Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2013年05月31日

五月の旅路:「日本らしさ」とは?

Vol. 166

五月の旅路:「日本らしさ」とは?

 


P1180594small.jpg

アメリカというところは、とかく住みにくいものでして、モノがよく壊れるんです。しかも、家の中の水道管という、もっとも大事なモノが・・・。

ま、長いアメリカ生活、壁の中の上水道が破裂したのは3回目(!)なんですが、何回経験しても、これほど面倒でイヤなものはありません。そう、水は引力の法則で、階下に流れ落ちるもの!

が、クヨクヨしても始まりません。受難からわずか一週間後、室内の乾燥や修理はプロフェッショナルに任せて、成田に向かう飛行機に乗り込みました。

というわけで、今月は、久しぶりに日本のお話をいたしましょうか。

<考えさせられる川柳>
東京のホテルで日経新聞を読んでいたら、「サラリーマン川柳コンクール」が紹介されていました。

毎年この時期になると、第一生命が人気投票による「ベスト10」を発表するそうですが、映えある今年の1位は、こちらの句。
いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦

なるほど、ふたりの関係が新婚の頃からは微妙に変化している様子が、如実に読み取れる秀作です。
そういえば、「何のために夫婦をやっているのかわからない」という知人の重大なコメントを耳にしたことがあるのですが、だったら関係改善に努めるか、関係を解消するしかない・・・と思うわたしは単純でしょうか?

そして、わたしが個人的に気に入ったのは、会社勤めを描写した2位と3位の句でした。

第3位は、こちら。
「辞めてやる!」会社にいいね!と 返される

う〜ん、なんとも身につまされる内容ではありますが、ほぼ100パーセントの人が一度は「辞めてやる!」と思ったことがあるのでしょう(いえ、その方が尋常な神経の持ち主だと思います。だって、どんなに会社に忠誠心を抱いていても、一度くらいはカチンとくることもあるでしょうから)。

そして、輝かしい第2位は、こちらの句。
電話口「何様ですか?」と 聞く新人

いやはや、これには大笑いしてしまいました。が、それと同時に、日本の将来にちょっとした危機感すら抱いたのでした。だって、こんな情景は、どこにでもありそうだから。

そうなんです。近頃、「日本語のプロ」であるべき人たちの言葉が乱れているなと感じることがあって、たとえば、ドラマを観ていたら、こんなセリフが耳につきました。

内田康夫氏原作の名探偵「浅見光彦」シリーズをドラマ化した脚本で、お母さんが光彦に向かって、「(その方を)ご存じなの?」と聞くシーン。
わたしが理解する限り、「ご存じ」というのは尊敬語であって、公家か皇族でない限り、母親が息子に使うべき言葉ではないと思うのです。
ですから、この場合は、単に「知っているの?」もしくは「(第三者に対してへりくだって)存じ上げているの?」というセリフを使えばいいのではないでしょうか。

そして、もっと奇異に感じたのは、NHKのインタビュー番組。

4月から始まった新番組『勝利へのセオリー』のナビゲーターを務める、元陸上選手・為末大氏との対談でしたが、いろんなスポーツ監督にインタビューをする為末氏に向かって、「(あなたは数々の名監督に)伺っていらっしゃるわけですが」と言うNHKアナウンサー。

わたしが理解する限り、「伺う」というのは謙譲の言葉(へりくだる表現)であって、相手に対して使うべきものではないと思うのです。しかも、それに「いらっしゃる」という尊敬語をくっつけるなんて・・・。
この場合は、単に「(話を)聞かれているわけですが」でいいのではないでしょうか。

残念ながら、この「伺う」の使い方を間違っている人が多いようにも感じるのですが、「伺っていただけますか?」というのは、もはやオフィスの定番になっているのかもしれません。

サラリーマン川柳の「何様ですか?」といい、「伺っていらっしゃる」といい、自分は組織を代表して人に接しているのだ、という自覚を持つべきだと思うのですが・・・。

いえ、決して「口うるさい、じい様」になりたいわけではありませんが、じい様だったら、こんなことをおっしゃるのではないでしょうか?

美しい母国語を話さずして、何が外国語じゃ! と。

<「しんぞう」を観に行こう!>
「しんぞう」というのは、「心臓」ではありません。

あまり耳にすることはありませんが、「しんぞう」というのは、「神像」と書きます。つまり、「神の像」。

日頃、日本人が親しく触れる「仏像」に対して、「神」を模した像というわけです。

言われてみれば、「仏像」があるなら「神像」があってもいいかと思うのですが、普段、どうして神像を見かけないのかというと、神像が仏像ほど世の中に存在しないことと、存在したとしても、神社の奥深く安置され、人の目に触れることがほとんどないからです。
 


DSC02677small.jpg

元来、日本の神道にはアニミズム的な自然礼拝の精神が受け継がれ、礼拝の対象となる偶像を持たなかったのですが、奈良時代から平安時代を迎える頃(8世紀半ば)になると、仏教の影響で神像がつくられるようになったということです(写真は、和歌山・熊野那智大社のご神木「那智の大樟」)
でも、神像は仏像ほど多くはつくられなかったので、後世に残るのはまれだった。

その神像を、今、観ることができるのです。しかも、全国各地から集まった50躯もの国宝級の神像が!
 


P1180908small.jpg

場所は、東京都台東区・上野恩賜公園にある東京国立博物館。本館隣の平成館で特別展として開かれている『国宝 大神社展』です。

鏡、太刀、勾玉の三種の神器や絵巻が展示される第一部と、絵馬、神輿(みこし)、狩衣(かりぎぬ)などが展示される第二部に分かれますが、第二部の最後にお目当ての神像が展示されます。
 


P1180964small.jpg

こちらは、京都・東寺(とうじ)鎮守八幡宮の国宝『女神坐像』。
9世紀の作で、現存する神像では最古とも言えるものです。

八幡三神像の一躯で、こちらの女神を観るかぎり、なんとなく仏さまのようにも見受けられます。

けれども、こういった「仏さま風」はごくまれで、人間を超越したような穏やかな仏像とは違って、女神も男神も、どことなく平安時代のお公家さんの風情で親しみすら覚えるのです。


P1180965small.jpg

たとえば、こちらの坐像。京都・松尾(まつのお)大社に伝わる重要文化財『男神坐像(老年像・壮年像)』と『女神坐像』。
あらためて「神像」と指摘されなければ、貴族の像かとも勘違いしそうです。
そして、中には男の子や女の子の神(童形神、どうぎょうしん)や、お坊さんの神(僧形神、そうぎょうしん)もいて、「神々しさ」よりも日々の生活に密着した「人間らしさ」を感じるのです。

いつかヴァチカン市国のシスティーナ礼拝堂を訪れ、ローマ教皇の礼拝の場に描かれた壁画が「神を賛美する」ことよりも「人間賛美」に徹しているような印象を持ったのですが、国立博物館の神像も「神」を描こうとしながら、実は人間性を謳っているようにも感じられたのです。

それと同時に、武家社会が確立する以前は、その人間性の中に女も男も、子供から大人まで、等しく含まれる日々の営みであったとも感じるのです。

このように「人間味」を放ちながらも、神の像が50躯もずらりと並ぶ展示場は、どこか異様な光景で、あまり長居をしていると、薄暗い室内に渦巻く不思議なエネルギーに気圧される感覚を抱きます。
それが、何世紀も前のつくり手のエネルギーなのか、それとも何世紀にも渡って祈りの対象となり蓄積されたエネルギーなのかはわかりませんが、やはり神の像は、尋常ではないのです。
 


Mikoshi.png

残念ながら、わたしの「展覧会めぐり」には(ウルトラマンみたいに)タイムリミットがあるので、前半の展示物はすっ飛ばして、ひたすら神像群や日本最古の神輿に注目していました(写真は、和歌山・鞆淵八幡神社の国宝『沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじ・らでんこんどうそう・みこし)』:国宝指定の昭和31年まで祭りで使われていた平安時代の名作)
が、それでも、入場料の1500円は安いかとも思いました。

だって、国宝級の「神々」が一堂に会することは、もうないかもしれないから。

『国宝 大神社展』は、6月2日(日)まで開かれています。

同じく上野公園にある国立西洋美術館では、同日までルネサンスの巨匠『ラファエロ展』が開かれていますが、やっぱり日本人なら、「しんぞう」を観に行かれたし!

追記: 『国宝 大神社展』は、来年1月15日から福岡県太宰府市の九州国立博物館でも開催されます。

<後記>
というわけで、「しんぞう」を堪能した翌日、後ろ髪を引かれながらアメリカに戻って来ましたが、ま、水害に遭った自宅は「小康状態」と言えるでしょうか。
 


P1180943small.jpg

良かった点は、プロの「乾かし屋さん」に完璧に乾かしてもらったので、カビ発生の心配はないこと。そして、多発する「水道管破裂」に対処すべく美しくシステム化された保険会社のプロセスによって、壁や天井の修理は素早く終了していたことでしょうか。

けれども、破裂の震源地バスルームの大理石の床は壊され、ベッドルームのじゅうたんははがされ、いつもの部屋は使えないという、屋内の避難生活が続いています。

これから、家じゅうの床の張り替えもしなければならないのですが、まあ、こういう場合は、イヤなことは忘れて明日のイイことだけを考える「ショートターム・メモリー(短期記憶)」が必要でしょうか。

そんなわけで、来月号は新しく生まれ変わった我が家から発信できればいいな、と願っているところです。

夏来 潤(なつき じゅん)

© 2005-2024 Jun Natsuki . All Rights Reserved.