食料生産の次の一手:お肉は培養しましょう!

Vol. 221



2月といえば、豆まきの豆や恵方巻、バレンタインデーのチョコと食べ物を思い浮かべます。そんな今月は、食料生産にスポットを当ててみましょう。話題は変わって、第2話には、火星探査も続きます。

<第1話:ちゃんと食べてる?>

食べ物といえば、ハンバーガーやピザを思い起こすアメリカ。そんなジャンクフード王国には、こんなエピソードがあるのです。

毎年2月になると、スポーツ最大のイベント「スーパーボウル」が開かれます。アメリカンフットボール・リーグ(NFL)のチャンピオンを決める試合ですが、白熱するゲームもさることながら、試合中に流れるテレビコマーシャルも例年の話題となっています。翌月曜日には、オフィスの雑談(water cooler conversation)として人気トピックとなりますので、トイレに立つ暇がないくらいにテレビ画面に食らいつき、コマーシャルを鑑賞しなければなりません。

そんな試合中継の際、ビールのお供として一番人気なのは、チップス。ポテトチップやコーンチップと実にさまざまな種類が出回っていますが、三角形のコーンチップにワカモレ(guacamole:アボカドをつぶして味付けしたディップ)のコンビは、もっともポピュラーかもしれません。(Photo from dash-diet-collection.com)

「スーパーボウル」の日には、全米で相当量のコーンチップとワカモレが消費されるそうで、チップスをひとつずつアメリカ大陸に並べてみると、西海岸から東海岸を2往復半できるとか。そして、つぶされるアボカドときたら、実に2億7千万個。フットボールフィールドの右のゴールから左のゴールを埋め尽くすと、152センチの身長の人が頭まで埋まってしまうとか!



恐ろしきチップスの魅力ですが、このスーパーボウルの「チップスとワカモレ」が象徴するものは、ひとつにアメリカ人の偏食・悪食ということもあります。が、もっと大きなスコープで考えると、世界の食料の危機的状況というのもあるかもしれません。



先月、イギリスの有名な医学誌ランセット(Lancet)が、人類の食料に関する研究結果を発表しています(Food in the Anthropocene: the EAT–Lancet Commission on healthy diets from sustainable food systems, Lancet 2019; 393: 447-92, published online on January 16, 2019)。

これによると、過去50年に人類が営んできた食料生産は、栄養的にも世界全体の人口を支えられるものではないし、気候変動(climate change)を助長して環境を圧迫し、地球上の生物の多様性(biodiversity)を破壊する一因ともなっている。おかげで、10億人がお腹を空かせる一方、20億人が間違ったものをたらふく胃袋に詰め込んでいる状況で、現行の食料生産のあり方を見直さなければ、地球とそこに住む人類にとって、大変なことになるよ、と警鐘を鳴らしているのです。

なにせ現状では、地球上の土地の4割が食料生産に利用され、温室効果ガスの3割を放出し、真水の7割を消費している。そんな大規模な営みであるにもかかわらず、多くの国では栄養失調が顕著であり、富める国では食品廃棄や生活習慣病が問題となるなど、人々の栄養摂取は、まるでなっていない。

たとえば、タンパク源ひとつをとっても、牛肉などの赤肉(red meat)の摂取量を現在の半分にして、豆類(legumes)の摂取を倍にするなど、根本的な見直しが必要である。具体的には、一日2500キロカロリーのエネルギー摂取量とすると、牛肉や豚肉の赤肉は一日平均14グラム、鶏肉は29グラム、一方、大豆や豆類は100グラムが理想的である、と(Table 1: Healthy reference diet, with possible ranges, for an intake of 2500 kcal/day)。



つまり、人に健康な食べ物をつくっていれば、おのずと地球にもやさしい(サステナブルな)食料生産となるはずで、今は食べ方が間違っているので、生産形態を土台から見直すべきである、と世界規模の協力を提唱しているのです。

<お肉を培養!>

上の論文は、研究者グループが2年間かけてまとめあげた46ページの大作ですが、この研究結果が発表される以前から、すでに世の中では「食肉の生産過程を見直そうじゃないか!」という動きが活発化しています。

なぜ「肉」なのかというと、とくに牛肉などは、地球にやさしくないタンパク源の最たるものとして認識されているから。放牧地開拓による自然破壊、真水の大量消費、温室効果ガスの放出と環境への影響に加えて、過剰な抗生物質投与や加工時の解体作業と、食肉となる動物ひいては人類に与える悪影響も懸念される、という考えに基づきます。

現在、世界中のさまざまなスタートアップ会社が、動物を殺すことなく食肉を得る研究に着手しています。

農場の動物から細胞を採取し、実験室の培養液の中で組織培養を行い食肉にする、というもの。いわゆる「培養肉(cultured meat)」とか「クリーンミート(clean meat)」と呼ばれる、人工的に生成した肉です。(写真は、培養肉の研究で知られるオランダのマーストリヒト大学での組織培養の様子)

隔離された環境で培養されるため、鳥インフルエンザや豚コレラといった感染症のリスクも低くなります。また、ひとつの細胞から大量の食肉を生成できるので、多数の動物を飼育して屠殺する必要もありません。



たとえば、サンフランシスコにある メンフィスミーツ(Memphis Meats)は、2016年、牛の培養肉からミートボールをつくって話題になりました。昨年3月には、世界で初めて鶏肉や鴨肉の家禽類の培養に成功したとして、鶏のフライと鴨肉のオレンジソースの試食会を開いています。



培養肉をつくる過程では、生まれる前の牛や鶏の胎児血清(fetal serum)を培養液とすることが問題視されていました。が、サンフランシスコの ジャスト(Just, Inc.)は、植物由来の培養液の開発に成功したとしています。

こちらのジャストは、2013年から、豆やヒマワリのレシチン(脂質)からつくった鶏卵の代用品を一般消費者に販売しています。当初はクッキーに使う粉末状でしたが、家庭やレストランで調理しやすいようにと改良を重ね、現在は容器に入った液体状で売られています。これまで卵300万個分を販売したと言われます。この代用鶏卵を使ったマヨネーズ「ジャスト・マヨ」も、会社の売れ筋商品となっています。

自然の流れとして、3年ほど前から培養肉の開発(彼らは「細胞農業」と呼ぶ)にも着手していて、日本の和牛農家からも協力を得ているとうたっています。共同設立者兼CEOジョシュア・テトリック氏は、今年末までには、培養した鶏肉をアジア圏の市場で商品化したいとしています。



ちなみに、ジャストへの投資家の中には、ヤフー(Yahoo!)の共同設立者ジェリー・ヤン氏がいらっしゃいます。一方、メンフィスミーツへは、マイクロソフト(Microsoft)の共同創業者で、現在は慈善団体の活動で知られるビル・ゲイツ氏などが投資を行っています。



今後の期待がふくらむ培養肉。そんな「クリーンミート」にも、いくつか問題があります。

まずは、コスト。現在、培養肉にはコストがかかり過ぎて、広く消費者に販売するわけにはいきません。数年前からすると劇的に下がったものの、1ポンド(454グラム)の牛肉を培養するのに、2000ドル以上(日本円で二十数万円)かかるとされています。店舗で従来の食肉と肩を並べるためには、少なくとも数年はかかるようです。

味も若干劣る、とも伝えられています。先日、ローカルテレビ局KPIXのリポーターがジャストの本社を訪れ、試食した鶏のフライに「普通の鶏肉とまったく違わないわ!」と驚いていました。が、牛肉となると、「脂分が足りなくて、ちょっとパサパサする」とも報じられています。

コストや味の問題は、時間が解決してくれるはずです。が、「培養肉は人体に影響するのか?」という問題はクリアされていません。これまでは「野放し状態」の分野でしたが、昨年11月、アメリカ食品医薬品局(FDA)と米国農務省(USDA)が共同で培養肉を取り締まる、と発表しています。今後、細胞の収集や組織培養の観点からは FDA が、商品製造・販売の観点からは USDA が目を光らせることになるようです。



いまだ市場には出回っていない培養肉ですが、当然のことながら、食肉業界は「ニセ肉である」と強い抵抗を示しています。少なくとも、ラベル表示を徹底するなど消費者には周知すべきだ、と。

そのうちに、レストランでも「ホンモノ(写真)」と「培養」と表示されることもあるのかもしれません。



果たして、培養肉は消費者に広く受け入れられることになるのか? 動物タンパク源は人の手で培養する時代となり、世界の食料生産にとってプラスに働くのか? まだまだ未知数の新たなチャレンジではあるようです。



<第2話:さようなら、オポチュニティ>

バレンタインデーの前日、訃報が流れました。人の訃報ではなく、宇宙の探査機の訃報。

日本では、小惑星探査機「はやぶさ2」が「リュウグウ」のタッチダウンに成功したとして話題になっていますが、アメリカでは、親しい友を亡くしたような物悲しい2月となりました。



2004年1月、7ヶ月の飛行を経て火星の表面に着陸した二台の探査車、「スピリット(Spirit)」と「オポチュニティ(Opportunity)」。長年にわたる彼らの探索のおかげで、火星にはかつて水が存在したことを裏付けるなど、地球人が火星への理解を深める手助けをしてきました。(写真は、2002年11月に行われたオポチュニティの走行テスト: NASA / JPL-Caltech)



時が流れ、2011年5月には双子のスピリットと地球との交信が途絶え、ミッション中止が報道されたあとも、ひとり黙々と火星を歩き回り、探査を続けてきたオポチュニティ。

昨年6月10日に最後の交信を行ったあと、これまでに経験したこともない大規模な砂嵐に見舞われます。砂嵐は何ヶ月にも及び、その間、太陽光発電をできなかった彼女は、再起不能なダメージを受けてしまったようです。

数ヶ月に渡る何千ものミッションコントロールの呼びかけにも応答することはなく、ついにバレンタインデーの前日、ミッションを遂行してきた NASA JPL(アメリカ航空宇宙局 カリフォルニア工科大学附属ジェット推進研究所)は、「ミッション完了」を宣言しました。(写真は、2010年8月オポチュニティが撮った自分の足跡:NASA / JPL-Caltech)



もともとは「90日保てばいい」と、火星に向かったスピリットとオポチュニティ。それが、赤い惑星の丘を登り、クレーターを乗り越え、砂嵐を耐え忍び、スピリットは7年、オポチュニティは15年も長生きしました。前輪のひとつを失い、またひとつを失いながらも、オポチュニティが走破した距離は45キロメートル。地球に送った画像は22万枚。

通常は水中に堆積するミネラル、ヘマタイト(赤鉄鉱)や、太古の水の流れを示すジプサム(石膏)を発見したのも、彼女のお手柄です。(写真は、着陸間もない2004年4月、オポチュニティが見つけたヘマタイトを含むミネラル粒「ブルーベリー」。3センチ四方を撮影したもの:NASA / JPL-Caltech / Cornell / USGS)



オポチュニティ最期の訪問地は、Perseverance Valley(不屈の谷、写真)。一昨年夏から滞在するこの谷が埋葬の地ともなりましたが、訃報を耳にして、遠く地球から彼女に祈りを捧げる科学ファンは少なくないことでしょう。

わたし自身も火星探査車の活躍に魅せられ、何回かご紹介していますが、「あの頃は地球と人類の未来を感じていたなぁ」と懐かしくもあり、厳粛な気分にもなったのでした。



これまで、先代の探査機パスファインダー(探査車ソジャーナ)や、双子の探査車スピリット・オポチュニティに携わることで、優秀な科学者たちが多数輩出されました。今後プロジェクトは、後継者「キュリオシティ(Curiosity)」と、2020年打ち上げ予定の「マーズ2020(Mars 2020)」に脈々と受け継がれていきます。

これからも、火星探査は若い人たちを魅了し、「科学の目」を育み続けることでしょう。

スピリット、オポチュニティ、本当にご苦労様でした!



夏来 潤(なつき じゅん)



花束をどうぞ

先日は、ヴァレンタインデー(Valentine’s Day、バレンタインデー)でしたね。



この日のサンフランシスコ・ベイエリアは、雨が降ったり止んだりの生憎のお天気。サンノゼからサンフランシスコに向かいながら、ところどころで激しい雨に降られました。



そう、サンノゼからフリーウェイを北上すると、サンフランシスコ半島にある諸都市を縦断するので、それぞれの街の雰囲気が違うように、雨の降り方も違ってくるのです。



ベイエリアはよく「マイクロ気候(microclimate、微気候)」と呼ばれますが、狭いながらも、それぞれの地形や海からの距離が天候を大きく左右します。ある場所では大雨でも、5分走るとカラリと晴れていることも多いのです。



こちらは、サンノゼからちょっと北に向かったスタンフォード大学(Stanford University)のある辺り。フリーウェイ280号線沿いには牧草が広がり、牛たちがのどかに草を食んでいます。



広大な牧草地はスタンフォード大学が所有するもので、ここだけは、ぽっかりと雨雲にあいた「穴」に覆われていました。



丘の上には1960年代に築かれた巨大なアンテナもあって、ちょっとした地元の名物になっています。



今は現役を退いていますが、大気圏の謎を探ったり、宇宙に打ち上げられたロケットや人工衛星と交信したりと活躍してきました。丘の周辺は自然のまま残されているので、高い山頂でなくとも、十分に観測が行えたのでしょう。




半島を北上して、サンフランシスコの街に近づくと、雨は止んでいるものの、空はどんよりと曇っています。また西の方からひと雨来ても、おかしくないくらい。



連日、そんな空模様が続いているので、例年よりもひんやりとしたお天気です。そう、今年サンフランシスコは、記録的な寒さだとか。2月としては、1949年以来、二番目に寒いそうです!



せっかくのヴァレンタインではありますが、お祝いムードに水を差すような天候です。



けれども、ひとたびフリーウェイから街中に降り立つと、こんな男性を見かけました。



ほら、赤いバラと白い花の束をうやうやしく掲げて、さっそうと歩いている男の人。右手には、彼女に渡すものか、メッセージ用のカードも持っています。



そうなんです、以前から何度も書いておりますが、アメリカではヴァレンタインデーには、男性から女性に贈り物をする習慣になっています。



お花とシャンペン、お花とチョコレート、お花とアクセサリーといったコンビネーションが多いですが、お花とカードに込めたメッセージというのもポピュラーです。そう、ヴァレンタインデーの「王道」といった感じでしょうか。



夕方の帰宅時間ともなると、サンフランシスコの街角では、カード屋さんに人が群がります。



いつもはカード屋さんでは見かけないような男性のお客さんが多かったですが、女性のお客さんも訪れます。ダンナさんに(義理)カードをあげようとしているのかもしれません。



街を散歩していると、花束を持ち帰る人もたくさん見かけました。彼女とレストランで待ち合わせをしているのか、それとも、彼女を自宅に招いて手料理を振る舞おうとしているのか、みなさん足早に目的地に向かいます。



近頃は、男性だって自宅でディナーを準備して、お相手を招待すること(a date night at home)も多いですからね。花は、お皿の上の手料理にも、グンと彩りを添えてくれます。



が、さすがにここは、サンフランシスコ。女性だって堂々と花束を抱えている方がいらっしゃいます。



想像するに、こういった女性の方々は、パートナーの女性にお花を贈ろうとしているのだと思います。だって、奥さんからダンナさんに花束をあげる人は少ないでしょうから、女性から女性に差し上げると考えた方が自然でしょう。



ご存じのように、サンフランシスコは同性カップルが多いことで知られる街。そういった街ですので、お花を抱えるのは、男性だけの特権ではありません。




アメリカの中でもリベラルなカリフォルニア州では、早くから「ドメスティック・パートナーシップ(事実婚)制」が布かれ、同性カップルの州内での権利も拡大されてきました。



現在は、同性カップルの婚姻(same-sex marriage、同性婚)も法的に認められています。



ですから、他州や外国で結婚した同性カップルの方々も、婚姻関係が法的に認められます。



法的に婚姻が成立するということは、相続権もあるし、パートナーの末期医療に関する決断も下せるし、男女の夫婦と同じ権利を持つということです。



けれども、これに至るまでには、さまざまな法廷での争いがありました。ひとたび婚姻を認められた同性カップルの方々も、争いの場が州の最高裁から国の地区裁判所、控訴裁判所、連邦最高裁判所と変わるたびに、「自分たちの法的な立場はどうなってしまうのだろう?」と不安を抱き続けました。



真っ先にサンフランシスコの市長さん(結婚証明書を発行する権限を持つ郡長を兼ねる)から結婚証明書をいただいた同性カップルの方々は、2004年のヴァレンタインデーの頃から2013年にカリフォルニア州で同性婚が定められるまで、実に9年もの間、争いの渦に巻き込まれてきました。



判決が下されるたびに、喜びを噛みしめたり、意気消沈したりと、精神的な起伏を乗り越えるのも大変だったことでしょう。



今ではもう、当たり前となった同性婚ではありますが、これまでどれだけの方々が心を痛めたことだろうと、道ゆく人々のヴァレンタインデーの花束を見ながら、厳粛な気分になったのでした。



想いを語るのに、性別は関係ないはずなのに・・・と。





この話題に興味のある方へ: 現在は、アメリカのすべての州(首都ワシントンD.C.とアメリカ領を含む)で同性婚が認められています。が、その最先端ともなったカリフォルニア州が法律制定に至る道のりは、本当に紆余曲折でした。



上でも触れたように、2004年のヴァレンタインデーをはさむ5日間、サンフランシスコ市長(現カリフォルニア州知事のギャヴィン・ニューサム氏)が同性カップルに結婚証明書を発行したのが、全米に「同性結婚(same-sex marriage)」を知らしめるケースとなりました。



すぐさま法廷での争いが始まるのですが、2008年5月には、州最高裁も「同性カップルの婚姻を認めないのは、平等を唱える州法に反する」という判決を下し、これを機に結婚証明書を手にするカップルが増えました。(こちらは51年連れ添い、2004年に記念すべき結婚一組目となった女性活動家、フィリス・ライオンさんとデル・マーティンさん。州最高裁の判決を受けて、サンフランシスコ市庁舎でお祝いパーティーが開かれました)



ところが、わずか半年後の2008年11月、反対派が中心となって民意を問う州民投票が行われ、僅差で反対派の提案(Proposition 8)が可決されて、「同性の者同士の婚姻を禁ずる」と州法改正がなされました。



そこから法廷での争いが複雑化するのですが、すったもんだの末に、2013年6月、国の最高裁判所が結果的に同性婚を肯定する判決を下し、カリフォルニアで同性婚が法的に定められることになりました。



以前こちらにも書いたことがあるのですが(第3話「最高裁のパワフルな判決」)、このときの判決は、「同性婚を認めるぞ」という肯定的なものではありませんでした。「そもそも訴えを起こした側(反対派)は、何も不利益を被っておらず、訴える立場にはない。ゆえに提訴をしりぞける」という消極的なもの。州最高裁へと差し戻しとなり、それが、結果的に反対派を封じ込めることとなりました。



ちなみに、全米で最初に同性婚が州法として制定されたのは、東海岸のマサチューセッツ州です。カリフォルニアがこれに続き、少しずつ他州にも波及していきます。そして、2015年6月、連邦最高裁判所が「同性婚を認めないのは、基本的人権を定める米国憲法修正第14条に反する」という画期的な判決を下し、同性カップルの婚姻制度は全米に広がりました。



それから数年の歳月が流れ、以前のように同性婚が取り沙汰されることもなくなりました。少なくともカリフォルニアの都市部では、同性のカップルが手をつないで歩こうと、結婚式を挙げようと、ほほえましい光景として受け入れられるようになっています。



Wash me!(洗ってよ!)

いきなり変な題名ですが、Wash me!



訳して「わたしを洗ってよ!」というわけです。



実は、これはとってもアメリカらしいお話で、「洗ってよ!」と主張しているのは、誰でもありません。「車」なんです。



アメリカでは、車は生活の必需品。ですから、毎日使っていると土ぼこりが付いてきて、自然と汚くなってくる。



とくに、カリフォルニア州をはじめとして、ワシントン州やオレゴン州といった西海岸の地域は、冬が雨季。夏は乾季で雨がほとんど降らないのに、冬になると、かなりの確率で雨となります。



これまで数年間は「干ばつ(drought)」で極端に雨の少ない雨季を経験していましたが、ようやく昨シーズンからは活発な雨雲が戻ってきて、今シーズンは雨の日も降水量もグンと増えています。ですから、車を洗うチャンスがなくなって、自然と車も汚くなっていく。



すると、この「Wash me!」が出現するのです。



そう、汚い車を見かけると、いたずら心がうずいてきて、「お願いだから、わたしを洗ってよ(Wash me)」と落書きをして、車の気持ちを代弁してあげる人が出てくるのです。



とくに冬のスキーシーズンには、土ぼこりで汚れた車が増えますよね。ですから、もしかするとアメリカの「冬の風物詩」と言えるのかもしれません。



こちらのトラックは、Wash me! とは書かれていないものの、なにやらたくさん落書きされています。意味はわからないけれど、「925 Bars」と書かれているように見受けます。よく見ると、「Patty!」という女のコの名前も出てくるのです。



このいたずらっ子にとっては、うっすらと茶色く変色したトラックの車体が、大きなキャンバスになっているんですね。心の中に浮かんだ文字を、車体に向かって吐き出している、それが、この「作品」。




もともと、アメリカのトラックは、白い無地の車体も多いです。ですから、汚れを利用した落書きだけではなく、ペンキを使った本格的な(?)落書きも頻繁に見かけます。



日本では「なんとか運送」となると、それぞれの会社のイメージカラーがあって、青や緑と、美しく塗られているトラックがほとんどですよね。それが、会社の宣伝にもなりますから。



ところが、アメリカの運送会社「なんとかトランスポーテーション」は、白を基調とした車体が多いです。



こちらのように、手間をかけて文字と自社ロゴを書き込んだものもあります。が、小さな会社となると、わざわざ文字を入れることなく、白いまんまで走っている小型トラックも多いんです。



すると、これが、格好のキャンバスとなります。だって、真っ白ですから、「どうぞ描いてください!」と言わんばかりの大きなスペースではありませんか。



そんなわけで、こんなトラックが出現するのです。



こちらは、白いトラックをわざわざ真っ黒に塗っていたんだと思いますが、それがかえって、「芸術家」の心をくすぐったのかもしれません。「なるほど、この漆黒の背景には、白い星がよく映えるぞ!」と。



このトラックを見つけた数日前にも、真っ白いトラックがでっかいキャンバスにされていたのを見かけました。



もう全面が「絵画」となっていたのですが、きっと持ち主は「もうしょうがない、このままにしておこう」と、グラフィティー(graffiti、落書き画)を消そうとも思わなかったのでしょう。だって、消したところで、またまた描かれるのは目に見えていますものね。



たぶん、こういった小型トラックは、個人で営業する運送会社のもので、自宅前に駐車してあるケースが多いのでしょう。必ずしも治安の良い地域に住んでいるわけでもないし、日本のようにいつも美しく洗車してあるわけではありません。



ですから、グラフィティーの「芸術家」が、格好の餌食としてしまうのでしょう。



だって、日本のようにピッカピカのキレイな車体だったら、いたずら書き(描き)も気が引けますが、ちょっとくらい汚れていたり、少々傷ついていたりしたら、罪悪感も減りますものね。(こちらの車のように青いテープで応急処置だなんて、「車はいつもピッカピカ」の日本では考えられないですよね!)



というわけで、アメリカらしい落書き、Wash me!



アメリカに暮らしていて、誰かから「Wash me!」と車に落書きされたら、それは(必ずしもキレイ好きではない)アメリカ人のスタンダードからしても、「これはひどい、お願いだから車を洗ってあげてちょうだいよ!」ということです。



そう、Wash me! と書かれるのは、ちょっと恥ずかしいことなのでした。



こぼれ話: ご存じのように、カリフォルニアは世界各地から移民の集まる州です。メキシコや中南米と、スペイン語圏から来た方々も数多く暮らしています。



ですから、Wash me の代わりに、Llava me という落書きを見かけたことがあるのです。



おそらく Wash me のスペイン語版だと思いますが、さすがに落書きまでコスモポリタンですよね!



Reform(リフォーム?)

新年が明けると、すぐに日本に向かい、ひと月近くを過ごしました。



近年、日本の街々では、アルファベットの表示をたくさん見かけるようになりましたが、外国からの旅行者にとっては、とても心強いことだと思います。



なにせ、日本語は、アルファベットを使う言語とはまったく違いますので、たとえば「空の玄関」成田空港に降り立ち宿泊先に向かうとき、どこでどの交通機関に乗り込めばいいのかと、アルファベットの表示を手がかりに心細い第一歩を踏み出すことになります。



表示板のアルファベットは小さくて、日本語の下に添えられた簡潔なものではありますが、何も無いよりもどれだけ心強いことかと、今回「外国人の目」で眺めてみて実感したのでした。



そうなんです、成田空港から電車に乗って都内に着いたのはいいものの、東京駅の巨大な構内で漢字の渦に巻き込まれてパニックになった友人がいますので、アルファベットの表示は、しつこいくらいにやっておいた方が親切ではないかと思うのです。



来年には東京2020オリンピック・パラリンピックも控えていて、これから先、日本を訪問する方々が増えることを考えると、街角の表示でも、アルファベットを添えるくらいの心意気があってもいいのかもしれません。(冒頭の写真は、晴海(はるみ)埠頭近くに建築中のオリンピック選手村を臨みます。)




というわけで、いきなりお話がそれていますが、今日の話題は「リフォーム」。



当然ながら、英語の reform という動詞からきている外来語ですが、なんとなく、日本では使い方がヘンだぞ、というお話です。



そう、日本でリフォームという言葉を聞くと、まずは「おうちのリフォーム」を思い出すでしょう。



古くなった家を改造して、快適に住みましょう、という改築工事のことですね。



けれども、英語では、この意味の言葉には remodel(リモデル)という動詞を使います。



最初の re- という部分は、「再び」という意味の接頭詞。つまり、re-model は「再び(家を)かたどる」という言い方で、もう一度手を加えて住みやすい家に改築する、という意味になりますね。



アメリカの家は、外観は古いけれど、中身はピッカピカに新しいことが多いのですが、家は何十年も改築しながら住むものという概念がありますので、remodel 産業は盛んなのです。



アメリカでは、DIY(do it yourself、自分でやる)の概念も広まっていますが、こちらは、室内のペンキを塗るとか、シャワーヘッドを取り替えるとか、素人の自分たちでもできるような、こまごまとした内容を指します。



一方、remodel(リモデル)の方は、専門家を雇って設計図から作成し、改築工事やインテリアまでトータルコーディネトしてもらうような、プロのお仕事のイメージがあります。



ちなみに、remodel という言葉は動詞ですので、名詞形は remodeling になります。



Do you know somebody who can remodel our house?

わたしたちの家を改築してくれる人(会社)を誰か知ってる?



Do you have any good tips for bathroom remodeling?

バスルームをやり直すのに、何かいいアドバイスはある?



といった風に使います。



また、「おうちのリフォーム」は、home improvements と言うこともあります。こちらは、ずばり「おうちの改良」といった表現になりますね。



一般的に、英語で「家」というと house(ハウス)ですが、「おうち」とか「我が家」というニュアンスを含むときには、home(ホーム)を使います。




そして、日本では、リフォームという言葉はクリーニング屋さんで聞くこともあるでしょう。



たとえば、ズボンやスカートの丈を直してもらうとか、ジャケットを仕立て直してもらうとか、そんな「服のお直しサービス」を指しますね。



こちらは、英語では alteration(発音は「オルタレーション」)と言います。



この alteration は名詞ですが、動詞の alter(発音は「オルター」)は、「〜をちょっと変更する」とか「服を仕立て直す」といった意味になります。



全面的に変更するわけではなく、ちょっと手を加えて、心地よいものにするといったニュアンスがあります。



日本では、どうして「お直しサービス」のことをリフォームというのかは存じませんが、アメリカで仕立て直しをしてくれるお店を探すときは、alterations または clothing alterations という言葉で探してみてくださいね。



多くのクリーニング店では、「Alterations」という看板を掲げて、どなたか腕利きの「お針子さん」を雇っていらっしゃいます。




そんなわけで、日本ではリフォームという言葉は身近に感じますが、英語で reform というと、ひどくお堅いイメージがあるんです。



なぜなら、「国の制度を改革する」というような、大掛かりな構想を思い浮かべるから。



まあ、reform が必ずしも「改善」につながる保証はありませんが、少なくとも、今までのやり方を大幅に変更して、より良いものにしてみようじゃないか、という前向きな意思が働いていることは確かです。



そういう点では、家の remodeling も、服の alteration も、「良くしてみよう」という前向きな意思が働いていますので、まとめて「リフォーム」と呼ぼう! ということになったのでしょうか。




ところで、ついでではありますが、日本で目にする簡単な英単語で、ひどく気になることがあるのです。



それは、お店のドアにかけてある「Open」とか「Closed」の看板。



近頃は、だいぶ正しいものになりつつありますが、それでも営業時間外に「Closed」ではなく「Close」という看板を見かけることがあって、ちょっと不快な気分になるのです。



そう、open とか closed というのは、あくまでも形容詞です。



Open は「店が開いている状態」という形容詞であり、closed は、動詞 close から転じた「店が閉まっている状態」という意味の形容詞。



文章にすると We are open(営業中です)と We are closed(営業時間外です)となり、その略式の表示が openclosed の看板となります。



ですから、しつこいようですが、お店が閉まっていることを示したかったら、「Close」ではなく「Closed」を使うべきですよね。(「Close」の看板を見かけると、お店のドアを閉めなさいよ、と書いてあるような気がするのです。)




このように、動詞の語尾に 〜ed をつけるかどうかで、ずいぶんと意味が変わってしまうわけですが、そんな「〜ed をつけた形容詞」にまつわるエピソードがあるのです。



もう何年も前のお話ですが、よく新宿にある大きな本屋さんに行っていた時期がありました。



このビルの上の階には洋書コーナーがあって、棚に並んでいなくても、外国から洋書を取り寄せることも可能です。



ある日、メガネをかけた小柄なレディーが「こんな本はありますか?」と男性店員に尋ねていらっしゃいました。



どうやら生物学関連の書籍で、 endangered species (発音は「エンデインジャード・スピーシーズ」)という言葉がタイトルに含まれていました。



最初の endangered というのは、「〜を脅威にさらす、危険な目に合わす」という意味の動詞 endanger〜ed をつけた形容詞。次の species は、生物の種属という名詞(単数・複数同じく species)。



つまり、endangered species というのは、自然界で危ない状態にさらされた、絶滅があやぶまれる危惧種という意味ですね。



ところが、男性店員の答えがトンチンカンで、「あ〜、なるほど、endangered と過去形になっているので、すでに絶滅した種属という意味ですね」と、訳知り顔に答えるのです。



まあ、彼の理解が合っていようと、間違っていようと、きちんとタイトル通りに注文すれば正しい書籍が届くのですから、わたしが口を出すことはないと黙ってそばで聞いていました。



けれども、動詞に 〜ed がついたからって、形容詞ではなく、過去形だと勘違いすることもあるんだなと、大いに教訓となった出来事ではありました。



と、いつものことながら話題がそれてしまいましたが、今日のお話は、日本語のリフォームと英語の reform の違いでした。



日本でリフォームと言っているからって、英語で reform を使ってみると「え?」と聞き返されるかもしれませんので、要注意なのです。





こぼれ話: まったくの蛇足ですが、こんなものを見かけました。



近くのエクササイズジムで、シャワールームの改築をしたのですが、終わってみてびっくり! なんと、水の温度を調節するレバーが回せなくて、お湯(hot water)がまったく出なくなってしまったのでした。(下のレバーを左に回すと、お湯が出るはずなのに、上のレバーにひっかかってしまって回せない!)



こちらの写真は、昨年末に撮ったものですが、2月に入っても、まだ直っていないようです。う〜ん、部品を注文した方もうっかりしていますが、不具合があるとわかっている部品をそのまま取り付ける感覚も理解できませんよねぇ。(アメリカらしいエピソードかもしれませんが・・・)



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