袖振り合うも他生の縁:いろんな出会い

2006年1月25日

Vol. 78

袖振り合うも他生の縁:いろんな出会い

 

 12月中旬から早々と日本に戻り、祖国の年末・年始を思いっきり満喫してきました。今回は、そののんびりとしながらも、ちょっと不思議な日本での日々を、あれこれと綴ってみたいと思います。
 その前に、まずはほんのりハイテクな話題から始めましょうか。  


<真新しいケータイ>

 日本で年末・年始を過ごした後、後ろ髪を引かれる思いでシリコンバレーに帰って来たわけですが、戻ってみると、アメリカはもうエンジン全開で新年をスタートしています。4日からは、家電の祭典コンシューマ・エレクトロニクスショー(CES)がラスヴェガスで始まっているし、翌週には、デトロイトでモーターショー、そして、アップル・コンピュータのマックワールドがサンフランシスコで開幕です。
 そんな目まぐるしいアメリカの新年にふさわしく、とうとう古い携帯電話を買い換えました。昨年11月号で白状したとおり、今まで原始時代のケータイを使っていた筆者は、ずっと新しい機種を探していたのです。

 買い換えた機種は、Palm Treo 700wです。かの有名なスマートフォン、Treoファミリーの最新機種で、最後に付く"w"が示すとおり、Palm OSではなく、マイクロソフトのWindows Mobile 5が搭載されています。昨年秋、PalmはマイクロソフトOSを採用すると発表し、ようやく巷の噂を認めたわけですが、今年のCES で正式にお目見えとなったものです。
 サービスはVerizon Wirelessの独占提供で、今月から、さっそく街中のVerizonストアで取り扱っています。

 1月も第2週、サンタクララ市のVerizonストアにふらっと入ってみると、店頭にはデモ機すらありません。数日前に入ってきたばかりで、まだ奥に置いてあるらしく、店員はあわてて実物を裏から出してきます。そして、2年契約だと、割引が付くのでお買い得だよと、しきりに勧めます(500ドルが400ドルに。Treo 700w単体の定価は620ドル)。
 手にしてみると、Treo慣れしていない筆者には、ちょっとかさばる感じがします。でも、横幅のわりに、手のひらにしっくりくる作りだし、キーボードも小さいわりに打ちやすそうだし、まあいいかぁと、買ってみることにしました。14日間使ってみて気に入らなかったら、いつでも返していいんだよという店員の言葉にも励まされました。ここで踏ん切りをつけなければ、いつまでも原始時代から抜けられないわけだし。
 自分の持つVerizonのアカウントで、機種をアップグレードするだけなので、ものの1分で購入完了です(やはりネットワークのカバレッジや信頼性の点で、筆者はVerizon Wirelessを選びます)。

 さっそくTreo 700wで遊んでみると、使い勝手はなかなか良さそうです。マイクロソフトOffice Mobile Suiteが載っているので、ワード、エクセル、パワーポイントのモバイル版も付いているし、パソコンのOutlookデータ(予定表や連絡先)をシンクもできます。会社のメールや、個人で持つYahooやHotmailのメールをTreoで受けることもできます(メール、予定表、連絡先は、Verizonが提供するIntellisync Mobile Suiteで、常時自動的にエアーでシンクすることができます。Verizonのデータプランに加入していると、シンクサービスは無料で利用できます)。
 Treo 700wは、ビジネス機能だけではありません。Windows Media Player 10 Mobileが付いているので、音楽やビデオも楽しめます(昨年11月にご紹介した、VerizonのVCastテレビ・オンディマンド放送は利用できません)。今は買ったばかりで何も入れていないので、Windows Media画面からWindowsMedia.comに接続し、タダで楽しめる音楽ビデオなどを試しているところです。
 そうなのです。Verizon のEV-DO(CDMA2000 1xEV-DO)ネットワークに接続するので、いろんなウェブサイトにかなり高速(400K-700Kbps)でアクセスできるのです。パソコンほど見やすくはありませんが、かなりパワフルなブラウザが載っていて、ウェブサーフも実用的です(たとえば、Verizonが有料で提供するVeriChatというサービスでは、メッセンジャーで友達と会話できるだけではなく、お店の連絡先、道順探し、ハイウェイ情報、テレビガイド、ニュース・お天気・株価など、さまざまな情報をチャット形式で教えてくれます)。
 ちょっと不思議なのは、トップ画面ですぐにウェブ検索できるのは便利でいいのだけれど、なぜかサーチエンジンはグーグルなのです。
 筆者が加入したサービス料金は、通話が月に550分、それにウェブアクセスやメールシンクなどのデータサービスが使い放題で、月々80ドルです。

   ちなみに、Cingular Wirelessが出すTreo 650と比べてみると、Treo 650の方がスクリーンの解像度が高く、画面が鮮明ではあるようです(Treo 650は320x320ピクセル、Treo 700wは240x240ピクセル)。
 でも、ウェブアクセスを比較してみると、Treo 700wのEV-DOが圧倒的に高速で、実用的です。今後、Cingularが展開中のUMTS/HSDPAデータネットワークにTreoが対応するとなると、その方が高速となります。

 これから、電話するのが楽しみな日々となりそうです。でも、滑りやすいフォルムと材質なので、いつか話しながら、左手から地べたに落っことしそうな予感がしています。月6ドルのVerizonの保険に入っておいて正解かも。




<ブランド物語>

 昨年11月18日、地域電話会社SBC CommunicationsのAT&T買収が完了しました。SBCといえば、1984年、AT&Tが分割してできたベビーベルの一員であり、ちょうど親が子に飲み込まれた形となったわけです。
 ところが、そのSBCは、買収完了後さっさと自分の名前を捨て、親方AT&Tを名乗ることとなりました。ちょっと変化をつけ、at&tと小文字の表記にしてはいますが、買収先の会社名を名乗ることに違いはありません。アメリカ人にとって、AT&Tとは、捨て去ることのできない大事なブランドなのですね。なにせ前身であるBell Telephone Companyにちなんで、"母ちゃんベル(Ma Bell)"とも慣れ親しんだ名ですから。

 SBC改めAT&Tは、ニューヨーク株式市場の取引シンボルも、117年の歴史を誇る"T"に変更しています。今年に入って、新生AT&Tのテレビコマーシャルも本格的に流れるようになりました。
 SBCは、カリフォルニア最大の地域電話会社でもあり、野球のサンフランシスコ・ジャイアンツのホームスタジアムもSBCパークと名付けられています。が、これも、近くAT&Tパークと名称変更するそうです。6年前にできたばかりのこのスタジアムは、もともと、西海岸を網羅するベビーベルにあやかり、Pacific Bell(愛称パックベル)パークと呼ばれていました。短い間に、Pac BellからSBC、そしてAT&Tと、めまぐるしく変わるものです。

 そして、この買収は、携帯キャリアにも波紋を広げています。元気なSBCがAT&Tとなったことで、AT&T Wirelessのブランドを復活させようかだの、Cingular WirelessをAT&T Wirelessにしちゃおうかだのと、水面下でさまざまな動きが出てきたのです。
 なんだかややこしい話ですが、もともとCingular Wirelessは、ベビーベルSBCとBellSouthが、6年前に携帯部門を合併し合ってできた会社です。そして、若者層への拡大で勢いに乗ったCingularは、2004年、ライバルであるAT&T Wirelessを吸収合併しています。これをきっかけに、AT&T Wirelessの名は、この世から消えてしまいました。
 ところが、SBCがAT&Tを買収したことで、また話が変わってきたのです。携帯分野のCingularのサービスを、一部の地域でAT&Tの名前で出しちゃおうかなと、AT&T となったSBCが言い出したのです。ここで"寝耳に水"なのは、当のCingularと、Cingularを4割所有するBellSouth。そんな話、何も聞いてないよとたまげてしまったわけです。AT&Tを手に入れたSBCは、BellSouthの領土にも攻め入る勢いでもありますし、Cingularの親会社である両社の関係は、バラ色とはいかないようです。

 これに対し、1月に入り、新生AT&Tは、CingularのサービスをAT&T Wirelessの名でビジネス向けに提供すると発表しました。BellSouthと旧SBCの契約の中で、互いの名(ブランド)でCingularのサービスを売ることができるという合意があったようです。まあ、もともと買収以前のAT&T は、AT&T Mobileという名で、Sprintの携帯サービスをビジネス向けに提供する計画を持っていたわけだし、携帯分野でAT&Tの名が復活することは、時間の問題だったわけです。

 一件落着はしたものの、この先Cingular本体に何が起きるのか、新生AT&T とBellSouth の関係に要注意です。Cingularとしては、ようやく買収したAT&T Wirelessの名を自分のものに書き換え、イメージカラーであるオレンジでブランドを統一したところなのに、またしても・・・といったところでしょうか。


<出会い:東欧編>

 話はがらりと変わります。今回の日本旅行は、あちらこちらを駆け巡り、忙しくも充実した日々でした。その中でも、いろんな出会いがあったことがとても印象的でした。

 日本に着いてすぐ、東京で早めのクリスマスパーティーに参加しました。職場の仲間が集う、家族同伴の気楽なパーティーです。その中に、見慣れない顔がありました。はるばるルーマニアからやって来たエンジニアです。筆者はルーマニアに行ったことがないばかりか、ルーマニアの人にめぐり合ったことは、アメリカでも一度もありません。シリコンバレーからは、ルーマニアを始めとして、東欧諸国へソフトウェア開発のアウトソーシングが盛んに行われているのに。
 ルーマニア第二の都市から来た彼は、家族、親戚みんな先生という、真面目そうな若者です。東欧独特のなまりはあるものの、英語もしっかり話します。細身でなかなかハンサムな男性で、現地でももてるのかもしれません。

 そんな彼に向かって、「そういえば、ルーマニアって、ドラキュラ伝説があるところでしょ」と、遠慮なく尋ねる人がいます。それを聞いた彼は、ちょっとむっとしたのか、あれはあくまでも伝説であって、実在の人物ではないと主張します。
 以前、ちょっと触れたことがありますが、1897年に書かれた小説「ドラキュラ(Dracula)」は、15世紀のワラチア地方の王子、ヴラッド・テペシュ(Vlad Tepes)をモデルにして書かれたといわれています(2004年4月号の最終話「怪奇現象を科学しましょう」)。テペシュは残忍な性格を持ち、オスマントルコから遠征した兵隊を、次から次へと串刺しにして殺したと伝えられています。テペシュが"Vlad the Impaler(串刺しの人ヴラッド)"と呼ばれているゆえんです。
 ところが、ルーマニアの彼曰く、それは、テペシュが自分の領土を守るためにやったことで、自らすすんで人殺しをしたわけではない。遥かかなたから、ワラチア地方を始めとしてヨーロッパに攻め入ったトルコ人が悪いのだ。ドラキュラ小説は、テペシュをおもしろおかしく怪物に仕立て上げたのだと。
 確かに、アイルランド人の著者ブラム・ストウカーは、ルーマニアには足を踏み入れたこともないようで、長年研究した民俗伝承を題材に、想像力たくましく、ドラキュラ小説を書き上げたようです。テペシュには、パンを敵の血に浸して食べる奇行の言い伝えもありましたし、材料としては最適だったようです(不思議なことに、近年、テペシュが眠るブカレスト近くの修道院の床を発掘してみると、もぬけの殻だったとか)。

 ヨーロッパといえば、歴史的に、オスマン帝国のイスラムの脅威と戦ってきた場所です。たとえば、1990年代のボスニア・ヘルツェコヴィナの熾烈な民族紛争も、ボスニアのセルビア系住民の独立戦争に端を発し、セルビア系、クロアチア系、イスラム系の住民が、三つ巴で戦ったものです。隣人であるセルビア系とクロアチア系住民の勢力抗争に、イスラム系への憤懣が複雑に絡み合っているのです。何世紀と繰り返されたイスラム教徒のヨーロッパ進出に、祖先の記憶は、東欧のひとびとの心に深く刻み込まれているようです。
 ルーマニアの彼がテペシュをかばったのも、現地ではテペシュは怪物などではなく、どちらかというと、イスラム教徒に立ち向かった、キリスト教徒のヒーローだからなのかもしれません。
 来年には、ヨーロッパ連合の仲間入りする予定のルーマニアですが、いまだに田舎では、水も電気もない貧しい生活の農民も多いようです。近代化が進むにつれ、都会と田舎の差は、ますます大きくなっていくのです。けれども、そんな違いを超え、皆が大切にするヒーロー伝説が、ルーマニアには残っているのかもしれません。


<出会い:アフリカ編>

 アフリカと聞くと、どんな印象を持たれるでしょうか。赤道直下で暑くって、なんとなく、みんなのんびりしている、そんなイメージはないでしょうか。

 ルーマニア同様、筆者はアフリカ大陸へは一度も行ったことはありません。ですから、大きなことは言えないのですが、それでも、アフリカは学生時代から興味の対象となっていて、ちょっとは勉強したつもりでいます。だから、アフリカは広いし、いろんな民族や文化や政治環境が混在していることも理解しているつもりです。

 そんな筆者が、とある東京のホテルバーで、ガーナ人のバーテンに出会いました。ガーナと聞くと、まずロッテのガーナ・ミルクチョコレートを思い浮かべますが、なるほどここは、名だたるカカオの生産地なのですね。昔はゴールドコーストとも呼ばれた西アフリカの海沿いにあり、金や材木の産地でもあります。
 そんなガーナは、1957年、サハラ砂漠以南の植民地の中で、一番先に独立した共和国だそうです。それでも、クーデターなどの政治不安が続き、新しい憲法制定とともに国が安定したのは、1990年代に入ってからのようです(CIA のThe World Factbookより)。
 どうしてこのバーテン氏が日本に来たのかは知りませんが、もう8年もいるので、日本語もなかなか達者です。祖国は、意外にも、英語が公用語だとか。さまざまな民族が独自の言語を持つそうですが(アカン語、モシ・ダコムバ語、エウェ語、ガー語など)、イギリスの植民地だったこともあり、国を統一するには、英語が一番手っ取り早いようです。

 そんなガーナのバーテン氏、広々としたホテルバーだけでなく、館内のフレンチレストランの飲み物も担当するため、目の廻る忙しさです。それでも、時にはカウンターの端から端へと小走りに動きながらも、てきぱきと、正確にカクテルやドリンクをこなしていきます。アイスティーなどは、氷とレモンスライスを何層にも重ね、そこに紅茶を注ぐという手の込みようなので、「もう迷惑だなあ」と冗談を言いながらも、実にすばやく注文を消化します。いやあ、よく動くものだと、見とれるくらいです。
 まあ、リズムに乗ってシェーカーを振る様は、さすがに"アフリカの血"が生きているなと感心するのですが、「僕は、黒い肌の日本人さ」と自身で言うくらい、日本人のように、てきぱきと働きます。やっぱり、人は、生活する文化・環境によって影響を受けるものなのですね。ガーナの彼を見ていて、先入観や偏見は禁物と、神妙な気持ちになったひとときでした。

  ちなみに、アフリカといえども、赤道からは遠く離れ、セーターがなくてはこごえてしまう地域だってあるのですね。そして、何よりも、人類はアフリカ大陸から出てきたことを忘れてはいけません。つい5万年前、およそ2千代前は、みんなアフリカに住んでいたのですね。 


<おまけのお話:出会い、霊界?>

 年の瀬も差し迫ったある日、餅つき大会に参加しました。ある高名な工学博士を囲む仲間たちが、皆でわいわい餅をついて楽しもうよという催し物です。会場となった居酒屋では、通常のメニューに加え、裏の路地でついた出来たての餅が、樽酒とともに振舞われます。 生まれて初めて杵を手にした筆者も、ちょっとだけお手伝いさせていただきましたが、杵の重さにびっくり。昔の人は、力持ちだったのでしょうか。

 さて、楽しい餅つき大会ですが、ここでは、生涯忘れられないほどの出会いがありました。工学博士ご招待の、陰陽師(おんみょうじ)の先生に出会ったのです。この方の兄上が、ある工科大学の名誉教授でいらっしゃるご縁だとか。
 それまで、歴史の時間に聞いたことはあるものの、陰陽師の方々が現代にも活躍なさっているとはつい知らず、最初は何のことだか訳も分かりません。ただ、それまで口を閉ざされていたにもかかわらず、筆者を見て、ちょっとギョッとするようなことをご説明いただき、なるほど、こういう方々はいつの世も健在なのだと実感した次第です。

 近頃、日本では、小説や漫画、映画やテレビなどで陰陽師がたいそう流行っているようで、その呼び名は全国津々浦々に広まっています。尋ねてみた全員から、「知ってるよ」という答えが返ってきました。
 そもそも、陰陽道とは、古代中国の陰陽五行説に基づいた方術で、今でこそ、呪術の一種と認識されていますが、律令国家の古代日本では、天皇に直結する中務(なかつかさ)省内に、陰陽寮という役所が置かれ、天文・気象・暦・時刻・卜占(ぼくせん)をつかさどっていたようです。陰陽寮には、暦・天文・漏刻博士のほか、陰陽博士が属し、陰陽道を学生に教授していたらしいです(広辞苑より)。勿論、その卜占のパワーで、古代国家の政治にも大いなる影響を与えていたのでしょう。
 その陰陽道は、次第に国家中枢から貴族・民衆へと伝播し、平安時代中期に生きた陰陽師・安倍晴明をもって、世に広く知られることとなったようです。晴明は式神(しきがみ:変幻自在の精霊)を使い、あらゆることを未然に知り得たと伝えられるそうです。

 餅つき大会で出会った陰陽師の先生は、陰陽師の家系16代目の方だそうで、なんでも、20代の頃、突然ふすまに文字が現れ、修行をするようにと指示を受けたそうです。父親に話すと、「そうか、来たか」と、うなずいたとか。こういう方々は、一代にひとりしか出てこないようです。
 今では、1千5百人の信者の方々が集って来られるそうですが、現在は、最終段階の修行中だそうです。行うことのすべてを成功させるようにと。
 「この方は、何でもすぐにおわかりになる」という紹介を受け、そうですね、守護霊様と直接お話しするので、本人と話す必要はありませんと、きっぱりおっしゃいます。どんな人間かとか、この先どうなるのかとか、何でもお見通しのようです。その黒目は、瞳孔くらい真っ黒で、思わず見とれてしまいました。何でも吸い込んでしまうようです。そして、人のためになることをして、自分を高めることですとの助言もいただきました。

 元来、人は誰しも、ある種の不思議な能力を持っているものなのかもしれません。何千キロ離れていても、恩師が亡くなるとき、それをはっと感じることがあります。「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず」という口癖が脳裏によみがえります。人は、単なる細胞の集まりというわけではないのでしょうか。


後記:今回は、泊まっていたホテルで、次期総理との呼び声高い安倍晋三官房長官と鉢合わせしたり、取材用に買った手振れ防止付きのデジカメがタダになったりと、不思議な旅でした。デジカメは、くじ運のいい連れ合いが、百人にひとりタダです!というのに当たったのですが、日本ってホントにいい国ですよね。今度ばかりは、アメリカに戻りたくなかったです。


夏来 潤(なつき じゅん)

ページトップへ