Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2002年05月29日

自由と平等の国:その表と裏

Vol. 34

自由と平等の国:その表と裏

先日、日本語の歌謡番組を見ていて、はっとした事がありました。アメリカ進出を目指している人気グループ、ドリームズ・カムトゥルーが、自分達の体験談を語っていたのですが、ニューヨークの路上で歌おうとしたら、警察に尋問され、許可がないと街角で歌ってはいけないのだと悟ったというのです。"自由と平等の国アメリカ" では、何でも自由にできると思っていたのに、意外な事だったというのです。
確かに、アメリカでは個人の主義、主張が尊重され、大勢から逸脱するからといって迫害を受けることはありません。しかし、何でもできる自由とか、誰もが一様に平等という理想からはほど遠く、どちらかと言うと、理想と現実のずれを痛いほど認識しているから、皆が納得するように、ことさらに規則を作り、それに違反した者を罰するという一面もあります。

卑近な例になりますが、たとえばサンノゼ市では、私有地にある木を持ち主が切り倒す場合、市の許可と半径100メートル以内に住む隣人達の承諾が必要です(高さ60cm、周囲140cm以上の木に適用)。最近、規則が弱冠緩和され、死んでしまった木に関する許可プロセスが簡略化されたものの、違反すると500ドルの罰金となります(この規則の主旨は、都市空間の緑の大部分を占める、私有地の樹木を守ることにあります)。
また、パロアルト市では、ある女性の自宅脇の生垣が規則(高さ60cm)より高すぎるとして、市の勧告を無視した彼女が、警察に逮捕されるという出来事がありました。彼女の家は住宅地の十字路にあり、生垣が高すぎて車の一時停止の看板が隠れてしまい、子供や歩行者に危険だ、というのが理由です。
一方、ロスアンジェルスのある中学校では、生徒の学力を向上させるという宣誓書の中に、先生達に対する服装規則が盛り込まれ、これに違反すると他の学校に飛ばされることになりました。ジーンズ、スニーカーは全面禁止で、男性はスラックスとネクタイ、女性はストッキングが規則となります。生徒のほとんどは、低所得層の移民家庭から来ており、先生がスーツを着たからといって、学力が向上するわけではない、と半分の先生は署名を拒否しています。
このように、市民の自由を守るため(木を愛でたり、道を安全に歩いたり、学力を上げるという自由)、日常生活は規則だらけなのです。

一方、平等に関しても、当然ながら、憲法や様々な法律で明言され、それを脅かす者には、罰則が適用されます。ただ、法律上の平等の定義は、必ずしも人の意識と一致しているとは限らず、この不一致は、時に偏見という形で社会に現れます。
4月中旬、こんな事がありました。オハイオ州に本社のある、カジュアル衣料品チェーン、アバクロンビー&フィッチ(Abercrombie & Fitch)が、アジア人をモチーフとした新しいTシャツを数種類販売したのですが、それが非買運動にまで発展したのです。
どのTシャツにも、細長い、つりあがった目の人物がマンガ風に描かれ、そのうちのひとつには、中国服と笠を身に着けた男性ふたりとともに、こんなスローガンが入っています。"Wong Brothers Laundry Service: Two Wongs Can Make It White(ウォング兄弟の洗濯屋:ふたりのウォングがいれば、何でも白くなる)"。他の図柄には、"Pizza Dojo(ピザ道場)" だの "Buddha Bash(ブッダ叩き)" という文字が盛り込まれています。
大学生をターゲットとし、過去にもその行き過ぎの宣伝活動が何度か問題となったA&F社は、アジア系のデザイナーを使い、最近頓に伸びているアジア系購買層に向け、新商品を発表したそうです。しかし、中国系住民の多いサンフランシスコでは、あまりにも無神経な行為だとして、店の前で抗議デモが起き、道行く人にA&F社製品の非買を訴えました。
これに驚いたA&F社は、特定の人を傷つける意図はまったくなく、ただただ申し訳ないと謝罪し、早速、新商品を50州311店舗からすべて取り除く約束をしました。しかし、かなりの数は、返品前に、ニュースを聞きつけた客に売られたようではあります(その後、早速、イーベイのオークション・サイトにも登場し、その希少価値と話題性を元に、10倍ほどの値段が付けられました)。

実は、このようなブラックユーモアのTシャツがこれほど大騒ぎになるには、深い歴史的な背景があり、移民の国アメリカで、とりわけ苦汁を嘗めながらも現在の立場を築き上げた中国系アメリカ人にとって、今回の出来事は、単なるユーモアでは済まされない事でした。
移民の中でも新参者となる中国人の移住は、アヘン戦争と農民の反乱で国内が混乱する1840年代から始まりました。それこそアフリカ大陸で行なわれていた奴隷貿易のような船が、主に中国南部の農民を契約書一枚で運び込み、安くて、よく働く労働者として、アメリカ各地にばら蒔きました。この "クーリー(苦力)" と呼ばれる労働力は、農業、漁業、林業、家内工業などで、いくらでも必要だったのです。
おりしも1848年、正式にメキシコの統治を離れたカリフォルニアで、金鉱が発見され、中国人労働者達は、金山での一攫千金を夢見て、他州や本国から次々とカリフォルニアに移住して来ました。1852年には、州の中国人人口は、州全体の1割近い、2万5千にも膨れ上がりました。その7割は、鉱山労働者と推定されています(この金山の夢は、当時世界中を魅了していたようで、北欧ノルウェーの生んだ文豪ヘンリク・イプセンも、戯曲"ペール・ギュント" に、ペールがカリフォルニアで金鉱を掘り当て、富を築くくだりを入れています)。

1862年、南北戦争の最中には、連邦議会は大陸横断鉄道建設を採択し、ユニオン・パシフィック社はネブラスカ州オマハから西へ、もう1社のセントラル・パシフィック社はカリフォルニア州サクラメントから東に向け、同時に鉄道を引くこととなりました。しかし、サクラメントから出発したセントラル社の方は、堅い花崗岩のシエラ・ネバダに阻まれ、労働力不足も相俟って、思うようにプロジェクトが進んでいません。
ここで登場したのが、勤勉な中国人労働者であり、セントラル社は1865年に彼らの採用を始め、2年後には、同社の鉄道労働者9割が中国人となりました。勿論、掘削機などないこの時代では、ピッケルやハンマーを使い手で岩盤を掘り起こし、土砂はバスケットで運び出すという過酷な労働です。1869年、ユタ州ポモントリーで大陸横断プロジェクトが完結するまで、過労や土砂崩れ、ダイナマイト事故のみならず、冬の厳しい山脈での雪崩に巻き込まれ、千人以上が命を失いました。
皮肉な事に、当時のセントラル社の宣伝ポスターには、"労働者の天国!:厳しい冬もなし。労働時間の差し引きも、虫害や蚤・シラミもなし" と謳われています。シエラ・ネバダとは、実は、スペイン語で "雪に覆われた山" という意味だったのです。

ヨーロッパ系移民に比べ、もともと労働条件の劣る中国人労働者は、社会的にも大きなハンディを背負っていました。カリフォルニアでは、中国人の市民権は許されず、選挙権や土地の所有権もなく、公職や法廷の証言台からも締め出され、外国人労働者として特別税を徴収されていました。中国人の子供は、公立学校に行くことも許されませんでした。
1870年代に入り、彼らは、ますます厳しい状況に追いこまれることになりました。不況のため白人の失業率が上がり始め、中国人を排除する気運が盛り上がり、各地に白人による暴動が広がったのです。特に、西部の州では反発が激しく、鉄道労働者で発展したサンフランシスコの中国人街では、身の危険まで感じるようになりました。
1882年、連邦議会では中国人入国禁止令(the Chinese Exclusion Act)が可決され、中国からの新たな移民や、すでにアメリカで働く移民の家族の入国を禁止しただけではなく、いかに長く国内で働いていても、中国人が市民になることを禁止し、彼らが国を離れれば二度と入国できないことを明言しました。この法律が1943年に廃止されるまでの数十年間、中国系住民は、国レベルの法的差別にも耐え忍ぶ事となりました。

話は少し逸れますが、今はシリコンバレーとなっているサンタクララ郡では、1850年、当時州都だったサンノゼ市に初めて中国人が現れて以来、その数は着実に増加し、1870年には、主にイチゴやチェリー(さくらんぼ)栽培に従事する中国人人口は、郡全体の5パーセント(1525人)となっていました。
"中国人は帰れ(Chinese Must Go)" という運動が広がる中、彼らは、サンタクララの豊かな農地を追われ、サンノゼ郊外の水銀鉱山や、サンタクルーズ山中を走る鉄道、モントレーの漁業や缶詰工場、ナパやソノマのぶどう畑で働くようになりました。それらの拠点となっているサンノゼ市の中国人街は、街の中心地に位置していましたが、市長や市議会から目障りと公言されるようになり、結局1887年、放火で焼かれてしまいました(今は瀟洒なフェアモント・ホテルのある辺り)。
新たに市役所が建つからと、この一等地での再建は許されず、街の北の外れにある紡毛工場の周辺とその数ブロック東に、ふたつの中国人街ができました。ここには、1900年当時、市の人口の2割近く、4千人もが住んでいました。その後、サンノゼの中国人街は徐々に廃(すた)れ、今は紡毛工場跡にはフリーウェイ87号線が走り、もうひとつは日本人街となっています。

さて、最後にA&F社のTシャツの話に戻りますが、新商品、特に洗濯屋の図柄とスローガンは、まさに中国人労働者が洗濯屋を含む家内工業で働き、"クーリー" と蔑視されていた時代を彷彿とさせるもので、歴史を熟知している人には、とても一笑に付せられるものではありません。また、このTシャツは、低賃金労働者とされていたアジア系移民の固定概念を、延々と後世に繋げるものだと訴える人もいます。Tシャツ発売直前にA&F社を視察した株式アナリスト達は、ユーモアの領域を逸脱した非常識さに、我が目を疑ったとも言います。
ところが、若い中国系アメリカ人の中には、かえっておもしろがってTシャツを買いあさったり、別に何とも思わないと公言したりする人もいます。自分の家族は昔、アメリカに来て、レストランや洗濯屋で一生懸命働いて豊かになり、それを誇りに思っている。その歴史的事実をおもしろおかしく描くのは、どこが間違っているのだろう。このTシャツに怒る人こそ、自分達の民族性を恥じ、劣等感を持っているのではないか、というものです。

しかし、現在も低賃金で働く層は確実に存在し、働きながらも、生活保護を受けなければならない人はたくさんいます。サンタクララ郡では、その8割がベトナム系ですし、その北のサンマテオ郡では、3割がラテン系となっています。その他、中国系、カンボジア系の移民も多く、時代が変わって、人が変わっても、誰かが安い賃金で、工場の製造ラインで働き、オフィスを掃除し、レストランの後片付けをしているのです(ちなみに、サンタクララ、サンマテオ両郡では、ハイテク産業従事者も含め、郡人口の3分の1が外国生まれとなっています。ベイエリア全体では、4分の1が外国生まれ。サンフランシスコ郡やロスアンジェルス郡では、その数は4割近い)。
このように、移民の比率が高いカリフォルニアでは、昨今、所得の両極化が進み、"バーベル経済(barbell economy)" という言葉まで耳にします(金持ちと低所得層が多く、中間層が少ない経済構造)。

A&F社のTシャツ論争自体は、今は下火となっていますが、同じような論争は、人の意識が完全に変わるまで、これからも何度となく蒸し返されるのでしょう。それは、移民の国アメリカが、世界のあらゆる国からの移住を受け入れ続ける限り、終わりなどあり得ないのかもしれません。

夏来 潤(なつき じゅん)

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