さあ、お仕事、お仕事:自主性って大事ですね

2007年3月30日

Vol. 92

さあ、お仕事、お仕事:自主性って大事ですね


 2月末から3月中旬まで、日本におりました。暖冬だ、暖冬だと耳にしていたわりに、日本はとっても寒かったです。風は強いし、お日様はあんまり顔を出してくれないし。「暖冬」とはいえ、やっぱり、日本の早春は手ごわいのです。

 ようやく、その寒さに慣れた頃に、シリコンバレーに戻って来たのですが、戻ってみると、こちらはもう夏のような日差し。雨季のはずなのに、その暖かさに、ちょっと戸惑ってしまいました。

 そんな暖かい早春を越え、街のあちらこちらで見かける桜も、そろそろ終わりを迎えます。思い出したように戻った雨と、吹き荒れる風に乗って、はらはらと舞い散っています。

 そんなシリコンバレーの午後ですが、時差ボケと環境の変化で苦しむ今月は、筆もなかなか進みません。ふたつの文化の狭間に落ち入ると、どんなお話も「なんとなく違うなぁ(It's irrelevant)」と思ってしまうのです。というわけで、苦しいついでに、お仕事のお話でもいたしましょうか。


<お仕事と自主性>
 なにやら日本では、団塊の世代の大量退職が話題になっていますよね。でも、アメリカでも、状況は似たようなものなのです。
 アメリカの場合は、第二次世界大戦の影響が少なかったせいか、ベビーブームは早くも終戦の翌年、1946年に始まっておりまして、ベビーブーマーたちの大量リタイアは、昨年からホットな話題となっておりました。
 こういった現状は、国のレベルでは、社会保障制度もろもろの観点から問題になってきますが、当然、一企業のレベルでも大問題になりますね。いったい、どうやって、優秀な労働力をキープするのか?

 シリコンバレーのように、日々状況が変化し、競争の激しい環境では、なおさらのこと。経営者たちは頭を悩ませます。いったい何が従業員のお眼鏡にかなうのかと。

 そんな課題の解決策となるのでしょうか、こういった制度がお目見えしました。「好きなだけ有給休暇を取っていいよ」と。

 インターネット企業の有望株として、誕生時から注目を集めていたNetflix(ネットフリックス)。ネット上でDVDレンタルを行うサービスサイトです。今のところ、DVDの物理的なやり取りは郵便でやっていますが、今後は、全部のプロセスをネットでやってしまおうという計画です。
 レンタルビデオの老舗Blockbuster(ブロックバスター)など、ネットフリックスの商法を真似たサイトの続出ですが、制限枚数内だとレンタル期限がないのが、ネットフリックスの魅力。順調にユーザーを増やしています。

 このネットフリックスでは、時間給のカスタマーサービス部門の従業員を除き、年棒制のほとんどの従業員に対し、有給休暇の制限を排除しました。
 まあ、普通の会社では考えられないほどの太っ腹ぶりですが、自分の仕事を完結させれば、あとは、文句は言いませんよ、という会社側の姿勢の表れなのですね。
 だって、みんなもう子供じゃないんだから(They're all adults)。自分で自主性を持って、仕事のスケジュールを調整すれば?

 もともとアメリカでは、国民の休日にしても、有給休暇にしても、あまりたくさんもらえません。試用期間を過ぎると、10日くらいの有給休暇はもらえますが、それ以降、あんまり増えないのです。ましてや、転職の多い環境です。休暇日数は、なかなか思うようには増えてくれません。
 そんな中、「自分のことをちゃんとやっていれば、好きなだけ休んでいいよ」という方針転換は、自主性を愛するアメリカ人にとって、受けはいいかもしれませんね。

 働く者としての自主性。英語で"employee autonomy"。この概念は、近頃、いろんな会社で注目されているようですね。
 たとえば、検索エンジンのグーグル。この会社は、従業員への福利厚生が極めて良いことで有名ですが、仕事の仕方にも自主性が重んじられています。
 制限内であれば、就業時間中、好きなことをしていいよ、と許されている従業員がいるのです。従業員全体で見ると、常に1割くらいの労働力が、直接プロジェクトとは関係のないことをやっているのだとか。
 基幹サービスを超え、モバイル分野にも進出の兆し?との風の噂も流れるグーグル。現行の組織にとらわれない、自由な発想で勝負です。
 その代わり、厳しさも求められています。これといって目立ったアウトプットがないと、すぐに「さよなら」するのがグーグルさんなのです。

 ところで、私事ですが、英語を習いたての頃、格言をふたつ覚えました。ひとつは、"Practice makes perfect(習うより、慣れろ)"。そして、もうひとつは、"Never put off till tomorrow what you can do today(今日できることを明日に先延ばしにするな)"。
 ふたつ目の格言は、構文上便利な文章だから覚えたまでのことですが、今になって内容を考えると、これは違うなと思うのです。
 今だったら、断然こう言いたいです。"Put off till tomorrow what you can do tomorrow(明日できることは、明日に延期しろ)"。

 いえ、決してふざけているわけではありません。人のやるべきことって、往々にして、すぐにやらなくてもいいこととか、状況がじきに変わってしまうことが多いのです。だから、あとになって考えると、がんばってやって損した、無駄だった、と思えることも無きにしも非ずなのです。
 だから、言い換えると、"Only do what you have to do today"とでもいいましょうか。プライオリティー(優先順位)を考えて、今日やっておかないといけないことだけをいたしましょう、そんなところでしょうか。

 物書きの世界でも、同じだと思うのです。毎日、ジャカジャカいろんなニュースを耳にします。でも、瞬間的に飛びつかなくてはならない種類のニュースって、意外と少ないのですね。たいていの場合は、ひと呼吸置いて進展を観察した方が、いいストーリーとなるのです。
 いつか、こんなことを読みました。風刺漫画家の故はらたいら氏が、自分は新聞をひと月分まとめて読むようにしている、とインタビューでおっしゃっていたのです。
 実は、この言葉は、アメリカの著名なジャーナリストの言葉に通じるものがあるのです。ごく単純に、"Wait(待て)"。
 すぐに飛びつかず、じっくり咀嚼(そしゃく)したあとに書け。そうしないと、ウソを書くことになるやもしれぬ、と。

 ちょっと話がそれてしまいましたが、きっと、どんなお仕事でも同じだと思うのです。力仕事でやっつける前に、ちょっと作戦を練りましょうよ、こう提言してみたいのです。
 「おつきあい残業」だとか、半日つぶれる全員参加の定例会議だとか、そういうのって、これからは流行らないんじゃないかと思うのです。だって、一日は24時間しかないんですから。


<便利な機械>
 いえ、たいしたお話ではありません。わたしはもうかれこれ半年以上も腰を病んでおりまして、ゆっくり歩くお散歩も30分までと制限されているのです。
 まあ、動けないとなると、途端に「二起脚(にききゃく)」などの技巧に挑戦したくなるのが人情ですが、わたしにとって一番いけないことは、歩くこととか、物を持つとかじゃなくって、パソコンの前に座ることなんです。
 パソコンの前に座る、つまり、仕事をするのが一番いけないんですね。なぜだか、姿勢よく椅子に腰掛けるのが一番辛い。座っているときはまだしも、立ったときに、アイタタタッとなってしまうのです。

 だから、いっそのこと仕事はしたくないのですが、そうもいかない。だから、こう願っているのです。頭の中にある文章を、自動的にワードファイルに変換してくれる便利な機械が欲しいと。
 頭に何やら考えを吸い取る輪っかを付けると、ワイヤレスで信号が飛び、自動的にパソコン上にシャカシャカと文字が出てくる。そんな機械が欲しいのです。これさえあれば、何時間も椅子に座ってなくてもいい。

 脳の中がどうなっているのかなんて、わたしはまったく知りませんが、たとえば、寝たきりの人が、自分の意識でスクリーン上に文字を打つ、そんな機械が開発されているのではなかったでしょうか?
 だったら、思考変換機は、すぐそこまで来ている?

 だいたい物を書くときなんて、スクリーンの前にじっと座ってたって、いいことはあんまりないのです。わたしの場合は、シャワーを浴びているとか、髪の毛を乾かしているとか、掃除機をかけているとか、そんなときに、頭が一番よく回転するし、ふとおもしろい文章を思いつくのです。大事な論文の骨子がひらめいたのは、シチューにする人参を切っているときでした。
 まあ、人によっては、トイレの中なんていうのもありますが、よほど複雑な論理を追っているときは別として、人の頭っていうやつは、体が動いているときに一番自由闊達に働いてくれるものではないでしょうか。
 だから、自由自在に動きながら頭の中をモニターして、仕事をチャカッと仕上げる。理にかなっていると思いませんか?

 どなたか、こんな機械発明してください。


 註:冒頭に出てきた「二起脚(にききゃく)」とは、少林拳術の蹴り技のひとつでして、いわゆる「二段蹴り」というものです。

 まず、左足の爪先で前方を蹴り、その間に、軸足にしている右足を踏み切って跳躍し、その右足を前方高く蹴り上げ、足の甲で右掌をパーンと打つ、という技です。助走をつけず、その場で練習するのが伝統的なやり方なんだとか。
 まあ、読むよりも、やってみるのが手っ取り早いですが、くれぐれも無理しないでくださいね。


<英語の格言>
 またまた、ひとり言のようなお話です。最初のお話を書いていて、思い出したことがあったのです。  "Never put off till tomorrow what you can do today(今日できることを明日に先延ばしするな)"は違うぞというお話をしましたが、英語の格言でまったく腑に落ちない文章が、他にもあったのです。

 いつか、日本の英語の教科書に、こんなものが出てきました。"There's nothing new under the sun(太陽の下には、何も新しいものはない)"。

 文章の作りにしてみると、ごく単純なものですが、何やら意味が深そうではありませんか。このときわたしは意味がよくわからないので、よっぽど先生に深意を問いただそうとしました。
 でも、結局、どうせ先生に聞いたってわからないだろうと、言葉を飲み込んでしまいました。今となっては、その先生の顔すら思い出せません。

 何年も経った今、ようやく、その出所を知るところとなりました。アメリカではよく耳にする言葉だけれど、今まで誰にも説明を受けたことがなかったのです。
 実は、この文章は、旧約聖書の中にあります。旧約聖書の「伝道の書(Ecclesiastes)」、第一章・第九節に、こう出てくるのです。「日の下には新しいものはない」と。

 この「伝道の書」を綴ったとされるのは、ダビデの子であり、エルサレムの王である伝道者。全十二章のうち、第一章は詩の形式で書かれ、こう嘆きます。
 人の行うことは、すべてが無益であり、無意味である。新しいものだと人が言うことは、すでに、前の世からあったものである。が、前の者のことは覚えられることもなく、後の世に伝えられることもないと。
 何もかもが空(むな)しい・・・「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」と、伝道者は嘆きます。

 なんだか雲をつかむような話ですが、神の前には、人は取るに足りない空しい存在である、ということなのでしょうか。ゆえに、人は黙って、神の命令を守りなさい。それが人の本分なのだから。

 まあ、わたしはキリスト教徒ではないので、この「空しさ」の真意はよくわかりませんし、ことさらに眉を吊り上げて反論する気もありません。
 けれども、ほんとに、日の下に新しいものはないのでしょうか?

 たとえば、この公理。「2つの点が与えられたとき、その2点を通る直線は1本しかない」。
 これは、ユークリッド幾何学の世界で捉えると、正しいことですね。平面上では、2点を通る直線は1本しか存在しません。でも、曲がった空間で考えると、2点を通る直線なんて無数にある。
 それを思いついたとき、人は日の下に新しいものを発見したのではないでしょうか?世界は、今まで見えていたようにたったひとつではない!
 勿論、神はそんなことはすでにご存じだったのでしょうが、人がこれを発見したこと自体、すごいことでしょう。そして、この人による発見は、決して「空しい」ことではない。

 きっと、そう思った人がたくさんいるのでしょうね。だから、"There's nothing new under the sun"という言葉は、科学の文章の中に、たくさん引用されるのでしょうね。ある種の人間の挑戦状として。ほんとにそうなの?人は新しいことを発見し続けている のではないの?と。

 この文章の派生語と思われる表現に、"everything under the sun(この世に存在すると思われるすべてのもの)"というのがありますが、ここで言う「人が認識する"everything(すべて)"の領域」とは、刻々と広がりつつあるものではないでしょうか。

 それにしても、思うのです。何ゆえに、こんなにわかり難い旧約聖書の言葉を、わざわざ英語の教科書に載せるのでしょう?英文和訳ができたところで、生徒の心の中には、疑問符がいっぱい浮かぶだろうに・・・


追記: 書きながら、ちょっと気になったことがあるのです。言葉はとっても似ていますが、『伝道の書』の「空(くう)の空、空の空、いっさいは空である」という言葉は、仏教の「一切皆空(いっさいかいくう)」の教えとは、まったく異質なのだろうかと。
 旧約聖書の空(くう)は、「空(むな)しい」の空、そして、「一切皆空」の空は、「実体のない幻」の空なのでしょうか。まあ、わたしは宗教には疎いので、この解釈は、想像の域を出ませんが。

 それから、ちょっと言わせてください。日本では、桜の咲く頃に、卒業・進学を迎える。いつの頃からかは知りませんが、これが、日本のしきたりですよね。
 ところが、近頃、こんな意見が飛び出しています。9月始まりの外国から留学生を受け入れ難いから、日本も新学期を9月にしようかと。
 わたしは単純にこう思うのです。どうしてそこまで「西洋かぶれ」するのかと。他のシステムと違うなら、その間、あちらを待たせればいいではありませんか。きっと待つ時間だって、いい人生経験になりますよ。

 回り道、大いに結構ではありませんか!


夏来 潤(なつき じゅん)

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