い経営者ではありましたが、アナリストや株主達のシビアな眼差しや、経済という気難し屋には、いかに彼女でも勝てなかったのかもしれません。
でも、彼女が辞めるニュースは市場に不安感を与えたようで、この日株価は4分の1下がり、65セントになりました。今は、何をしても市場に気に入られないサイクルに入っているようです。

その後、いよいよエキソダス社は会社更生法の適用を申請するようだ、という噂が流れ始め、株価は更に下落しています。ハンコック氏の辞任は、巨額な負債を抱えた会社を一気に再編するための、準備事項のひとつだったのかもしれません。


【コンパック・ブランド】

ところで、コンパック・コンピュータと言えば、気になることがあります。気が付かれた方も多いと思いますが、半年前、"コンパック・センター" と名前を変えたサンノゼ市のアリーナが、今後何と呼ばれるのか、です。HPとの合併が実現した暁には、"HPアリーナ" と変更されるのかは、まだ何ともわかりません。でも、少なくとも、シリコンバレーの住人にとって、"HP" の方がしっくり来る名前で、今後15年間つきあってもいいかなと思える選択であることは確かなようです。

そのコンパック・アリーナでは、9月20日、テロ攻撃後初めてのスポーツイベントが行なわれました。ここを本拠とするアイスホッケーチーム、サンノゼ・シャークスのシーズン開幕前のエキシビション・ゲームです。駐車場や入り口では、厳しいセキュリティー・チェックが行なわれ、おまけにシャークスの負け試合でしたが、ファン達はホッケーを楽しめるだけで満足そうな様子でした。

現在、全米のスタジアムの上空は、無飛行地帯(no-fly zone)となっており、スタジアムの廻りも厳しい警戒体制が敷かれています。少しでも早く、以前の平和な状態に戻って欲しいものです。

夏来 潤(なつき じゅん)

米国本土攻撃:シリコンバレーでの一日

Vol. 22

米国本土攻撃:シリコンバレーでの一日

悪夢に何回もうなされた一夜が明け、二度目の攻撃がアメリカを襲っていないことに感謝しながら、翌日を迎えました。日本人にとっては大変抵抗がありますが、9月11日のテロ攻撃は、米国市民にとって、60年前の真珠湾攻撃を彷彿とさせる衝撃的なもので、それだけに、市民としての団結をいっそう強める出来事と言えます。
また、今回の惨事は東海岸を襲ったものではありましたが、ハイジャック機が4機ともカリフォルニアに向かっていたため、ベイエリアでも犠牲者が出ています。そういう意味で、居住地に限らず、アメリカ全体が、自分達の事として悲しみを抱いているようです。

西海岸の午前6時前に最初の惨事が起きた後、金融の中心地のひとつであるサンフランシスコでは、早々と、市庁舎、裁判所、連邦政府ビル、金融関係のビル(名物のトランズアメリカ・ピラミッドビル等)が閉鎖されることが決定されました。続いて、サンフランシスコ国際空港や市内のすべての学校も閉鎖されました。交通機関は平常通り運行しましたが、金融街から家路につく人達でごったがえし、一時は車が動かない状態だったようです。その後は、街はゴーストタウンとなってしまいました。州議事堂も閉鎖され、送電基地や水源地、ゴールデンゲイト・ブリッジなどの主な橋の警備が強化されました。

ピア39、アルカトラス島などの観光地や、ベイエリアすべてのショッピング・モールも閉鎖され、オペラ、シンフォニーなどの催し物も延期となりました。メイジャー・リーグ野球は全米で延期され、少なくとも9月14日までは再開しません。1963年のケネディー大統領暗殺の二日後には、早々と試合を再開したフットボール・リーグも、今回ばかりは、週末の試合を決行するかは、まだ判断していません。

デイビス・カリフォルニア州知事が、"今日は一日、家族と一緒に、家で静かに過ごしてください" と促したこともあり、シリコンバレーのエンジニアの間では、家で仕事をするように変更した人も多かったようです。ヒューレット・パッカード社では、重役以外はテレコミュート(在宅勤務)が指示されたようです。テクノロジー会社では、FBIと協力し、テロ活動に向け、システム強化を試みたようです。全米中の飛行場が閉鎖されたお陰で、出張先から戻れない人も続出し、一部の人は、レンタカーでの大陸横断を試みています。エンジニアの友とも言えるスターバックスも店を閉め、この日ばかりは、皆お好みのカフェイン飲料をあきらめました。テレビに釘付けになり、家で仕事が手につかなかったエンジニアも少なくないと思われます。

アメリカ本土に向けたテロ活動は、かえってアメリカ人の愛国心や隣人愛をかき立てたようで、惨事の起きたマンハッタンに限らず、全米中で献血活動がすぐに始まりました。復興に向けた基金も設立され、募金活動も始まりました。また、夕方から各地の教会でミサが行なわれ、見ず知らずの犠牲者のため、冥福を祈る人達が集まりました。コミュニティーの仲間を思う心を、何かかたちのあるものにして表したい、ということのようです。ショッピング・モールや、ディズニーランドなどのレジャー施設が閉鎖されたのも、たくさんの人が集まる場所で、テロのターゲットとなり易いこともありますが、犠牲者を尊重するという意味もあるようです。生き埋めになっている人達の救助活動が行なわれている時に、自分達だけが楽しむのは不謹慎だ、という気もあります。

でも、中には不謹慎そのものと言える人もいて、eBayやYahooのオークション・サイトには、世界貿易センターに飛行機が突っ込むビデオテープや、崩壊したビルの破片をオークションにかける人が続出したそうです。さすがに、両社とも、すぐにそういった品物は、サイトから排除したそうです。また、オクラホマ州などでは、ガソリンの値段が急騰し、1ガロン5ドルと、2倍以上に跳ねあがったそうです。皆がガソリンスタンドに殺到し、供給が間に合わないという理由だそうですが、それも怪しいものです。レンタカーで家路を急ぐビジネスマンを相手に、レンタル料を2倍に吊り上げた会社もあるそうです。ロスアンジェルス空港では、レンタカー自体が一台もなくなったそうで、数倍高くても払う、というお客もいたのかもしれません。でも、こういった人の足元を見た行為は、あくまでも例外のようですし、いつまでも続くことはないようです。

一夜明け、救助活動が引き続き行なわれているマンハッタンや首都近郊以外は、静かな一日となりました。カリフォルニアでも、さっそくオフィスや学校に戻ったり、店を開けたりと、平常通りとなりました。でも、さすがに皆表情も硬く、あまり笑い声も起きない雰囲気のようです。何となく、皆で喪に服しているようでもあります。

シリコンバレーの会社の中にも、犠牲者が出た会社がありました。サン・マイクロシステムズでは、貿易センターでの雇用者は皆無事でしたが、センターに激突した飛行機で、ひとりを失ったそうです。シスコ・システムズでもひとりを失い、今後の救助・復興活動のため、7億円を寄付しました。
また、ペースメーカーなどを作る医療会社では、重役のひとりが、サンフランシスコへ向かう途中、命を失いました。正義感の強い彼は、奥さんとの携帯電話で、一時間前に起こった貿易センターでのふたつの惨事を知り、他の数人と協議した結果、ハイジャッカーを襲うことにしたらしいです。それを知らせた4回目の会話の後間もなく、ピッツバーグ郊外に飛行機は墜落しました。彼らの決断がなければ、ホワイトハウスもまた、炎上していたのかもしれません。

今回の惨事では、国籍を問わず、世界貿易センター、国防総省、またはピッツバーグ郊外で犠牲になった方をご存じの方もいらっしゃるかと思います。心からご冥福をお祈りいたします。

夏来 潤

残暑お見舞い:アメリカ式怪談

Vol. 21

残暑お見舞い:アメリカ式怪談

日本は今年、かなりきびしい暑さが続いたうえに、台風の後も暑さがぶり返したと聞いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。暑いときには冷えたビールか怪談と相場が決まっておりますので、お盆は過ぎてしまいましたが、ここで一席。

実は、お化けの話というのは、何も日本やヨーロッパのように歴史の長い国々の専売特許というわけではなく、白人社会としては建国から短いアメリカでも、各地にいろんなお話が語り継がれています。悲しい死のあるところ、どこにでも伝説が生まれるようです。たとえば、南北戦争に纏わる怪談は、バージニア州を中心に多く残されていますし、ジャズとカーニバルで名高いニューオーリンズやプランテーションで栄えたジョージア州など南部にも、悲喜こもごもの人生劇が言い伝えられています。

そんな中で、今回はカリフォルニア州に限って、三つの悲話をご紹介いたしましょう。


【第1話:サニーベイル】

意外なことに、シリコンバレーのお膝元、サニーベイル市(Sunnyvale)にも有名なお話があります。エル・カミーノという幹線道路沿いにあるおもちゃ屋、トイザラスにお化けが出るらしいです。別に、おもちゃを買ってもらえなかった子供達の恨みがこもっているわけではありません。男の人の幽霊が、女性従業員の肩に触れたり、髪をさわったりするというのです。女性トイレや倉庫の中にひとりで入った従業員は、ほとんど全員が経験していると言います。

シリコンバレーの位置するサンタクララ・バレー(谷)は、豊かな堆積土と温暖な地中海性気候を持ち、19世紀中頃から果樹園経営などで栄えた、農業の中心地でした。以前は、"アメリカのプルーンの首都(Prune Capital of America)" とも呼ばれていたようです(プルーンとは西洋スモモのことで、これを干したものは、健康食品として好まれてきました。また、既にご存じの通り、シリコンバレーという地名は、地図上にはありません)。

サニーベイルは、この谷のちょうど真ん中にあり、1844年のアイルランド系移民の入植から発展した、農業と鉄道駅の街だったようです。件(くだん)のトイザラスは、サクランボやプルーンの果樹園で成功した一家の敷地跡に建っています。この一家には美しいお嬢様がいて、彼女に密かに恋心を抱く若い使用人がいました。身分の違う彼が告白できるはずもなく、間もなくお嬢様は、ある金持ちの男性と結婚することになりました。その知らせに自暴自棄になった使用人は、薪を割る斧を手荒に扱い、間違って自分の足に突き立ててしまいました。広い屋敷では助けはなかなか来ず、出血が止まらない彼は、失意の内に息を引き取ってしまいました。

ベイエリアに住む有名な霊媒師シルビア・ブラウン氏は、トイザラスの幽霊は、お嬢様への恋心を胸に死んでいった、この使用人だと言います。光の中をさまよい、現代に迷い込み、トイザラスの従業員の中に、未だにお嬢様を探し求めているのだと。

10年ほど前、ブラウン氏自ら、トイザラスでお払いをしました。"あなたは、現代に迷い込んでいるのよ。だから、このろうそくの光を頼りに、自分の時代にお帰りなさい。お嬢様はもう、ここにはいないのだから" と。女性従業員数人の力を借り、本格的にお払いを行なったはずでしたが、不運なことに、効果はなかったようです。相変わらず、幽霊が出没しては、従業員を怖がらせているそうです。"それほど深く、彼はお嬢様を愛していたのでしょう。それにしても、こんなに強い霊は珍しい" とのブラウン氏の談でした。


【第2話:サンディエゴ】

カリフォルニアの南端の街、サンディエゴにも、広く知られたお話があります(聞かれた方も多いかもしれません)。サンディエゴの郊外にある海岸沿いの高級リゾート、コロネイド(Coronado)には、1888年から営業している老舗、ホテル・デル・コロネイドがあります。白い壁に赤いドーム型の屋根を持つ有名なホテルですが、ここがお話の舞台となっています。

1892年11月、ケイト・モーガンという女性が、3502号室にチェックインしました。彼女から遠のいてしまった夫と、ここで、サンクスギヴィングのディナーを取る約束をしていたからです。でも、彼は指定されたレストランにはとうとう現れず、数日後、ケイトは死体となって、海に向かうホテルの階段で発見されました。頭部に銃で撃たれた傷があり、思い余って、自殺したのではないかと推測されています。

それ以来、ホテルの従業員や宿泊客は、不思議な音や霊気を含んだ風を感じ始め、それだけではなく、いくつかのゆがんだ顔や、黒いレースのドレスを纏った若い女性の姿を見かけるようになったそうです。超自然現象の専門家もこれを確認しているそうで、ケイトという女性の、報われなかった愛の結末だと語り継がれています。遺体が発見された場所は、今はテニスコートになっているそうですが、彼女は、3312号室に夫を探しに来るらしいです。


【第3話:エル・ドラード】

1849年から始まったカリフォルニアのゴールドラッシュは、シエラ・ネバダ山脈のふもとにいくつかの街を生み出しました。サンフランシスコからタホ湖に向かうハイウェイ50号線の途中、プラサビル(Placerville)も、そういった街のひとつです。エル・ドラード郡(スペイン語で黄金郷)と名付けられたこの一帯は、まさにゴールドラッシュ誕生の地だそうです。

プラサビルの目抜き通りは、今も19世紀中頃の趣を残し、西部劇の中に迷い込んだような錯覚を感じさせます。この街はもともと、ドライ・ディギングス(Dry Diggings)と呼ばれていました。水にさらされ砂金をより分ける前の、乾いた採掘物そのもののことです。
何とも味気ない名前ではありますが、街が金で栄え始めた頃に付けられた次の名前は、もっと殺伐としています。ハングタウン(Hangtown)といいます。つまり、首吊りの街です。人口が急増するにつれ、金鉱堀の人達から金を盗む輩(やから)が増えたそうですが、人権も守られていないこの時代には、捕まった者は即吊るし首となっていたことから、この名前が付いたそうです。
街の婦人達がその名を好むはずもなく、間もなく文明の匂いのするプラサビルに替わりましたが、この街のお化け達は、どうもこのハングタウンの頃から住みついているようです。しかも、皆、あまり心静かではないらしいです。

Hangman’s Tree Historic Spotというバーに行くと、そういったひとりに出会えるそうです。でも、ここのお化けは、裁判もなく即死刑となった恨みを抱く他の者とは違い、死刑を執行していた張本人だと言います。ウィリーと名のるこの男は、街の人達によると、死んだ後も、街の様子をつぶさにチェックしておきたいらしく、時々このバーで現世の人と対面するらしいです。バーテンダーは、ウィリーを直接見たことはないけれど、見えない誰かがいるのは、はっきりとわかるそうです。また、何か物を置いたりすると、気が付いてみると、そこから物がなくなっていて、あとでひょんな所から出てきたりするそうです。勿論、その時近くには誰もいないと言います。

お向かいのホテルにも、ゴールドラッシュ以来の幽霊が住んでいるようです。こちらは、金を運搬する馬車を専門としていた強盗、ブラック・バートという男だそうです。サンフランシスコに向かう金塊は、必ずこのホテルのロビーを通っていたそうで、今でも仕事場に舞い戻って来ては、次の収穫を虎視眈々と狙っているのでしょうか。ホテルの案内人が、宿泊客にブラック・バートのことを紹介し、"死んだ後でも、彼はいろんなトリックを披露してくれるんだよ" と言うが早いか、部屋のランプが、ご希望通り、突然点滅したりするそうです。

このように、エル・ドラードの街、プラサビルは、未だにこの世に別れを告げられない魂に満ちているようです。そして、自分に興味のある現代人に出遭ったりすると、嬉々として、いたずらをしかけてくるのです。


【後記】

第1話でご紹介したサニーベイルのトイザラスは、幹線道路El Camino Real(別名82号線)とCezanne Driveの角にある、ショッピング・エリアの中にあります(エル・カミーノ上、北に向かって左手です)。サンノゼ市の観光(お化け)名所、ミステリー・ハウス(Winchester Mystery House)もそう遠くない所にありますが、シリコンバレーの出張のついでに、とても行き易い場所にあります。

夏来 潤(なつき じゅん)

Peapod:もうひとつのオンライン・スーパーマーケット

Vol. 20

Peapod:もうひとつのオンライン・スーパーマーケット

"あんたもしつこいねえ" と言われそうですが、前回の主役Webvan社が狙っていた分野、オンライン・スーパーマーケットについて、もう少し書かせていただきたいと思います。と言いますのも、もうちょっと死ぬ気でがんばっていたら、じきに黒字転換し、閉店することはなかったのかもしれないとか、実は、ほんの少し時代を先取りしていただけで、あと数年してカムバックしたら、立派にやっていけるのかもしれない、などの意見をたくさん耳にするからです。

前回は、まったく触れませんでしたが、この業界のプレーヤーは、何もWebvan社だけではありません。2年前のインターネット・フィーバーの最中、業界はWebvanを筆頭に、HomeGrocer、ShopLink、Streamlineなどのオンライン専門のお店で独占されていました。
今となっては、Webvanに買収されたHomeGrocerも、ShopLinkも倒産しています。Streamlineも閉鎖寸前に買収され、のれんは消えてしまいました。追い討ちをかけるように、Webvanが店じまいを宣言した3日後、ボストンを本拠に営業していたHomeRuns.comも、最後を迎えました。もともと東海岸を中心に35ほどあったドットコム・スーパーも、今は半分以下になっているそうです。現在、全国的に幅広く営業を続け、Webvanほど知名度のある会社は、一番の老舗、Peapod社(Peapod, Inc.)です。

"エンドウ豆のさや" という名のこの会社は、競合会社をはるかに先取り、1989年、中西部イリノイ州で設立されました。当初は、シカゴ郊外で食料品宅配業として始まりましたが、ほどなくインターネットに移行し、シカゴを拠点に、ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコで営業を開始しました。その後テキサス州、オハイオ州に触手を伸ばし、更にStreamlineの買収で、コネチカット州南西部と首都ワシントンDCにマーケットを広げました。
過去8年間、毎年倍の売上を達成しては来ましたが、黒字経営には未だ至っていません。業績不振が続いたおかげで、約束された投資も断られ、資金繰りがいよいよ怪しくなった昨年4月、オランダのスーパーマーケット業界の巨人、ロイヤル・アホールド社(Royal Ahold NV)が58パーセントの株を買い占め、Peapod社再建に乗り出しました。昨年は、経営改革の一環として、テキサス州とオハイオ州から完全撤退し、続いて、サンフランシスコの営業も停止しました。現在シカゴと東海岸のマーケットでは、12万人ほどの顧客を持ちます。
スーパーマーケットのチェーンとして世界第3位の売上を誇るロイヤル・アホールド社は、米国東海岸に、ジャイアント・フードとストップ & ショップというふたつのチェーンを持っており、アメリカでの商売にも手馴れたものです。その購買力を利用すると、Peapod社の売上マージンも3割ほどになるようです。しかし、配送センター、配達トラック、運転手などの諸費用を引くと、手元には何も残らなくなるそうで、今のところ黒字転換はできていないようです。昨年は、Peapod全店で116億円の売上に対し、71億円の赤字でした(1ドル125円換算)。
それでも、本拠地シカゴの運営は今年前半黒字となり、2003年には全社で健全経営に持っていきたいという意気込みです。そして、競合Webvan社が倒産宣言した一週間後、アホールド社が残りの42パーセントの株を買うことを発表しました。完全にアホールド傘下に入ったことで、Peapod社は更に大型チェーンの有形、無形の恩恵を得ることになり、財務的な建て直しに希望が出てきました。倒産した多くのドットコム・スーパーのお陰で、注文の方も急増しているそうです(WebvanやHomeRuns.comと争っていたシカゴ、ボストン、ワシントンDCでは、Peapodの単独営業となり、残るニューヨーク、コネチカット州南西部では、もともと有力な競争相手はいなかったそうです)。

日本にも以前から、夕食の食材を献立のヒントと一緒に宅配するというサービスがあったようですが、アメリカでも、小さな個人店がお得意様に食料品雑貨を配達する商売が、根強く支持されているようです。日本のように、電車通勤の帰りに駅ビルでお買物ということができないので、こういったサービスを生命線としている人もいるようです。
サンフランシスコ市のお店、Cal-Martは、50年前のおじいちゃんの代から営業しているそうです。最近Webvan社にヒントを得て、従来の電話・ファックスに加え、Eメイルでも注文を受け付けるようになりました。一方、近郊のサンタクルーズ市では、PedXというビジネス書類の自転車配達業が発展し、食料品の宅配も扱うようになりました。街で一番大きなマーケット・チェーンもパートナーとして獲得し、配達量を増やしたばかりではなく、近所のすし屋やパン屋からも配達するなど、幅広い協賛店を得ているようです。豊かな緑と美しい海岸線に恵まれ、昔ながらのたたずまいを残すこの街では、宅配も自然環境にやさしい自転車が支持されているようです。

このように、家の前まで食料品雑貨を持って来てほしいという需要は、古今東西、常に存在するようです。特に、忙しい毎日を送る現代人の間では、消えることはまずないでしょう。増してや、インターネットという便利なものが市民権を得ている現在、もっと効率を求め、新しい手法のサービスに群がる時代の先行派も、少なくないはずです。病院の詰め替え用の薬すら、インターネットで注文し、家まで郵送してくれる時代です。便利なものが受け入れられないはずはありません。
WebvanやPeapodなど、一見便利そうなサービスがなかなか成功しないのは、インターネット上ではこの手の商売が発展しないのではなく、ひとえに第一世代のプレーヤーのやり方がまずかったからと言えるのではないでしょうか。オンラインであろうと、オフラインであろうと、お店の存続は、堅実な経営に掛かっています。必要なコストは、投資に頼らず、お客様から回収するというが基本ルールのはずです。
たとえば、配達コストですが、個人経営のCal-Martでは、軽トラックでの市内配達に一律10ドルを取っていますし、PedXでは、"生活可能レベル" を保つ配達人が漕ぐ距離に応じ、8ドルから40ドルを徴収しています。それに比べ、最新鋭の冷蔵トラックを揃え、運転手の待遇も良かったWebvan社では、一件100ドルの注文に対し、20ドルから25ドルの配達コストが掛かっていたのではないかと言われます(リサーチ会社、ガートナー・グループの分析結果)。実際は、前回触れたように、100ドル以上の注文では配達料は取っていませんでしたので、ほとんどマージンのない売上では、一世帯配達する毎に、確実にお金を失っていきます。
そればかりではなく、食料品雑貨販売の新参者であるWebvan社は、仕入れの際、かなり不利な立場にあったようです。本人達は否定してはいましたが、普通のスーパーマーケットと比べ、かなり高い値段での仕入れを強いられていたようです(リサーチ会社、フォレスター・リサーチの見解)。既存のスーパー・チェーンには、長い時間かけて築き上げた卸売り業者との信頼関係や、大量仕入れの持ちつ持たれつの関係があります。これに対抗するには、彼らと同等の売値にするなど、どこかで無理をしないとやっていけなかったようです。完全にアホールド傘下に入ったPeapod社の場合、この点では保証されていると言えます。

一方、当然の流れとして、業界の素人達に対抗しようと、全米に販売網を持つ巨大スーパー・チェーンも、インターネットでのデビューを果そうとしています。ベイエリアを本拠とするセーフウェイ(Safeway Inc.)は、テキサス州でオンライン・スーパーを始めていましたが、最近、イギリスの同業者テスコ(Tesco PLC)がこれに参画しました。そして、従来のビジネス・プランを変更し、単独で営業していた配送センターをすべて閉鎖し、各店舗から個別に配達を行なうという、イギリス流のコスト削減方式を採用したようです。テスコは、この戦略で、本国でのドットコム経営に成功し、オンライン部門では売上世界第1位の座を誇っています。
また、アイダホ州に本社のあるアルバートソンズ(Albertson’s, Inc.)では、シアトル近郊の40店舗でインターネットの注文を受け付け始め、翌日宅配に加え、顧客が店に出向くなら、即日ピックアップできるという選択肢を設けています。この方法だと、オンライン・スーパーにとっても配達コストの削減になるし、顧客にとっても必需品がすぐ手に入り、しかも店のレジで並ぶ必要がないという特典付きです(アメリカのレジでは、長い列が常識となっているので、お店での買物を嫌う人が結構いるようです。このことが、スーパーマーケットに限らず、小売業をオンライン化するひとつの原動力ともなっているようです)。

ベイエリアでは今、WebvanやPeapodなどの主だったドットコム・スーパーが、姿を消してしまいました。また、遅まきながら始まった有力チェーンのオンラインサービスも、まだここまでは到達していません。既に下準備が完了している消費者の間では、次に出てくるオンライン・スーパーが、明らかな勝者になるのかもしれません。

ドットコム・フィーバーは早くも過去の話となってしまいましたが、これからは、より堅実な、地に足のついた経営が求められています。オンライン・プレーヤー達が、この100兆円産業、食料品雑貨販売で生き残っていくためには、従来の店舗型スーパー・チェーン(bricks-and-mortar grocery chains)との協業体制も、不可欠な条件なのかもしれません。スーパーマーケットがこの世からなくなることは、まずあり得ないはずですから。

夏来 潤(なつき じゅん)

Webvanの撤退:食料品雑貨はインターネットでは流行らない?

Vol. 19

Webvanの撤退:食料品雑貨はインターネットでは流行らない?

先日、アメリカのインターネット業界で、またひとり姿を消しました。しかも、ドットコムの代表選手とも言えるプレーヤーです。サンフランシスコ空港のちょっと南、フォスター・シティーに本社のある、Webvan社(Webvan Group Inc.)というオンライン・スーパーマーケットです。
名前の通り、この会社は、一般家庭がWebサイトで注文した食材や日常雑貨を、冷蔵庫付きのトラック(van)で宅配してあげるという商売をしていました。不幸なことに、7月中旬、志なかばで資金が行き詰まり、お店をたたんで、倒産・債権者からの保護を裁判所に申請しました。その後は資産を売却し、事業を続けるつもりはないということです。
以前から資金繰りが難しいという理由で、会社の存続が危ぶまれてはいましたが、突然の店じまい発表に、解雇された従業員もこのサービスに頼りきっている顧客も、びっくりさせられてしまいました。それと同時に、来るものが来たかという感じも否めません。

Webvan社は、1996年12月、書籍・CD販売のチェーン店、Borders Booksで成功したルイス・ボーダーズ氏によって設立されました。翌年から2年半を資金集めと事業計画に費やし、実際の事業運営は、1999年6月にサンフランシスコ・ベイエリアから始まりました。
この年のドットコム・フィーバーに乗り、5ヶ月後には異例の早さでナスダック株式市場公開を果し、翌年6月には競合会社、HomeGrocer.comを買収するなど、前途洋々に見うけられました。ソフトバンク・ベンチャーキャピタル、ゴールドマン・サックス、Amazon.comなど名だたる投資会社や企業は言うに及ばず、インテル社創始者のひとり、アンディー・グローブ氏などの有名人が資金を出し、株公開までに実に1000億円が集まったと言います(1ドル125円換算)。また、株公開では、500億円ほどを調達しました。マーケットもベイエリアから大きく広がり、最盛期には、シカゴ、ダラス、アトランタと西海岸の合計10都市で事業展開していました。

しかし、昨年後半から経営に翳りが見え始め、今年に入りダラス、アトランタ、サクラメントでの事業撤退を余儀なくされ、千人の従業員を解雇しました。また、計画していたボルティモア、ニュージャージー州北部、首都ワシントンDCへの進出は、やむなく延期となりました。
株価は下がる一方で、公開時点で34ドルを記録した株も、昨年末には1ドルを切ってしまいました。下降線は更に続き、9セントまで落ち込んだ7月初め、ナスダック除名処分を回避すべく、25株を一株とする "逆スプリット" をしました。しかし、株価は復活することなく、新たな資金集めも困難な状況となり、今回の倒産宣言となりました。

ドットコム会社が失敗する時にいつも指摘されることですが、商売の仕方が堅実ではなかったことが、Webvan社の経営悪化・倒産の一因となっているようです。商売を始めた地域でも、まだ黒字になってはいないのに、早急に全米各地に手を広げすぎたということのようです。
特に、食料品雑貨を扱い、その品揃えと迅速な宅配を売り物とするとなると、近代的な配送センターを建て、巨大な在庫を抱えるだけではなく、冷蔵トラックを揃え、仕分けや配達のため人を待機させていなくてはなりません。シカゴ、アトランタ、そしてお膝元のオークランドに建設した配送センターは、それぞれ40億円以上かかったと言います。これだけ設備投資してしまうと、よほど顧客が増えなければ、健全経営は難しくなってしまいます。顧客数は、一番多かった今年初め、全米で76万人に昇りました。しかしそれも、経営が悪化し始めた昨年後半から急激に立ちあがったもので、それまでは、20万人にも満たない状態でした。

それでは消費者にとって、Webvan社のサービスは、いったいどうだったのでしょうか。お客様の立場から考えると、便利でもあり、またある意味で、不便とも言えるようです。圧倒的に便利と支持するのは、定期的に食料品や日常雑貨の買物に出にくい事情の人達です。赤ちゃんや幼児を持つお母さん達、長い時間会社に拘束される独身者や共働きの奥様方、車の運転を止めてしまった退職組、それに、視力や歩行に障害を持っている人などです。今まで、仕事と子供の学校の送り迎えで、時間の遣り繰りに苦労していたお母さんにとっても、前日にインターネットで注文するだけで、指定した時間帯にドアまで持って来てくれるなんて、こんなに便利なことはありません。それに、野菜やお肉は新鮮だし、値段も普通のスーパーマーケットと比べ決して高くはない、と来れば言うことはありません。これで、忙しいお母さん達の頭痛の種は、ひとつ解消です。

一方、不便とされるのは、ミルクやパンなどの必需品が、すぐに手に入らないということです。遅くとも前日の夜までに注文しないと、翌日宅配はできません。それに対し、消費者の間では、"朝ご飯のシリアルに入れるミルクとバナナがなくなったから、今日は帰りにスーパーでお買物しなきゃ"、という "思いつき型" の人が少なくないはずです。一週間分のお買物を、パソコンの前で綿密に計画できるという人は、案外少数派なのかもしれません。また、"手に取ってみないとイヤ型" の消費者も多いようです。バナナはガス室から出したばかりの緑のもの、トマトは真っ赤に熟したものなどにこだわる人は、他人様の事情でそのポリシーを左右されたくはありません。

自分でお買物すればタダなのに、配達にお金を払うことが気に入らない消費者も結構いたようです。"一定金額以上の購入は無料宅配" が当初からの売り物ではありましたが、経営不振に伴い、100ドル以上の買物は無料のままですが、100ドル以下では5ドル、更に75ドル以下では10ドルの配達料金を徴収するようになりました。決して高い料金ではありませんが、時間を取るか、お金を取るかの選択になった時、よほどのお金持ちは別として、かなりのアメリカ人はお金を取るようです。日本人とは異なり、少々質が悪くても、より安価なものを好むアメリカ人気質が、ここに如実に現れているようです。

お金より時間の節約を取った人でも、自分で指定した時間帯に家にいなくてはいけないのが、お気に召さなかったお客様もいるようです。時間帯は60分未満と短く、電話・ケーブルテレビ会社が設置サービスに指定する4時間と比べれば、何でもありません。それでも、度重なってくると、拘束されているような気分になるらしいです。インターネットで注文しているのだから、すぐに持って来てほしいという希望もあったのかもしれません。

Webvan社にとっては、こういったわがままな消費者を納得させ、顧客層を広げるという難題に立ち向かうことになりました。また、実務レベルでは、配達をいかに効率的に行なうか、などの頭の痛い課題もありました。マンハッタンやサンフランシスコの住人は別として、都会で働いていても郊外に住んでいる人達がかなりいます。特に、家族を持っていると尚更です。こういう郊外の住宅地に配達するとなると、広い地域をカバーするため、時間当たりの配達が少なくなり、配達コストがかさんできます。物流のプロ、フェデラル・エキスプレス社が時間当たり30件ほどの配達をするのに比べ、Webvan社はその10分の1しか宅配できていなかったようです(FedEx社の創設者、フレデリック・スミス氏とサンノゼ・マーキュリー紙記者との懇談)。これでは、よほど高い配達料を取らないと、運転手の給料はおろか、ガソリン代も出なくなってしまいます。

結局、Webvan社のビジネスには、初期投資や顧客拡大のマーケティング活動などの莫大な支出を補うため、事業運営の思いきった効率化が求められていました。ところが実際は、お膝元のオークランド配送センターは、常に最大能力の25%ほどの稼動率で、他の地域でも、黒字運営は、ロスアンジェルス近郊の倉庫だけだったと言います。おかげで、昨年一年間の実績は、全米で325億円の売上に対し、517億円の赤字だったそうです(HomeGrocer.comの買収を含む)。
投資や株式公開で潤沢にあった資金も、昨年末には、銀行に265億円しか入っていなかったらしく、よほど出費を切り詰めないと、今年一年を乗り切るのは難しいという経営状態でした(奇しくも、前述のスミス氏は、2年前の株公開時点で、既にWebvan社の倒産を予言していたそうです)。

創始者、ルイス・ボーダーズ氏にとって、Webvan社の成功は、更に大きな夢を実現させる第一歩でしかなかったようです。インターネットで、ありとあらゆる物を家庭に配達する仕組みを作る、という夢です。パソコン、洋服、ドライクリーニングなど、消費者が日常必要とする物は何でもです。
ミシガン州のたったひとつのお店から、書籍・CD販売の全国チェーンを築き上げたノウハウを活かし、ボーダーズ氏は自ら、Webvan配送センターや在庫管理のプロセスを計画しました。また、理論派の彼は、何をどのくらい、トラック何台で配達すると一番効率的かなど、数式を使って研究していたそうです。しかし現実は厳しく、間もなくプロのコンサルタントに経営を譲り、今年初めには、取締役会からも退陣しました。そして今回の倒産で、"100兆円産業である食料品雑貨販売の、旧態依然とした仕組みを切り崩す!" というひとつめの目標すら、実現できない結果となってしまいました。

大多数の消費者にオンライン・ショッピングをさせるまでには至らなかったWebvan社ですが、それでも、熱烈なファンは、ひとりやふたりではありません。そして、いつかはきっと戻ってきてね、というラブコールもたくさん聞かれます。
でも、一番のファンは、解雇された二千人の従業員ひとりひとりに、900ドルのプレゼントをした奇特な人かもしれません。今回の倒産では、従業員は全員、退職金もなく突然解雇されてしまいましたが、誰かが名乗りもせず、合計2億円をポンと寄付したそうです(誰が寄付したのか、未だに謎だそうですが、少なくとも、ボーダーズ氏、会社の重役達、取締役会のメンバー、投資会社など、会社の身近にいた人ではないようです)。

この謎の人物にとって、Webvan社の閉店は、仲良しの友達が遠くに引っ越してしまったような出来事だったのかもしれません。
それにしても、とっても大きな "ありがとう" ではありました。

夏来 潤(なつき じゅん)

最高裁の決定:テクノロジーとプライバシーはどちらが優先?

Vol. 18

最高裁の決定:テクノロジーとプライバシーはどちらが優先?

アメリカではどうも、たくさんの家庭が天体望遠鏡を持っているようです。実際の統計を見たことはありませんが、結構普及しているように見うけられます。ところが、これら望遠鏡の中には、どう見ても星の観測ではなく、人の家の観察に使われているものもあるようで、見晴らしの良い丘に建つ豪邸や都会の高層マンションなどでは、欠かせない小道具となっているようです。でも、これはまだ罪が軽い方で、夜間カーテンが開いていないと、他人様の窓の中を盗み見ることはできません。

最近、米国最高裁判所が扱ったケースはもっと厄介で、普通の望遠鏡では見られないものを、しかも警察がやってしまったので、広く国民の関心を引く判決となりました。
事の発端は、1992年にオレゴン州で起きた麻薬摘発捜査にありました。連邦政府の捜査官が、公道に駐車した車の中から、ある民家に赤外線テクノロジーの熱感知器を向け、家の中から異常な量の熱が出ているのを発見しました。これは明らかに、屋内のマリファナ栽培に使うライトから発生する熱であると判断した警察は、この家に踏み込み、マリファナ100本を押収するとともに、責任者を逮捕しました。
しかし、容疑者カイロ氏は、捜査令状なしに警察が熱感知器を使ったのは、米国憲法修正第4条(the Fourth Amendment to the U.S. Constitution)に反しているとし、連邦控訴院で負けた後は、最高裁に舞台を変え争っていました。

修正第4条というのは、1791年に制定された基本的人権の10か条のひとつです(これら修正第1条から10条は、特にthe Bill of Rights、権利章典と呼ばれ、最も尊重されています)。この条項には、簡単に言うと、個人のプライバシーは犯してはならないものであって、令状なしに家宅捜索したり、持ち物を押収したりすることはできない、と書いてあります。個人の家は、持ち主にとっては城であることを保証しています。
先に下されたサンフランシスコ連邦巡回控訴院の判決では、家の外からの熱感知捜査は、別に警察が不当にプライバシーを侵害したことにはならないとして、カイロ氏の罪を認めました。

最高裁での争点は、令状が必要なのは、警察が個人の家に物理的に踏み込む時だけなのか、それとも、実際には家の中に入らなくても、外から何らかの方法で捜索する時にも必要なのか、ということでした。法律が制定された昔には考えられなかったテクノロジーが存在する現在、もともとの条項をどう解釈するのかは、おおいに意見が分かれるところです。
実際、最高裁でも5対4に別れ、結局、令状が必要なのは物理的侵入だけではなく、あらゆるテクノロジーによる侵入にも適用されるべきことである、と決定が下されました。もし、物理的侵入だけを支持するなら、"家主は進歩するテクノロジーのなすがままになってしまう" と理由付けされています。これにより、カイロ氏に対する罪の証拠は、認められないこととなりました。
この最高裁の決断は、連邦控訴院の中では最もリベラルとされるサンフランシスコでの判決を覆す結果となり、法律専門家を驚かせたばかりではなく、アメリカでのプライバシーの大切さを、改めて皆に知らしめることとなりました。

カイロ氏の摘発が行なわれた9年前から比べると、この分野でのテクノロジーはもっともっと進んでおり、それこそスーパーマン並みの透視能力を発揮する機器が、世の中にたくさん出てこようとしています。既に、空港、刑務所、国境などの警備に使用されているものもあるようです。

たとえば、マサチューセッツ州にあるAmerican Science and Engineering社では、大型車に仕掛けたX線検査システムを15台、米国税関に近々納める予定だそうです。一台2億円のこのシステムを使うと、大型トラックであろうと、そのエンジンから貨物まで何でも一目で透視できます。実際、メキシコ、チアパス州からバナナを運んで来たトラックの中に、37人の違法入国者が潜んでいるのを発見したことがあります。バナナに囲まれた人間達が、つるりとした頭の宇宙人のように浮き彫りになっており、これでは逃げも隠れもできません。
人間だけではなく、武器や爆弾、麻薬など、違法な物は何でもお見通しです。X線が体を通り抜ける普通のレントゲン写真とは違い、物体から反射するX線を映像とするテクニックを使っているそうです。これによって、麻薬などの有機的な物質やプラスティック爆弾なども検知できるそうです。

また、この会社は、"ボディー・サーチ" と呼ばれる類似商品も販売しています。これは、おもに空港の警備に使われるもので、洋服の中に隠し持っている物は、何でも透視してしまうそうです。そのパワーは偉大なもので、秘密の腹巻に潜ませた武器や麻薬だけではなく、下着の中身までくっきりとX線写真にしてしまうそうです。

その他、現在開発中の捜査・警備機器では、レーダーを使ったものがあります。ジョージア工科大学では、ヘアドライヤーほどの大きさのレーダー探知機を開発しており、20センチの厚みの壁やドアの向こう側が察知できるそうです。人質を取っている犯人が、緊張のあまり部屋の中を歩き回る様子や、警察に追われている殺人犯がドアの向こうで息を殺して潜んでいるのも、手に取るようにわかるそうです。犯人がいくら息を殺していても、呼吸による横隔膜の動きを敏感に検知してしまうらしいです。表示されたLED光線の大小で、物体の動きの激しさが表されます。アラバマ州のTime Domain社が開発しているレーダー探知機では、更に、カラフルな円や点の表示で、動きの方向までわかるようになっているそうです。
これらの探知機は、今後、警察の狙撃隊などに重宝されることとなるようです。(ちなみに、Time Domain社は、ワイアレス・コミュニケーションのチップセットも既に製品化しており、ソニーもこの会社のテクノロジーに投資しているそうです。)

先述のAS&E社の "ボディー・サーチ" は、既にニューヨークのケネディ空港に設置されていて、税関が麻薬摘発のために使用しているそうです。しかし、何でも透視してしまい、プライバシーの侵害になるという理由で、使用に関しては厳しい決め事があるようです。たとえば、捜査される側の同意書が必要、捜査官の上官の許可が必要、捜査官は被疑者と同性の者に限る、捜査が終了したらX線写真は廃棄するなどですが、これらがきちんと守られているのか、捜査の対象となる一般人も、規則に精通しておく必要があるようです。

それにしても、最高裁も判決の中でほのめかしていたように、もし、透視技術が一般に普及し、誰もが広く使用するようになったなら、もはや家の中であろうと、プライバシーなどというものは成り立たなくなってしまう恐れがあります。アメリカでは今、家の外に一歩出ると、監視カメラがどこにでも据え付けてあって、日常の行動の7割ほどは、常に誰かに見られていると言います。これが、単にテレビカメラだけではなく、透視カメラになってしまったら、厚い金属の壁で部屋を囲い、中世の鎧を着て過ごすことになるのでしょうか。透視は、スーパーマンが持っているから意味があるのであって、これを犯罪者が手にしてしまったら、もはやファンタジーでは済まされなくなってしまいます。

それを予言してか、既に民間会社の間では、リビングルームやダイニングルームのように、安全部屋(the safe room)なる定義ができつつあるようです。家の中に作られた大型クローゼットやガレージのコンクリート床に打ちつけるタイプの鉄製小部屋など、おもに竜巻、地震、ハリケーンなどの天災に備えるという触れ込みですが、中には防弾壁紙(1平方フィート当たり、10ドル)など、どう見ても、犯罪・テロ活動防御の製品もあるようです。"家族の団欒は安全部屋で"、などという時代がすぐそこに来ているのでしょうか。

最後に、恒例のおまけ話の時間です。先述の最高裁の判決が左右したのかはわかりませんが、先日、奇妙な判決がフィラデルフィア市で下されました。泥棒に入って捕まった18歳の男性が、警察と一戦を交えた証拠物件を提出したくないとわがままを言ったのですが、裁判所はそれを尊重し、彼は無罪となりました。
この容疑者が真犯人である証拠と検察側が主張する物品とは、容疑者の体に埋まっているであろう弾丸の破片でした。普通の捜査手続きでは、容疑者に摘出手術を受けさせ、その弾丸は裁判で犯罪立証に使われます。ところが、この容疑者の弁護士は、彼が手術を受けたくないとしているのに、無理やり摘出手術をするのは、不法な捜索や押収を禁止する憲法修正第4条に反していると主張しました。手術候補地の白羽の矢が当たった病院数軒も、あとで容疑者に訴えられるのを恐れ、手術を拒否しました。結局、証拠物品が検察側の手に入らなかったことから、無罪判決が言い渡されました。

摘出手術を拒否した理由は、"手術が怖いから" だそうですが、そんな見え透いた言い訳がまかり通るのが、何ともアメリカらしいところではあります。

夏来 潤(なつき じゅん)

その後(第2弾):イメージは保ちたいものです

Vol. 17

その後(第2弾):イメージは保ちたいものです

ゴールデンウィーク前に、"その後"と題し、それまでの話題の復習をさせていただきましたが、今回はその第2弾として、勝手なアフターサービス第2号をさせていただきます。


【5月16日掲載 "キャリアウーマンと出産:州知事だってママになります"】

その1:マサチューセッツ州知事を代行し始めたのも束の間、5月15日、予定日よりひと月早く、ジェイン・スウィフト氏は双子の女の子を帝王切開で出産しました。アメリカの歴史を塗り替えた出来事ではありましたが、それなりにいろいろと物議をかもし出しました。

まず、出産の1週間前、陣痛を感じ始めた彼女は、出産までは入院するようにと言われ、病院のベッドから電話会議で指示をくだすようになりました。これに疑問を抱いた反対派、民主党のグループは、州政を電話で行なうのは違法だとして、州最高裁に訴えを起しました。州政府で次に控えているギャルビン氏は、民主党のメンバーなので、無理をしてでも権力を譲りたくないのだろう、というのが反対派のかんぐりでした。

一方、これが州内外の怒りを買い、けんけんがくがくの論議を呼びました。女性にとって、出産とは体を衰弱させる病気ではなく、自然の状態である。出産後もすぐ職場復帰できるし、補佐的立場の人もたくさんいる。ましてや電話、ファックス、携帯など何でも使えるこの世の中に、病院からの指示が違憲だとは、何事か!というものです。また、ニューヨークのジュリアーニ市長が前立腺ガンを患っていたときも、レーガン元大統領が任期中にアルツハイマー症の気配を見せていても、誰も退陣要求をしなかったじゃないか、など怒りの種はいくらでもあったようです。

結局、当のスウィフト氏は世間の雑音にも負けず、出産手術中も誰にも代行をさせることなく、それまで通り、州政を司っていたようです。案ずるより生むが易し、ということわざがありますが、まさにその言葉通りの出来事ではありました。その後、特に州最高裁への訴えの続編を聞きませんので、共和党州知事対民主党一派の戦いは、水面下で繰り広げられているようです。

その2:何でも今アメリカの都市部では、子供を産む女性の4分の1は35歳以上だそうで、試験管ベビー(体外受精: in vitro fertilization)というのも、かなり常識的なことになってきているらしいです。となると、当然の流れとして、自分の遺伝子よりもっと良い子を生みたい、と考え始めるらしく、"卵子ドナー" の商売が花盛りだそうです。
背が高く、運動神経と頭脳を兼ね備えた金髪の若い女性の卵子というのは、まさに金の卵だそうで、名門アイビー・リーグの大学生の卵子は、1回の収穫(複数個の卵子)で1千万円ほどの値が付くそうです。勿論、数週間のホルモン摂取など面倒くさいことはありますが、その後病院に1回行くだけで1千万円というのは、ドナーにとっても、ブローカーにとっても、なかなか良い商売のようです。私立大学の高い授業料を捻出している(苦)学生もいるそうです。
もっとも、これはあくまでも "最高級の卵子" の場合だそうで、1回60万円というのが平均的な値段だそうです。シリコンバレーの名門、スタンフォード大学でも、掲示板に "卵子求む:30歳以下の頭脳明晰な女性" などの張り紙があるらしいです。

試験管ベビーの広がりとともに、もうひとつ大きなトレンドが出てきました。それは、試験管の中の受精卵を体内に戻す前に、子供の性別を選んだり、遺伝的に健康なものを選んだりできるようになったということです。
遺伝子適正検査の方は、PGD(pre-implantation genetic diagnosis)と呼ばれるテクニックで、分割過程の卵から不必要な細胞を取り出し、その中の遺伝子に異常がないかを調べるというものです。ごく最近も、男性側が小児ガン症候群を遺伝的に受け継いでいるニューヨークのカップルが、健康な子供を出産できたとして、話題となっていました。遺伝専門家による、出産希望者や難病患者の家族へのカウンセリングというのが日常的に行なわれるアメリカでは、試験管ベビーのえり分けも、その単なる延長だと考えられているのかもしれません。

でも、いかに合理主義のアメリカとは言え、卵子ドナーや胎児選別に関し倫理的な疑問は残っていて、これらデザイナー・ベビー(designer babies)とも注文キッド(custom kids)とも言える時代の到来に、眉をひそめる人もたくさんいるようです。
"犬を掛け合わせて、ブリーダーがその功績に対し賞をもらうのと、あまり変わらない状況だ" という率直な指摘も聞かれるようです。


【3月19日掲載 "Naming Rights:スタジアムの名前を替えるな!"】

その1:またまた登場ですが、今回は、サンノゼ・アリーナ(コンパック・センター)の話ではありません。今年のプロフットボールの祭典、スーパーボウルで覇者となったボルティモア・レイブンズ(メリーランド州)ですが、9月にシーズンが始まるまでに、スタジアムの名前が変わりそうです。

おとなりのバージニア州に本社のあるPSIネット社(PSINet Inc.)が、20年契約でレイブンズ本拠地の名付け親となっていましたが、6月に入り、アメリカとカナダで会社更生法の適用を裁判所に申請し、スタジアムの名称権持続が難しくなってきたようです。
この会社は、おもに企業向けに、インターネット・アクセス、Webサイト・ホスティング、eメイルやヴォイス・オーバーIPなどの総合的なサービスを行なっており、自ら光ファイバーのバックボーンを世界中に設置するなど、巨大電話会社の向こうを張り、インターネット界の寵児として注目されていました。(このアメリカ、カナダでの法的申請は、日本を含む、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカの子会社の事業には影響はないということです。)

業績不振の要因としては、巨大な設備投資や度重なる会社買収により、借金がかさんでいたこと、最近、大挙して去り始めた経営陣をうまく補えなかったこと、急激に成長した状況に、組織としてうまく対応できなかったこと、などが指摘されています。昨年、60ドルまで値付けされた株は、今年春には19セントまで下がり、そのまま4月下旬には、ナスダック株式市場から除名処分となっていました。

創立者、ウィリアム・シュレイダー氏は、1980年代からインターネット革命の立役者のひとりとして活躍しており、1989年にPSIネット社を設立した後は、巨大電話会社などの体制的企業を "恐竜のしかばね" と呼ぶなど、会社としてあくまでも独立独歩の道を歩むことを主義としていたそうです。この点で、同じくインターネット初期に設立され、後に長距離電話会社WorldComと合併された、UUNet社の軌跡と比較されるようです。

インターネット業界で行なわれている紳士協定(電話会社とは異なり、事業簡略化の目的で、相互のサービス提供に対し金銭的補償はしないという、類似規模の会社同士の取り決め)に基づき、イギリスのCable&Wireless社との間で、サービスの相互提供がなされていました。しかし、PSIネット社のスランプに伴い、状況が不公平になりつつあることが問題となっていました。
会社更生の申請後4日間、C&W社が紳士協定を取り止め、eメイルが届かなくなったPSIネット加入会社もあったようですが、今は、C&W社がPSIネット社を買収する名乗りを上げ、一件落着しているようです。

飛ぶ鳥を落とす勢いで成長したPSIネット社は、世界27カ国で事業展開しており、アメリカだけではなく、ヨーロッパでのマーケティング活動も怠ってはいませんでした。今がシーズンのヨーロッパ・フットボールリーグ(NFL Europe)では、各チームのユニフォームの右肩に、"PSI" という大きなロゴが縫い付けてあり、テレビ中継でもかなり威力があるように見うけられます。
PSIネット本社買収候補には、C&W社と共に、スウェーデンの会社も上がっているようですが、アメフトの歴史の浅いヨーロッパの会社が、本国を含めたスポーツ協賛に今後どういう対応を取るのか、興味深い展開となりそうです。

その2:インターネット業界の投資と新事業展開で "インキュベーター" の名声を築き上げ、サーチエンジンAltaVistaの親会社としても知られるCMGI社(CMGI Inc.)は、4月までの四半期で、巨大な損失を出しました。損失は10億ドル近く(約1160億円)に昇るそうですが、この3分の2ほどは、帳簿上の損失だそうです(これはgoodwillと呼ばれる減価償却で、好景気の中で会社買収に支払った額と、景気低迷下での現在の会社の価値との差額を、損失として計上すること。一説によると、現在テクノロジー分野の会社は、利益の3割をこれで失っている計算になるそうです)。

これによりCMGI社は、傘下の組織の統廃合など、大規模な改革を早急に迫られているようです。その一環として、6月中旬、サニーベイル市にあるオンライン広告会社、AdForce社が廃業となったようです。
CMGII社は、できたてのほやほや、地元ニューイングランド・ペートリオッツ(マサチューセッツ州)のスタジアムにも大きく名前を掲げており、ここでの名称権を死守できるものか、目が離せなくなってきました。

最後に:ヨーロッパ・フットボールリーグでは日本人の選手が既に活躍しています。本国のアメリカで、第二の野茂、佐々木、イチローが現れる日は来るのでしょうか。

夏来 潤(なつき じゅん)

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