Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2004年11月30日

中国旅行記:ビギナーのひとりごと

Vol.64
 

中国旅行記:ビギナーのひとりごと

生まれて初めて、中国に行ってきました。今回は、この旅のお話にいたしましょう。


<素朴な第一印象>

中国については、今までこれといって学んだこともなく、いつもの通り、何も知らずにふらっと出た旅となりました。個人旅行ではありますが、幸い、連れ合いが何度か彼の地に出張しているので、その点では、ちょっとだけ心強い旅でした。けれども、いきなり何もかも中国というわけにはいかないので、目的地の北京、西安、上海で泊まる先は、アメリカ資本のホテルチェーンにしました。少なくとも、ホテルに逃げ帰れば、何とかなるはずです。

というわけで、おっかなびっくりの旅の始まりとなりましたが、とにかく、中国は、筆者に強烈な印象を与えたようです。日本に戻ったあとも、アメリカに帰って来たあとも、目を覚ますと、"ここは中国かな?"と、まず頭に浮かぶほどです。何が印象的かと言って、あんなに活気のある場所は、地球上そんなにないんじゃないかと思います。
街は人と車で満ち溢れ、誰もが我先に道を進もうとします。目の前で大きな事故が起こらなかったのが不思議なくらいです(横断歩道で人と自転車がぶつかって、自転車が倒れ込んだのは見かけました)。路上には縁日のように屋台が並ぶセクションがあって、こちらが中国語を解しようが解しまいが、お構いなしに声を掛けてきます。中には、"サソリおいしいよ"と、片言の日本語でサソリの串刺しを売る声も聞こえてきます。天安門を守るお巡りさんだって、あまり恐れられてはいないようです。彼らの制止を振り切り、無理やり道を突っ切ろうとする女性を見かけました。とにかく、ひと悶着なんて日常茶飯事なのでしょう。
中国とモンゴルの旅から戻ったばかりの太極拳の師は、"中国では、すべてが速やかに成長し、成熟する"と、謎掛けのようなことを言っていました。なるほど、中国にはエネルギーが満ち溢れているのかもしれません。

そんな目まぐるしさの中、初日の天安門は、特にインパクトが大きかったです。アメリカの首都、ワシントンDCを見たときもそうでしたが、そのスケールの大きさに驚くばかりです。向かいの天安門広場も相当のスペースですし、あの忌まわしい天安門事件を思い起こさせる大通り長安街も、憎らしいくらいに整然と、広々としています。

10月1日、中国は建国55周年を迎えたそうで、天安門の売店には、記念グッズが所狭しと並べられています。どこの国も、似たような非実用的なものが売られているものです(まあ、中国の人にとっては、55周年の記念品は大事かもしれませんが)。門の脇では、城を守る城管の行進訓練が行われていました。
この天安門やその奥の故宮には、国内からの観光客が大挙して押し寄せます。団体ごとにお揃いの帽子をかぶり、旗を掲げたガイドに引率されています。おのぼりさんでしょうか、みんな色黒で、オリンピックで見るような色白の中国人とは程遠いです。そこら中にいるビラ配りの人たちも似たような顔付きで、天安門近辺にいるかぎり、チベットやタクラマカン砂漠をほうふつとさせる顔ぶれでした。中国はやはり、他民族国家なのでしょうか。それとも、長年の農作業による日焼けでしょうか

(写真は、故宮内を歩く少数民族の女性グループです。衣装に付けた鈴が、シャンシャンと小気味よい音を出します。もしかしたら、Wal-Martみたいな大型店舗のオープニングに、客寄せのために呼ばれたのかもしれません)。

それにしても、中国の都市は、どこも空気が汚いものです。日本も高度成長期はそうだったのかもしれませんが、とにかく排気ガスがすごいです。タクシーはケチなのでエアコンなどは使わず、渋滞ともなると必ず窓を全開し、まわりの車の排気ガスを思いっきり肺に吸い込むこととなります。遠出をするなら、ちょっと高級なホテル手配の車を使った方がいいでしょう。
当然ながら、行き交う人ものどが調子悪く、所かまわず、ペッペッと痰を吐きます。汚い話ですが、レストランの植木鉢にもペッ。万里の長城でもペッ(日本も昔は、排気ガスがひどかったようですが、経済成長と汚い空気は相関関係密です)。
最後に訪ねた上海では、筆者も相当にのどが痛くなっていて、日本に戻って来た頃には、やはり風邪のウイルスにやられていました。上海に本社を持ち、中国全土で活躍するお知り合いが、アメリカで生まれた娘が、上海で一緒に住んでくれないと嘆いていました。が、何となくわかる気がします。娘さんにとっては、言葉はわかっても文化の違いがあるし、決して空気がきれいとは言えないシリコンバレーと比べても、環境的には住みにくいようです。


<ハイテクグッズ>

そんな高度成長期の中国ですが、ご多分にもれず、携帯電話は誰もが持っているもののようです(勿論、"誰もが"というのは、ある程度の経済レベルに限られますが)。携帯ネットワークもかなり良く、北京から離れた万里の長城でも、問題なく通話できます。若い層はファッショナブルな端末を持ち歩き、ハードウェアの点では、アメリカとあまり変わらないなと感心しました。きっといい端末を持つのが、仲間内で自慢の種なのでしょう。端末の宣伝も、あちらこちらで見かけました(写真は、西安の繁華街にある地下通路の掲示板です)。
なんでも、中国では、SMS(ショートメッセージ)が花盛りだそうで、高い通話料を避けて、ビジネスでも、プライベートでも、極力テキストメッセージで済ませるそうです。中国語の入力は、いくら簡素化されているとは言え、かなり煩雑だろうに、やはり経済観念がしっかりしているのでしょう。器用なこともあるのかもしれません。
つい最近、アメリカの携帯キャリアSprintが、テキストメッセージの代わりに、声のメッセージを相手の携帯やパソコンに送れるというサービスを始めましたが、これなどは、中国でも喜ばれるかもしれません。テキスト入力じゃないので送るのが簡単だし、第一、相手が直接電話に出ることがないので、通話が長引く心配もありません。"元気だよ"と、実家に伝える簡潔な近況報告にも便利です(しかし、パカッと現れるSMSに対し、こちらはメッセージを聞くのに、特定の番号にアクセスするので、その面倒臭さがせっかちな中国人には嫌われるかもしれません)。

一方、iモードのような、携帯でネットアクセスというのは、中国では流行らないそうです。もともとパソコンなんか持っている人が少ないので、ネットアクセスという文化が深く根付いていないからだそうです。
また、日本では必需品ですが、中国ではデジカメ付き端末を使っている人は見かけませんでした。その代わり、単体のデジカメやキャムコーダーの普及は目を見張るものがあります。観光地では、かなりの人が利用していました。みんなポーズを取るのがお上手で、自己表現に長けた国民かとお見受けします。
おもしろかったのは、空港など人が集まる所に、携帯の充電器があることです。いろんなコネクターが備え付けてあり、思いのほか実用的なようです。それだけ、携帯電話が市民権を得ている証拠でしょう(写真は、西安空港の充電器です。"手机"というのが携帯のことです)。


<中国文化>

中国といえば、特にアメリカ人などは、カンフー映画を思い起こします。太極拳と気功をかじっている筆者も、あちらに行ったら、みんなと広場で太極拳をしようと楽しみにしていました。ところが、これもある種、中国に対するステレオタイプだったのかもしれません。
筆者が太極拳をするんだと言うと、ある女性は、太極拳は体の何にいいのかと聞いてきました(おしりが引き締まるよと答えておきました)。別の人は、先生になるには、どれほどの段・級でないといけないのかと質問してきました(段とか級とかは超越しています)。西安のガイドにいたっては、"簡単太極拳"なるニセモノを観光客に教えているらしいです(唖然として声も出ません)。みんな若い人なので、太極拳のようなゆったりした動きには興味がないのでしょう。

残念ながら、今回の旅では、宿泊したホテルのそばに適当な広場がなかったので、おじいちゃん、おばあちゃんに混じって太極拳を楽しむことはできませんでした。が、天安門近くの公園で、ひとり静かに鍛錬するおじさんを発見!そばには、胡弓にあわせて民謡を歌うおじさんペアなんかもいて、中国らしさに大満足です(でも、太極拳はそこそこかなと、自信過剰の筆者は思っていました)。

一方、日本でもお馴染みの中国芸術に、京劇がありますが、これなどは、まさに中国武術の基礎と言えるものかもしれません。甲高いうたや表現豊かなしぐさに加え、たちまわりも劇中で重要な位置を占めているのですが、このたちまわりが極めて武術的なのです。剣や刀を使う踊りや、軽やかに飛び回る様は、拳法そのものと言ってもいいほどです。自らも刀を振り回す筆者は、思わず身を乗り出して観劇です。有名な"西遊記"の孫悟空が宮殿で暴れまわるシーンなどは、比較的新しい流派、武術(ウーシュー)にそっくりでした(実際、ウーシューの代表的な技に、猿を真似た軽業師のような動きがあります。酔っ払いを真似て、相手をひるませる技などもあります。ちなみに、中国出身の人気映画俳優ジェット・リーは、若い頃、このウーシューのチャンピオンでした)。

そんな武術的な京劇ですが、北京で堪能したもうひとつのお題目は、しっとりとしたものでした。秦の皇帝が漢に破れ、愛する側室に別れを告げるという悲話です。戦いに惨敗し、苦い別れの酒を酌み交わしながらも、側室は、皇帝を元気付けようと陣営に戻り、剣の舞を披露します。しかし、敗北のみじめさに打ちのめされる皇帝に、"そんなに意気消沈したあなた様は、もう見たくはございません"と、剣でのどを突きます。
十年も一緒に過ごした深い愛着、側室を逃がそうとする皇帝の愛情、迫る辛い別れ、その一方で、参戦でほったらかしの田畑が心配な兵隊の様子など、ふたりのせりふはわからなくとも、人の心はじわりと伝わってくるものです(劇場では、うたの部分だけ簡単な英語の字幕が流れました。わからない部分は、想像力でカバーです)。
中国の皇帝といえば、まるで神様のように崇められていた存在でした。皇帝は、天から地上に舞い降り、人を治めるものとされ、彼だけが地上を表す黄色を身にまとうことができます。権力の象徴、竜の刺繍が施された美しい肌着は、一度袖を通すのみでした。毎朝、方角の良い遠くの泉で汲まれた清水のお茶を飲み、宮殿を囲む城壁には、清水を通す専用門もありました(北京北駅近くの西直門は、そんな"お水専用門"でした)。そんな皇帝という地位ですが、この京劇での役まわりは、単なるひとりの人物とも見え、親近感さえ抱きました。

今の中国の若い人たちは、古いものにはあまり興味がないようにも思えます。いずこも同じで、古いものは、いずれは新しいものに取って代わられます。古い家が重なり合う北京の路地、胡同(フートン)もそのいい例です。上海もしかり、西安もしかりです。しかし、新しいものに混じって、昔の片鱗が見え隠れすることもあります。
天安門の向かいに人民大会堂がありますが、その隣に今、現代的なコンサートホールが建てられています。けれども、このホールに眉をひそめる人も多いとか。人民大会堂の隣に、ヨーロッパ人がデザインした前衛的な建物なんて似つかわしくない。そして、何よりも、故宮を中心に南北に横たわる竜の目を射る位置にある。日本でも広く知られる風水的な考えが、いまだ根強く残っているようです。
また、中国では凧揚げが盛んですが、これは単に、楽しみのためにやっているわけでもなさそうです。何か悪いことがあると、凧を揚げて、悪運を吹き飛ばすそうです。だから、落っこちた凧は縁起が悪いので、触らないとか。どうやら、縁起担ぎは、万国共通のようです。


<貧しさと、豊かさ>

近代化の波とは対照的に、どの都市でも、貧しい人たちを見かけました。まさに"物乞い"という表現が当てはまるような、道端の人たちです。表舞台からは隠れていますが、ひとたび地下通路に入ると、そんな人たちに出会います。道行く人に頭をひれ伏し小銭を懇願する人、笛を吹いて特技をごくわずかな金銭に換えようとする人。路上の布団に身動きもせずうつぶせとなり、人間なのかボロ布団なのか見分けのつかない人さえいました。彼女のかかとはどす黒くひび割れ、人間の皮膚があんなになるものかと驚きでした。

ご存知の通り、中国は貧富の差が激しいです。都市の中での格差もかなりのものです。近代的なショッピングモールには有名ブランドがずらっと並び、欧米と変わらない高価な品は、飛ぶように売れています。欧米式の食生活で、糖尿病も深刻な悩みの種だそうです。
その一方で、どうがんばっても、路上の掃除係から抜け出せない人もいます。デパートの売り子も、月給は3万円ほどだそうです。家賃を払えば、贅沢などできないでしょう。"No money(お金ないよ)"と言って、一輪のバラを押し売りしようとする小さな男の子もいました(写真は、西安のホテルの向かいにあった集合住宅です。中級の生活だと思いますが、スペースが足りないのか、窓外の柵が物置になっています)。

更に、都市と農村部の隔たりも、日本人が想像する以上に大きなもののようです。西安近郊の兵馬俑坑の帰り、発掘現場のような一画が車窓から見えました。それは、発掘現場などではなく、あたりの農民の家だそうです。地面に穴を掘り、その上に黄土で壁と屋根を築きます。"ヤオドン"と呼ばれる穴倉のような家は、"洞窟"に似た字を書きます。
中国の農村人口は、全人口の6割を超えます。また、一人当たりの年収は、3万円あれば恵まれた方といいます。当然、病院通いなども贅沢品の範疇に入り、治療や服薬は途中でギブアップです。そんな状況を少しでも改善しようと、昨年7月から、中央政府の補助が付く協同医療保険制度が、各地で試験的に導入されています。しかし、現時点では、農村人口の1割弱が恩恵に与っているにすぎません。

より良い生活を求め都市に出稼ぎに行っても、農村の戸籍を持つ者は、その都市の市民には簡単にはなれません。何年も待つよりも、都市戸籍を持つ者と結婚するのが手っ取り早いようです。そうすれば、子供も都市の学校に入れます。北京を案内してくれた男性は、それを真剣に考えているようです(農村戸籍の子供を都市の学校にやるには、お金を積む必要があるとか)。
都市の大学に入り、卒業後そこで働くのも手だそうです。中国では教育は特に重要視されていて、大学院卒の男性は子供を二人持てるという、"一人っ子政策"の例外もあるそうです。しかし、大学入学には、出身地域ごとの割り当てがあり、年度によって極めて入りにくい場合もあるそうです。
西安出身の、筆者の気功の師匠は、北京のスポーツ医学大学で学び、アメリカに優先的に移住して来たのですが、彼などは、都市出身者の中でも、エリート中のエリートだったわけです。

都市から都市の引越しも、仕事のようなやんごとない理由がない限り、自由にはできません。外国訪問のビザも、入手できるのは、北京や上海など一部の都市の市民に限られます。その上、西側諸国の受け入れも厳しく、西安のガイドは、日本にいる友人の娘の結婚式に出席するために、式の招待状や友人の銀行口座の証明書などを提出し、初めて日本入国のビザが取れたそうです(友人が身元引受人となったわけです)。
西安外国語大学で学んだ日本語がとても流暢な彼女は、今年7月、初めて日本の地を踏みました。北京のガイドにしても、英語があんなにうまいのに、外国には一度も行ったことがありません。
日本人もアメリカ人も、行きたい所に自由に行き来できます。しかし、気の向いた所に引っ越すだとか、毎年どこかに海外旅行するだとかは、実は、特権だったわけです。


<上海旅情>

旅の最終目的地は上海でしたが、残念ながら、丸二日といられませんでした。けれども、なんとなく、この街が初めての気がしませんでした。訪れた三都市の中で、一番近代的なこともあるかもしれません。なんと上海の地下鉄では、地元っ子である中国人に電車の行き先を尋ねられました。他の都市では、どう見ても観光客でしかないのに。
それとも、中華街のある港街に育ったせいかもしれません。あののんびりとした船の霧笛はなつかしくもあり、不思議と落ち着きます。小さな公民館で素人京劇のうたいに出合うと、ドラや鉦の音に心躍ります。西洋的な街並みは、小さい頃住んでいたおんぼろ洋館を思い起こします。
もしかしたら、祖母が若い頃この街に住んでいたこともあるかもしれません。知る由もないですが、どのあたりに住んでいたんだろうと古い街並みを歩きまわりました。

上海から成田に向かう飛行機が離陸するとき、突然、何か大きなものを置いてきたような感覚におそわれました。別に忘れ物をしたわけではないのに。
上海にもっといたかったのかもしれません。西安で親切にしてもらった人たちが頭をよぎったのかもしれません。

いずれにしても、また中国に行かなくては。


夏来 潤(なつき じゅん)

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