年末号:一年を振り返って

Vol.65
 

年末号:一年を振り返って

日本では、今年を表す漢字は "災" と決まったそうですが、なるほど、世界的にも天災の多い一年ではありました。それに輪を掛けて、"おでんの友" の卵も値段が高騰しているそうで、貧乏学生の行く末が心配な年末です。
アメリカでも、火星探査にハリケーン、"華氏911" に大統領選といろいろありましたが、今回は、そんな一年を締めくくる号といたしましょう。


<ウィッシュリスト>

毎年11月末の感謝祭を過ぎると、途端に、何かお買い物しなくちゃという気分になります。クリスマスまでのこの時期、商店では年間売上の4分の1を稼ぐ、大事な4週間となります。

感謝祭翌日の "ブラック・フライデー(Black Friday)" については、今まで何回かご紹介しましたが、今年は昨年よりも、歳末商戦の出足は好調だったようです。朝6時から半日営業するのが恒例のこの日、大型店舗はどこも、ドアが開くかなり前から長蛇の列だったようです。"アドレナリンを感じるわ!" と、お買い物フリークの女性はのたまいます。
家電量販チェーンのBest Buyでは、サンフランシスコの支店に前夜から泊り込みで待っていた若者たちがいます。500ドルのパソコンがお目当てなのです。東芝の15インチノートパソコンです(1.4GHz Intel Celeron Mプロセッサ、256MB SDRAM、40GB HDD、DVD/CD-RWコンボドライブ付き)。勿論、この日だけの特価なので、並ぶ価値は充分です。

アメリカでは昨年のこの時期、デジタルカメラが "欲しいものリスト" の第1位と言われていましたが、今年は、プラズマテレビだそうです。日本と同じく、そろそろテレビ放送のデジタル化が本格化してきて、時代に遅れじと、猫も杓子も電気屋さんのハイデフィニションテレビに群がります。
昨年に比べて、プラズマテレビの値段も2割ほど下がっており、平均して2500ドルを切ったそうです。42インチのプラズマで1500ドルという広告を見かけましたが、ブランドは何が当たるかわからないようです。日本と同様、いまだにブランドによる値段の格差は大きく、韓国のDaewooの42インチが1800ドルに対し、人気の高いパイオニアは、43インチで3500ドル近辺です。
ちなみに、アメリカ市場では、液晶テレビはプラズマほど型番が豊富ではなく、値段も高いです。40インチを超えると、5千ドルは下らないようです。

この時期、どの家電量販チェーンも、激しい広告攻勢に出るわけですが、アメリカの広告にはご注意あれ。お目当ての製品が、近くの支店にあるかは保証の限りではありません。
サンフランシスコのローカルテレビ局、KRONが調査した結果によると、Circuit Cityの各支店では、広告の品の6割が店頭に存在しなかったそうです。それに対し、シリコンバレーで一番人気のFry’sでは、見つからなかったのは1割、Best BuyとGood Guysは3割ほどだったそうです。
ここ10年間で、Circuit CityはBest Buyに大きく逆転されています(Best Buyの年間売上は2.5倍)。品揃えという最も大事な点で、顧客の信用を失ってしまったのかもしれません。

"昨日の広告欄に間違いがありました。ごめんなさい。" これは、12月中旬、Fry’sが新聞に載せた謝罪文です。28ドルのDVD録画機は、実は、DVDプレーヤだったというのが、謝罪の主旨です。
ちょっと人騒がせな間違いではありますが、素直に謝るくらいの気配りがないと、アメリカでもやっていけない時代のようです。


<お子様には?>

クリスマスの主役、お子様に向けては、今年もたくさんのおもちゃの新製品が出ています。一年前、140年の歴史に幕を閉じたおもちゃ屋の老舗FAO Schwartzは、新たな投資家も見つかり、感謝祭の翌日、めでたく営業再開に漕ぎ付きました。美しく改装したマンハッタンの店舗には、この日を待ちかねた子供たちが押しかけました。
目玉商品はというと、子供用の二人乗りフェラーリ、5万ドルなり(勿論、公道では運転できませんが、本物そっくりのこのゴーカートは、最高15マイルのスピードが出ます。メルセデスベンツ版はちょっと安く、1万5千ドルです)。
FAO Schwartzの再開を喜んでいたのは、実は、夢見る親の方だったのかもしれません。

一方、クリスマスを待たずに、一足先にプレゼントをもらったのは、ベイエリアの子供たちです。お金ではまだ買えないものです。ホンダのロボット、アシモくんがスタンフォード大学に訪ねて来たので、たくさんの子供たちがバスを連ねて見学に来たのです。上手にダンスを踊ったり、ちゃんと顔を認識し名前であいさつしたりと、子供たちを充分に魅了したようです。
アシモくんは、スタンフォードを皮切りに、全米10箇所の大学を廻り、地元の学生や子供たちと交流する計画です。

既にご承知の通り、アメリカの子供たちの数学・科学力は芳しくはありません。国際的に学力を比較するテスト、TIMSSの数学部門では、8年生は45カ国中15位、4年生は25カ国中12位だったそうです(日本は、それぞれ5位、3位)。
専門家は、いい先生が圧倒的に不足しているし、日本やシンガポールみたいに、国中で一定のカリキュラムが組まれていないので、州によって学力のばらつきが出ると指摘しています。
アシモくんを目の当たりにした子供たちが、少しでも科学に興味を持つようになったら、今回のお役目は充分に果たしたと言えるでしょう。

あ、そうそう。今年1月、火星に着陸した双子の探査ロボット、スピリットくんとオポチュニティーちゃんは、3ヶ月の寿命を優に超え、今でも元気に活躍しています。オポチュニティーちゃんなんかは、水が存在した証拠を掴んだそうで、お手柄、お手柄。


<今年の流行語>

昨年は、圧倒的な強さで、"メトロセクシュアル" が一押しの流行語でした(昨年12月号で詳しくご紹介しています)。今年は、そこまで圧勝ではありませんが、やはり "ブログ(blog)" でしょうか(Web上で公開する日記、Weblogの略語です)。英語の辞書で有名なWebsterのサイトでも、ブログがサーチ件数の一等賞でした。

ブログには、誰でも自分の書いたものを公表できる手軽さもあるし、読んだ人の反応を知るのが嬉しくもあるようです。マイクロソフトのメールサービスMSNでも、ブログのコーナーが登場しています。今年の米大統領選挙戦でも、二大政党専属のブロガーたちが大活躍し、対抗勢力の一挙手一投足を瞬時に批判しあっていました。
サンノゼ・マーキュリー新聞でビジネスコラムニストを務めるダン・ギルモア氏は、自ら主宰するブログコラムで、ジャーナリスト賞をもらっています。刻一刻と変わるビジネス状況をタイムリーに読者に伝え、同時に、紙面ではやりにくい読者との対話も充分に保っているとの理由です。

一方、ブログは、出版界への進出の動きも見せています。昨年廃刊したビジネス雑誌Red Herringの創設者、トニー・パーキンス氏が、ブログを印刷した "blogozine" を発行する計画なのです。彼がRed Herring廃刊後に作った、ビジネスマン向けのネットワークサイトAlwaysOnが、紙面にも転身するのです(いうまでもなく blogozine とは、ブログ blog と、雑誌 magazine の造語ですね)。
2月に発行予定の同名の季刊雑誌は、AlwaysOnに紹介された中からベストのブログを選び、ビジネス界の調査報告やテクノロジー巨人とのインタビューなども織り込むようです。連邦通信委員会(FCC)のパウエル委員長も、AlwaysOnの常連さんとなっています。

パーキンス氏は、日頃、Red Herring誌を再開するぞと宣言していたので、筆者なども期待していたわけですが、娘にこう言われて気が変わったそうです。"Red Herringなんて、あまりにも1990年代よ、お父さん"。
どうやら、ジャーナリズムのあり方にも、大きな変化が見え始めているようです。


<今年のコマーシャルソング>

今年は、思ったほど経済も回復しなかったので、コマーシャルも昔のリサイクルなんかが目立ち、パッとしたものはありませんでした。その代わり、コマーシャルソングの方には、かなりのインパクトのものがあるのです。
アイルランドのロックグループ、U2の "Vertigo(めまい)" です。かの有名な、アップル・コンピュータのiPodの宣伝に使われています。"Uno, dos, tres, catorce!" の叫び声で始まる、勢いのよいこの曲は、iPodに合わせて踊る若者のシルエットと、蛍光色の派手な背景によくマッチしています。お陰で、前四半期に2百万台の売上を記録したiPodも、今期は4百万台に達する勢いです。

そんなコマーシャルにつられて、今までU2なんて一枚も買ったことのない筆者も、この曲を含むCD "How To Dismantle An Atomic Bomb(原爆を解体するには)" を、発売と同時に購入してしまいました。ご本人たちは、題名から想像されるような政治的なアルバムではないと主張していましたが、それはひとりひとりが汲み取るものでしょう。CDジャケットでも、Amnesty International、Greenpeace、DATA (Debt, Aids, Trade, Africa) や、ミャンマーの民主化運動家アンサンスーキーさんをサポートしているところを見ると、彼らの政治色は衰えてはいないようですが。

まあ、歌詞や彼らの思想がどうであれ、四十を超えたおじさんたちが、あんなに長くロック界に君臨しているのは立派なもんです。実に、心強い。
元気が出る一曲として、"Vertigo" は世のおじ様たちにもお勧めです!


<とかくこの世は住みにくい>

アテネオリンピックなどの楽しい行事はあったものの、アメリカでの今年の話題は、大統領選挙に尽きるのです。ブッシュ再選を目指す保守陣営を始めとして、お互いの攻撃にどれだけ無駄なお金と労力が注ぎ込まれたことでしょう。政治をエンターテイメントとして楽しむ、"politainment(ポリテイメント)" なる言葉も生まれのでした(政治を表すポリティックスの「ポリ」、エンターテイメントの「テイメント」を合わせた造語です)。
中立性を欠いたメディアが大きな声で唱えれば、ウソも真となるのです。

結局、夏の間、ケリー候補の悪口をさんざん言いまくったブッシュ陣営に軍配が上がったわけですが、この選挙は、両サイドを和解させるどころか、溝を深める結果となりました。
アメリカの地図も、赤(ブッシュ支持)と青(ケリー支持)に塗り分けられ、海や五大湖に面する州は青、内陸部と南部は赤と、きれいなパターンを見せています。青のブルーステートのブルーな気分はなかなか収まらず、どこか外国に移住したいとか、遅れた内陸部の州なんか二度と行くもんかとか、やけっぱちのコメントが聞こえてきます(隣国カナダは、自分の所には簡単には来られないからねと、警告を出しています)。
水に接するということは、異文化の息吹がかかるということで、それがなければ、どこまでも昔の価値観が根付いているのでしょう。海外の批判も、広大な内陸部には届きません。

日本の新聞記事に、ケリー候補の失敗は、メッセージが悪かったのか、それともメッセンジャーが悪かったのかと書いてありました。が、筆者はメッセージを受け取る側に問題があったと思っています。端的に言って、解釈する力に欠けているからです。
アメリカ国民の多くが、中学校2、3年生レベルの読解力しかなく、2割は、小学校5年生以下のレベルだとも言われています(移民の割合が高いのも一因ではあります)。論理的なケリー候補の言葉は、一部の人には理解し難いものだったのかもしれません。
勿論、アメリカには、考えることに長けている人もたくさんいるわけです。しかし、忙しさにかまけて、"ポリテイメント" に頼り過ぎたのかもしれません。候補者の生の声を聞かず、解釈を人任せにしてしまったのです。
選挙直前、実に4割の有権者が、同時多発テロはフセイン・イラク大統領が起こしたのだと信じていたといいます。そんなわけで、つまるところ、"民主党が勝てばテロが再発するぞ"と、単純な脅しをかけた共和党の勝利となりました。

ブッシュ政権が発足した2001年以降、国民の生活は悪化しています。一世帯当たりの年収は下がり、貧困層は4百万人増え、健康保険のない国民は5百万人も増えています。子供たちの2割近くが貧困家庭に育っています。国の社会保障基金は10兆ドル、高齢者医療保険制度は50兆ドルの赤字を抱えています。
けれども、自分たちの生活がどんなに苦しくなろうとも、イラクからフセイン大統領を追放し、国を民主化することの方が大事だそうです。

そして、そんな世相を反映し、9月にアメリカで自動攻撃ライフル銃が解禁となりました。過去10年間、コロンバイン高校スタイルの凶悪犯罪を抑制するために、これらの武器は製造も販売も禁止されていました。しかし、政治に強大な影響力を持つ全米ライフル協会(the National Rifle Association、通称NRA)が連邦議会に働きかけ、禁止法が期限切れとなったのです。これで、全米の警察は、AK47やUziで武装した地下組織と渡り合うこととなりました。
米国憲法修正10か条(権利章典)の2番目に、"Right To Bear Arms" というのがあります。"自由を守るためには、武装する権利は侵されてはならない" というものです。これは、"言論の自由" の次に出てくるほど、アメリカにとっては大事な条項なのです。

ふと、こんな事を思い出しました。今年の初め、まだケリー氏が大統領候補となる前、10人の民主党候補者の中に、デニス・キュセニッチという人がいました。オハイオ州選出の下院議員で、26年前、31歳の若さでクリーブランド市長に就任した経歴を持つ人です。今でも "お坊ちゃん" の風貌を備えています。
候補者討論会の席では、"一番好きな曲は何ですか" という意表を突く質問に対し、彼はこう答えました。ジョン・レノンの "Imagine" ですと。

彼が大統領に選出されていたならば、世の中はずいぶんと変わったことでしょう。残念ながら、天と地がひっくり返っても、そんなことはなかったとは思いますが。


<ある訃報>

先月、中国からアメリカに戻ってきたとき、最初に目にした報道は、ある著者の訃報でした。日本でも、かなり大きく取り上げられていたようですが、1997年に出された話題作 "The Rape of Nanking(南京大虐殺)" の著者、アイリス・チャンさんです。事もあろうに自ら命を絶ったといいます。
彼女は、ご主人がシスコ・システムズに勤務するため、二歳の息子と三人でサンノゼ市に住んでいました。昨年6月、最新作 "The Chinese in America(アメリカの中国人)" の出版に際し、全米に先駆け、市内の本屋でブックリーディングが開かれました。筆者もこれに参加し、彼女の生の声を聞いています。
徹底的にリサーチをする彼女は、"南京大虐殺" に2年、"アメリカの中国人" に3年を費やしたといいます。そして、次は、人権問題の本を書きたいとも抱負を語っていました。

アイリスさんは、ここ半年ほど、うつ状態にあったそうです。南京の話題作を世に出したあと、日本政府に正式謝罪と補償を求める市民運動にも深く関わり、そのことが彼女を少しずつ蝕んできたと言う人もいます。新聞記者だった頃から、人の痛みには人一倍共感したといいます。共感を通り越し、痛みや責任を極度に内面化してしまったのかもしれません。文章を書くことは、文字通り、身を削ることだったのでしょう。
最新作のプロモーションのため、今年前半、全米30箇所を廻ったあと、人が変わったようになって戻って来たと、ご主人は言います。プロモーション中、人生を変えてしまうような何かがあったのかもしれません。

アイリスさんのお葬式には、家族や友達に混じり、たくさんのファンも集まりました。棺を地中に納めるとき、みんなで "ハピー・バースデー・トゥー・ユー" を歌ったそうです。凛と背を伸ばし、生命力に満ち溢れた、聡明な、美しい人でした。生き急いでしまった彼女のライフワークは、若い世代に語り継がれるべきものです。


<筆者のウィッシュリスト>

皆様は、今、何が欲しいと思われるでしょうか。まあ、品物はお金を出して買えばいいわけですが、筆者には物品以外に欲しいものがあります。それは、中国語を話せるようになることです。先月、彼の地で痛感したのですが、タクシーの運転手はまったく外国語が通じないし、レストランでも英語を話せる人は限られるし、やっぱり、中国語ができないと困りますね。
西安空港で出会ったアメリカ人の団体さんが、"ガイドが歩けと言えば歩くし、ここに立ってろと言えばじっと立っている" と、皮肉交じりで自分たちのことを表現していました。言葉ができないと、子供に逆戻りしたような気分になるのです。

どの地に出向いても、誰かに会えば "こんにちは" と言い、何かしてもらえば "ありがとう" と言う。それが基本です。にこやかに "こんにちは" とか "ありがとう" と言われて怒る人など世の中にはいないでしょうから。そういう意味では、"ニーハオ" と "シェーシェー"、そして漢字を知っていれば、中国ではかなり大丈夫かもしれません。
でも、あの珍しく愛想の良かった西安のタクシー運転手とも話してみたいし、ゴショゴショとやっている暗号みたいな音の羅列を解読してみたいのです。言葉がわかれば、少しは頭の中も覗けるかもしれません。
まあ、そうなるのは、百年先のことでしょうか。


おまけ: 年末のこの時期、アメリカでもあいさつのきまり文句があります。ところが、これにもおかしな現象が起きています。共和党支持者は、7対3で "Merry Christmas!" を好み、民主党支持者は、6対4で "Happy Holidays!" を選ぶというのです。世の中は、ホントに真っ二つなの
です。

そんな世の中ではありますが、皆様、どうぞ良いお年を!


夏来 潤(なつき じゅん)

中国旅行記:ビギナーのひとりごと

Vol.64
 

中国旅行記:ビギナーのひとりごと

生まれて初めて、中国に行ってきました。今回は、この旅のお話にいたしましょう。


<素朴な第一印象>

中国については、今までこれといって学んだこともなく、いつもの通り、何も知らずにふらっと出た旅となりました。個人旅行ではありますが、幸い、連れ合いが何度か彼の地に出張しているので、その点では、ちょっとだけ心強い旅でした。けれども、いきなり何もかも中国というわけにはいかないので、目的地の北京、西安、上海で泊まる先は、アメリカ資本のホテルチェーンにしました。少なくとも、ホテルに逃げ帰れば、何とかなるはずです。

というわけで、おっかなびっくりの旅の始まりとなりましたが、とにかく、中国は、筆者に強烈な印象を与えたようです。日本に戻ったあとも、アメリカに帰って来たあとも、目を覚ますと、"ここは中国かな?"と、まず頭に浮かぶほどです。何が印象的かと言って、あんなに活気のある場所は、地球上そんなにないんじゃないかと思います。
街は人と車で満ち溢れ、誰もが我先に道を進もうとします。目の前で大きな事故が起こらなかったのが不思議なくらいです(横断歩道で人と自転車がぶつかって、自転車が倒れ込んだのは見かけました)。路上には縁日のように屋台が並ぶセクションがあって、こちらが中国語を解しようが解しまいが、お構いなしに声を掛けてきます。中には、"サソリおいしいよ"と、片言の日本語でサソリの串刺しを売る声も聞こえてきます。天安門を守るお巡りさんだって、あまり恐れられてはいないようです。彼らの制止を振り切り、無理やり道を突っ切ろうとする女性を見かけました。とにかく、ひと悶着なんて日常茶飯事なのでしょう。
中国とモンゴルの旅から戻ったばかりの太極拳の師は、"中国では、すべてが速やかに成長し、成熟する"と、謎掛けのようなことを言っていました。なるほど、中国にはエネルギーが満ち溢れているのかもしれません。

そんな目まぐるしさの中、初日の天安門は、特にインパクトが大きかったです。アメリカの首都、ワシントンDCを見たときもそうでしたが、そのスケールの大きさに驚くばかりです。向かいの天安門広場も相当のスペースですし、あの忌まわしい天安門事件を思い起こさせる大通り長安街も、憎らしいくらいに整然と、広々としています。

10月1日、中国は建国55周年を迎えたそうで、天安門の売店には、記念グッズが所狭しと並べられています。どこの国も、似たような非実用的なものが売られているものです(まあ、中国の人にとっては、55周年の記念品は大事かもしれませんが)。門の脇では、城を守る城管の行進訓練が行われていました。
この天安門やその奥の故宮には、国内からの観光客が大挙して押し寄せます。団体ごとにお揃いの帽子をかぶり、旗を掲げたガイドに引率されています。おのぼりさんでしょうか、みんな色黒で、オリンピックで見るような色白の中国人とは程遠いです。そこら中にいるビラ配りの人たちも似たような顔付きで、天安門近辺にいるかぎり、チベットやタクラマカン砂漠をほうふつとさせる顔ぶれでした。中国はやはり、他民族国家なのでしょうか。それとも、長年の農作業による日焼けでしょうか

(写真は、故宮内を歩く少数民族の女性グループです。衣装に付けた鈴が、シャンシャンと小気味よい音を出します。もしかしたら、Wal-Martみたいな大型店舗のオープニングに、客寄せのために呼ばれたのかもしれません)。

それにしても、中国の都市は、どこも空気が汚いものです。日本も高度成長期はそうだったのかもしれませんが、とにかく排気ガスがすごいです。タクシーはケチなのでエアコンなどは使わず、渋滞ともなると必ず窓を全開し、まわりの車の排気ガスを思いっきり肺に吸い込むこととなります。遠出をするなら、ちょっと高級なホテル手配の車を使った方がいいでしょう。
当然ながら、行き交う人ものどが調子悪く、所かまわず、ペッペッと痰を吐きます。汚い話ですが、レストランの植木鉢にもペッ。万里の長城でもペッ(日本も昔は、排気ガスがひどかったようですが、経済成長と汚い空気は相関関係密です)。
最後に訪ねた上海では、筆者も相当にのどが痛くなっていて、日本に戻って来た頃には、やはり風邪のウイルスにやられていました。上海に本社を持ち、中国全土で活躍するお知り合いが、アメリカで生まれた娘が、上海で一緒に住んでくれないと嘆いていました。が、何となくわかる気がします。娘さんにとっては、言葉はわかっても文化の違いがあるし、決して空気がきれいとは言えないシリコンバレーと比べても、環境的には住みにくいようです。


<ハイテクグッズ>

そんな高度成長期の中国ですが、ご多分にもれず、携帯電話は誰もが持っているもののようです(勿論、"誰もが"というのは、ある程度の経済レベルに限られますが)。携帯ネットワークもかなり良く、北京から離れた万里の長城でも、問題なく通話できます。若い層はファッショナブルな端末を持ち歩き、ハードウェアの点では、アメリカとあまり変わらないなと感心しました。きっといい端末を持つのが、仲間内で自慢の種なのでしょう。端末の宣伝も、あちらこちらで見かけました(写真は、西安の繁華街にある地下通路の掲示板です)。
なんでも、中国では、SMS(ショートメッセージ)が花盛りだそうで、高い通話料を避けて、ビジネスでも、プライベートでも、極力テキストメッセージで済ませるそうです。中国語の入力は、いくら簡素化されているとは言え、かなり煩雑だろうに、やはり経済観念がしっかりしているのでしょう。器用なこともあるのかもしれません。
つい最近、アメリカの携帯キャリアSprintが、テキストメッセージの代わりに、声のメッセージを相手の携帯やパソコンに送れるというサービスを始めましたが、これなどは、中国でも喜ばれるかもしれません。テキスト入力じゃないので送るのが簡単だし、第一、相手が直接電話に出ることがないので、通話が長引く心配もありません。"元気だよ"と、実家に伝える簡潔な近況報告にも便利です(しかし、パカッと現れるSMSに対し、こちらはメッセージを聞くのに、特定の番号にアクセスするので、その面倒臭さがせっかちな中国人には嫌われるかもしれません)。

一方、iモードのような、携帯でネットアクセスというのは、中国では流行らないそうです。もともとパソコンなんか持っている人が少ないので、ネットアクセスという文化が深く根付いていないからだそうです。
また、日本では必需品ですが、中国ではデジカメ付き端末を使っている人は見かけませんでした。その代わり、単体のデジカメやキャムコーダーの普及は目を見張るものがあります。観光地では、かなりの人が利用していました。みんなポーズを取るのがお上手で、自己表現に長けた国民かとお見受けします。
おもしろかったのは、空港など人が集まる所に、携帯の充電器があることです。いろんなコネクターが備え付けてあり、思いのほか実用的なようです。それだけ、携帯電話が市民権を得ている証拠でしょう(写真は、西安空港の充電器です。"手机"というのが携帯のことです)。


<中国文化>

中国といえば、特にアメリカ人などは、カンフー映画を思い起こします。太極拳と気功をかじっている筆者も、あちらに行ったら、みんなと広場で太極拳をしようと楽しみにしていました。ところが、これもある種、中国に対するステレオタイプだったのかもしれません。
筆者が太極拳をするんだと言うと、ある女性は、太極拳は体の何にいいのかと聞いてきました(おしりが引き締まるよと答えておきました)。別の人は、先生になるには、どれほどの段・級でないといけないのかと質問してきました(段とか級とかは超越しています)。西安のガイドにいたっては、"簡単太極拳"なるニセモノを観光客に教えているらしいです(唖然として声も出ません)。みんな若い人なので、太極拳のようなゆったりした動きには興味がないのでしょう。

残念ながら、今回の旅では、宿泊したホテルのそばに適当な広場がなかったので、おじいちゃん、おばあちゃんに混じって太極拳を楽しむことはできませんでした。が、天安門近くの公園で、ひとり静かに鍛錬するおじさんを発見!そばには、胡弓にあわせて民謡を歌うおじさんペアなんかもいて、中国らしさに大満足です(でも、太極拳はそこそこかなと、自信過剰の筆者は思っていました)。

一方、日本でもお馴染みの中国芸術に、京劇がありますが、これなどは、まさに中国武術の基礎と言えるものかもしれません。甲高いうたや表現豊かなしぐさに加え、たちまわりも劇中で重要な位置を占めているのですが、このたちまわりが極めて武術的なのです。剣や刀を使う踊りや、軽やかに飛び回る様は、拳法そのものと言ってもいいほどです。自らも刀を振り回す筆者は、思わず身を乗り出して観劇です。有名な"西遊記"の孫悟空が宮殿で暴れまわるシーンなどは、比較的新しい流派、武術(ウーシュー)にそっくりでした(実際、ウーシューの代表的な技に、猿を真似た軽業師のような動きがあります。酔っ払いを真似て、相手をひるませる技などもあります。ちなみに、中国出身の人気映画俳優ジェット・リーは、若い頃、このウーシューのチャンピオンでした)。

そんな武術的な京劇ですが、北京で堪能したもうひとつのお題目は、しっとりとしたものでした。秦の皇帝が漢に破れ、愛する側室に別れを告げるという悲話です。戦いに惨敗し、苦い別れの酒を酌み交わしながらも、側室は、皇帝を元気付けようと陣営に戻り、剣の舞を披露します。しかし、敗北のみじめさに打ちのめされる皇帝に、"そんなに意気消沈したあなた様は、もう見たくはございません"と、剣でのどを突きます。
十年も一緒に過ごした深い愛着、側室を逃がそうとする皇帝の愛情、迫る辛い別れ、その一方で、参戦でほったらかしの田畑が心配な兵隊の様子など、ふたりのせりふはわからなくとも、人の心はじわりと伝わってくるものです(劇場では、うたの部分だけ簡単な英語の字幕が流れました。わからない部分は、想像力でカバーです)。
中国の皇帝といえば、まるで神様のように崇められていた存在でした。皇帝は、天から地上に舞い降り、人を治めるものとされ、彼だけが地上を表す黄色を身にまとうことができます。権力の象徴、竜の刺繍が施された美しい肌着は、一度袖を通すのみでした。毎朝、方角の良い遠くの泉で汲まれた清水のお茶を飲み、宮殿を囲む城壁には、清水を通す専用門もありました(北京北駅近くの西直門は、そんな"お水専用門"でした)。そんな皇帝という地位ですが、この京劇での役まわりは、単なるひとりの人物とも見え、親近感さえ抱きました。

今の中国の若い人たちは、古いものにはあまり興味がないようにも思えます。いずこも同じで、古いものは、いずれは新しいものに取って代わられます。古い家が重なり合う北京の路地、胡同(フートン)もそのいい例です。上海もしかり、西安もしかりです。しかし、新しいものに混じって、昔の片鱗が見え隠れすることもあります。
天安門の向かいに人民大会堂がありますが、その隣に今、現代的なコンサートホールが建てられています。けれども、このホールに眉をひそめる人も多いとか。人民大会堂の隣に、ヨーロッパ人がデザインした前衛的な建物なんて似つかわしくない。そして、何よりも、故宮を中心に南北に横たわる竜の目を射る位置にある。日本でも広く知られる風水的な考えが、いまだ根強く残っているようです。
また、中国では凧揚げが盛んですが、これは単に、楽しみのためにやっているわけでもなさそうです。何か悪いことがあると、凧を揚げて、悪運を吹き飛ばすそうです。だから、落っこちた凧は縁起が悪いので、触らないとか。どうやら、縁起担ぎは、万国共通のようです。


<貧しさと、豊かさ>

近代化の波とは対照的に、どの都市でも、貧しい人たちを見かけました。まさに"物乞い"という表現が当てはまるような、道端の人たちです。表舞台からは隠れていますが、ひとたび地下通路に入ると、そんな人たちに出会います。道行く人に頭をひれ伏し小銭を懇願する人、笛を吹いて特技をごくわずかな金銭に換えようとする人。路上の布団に身動きもせずうつぶせとなり、人間なのかボロ布団なのか見分けのつかない人さえいました。彼女のかかとはどす黒くひび割れ、人間の皮膚があんなになるものかと驚きでした。

ご存知の通り、中国は貧富の差が激しいです。都市の中での格差もかなりのものです。近代的なショッピングモールには有名ブランドがずらっと並び、欧米と変わらない高価な品は、飛ぶように売れています。欧米式の食生活で、糖尿病も深刻な悩みの種だそうです。
その一方で、どうがんばっても、路上の掃除係から抜け出せない人もいます。デパートの売り子も、月給は3万円ほどだそうです。家賃を払えば、贅沢などできないでしょう。"No money(お金ないよ)"と言って、一輪のバラを押し売りしようとする小さな男の子もいました(写真は、西安のホテルの向かいにあった集合住宅です。中級の生活だと思いますが、スペースが足りないのか、窓外の柵が物置になっています)。

更に、都市と農村部の隔たりも、日本人が想像する以上に大きなもののようです。西安近郊の兵馬俑坑の帰り、発掘現場のような一画が車窓から見えました。それは、発掘現場などではなく、あたりの農民の家だそうです。地面に穴を掘り、その上に黄土で壁と屋根を築きます。"ヤオドン"と呼ばれる穴倉のような家は、"洞窟"に似た字を書きます。
中国の農村人口は、全人口の6割を超えます。また、一人当たりの年収は、3万円あれば恵まれた方といいます。当然、病院通いなども贅沢品の範疇に入り、治療や服薬は途中でギブアップです。そんな状況を少しでも改善しようと、昨年7月から、中央政府の補助が付く協同医療保険制度が、各地で試験的に導入されています。しかし、現時点では、農村人口の1割弱が恩恵に与っているにすぎません。

より良い生活を求め都市に出稼ぎに行っても、農村の戸籍を持つ者は、その都市の市民には簡単にはなれません。何年も待つよりも、都市戸籍を持つ者と結婚するのが手っ取り早いようです。そうすれば、子供も都市の学校に入れます。北京を案内してくれた男性は、それを真剣に考えているようです(農村戸籍の子供を都市の学校にやるには、お金を積む必要があるとか)。
都市の大学に入り、卒業後そこで働くのも手だそうです。中国では教育は特に重要視されていて、大学院卒の男性は子供を二人持てるという、"一人っ子政策"の例外もあるそうです。しかし、大学入学には、出身地域ごとの割り当てがあり、年度によって極めて入りにくい場合もあるそうです。
西安出身の、筆者の気功の師匠は、北京のスポーツ医学大学で学び、アメリカに優先的に移住して来たのですが、彼などは、都市出身者の中でも、エリート中のエリートだったわけです。

都市から都市の引越しも、仕事のようなやんごとない理由がない限り、自由にはできません。外国訪問のビザも、入手できるのは、北京や上海など一部の都市の市民に限られます。その上、西側諸国の受け入れも厳しく、西安のガイドは、日本にいる友人の娘の結婚式に出席するために、式の招待状や友人の銀行口座の証明書などを提出し、初めて日本入国のビザが取れたそうです(友人が身元引受人となったわけです)。
西安外国語大学で学んだ日本語がとても流暢な彼女は、今年7月、初めて日本の地を踏みました。北京のガイドにしても、英語があんなにうまいのに、外国には一度も行ったことがありません。
日本人もアメリカ人も、行きたい所に自由に行き来できます。しかし、気の向いた所に引っ越すだとか、毎年どこかに海外旅行するだとかは、実は、特権だったわけです。


<上海旅情>

旅の最終目的地は上海でしたが、残念ながら、丸二日といられませんでした。けれども、なんとなく、この街が初めての気がしませんでした。訪れた三都市の中で、一番近代的なこともあるかもしれません。なんと上海の地下鉄では、地元っ子である中国人に電車の行き先を尋ねられました。他の都市では、どう見ても観光客でしかないのに。
それとも、中華街のある港街に育ったせいかもしれません。あののんびりとした船の霧笛はなつかしくもあり、不思議と落ち着きます。小さな公民館で素人京劇のうたいに出合うと、ドラや鉦の音に心躍ります。西洋的な街並みは、小さい頃住んでいたおんぼろ洋館を思い起こします。
もしかしたら、祖母が若い頃この街に住んでいたこともあるかもしれません。知る由もないですが、どのあたりに住んでいたんだろうと古い街並みを歩きまわりました。

上海から成田に向かう飛行機が離陸するとき、突然、何か大きなものを置いてきたような感覚におそわれました。別に忘れ物をしたわけではないのに。
上海にもっといたかったのかもしれません。西安で親切にしてもらった人たちが頭をよぎったのかもしれません。

いずれにしても、また中国に行かなくては。


夏来 潤(なつき じゅん)

10月の話題:万歩計とストライキ

Vol.63
 

10月の話題:万歩計とストライキ

今月も、あれやこれやと、いろんな話題を盛り沢山にお送りいたしましょう。


<デジタル音楽>

まず、前回9月号の最初のお話で、アップル・コンピュータのiPodに関し、明確でない表現がありましたので、補足説明いたします。
前回、アップルのデジタル音楽プレーヤiPodと、オンライン音楽サイトのiTunes Music Storeでは、AACというフォーマットが使われると書きましたが、iPodはAACに加え、MP3、Real10、WAVなどもサポートしています。ゆえに、iTunes以外のアメリカの音楽サイト、たとえばRealPlayer、eMusic、Audio Lunch Boxなどでも使えます。
また、レパートリーの広さで定評のあるiTunes Music Storeは、Mac OSでもWindowsでも利用できますが、このサイトから音楽プレーヤにダウンロードするには、iPodを使う必要があります。ですから、アップル路線として、ハードとソフトの"相乗効果"があるわけです。
一方、iPod には、MSN Music、Napster、SonyConnectなど相性の悪い音楽サイトもあるわけですが、便利なもので、パソコン上のデジタル音楽コレクションをiPodに書き込めるソフトを出している会社もあります。iPodは、今やちょっとしたステータスシンボルでしょうか。

そんなアップルですが、クリスマス商戦に向けて、新しい音楽プレーヤを準備中と噂されています。1インチハードディスクを内蔵するiPodと違って、フラッシュメモリを採用し、小型の安いモデルになると予想されています。四半期に2百万台売れるiPodの人気にあやかれるのか、楽しみな噂話です。

先日、ジャズシンガーのロゼアナ・ヴィートゥロさんが、ブラジルの香りのする、心地よい音楽とともに、こんなお話を披露していました。彼女は、ジャズ音楽の熱心な教育者でもあるのですが、ある日、生徒のひとりが同級生に向かって、こんな風に話しかけていました。
"おい、これ見てみろよ。昔のジャズミュージシャンのかっこいい写真があるぜ" と。これを聞いたロゼアナさん、あわてて曰く、"あのねえ、それは写真じゃなくて、LPレコードって呼ばれるものなの。そんな形してるけど、中に音楽が入っているのよ。"


<番号ポータビリティーと政治>

昨年11月、全米の主要100都市で、携帯電話の番号ポータビリティーが始まりました。加えて、今年5月には、すべての地域が網羅されるようになりました。この制度については、施行直後にご説明しましたが、簡単には、自分の番号を持って、他の携帯キャリアに移れるシステムのことです。
9月上旬、連邦通信委員会(FCC)が発表したところによると、7月末までの時点で、540万人がこの制度を利用したということです。全米での利用が可能となった5月以降には、利用数はそれまでの半年を上回り、加速傾向を示しています。
中には、従来の自宅の電話番号をケータイの方に移行した人もあり、こういったユーザーは、全米で54万人を超えるそうです。

自宅の電話におさらばし、ケータイ一本に絞ったのは、若い層が多いと思われますが、このことは、政治に少なからず影響を与えます。従来の電話を使う世論調査が、正確ではない可能性があるからです。ケータイ一本の若い人の声が、調査に反映されていない可能性があるのです(来春には、全米の携帯番号がデータベース化されるようですが、業界最大手のVerizon Wirelessは、プライバシーの観点から、このデータベースには参画しないことを表明しているので、いずれにしても不完全なものとなるようです)。

ご存知の通り、11月2日には、大統領選挙が行われます。2001年に就任したブッシュ大統領は、彼の政策に心から賛同する者と、激しく反発する者とに分かれ、アメリカ史上、もっとも国民を二分する大統領と言われています。持つ者と持たざる者を分かち、考えぬ者と熟考する者を分かちます("uniterではなくdivider"(まとめ役ではなく、国を二分する者)と表現される大統領の地盤は、彼自身がいうところの"haves and more haves"(持つ者と、もっと多くを持つ層)なのです)。
そういった中、選挙を占う世論調査も、事あるごとに乱高下し、ブッシュ陣営も、対抗するケリー陣営も、戦略の調整が頻繁に必要となっています。調査から漏れていると考えられる若い層は、反ブッシュを唱える人が多いので、ブッシュ陣営としては、これを忘れては痛い目を見るかもしれません。

筆者は、ブッシュ政権の政策の動向をつぶさに追ってきましたが、ここではスペースもないし、政治コラムでもないので、ひとつだけ逸話をご紹介しましょう。
世に知られた政治リポーターに、ヘレン・トーマスさんという人がいます。彼女は、ジョン・F・ケネディーからビル・クリントンの歴代政権を伝えてきた、歴史の証人ともいえるジャーナリストです。大統領記者会見の際は、彼女は、真っ先に質問を許されます。
その伝統を踏襲し、ブッシュ大統領は、就任後初めて開かれた記者会見で、ヘレンさんを最初に指名しました。そこで彼女はズバリと、"あなたはどうして、政教分離を定めた法律を守らないのですか" と質問しました(ブッシュ大統領は、キリスト教原理主義のEvangelical教会の信者で、政策には信仰が深く影響しています)。
それを聞いた大統領はびっくり、声も出ません。きっと挨拶代わりの簡単な質問を期待していたのでしょう。アーとかウーとかうなったあとに、何事か意味を成さないことを答えたのですが、"鳩が豆鉄砲を食らったような" とか、"目が点になる" といった表現は、まさにこのことを言うのでしょう。

これに懲りたのか、ブッシュ大統領は、就任後3年半の間に、わずか15回しか正式な記者会見をしていません。これは、JFKの60数回、クリントンの40回、父親のブッシュ一世の70回に比べると、圧倒的に少ない数です。
そして、ヘレンさんはというと、この会見以降、二度と指名してもらえませんでした。今は、新聞のコラムニストに変身しています。


<たかが歩行、されど歩行>

春に日本に行った時に、万歩計を買ってきました。東京の街を歩くと、普段どんなに歩いていないか身に沁みて感じるのです。シリコンバレーのオフィスにおこもりしていた頃などは、一日に千歩も歩いていなかったと思います。自宅のガレージからオフィスの駐車場まで車で移動するわけです。歩く場所がないのです。
こちらに戻って来て、さっそく万歩計を使ってみたのはよいものの、いくらがんばっても "万歩" に届かないので、いつの間にか引き出しにしまわれてしまいました。

ところが、先日、こんな研究結果を知り、万歩計の復活です。米国医学協会誌(the Journal of the American Medical Association)で発表されたふたつの研究によると、歩くことは、高齢層のおつむの働きに良い効果をもたらすというのです。
ハーバード大学が70代の女性を対象に行った調査では、週に1時間半歩く人は、40分未満しか歩かない人に比べ、脳の働きの劣化の可能性が2割も低いそうです。また、ヴァージニア大学とハワイ大学が共同で行った70代、80代の男性の調査では、一日に400メートル未満しか歩かない人は、3.2キロ(2マイル)以上歩く人よりも、痴呆になる可能性が8割も高いそうです。
ソクラテスだったか、弟子のプラトンだったか忘れましたが、考える時は、いつも弟子を引き連れて歩いていたとか。歩くことは脳の刺激になるのでしょうね。

考えてみると、アメリカの生活は、歩かない行動パターンの繰り返しです。だから、年齢を重ねるごとに、だんだん足腰が弱くなり、電動椅子でお買い物している人もよく見かけます。足腰が弱くなると歩かなくなり、歩かなくなると体の方も弱まるという悪循環なのでしょう。
高齢層だけではありません。郊外のベッドタウンに住む人は、若い人でも不健康になりやすいという調査結果も出されています。どこに行くのも車だし、長時間の通勤で時間がないので、太りやすいファストフードに頼るし、ジムでワークアウトする余裕もない。そこで、関節炎や頭痛、喘息といった慢性病になりやすくなるというものです。
"郊外" と健康という漠然とした因果関係に、この調査を "偽科学" だと批判するお医者さんもいますが、筆者は、あながちウソではないと思っています。当然、車社会も悪さしているのでしょうが、ケータイやインターネットのインスタントメッセージの発達で、同じオフィスの人でも相手の席まで歩くことがないという近頃のトレンドも、状況を悪化させる一因でしょうね。

ちなみに、筆者の万歩計ですが、絶対に "万歩" なんか表示しないだろうと思っていたところ、先日ついに達成しました! サンフランシスコに一泊で遊びに行った時、フットワーク軽く歩いていたら、めでたく万歩到達となりました。やはり、"都会" は歩きますね。


<ライナスさんのお引越し>

先日、冷やかしでモデルハウスの見学に行ってみました。別に引っ越すつもりはないのですが、近くにできたので、ふらっと出向いてみたのです。そこで驚いたのですが、近頃は、建売住宅に映画館まで付いているらしいのです。
映画館というとちょっと語弊はありますが、奥まった居間に、ゆったりとした座席が3つずつ2列に並べられ、正面には大きなプロジェクター画面が据え付けてあります。完全な暗室になるように、部屋には窓はありません。
ちょっと前までは、自宅に映画館を作るのは、大邸宅を構える金持ちと相場が決まっていました。けれども、どうやら近頃は、居住面積5千平方フィート級(465平米)の大型建売住宅にも、映画ルームみたいな贅沢品が採用されるようになったようです。わがままなシリコンバレーの消費者をターゲットとしたものでしょうか、それとも、贅沢に慣れたベビーブーマーの老後の楽しみを狙ったものでしょうか。
先日、ヒューレット・パッカードは、秋の製品ラインナップとして、高画質プラズマテレビや液晶テレビに加え、ホームシアター用のデジタルプロジェクターを発表しています。彼らの狙いは、案外良いのかもしれません。

贅沢といえば、キッチンもいい例です。花崗岩や大理石の調理台は当たり前で、レストラン仕様のガス台やオーブン、大型冷蔵庫を備え、"グルメキッチン(gourmet kitchen)" などと誉めそやされます。どうせ "油で汚れるから" と、料理なんかしないくせに。
キッチンの新兵器としては、韓国のSamsungとLG Electronicsが、インターネット冷蔵庫に飽き足らず、インターネット・テレビ冷蔵庫を発売しました。いくら便利だからといっても、普通の冷蔵庫が7、8百ドルで買えるところを、5千ドルから8千ドルも出して買う人がいるかどうかは疑わしい限りです。まあ、自宅の壁の中に光ケーブルを敷くような人にとっては、"自慢の種(bragging rights)" として、必需品かもしれません。

贅沢ついでに、カリフォルニアらしく、こんな家はいかがでしょうか。庭にワイン用のぶどう園が広がる家です。Syrah、Cabernet、Merlotといったぶどうが、居間からの眺めに美しい緑を添えてくれます。勿論、手入れは自分でする必要はありません。お隣にあるワイナリーが全部面倒を見てくれます。
シリコンバレーの南端にあるこのワイナリーでは、1999年に植えた20種以上のぶどうが、ようやく昨年9月に実を結び、今秋その一番手として、自家製Sauvignon Blancをデビューさせました。実は、ワイナリーにとって、自家製ぶどうを使うことは理想的なことなのです。自らが納得行くよう栽培・収穫できるし、収穫直後の新鮮なぶどうをワイン製造に使えるからです。ですから、庭にぶどう園というのは、ワイナリーにとってもありがたいし、住んでいる方にとってもリッチな気分で嬉しいのです。

ところで、筆者が映画館付きモデルハウスを見に行った辺りには、Linux OSを発明したライナス・トーヴォルズさんが住んでいました。彼のことだから、きっと奥さんと子供3人と大きな家に住んでいたのでしょう。けれども、どうやら夏の間に、シリコンバレーからオレゴン州のポートランドにお引っ越ししたようです。
ライナスさんは、昨年、マイクロプロセサメーカーのTransmetaから休職をもらい、Linuxの方に心血を注いでいました。Linux自体も、携帯電話のOSとして注目されてもいるし、さまざまな亜種が互いにうまく働くよう、業界標準の設定も約束され、昨今、更なる盛り上がりを見せています。
ところが、私生活の面では、彼の奥方がシリコンバレーをお気に召さなかったといいます。人は多いし、車は多いし、暮らしにくいのはわかります。
でも、フィンランドみたいに寒くはないし、こんなに気候のいい場所はそんなにたくさんはありませんよ。オレゴンなんて、雨ばっかりではありませんか? そのうちきっと、こっちに戻りたくなりますよ。


<サンフランシスコのストライキ>

さきほど書いた、サンフランシスコの "万歩達成" の小旅行ですが、ここでは珍しい体験をさせていただきました。市内の主要ホテルが、二十数年ぶりに一斉ストライキをしていたのです。勿論、ストライキを覚悟で泊まったのですが、複雑な気分で帰って来ることとなりました。

宿泊したフェアモントホテルは、ノブヒルという街中を見下ろす丘の上に建つ、有名な老舗ホテルです。1902年に建設が始まり、1906年のサンフランシスコ大地震の時は、まだ営業はしていなかったものの、大理石の柱で支えられた建物は震災後の大火でも焼け残り、市長の災害対策本部に使われていたそうです。
このノブヒルの丘は、ゴールドラッシュで栄えたサンフランシスコの、まさに繁栄の象徴のようなところで、ここに建つホテルは一流とされ、国賓級のゲストも泊まります。1980年代には、"Hotel" という連続テレビドラマの舞台ともなり、全米に名を馳せたこともあります。
今まで、お隣のマークホプキンスホテルは利用したことがありましたが、なんとなく気後れがして、フェアモントとは無縁でした。ですから、フェアモントに泊まるということは、若い頃をサンフランシスコで過ごした筆者にとって、特別な意味を持つのです。

というわけで、ストライキでごったがえしていることを知りつつ、サンフランシスコに向かいました。着いてみると、テレビで報道されている以上の騒ぎです。
人数はそう多くはないのですが、ホテルの正面玄関前をぐるぐると輪になって廻り、メガフォンでがなり立てるシュプレヒコールとともに、シンバルやドラム、太鼓代わりのバケツの音が耳をつんざきます。これが、朝6時から夜10時まで延々と続くのです。ベルボーイのおじさんも、監視している警察官も耳栓なしでは立っていられません。
ホテルロビーにも騒音がこだましていますが、さすがに12階の部屋では、うるさいほどではありませんでした。けれども、ピンチヒッターの従業員を雇ったお陰で、サービスはいつもより劣っているのは確かなようです。
まず、ルームサービスはあきらめるとして、古くからの目玉であるアジア料理のレストランは、扉をかたく閉ざしています。部屋に昇るエレベーターはどこかとボーイに尋ねると、"僕は今日が初めてなので、よくわかんないよ" という答えが返ってきました。
部屋に入ると、前の客が使ったシャンプーやローションがリサイクルされていたし、シーツのフィッティングも下手くそでした。それでも、ディナーは親切なコンシェルジュに手配してもらい、金融街のモダンなレストランで、お祝いのひとときを過ごしました。

今回の一斉ストライキは、8月中旬に切れたホテル雇用者の契約を更新し、それに際し、医療補助の改善や若干の昇給を要求するものです。ホテル側との交渉が9月中旬に決裂し、10月に入って、市内14の主要ホテルにストライキが飛び火しています。
そして、今回身に沁みてわかったことは、アメリカ流ストライキの矛先は、交渉相手であるホテルだけではなく、客にも向けられているということです。雇用者と和解しないホテルに泊まる客は、立派な敵なのです。
ホテルに入る際、ビラをもらいましたが、読むこともなく、レストランに向かうタクシーを待っていました。そこでは、筆者たちに向かって、"Shame on you!(恥を知れ!)" と罵声が浴びせられます。翌日、読んでみてわかったのですが、ビラには、"お願いだから、今すぐこのホテルをチェックアウトして、交渉の成立したホテルに移ってくれ" と書いてありました。裏面には、"良心的な" ホテルの一覧表まで添えてあります。

この大騒ぎに、サンフランシスコのギャヴィン・ニューサム市長の立場は複雑です。3年前のテロ事件以降、低迷していた観光業を盛り返そうと、街を挙げて頑張っている矢先の事でした。かと言って、"働く者の味方" の民主党員としては、ストライキをあからさまに批判もできないので、口を閉ざしたままです。

筆者としては、言いたいことはただひとつ。客にも、自分なりの事情があるんですけど。

 

夏来 潤(なつき じゅん)

アメリカの長月:9月はいろいろと忙しいのです

Vol.62
 

アメリカの長月:9月はいろいろと忙しいのです

5月末のMemorial Day(戦没者追悼記念日)に始まったバーベキューシーズンも、9月初めのLabor Day(労働者の日)で終わりを迎えます。この日を境に、夏のいでたちである白い服は、タンスに仕舞うのがお決まりともいわれています。

さて、今回は、そんな9月にちなんだお話を中心にお送りしましょう。


<新学年に備えて>

9月といえば、アメリカでは新しい学年が始まるシーズンです。えんぴつやノート、科学電卓などの必需品に加え、PDAや携帯電話が"新学期のお買い物(back-to-school merchandise)"のリストに載るシーズンでもあります。宿題やテストのスケジュール管理や、家庭との緊急時コミュニケーションのため、そろそろ子供に持たせた方がいいだろうと考える親がいるわけです(携帯電話は、授業時間の使用は禁止ですが、校内に持ち込んでもよい学校が増えているようです)。

一方、初めて親元から離れる新大学生も、厚ぼったい教科書や、論文提出のためのパソコンなどを買い揃え、新学期に備えます。狭い寮部屋(dorm room)での生活を少しでも快適なものにしようと、今年は、寮生活グッズをセット販売するディスカウントストアもたくさんでした。何でも、この時期、新入生は平均1200ドルも消費するそうで、これを逃す手はありません。

大学の方でも、新一年生に配る歓迎グッズをいろいろと用意して待っています。その中に、こんなものがありました。ノースキャロライナ州の名門私立校デューク大学では、アップル・コンピュータのデジタル音楽プレーヤ、iPod(20GBのモデル)が新一年生全員に配られました。
iPodといえば、デジタル音楽プレーヤの分野で大人気を誇り、先日、HP(ヒューレット・パッカード)からも発売が開始された製品です。7割のシェアを誇るアップルのオンライン音楽サイト、iTunes Music Storeとの相乗効果もあり、市場を独占する勢いです。

実は、デューク大学が、300ドルもする製品を一年生全員1650名に配ったのは、講義を復習したり、外国語を習得したりする道具として使って欲しかったからですが、勉学に使われるかどうかは保証の限りではありません。現に、iPodを既に持っている学生などは、オークションサイトで売りに出そうと考えているとか(デューク大学の紋章が付いているので、希少価値はあるようですが、向こう一年間は大学の所有物だそうです)。
大学側から話を持ちかけられたアップルも、デューク専用のiTunes Music Storeを準備し、このサイト用に10ドルのギフト券をばらまいています。

シリコンバレーでも、"アパートの入居契約をすれば、iPodを差し上げます"というプロモーションを見かけます。デジタル音楽を持ち歩きたいのは、学生ばかりではありません。
そんなトレンドに乗って、人気サングラスメーカーOakleyは、デジタル音楽プレーヤとイヤホーン内蔵のサングラスを、歳末商戦に向け準備中です。Thump(心臓の鼓動)と呼ばれるこのサングラスは、12月に、Circuit Cityと自社のオンラインストアで売り出されるそうですが、残念ながら、iPodや iTunes Music Storeで使われるフォーマット、AACはサポートされていないそうです。

大学一年生がiPodなら、ビジネススクールはBlackBerryです。メリーランド大学のビジネススクールでは、新入生320名に配られました。
5年前に登場したリサーチ・イン・モーションのBlackBerryは、日本では知名度が低いものの、アメリカのハイテク産業や金融業界のエグゼクティヴのほとんどが愛用すると言われるほどのPDAです。会社のメールやスケジュールをいつでもどこでも受け取れるのが重宝されています。キーボード付きなので、親指二本で返事も打てます(写真は、オリジナルのBlackBerry)。
近頃は、電話機能付きのBlackBerryも出ているので、携帯電話とPDAのハイブリッド製品が嫌いな人も、こちらに乗り換えているようです(とはいえ、電話と両方持ち歩いている人が多いようです。マネジャー級だと、料金は会社持ちですから)。
メリーランド大学で配られたBlackBerryは、携帯キャリアのNextelがサービスを提供しているので、メールやケータイ機能の他に、プッシュ・トゥー・トーク(ウォーキートーキー機能)も付いています。大学側は、"always-on(いつでも繋がる)" テクノロジーを学生に教えたかったとしていますが、既に働いているビジネススクールの学生にとって、そんなことは教えられるまでもなかったかもしれません。

一方、BlackBerryを愛用する人は、政界にも多いようです。その中には、就任早々、ゲイカップルの結婚証明書発行で世間を騒がせたサンフランシスコ市長、ギャヴィン・ニューサム氏や、アーノルド・シュウォルツネッガー知事もいます。
俳優ほどのルックスを持つニューサム氏は、かなり細かい人だそうで、自分の部下の市政報告を逐一把握するのに活用しているそうです。彼が市長になって忙しくなったと、ぼやく部下が増えたとか。シュウォルツネッガー知事の方は、議会を牛耳る反対勢力、民主党議員たちの発言を漏れなく側近に伝えてもらうのに重宝しています。民主党議員の一番ボスなどは、"おい親指(Thumbs)、ちゃんと書いたか?"と、愛情を込めて敵陣の側近に話しかけるそうです。

そんな政界、財界の支持を超えるべく、9月に入り、リサーチ・イン・モーションは、小さくて安い携帯電話型のBlackBerry 7100tを発表しました(キーは20個しかないわりに、賢い認識ソフトが入力を助けてくれます)。来月、T-Mobileから大々的に売りに出されるようです。今までpalmOneのTreo600くらいしか選択肢がなかった人も、BlackBerryを候補に挙げられるようになり、知名度もぐんと上がるかもしれません。


<「敬老の日」にちなんで>

もうほとぼりも冷めたところで、ちょっと昔のまじめなお話をいたしましょう。昨年11月、日本で行われた衆議院選挙の際、中曽根元首相が、比例代表候補として自民党から公認されないという大騒ぎがありました。ちょうどこの頃、筆者は日本にいたので、事の成り行きをつぶさに観察していたのですが、密かに、心の中で中曽根氏にエールを送っていました。
中曽根氏の支持者でも何でもない筆者が、どうして彼を応援していたのか、ここでちょっと書かせていただきたいと思います。まず、ひとつに、中曽根氏は、党から「北関東比例代表ブロックでの終身一位」を保障されており、1996年に文書まで交わされています。当事者であった幹事長が離党したとはいえ、党との約束は簡単にほごにされるべきものではないでしょう。会社同士でも同じ事ですが、契約というものは、そういうものではないでしょうか。
また、年齢を楯に引退勧告をするのは、世界的に名の知れた中曽根氏の、政治家としての能力を否定することではないでしょうか。世の中には、30代でちょっとボケている人もいれば、90代でもかくしゃくとして現役でがんばっている人もいるのです。単に、生物学的な年齢が高いというだけで引退を求めるのは、今後、高齢社会となる日本では、通用しない論理ではないでしょうか。

この選挙戦で「世代交代」を訴えていた首相は、"70を超えた年寄りが、ウジャウジャと恥ずかしげも無く選挙戦に出ている" という趣旨の発言をしていましたが、これなどは、先達に対し、非礼な発言だと個人的には思います。「世代交代」とは、人を追い出すことではなく、有能な若手の登用を指すのではないでしょうか。
もしも長老を排除したいのならば、衆人の目にさらされること無く、密室で面と向かって、相手に退陣を請い願うのが筋ではないかと思うのです。料亭政治を推奨しているわけではありませんが、根回し上手のアメリカ人も、きっとそうしていたと思います。

中曽根氏や宮沢元首相をはじめとして、この選挙を機に、退陣するベテラン政治家がたくさんいました。あるニュース番組で、こういった政治家へのインタビューを特集していたのですが、皆一様に、"戦争はいけません" と言っていたのが印象に残りました。永年培ってきた思想の右左に関係なく、皆が口をそろえてそう発言していたのです。
そういった先達の箍(たが)が外れた時、暴走を防ぐのはいったい誰なのでしょうか。


<あなたはきれい好き?>

アメリカという国は、計り知れないところがあって、いろんな人がいるものだなあと感心することが多いです。ある白人のおじいちゃんが、こんなことを言っていました。小さい頃、バースデーケーキのろうそくを吹き消そうとしたら、彼のおばさんが、"ケーキにバイキンが着くから、紙ナプキンの風で火を消しなさい" と言ったそうです。
トイレに行っても手を洗わない人が多いこの国で、神経質な人がいたもんだと感心してしまったわけですが、昔は皆、きれい好きだったのでしょうか。でも、よく考えてみると、この国には、両極端の人がひしめき合っています。バイキンが手に移るのがいやで、握手するのを躊躇する人もたくさんいるのです。ちょっと前に、相手がトイレに行ったかもしれないことを考えると、十二分に理解できる行動ではあります。
それが証拠に、昨年9月、アメリカの微生物学会(the American Society of Microbiology)が行った調査によると、カナダでは、SARSの影響で手洗いの励行が増えたものの、アメリカではまだまだダメだそうです。アメリカ5都市の空港のトイレで、手洗いの行動パターンを観察したところ、ちゃんと手を洗ったのは、男性の7割、女性の8割のみでした。男性軍で成績が悪いのはシカゴ(38パーセント)、女性軍ではサンフランシスコ(41パーセント)だそうです。筆者の若い頃からの持論が、データで裏打ちされています。

バイキンについては、こんな統計もあります。国の疾病管理予防センター(CDC)が発表したところによると、5つの州の5千箇所のジャクージ(ホテルやジムにある、ぶくぶく泡の出る小型プール)を水質検査したところ、その半分が州や地方自治体の衛生基準に違反していたそうです。
殺菌剤が足りなかったり、フィルターや水の循環システムがうまく稼動していなかったりと、原因はさまざまなようですが、あまりにひどいので、操業一時停止の命令を受けたスパもあったそうです。水がバクテリアで汚れていると、皮膚に発疹が出たり、呼吸器系の病気になったりするそうで、過去にそのような発生例がいくつもあったとか。やはり、いろんな人が集まる場所では、自治体の検査を合格しているかどうか、きちんとチェックする必要があるようです。

バイキン恐怖症とはちょっと違いますが、アメリカには、机や棚や身の回りを常に整理整頓しないと気が済まない人も結構います。ある種、心の病気(obsessive-compulsive disorder)なのかもしれませんが、以前、同僚にそういう人がいて、帰宅する頃になると、机の上には書類の一枚も本の一冊も置いてありません。一方、筆者の机はいつも雑然としているので、一日の終わり、彼がオフィスの出口に向かう時は、毎回さぞかし不快な思いをしたことでしょう(それが嫌で会社を辞めたわけではないと思いますが)。
そういえば、以前、ジュリア・ロバーツ主演のサイコスリラー映画に、そんな怖~い旦那さんが出ていました。

何を隠そう、オフィスといえば、机もバイキンだらけの場所だそうで、アリゾナ大学の微生物学者によると、1平方インチ当たり、平均2万個のバイキンが見つかったそうです。これは、トイレシートの400倍だとか。
そういえば、元同僚くんも毎日机を拭いていたような気がします。消毒液でも使っていたのかな?


<ハリケーンの思い出>

8月、9月は、日本では台風シーズンですが、アメリカも、ハリケーンの季節の到来です。幸い、夏が乾季のカリフォルニアは、ハリケーンとは無縁ですが、フロリダをはじめとしてアメリカ南東部は、例年、夏の大嵐に悩まされます。
今年も、8月中旬のハリケーン・チャールズに始まり、9月のフランシス、アイヴァンと、3つのハリケーンが連続してカリブ海諸国やフロリダで猛威を振るいました。

歴代のハリケーンの中では、12年前の8月下旬、フロリダ南端部(マイアミ付近)を直撃したアンドリューが、有史以来、都市を襲った最大級のものと言われています。ちょうどその頃、マイアミの北の海岸沿いに住んでいた筆者は、アンドリューを経験した数少ない日本人のひとりです(フロリダは、日本人人口が極端に少ないのです)。
もともと亜熱帯気候のフロリダは、夏の間、毎日夕方になるとスコールに見舞われます。それこそ、聖書の "ノアの洪水" を思い起こさせるような雨風が1時間くらい続きます。
しかし、ハリケーンは、そんなものではありません。幸い、アンドリューは、筆者が住んでいた街から数十マイル南を通過したのですが、それでも、信じられないくらいの暴風雨が吹き荒れ、夜中に目を覚ました時は、"明日の朝は、きっとこの世にはいないだろうな" と、覚悟を決めたほどでした。
翌朝、周りでは、木が根こそぎ倒れていたり、店の看板が屋根に突き刺さったりしていましたが、筆者宅では、ケーブルテレビがつかないくらいの被害で済みました(こういうときはゴルフクラブが室内アンテナに早変わりです)。ちょうど日本から訪ねていた方々は、"あら、何でもなかったわね" と、大物振りを発揮していました。

一方、マイアミ南部のベッドタウンでは街全体が破壊し尽され、鉄筋コンクリートのホテルやデパートの屋上は強風でぶち抜かれ、海岸線の家々のプールには遠くに停泊中のボートが不時着するという、想像を絶するような被害が起きました。なにせ、秒速70メートルを超える風です。直撃されたら、ひとたまりもありません(最大級のカテゴリー5のハリケーンは、時速156マイル(250キロメートル)以上の暴風雨と定義されます)。
このときのハリケーン・アンドリューでは、保険がかかっていた損害額は160億ドル、実際はその倍の被害だったと言われています。そして、数十名が命を落としています。

筆者は、その頃の細部はよく覚えていません。12年も前のことですし、脳が思い出を拒絶しているのかもしれません。暴風雨の生々しい傷跡に加え、今の科学で確実に来るとわかっている災害を待つのは、かなりのストレスなようです。
けれども、今回のハリケーン・チャールズを機に、アンドリュー直後の人間劇を思い出していました。停電で冷蔵庫が使えないので、氷を法外な値段で売り歩く人間が現れたり、ホテルやガソリンスタンドは軒並み倍の価格に吊り上げたり、数千ドルで倒れた木を片付けてあげようと、退職した高齢層を狙った悪質な商法がはびこったり。
家や店舗に泥棒が入るので、自衛のため、ピストルを隠し持つ人もありました。高級ウイスキーを包む布袋は、ピストルを入れるのにちょうどよいのです。

12年前を思い出して、先日、マイアミ・ヘラルド紙のコラムニストはこう書いていました。嫌なことはたくさんあったけれど、一番印象に残っているのは、良いことだと。
嵐が去った後、見ず知らずの人が、自分の家に来なさいと彼を誘ってくれました。家具も電気もないけれど、少なくとも屋根はありました。
ある日、貴重な氷が売りに出ていると聞き、遠くまで買いに行ったのはよいものの、家に持ち帰って初めて、冷蔵庫が使えない事実にはたと気が付きました。すると、ちょうど隣人が、冷凍庫に貯蔵しておいた鶏肉がダメになる前に、一気にバーベキューにしているではありませんか。そこで、冷たい氷と暖かいバーベキューを物々交換し、お互いたいそう満足しました。

12年前は、初めて経験する規模の災害に、当初は混乱も見られたものの、救援物資やボランティアの助けもあり、生活は徐々に落ち着きを取り戻していきました。ニュースになるのは悪い話が多く、その一方で、大部分の人は、私を二の次として復旧に尽力していたわけです。
今回のハリケーン・チャールズは、アンドリューに継ぐ被害だと言われています。その後、続けて押し寄せてきたフランシス、アイヴァンとのトリプルパンチからカリブ海地域が一日も早く立ち直れますようにと、遠くカリフォルニアから祈っている今日この頃です。


<Go, Niners!>

9月はまた、アメリカンフットボールのシーズン到来です。
とはいうものの、残念ながら "サンフランシスコ49ersは、どうせ今年はNFC西部地区の最下位だろう" などと、悪口を言われています(確かに、9月12日の開幕戦は惜しくも敗れています)。
開幕直前、サンノゼ・マーキュリー紙が行った読者アンケートでは、今一番欲しいシーズンチケットは、アイスホッケーのサンノゼ・シャークスで、次いで49ers、サンフランシスコGiants(野球)、オークランドRaiders(フットボール)、オークランドA’s(野球)の順番だそうです。

黄金期には、ベイエリアのみんなが欲しかった49ersのシーズンチケット。今こそ、ファンとしての真価が問われているようです。


夏来 潤(なつき じゅん)

所変われば品変わる:何がホントに便利なの?

Vol.61
 

所変われば品変わる:何がホントに便利なの?

"どの言語で夢を見るか" が母国語の指標とも言われますが、"オリンピックでどの国を応援するか" が母国の証なのかもしれません。連日、日本選手のメダルの数を律儀に数えている筆者は、どこに住んでいても日本人です。

さて、今回は、久しぶりにテクノロジー関連の話題に戻ってみましょう。


<前言を撤回します>

今年4月掲載の記事の中で、携帯電話の機能のひとつ、"プッシュ・トゥー・トーク(Push-to-Talk)" のお話をしました。携帯ネットワーク上で、"ウォーキートーキー" 形式に個人やグループと話せる機能のことです。一見便利そうだけれど、"使う場面を思いつかない" と悪口を書きました。
実は、この酷評を書いた時から、プッシュ・トゥー・トーク(以下PTTと省略します)についてもっと勉強しようと思っていたのですが、そのお勉強の結果、前言を撤回させていただくことにします。

アメリカでは十年以上前から始まっているPTTサービスですが、まず、このサービスには、現行と近い将来に大きな違いがあります。4月の記事は、現行のものを念頭に書いたもので、どちらかと言うと、特殊なマーケット向けのサービスを指しています。たとえば、建築現場、タクシーやリムジン会社、車の点検・修理場など、絶えず短い連絡事項があるセグメントです。こういった場合は、あまり音質やスピードなどの性能は問題にはなりません。
一方、近い将来に出てくるPTTサービスとは、携帯電話業界のオープンスタンダードに則り、高機能で、なおかつ互換性のあるものになって来ます。いろんな端末が使えたり、違うキャリアの友達に "ねえ、ねえ" と話しかけられたりします。しかも、応答が速いです。返事を聞くのに、10秒待ったりしません。そうなって来ると、もはや特殊なセグメント向けではなく、誰もが簡単に使える、便利なコミュニケーションの手段となります。

4月に "何に使うの?" と書いた時は、ひとつ大事なことを忘れていました。PTTでやり取りするのは、ごく短い会話です。"元気?" でも、"3時に迎えに行くね" でも、"今日の服かわいかったよ" でも何でもいいわけです。特に、新し物好きのティーンにとっては、メッセージが相手に届いて、しかもそれがクールなものだったら、テキストでも音声でもイラストでも "ギャル文字" でも何でもいいのかもしれないと、考え直したわけです。

ティーン文化には計り知れないものがあります。そのティーンたちに先導されて、2、3年後に、PTTが欧米で大ヒットしても不思議はないなと思う次第です。


追記:
筆者が今回お勉強させていただいたのは、PTT分野で知られる、Sonim Technologiesというベンチャー企業です。宣伝するわけではありませんが、その詳細を書いた記事が、9月24日発売の技術評論社発行「Mobile PRESS」2004年秋号に掲載されます。


<若者のコミュニケーション>

こんな話を読みました。ワシントン・ポスト紙の記者が、プリンストン大学でノンフィクションの書き方を教えた時のことです。自身の最もプライベートな話を、悪びれた様子もなく、次から次へと包み隠さずに書く学生たちの率直さに、ただただ圧倒されたといいます。連日メディアやインターネットで耳にするグラフィックな話に比べれば、こんなものはかわいいものですと、学生たちは答えたそうです。

ある意味、過激な報道スタイルを取るメディアにも責任の一端があるのでしょうが、今時のティーンや若者のコミュニケーションには、大きな変化が見られるのは確かです。バーチュアルな空間で、自分を思う存分さらけ出すというような。
たとえば、日本でも人気が出てきたブログ(Web上で日記をつけるWeblogの略語)ですが、この"ブログ人気"に見られるように、インターネットだったら、自分の真意をすんなり書けると思っている若者も多いようです。学校や職場では話せない事を誰かに告白したいし、そういった自分を誰かにわかってもらいたい。相手が不特定多数なので、書き易いこともあるし、読んだ人の書き込みコメントも嬉しかったりするのです(リサーチ会社Perseusの発表によると、ブログ利用者の5割はティーンで、4割は20代の若者だそうです。彼らが構築したブログ世界は、blogosphereと呼ばれます)。

上記プリンストンの学生のひとりは、"メールやブログだと、気まずい沈黙もないし、会話を進めるのに大して努力しなくてもいい" と言っていたそうですが、今の若者の間では、"面と向かって" 相手に接することが、だんだん億劫になってきているのかもしれません。
一方で、若者自身が、生身の人間との会話よりも、インターネットを情報源として信頼しているのかもしれません。たとえば、コーネル大学が行った "ウソの頻度" の調査では、電話での会話の3分の1、面と向かった会話の4分の1にウソが含まれていたのに比べ、メールの場合には、内容の15パーセントにしかウソがなかったそうです。口頭の会話と違って、メールは証拠が残るし、比較的ゆっくりと会話が進むので、"勢いに乗ったウソ" が少ないらしいです。

8月に入り、携帯キャリアのCingularが、"Rescue Calls(お助けコール)" なるサービスを始めました。不運なことに、デートの最中、相手がうっとうしくなって、お家に帰りたくなったとします。そういう時、密かにケータイの "*8" を押します。すると、数分後に電話がかかってきて、こんな助言を耳元でささやいてくれます。
"今から私が言うことを繰り返してくださいね。「エ~、また~? じゃあ、今からすぐに戻ってあげるよ。」 さあ、それでは、ルームメイトが部屋に鍵を忘れて外出したから、中に入れなくて困っていると、相手に説明してあげてください。グッドラック!"
月に5ドルのこのサービスには、ご丁寧なことに、8種類のシナリオが用意されているそうです。

それにしても、相手が気に入らなかったら、自分で何とかできないものでしょうか。誰かがお膳立てした "blind date(友人・知人が紹介した初対面の人とデートすること)" が多いアメリカならではのサービスかもしれませんが、最後はやはり、生身の人間同士の相性に尽きるということでしょう。


<お利口さんなゴルフボール>

先日、久方ぶりにゴルフをしました。今は東海岸に住む、出身会社の大ボスに8年ぶりにお会いするためです(今は仕事では関係がないので、お会いするのはゴルフ場となります)。
懐かしい、嬉しい再会ではありましたが、ボールが思った所に行かないので、自身のゴルフにはすこぶる不満でした。そして、"今の技術だったら、ボールがインテリジェンスを持ち、飛距離や方向を修正して、自分の好きな場所に飛ばせるはずだ" などと考えながら、半日を過ごしました(でも、それじゃゴルフじゃないんですけどね)。

そのちょうど翌日、こんな話を耳にしました。方向修正できるわけではないけれど、若干のインテリジェンスを持つゴルフボールの話です。ゴルフ場では、時に、草むらや木の根元に隠れたボールを見つけ出すのが難しいですが、最近、この "ロストボール" を探知する装置が開発され、オンラインでは既に売りに出されたらしいです。
まず、ゲームには特製ボールを使います。このボールには、RFIDチップが内蔵されていて、手元のスキャナー装置が出したラジオ電波を受け、飛んで行った先で応答の信号を出します。この信号を拾いながら、隠れたボールを捜すのです。
Radar Golf(レーダーゴルフ)と呼ばれるこの装置は、片手でかざしながら歩けるほど小型で、ボールが近づくにつれ、ビッビッと頻繁に音を出すようになります。そして、ボールの所まで来ると、ビーッと高い継続音を出し、持ち主に知らせます。

アメリカのゴルフ場は、日本よりもラフがきつく、フェアウェイからちょっとこぼれただけでボールが見つからなかったりします。規則では、5分以内に見つからない場合、2打のペナルティーとなります(打ち直しとペナルティー加算1打)。真剣にゲームをやっている人にとっては、この加算はかなり痛いもので、今まで、ロストボール対策に様々な装置が開発され、特許が取られているそうです。中には、ボールに放射性物質を入れ込み、ガイガー放射能測定器で探し出すというアイデアもあったとか。

Radar Golf は、シリコンバレーに住む、あるゴルフ好きのソフトウェア会社のエグゼクティヴが考案したものです。"エンジェル" と呼ばれる個人投資家の助けもあり、2年前、彼は仕事を辞め、この製品を売り出すために会社を作りました。そして、この度、オンラインでの発売に漕ぎ付けたのです(実際の出荷は11月からだそうです)。
現在、全国的な小売チェーンとも交渉中だそうですが、ボール12個付きで249ドルという値段が、一般ゴルファーに受け入れられるのか興味のあるところです。ちなみに、ボールは米国ゴルフ協会(USGA)の規準に則っていますが、探知機の方は、距離を測る装置とみなされ、ツアーでは使用禁止だそうです。

それにしても、ヤーデッジの測定器などと同じで、物好きなゴルファーが買ったとしても、一度しか使わないグッズとなる可能性は充分にありますね。ゴルフボールなんかよりも、どこかに置き忘れた財布や鍵を捜し出す機械というのはどうでしょう。


<ロストチャイルド>

ゴルフボールと同じくらい行方不明になりやすいのが、遊園地に足を踏み入れた子供です。彼らは、大人とは違った脳ミソで世の中を見ているようで、何かに気を取られると、ゴルフボールよろしく、有らぬ方に飛んでいきます。そういった時のお助けサービスが、シリコンバレー唯一の大型遊園地、Paramount’s Great Americaで始まりました。
こちらもやはり、RFIDチップが活用されていて、チップを内蔵した腕時計型のカラフルな装置が、遊園地中に立つアンテナを介し、持ち主の居場所を中央制御コンピュータに逐一知らせる仕組みになっています。迷子を捜す親は、園内のデータキオスクに立ち寄り、タッチスクリーン画面で、子供が園内のどのセクションにいるのか教えてもらいます。園内は63のセクションに細かく分けられ、受信漏れがないように、各々にアンテナが立ちます。

このシステムは、SafeTzone Technologiesというカリフォルニアの会社が開発したもので、2001年末、ロスアンジェルス近郊の大型プール施設に導入されたのを皮切りに、全米に徐々に広まりつつあります。フロリダ州フォート・ローダーデールのショッピングモールでは、デパートくらい大きな遊戯施設に導入されていて、親がショッピングに夢中になっている間、子供はここで存分に楽しめるようになっています。親が買い物を終えて戻って来ると、施設内のどこに子供がいるのかすぐにわかる仕組みです。
同社は、キャッシュレスサービスのモジュールも用意していて、これを導入した施設では、各自が腕に装着したRFID装置が "電子財布" にも変身します(勿論、口座に入れておいた分しか使えませんが)。
これが先述のGreat Americaで導入されれば、もっと人気が出るのかもしれません。残念ながら、今のところ、広大な園内にデータキオスクが7つしかなかったり、レンタル料が装置一個に付き5ドルと高かったりと、一日に平均4、5組が借りる程度だそうです。

日本では、大阪のある学校で、児童の居場所を把握するために、名札か洋服にRFIDタグを付けると発表されたそうですが、この方法は、欧米では敬遠されるでしょう。遊園地などで、限られた時間子供を追跡するのは良しとしても、学校側が毎日使うのは、プライバシーの侵害だと受け取られるからです。"所変われば品変わる" で、RFIDの応用にもいろいろあるものです。


<日米経営比較論>

"所変われば品変わる" といえば、会社の経営スタイルも例に挙げられます。最初のお話の追記に出てきたSonim Technologiesですが、この会社は1999年に設立されているけれど、5年経った今は、創設者は残っていないそうです。経営が軌道に乗りそうなので、自分は会社を去り、また別の会社を始めたとか。
このように、会社を立ち上げる初期の頃が楽しくて、方向性が確立し、実行の段階となると他に譲るという経営者は、シリコンバレーでは結構多いようです。ひとつのものに固執せず、常に新しいチャレンジを求める。これは、種まきから収穫期まで、じっくりと腰を据え、会社を見守る日本の創設者とは好対照と言えます。ある種、“狩猟採集民族と農耕民族の違い” とも解釈できます。

製品開発に対する態度にも違いが見られます。たとえば、新製品を作るにあたって、日本では一から自分たちで作ろうとします。しかし、アメリカのテクノロジー会社では、必ずしもそれが最良の方法とはされず、時に、自分の欲する製品を先に開発してしまった会社を買収するという解決策を採ります。自分の手元に無ければ、どこかから採ってくればいいやという考え方です。
人事も同じようなものです。日本では、社員を一から教育しようとしますが、アメリカでは、採用したい分野での経験や適応性が優先します。ですから、新卒社員よりも中途採用が重宝されます。よって転職も多いし、スカウト活動も盛んです。ヒューレット・パッカードの最高経営責任者、カーリー・フィオリナ氏のケースのように、経営者や重役レベルの引き抜きも日常茶飯事です。

株主も経営者と同じくらいに狩猟採集民族型です。今すぐ良い結果が欲しいのです。そうしないと、株価が下がるではありませんか。そういうプレッシャーがあるので、会社としても、未公開のうちは数年を眺望した長期計画も可能ですが、ひとたび株式市場に公開してしまうと、数年どころか、年間計画も怪しいものとなります。一年などと悠長な事は言っていられずに、四半期ごとの成績が求められているのです。
このように、経営が短期決戦型なので、決断が速いという利点がある一方、長期的な投資がやりにくく、テクノロジーの一般への展開が遅れるきらいがあるのが狩猟採集的経営方式です。
しかし、いかに短所があったとしても、今から農耕民族に学べというのも、土台無理な話なのかもしれません。

(ちなみに、狩猟採集民族型・農耕民族型というモデルは、このシリーズを掲載していただいているインテリシンク株式会社社長、荒井真成氏の持論をお借りしたものです。)


<グーグル株>

最後に、先月号で書いたお話のアップデートです。ご存知の通り、8月19日、グーグル(Google)がめでたくナスダック株式市場に公開を果たしました。直前に、証券取引委員会から公開の一時延期を命じられたりしていましたが、大騒動もなく、初日の取引を迎えました。
従来のIPOと違って、オークション方式が採用されたわけですが、一般投資家にはちょっと手続きが煩雑で、しかも、公開値のガイダンスが108ドルから135ドルと "高嶺の花" だったので、予想されたよりも参加者は少なかったようです。公開の15日後には、グーグル社員の持株売却が一部解禁となるので、すぐに値崩れするという懸念もあったようです。それでも、85ドルで公開した株は、初日100ドルで取引を終了しました。
グーグル側としては、株式公開で36億ドルを調達する計画だったところが、実際は17億ドルと目減りしたので、若干の不満は残るのかもしれませんが、今の経済状況や、石油価格の高騰などという不安材料を考えると、致し方ないのかもしれません。経済不安を理由に、7月以降、11社がIPOの延期や公開値の値下げを発表しています。

いずれにしても、グーグルのような有名企業がオークション方式を採ったことで、従来のIPOよりも、ずっと公平な、民主的な公開プロセスが市民権を得たと言えるようです(株がどんな比率で購入希望者に分配されたかなどの詳細は、非公開のままとなっていますが)。そして、公開に携わった金融機関への手数料もずいぶんと低く抑えられたこともあり、今後公開を考える企業にとっても、いい教科書になったことでしょう。
昨今、評判の芳しくなかったインターネット業界ですが、グーグルが仲間に加わったことで、文字通り、株が上がることも期待されます。

グーグル公開の翌朝、シリコンバレーの代表紙サンノゼ・マーキュリー新聞に、きれいなカラー版の広告ポスターが入っていました。何かと思って開いてみると、スポーツ仕様車Hummerの宣伝でした。
この車については、昨年7月にご紹介していますが、軍用トラックを一般向けに改造した超大型車で、イラク戦争勃発後、シリコンバレーでも新たなステータスシンボルとなるほどの人気を誇る車です。
Hummerは、安いモデルでも5万ドルは下らないので、近い将来、小金を懐に入れるであろう "グーグラーたち" をターゲットにしたものかと、勘繰りたくなる絶妙なタイミングではあります。

そこで、グーグラーさんにひとことアドバイスです。この車は燃費が非常に悪く、ガソリン代がかかることもありますが、普通の家のガレージには、高さがつっかえて入らない場合があることを念頭に入れておいてくださいね。


夏来 潤(なつき じゅん)

近頃ホットなこの話題:「華氏911」とグーグル

Vol.60
 

近頃ホットなこの話題:「華氏911」とグーグル

今回は、シリコンバレーのこの界隈で、昨今注目されている話題をふたつ提供いたしましょう。


<「華氏911」>

6月25日、待ちに待ったドキュメンタリー映画『華氏911(Fahrenheit 9/11)』が、全米で一挙に公開されました。いつもは話題の映画とは縁遠い筆者も、独立記念日(7月4日)の週末にさっそく見に行きました。
前日にインターネットでチケットを購入したのですが、金曜日だったにもかかわらず、午後1時の上映は売り切れでした。筆者が行った4時からの上映も、堂々たる満席で、人気の高さを物語っています。
映画はユーモアも交えた軽妙な語り口で、2時間があっという間でした。日頃は冷めたシリコンバレーの観客ではありますが、上映が終わったあとは、珍しく拍手が起こっていました。

内容的には、ブッシュ大統領一族とサウジアラビア王家やビンラディン家との石油や投資をめぐる強固な繋がりや、イラク戦争を含めた同時テロ後のブッシュ政権の政策を克明に描いたものですが、時に緘口令を敷かれているアメリカでは、初めて聞くような内容も多く、ゆえに賛否の反応も強いものとなったわけです。
"アカデミー賞は到底もらえないだろうから、マイケル・モーア監督にノーベル賞をあげろ" というものから、"ドキュメンタリーという意味を曲解したでっち上げだ" というものまで、両極端な意見が聞かれます。しかし、いずれにしても、ブッシュ支持派も不支持派も、アメリカ国民全員が直視すべき作品だと言えます。

映画の良し悪しは、8月中旬に観ていただければわかるので、ここでは、マイケル・モーア監督自身の作品に懸ける思いをご紹介しましょう(公共放送局WNETニューヨーク制作のインタビュー番組 "Charlie Rose" の中で、7月上旬、ホストのチャーリー・ローズ氏に語った内容から抜粋しています)。
まず、この映画を作った根底には、イラク戦争が起きてしまったことに対する監督の強い悔恨があるようです。メディアやプレスは政権に対しもっと厳しい鑑識眼を持つべきだったのに、結果的には、イラクとアルカイダの関係や大量破壊兵器の有無を追及することなく、戦争を許してしまった。監督自身は、昨年のアカデミー受賞式で、ブッシュ大統領を批判する発言を公然とやってのけたわけですが、これでは足りないと痛感していたようです。
しかし、映画を作る以上は、監督としていい作品を世に出したい。そして、二次的に、今年11月の大統領選で、ブッシュ大統領をホワイトハウスから追い出せたら文句はありません("もし、こっちの方が第一目的だったら、自分で大統領選に出馬してるよ" とジョークを交えます)。
けれども、悲しいことに、アメリカ国民の半分は投票に行かない。だから、この映画を観て、今まで投票したことのない忘れ去られた人々が投票に行ってくれたら、そして民主主義のシステムに参加してくれたら、監督冥利に尽きるというものなのです。

映画を作るにあたって、制作会社ミラマックスと親会社ウォルト・ディズニーとの間には、たったふたつの約束事しかなかったようです(それが先の買収の条件だったとか)。制作費3千5百万ドルを超えないこと、そして "NC-17(17歳以下はお断り)" のレッテルを貼られないこと。
ディズニーのCEO、マイケル・アイズナー氏が映画の中身を知ったときは、時すでに遅し。"あの映画は見ないようにって、アイズナーはディック・チェイニー(副大統領)にあわてて電話したみたいだよ" とのこと(そして、ディズニーは配給を拒否しました)。

映画がまゆつば物だという批判があるとの問いには、こう答えます。ブッシュ政権は、戦争の正当性を国民に押し付けるために、理由をでっち上げた。それに比べて、僕は、過去30年に渡ってブッシュ一族と取り巻きに贈られた巨額の金や、同時テロ直後の9月13日にビンラディン一族を国外に逃した形跡があることなどを中心に、事実に基づき自身の意見を述べている。
イラク戦争での映像は、3分の2は自分のクルーが撮ったが、あとは兵士同士が撮ったり、軍隊に付随するフリージャーナリストが撮ったりしたものだ。だから、客観的なものと言える。メジャーネットワークが取り扱ってくれないので、彼らは僕に買ってくれとフィルムを渡してきた。

ブッシュ大統領については、"頭が空洞(he has a vacancy problem upstairs)" で、取り巻きにとって "便利なバカ(useful idiot)" だと監督は言い切ります。現政権のメンバーの半分は、ブッシュ1世(父親の元ブッシュ大統領)から譲り受けたもので、その言いなりになっていることを指しています。
映画の一場面を引き合いに出し、"だってアメリカが攻撃されてるってシークレットサービスが耳打ちしてるのに、何をしていいんだかさっぱりわからなかったじゃないか" と指摘します(ちなみに、ブッシュ大統領のエール大学での通算成績は "C" で、一番良かったのは歴史、悪かったのは天文学です。科学には特に弱いようです)。

とは言うものの、監督自身は、ブッシュ大統領に対抗する民主党支持者とも違うようで、"僕は独立派(Independent)だよ" と強調します。何でも、1992年はクリントン前大統領に投票したけれど、1996年と2000年は緑の党のラルフ・ネイダー氏に入れたそうです(2000年の選挙で、アル・ゴア前副大統領の足を引っ張り、結果的にブッシュ大統領を誕生させた候補者。今年は緑の党の推薦を得られなかったので、無所属で出馬表明をしています)。
さすがに今回の大統領選では、監督もブッシュ降ろしに一致団結するようですが。

監督は、映画の中でイラク戦争の理不尽さを切実に訴えていますが、その中に、ある兵士の家族が出てきます。兵士は、"お願いだから、あのバカ(that fool)を再選しないでくれ" と手紙に書いてきました。家族がこれを受け取った1週間後に、乗っていた戦闘ヘリコプターが墜落し、彼は戦死しました。そうして、終わりのない遺族の苦悩が、またひとつ生まれています。

アメリカ史上初めて、正副両大統領が同一産業(石油業界)の出身となっています。ここに何かあると見るのは、マイケル・モーア監督だけではないことは確かなのです。


<映画は正しいの?>

それでは、ここでちょっと、筆者なりに映画の論点を吟味してみましょう。勿論、事の真偽を判断できないことも多々ありますが、一般に公開されている情報だけでもかなりのことが見えてきます。

まず、米国のイラク攻撃の根拠となった、サダム・フセインとアルカイダの密接な関係、そしてイラクの大量破壊兵器保持や原子爆弾の製造計画続行についてですが、既にご存知の通り、米国の正式な調査でも、これらの証拠は認められていません。
共和党5人、民主党4人で構成される米上院諜報委員会(the Senate Intelligence Committee)は、7月9日に公表した報告書でこれらの関連性を否定しています。それと同時に、CIAが信頼できない情報源に頼り過ぎたために間違った情報を政府に与えたと、CIAに罪を擦り付ける結論を出しています(対照的に、7月22日に発表された911委員会の報告書では、連邦議会に落ち度があったと結論付けています)。

これに前後して、今年3月に上院議員たちの前で、チェイニー副大統領の主張と矛盾する証言をしていたジョージ・テネットCIA長官は、7月11日を最後に、7年間務めた職を追われました。"何をしたとかしないとか弁明はしないけれど、誰かが諜報を曲解していると判断した時は、私は必ずそれを指摘した事実だけは信じてほしい" と先に証言していました。長官の辞職は、表向きは "一身上の都合" ですが、それが "辞めさせられた" の婉曲語であることは周知の事実です。
テネット前長官は、今年2月にも "たとえビンラディンと彼のネットワークが壊滅したとしても、他のイスラム教過激派グループが米国内外の攻撃を続けるだろう" と厳しく警告していました。イスラム社会の専門家の多くも、米国のイラク侵略が事を悪化させてしまったと同種の見解を採っていますが、これは、大統領選挙を控える政権にとっては不利な発言だったわけです(ちなみに、新たなCIA長官は、11月の選挙後まで任命されない可能性もあります)。

さて、映画の論点に戻りますが、冒頭に出てくる、2000年の大統領選挙でのフロリダ州の結果についてです。事実上、全米の選挙結果をひっくり返したこの州では、537票の僅差でブッシュ氏に軍配があがったわけですが、モーア監督は、そもそもブッシュ氏の弟が州知事だし、いとこが有権者のリスト作成に関わっていたので、信用できるものではないと主張しています。
これに関しては、7月に入り、フロリダ州政府は、2000年の選挙で有権者リストのベースとなった "重罪犯リスト" に間違いがあったことを正式に認めました(マイアミ・ヘラルド紙の追求に屈した模様です)。
フロリダは、ひとたび有罪判決を受けると、刑を全うして釈放されても、自動的に選挙権を復権できない数少ない州のひとつです。そのために、"犯罪者リスト" が存在するわけですが、この民間会社が作成したリストの中に、恩赦を受け、本来は選挙権を持っていた人間がたくさん入っていたというわけです。そして、そのほとんどは、黒人だった、つまり圧倒的に民主党支持だったというわけです。

フロリダは、その地理的要因からユニークな政治分布図を持っていて、州のラテン系住民は、圧倒的に保守的な共和党支持です(キューバとプエルトリコからの移民が多いことに起因)。これは、民主党支持の多いメキシコ系移民とは好対照となっています。一方、黒人は、全米押しなべて民主党支持が多いのです。
2000年の大統領選では、間違って州の "犯罪者リスト" に入っていた人は2千人以上おり、その中に(保守的な)ラテン系はほとんどいませんでした。この過ちは、フロリダの選挙結果を、ひいては大統領選挙そのものを充分に左右していたものと思われます(これに対し、7月15日、共和党が牛耳る下院議会は、今年11月の大統領選挙を国連が監視することを禁止する法案を圧倒的多数で可決しました。審議中、フロリダ選出の民主党議員が、共和党議員たちに向かって、"あなた方が参加したクーデター" だとか "あなた方が選挙を盗んだ" と発言する場面もありましたが、これらは議事録から削除されました)。

また、映画の中には、ブッシュ大統領のテキサス空軍守備隊時代の話が出てきますが、これに関連する話題ではこんなものもあります。彼のアラバマでの軍務期間中、1972年から翌年にかけての空白の3ヶ月が以前から問題となっていましたが、6月下旬、国防総省は、"ブッシュ中尉を含む複数の給与支払い記録が、1996年に国防省会計局によって喪失されていた" ことを発表しました。
何でも、痛んだマイクロフィルムを修復しようとしたところ、間違って壊されてしまったとのこと。"紙面でのコピーは存在しない" と報告書に追記されています。

一方、映画では、誇張されていた論点も無きにしも非ずです。モーア監督は、同時テロ直後の9月13日に、ブッシュ政権が正規の手続きなしにビンラディン一族を国外に逃がしていたと主張していますが、当時、テロ対策の総責任者だったリチャード・クラーク氏は、"FBIに確認した後、私が一族に離陸許可を与えた" としています。
同氏は、政権を離れた後、大統領に批判的な立場を固持していますが、曰く、"私はこの映画に心から賛同するが、現政権はあまりに多くの過ちを犯しているため、政権を攻撃するために事をでっち上げる必要はまったくない" とのこと。

それから、映画には、"2001年1月の大統領就任以来、ブッシュは最初の8ヶ月間の実に42パーセントを休暇としていた" との主張もありますが、CBSラジオのベテラン通信員によると、42パーセントではなく、39パーセントだそうです。

蛇足となりますが、個人的には、この映画でひとつの謎が解けました。"AK-47(カラシュニコフ1947年型の自動攻撃ライフル銃)に取り付けるMP3プレーヤーが、昨年一年間に一万台売れた(Harper’s Index, April 2004)" という謎です。
映画は、ヘビーメタル系の音楽をガンガンかけながら、戦車から砲弾を発射する若い兵士たちを映していますが、どうやら、人殺しの道具と過激な音楽は密接に結びついているようです。


<グーグルはバブル再来の証?>

さて、最後に、まったく違ったお話に切り替えましょう。インターネットのサーチエンジンとして、アメリカで一番人気を誇るグーグル(Google)が、間もなく株式市場ナスダックに公開します。
数年来、いったいいつになったら公開するの?という質問に、"僕たちはプライベート会社のままで行くよ" と答えていましたが、どうやら心変わりがあったようです。今年1月、監査会社の財務診断で "健康" というお墨付きをもらったことで、公開プロセスが一気に進み、早ければ8月、遅くとも初秋までには公開の運びとなりました。

ご存知の通り、以前は、財務的に厳しい状態でも "とりあえず株式市場に公開してしまえ!" といった風潮があり、これがインターネットバブルとそれに続く崩壊に結びついたわけです。また、バブルの波に乗り、財務報告のごまかしなども、業種を超え広範囲に及びました。現在も、企業側を相手取り、バブル崩壊時の大損を訴える投資家の集団訴訟が跡を絶ちません。
これに対し、議会は2002年に法律を通し、企業の財務診断を、証券取引委員会への株式公開登録の必須科目としたのです。

そんな中、企業の株式公開(initial public offering、俗にIPO)は、2000年のバブル崩壊以降は低迷期にあったものの、今年に入り、若干持ち直し傾向を見せています。
今年第1四半期には13、第2四半期には24のベンチャー企業が、米国の株式市場にデビューしています。グーグルをはじめとして、公開登録をしている企業は50近くあり、今年はIPOのペースも加速することが予想されています。

IPOのやり方としては、バブルの頃は、"ロードショー"と呼ばれる方法が一般的でした。名前が示す通りの "映画の独占封切興行" のように、企業のCEO(経営責任者)やCFO(財務責任者)が、全米津々浦々の投資銀行や大手投資家を廻り、自社の魅力や発展性を訴えながら、願わくは彼らの持ち株に加えてもらおうという行脚のツアーです。
そして、実際の公開時には、ロードショーを含む公開プロセス全般をお膳立てした金融機関が、自分たちのお得意様やロードショーで興味を示した投資家に株を分配するという方式を採ります。一般投資家はといえば、市場で取引が始まった瞬間から、非常につり上がった値段で株を買うことになります。

しかし、今回のグーグルの公開では、"オークション" 方式が採られるとも報道されており、そうなると、より幅広い投資家が公開に参加できることになります。この方法だと、公開値のガイダンスはあるものの、原則的に高く値をつけた人に株が分配されることになりますので、"ロードショー"における独占的な要素は少なくなるわけです。

いずれの方式にしても、グーグルが公開すれば、"小金持ち" がシリコンバレーに増えるのは確実です。特に、今回は、従来のIPOと比べ、短期間でより多くの自社株の売却が可能となるようなので、解禁後どっと株を売る社員が出てくるものと見られています。
一説によると、百万ドル以上の利益を手にするグーグラー(グーグル社員)は、200人を超えるとされ、本社のあるマウンテンビューや隣接するパロアルトなどでは、今から邸宅を探すグーグラーたちが観察されています。グーグラーの誕生を心待ちにして、家を売り控えている人もいるそうです。

けれども、これがバブルの再来となるには、まだまだ事例が少な過ぎるし、経済は弱いと言わざるを得ないでしょう。

あれは、2000年3月2日のことでした。懇意にしていた金融アドヴァイザーが電話をかけてきて、"ねえ、ねえ、PalmのIPO株あるんだけど、興味ない?" と言います(言わずと知れた、Palm Pilot でお馴染みのPDAメーカーです)。
公開値の38ドルで分けてくれると言うので、さっそく購入したのですが、取引開始後、一時は165ドルまでつり上がり、その日の終値は95ドルという人気でした。

結局、バブルがはじけるまで持ち続けていたので、購入価格の半値以下で売却してしまったのですが、今となっては、手放さずに持っていた方が良かったかなとも後悔しています(Palm は、昨年10月、Treoシリーズで人気のHandspring 買収が完結した後、ハードウェアの palmOne とソフトウェアの PalmSource に分割され、現在 palmOneは、一株38ドル近辺まで持ち直しています)。

あの頃の大騒ぎはいったい何だったんだろうと振り返るのは、筆者ばかりではないでしょう。

夏来 潤(なつき じゅん)

シリコンバレー今昔:戦争と日系の人々

Vol.59
 

シリコンバレー今昔:戦争と日系の人々

先月に引き続き、今月もテクノロジーの話題からちょっと離れ、シリコンバレーの昔話などをいたしましょう。

そう思い立ち、6月のある日、サンノゼ市の日本街にあるサンノゼ日系博物館(Japanese American Museum of San Jose)を訪ねました。そこで、ボランティアとして歴史や展示物の説明をしているアーニー・ヒラツカ氏に貴重なお話を伺いました。以下は、ヒラツカ氏の体験をもとにした、戦時中の日系家族の生活史です。


<戦前の生活>

アーニー・ヒラツカ氏の米国での系譜は、1895年、父方の祖父がハワイに移住したことから始まります。数年後、祖父は米国本土に移り、日系2世であるヒラツカ氏の父が、本土生まれの最初の子となりました。ヒラツカ家は、当時の多くの日系家族がそうであったように、サンタクララバレーで農作業に従事し、イチゴ栽培を手がけていました(ご存じのように、サンタクララバレーは、今はシリコンバレーと呼ばれます)。

1895年以来、日系の人々は、サンノゼ市やサンタクララ市を中心にバレーに広く散らばり、農地の開墾を手がけていました。現在サンノゼ市の南端を走るハイウェイ85号線沿線は、そういった日系農家の畑が最後まで残っていた地帯です。


ヒラツカ家は、1920年代に入ると、イチゴに加え、大根、たまねぎ、きゅうり、トマトなど、作物の種類を徐々に増やしていきました。写真は、当時、ヒラツカ氏の父が野菜の種まきに使っていた農機具です。
農作業には、Henry Ford & Sonのトラクターも使われていました。エンジンをかけるには、前方にあるレバーをカリカリと回します。Fordといえば、1908年10月に、世界初の量産自家用車Model Tを出しています。


主要作物であったイチゴが収穫されると、写真のような "イチゴ箱(berry chest)" にきれいに収められ、業者がトラックで配送基地からサンフランシスコやオークランドの市場に運びます。イチゴ箱の棚には、薄く削られた木製のかごが収められ、これにイチゴが盛られます。
日本街のかご製作業者、ウェイン・バスケットが後に改良を試み、白いかごを作成したところ、イチゴの赤とのコントラストからか、市場で飛ぶように売れるようになったといいます。新しいものに躊躇する他家を尻目に、ヒラツカ家が最初に改良版を採用したとか。


当時は、ストーブもコンロも灯油が燃料となっており、ヒラツカ家もこのようなコンロを料理に使っていました。一度、お母さんがイワシの缶詰を温めようとコンロにかけたところ、缶に穴を開けるのを忘れ、天井まですっ飛んでいったことがありました。まだ小さな子供だったヒラツカ氏をかばい、"気をつけろ!"と父親が母を怒鳴ったことをよく覚えているそうです。父がそんな大きな声を出したのを、この時初めて聞いたといいます。
また、こんなエピソードもあります。今でもサンノゼの日本街では餅つきが師走の恒例となっていますが、移住当時から、日系コミュニティーでは、皆で餅をつくことがお正月準備の大事な行事となっていました。ある年の餅つきで、お母さんがこねを担当していた時のこと、つき手の父とリズムが合わず、指先を杵でつかれ痛い思いをしてしまったそうです。まだ餅つきにも慣れていない頃のお話です。


<収容所へ>

日系の人々の生活が急激に変化したのは、1942年2月19日のことでした。前年12月7日の日本軍によるハワイ真珠湾奇襲攻撃で、日本はアメリカの敵国となり、日本人を祖先とする者は、米国籍の有無を問わず全員を収容所に入れるという、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の命令が下されたのです。
これが、アメリカ史上、最も恥ずべき汚点ともいわれる "大統領行政命令第9066号(Executive Order No. 9066)" です(収容所は、英語では "移転収容所" を意味するrelocation centers や、"敵国人収容所" を指すinternment campsといった表現がなされます。しかし、これらは婉曲語だとして、収容経験者の多くは、"強制収容所" を表すconcentration campsを使います)。

ヒラツカ家は、1937年以降、父がランドリー(洗濯業に移った関係でオークランドに住んでいました。ここでも電信柱ごとに "お達し" が張り出され、日系の人々はすべて、住み慣れた家から追い出され、遠く離れた砂漠の収容所に送られることとなりました。短いケースで6日間ほどの猶予が与えられ、その間、持ち物をすべて処分し、家族で持てる分だけを荷造りし、収容所行きに備えるのです。赤ん坊がいる人は、いくらも荷物が持てないので、自分のものは後回しです。
カリフォルニアでは、19世紀末に中国系移民の排斥運動が起こり、日露戦争での日本の勝利を機に、日系移民にも激しい矛先が向けられていました。そして、1920年、アジア系移民の土地の所有や借地を禁止した法律も定められました。しかし、中には、アメリカ国籍を有する2世の名義にして、かなりの土地や家を所有している家族もありました。短い準備期間中、破格の値段で手放す者も、隣人や知人に託す者もありました。戦争が終わって帰ってみると、家は荒れ果て、畑や果樹園は他人のものになっていたという話も珍しくありません。銀行ローンの名義を勝手に変更し、土地を自分のものにしてしまった隣人のケースもあるようです。
ヒラツカ家では、頑丈にできたスーツケースを銘々に購入し、服や下着、身の回りのものを詰め込み、収容所に向かいました。残りの家財道具で後の生活に必要なものは、郡の保安官事務所が預かってくれたので、収容所に落ち着いた頃に手紙で輸送を依頼し、大きめの箱3個分の荷物が無事に届けられたといいます。けれども、後に収容所で起きた火事のため、半分以上は失われてしまいました。多くの人は、保安官事務所での保管は信用できないとして、売却や友人に託す選択をしました。


<収容所での生活>

収容所は、戦時移転局(the War Relocation Authority)管轄の大規模なものが、アメリカ全土10箇所に点在していました。カリフォルニア、アリゾナ、アーカンソーにそれぞれ2箇所、アイダホ、ワイオミング、ユタ、コロラドにそれぞれ1箇所です。その他、司法省や米陸軍管轄の収容施設も広範囲に点在しています。
これらの施設に収容された日系人は、全部で12万人といわれます。その3分の2は、アメリカ国籍の市民でした。父や夫、兄弟が第一次世界大戦で米軍として戦った経歴があっても、それはまったく考慮されませんでした。
各地の収容所は、1942年夏に次々と完成しましたが、行政命令発令からそれまでは、カリフォルニアを中心に西海岸17箇所に散在する集合センター(assembly centers)に収容されました。中でも、ベイエリア・サンブルーノのタンフォランとロスアンジェルス近郊のサンタアニータは、競馬場を改造したもので、人々は、臭くて狭い馬小屋に数ヶ月間押し込められました。

ヒラツカ家は、そのタンフォランから、列車でアリゾナ州ポストンの収容所に送られました。ポストンは、アメリカインディアンの居住区に指定されていた砂漠ですが、何もない砂漠の平地に粗末なバラックが並びます。ここは、カリフォルニアのトゥーリーレイクに次ぐ規模で、ピーク時は1万8千人が収容されていました(インディアンの部族は、自らの歴史的体験から、居住区内の収容所建設に反対したそうです)。
収容所送りに際し、ひと家族が3つの収容所に分けられたケースもあり、日本国籍だったヒラツカ氏の母は、アメリカ国籍の子供たちから離されるのを恐れていました。不幸中の幸いで、ヒラツカ家6人は揃ってポストンに送られることとなりました。アラスカのいとこ達は、カリフォルニアの集合センターを経て、アイダホに送られました。サンノゼに農地を持ち、市内の日本語学校の役員もしていたおじは、スパイの疑いがあるとしてFBIに捕まり、ニューメキシコにある国の刑務所に入れられました。勿論、スパイなどではありませんが、2年間出られませんでした。

収容所は有刺鉄線で囲われ、監視塔も配置され、脱走できないように絶えず見張られていました(写真は、監視塔の模型です)。収容所入所時は、持ち物を厳しく検査され、銃やナイフの武器は勿論のこと、ラジオやカメラの持ち込みも禁止されていました。中には、カメラで日常生活を隠し撮りしていた人もいますが、ヒラツカ氏は、収容所外に出る何らかの機会に、外で購入し持ち込んだのではないかといいます。検査はとても厳しく、入所時に隠れて持ち込むことは不可能だったようです。

生活の記録としては、日本画や漫画も活用されていました。現在、サンノゼ日系博物館には、ジャック・マツオカ氏の風刺入り漫画が展示されており、当時の収容所内での生活を垣間見るには絶好のものとなっています(来年2月まで展示)。
普段の生活の場は、粗末なベッドが置かれた6メートル四方の6人部屋でしたが、トイレやシャワーなどは、仕切りもなく長屋に横並びに配置されているだけなので、用を足す時も、シャワーを浴びる時も、常にお隣さんの顔が見えています。ヒラツカ氏は、それは学校で慣れていたといいますが、隙間だらけのバラックの間仕切りのお陰で、隣人の夫婦喧嘩がよく聞こえてきたのには閉口したようです。
ジャック・マツオカ氏のトイレの漫画には、こんな注釈があります。"プライバシーがないなんて気にする暇があったら、便器に毒グモやサソリがいないかを注意しろ"と。水廻りには好んでサソリがやって来たと、ヒラツカ氏もいいます。"サソリやコヨーテしか住まない砂漠に見捨てられた"と嘆く、ユタ州トーパズ収容所の人もいました。


バラックの外壁は、木組みの壁の外を、タールを塗った厚紙で覆う簡単なものでした。ポストンをはじめとして、収容所は砂漠や荒野に位置していたため、夏の灼熱や冬の極寒に加え、砂嵐に悩まされました。家の中にいても、呼吸ができないくらいに砂や土ぼこりが入り込んできます。
"日系人は、収容所で甘やかされている"といった批判を耳にしたエリノア・ルーズヴェルト大統領夫人は、1943年、アリゾナ州ヒラリヴァー収容所を訪ねました。その体験をまとめた記事の中で、"砂嵐は息を詰まらせ、鼻やのどに炎症を起こし、人々は呼吸器系の慢性病から回復しなくてはならない"と述べています。

それでも、機転の利く日系の人々は、逆境を乗り越え、収容所での生活を少しでも良いものにしようと努力しました。砂漠に灌漑設備を作り、作物を育てられるようにしたし、豚や鶏も飼育しました。各棟に必ず料理のうまい人がいて、彼らが食事係となったし、先生や医者も募られました。生活が単調にならないように、週に一回は、屋外で映画も上映するようになったし、日系コミュニティーの一番のスポーツである野球も楽しめるように、グラウンドも整備しました。楽器ができる者はバンドを組み、ダンスパーティーなども開きました。
投票で選ばれるコニュニティー評議会も結成され、ある程度の自治権も認められるようになりました。しかし、会議やニュースレターでの日本語の使用は禁止され、収容所内での実権は、英語のうまくできない1世からアメリカ生まれの2世、3世に移っていったようです。一方、日系人収容の行政命令に憤懣を抱く1世を中心として、各収容所内でストライキやデモンストレーションも起き、武装した憲兵隊が入り込む騒ぎにまで発展したことも多々ありました。
ポストン収容所で生活していた中に、こんなことを覚えている人もいます。戦後、ポストンの地を再び訪れた際、収容所跡を見下ろす丘の上に住むインディアンの人々がやって来て、"こんな所には僕たちも住まないけれど、作物ができるようになったなんてすごいね"と声を掛けたそうです。それほど、日系の人々の苦労は大きなものだったようです。


<軍隊に志願>

収容所に入れられた多くは、アメリカ生まれの米国籍です。中には、"帰米" と呼ばれる日本で教育を受けた2世、3世もいますが、日本など行ったこともない人々が大部分です。そういった2世や3世の若者の中には、アメリカ軍に参加することで、自分たちの国に対する忠誠心を証明しようとする者もありました。このような若者は、千2百人を超えます。
ヒラツカ氏もそのひとりで、ポストン収容所で一年を過ごした頃、米陸軍に志願しました。19歳のことでした。彼は、陸軍の訓練を受けた後、他の2世志願者とともに、第442連隊(the 442nd Regimental Combat Team)に配属されました。そして、ハワイで結成された日系の第100歩兵大隊と合流し、イタリア、そしてフランス南部で戦いました。
イタリアからフランスの山越えでは、命拾いをしたことがありました。ヒラツカ氏は、40名ほどの一斉射撃部隊の偵察兵として列の先頭を歩いていました。先鋒の偵察兵が殺されたため、この任務がまわってきたのです(本当は、先頭など歩きたくなかったそうですが)。大きな木の下の二股道にさしかかり、はてどちらに行こうかと一瞬迷ったあと、左の道を選びました。少しして、後ろの者がこの道は間違っていると指摘したので、二股の所まで後退してきたところ、大きな木の根元には、後続の金属探知班が見つけたドイツ軍の地雷がいくつか掘り出されていました。ヒラツカ氏に続く者は、彼の踏んだ所を歩く規則になっていたので、全員地雷を踏まずに助かったわけですが、彼がどうやって地雷を避けて歩いたのかは、自分でもよくわからないそうです。"後続の40名の命を守るため、神様が頭の中に宿ったのかもしれない"と回顧します。

ヒラツカ氏のいた第442連隊は、ドイツ軍に包囲されたテキサス歩兵部隊の救出作戦をはじめとするヨーロッパでの激戦で、アメリカ史上最も多くの勲章を授かった部隊として有名です。引き換えに、多くの犠牲者も出しています。進駐軍として日本にも滞在したヒラツカ氏は、戦後、ハリー・トルーマン大統領から感謝の手紙を受け取りました。"国の最も優秀な者として、敵を駆逐する厳しい任務を遂行したことに、偉大な国からの感謝を捧げます"という内容です(手紙の左下に置かれるブルーの紋章は、隊員がデザインした第442連隊のマークです)。
また、第100・442合同連隊に所属する第552大隊は、ポーランド、ダソウにあるユダヤ人強制収容所を発見し、収容者を解放したという輝かしい経歴もあります。ただし、歴史的には、後にダソウに到着した白人部隊が同地を解放したことになっています。
第442連隊に加え、合わせて1万6千人の日系人が、アジアや太平洋地域でアメリカ軍として参戦しました。その多くは、軍の諜報機関(the Military Intelligence Service)で、日本軍の通信傍受などに従事していました。日本語がわかる2世たちは、米軍にとって役立つ存在でした。しかし、初期の頃は、日系人は正規の米軍兵とは認められず、木製の銃まがいの武器を持たされていました。味方の米軍から間違って狙撃される日系米兵が続出し、初めて本物の銃を与えられたと、ヒラツカ氏は説明します。


<収容所の閉鎖とその後>

1944年12月、戦争も終わりが近づいた頃、一年以内にすべての日系人収容所が閉鎖される決定がなされました。その時点で、すぐに収容所を出る者もあったし、また無理やり移転させられることに最後まで抵抗する者もいました。出所に際し、戦時移転局は、収容者ひとり当たり25ドルと目的地への汽車賃しか支給しませんでした。抵抗はあったものの、1945年末までには、すべての収容所は閉鎖され、1946年6月、戦時移転局は正式に解散しました。
日系の人々の戦後の生活は、収容所と同様に困難なものだったことは、想像に難くありません。家も土地も農機具もほとんどすべてを失い、まさにゼロからの再スタートでした。"収容所に帰りたい"と、我が家の跡地に立ち尽くす人もいました。日系人排斥運動がくすぶる中、戦後すぐは、仕事もうまく見つけられない有様でした。
収容所での生活は、今すぐに忘れ去りたい一ページとして、新しいスタートに専念した人もありましたが、一方で、日系人収容は国の不当な処遇だと、首都ワシントンDCまで掛け合いに出かけた者もありました。この頃になると、さすがにアメリカ人も国のやり方に疑問を抱くようになっていて、直談判に向かう日系人を見ると、タダでタクシーに乗せてくれた運転手も何人もいたそうです。結局、国が日系人収容の不当性を認め、正式な謝罪とひとり2万ドルの補償(redress)をしたのは、戦後かなりたって、1989年のことでした。

日系コミュニティーでは、戦後一貫して、収容所跡を保存し、戦時中のできごとを語り継ぐことに取り組んできました。その根底には、誤った歴史を二度と繰り返さないために、史実を世に広く知らしめる意図があります。同じことは、いつの時代にも誰の身にも起こりうる可能性があるからです。
その使命を胸に、ヒラツカ氏は連日、博物館への来訪者に丁寧に説明をしています。

This article is dedicated to you, Ernie. I extend my sincere thanks to your openness and generosity to share your life history as well as invaluable experiences during the difficult wartime period. Had it not been for the determination and sacrifices of you and Issei, Nisei and Sansei people, newcomers to the United States like us wouldn’t have been able to enjoy the freedom and privilege we have now in this country. Please continue to spread the words of Japanese American community for many years to come!
I also extend my gratitude to Japanese American Museum of San Jose for your generosity and understanding to utilize your indispensable resources of the history and life ways of Japanese American community in the Santa Clara Valley.

追記:この記事は、アーニー・ヒラツカ氏の口述の個人史をもとにしていますが、その他、サンノゼとサンフランシスコで出会った日系1世、2世の方々の体験談も参考にさせていただきました。また、収容所の歴史的背景としては、Burton, Jeffery F., Mary M. Farrell, Florence B. Lord, and Richard W. Lord. Confinement and Ethnicity: An Overview of World War II Japanese American Relocation Sites. Tucson: Western Archaeological and Conservation Center, 1999を参考にしました。
サンタクララバレーの日系農家については、Lukes, Timothy J., and Gary Y. Okihiro. Japanese Legacy: Farming and Community Life in California’s Santa Clara Valley. Cupertino: California History Center, 1985を参考にしました。
集合センターと収容所内の生活については、その詳細を日本画で綴ったHill, Kimi Kodani, ed. Topaz Moon: Chiura Obata’s Art of the Internment. Berkeley: Heyday Books, 2000も参考にしました。
また、日系人の歴史全般については、以下の2冊を参考にしました。Niiya, Brian, ed. Encyclopedia of Japanese American History Updated Edition: An A-to-Z Reference from 1868 to the Present. Los Angeles: Japanese American National Museum, 2001. Cao, Lan, and Himilce Novas. Everything You Need To Know About Asian-American History. New York: Penguin Books, 1996.

夏来 潤(Jun Natsuki)

春の旅路:我が家にシーサーがやって来た

Vol.58
 

春の旅路:我が家にシーサーがやって来た

そうなんです。ゴールデンウィークに、はるばる沖縄に行ってきました。今回は、筆者初体験の沖縄旅行をのんびりと綴ってみたいと思います。


<宮古の思い出>

那覇に着いてすぐ、宮古島に向かいました。本島から離れた島に行ってみたかったのです。市街地からちょっと離れた小高い丘にある民宿に入り、まず海まで散歩しようということになりました。湿気でむしむしする夕方、誰も通らない立派な舗装道路を15分くらい歩いて、ようやく海岸までたどりつきました。その頃には、慣れないサンダルのせいで足にまめができて、もう歩きたくありません。
見ると、そこはリゾートの建設現場となっていて、大きな木の下で、7、8人の男性が酒盛りをしています。楽しそうに語らっているので、よほど仲間に入れてもらおうかと思いましたが、筆者の両親もいるので思いとどまり、タクシーを呼ぼうということになりました。
そこに、呼びもしないのに、一台のタクシーが救世主のように現れ、クーラーの効いた快適な車で、市街地まで連れて行ってくれました。やはり沖縄は車がないとだめなのだと、初日から思い知らされたのでしたが、ここで会ったのも何かの縁と、翌日は、その運転手さんに島内を案内してもらうことになりました。

今思うと、とてもいい運転手さんに巡り合ったもので、お陰で、24時間しかいなかった宮古のことをたくさん知ることができました。たとえば、水の話があります。
いつかハワイの深刻な水不足をお伝えしたことがありますが、島にとって、水は大切な財産です(2002年9月23日掲載)。特に、宮古のように、山や大きな川がない地形では、すぐに水不足になるのではないかと、他人ながら心配になります。
ところが、実にうまくできたもので、珊瑚礁が隆起してできた宮古の場合、地下の堆積珊瑚の石灰岩層がスポンジの役目を果たし、地中の豊かな水源となっているのです。この石灰岩層は、天然のろ過作用も果たし、海に向かってきれいな湧水を放出します。
この湧水を利用するために、昔から、海岸線に小さなダムを作る工法も発達していたようです。ムイガーと呼ばれる代表的な例が、城辺(うすくべ)町の断崖の下に見られます。お陰で宮古では、雨が2年ほど降らなくても飲み水に困らないと言います。

これに対し、沖縄本島では、家々の平らな屋根に取り付けられた水のタンクをよく目にします。本島の人口や観光客の増加で、例年夏は水不足に見舞われていたようですが、各戸にタンクを取り付けるようになり、その問題も緩和されたそうです。

宮古の自然はまた、"世界一" のものを生み出します。塩です。さきほどご説明した堆積珊瑚の石灰岩層は、水をよく通すので、海の水も地中に浸透して来ます。
この天然にろ過された海水を汲み上げ、製塩所でパッと過熱し、水分を蒸発させると、サラサラの片栗粉のような塩のできあがりです(弁士のような雪塩製塩所案内役のお姉さんによると、あっと言う間に、2秒で塩ができるそうです。だから製造工程を見ていてもつまらないのよと)。
この塩の何が "世界一" なのかと言うと、確認されている含有ミネラルの種類が18と、世界で一番多いとか。マグネシウム、カリウム、カルシウム、鉄など、体にいい "にがり" の宝庫なのだそうです。2000年8月には、ギネス協会から世界一の認定を受けています(それまでの記録保持者は、14種類のミネラルを含む沖縄の塩だったとか。やはり長寿と塩は関係するのでしょうか?)。

この塩は、つけ塩や料理一般に使うだけではなく、水に溶かしてスポーツドリンクにしたり、歯磨き粉の代わりに使ったりと、健康増進にも幅広く利用できるとか。浴槽に溶かすと、アトピー性皮膚炎にも効果ありと言われているそうです。でも、もったいないので、まずはおにぎりを作ってみようと思います。

ところで、最初に登場した酒盛りのお歴々ですが、筆者はリゾートの工事関係者と思いきや、さにあらず。あとで運転手さんに聞いたところ、彼の同業者だったそうです。仲間の一人が海で魚を釣ってきたので、皆で輪になって酒を(多分泡盛を)酌み交わしていたとのこと。我らが運転手はお迎え役で、あの後3回も往復して、皆を無事に家まで送り届けたとか(こんな場合があるので、"どんなにべっぴんさんでも、運転免許がないとお嫁に行けない" そうです)。今度宮古に行ったら、絶対に仲間に入れてもらおうっと。



<沖縄の人>

宮古の素泊まり民宿に足を踏み入れて、まずびっくり。近代的な造りの天井には、監視カメラが2台据え付けてあるのです。丸い黒ガラスで覆ってはありますが、そんなことで騙される筆者ではありません。おまけに、"勝手にやってよ" というオーナーでは、食後の団欒 "ゆんたく" なんて微塵もないし、朝の連続テレビ小説 『ちゅらさん』 に出てきた、小浜島の民宿はどこへやら。
それだけ島の生活も本土と変わりがなくなってきたということでしょうが、昨今、沖縄本島にも本土からの "侵食" が起きています。企業のコールセンターの移管です。テクノロジー系、金融系を問わず、かなりの企業が電話でのお客様サービスを沖縄に移しているといいます。政府の音頭取りもあり、コストの面で利点を見出した企業の裁断です。
ところが、この業務移管の内部事情を知る人と話してみると、必ずしもスムーズな滑り出しではなかったようです。移管後しばらくは、お客様の受けが芳しくなかったとか。応対する側に、"早く切り上げたい" という態度が見え隠れするというのです。この点では、環太平洋国で採用した日本人のコールセンターと比べても、低い評価だったといいます。

いい悪いの議論はさて置き、筆者はこれを、端的に県民性の違いだと思っています。コンピュータの部品が5千円であろうと4999円であろうと、それは命にかかわることではないでしょう。今までそうやって生活してきたのに、急に1円を細かく議論することなぞできないではありませんか(これは、あくまでも勝手なたとえ話です)。
たとえば、筆者が那覇でのレンタカーを予約した時の話です。ゴールデンウィーク中だったし、おまけに先延ばししていたせいで、一社を除いて全部満車でした。その大手Jレンタカーの予約センター(多分沖縄以外の場所にある)に望みを託したところ、交渉の最後の段になって "あなたには貸せません" と言うのです。筆者が日本のパスポートを持ちながら、国際免許であることが許せないらしいのです。筆者は日本の住民ではないので、日本の免許を取ることはできないのですが、中央の予約センターは、そういった外国の永住権や長期滞在の権利を持った日本国籍のケースを想定していないらしいのです。
よほどJレンタカーの社長に文句のひとつでも言おうかと思いましたが、その前に、現地に聴いてみようと、さっそく那覇空港支店に電話してみました。車はあると言うので、国際免許でも大丈夫かと尋ねると、暢気な声で "大丈夫ですよ~" との答え。ふっふっふっ、勝ったゾ!沖縄の人間は、そんなに了見の狭い人たちではないのです。(実際、車を借りた時も、国際免許証とカリフォルニアの免許証を提示しただけで、どこの国籍かは関係がなかったです。けれども、これが規則に則った本来のやり方なのです。)

県民性と言えば、一説によると、沖縄地方は頻繁に激しい台風に見舞われ、いつ嵐が去るともわからないので、イライラせず、我慢強く待つ性格が培われたといいます。しかし、連れ合いに言わせると、"青い海" だそうです。ハワイと同じで、あんなにきれいな海を毎日眺めていると、せこせこした性格にはならないのだと主張します。
"青い海説" の真偽はわかりませんが、海は、ハワイよりもきれいだと思います。その豊かな自然が、企業のコールセンターで破壊されるわけではありませんが、移管先は、沖縄にしてもらいたくはないと思うのです。


<祭>

"筆者が歩けば祭に当たる" と言えるほど、日本を旅すると様々な祭に出会います。計画もせずに行った先で偶然に何事かに出会うと、喜びも倍増です。6月中旬、南部駒の産地である岩手・盛岡で、馬の守護神に詣でる "チャグチャグ馬コ" の行列に遭遇したことがありました。馬や子供たちがカラフルなおべべを着せられ、長い道のりを静かに歩くものです。8月上旬、新潟市内で、地元の民謡にあわせてグループで踊り歩く "大民謡流し" に出くわしたこともあります。揃いの浴衣で連を組んで踊る様は、躍動感があり、圧巻です。
一年前に行った出雲大社では、島根県の無形民俗文化財である "出雲国大原神主神楽" を堪能させてもらいました。"国譲(くにゆずり)" のお題目の中で、神主から配られた赤い鯛の切り紙は、今でも大切に持っています。祭囃子や太鼓の音が遠くから聞こえて来ると、心うきうきと、子供のように駆け出したくなるものです。

今回の沖縄の旅では、那覇ハーリーに出会いました。夏に行われる長崎のペーロンと起源を同じくし、中国式の竜をかたどった船(ハーリー)を漕ぎ、速さを競うものです。五穀豊穣と無病息災を願う行事だそうです。このハーリーは、漁港の街・糸満でも月遅れで行われますが、那覇では5月3日から5日が祭の期間となっていて、最終日に本戦が行われます。

ふらっと会場に出かけて行った筆者の前では、まさに予選レースが繰り広げられようとしていて、何よりもまず、船が思ったより大きいのにびっくりでした。漕ぎ手は30人くらいいるのでしょうか。太鼓や鉦の音に合わせ、皆で掛け声をあげながら勇壮に漕ぐのですが、これがなかなか速いのです。偶然行き合わせた、筆者の出身会社のチームを応援しながら観戦していたら、あっと言う間に、往復のコースを終わってしまいました。他のレースの勝者に比べると、ちょっと見劣りのするタイムではありましたが、3隻の中で1等賞だったことが単純に嬉しかったです(どうやら、今でも若干の忠誠心は持ち合わせているようです)。

今回の旅では逃してしまいましたが、沖縄では、4月に "清明祭(シーミー)" が行われます。これは普通の祭とはちょっと違い、お墓参りの豪華版のようなものです。以前、メキシコ版のお盆 "死者の日" をご紹介しましたが(2001年11月14日掲載)、シーミーもこれによく似ています。
まず、お墓をきれいに掃除し清めた後、集まった一族で酒や重箱料理をお供えし、あの世でのお金(ウチカビ)を焼き、祖先に手を合わせます。その後、持参したご馳走を広げ、皆で食し、時には歌や踊りも飛び出すという、父系出自(血縁)集団 "門中" の年中行事です。

沖縄の墓は、個人用ではなく、長子が受け継ぐ代々の家のようなもので(形も家に似ています)、庭にあたるところで、親戚一同が和気あいあいと再会を楽しむのです。子供にとっても、ご馳走が食べられる楽しみな日といいます。昔は、多くの農家がサツマイモを常食とし、米のご飯は祭や何かしらの行事の日にしか食べられなかったので、ご馳走にありつけるシーミーは、特別な意味を持っていたのでしょう。
沖縄では、4月中がシーミーの期間となっていて、その間、市場ではパッケージに入ったシーミー用のお惣菜が売られたりしています。一方、宮古では、旧暦の1月16日(新暦の2月中旬)と決められています。この日には、学校も午後からお休みとなります。遠方の学生も、正月ではなく、この日に帰省する場合が多いので、飛行機の臨時便まで出るそうです。

中国、香港、台湾でも、清明祭はチンミンと呼ばれ、新暦4月5日頃の大事な年中行事となっています。中国系の多いサンフランシスコでも、チンミンの習慣はしっかりと守られています。地理的、歴史的に中国と近い沖縄には、中国文化の影響が色濃く残っているようです。


<祈り>

沖縄地方では、人も祖先も木々の精霊も、分け隔てなく息づいているようです。洞窟、木のうろ、アカギの大木などあらゆる所が祈りの場となっていて、沖縄の人(うちなんちゅ)でない人間には何でもないと思われるものが、石垣で囲まれ聖なる場所となっています。祈りの原形とも言えるアニミズムを、沖縄で見た気がします。
また、集落ごとに、神々や祖霊と接する御嶽(うたき)が置かれ、日常と超現実、自然と造形物が近しく混在しています。首里城に近い園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門でも、観光客が忙しく行きかう中、静かな祈りが行われていました。


祈りはまた、戦争で犠牲になった人たちにも捧げられます。ひめゆりの塔は、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒が、陸軍病院に学徒隊として駆り出され、その多くが南部撤退先の外科壕や解散命令後の掃討戦で命を落としたことで知られています。
しかし、学徒のための鎮魂の塔は、これだけではありません。合わせて2千人の学徒が命を失っています。激しい戦闘が終わってみると、沖縄県民の4人にひとりが亡くなっていました。今でも、毎日のように不発弾が発見され、完全処理にかかる歳月は、50年とも150年とも言われています。

ひめゆり同窓会は、1989年の平和祈念資料館設立に際し、こう書いています。"あれから40年以上たちましたが、戦場の惨状は、私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。戦争を知らない世代が人口の過半数を超え、未だ紛争の絶えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。" (ひめゆり平和祈念資料館冊子から "設立について" を抜粋)

"私はもう逃げられないからこれを履いて逃げて" と友に靴を渡された者は、それを語り継ぐ義務があるし、まわりの者はそれを自分の事として聴く義務があるのです。ひめゆりの塔では、日本人に混じって、アメリカ人の生徒たちも見かけました。


追記:
祖霊を崇め畏怖する文化では、多くの場合、死の状況は重要な意味を持ちます。病死や自然死は "祖霊となる死" とされる一方、事故、自殺、他殺、戦争などによる不慮の死は "未成熟な死" と分類されます。もし沖縄にもそのような考え方が歴史的に存在していたならば、戦争の犠牲者への鎮魂は、想像以上に重い意義を持っているはずです。

<沖縄名物>

沖縄の思い出にと、那覇の公設市場でシーサーを買い、大切にアメリカまで持ち帰りました。あのどこか間の抜けた顔に似合わず、魔物(マジムン)を追い払ってくれるそうです。
先日、我が家の玄関先にデビューしましたが、二匹の配置を間違ってはいけません。向かって右が、口を開けた雄。左が口を閉じた雌です。開けた口で福を呼び、それを逃がさないように、雌はしっかりと口を閉じているのです(最後の締めは、やはり雄ではだめなようです)。
この決め事は、シリコンバレーの中国系の店先でも忠実に守られているのです。

沖縄名物と言えば、言葉もまたしかりです。中でも、"めんそーれ(いらっしゃい)" などは代表的なものですね。3泊の旅が終わる頃には、あの独特のイントネーションもうまく真似できるようになりましたが、残念ながら、東京に戻った途端、すっかり忘れてしまいました。やはり言葉は、まわりの空気でうまくなるものでしょうか。
それにしても、本島の"めんそーれ"と宮古島の "んみゃーち" は、まったく響きが違います。地理的には近いのに、どうしてここまで違うのでしょう。民俗学者の柳田国男は、日本人が最初に住み着いたのは宮古島との説を唱えていたそうですが、宮古の言葉が沖縄に派生したのでしょうか。
それから、薩摩の侵略で財政難に見舞われた琉球王府が、宮古・八重山にだけ過酷な人頭税(生産高の8割とも言われる重税)を課していたのも解せません。これは、次回の宿題ですね。

宮古名物のひとつである長い橋を見下ろし、連れ合いが運転手さんにこう言いました。"宮古って豊かなんですね。" 百数十名の住民が住む来間島(くりまじま)に、何十億円をかけて立派な大橋を架けてしまうからです。

 それに対し、長年本土で暮らした運転手さんはこう言いました。 "宮古ではね、お金がなくたって、2ヶ月は生活していけるね。ずっと友達の家をまわってね" と。

夏来 潤(なつき じゅん)



テクノロジーにまつわる話:RFID、Push-to-Talk、新種米

Vol.57
 

テクノロジーにまつわる話:RFID、Push-to-Talk、新種米

ひとつお知らせです。このSilicon Valley Nowシリーズを掲載していただいているプーマテックジャパン株式会社が、インテリシンク株式会社に名称変更されました。それに伴い、このシリーズのURLも変更されております。

それでは、本題に入りましょう。筆者が時々行くシリコンバレーの南端のゴルフ場に、企業向けソフトウェアで有名なSiebel Systemsの経営者、トム・シーベル氏もプレーしに来るようです。何でも、インターネットバブルがはじけた頃は、毎日のように通っていたそうで、本人曰く、"だって誰も製品を買ってくれないのに、会社に行ったって同じだよ"とのこと。
今は
そんなこともなくなり、同社の収益も健康的に伸びているようで、シリンコンバレーの景気もボチボチといったところでしょうか。
そう言えば、春の株主総会を目指して送られて来る企業の業績報告書も、どの会社も以前のように豪華なものに戻っているし、好調な不動産業界からは、"あなたの家を買いたい人がいるのよ"と名指しで手紙が舞い込んだりするようになりました。

そんなベイエリアから、今回は、テクノロジー関連のお話をいくつかご紹介いたしましょう。最後に、分類不能なお話も付いています。


<アメリカ流バカな話、テクノロジー編>

先月に引き続き、"おバカさん"なお話の登場ですが、こちらはちょっとシリアスです。

ご存知の通り、スーパーなどで使われている商品上のバーコードに成り代わり、"RFID(radio-frequency identification)タグ"が実用化されつつあります。バーコードに比べて情報量が多く、無線でコンピュータとデータのやりとりができるので、在庫管理、流通コントロール、偽造品の認識などに便利とされています。
既に、米粒大のRFIDタグは実用段階にあり、一部のハイウェイ料金所やガソリンスタンドなどで使われています。カリフォルニアの養蜂家たちは、盗難防止のため、大切な巣箱に取り付けたりしています。以前ご紹介したように、人間にも試験的に埋め込まれたりしています(2002年8月掲載)。
大規模な採用もごく間近で、アメリカの国防省は、主要取引業者5百社に対し、来年夏までにRFIDタグを採用するよう義務付けていますし、ディスカウントチェーン最大手のWal-Martは、2006年までの採用を取引業者百社に促しています。現行のサイズが充分に縮小されれば、紙幣に組み込まれる計画もあります。

ところが、技術的な障壁が次々とクリアされるにしたがって、プライバシーの問題がクローズアップされるようになりました。RFIDタグの追跡能力が裏目に出て、読取装置があれば、店の外で、お客が何を買ったか事細かく読み取れるじゃないかという心配があるのです(低周波RFIDタグは、読取装置から1メートル以内の距離が求められるのに対し、高周波タグは、1メートル以上でも読取可能とされています。タグは、読取機が出す電波で作動します)。
アメリカのWal-Martに先駆けて、今秋からRFIDタグを採用するドイツの大手小売業者メトログループは、昨年4月から、顧客カードにRFIDチップを内蔵していました。これに対し、顧客が店内で買い物をしている間に密かに追跡しているんじゃないかという非難が集中し、既に発行された1万枚のRFID顧客カードを、バーコード付きのカードに取り替えるという騒ぎまで起きました。
同様に、イタリアのアパレルBenettonは、昨年、小売店での大規模なテストを中止しています。

このプライバシー問題の対策として、アメリカでよく耳にするのは、顧客がレジで支払いを済ませた途端に、RFIDタグを殺してしまうという方法です(タグを殺すスイッチが内蔵された型で、Alien Technology、Matrics、Philipsなどが製造しています)。これなら店を出ても、何を買ったか情報が盗まれることはありません。
表面加工業のAvery Dennison(本社カリフォルニア州パサディナ)は、従来の商品ラベルやバーコードのノウハウを生かし、RFIDタグ実用化の急先鋒ともなろうとしていますが、同社は、このRFID消去の方法を試験的に採用し、今後の展開に自信満々のようです。

しかし、このような解決策は、実に短絡的なアメリカらしい思考と言えます。消費者が自宅に持ち帰ったRFIDタグは、いろいろな転用が考えられ、たとえば、冷蔵庫内の商品管理の実用化を目指す家電メーカーも少なくないはずです。レジでRFID情報がなくなったら、元も子もないではありませんか。
自分の段階で問題解決できれば、あとは知ったことか!ということでしょうか。

日本には"次工程はお客様"という言葉すらありますが、彼らにとっては馬の耳に念仏なのです。(こういった時、ふたつの異なる文化の間に入る人は、たいそう苦労するのです。)

追記: RFIDタグの技術的な面は、次のものを参考にさせていただきました。RFID: A Key to Automating Everything. Roy Want in Scientific American, January 2004, pp56-65.


<それって何に使うの?>

日本でもサービスが始まったそうですが、携帯電話の機能の中に、ウォーキートーキー形式に話ができる"push-to-talk(プッシュ・トゥー・トーク)"というのがあります。いちいち相手に電話をかけずに話ができるので、以前から建築現場などで重宝されていました。

この分野の草分けであるNextelは、10年以上前からこのサービスを提供していますが、ここに来て、"Nextelに追いつけ"と、携帯キャリア最大手のVerizon Wirelessが昨年夏にサービスを開始し、データサービスで他をリードするSprint PCSもこれに続いています。
Nextelのユーザーのように、特殊な環境での利用ではなく、幅広いユーザー層の獲得を狙っているのです。また、新機能を追加することで、昨年11月に始まった"番号ポータビリティー"への対抗策とも目されていました。

そこで、この機能はどういった場合に必要でしょうか?

まず、複数で会話ができる利点があるので、みんなでどこかに集合する時に便利です。たとえば、ショッピングモールやスキー場。でも、建物の中では電波が届かない場合もあるし、スキー場では利用不能なキャリアが多いです。
結局、いろいろと考えてみたのですが、プッシュ・トゥー・トークでないといけない場合というのは、なかなか思い付かないのです。実際に使っている人もほとんど見かけませんし、先駆者のNextel以外、キャリアの宣伝を見たこともありません。
今、企業人に大人気となっているパソコンメールのインスタントメッセージ(IM)と違って、たとえば、重役とのミーティング中に、"今夜はすき焼きだから、帰りに牛肉を買って来てね"といった大事なメッセージも送れません。

だって、声の伝達って、結構場所を選びますよね。


<食べ物は薬?>

先月に続いて、またもや遺伝子組み換え種で騒ぎが起きました。州都サクラメントに拠点を持つVentria Bioscienceという小さなバイオテクノロジーの会社が、米をベースに薬を作りたいので、新種米の大規模栽培を緊急に許可してほしいと言い出したのです。
これに対して、上質の米の産地として名高いカリフォルニアの米委員会は、"穀倉地帯から離れていればよい"と条件付でこれを指示し、州と国の農務省の許可待ちとなっていました。
ところが、春の種まきに間に合わないと州を催促していた企業側に対し、州食糧農務長官は、緊急決議すべきことではないと判断を下し、とりあえず今年は、カリフォルニアでの大規模栽培は、可能性がなくなりました。

この2種の新種米は、人間の母乳や涙、唾液に含まれるlactoferrinとlysozimeというたんぱく質を含有するもので、収穫後、乾燥させ脱穀し、粉にして成分を抽出します。これらのたんぱく質は、腸内の感染症に抵抗力を持ち、下痢に効果があるとされています。また、lactoferrinは、消化器官での鉄の吸収を助ける特性もあり、貧血にも効果があるとされます。
世界的には、下痢は5歳以下の死因のトップであり、栄養失調による貧血も広くみられるので、恩恵を受ける発展途上国は多いはずだと指摘されます。動物から抽出されたこれら2種のたんぱく質は、既に粉ミルクなどの食品に添加されているそうですが、米からは大量に抽出できると、企業側は主張しています。

このようなバイオテクノロジー業界での遺伝子組み換え種は、"pharm(ファーム)作物"と呼ばれ、現在300種ほどが研究されています(pharmingとは、遺伝子組み換えの技術を使って、植物や動物を、医療の場で利用できる細胞の生成の場とすることです)。
上記Ventriaの米は、アメリカで初めての"pharm作物"大規模栽培の事例となるところでしたが、この他に、ガン、心臓病、リューマチ性関節炎、糖尿病などの治療に使われる、とうもろこしやじゃがいもの栽培が検討されています。こういった植物は、病気に対抗する様々なたんぱく質の"生成工場"となっているのです。

たとえば、ベイエリアのはずれにあるLarge Scale Biologyは、リンパ腫瘍(non-Hodgkin’s lymphoma)の再発を防ぐワクチンを開発し、現在臨床試験の第2段階にあります。これには、タバコの葉の親戚を使います。
まず、腫瘍の細胞から、抗体の遺伝子を取り出し、タバコの葉を枯らすウイルスに注入します(リンパ腫瘍は、病原体に侵された細胞自身が抗体を作り出すという、ユニークな特質があります)。
植物の葉が、このウイルスに侵されると、腫瘍抗体と酷似するたんぱく質を生成するようになります。これをワクチンとして治療に使うのです。ワクチンによって体内に免疫が作り出され、病気の再発を防ぎます。
他のガンと違って、リンパ腫瘍は個人によって性質が異なるため、十人十色のワクチンが必要となります。しかし、従来の製薬のアプローチに比べて、植物を使った、個人に合う特製ワクチンの生成だと、開発の費用も時間も大幅に縮小されるという利点があります。

一方、ワクチン生成植物は、免疫力を強化する抗原を含んだ"ワクチン食品(edible vaccines)"として、口から食べる方法も研究されています。トマトやじゃがいもなどが研究されていますが、ワクチンの量が少なすぎたり、量産に耐えられなかったり、口からの摂取で効果が薄れたりと、克服すべき点は多いようです。

将来性のあるpharmingの分野ではありますが、GM食品(Genetically modified food、遺伝子組み換え食品)と同じく、危険が伴います。なぜなら自然種への混入の可能性があるからです。
上記Ventriaの米のケースは、カリフォルニアという土地柄から、大きな波紋を投じました。米作は、年間5億ドルの産業となっており、日本などへも輸出されているからです。混入の可能性が出てきたら、輸出などできるわけがありません。

実際、GM種の自然種への混入が、社会問題となったことがありました。2000年9月、飼料用に限定されていた"Btとうもろこし"が、メキシコ料理チェーンTaco Bellのタコスに含まれていたとして、回収される騒ぎが起きたのです("Btとうもろこし"については前号で説明していますが、その中で、このAventis CropScience社の品種StarLinkとうもろこしは、人間にアレルギーを起こす可能性があるため回収措置がとられました)。
アメリカばかりではありません。マフィン・ミックスとして、日本、韓国、イギリスでも発見されたと言います。
このStarLinkとうもろこしは、回収騒ぎから3年経った昨年9月の時点で、アメリカの食用とうもろこし全体の1.2パーセントを占めているとも報告されています(米農務省発表)。

さらに2年前、試験段階の"pharmとうもろこし"が、アイオワとネブラスカ生産の大豆の袋に紛れ込んでいたのが発見され、企業側が農務省から罰金を科せられたこともありました。このとうもろこしは、ブタのたんぱく質を使ったワクチン生成に利用されていました。

世界的に見ると、GM種の生産国は毎年増えているわけですが、非生産国だったとしても安心はできません。
昨年GM大豆を解禁としたブラジルでは、許可以前に、すでに大豆生産量の15パーセントはGM種だったと推定されています(Monsantoの除草剤Roundupに抵抗力を持つ同社開発のGM大豆)。
現地で許可されていなくても、お隣のアルゼンチンから混入したり、外部から密輸されたりしたからです。

物の流れを厳しく管理するのは難しいことではありますが、一度壊したものは元通りにはなりませんし、"人の体は食べ物でできている(We are what we eat)"という事実を変えることはできません。

追記: ワクチン生成植物については、以下のものを参考にさせていただきました。Tobacco Pharming. Tabitha M. Powledge in Scientific American, October 2001, pp25-26. Edible Vaccines. William H. R. Langridge in Scientific American, September 2000, pp66-71.

<怪奇現象を科学しましょう>
最後に、世にも奇妙なお話をひとつ。遠く離れたルーマニアの片田舎のお話です。

首都ブカレストから南西に160キロほど離れた小さな村で、1月から騒ぎが続いています。ある男性が、義理の兄の墓をあばき、遺骸を切り裂いて心臓を取り出し、燃やして灰にした心臓の粉を水に混ぜ、家族で飲んだと言うのです。この男性には、既に亡くなっている人の眠りを妨げた罪で、3年の刑もあり得るそうです。
こんな話は、普通ならニュースにもならなかったでしょう。違法ではあるものの、"吸血鬼(strigoi)" を墓から引きずり出し、徹底的に殺してしまうのは、この南部地方では取り立てて珍しい事ではないのですから。
しかし、警察が介入し、裁判沙汰にもなる勢いである事に、当事者や村人たちは憤りを感じているのです。"吸血鬼を殺して何が悪い?これで人の命が救われたのに" と。

この男性が、義理の兄を "吸血鬼" だと信じるのには、訳があります。まず、埋葬間もなく、彼の息子、嫁、孫が次々と原因不明の病気になりました。吸血鬼が夜な夜な出てきて、家族の血を吸っている証拠です。勇気をふりしぼって墓をあばいた彼の目に映ったものは、横向きになっている遺体と、口のまわりの血のりでした。心臓を焼いた時も、ねずみのようにキューという鳴き声をあげフライパンの上で飛び跳ねましたし、心臓の粉を水に溶かして飲んだら、家族の容態が途端に良くなりました。頭も痛くないし、胸も痛まない。気分もすっきり。これが吸血鬼でなくて何でしょう?

ある穏やかな日曜日、サンノゼ・マーキュリー紙の一面の隅っこに掲載されたこの記事に、筆者は妙にこだわりを感じていました。それは、ひとつに、シリコンバレーからのアウトソーシング(業務移管)先として、かなりポピュラーなルーマニアのことを何も知らないこと。そして、どんなに奇妙に映る人間の行動にも、必ず裏に隠されたロジカルな意味があるからです。数百年間、脈々と受け継がれた "吸血鬼退治(vampire slaying)" にもです。
ここでまずひっかかるのは、吸血鬼の犠牲者は、家族に限られるということです。吸血鬼と言えば、15世紀のワラチア地方の王子Vlad Tepes(ヴラッド・テペシュ)を題材にした "Dracula(ドラキュラ)" を思い起こしますが、実際に狙われるのは、小説やハリウッド映画に出てくる、カウント・ドラキュラの城に舞い込んだ美しい女性などではありません。身内なのです。埋葬して間もなく、墓から出てきた吸血鬼に血を吸われ、気分がすぐれなくなる。
これは、愛する家族を亡くした深い悲しみから来る体の不調なのではないでしょうか。今の言葉で、サイコソマティックな(psychosomatic、心身相関の)現象とでも言いましょうか。また、心臓の粉を水に溶かして飲んだら、気分が良くなったというのも、プラシーボ効果(placebo effect、偽薬でも精神的な面から治療効果があること)とは考えられないでしょうか。

そして、血を吸いに来るというところにも、何かしら象徴的なものを感じます。血は赤い。すなわち、赤は、死んだ側のこの世に対する執着心を表しているのかもしれません。
中国には、墓に赤いろうそくを供える風習があるそうです。赤は主要な七色の中で、最も現世に近いものとされ、赤いろうそくを灯すことで、この世への未練を断ち切れない霊とコミュニケートするらしいのです。言うまでもなく、ルーマニアと中国は文化が異なるわけですが、色に対する価値観には、ひょっとしたら相通ずるものがあるのかもしれません。

ルーマニアには行ったこともありませんが、いつか行く機会があったら、トランシルバニア・アルプスの南に広がる平野地方を訪ねてみたいものです。どこかの村で、吸血鬼退治のひとつやふたつに巡り合えるかもしれません。

あ、そうそう、映画と違って、十字架もニンニクも吸血鬼対策にはならないそうですよ。


夏来 潤(なつき じゅん)

弥生三月:環境と健康

Vol.56
 

弥生三月:環境と健康

3月は、ベイエリアでは雨季の中休みとなっていて、平均して10日くらいしか雨が降りません。梅や早咲きの桜がいきなり開花し始め、春爛漫となります。州の花となっているカリフォルニアポピーも、その燃えるようなオレンジの花を咲かせ、鮮やかな草原のアクセントとなります。今年の弥生は、雨が無く、連日記録的な暖かさが続き、春を通り越し、いきなり夏が訪れた感じです。


そんな明るい陽光のシリコンバレーから、今回は、いろいろな話題をごった煮にして提供いたしましょう。

<テレマーケター対政府、第2ラウンド>
まずは、以前ご紹介した話のフォローアップから始めましょう。昨年10月、消費者を悩ますテレマーケティング対策として、連邦取引委員会(FTC)主催の "Do-not-callリスト" が始まったことをお伝えしました。テレマーケターがこのリストに載っている電話番号にかけると、一回に付き1万1千ドルの罰金が科せられます。
この制度が始まって5ヶ月ちょっと経ちますが、消費者の受けはなかなかのものです。勿論、違反者がいないわけではありません。しかし、以前と比べ、テレマーケティングの押し売りが激減したのは事実です。全米家庭の45パーセントが既に登録を済ませ、登録者の4人に3人が、この制度に満足していると答えています(唯一、取引のある業者、たとえば地域電話会社などのテレマーケティング行為が許されているところが難点です。こういった相手に対しては、業者独自の"Do-not-callリスト"に載せてもらう必要があります)。

前回は、テレマーケターの親玉が、言論の自由を楯に取り、リストを無効とするようコロラドの連邦裁判所に訴えていることもお伝えしましたが、先日、裁判所はこれを退ける判決を下しました。"電話で家庭に侵入するセールスを撃退するべく採られた政府の方策は、言論の自由を保障した憲法修正第1条には違反していない" という判断です。
ふたつの業界団体のうち、5千近くのテレマーケターを代表するDirect Marketing Association(DMA)は、これに従うことを表明しましたが、650のメンバーを持つAmerican Teleservices Association(ATA)の方は、連邦最高裁判所に訴え出る構えです。"Do-not-callリスト"のおかげで多くが職を失うことになると、必死なのです。

法的にすべてが治まるには、もう少し時間がかかるようですが、消費者の方は、静かな夕餉を心ゆくまで楽しんでいるところです。2年以上を費やしこの制度を築き上げたFTCに、深く感謝です。

<スパイは僕に任せてね>
さて、前月号でご紹介したサラトガ高校のスパイ事件ですが、この話には後日談があります。例のキーロガー装置を使って、テストを盗み出した5人組のひとりが、学校の爆破計画を立てていたとして、警察に逮捕されたのです。三晩にわたり、学校の化学室から爆弾製造に使う薬品を盗み出していたところを、三晩めにその場で逮捕されました。自宅の押入れからも、関連薬品がいくつか発見されています。校長も、この生徒の腹いせのターゲットとなっていたことを明らかにしています。
この16歳の少年は、裁判所に出頭するまでの間、足首にGPS機能付きのモニター装置をはめられ、自宅監禁処分となっています。これを受け、学区側は、この生徒の退学処分を決定しました。前回登場した、学校のコンピュータの成績データを改ざんした生徒も退学となり、これで同校での退学処分は4人となりました。

いつの時代にも、不正直な生徒や学生はいるものですが、テクノロジーの進化とともに、そのテクニックも巧妙になっています。
3年ほど前、インターネット・ブームが世間一般に浸透した頃は、論文の盗作(plagiarism)が大きな社会問題となりました。アメリカの学校では、もともと論文形式の宿題が多いのですが、生徒が自分で論文を書かなくとも、インターネットの豊富な情報源からコピーして貼り合わせるだけで、立派な論文が出来上がるのです。テーマ別に論文を売っているサイトもいくつもあります。
これに対抗するため、先生たちの間でも、論文の盗作発見ソフトウェアが重宝がられたものでした(盗作の定義は、他人の文章をそっくりコピーすることから、意見を拝借したのに適切な引用を用いないことまで様々です)。
試験にしても、家に持ち帰る形式のテスト(take-home exam)があったりするので、自分の力でやり遂げたかは、学生の自己申告(不正はしないと誓うcode of student honor)に頼るしかありません。学生を信用し過ぎて痛い目にあった教授も、ひとりやふたりではないようです。
確かに、インターネットは不可欠な情報源であり、それなしでは教科書を離れた勉学はできないかもしれませんが、いい事と悪い事の境目が明確でない学生が存在するのも事実です。

時は進んで、今時の生徒や学生は、もっと巧妙になっています。携帯電話を使う方法を見つけ出したのです。昨年春、雑誌MOBILITYに紹介された中に、こういうのがありました。メリーランド大学の会計学のクラスで、6人の学生がカンニングしたことを認め、落第となりました。担当教授は、テストが始まってすぐに、自分のWebサイトに解答を載せていたのですが、それを仲間が教室の学生に携帯のテキストメッセージで知らせていたのです。
中学や高校でも似たようなものです。テスト中に、先生に隠れて、クラスメートに携帯で答えを求めるのは、そんなに珍しい事ではないようです。最近は、アメリカのティーンたちも、日本並みに文字を打つのが上手になっていて、先生たちも苦労しています。中には、携帯でテスト用紙を盗み撮りし、自分のサイトで公開する悪がきもいるようです。日本と違って、いまだに撮影時のシャッター音を消せるようになっているので、いじめられっ子の下着姿を更衣室で盗み撮りというのも新たな社会問題となっています。

いつの世も、若い世代は大人を出し抜く方法を考え付くものですが、近頃は、本職のスパイも顔負けとなっているようです。

<アメリカ流バカな話>
アメリカに住んでいると、いろんな人間が集まっているせいで、耳を疑うようなバカな話がたくさんあります。今後、そういった "おバカさん" な話を不定期に載せようかとも考えておりますが、まずは、おひとつどうぞ。

3月のある日、ジョージア州の女性が、大型ディスカウントチェーンのWal-Martで警察に捕まりました。2千ドル相当の商品を購入しようと、レジで100万ドルの偽札を出したのです。非常によくできた偽札で、使い古した感じもリアルに細工してあって、店員ももう少しでだまされるところでした。けれども、如何せん、米財務省造幣局は、100万ドル札なんて発行していないのです。

<景気と健康>
この3月10日、テクノロジー会社がひしめくナスダック株式市場が指数5048のピークを記録して、ちょうど4周年を迎えました。頂点からの転がりは速く、翌月の2000年4月には4000台を、同11月には3000台を割る急降下を記録し、2002年秋には1200を割る超低迷期を迎えました。
"上がったモンが下がるのは当然でしょう(What goes up must come down)" などと言われながらも、氷河期がここまで続くと庶民は納得がいきません。

昨年はそれでも若干戻し、暦と同じ指数2003で年を越しました。今年に入り、景気回復の見込みありと、1月には株式ラリーが見られましたが、失業率、財政赤字、貿易赤字、企業業績が依然として足をひっぱり、指数2000を上下しています。1月には、国民の7割が景気回復基調を信じていたのに、3月には4割に減っています。

経済界ではいろいろあった過去4年間ではありますが、アメリカの国民の間では、先日、心配な傾向が明らかにされました。国の疾病予防センター(the Centers for Disease Control and Prevention、通称CDC)の発表によると、2002年には、過去44年来初めて、乳児死亡率が上がったというのです。
初めて聞いた方もいらっしゃるかと思いますが、乳児死亡率(infant mortality rate)というのは、ある1年間に起きる1歳未満の乳児の死亡率を指し、死産を除く千人の出産に対し、何人の乳児が亡くなったかを示す率です。飲料水や屎尿処理の公衆衛生、妊婦の栄養・健康状態、乳児治療の医療レベルなどによって上下するもので、人口統計学上、平均寿命とともに、国の豊かさを端的に表す重要な指標とされています。よって、これが上がることは、一大事なのです(人の死を統計化するのも、統計屋の大事な使命なのです)。
アメリカは、先進国の中でも乳児死亡率が比較的高い国ではありましたが、2002年には、前年の6.8から7.0に逆戻りしてしまいました。平均寿命や死亡率全般は毎年良くなっているにもかかわらずです。
CDCは、未熟児や障害を持つ乳児の一週目の死亡率が上がっていると指摘しています(ちなみに、日本は世界で最も低い率を保ち、2001年は3.1でした。最も高いアフガニスタンでは、2002年に161となっています。これは、日本では大正期に相当します)。

門外漢の勝手な想像ですが、筆者はこの米国での逆行現象を、景気低迷と因果関係ありと見ています。2001年以降顕著になった、失業者の増加や企業の医療費負担カットとともに、医療保険への国民の加入率が減っているからです。2002年には、人口の15パーセント、実に4千4百万人が未加入となっています(米国国勢調査局発表)。
妊婦は、妊娠がわかった時から定期健診を受けなくてはならないのに、自己負担ができなくて、受診できない。そういった女性が急激に増えているのではないかと考えられます。2002年は18歳から24歳人口の7割が医療保険に未加入という事実と照らし合わせると、かなり説得力のある仮説かもしれません。

アメリカにも国や州が医療費の援助をしてくれる制度はあります。国のMedicare、Medicaidや州レベルのMedi-Calなどがそれにあたります(Medicareは高齢者や障害を持つ人を、Medicaidは低所得者層を援助するプログラムです)。しかし、上から下への財政難や医療費の高騰で、こういった援助枠は必ずしも充分とは言えません。
また、援助を受けるべき側も増え続けているようです。1993年から2000年にかけて確実に減ってきた貧困層は、2000年を境に増加傾向にあり、2002年には、人口の12パーセント、3千5百万人が貧困層とされています(国勢調査局は、子供2人の4人家族の場合、年収1万8千ドル未満を貧困と定義しています)。そして、この貧困層の3割が、Medicaidから漏れています。
一方、定職を持っていたにしても、決して安心はできません。カリフォルニアの医療団体の調査によると、従業員10人以下の会社に勤務する人は保険未加入率が最も高く、州で650万人という未加入者の半分以上は、年収の上限を超えるとされ、公的な補助を何も受けられないということです。過去3年で、医療保険の自己負担額が7割も上がったという州内の調査結果も出されています。

保険がない間、"どうか病気になりませんように" と神頼みするのは、いずこも同じでしょう。しかし、事出産に関しては、"お産は病気じゃないから大丈夫" と、軽く考えているアメリカ人も多いのかもしれません。

<メンドシーノ郡の決断>
歳月を積み重ねると、だんだん食べるものにこだわりを感じて来ます。おいしいものというよりも、体にいいものが食べたいと、近頃は有機栽培(organically grown)にこだわっています。野菜、牛乳、卵など、スーパーでは "organic" のラベルを探します。
3月2日の "スーパーチュースデー" と呼ばれた火曜日、アメリカ全土が大統領選挙に出馬する民主党候補者選びに注目する中、カリフォルニアの片田舎では、ある重要な条例が住民投票で可決されました。ベイエリアのワイン産地、ソノマの北に隣接するメンドシーノ郡では、遺伝子組み換えがなされた作物や家畜の栽培・飼育が、全面的に禁止となったのです。
もともとメンドシーノでは、誰も遺伝子組み換え種を育ててはいないのですが、有機栽培農家が中心となり、先手を打って、住民投票に持って行ったのです。全米で初めての同種の禁止条例となったことで、他の地域にも影響を与えると見られています。

遺伝子組み換え食品(genetically modified foods、以降GM食品とします)は、日本やヨーロッパではたいそう嫌われているので、消費者の食卓に載る確率は比較的低いわけです。けれども、世界中を見渡すと、作付面積の2割がGM作物を育てている計算になります。アメリカなどは、GM生産面積の3分の2を有し、続くアルゼンチン、カナダ、中国を大きく上回っています(ISAAA、the International Service for the Acquisition of Agri-Biotech Applications発表)。
現在、アメリカで一番多く生産されるGM作物は、大豆、綿、とうもろこしです。GMとうもろこしは全生産量の34パーセント、GM綿は71パーセント、GM大豆は、実に75パーセントを占めています(米国農務省データ)。アメリカのパッケージ食品の3分の2は、なにがしかのGM作物を含んでいるとも言われています。
昨年は、新たにブラジルとフィリピンがGM種を採用したので、世界のGM作物生産国は18カ国となりました。今月上旬、イギリス政府もGMとうもろこしの飼料用栽培を認める発表をしました。現時点では、ヨーロッパのGM種はとうもろこしと大豆にとどまっているものの、今後、堰を切ったように、GMじゃがいもなどの新種がヨーロッパ中に広まるかもしれないといった不安も聞かれます。

一口に遺伝子操作と言っても、GM作物にはいくつかのタイプがあります。まず、芋虫などの害虫に抵抗できるもの。除草剤に耐えられるもの。穀類の病気を起こすウイルスに打ち勝つものなどです。とうもろこしに一般的な害虫駆除の種は、土中にいるバクテリアBacillus thuringiensis (Bt)の遺伝子を挿入して作ります。この遺伝子の指示によって、Bt作物は、害虫を殺すたんぱく質の結晶体を作り出すようになります。GM大豆や菜種のキャノーラなどは、除草剤への抵抗力を持つタイプです。
GM作物は、外界に強くなることで、生産量が大幅に上がり、飢饉に見舞われる国々を助けるとされています。また、理論的には、農薬の散布量が減ることも考えられ、環境にやさしいのではとも見られています。

しかし、いかなるタイプのGM種も、それが安全であるかは議論が分かれるところです。人や鳥や昆虫に害はないのか?アレルギーの原因とはならないのか?遺伝子改良種が自然種に混入し、これを駆逐することにはならないのか?そして、それが進化のプロセスの中で、生態系の破壊に結びつかないのか?
これらの疑問に対し、科学的には賛否両論の結果が発表されています。特に、長期的な影響は未知数と言えます。政治的にも、ヨーロッパを中心とする先進国と、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ諸国とは意見が大きく分かれます。WTO(世界貿易機構)の国際会議のたびに、場外で抗議のシュプレヒコールを上げる急進的な自然保護団体もあれば、こういった運動を富める国のエゴだと批判する国々もあるわけです。

当然の事ながら、アメリカ国内でも、環境保全の立場を採る側と、Monsanto、Dow Chemical、DuPontなどのGM品種改良業者には、大きな隔たりがあります。上記のメンドシーノ郡の例では、住民投票の結果、有機栽培推進派に軍配が上がりました。しかし、反対運動に莫大な資金をつぎ込んだGM業者連合は、条例を無効とするよう、法廷で争うことを検討しています。どうやら、これから、目が離せない争いに発展しそうです。

夏来 潤(なつき じゅん)

アメリカのティーン:結構大変なんです

Vol. 55
 

アメリカのティーン:結構大変なんです

夏が来れば草地は黄金となり、極端に乾燥するシリコンバレーも、冬は降り続く雨で緑に潤います。今回は、まず、雨季の晴れ間、散歩道で撮った写真をご覧ください。筆者宅に近い遊歩道から眺めた景色です。人家がない場所を選んで撮ったのですが、この辺りは、その昔、オローニ・インディアン(the Ohlone Indians)が住んでいた所です。

Ohloneとは、北部カリフォルニアに1万3千年の歴史を持つ部族ですが、4千年ほど前から、サンフランシスコ・ベイエリアからモントレーにかけての海岸線にも広く居住していたと言われます。筆者の住む辺りでも、彼らの石器が発掘されたりしています。


さて、本題の方ですが、今回はティーンエイジャーの話題とサンフランシスコのお話となっています。どうぞおくつろぎください。

<サンフランシスコの思い出>
老人の繰り言ではありませんが、昔はスーパーボウルと言えば、もっと素朴なアメリカン・フットボールの祭典だったんです。
百歩譲って、テレビコマーシャルの祭典となるのは許しましょう。しかし、ハーフタイムのショーなどは、金輪際止めにしてもらいたいです(日本にも伝わっていたことと思いますが、覚えていらっしゃいますか、あのジャネット・ジャクソンの衣装騒ぎ)。
スーパーボウルで戦うことは、選手にとってもファンにとっても、この上なく神聖なことなのですから。

あれは、1981年のシーズンでした。それまで毎年NFC Westのディヴィジョンでビリだったサンフランシスコ49ersが、突然調子付いて来たのは。1979年に名将ビル・ウォルシュがノートルダム大学から取ったクウォーターバック、ジョー・モンタナの芽が出始めた頃です。
"あれれ?今年は何だか調子いいらしいよ" と街中で噂が流れ始め、あれよあれよと言う間に、NFCのチャンピオンシップでダラス・カウボーイズを破り、スーパーボウルでは、AFC代表のシンシナティ・ベンガルズを倒してしまいました。"モンタナ・マジック" を操るスーパースター、ジョーの誕生です。その後、十数年続いた、49ers王朝の幕開けとも言えます。

何せ、サンフランシスコでスーパーボウルの勝利を祝うのは初めてなので、もう老いも若きも半狂乱です。数日後、市内で大パレードが行われ、選手たちは名物のケーブルカーに乗って、沿道に押しかけたファンたちに満面の笑みで手を振ります。
その後、市庁舎の2階バルコニーでは、人気選手たちのスピーチとなりました。市庁広場にいったい何万人が集まったのかはわかりませんが、筆者は、報道陣のアナウンス席やまわりの大男たちに囲まれ、選手がひとりも見えません。声はすれど姿は見えず。
とても残念ではありましたが、それにも増して、波打つ群集の圧力に、身の危険さえ感じていました。そして、この時、将棋倒しになると死ぬこともあり得るなと、賢く悟ったのでした。

1978年、この市庁舎内では、当時の市長ジョージ・モスコーニ氏と市の行政執務官ハーヴィー・ミルク氏が射殺されるという惨事が起きています。犯人は、ミルク氏を逆恨みする同僚でした。そういった暗い世相を払拭したい市民の祈りも、優勝フィーバーに結びついたのかもしれません。

あの時は、スーパーボウル16回。今はもう38回となりました。時代も変わるわけですね。

<受験校>
ちょっとショッキングなニュースを耳にしました。シリコンバレーの高級住宅地にある名門サラトガ高校で、生徒がスパイを働いたというのです。全部で8人が停学処分となり、そのうち11年生(日本の高校2年生)ふたりが退学となりました。

事が発覚したのは、昨年末、ふたりの生徒が歴史のテストを盗み出し、それをパソコン上に保存していたという事件がきっかけでした。クラスメートたちに無記名でアンケート調査を行った結果、ふたつの悪質な事件が明るみに出されたのです。ひとつは、ひとりの数学の生徒が、学校のコンピュータ上の成績データを改ざんしたというもの。
そして、もうひとつは、5人の生徒がグルになり、先生のコンピュータにキーロガー装置を仕掛け、パスワードとともに、英語の試験内容と回答を盗み出したというものでした(キーロガーについては、2002年2月20日掲載の記事でご説明いたしましたが、基本的には、キーボードで打った文字をつぶさに記録するソフトやハードを指します。この事件では、単三電池大のキーロガー装置をコンピュータとキーボードの間に仕掛け、先生のパスワードを盗み出しました。100ドルほどの装置です)。
これは、まさに映画並みの巧妙さとも言えるのですが、1月末に封切られた、パラマウント製作の映画 "Perfect Score" は、まさにこういったティーンの6人組を描いているのです。

近頃、このような生徒の不正は増える一方で、ある道徳研究機関とデューク大学のふたつの調査によると、何らかのカンニング(cheating)を経験したことのある高校生は、全体の74パーセントにものぼると、両者が結論付けています。
最近のトレンドは、出来の悪い生徒ではなく、かえって成績の良い生徒の方が不正を働くということです。それだけ、良い成績を維持し、良い学校に入るというプレッシャーが強いのでしょう。

高校生ともなると、お受験が気になる時期で、アメリカも例外ではありません。近頃は、教育熱心なアジア諸国並みに、"一流校を目指せ!"という教育ママが増えています。シリコンバレーなどの移民の比率が高い地域は、なおさらの事です。
ご存知の通り、アメリカの大学は、入学者選抜に際し、様々な要因を考慮します。内申書だけではなく、より多くの上級クラスにチャレンジしたか、ボランティアには参加したか、スポーツのクラブに所属していたか、なども審査の対象となります。将来の夢を語るエッセイなども大事な項目です。
しかし、近頃は、それだけでは十分ではなく、やはりSAT(Scholastic Assessment Test、旧Scholastic Aptitude Test)の点数を上げることが、他を引き離す重要課題となっています。

この統一テストSATは、英語と数学の理解度を計る1600点満点の試験で、1300を超えると、かなりスゴイ出来と言われます。毎年2百万人が受験する一大イベントとなっており、もうひとつの統一試験ACTを大きく上回っています。
2005年3月からは、文法とエッセイが加わり、2400点満点となりますが、これは最大のユーザーであるUniversity of California系列校が "もっと幅広く学力を計れ" とプレッシャーをかけた結果です(著名人の中では、ハーバード大学に行ったアル・ゴア前副大統領の1335点、エール大学出身のブッシュ大統領の1206点というのがあります。毎年、数百名がパーフェクト・スコアを達成するようです)。

数年ほど前までは、10年生(日本の高校1年)でSAT訓練コースを受け、11年生で一回目のSATを受験することなど、とても珍しい事でした。しかし、今はそれが平均的な事となり、誰も驚きません。7週末で9百ドルの訓練コースも、1時間250ドルの個人授業も、裕福な家庭では当たり前です。
親が一生懸命なので、子供も期待を裏切らないようにベストをつくす。上記のサラトガ高校の事件は、そういった点数至上主義の付けが回ってきたのかもしれません。

ところで、先日、雑誌のインタビューで、SEVEN Networksという会社の創設者である、ビル・ヌエン氏にお会いしました。彼は、シリコンバレーの若手経営者の中で、今一番ホットな人と言ってもいいほどの有名人です。
インタビューでは、彼の製品や経営姿勢などについて伺ったわけですが、彼がとてもユニークなので、バックグラウンド(教育的な経歴)は何かと質問をしたところ、"僕は落ちこぼれなんだよ(I’m a dropout)" と即座に答えが返ってきました。何でも、大学は1年くらいで中退し、すぐに会社を作ったりしていたようです。大学も、コンピュータや科学とは無関係だったとのこと。
"ドロップアウト" であると胸を張って言えるほど、今の彼の成功は大きいわけですが、それと同時に、学歴なんかあまり関係ないんじゃないと、言外にほのめかしていたようにも取れます。

"一流の学校に行って、一流の仕事に就く" のが、先進国では一種の宗教ともなっているわけですが、実は、世の中は、ヌエン氏のような例外だらけなのでしょう。長い人生、方向修正はいくらでもできるはずですから。

(ちなみに、このインタビュー記事は、3月24日発売予定の、技術評論社発行Mobile PRESS・2004年春号に掲載されます)。

<ペンマンシップ>
日本でオンライン・オークションと言えばヤフーですが、アメリカで一番人気のオークションサイト、イーベイでは、近頃、困った傾向が見られるそうです。自分の売りたいものを宣伝したいのに、品名が間違っているので、みんなが入札してくれないらしいのです。
それも、呆れたことに、単純なスペルミスが原因だとか。"camra" あり、"bycicle" あり、"perl" に "dimond"、"telefone" に "knifes"と、次から次へと変てこなスペルが出てきます。品名が間違っていると、正しいスペルの分類サーチにはひっかからないので、多くの人の目には触れないこととなります。

中には、スペルミスの商品にはビッドする人が少ないことを知っていて、わざと間違ったスペルで分類サーチする達人もいるらしいです。コンパックのラップトップ・パソコンを3台、破格の値段で落とした人がいますが、彼の戦略は、"Compaqs"とするところを、"Compacts" としたところです。

それにしても、"ophthalmologist(眼科医)" のスペルを間違えたというのとは、あまりにもレベルが違いますよね。

確かに、現役学生を退いて久しい人には、正しいスペルを覚えておくのは難しいことかもしれません。また、最近は、文章を書くにもスペルチェッカーが発達しているし、インターネットのインスタントメッセージ(IM)や携帯電話のショートメッセージ(SMS)で、奇妙に略した言葉に慣れてしまっているし、状況は悪化の一途をたどっています。
IMは、電話よりも話しやすいと、ティーンの絶大な支持を得ているだけではなく、近頃は、オフィス内でも重宝がられていて、企業人たちのコミュニケーションの加速に一役買っています。電話中も会議中も、並行して他の人と論議できるところが利点です。

いつかハイテク会社の重役が、奥方と遠方の大学に行った娘とのオンライン・チャットに加われないと、嘆いていました。"UR L8 4CLAS" などと書かれたら、判読不能かもしれませんね。日本のケータイの "ギャル文字" に通じるところがあります。

ケータイと言えば、自分だけのユニークな着メロ(ring tone)も不可欠要素となっています。昨年アメリカのティーンは、5千万ドルも着メロダウンロードに使ったそうです(ティーンの消費力全体は、昨年199億ドルでした。前年より12パーセント減です)。

困った事に、最近は、現役で学校に通っている子供たちのスペル力も低下しているようです。たとえば、ごく基本的な "it’s" と "its" の違いや、"there" "their" "they’re"の区別がつかない子供たちも多いそうです。エッセイを書かせると、こういった間違いのオンパレードです。
いつか友人のメールにも、"Its nice" というのがありましたが、当然 "It’s nice" の誤りです。何を隠そう、彼女は小学校の先生です。

ところで、年に50回ほど講演しているイーベイの教育係が言うに、最近は行く先々で、"イーベイはいつスペルチェッカー機能を入れてくれるの?" と質問されるらしいです。そういった問いには、"本屋と呼ばれるお店に行って、辞書と呼ばれる物を買ってください" と答えておくそうです。

(ちなみに、上記の暗号らしき文章 "UR L8 4CLAS" は、"You’re late for class(授業に遅れてるよ)" です。)

<ペンギンと人間、そして結婚>
以前、奇妙な原始ペンギンのお話をいたしましたが、ペンギンとは、結構ユニークな生き物のようです。
マンハッタンのセントラルパーク動物園に暮らすロイとサイロは、6年間連れ添った仲むつまじいカップルです。この度、タンゴというかわいい雛をともに孵化させ、2ヵ月半にわたり暖かく育んで来ました。でも、タンゴは、ロイとサイロの実子ではないのです。だってふたりともオスなのですから。

実は、ペンギンの同性カップルは珍しい話ではなく、この動物園では、ロイとサイロ以前に、ジョージーとミッキーというメスの先輩カップルがいました。新たにマイロウとスクォークもオスのつがいになろうとしています。近くの動物園でも、オス同士のカップルが確認されています(ペンギンの種類は、カップルによって異なります)。

ペンギンだけではありません。サンフランシスコの対岸、オークランドには、ハゲワシのオスのつがいがいます。長年連れ添った割に卵が生まれないと、性別検査をしたところ、両者がオスだと判明しました。不憫に思った飼育係が受精卵を調達し、一羽に抱かせているところです。このカップルの場合は、役割分担がとても明確になっており、卵を抱くのは、いつも同じワシだそうです。
鳥類だけではなく、人類に非常に近い種でも、同様の行動が見られます。ピグミーチンパンジーとも呼ばれる中央アフリカのボノボ(Pan paniscus)は、半分の時間を同性と過ごすと報告されています。

動物界には、同性愛が確認される種が470ほどもあるそうで、近頃アメリカで論争を巻き起こしている同性カップルの結婚問題に一石を投じています。推進派は、こう言います。動物界で広く見られるなら、自然界ではごく普通の行動と言えるだろう。これに対し、宗教原理主義者は、"何と動物的なことか!神をも恐れぬ行為だ"と嘆きます。

昨年12月の記事で、世界的にゲイの権利を認める動きが強くなっていることをお伝えしましたが、今、アメリカ中で、同性結婚の議論が白熱しているのは、昨年11月のマサチューセッツ州最高裁の判断がきっかけとなっています。
そして、その根底には、結婚(marriage)と民事婚(civil union、宗教的儀式によらない結婚)の微妙な違いが存在します。前者は、結婚に伴うすべての権利を保障し、後者は、ある行政区でのみ認められる、限られた権利を定めます。
マサチューセッツ州最高裁は、同性のカップルに "結婚" を認めないのは、人の平等を唱えた州憲法に違反すると判断したわけですが、州議会は、まさかこの "結婚" が本当の結婚を意味するとは考えていませんでした。
しかし、2月に入り、州最高裁は、"5月17日をもって、同性結婚を施行せよ" というお達しを出したので、州議会で急遽、対策を審議しているところです。結婚を "異性の者同士" と定義する州憲法の修正案は否決され、同性結婚を禁止する法案も否決されました。かと言って、同性結婚を認めるには反対意見が多く、妥協案として、同性カップルには民事婚のみ認めるという法案を審議しています。(アメリカでは唯一、ヴァーモント州が同性の民事婚を認めています。)

こういったごたごたの中、サンフランシスコでは、バレンタインデーの週末、市庁舎内で同性カップルが大挙して結婚式を挙げ、アメリカで初めて、正規の結婚証明書を手にしました(宣誓は、"husband and wife"の代わりに"spouses for life"となされ、結婚証明書には性区分はありません)。
2月12日から16日の5日間で、2500組近くが結婚しました。

カリフォルニアの法律では、結婚は男と女の間でのみ執り行われるとあります。しかし、今年1月に就任したギャヴィン・ニューサム市長は、平等を説いた州憲法に反すると、強行に踏み切ったのです。ブッシュ大統領が、同性結婚を禁止する憲法修正案をちらつかせていることに対する反発でもあります(結婚証明書は、郡が発行するものですが、サンフランシスコ市は郡も兼ねるので、市長に決定権があります)。
翌2月17日、さっそく裁判所からは自粛せよとのお達しがありましたが、ニューサム市長はあくまでも抗戦の構えを崩さず、今後、反対派と法廷で争うこととなります(その間、結婚式は続いていますが、州が強行に介入する可能性が濃厚です)。

カリフォルニアでは、ドメスティック・パートナー制が布かれ、その権利も大幅に広げられようとしています。しかし、こちらも反対派の暗躍で、将来が保障されたものではありません(昨年10月の記事で、この問題に触れています)。
今回のサンフランシスコ市の "結婚" 措置は、同性のカップルにとって、一筋の光ともなっているようです。

記念すべき第一組目は、51年連れ添って、ようやく結婚証明書を手にした女性の活動家カップルでした。

冒頭に出てきたサンフランシスコ市庁舎内での惨事ですが、市長とともに惨殺されたハーヴィー・ミルク氏は、市で初めてのゲイの行政執務官と言われています。この事件をきっかけに、ゲイの活動家と警察の応戦は死傷者まで出し、街中が騒然となる時期もありました。

あれから四半世紀、この市庁舎で、同性結婚が執り行われています。

夏来 潤(なつき じゅん)

今年最初のニュース:家電と火星

Vol.54
 

今年最初のニュース:家電と火星


狂牛病騒ぎやテロの警告と、何とも騒々しい年末となりましたが、ありがたいことに、何事もなく新年がやって来ました。今回は、年明け早々、話題となった出来事などをお話しいたしましょう。

<ハイテク屋と家電>
アメリカには元来、お屠蘇気分などはないに等しく、元旦が過ぎると、さっさと普段の生活に戻ります。1月2日は金曜日だったにもかかわらず、多くの人がオフィスで仕事に励みました。
そして、土日が明けた1月5日の週、ラスヴェガスではコンシューマ・エレクトロニクスショー(CES)、サンフランシスコではアップルコンピュータ主催のマックワールドが開かれ、テクノロジー業界はエンジン全開となります。
CESは、もともと家電の祭典ではありますが、ご存じのように、近年、家電とコンピュータの垣根が低くなったことで、ハイテク企業の参加がとみに目立っています。なにせ、1750億ドル規模の巨大市場ですから。詳しい報告は他に譲るとして、ここでは、有名企業のCEO(最高経営責任者)の談話を借り、これらのショーを簡単にまとめてみたいと思います。

まず、ヒューレット・パッカードのカーリー・フィオリナ氏は、"(CESは)すべてがデジタルコンテンツ革命の一言に尽きる" と力説します。
一昨年末、いち早くメディアセンター・パソコン(マイクロソフトのWindows XP Media Center Edition内蔵)を発表したように、自宅で音楽、写真、映画のデジタルコンテンツを自在に楽しめる環境を築きたいとしています。勿論、そういったコンテンツ配信の中心(hub)には、自社製サーバーが君臨する構図です。
また、音楽ファンに大人気の、アップルのデジタル音楽プレーヤーiPodを、HPブランドで販売することを発表し、自社の社員も含め、まわりのみんなを驚かす得意技も見せています。

そのアップルのスティーブ・ジョブス氏は、名刺サイズのiPod mini(4GBの1インチ・ハードディスク内蔵)を誇らしげに披露し、デジタル音楽での更なるシェア拡大を目指します。
同社の音楽ネット販売サイトiTunes Music Storeは、合法的なオンライン音楽販売の7割というシェアを誇っており、"5パーセントの線を越えるのは、気分がいいねえ" と、自社のパソコンシェアを顧み、本音をちらり(調査会社Gartnerによると、実際は、米国市場で3パーセントのシェア)。
同時に発表された、自演の音楽プロデュースソフト、GarageBandの滑り出しも好調のようです(楽器がひとつしかできなくても、バンド演奏に早変わりという嬉しいソフト)。

相対するマイクロソフトのビル・ゲイツ氏は、"子供の頃にあったらいいなと夢見ていた物は、すべて、今まさに実現されようとしている" と、あらゆるデバイスを自社製ソフトで繋ぐビジョンを強調します。
ゲイツ氏は、ビデオや映画を保存・再生できるポータブル・メディアプレーヤーをお披露目し(Windows Mobile Software for Portable Media Center内蔵)、"あと5年もすれば、音楽だけのプレーヤーがあったことなんて忘れてしまうよ" と、iPodに対抗意識を燃やしています。年末までに、5社が類似製品を発売する予定で、PVP(portable video player)と呼ばれるこの分野の成長が見込まれます。

一方、一番商売っ気を見せていたのは、ゲートウェイのテッド・ウェイト氏かもしれません。"何やかやと言ったって、誰だって安い物が欲しいんだよ" と、あくまでも安売り路線を固持します。
同社は、自社ブランドの薄型プラズマテレビの発売で、他社に先駆けパソコンから家電業界に乗り出しており、デジタルカメラなどの人気商品の助けもあり、家電分野の収入は増加傾向にあります。
商売敵のデルも、MP3プレーヤーを発売し、HPもデジカメに引き続き、自社ブランドのテレビを間もなく売り出します。

こういった家電分野進出のトレンドは、FlextronicsやSolectronといった、製造代行業者(contract manufacturers)の台頭と密接に係っています。こんなものを売りたいと思い付いたら、まず、専門会社にデザインを依頼します。そして、それを製造代行業者に持って行けば、品質の確かな製品が出来上がるわけです。
アナログからデジタルへと移行している今の時代、必ずしも家電会社でなくとも、比較的簡単にテレビなどの家電製品を売ることはできるのです。
しかし、消費者がパソコン屋のテレビやデジカメを買うかは、また別の問題です。ソニー、パナソニック、シャープといったブランド力に対抗しなければならないからです。
ある調査によると、大抵の消費者は、パソコンの周辺機器的な家電、たとえばMP3プレーヤーやデジカメだったら、パソコン屋の製品を買っても良いと思っているらしいです。しかし、事テレビともなると、途端に支持率は17パーセントに減ってしまいます(調査会社InsightExpressのデータ)。
これに対処する方法は、ゲートウェイのウェイト氏が力説するように、やはり値段なのかもしれません。

CESの会期中、インテルのプレジデント、ポール・オテリーニ氏は、デジタルテレビ用のチップ開発を表明し、これによって来年までに製品価格帯は大幅に下がるだろうと予想しています。
もしそうなった時、"デジタル革命" の旗印を掲げるパソコン屋と、ブランド力を誇る従来の家電屋の垣根がなくなってしまうのか、それともやはり家電陣営の勝ちとなるのかは、予想が難しいところです。

ソニー・アメリカのCEO、ハワード・ストリンガー卿は、先日こう語っています。"ブランドは永遠ではない。サムスンや中国の新興勢力が台頭する中、ブランドにとってはタフな世界になっている" と。

<火星探査プロジェクト>
古来、人は、地球人が唯一の宇宙の住人ではないと信じ続けて来ました。1877年、イタリアの天文学者が火星の "水路" を発表して以来、火星フィーバーは収まるところを知りません。今となっては、映画に出てくるような火星人が存在するとは誰も思っていないでしょうが、水や微生物の痕跡を探すのは、現代科学の重要な課題です。
そんな重大な使命を帯び、年初から毎日わくわくするニュースを送って来てくれているのが、ご存じ、火星探査ロボット、スピリットくんです。1月24日(米国西海岸時間)、火星の反対側の赤道地帯に着陸した双子のオポチュニティーとともに、米航空宇宙局(the National Aeronautics and Space Administration, NASA)の火星探査プロジェクトを遂行する、ジェット推進研究所(the Jet Propulsion Laboratory, JPL)で生まれました。

スピリットくんの乗る探査機は、昨年6月10日、フロリダ州ケープ・カナヴェラルから打ち上げられ、7ヶ月の飛行の後、1月3日に火星のグーセフ・クレーターに着陸しました。ここは、太古、湖があったと考えられる場所です。
現時点では、火星に降り立ったスピリットくんの思わぬ不調が報告されているわけですが、ここまでの過程においても、研究者たちの並々ならぬ努力が見られます。ミッションコントロールの置かれるカリフォルニア州パサディナのJPLが、過去数年にわたる探査機開発の中心地となりましたが、テスト・改良には、アメリカ各地に散らばるNASAの研究機関が総動員されています。
たとえば、着陸時に探査機をショックから守った、ぶどうの房のようなエアバッグは、オハイオ州の巨大真空施設で強度テストが行なわれています。最初のトライアルでは、石に見たてた突起物ですぐに破裂してしまいました。前回、1997年に成功した火星探査車、パスファインダーの時と、同じデザインだったにもかかわらず。

一方、着陸2分前の降下時に開いたパラシュートは、シリコンバレーのマウンテンビューにある、NASAのAmes研究所でテストされました。ここには、巨大ドームの中に、13万5千馬力の風力機械があります。前回のパスファインダーに比べると、スピリットはとても大きく(ゴルフカートの大きさ)、重量も180キロほどあります。そのスピリットを支えるパラシュートは、探査機内の小さなキャニスターに入れるため、強度を保つために生地を厚くすると、面積を小さくしなければなりません。そのため、今回は、パラシュートの円周を極力縮め、安定性を補完するため、傘の中心部と側面から空気が漏れるように設計してあります。
しかし、Ames研究所で試してみると、傘がうまく開きません。くらげのように丸く開くところが、イカのように縮んでしまいます(イカを指す"squidding"と呼ばれるらしいです)。NASA火星探査30年の歴史で、この現象が起きたのは、初めてのことです。試行錯誤の結果、傘の中心の空気穴を小さくすることで、ようやくデザインが決定しました。
その間、4ヶ月、パラシュート担当者たちは、昼も夜もイカが頭から離れなかったようです。探査機打ち上げは、地球と火星の最接近時を狙って行なわれるため、もしパラシュートが準備できなければ、あと26ヶ月待つことになっていました。

着地して3週目、スピリットは突然の不調を訴えて来たものの、これまで任務を着実にこなして来たのは、半ば奇跡と言えるのかもしれません。歴代、火星探査の目的で各国が打ち上げたもののうち、大部分が失敗しているからです。ロシアは7回挑戦しています。1回だけ、着地して2秒ほど音信があったそうですが、その後信号が途絶えました。昨年のクリスマス、イギリスの探査機、ビーグル2が火星に着陸したはずですが、結局、地球に連絡は届きませんでした。
アメリカも、成績は必ずしも芳しくありません。1976年、双子の衛星兼探査機、ヴァイキング1と2が成功したのを皮切りに、本格的に火星探査が始まったわけですが、1997年のパスファインダーに続き、スピリットは4番目の着陸成功例となっています。その間、1999年に、衛星クライメット・オービターと南極探査車ポーラー・ランダーが打ち上げられましたが、英国式単位(インチ法)とメートル法のずれや、ソフトウェアのミスなどで、次々と失敗してしまいました。その2年後に予定されていたプロジェクトは、準備不十分であるとキャンセルされています。今回のプロジェクトは、まさに満を持してのチャレンジと言えます。

今後、火星の上で、どんな試練が待ち受けているのかわかりませんが、科学者スピリットとオポチュニティーの報告を、地球のみんなが楽しみにしていることだけは変わりありません。予想以上に長寿だったヴァイキング1と2にあやかって、彼らにも長生きしてほしいものです。

追記:探査機開発の事例は、公共放送局WGBHボストン制作のNOVAシリーズ、"Mars Dead or Alive"を参考にさせていただきました。

<造語コンテスト>
今年初め、サンノゼ・マーキュリー紙で、こんなコンテストの発表がありました。現存する単語の一文字を変更し、今の世相を表す新しい単語を作ってくださいというお題です。1700以上の応募があった中から、上位に選ばれたいくつかをご紹介しましょう。

映えある一等賞は、"offshorn"。海外に職を移されたため、首を切られたこと。海外を表す形容詞 "offshore" から来ていますが、今や "offshoring" は、企業の業務移管を指す言葉として、市民権を得ているようです。この動詞化した"offshore"の過去完了形で、業務を移管されてしまったことを表すのが、offshorn。
ごく最近は、一部の州政府まで、福祉サービスのコールセンターなどをインドやメキシコに移管したと聞きます。コスト削減をしたいのは、なにも営利団体に限ったことではありません。

"offshorn" と一位を分かち合ったのは、"egosystem"。スポーツ選手や、有名人、重役たちをぐるりと取巻く、イエス・マンや太鼓持ちのこと。生態系を表すecosystemと、自我を表すegoをかけています。egoにはうぬぼれという意味もあり、つまり、うぬぼれを助長する生態系といったところでしょうか。

三位は、"Crisco"。これは、もともと、フライなんかを作る、料理オイルの名前です。新しい意味は、Cisco(ネットワーク製品のシスコ・システムズ)の株を80ドルで買ってしまったので、(株価下落から)やけどをしてしまった人。
ちなみに、昔からあるCriscoオイルをもじって、サンフランシスコのことをFriscoと言う人がいますが、これを嫌う地元住民は多いので、要注意。

その他、紙面で紹介された中から、いくつかをピックアップしてみましょう。
motherbored:夕餉の食卓で繰り広げられる、お父さんと子供たちのテッキーな(おたく風の)会話。 (motherboard、つまり電子基盤と、bored、退屈したという形容詞をかけたものです。もちろん、退屈するのは、mother、お母さんという設定です)
nonosecond:誰かをののしる言葉を口にしてから、"ああ、言うんじゃなかった" と後悔するまでの刹那。 (nanosecond、ナノ秒、つまり10億分の1秒のもじりですが、"no, no" と後悔することとかけています)
protocool:"TCP/IPのプロトコール(protocol)で働いてるんだよ" と言えるカッコよさ。 (プロトコール、つまりインターネットなどの通信手順と、カッコいい(cool)という形容詞をかけたものです)
sellular:電話業界における携帯(cellular phone)の真の意味。 (とにかく、「売り!(sell)」の一言に尽きるのです)
teleprone:辺り構わず、携帯が鳴ると出ようとすること (電話のtelephoneと、好ましくないことをやりたがるproneという形容詞をかけています)。日本やヨーロッパに比べて、まだまだ携帯マナーが浸透していないアメリカでは、迷惑な会話もたくさん見かけます。最近では、カメラ付き携帯とプライバシーの兼ね合いがホットな議論となっています。

ところで、先月号で、筆者選出の流行語大賞を発表しましたが、ボストンにある言語調査機関、American Dialect Societyも同意見だったようです。1月初旬、言語学者などが集まって投票した結果、"メトロセクシュアル" が一番の流行語に選ばれました。
一方、1976年以来、"禁止すべき用語集" を毎年発表してきた、ミシガン州のレイク・スペリア州立大学では、やはり "メトロセクシュアル" がリストのトップに挙げられています。よく耳にする単語は、時間がたつとイライラのもとになるのでしょう。

ワシントン・ポスト紙のベテラン・コラムニストなどは、つい最近この言葉を初めて聞いたと書いていましたが、火星の洞窟にでも住んでいたのでしょうか?

<年末の大掃除>
最後に、私事で恐縮ですが、昨年末、ガレージの大掃除をした時のお話です。日本に比べて、物を置くスペースの多いアメリカでは、知らないうちにどんどん物が溜まって行きます。
大抵の場合、クローゼット(押し入れ)から始まります。"skeleton in the closet(その家の秘密)" などという表現があるくらい、何が出てくるかわからない場所でもあります。"coming out of the closet(自分がゲイであることを明らかにする)" とも言うように、ここは物を隠す空間でもあります。
次に、物を溜め込む場所としては、地下室(basement)や屋根裏部屋(attic)があります。地震の多いカリフォルニアでは、どちらも見かけないので、侵食する先は、ガレージとなります。車を置いても若干の余裕はあるので、ここに作り付けの戸棚をずらりと並べる人も多いです。ちなみに、要りもしないものを後生大事に溜め込む人を、"pack rat"とも言います。

さて、年末の大掃除の結果、いくつか粗大ゴミが出てきました。まったく使ったことのない小型自転車、真夏の太陽で風化した庭用のテーブルと椅子など数点です。残念ながら、筆者の住む付近は、ガレージセールが許されていないので、市が契約する業者に連絡し、翌日にトラックで回収してもらうように手配しました。
夕方、それらの品々を家の前に置くと、間もなくチャイムを鳴らす人がいます。"外に置いてあるのは、捨てる物ですか" と聞きます。そうだと答えると、ちょっとテーブルを見せてねと言います。
翌朝、ふと気が付いてみると、テーブルはちゃんと置いてあるのに、バーベキューグリルとスティール製のベッドフレーム、そして10年前のスキー板がなくなっていました。誰が持って行ったのかはわかりませんが、ちょっと意外な気分です。まわりは、ヨーロッパや日本のプレミアムブランド車に乗るような人たちなのに、と。

"One man’s garbage is another man’s treasure(捨てる神あれば、拾う神あり)" とは、まったく良く言ったものですね。

夏来 潤(なつき じゅん)



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