Essay エッセイ
2026年03月08日

筑後吉井のひなめぐり

<エッセイ その230>

季節はうつろうもの。


かぐわしい梅は終わりを迎え、菜の花がつぼみを開き、一面の黄色には早咲きの桜がピンク色を添えるころ。


長年アメリカに住んでいて、ソメイヨシノより早く咲く桜があるとは知らず、画像で見た菜の花と河津桜の競艶に驚いたものでした。


今年は、菜の花を見に行った福岡市郊外の糸島半島で、黄色とピンクに染まる畑を見ることができました!


日々、春へ向かって自然は準備を続けますが、人もまた春の到来を祝おうと、準備に余念がありません。


そう、3月3日は「桃の節句」でしたね。女の子の成長を願う風習を後世まで伝えようと、この時期、あちらこちらでひな人形の展示が行われます。


福岡へ来て気づいたのですが、県内では歴史資料館や周辺の商店街が協力して「ひなめぐり」を企画する街が多いようです。


先日お邪魔したのは、『筑後吉井おひなさまめぐり』。2月11日(水・祝)から3月20日(金・祝)まで開催されています。


筑後(ちくご)というのは、福岡県南部のこと。福岡市や北九州市など、県北部を筑前(ちくぜん)と呼びますが、久留米市(くるめ・し)や大牟田市(おおむた・し)、柳川市(やながわ・し)など南部地域を筑後と呼びます。


吉井とは、以前の浮羽郡(うきは・ぐん)吉井町(よしい・まち)、現在のうきは市吉井町です。(福岡県の郡に属する町名は、「〜まち」と呼びます。なぜか遠賀郡遠賀町だけは、「おんが・ちょう」と読むそう)


うきは市といえば、フルーツをはじめとして、フレッシュな農産物で知られます。中でも、こちらの吉井町は、美しく保存された白壁の街並みが自慢の街になっています。


『筑後吉井おひなさまめぐり』のことは、九州・沖縄各地を紹介するNHK番組『はっけんTV(テレビ)』で知ったのですが、画面で見て想像するよりも白壁の建物がたくさんあって、整備された町並みが丸ごと昔風なのです。


30年前の1996年、文化庁より「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されたこともあり、町並み保存に取り組んできた吉井町。あまり巷で知られていないのが不思議なくらいでしょうか!



そんな筑後吉井の「おひなさまめぐり」は、総合案内所となる観光会館「土蔵(くら)」から始まります。


こちらでは、明治・大正・昭和と、時代を追ってひな人形のスタイルが移り変わる様子がわかります。


明治の頃は、今の立体的な人形ではなく、二次元(平面)のひな人形も多かったようです。


下段の手前に飾られているのが、まさに二次元のひな人形「おきあげ」。


おひなさまというよりも、舞台で見栄を切る歌舞伎役者の風情です。お正月の羽子板(はごいた)の飾りのようでもありますね。


紙に布や綿をかぶせて制作されるので、ひっくり返して裏面を見てみると、当時の新聞紙だったりするそうですよ。昔の世相も垣間見られる、貴重なひな人形でしょうか。


大正や昭和初期になると、このような「箱雛(はこびな)」が一般家庭にも広まります。


箱雛とは、女雛と男雛が一体ずつ箱に入ったおひなさまのこと。珍しいスタイルですが、登場したのは江戸時代後期とのこと。


なんでも、福岡県南部の八女市(やめ・し)で注文に応じて制作されていたようです。


八女は、うきは市のすぐ南。現在は八女茶(やめちゃ)の生産地として名高いですが、仏壇、提灯(ちょうちん)、石灯籠(いしどうろう)、手すき和紙など伝統工芸でも知られる街です。


江戸時代後期、八女の仏壇職人や大工さんは、副業として箱雛をつくるようになったそう。


もともと社会的身分の高い家で行われた「ひなまつり」は、江戸期には一般市民にも広まりました。庶民の家でも、女の子の成長を願ってひな人形を飾りたいけれど、質素倹約を徹底する藩の役人に見つかると大変なことになる。ですから、すぐに箱にしまって隠せるようにと、箱雛の習慣が広まったともいわれます。


箱の中のおひなさまは豪華なもので、このような「八女のひな人形」の伝統は、脈々と今に引き継がれています。県内のレストランやホテルロビーなど公共の場で見かける雛壇は、八女のものがほとんどでしょうか。


吉井と同じく、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定される八女福島の土蔵造りの町並みでは、2月15日(日)から3月15日(日)まで『雛の里・八女ぼんぼりまつり』が開催されています。



江戸時代後期から明治、大正、昭和初期と、人気を博した箱雛。昭和も時が進むと、こちらの林家に飾られるような「雛壇(ひなだん)」が広まります。


今は、場所を取るし、ひな飾りの出し入れが大変ですから、あまり見られなくなりましたが、昭和から平成にかけて、このような雛壇が人気でしたね。


とくに商家ともなると、店先に豪華な雛壇を設けて、羽振りの良さを誇示していた時代もあったのでしょう。


雛壇を見ようと人が集まってくるので、お茶やお菓子と、お客さまをもてなす文化も発展しそうですよね。商人は、そういった手間をいとわず、地域の人たちと仲良くしていこうという心意気も感じられます。


ちなみに、二つの雛壇は、左が昭和期で、右が平成のものです。


昭和の雛壇は、「御殿雛(ごてんびな)」と呼ばれるもの。


おひなさまは、最上段の立派な御殿に住まわれています。日光の東照宮を思い浮かべるような、豪華な造りです。


よく見ると、三人官女も御殿の脇に控えていて、かいがいしくお二人の世話をする風情が伝わりますね。(そう、おひなさまの下段にいたら、お世話ができない!)


こちらは、林家の階段に飾られた雛壇で、大正のものでしょうか。


やはり立派な御殿雛となっていますが、よく見ると、右に置かれた昭和の雛壇とは違うところがあるのです。


お付きの人々や、箪笥や鏡台といった雛道具はほぼ同じなのですが、輿入れ(こしいれ)のお姫さまの移動手段が「牛車(ぎっしゃ)」なんです!


昭和・平成は、人が担ぐ駕籠(かご)が飾られていますが、こちらは、もっと古風な牛車になっています。ひな人形の風習は平安時代に生まれたともいわれますが、その頃の代表的な乗り物、牛車を再現しているのでしょう。


林家の店内には、左手に二次元のひな飾り「おきあげ」や箱雛と、おもに明治時代の人形が飾られます。これだけ時代を超えた豪華なひな人形を代々受け継いでこられたということは、裕福な商家だったとお見受けします。


こちらの林家は、肥料を扱っていた商家のようで、店内には「多木製肥所株式会社 特約店・林卸市商店」という古い看板も掲げられます。


なんでも、多木製肥所(現・多木化学)株式会社は、明治18年(1885年)兵庫県加古川市で創業した化学肥料の老舗。看板にもある二本の古代の鍬(すき)を模した「神代鍬(じんだいくわ)」を印として、明治期から日本全国に流通していたようです。


お店の方に伺うと、この林家の家屋は、江戸時代から明治に変わるころに建てられたとのこと。吉井町の周辺は農業のさかんな地域ですので、肥料を販売する林商店は、創業当初から商売繁盛だったことでしょう。(左側の建物が林商店)

どうやら、明治2年(1869年)に街は大火に見舞われ、これを教訓として、草葺きだった家屋を「居蔵(いぐら)」と呼ばれる土蔵造りの商家の町並みに建て替えた、という歴史があるそう。


明治初頭の店内には、肥料を量り売りしていたのでしょうか、古い計りが置かれていたり、旧式のトラックが停められていたりと、懐かしい雰囲気が漂います。


昔のタバコの陳列ケースも置かれ、これが個人的にはとても懐かしかったです。といいますのも、母方の祖母が商店のひとり娘で、写真のようなタバコのガラスケースが置かれていたから。小さいころは、「看板娘」として店番をするのが楽しみだったのを思い出しました。


母によると、祖母の口癖は「ちょっと寄って、お茶でも飲んでいきませんか?」。 昔の商家は、店内の土間に入ると、ちょうど腰掛けられる高さの上がり框(あがりかまち)があって、そこに顔見知りの客を座らせて、お茶を出して世間話をするのが習慣でしたね。


たいていは、役にも立たないような四方山話(よもやまばなし)だったのでしょうが、時には若い衆の情報交換をして、あの人とこの人を結びつけようなんて見合い話に発展したのかもしれません。


近ごろの店員さんには、そんな暇はないし、雇われる身では悠長なことは言っていられませんが、なんとなく現代の商取引には「ふれあい」が欠けるなぁと残念に感じることもありますね。


と、お話がそれてしまいましたが、白壁の町・筑後吉井は、街道沿いにあって宿場町、商業の拠点として栄えたところ。


江戸時代初期に集落が開かれたころ、災除川(さいよけがわ、写真)や南新川(みなみしんかわ)などの水路を整備して、農業用水として活用。また、筑後川へとつながる水運を利用して周辺地域の物産品の集積地となり、商売の中核として発展した吉井。


「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれる金融業で財を築いた豪商も現れ、江戸、明治、大正と街全体が潤ったようです。


ここ吉井から東に向かうと、隣は大分県日田市(ひた・し)。


日田といえば、杉の名産地。江戸時代は幕府の直轄地でもあり、杉材を求めて日田を訪れる日田往還(ひたおうかん)という街道が敷かれます。


吉井は、日田と久留米藩の城下町・久留米を結ぶ街道(日田往還)の中央に位置し、筑後の交通の要衝です。地理的にも、周辺の豊かな産業にも恵まれ、西の城下町・久留米や東へ日田を超えた豊前(現・大分県)の城下町・中津へと、商売の範囲は広がっていったことでしょう。


(ちなみに、一般的には「吉井は豊後街道(ぶんごかいどう)の真ん中に位置する」と書かれていますが、豊後街道は肥後国熊本(現・熊本市)と豊後国鶴崎(現・大分市)を結ぶ街道。阿蘇山を隔てて南に位置する街道なので、吉井は、豊後街道の鶴崎から北西に派生する日田往還にあるのでは? と個人的には思うのです)



今年34回目となる『筑後吉井おひなさまめぐり』には、十数軒の商店が参加していて、すべてを回るのは難しいかもしれません。ですから、ちょっと覗いてみて自分の好みのお店に入るのが良いのでしょう。


ある菓子店に入ると、こちらの「さげもん」が目につきました。


さげもんというのは、筑後地方に広まる風習で、糸をかがった毬(まり)や、人形や生き物、野菜や果物などをモチーフとした縁起物をつり下げた飾りです。


手づくり感が満載なので、女の子の成長を願うものならモチーフはなんでも大丈夫なのでしょう。


とくに近くの柳川市は、さげもんが盛んで、2月11日(水・祝)から4月3日(金)まで『さげもんめぐり』が開催されています。


3月15日(日)には、お堀に浮かぶ川舟に乗って『おひな様水上パレード』が開かれるそうで、着飾った女の子と色とりどりのさげもんが水面に映える、カラフルなイベントになりそうです。


この柳川のさげもんには原則があるそうで、飾りは、7つの飾りを7列に下げ、中心に大きな飾り2個を配置するというもの。合計51個の縁起物は、人生50年に1年を加えたもので、「一年でも長く生きられますように」という願いを込めているのです。


ちなみに、柳川の堀は、冬場は水が抜かれ、清掃をしたあと、今年は3月1日(日)に『お堀開き』が行われました。きれいになったお堀で水上パレードとは、舟に乗る女の子たちも気持ちの良いものでしょう!



というわけで、おひなさまめぐり。


筑後川からほど遠く、満足に田畑もつくれなかったところに水路を築き、豊かに発展し、白壁の土蔵造りの町並みで知られるようになった筑後吉井。


水に恵まれた街には、お豆腐屋さんも見つけました。


昭和2年(1926年)創業の古賀豆腐店では、耳納(みのう)山麓の湧水を井戸から汲み上げてつくった豆腐を買うことができます。


寄せ豆腐に厚あげ、ごま豆腐。大豆の甘みたっぷりのお豆腐と、カリッと香ばしい厚あげ。手煉りごま豆腐はもちもちとお餅のよう。


普段は厚あげが苦手のわたしも、こちらの厚あげは大好きでした。年中無休のお店とのことで、豆腐好きの方にはお勧めです。


お豆腐だけではなく、もちろん吉井の街もお勧めですね!



© 2005-2026 Jun Natsuki . All Rights Reserved.