Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2000年12月08日

e-Prescription(オンライン処方箋):医療業界オンライン化(1)

Vol. 2

e-Prescription(オンライン処方箋):医療業界オンライン化(1)

日本ではちょっと考えられない事かもしれませんが、米国では医者の字がとてもきたないというのは周知の事実です。まさにミミズが這ったような字を書く医者が(特に男性医師の中では)過半数のようです。普通の職業なら、それもジョークの種で済まされますが、こと医者に関して言えば、人の命を預かっている以上、笑うに笑えない深刻な問題です。

もともと医者は、目の廻るような数の外来患者と接しカルテを書いたり、入院患者の術後経過などをレポートしたりと書き物が多い職業で、時間がないばかりに書きなぐりをする習性がついた人も多いようです。しかし理由はどうであれ、医者が書いたものを、あとで看護婦や処方箋薬局などの他人が読んで理解不能だったら、重大な事故に繋がりかねません。
実際テキサスの病院で昨年起こった事故で、42歳の男性が亡くなり、医者を相手に裁判沙汰になったというのがあるそうです。この男性は心臓の痛みを訴えていたので、担当医師はIsordilという薬を一日あたり80ミリグラム処方したそうですが、薬局がそれを読み違えて、Plendilという高血圧の薬を一日あたり80ミリグラム出し、間違った薬を飲んだ患者は心臓発作で亡くなりました。実は、Plendilの一日可能摂取量は、10ミリグラムだったそうです。裁判の結果、担当医師は数千万円の損害賠償を遺族に支払うよう陪審員から命令されました。
米国国立科学アカデミーに属する医学会(Institute of Medicine)によると、医者と看護婦などの医療関係者との筆記上のミスコミュニケーションを含む医療ミスで、毎年9万8千人ほどの命が奪われているということです。これを重く見て、クリントン政権は議会に対し、医療ミスを追放するよう病院を取り締まり、医療ミスの実態を世間に公開することを義務図ける法律を制定すべきだと要請していたそうですが、行政側はいつも後手に廻り実態になかなか追いついてはいないようです。
また、米国医学協会(American Medical Association)は、過去十年にわたって、医者は字を読みやすく書くように、またそれができない場合は、処方箋は活字体で書き、どうしてこの薬を処方するのかを追記するようにと指導してきたそうですが、残念ながら処方箋事故がなくなるまでには至っていないようです。

このような状況の元、最近になって現れたのが、オンライン処方箋です。シリコンバレーのお膝元であるサンノゼ市(San Jose)と近隣の市で開業している病院のネットワーク、サンノゼ・メディカルグループと、ライフガードという保険会社が中心になって開発したシステムで、コンピュター音痴の医者でも簡単に使えるというのがうたい文句のようです。
パソコン端末だけではなく、ネットワーク・カードを使って、医師が普段スケジュール管理などに使っているPDAからもシステムにアクセスできるようになっており、診察室で患者と話しながら簡単に処方箋を作成することができます。また、そのデータは、ネットワークを介し病院内の処方箋薬局まで届き、患者が診療室を出て薬局に着く頃には、既に準備万端に整っているという嬉しいシステムです。今まで紙に書かれた処方箋を薬局に提出し、それから長いことそこで待たされるというのが常識でしたが、この待ち時間も大幅に削減され、発熱や腹痛など諸症状の患者や乳飲み子の患者を連れている親などに、特にありがたい制度のようです。
また、医者にとっても良くできたシステムで、患者の病気、症状に合わせて、処方可能な薬が自動的にリストされ、患者の入っている特定の保険が効くものにはニコニコマーク、保険外のものにはしかめ面マークが付くようになっています。このメディカルグループでは複数種の保険を取り扱っているので、このシステムのお陰で、各保険がどの薬をカバーするのかチェックする手間が省けます。また、患者の薬に対するアレルギー情報や、過去の服薬履歴が記録されており、アレルギー反応を起す可能性のある薬を避けることができるようになっています。
薬局にとってもありがたいことに、もう読みにくい処方箋を無理して解読したりすることがなくなります。これは勿論、患者の安全上喜ぶべきことではありますが、病院にとっても、薬局がいちいち医局に電話し担当医をつかまえ、何と書いてあるのかと聞くことがなくなるので、人件費の削減にも一役買っています。実は、処方箋についての薬局から医師への質問電話が、薬局の効率低下を招き、今までかなりの税政圧迫になっていた病院も少なくないそうです。

しかし残念ながら、このような画期的なオンライン処方箋は、まだ世間に広く使われているわけではありません。そこで、医者のお粗末な手書き問題を重く見た病院の中には、伝統的なオフラインの解決策を採用しているところもあります。医師のための書き方教室です。
ロスアンジェルス(Los Angels)にある有名な病院、シダーズ・サイナイ・メディカルセンター(Cedars-Sinai Medical Center)では、先日3時間の夜間書き方教室を開き、50人ほどの白衣や手術衣をまとった医師が、紙と鉛筆を持って参加したそうです。ふたりのお習字エキスパートが先生になり、まず開口一番、小学校1年生になったつもりで、今まで習得した手書きに関する知識はすべて捨て去るように、と授業を始めました。エキスパート曰く、読みやすく書くコツは、くるくるとうずまきや輪にせず、子供が書くように、単純に四角と棒を使って書くこと、とのこと。
以前からこの病院では、看護婦が医師のあとを追っかけ、患者のカルテや入院チャートの解読を迫らなければいけないので、患者の治療に支障をきたすと苦情が多かったし、医者の方は、ひっきりなしにかかる薬局からの電話で応対に疲れたと訴える人が多かったそうです。前記のテキサスでの不運な事故にあったように、最近は薬の種類も増え、似たようなつづりの薬品はいくらでもあるという状況も悪影響を及ぼしているようです。
書き方教室を開くに至るまでにはそれなりの紆余曲折があり、病院側では、医者の手書きがどれだけひどいのかという実態を自覚させるため、"これを解読したら高級ホテルのお食事券進呈" と銘打って、病院の医師が書いたカルテの一部を内部ニュースレターに載せたそうです。未だに誰もこの賞品を獲得できていないとか。

前述のサンノゼ・メディカルグループでは、患者や薬剤師ばかりではなく、医師の間でもオンライン処方箋の評判が良いそうで、今後は処方箋に限らず、カルテやX線写真など診療全般もデジタル化して逐次アクセスできるようにしてほしい、と過半数の医師が希望しているようです。またこれらデジタルデータを、インターネットを介して患者に公開できるようになれば、患者が治療に対し積極的に参加できるようになると考える医師も多いようです。
処方箋のオンライン化はそのための第一歩と言えますが、診察、治療に纏わるあらゆる事務処理をシステム化することで、仕事が簡潔になり安全性が高まるのであれば、医療業界全体で現状以上のペースでの改善が広く求められていると思われます。医師向けの書き方教室を開くよりも、病院のデジタル化を進めそれに親しむためのハンズオン教室を開く方が、長い目で見ると話が早いような気がしないでもありません。

次回はパート2として、オンライン化に纏わり、最近の医療業界では何が起こっているのかを追ってみたいと思います。


夏来 潤(なつき じゅん)

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