インテリシンクの軌跡:社長さんの話が本になります

2007年9月28日

Vol. 98

インテリシンクの軌跡:社長さんの話が本になります



<只今、執筆中!>
 そうなんです。長年、この「シリコンバレー・ナウ」シリーズを掲載してくださっているインテリシンク株式会社の社長さん、荒井真成氏がもうすぐ本を出されます!

 ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、荒井氏は、1998年のインテリシンク日本支社の創立以来、ずっと社長さんを務めてきたばかりではなく、インテリシンク社がプーマテクノロジー(愛称プーマ)と呼ばれていた頃から、本国アメリカで会社を支えてきた経営陣の一員でもあります。5年前にプーマの創設者ふたりが会社を離れてからは、最古参のメンバーとなり、その12年という勤続年数は、同社でも一番長いのではないでしょうか。
 プーマテクノロジーというと、「トランジット(TranXit)」というIrDA規格の赤外線データ通信ソフトで一躍世界のパソコン市場の寵児となった会社ですが、社長さんはそのトランジットの成り立ちにも当初から深く携わり、その後、「インテリシンク(IntelliSync)」というデータシンクロ(同期)製品や、携帯電話分野のシンクロ規格SyncMLをベースとした「電話帳お預かりサービス」(日本市場)など、会社がアモルファスな進化を遂げた中でも、常に同社のビジネスの中核をなしてきた方です。
 その間、ご多聞に洩れず、同社もインターネット戦略への方向修正、そして再度の軌道修正という大きな荒波を乗り越えてきたわけですが、社長さんは、プーマテクノロジー(後にプーマテック、インテリシンク、そして昨年の買収後はノキア)の経営陣という役割を通し、シリコンバレーの急成長・つまずき・再スタートの過程をつぶさに第一線で体験してきた、数少ない日本人のひとりでもあります。

 かく言うわたくしも、微力ながら執筆に協力させていただいているのですが、社長さんご自身にも、「自分のことながら、おもしろい本になりそうだ」と、期待していただいております。
 わたくし自身、多国籍IT企業の日本支社で勤務した後、シリコンバレーのスタートアップ会社で辛酸をなめた経験もありますので、その体験をもとに、多少なりとも貢献できればと願っております。

 社長さんの体験談を伺っていると、いろんなIT企業の栄枯盛衰は、まさに戦国時代の群雄割拠のようだと感じることもあります。プーマテクノロジー(インテリシンク)自身、1993年の設立以降、さまざまな分野の会社を15も吸収合併しています。その大部分は、結果的に方針にそぐわず「捨てた」ことになるわけですが、そうやってインターネットバブルと内部破壊という大変な時期を生き抜いてきたことは、それだけで素晴らしいことなのだと思います。その淘汰のプロセスで、多くのスタートアップ会社が露と消えたことを考えると、プーマの生き残り作戦から学ぶことも多いのではないでしょうか。

  近頃、NHKの大河ドラマ「風林火山」をよく観ているのですが、社長さんのお話と大河ドラマが頭の中で重なることがあるのです。そして、歴史小説や大河ドラマの類は、まさに現代の鏡かとも実感するのです。たとえば、「風林火山」では、武田晴信が「わしは生涯、城は築かぬ。人が城だからじゃ」と述べるくだりがありましたが、これはまさに、会社という組織そのものを描いているような気がします。適材適所、人こそが組織を形作るものであり、洋の東西を問わず、このことに反論する経営者はまずいないのではないでしょうか。
 それから、「風林火山」では、主人公・山本勘助が紀州の僧になりすまし、越後の長尾景虎を鉄砲持参で訪ねるエピソードがありますが、これなどは、現代のベンチャーキャピタルを表しているような気がするのです。まあ、ベンチャーキャピタルの場合は、投資先を探しているわけですから、勘助とは若干目的が異なりますが、相手を「品定め」するところでは、勘助も、素知らぬ顔で企業訪問するベンチャーキャピタリストも、あまり変わらないのではないでしょうか。
 時を経て技術が変わり、社会構造が変わろうとも、今も昔も、きっと人の営みに変わりはないのでしょう。

 というわけで、社長さんの本は、プーマテクノロジー(インテリシンク)というシリコンバレーの一企業の軌跡をたどる、現代の歴史小説ともなるのかもしれません。

  記念すべき出版の暁には、真っ先にこの場でお知らせすることにいたしますので、そのときは、どうぞ書店へお出かけくださいませ。


<ブッシュ大統領、貝になる>
 さて、本の宣伝のあとは本題に入り、ちょっと真面目なお話でもいたしましょうか。

 先日、日本の首相交代という大きな出来事がありましたね。あまりにも突然の安倍首相の辞任に、ちょっとびっくりしてしまいましたが、その後の自民党総裁ならびに内閣総理大臣選びの過程を、海の向こうからおもしろく拝見しておりました。
 安倍首相の辞任表明直後、自民党はそれこそ蜂の巣をつついた状態だったのでしょうが、大方が後任として福田さんを推すことになり、「全身全霊を賭(と)して務めろ」だの、「政治生命を賭けて臨め」だのと、まるで「人身御供(ひとみごくう)」を選んでいるのかのような発言が相次いでいました。これから「いざ火山の噴火口へ!」というわけでもないでしょうが、なんとなくそれが冗談にならないのが恐いところではあります。

 一国の長たる者、少しは落ち着いて政権を担って欲しいと願うところではありますが、その一方で、あまり政治慣れしてほしくはない気もいたします。こう言っては何ですが、長年政治を務めると、みなさんだんだんと人相が悪くなりますよね。ああいうのを見ると、「やっぱり陰で何か悪いことしてるんでしょ」と勘ぐりたくなるのです。
 まあ、人の顔というものは、心の噴火口みたいなものですから、どんなに笑顔を振りまいても、ドーランの厚塗りをしても、そうそう中身を隠すことはできないですね。二十歳過ぎれば、自分の顔に責任を持てといいますけれど、それは生涯肝に銘じておくべきことなんですよね。

 政治家の人相が悪くなるというのは、洋の東西を問わないところがありまして、アメリカでも、たった数年の内に、「え~、あなたどうしちゃったの?」と問いかけたくなるほど、大変身を遂げる方々もいらっしゃいます。ああいうのは、痛ましい限りではありますね。
 ところがどっこい、たまに例外がいるのです。意外にも、ブッシュ大統領がその筆頭に挙げられるでしょうか。
 いやはや、彼は政権に就いて7年にもなり、いろんな(悪い)ことをなさっているわりには、人相が変わりません。ちょっと疲れた顔にはなっていますが、決して人相が悪くなっているわけではないように見受けられます。
 ひとつに、そこまで頭がカラッポなのか? それとも、貝のように意固地なのか?と勘ぐってみるわけですが、最近、「彼は実は複雑な人間である」という評を耳にし、人間の奥の深さに大いに興味を持ったところです。

 その「ブッシュ複雑説」を唱えたのは、ごく最近、ブッシュ大統領についての本を出したロバート・ドレイパー氏です。「Dead Certain」(和訳すると、「もちろん確かさ」といった感じ)という題名の本で、ブッシュ大統領への数回に渡るインタビューや、取り巻きへの聞き取り調査をもとに書かれています。
 もちろん、そんな本など購入して読む気にもなれませんが、先日、著者ドレイパー氏へのインタビュー番組(WNET制作「Charlie Rose」9月6日放送分)を観て、彼の言うことに少々感心してしまったのです。

 このドレイパー氏、男性ファッション雑誌GQの国内政治担当の記者だそうですが、その前は、Texas Monthlyという政治・経済雑誌の編集長を務めていた関係で、ブッシュ大統領をテキサス州知事時代から知る人だそうです。GQ誌でも、再選を目指すブッシュ大統領を特集したことがあり、ブッシュ大統領とはある程度馴染みなのかもしれません。さすがGQ誌の記者だけあって、金髪をアシンメントリーのおかっぱ頭に切り揃えた、年齢不詳のおしゃれなお兄さん(?)です。

 そのドレイパー氏、「ブッシュ大統領をインタビューして、何に一番驚きましたか?」との質問に返して曰く、「彼は、風刺漫画なんかで描かれているよりも、もっと複雑な人間でしたよ。」  
 ブッシュ大統領は、相手の心をつかむために、自分の言うことをうまく編集できるし、会議で人をまとめるのもうまい。チェイニー(副大統領)の操り人形だという大方の批判だけれど、そんなことはまったくないと、ドレイパー氏は評します。
 なぜなら、ブッシュ大統領は、自ら「僕は結果を大事にする男だ(I'm a result-oriented guy)」と言うくらい、自分の政策を押し通したい人で、そのためには、共和党・民主党両党一致の判断であろうと、共和党一党による強行採決であろうと、手段はまったく選ばないタイプの人間だからと。
 そういう大統領にとっては、世間でまことしやかにささやかれている「能無し政権(lame duck)」という言葉は存在しないのだとも言います。なぜなら、彼自身が、自分の成し遂げた「結果」を心から信じ切っているから。
 また、ドレイパー氏は、「彼は常に人気者でなくちゃいけないのだ」とも評します。大統領は、自分は常に人気があるのだという信念を持っていて、世論調査でどんなに支持率が低くとも、それは調査の質問の仕方が悪いのであって、自分は人気がないわけではないと、固く信じているふしがあると。

 どうもこの「複雑な性格」ができあがった裏側には、父親との関係が影響しているようで、結果的には著名な政治家である先代のブッシュ大統領の跡を継ぐことにはなったけれど、たとえばハーヴァード大学のMBAへ進むなど、父とは違う道を歩もうと模索していた時期もある。ある種、父親への反発が働いた結果ではないかと、ドレイパー氏は指摘します。
 それが証拠に、2003年3月、イラク戦争を始めた時期に関しては、「いや、僕は父には一切相談していない」と、先代ブッシュに助言を請うたことをきっぱりと否定したそうです。

 ブッシュ大統領の心の複雑さは、この本の成り立ち自体にも表れているような気がします。著者ドレイパー氏のことは、ブッシュ大統領も知っているにも関わらず、実は、本のためのインタビューを承諾してもらうには、2年に渡る説得が必要だったそうです。当初、大統領は、「もし僕の本を出すんだったら、僕のスピーチライターにインタビューしてくれ」と、自身のインタビューを突っぱね続けたそうです。
 そして、2年ねばった結果、ある日、本の主旨を説明する機会が与えられ、「じゃあ、1時間だけあげよう」ということになり、その1時間が、結局6回6時間のインタビューへと増えていったそうです。まあ、たった6時間の本人インタビューでは、なかなか詳細をつかむのは難しいわけではありますが、このブッシュ大統領の「秘密主義」にしても、言いたいことを言い、したいことをする政治姿勢とは裏腹に、慎重で複雑な人柄が表れているような気がします。
 本人は、歴史上自分がどのように描かれるのか非常に気にしているようだと、ドレイパー氏も述べているところを見ると、豪快で無頓着なところと小心で神経質なところが微妙に入り乱れる、ある意味わかり難いお人のようでもあります。

 だいたい、歴代の大統領なんてものは、大統領職を退いて何年か経つと、「あ~、あの人は素晴らしい人だった」と、いつの間にか変化してしまうのです。とくに、元大統領が他界したともなると、もう「あれほど素晴らしい大統領は、他には存在しなかった」くらいに、徹底的に美化されるわけですね。
 たとえば、数年前に亡くなったロナルド・レーガン大統領がいい例となるでしょうか。ほじくり返してみると、彼には、汚点がたくさんあるのは確かなのですが、亡くなったときは、かなり美化されていたようではあります。

 べつに死者を冒涜するわけではありませんが、彼の汚点とも言えるひとつに、大統領となった1981年に初症例が認められたAIDSへの対応があります。最初のうち、AIDSの本性がまったくわからず、国民は恐怖のどん底に陥れられていたわけですが、サンフランシスコを中心に死者がどんどん増えていっても、頼みのレーガン大統領は、沈黙のまま。何の対応もなし。数年後、ようやく口を開いたとき、彼のメッセージは、短くこうでした。
「AIDSを撲滅するためには、禁欲(abstinence)に努めるように。」
 AIDS伝染初期の頃、感染者の多くが同性愛者や麻薬常習者だったこともあり、犠牲者に対し見て見ぬ振りをしたと、今でも批判的な人は北カリフォルニアにはたくさんいます。

 一方、国際的な政策にしても、汚点とも言える失策があります。たとえば、1981年、中米ニカラグアにCIAの援助を差し向け、反民主化運動のゲリラを支援し、市民革命を泥沼化させたことが挙げられるでしょう。
 1970年代、ニカラグアやグアテマラを始めとして、中米諸国では「社会の底辺である小作農に、もっと力を与えろ!」と民主化運動の嵐が吹き荒れていたのですが、1980年代に入り、CIAが軍事クーデターや反民主化組織を扇動したことで、結果的に、たくさんの農民たちが虐殺されてしまったのですね。アメリカは、CIAを通して、せっせと殺戮の手助けをしていたわけです。
 こうやって見てみると、人気の高かったレーガン大統領といえども、決して歴史上最高の大統領ではなかったのです。けれども、彼が亡くなったときは、「レーガン大統領ほど、人とのコミュニケーションがうまい、素晴らしい大統領はいなかった」と、多くの人が涙を流したことでした。

 まあ、そういった「歴史の美化」というものは世の常ではあるものの、ブッシュ大統領の場合は、いったいどうなるのでしょう。彼が亡くなったあと、「あ~、最高の大統領だった」と美化されることはあるのでしょうか?


<凄いバンパーステッカー>
 先日、行きつけのコーヒー屋さんで物珍しいタンザニア産のコーヒー豆を買い、喜び勇んで車に戻る途中、駐車場でこんなものを目にしました。
 銀色のホンダ・シビック・ハイブリッドモデルの後ろに、真新しいバンパーステッカーが貼ってあって、こんなことが書かれているのです。「(2001年の)同時多発テロは、内部の仕業(inside job)だった」と。

 いやはや、同時テロから丸6年、今までこんな率直なメッセージを見たのは初めてだったので、「さすがに、学生を中心に若い世代が集まるコーヒー屋さんの界隈は、止まっている車が違うなあ」と、ちょっと驚いてしまったのでした。そして、それと同時に、事の真偽はともかくとしても、ようやく言いたいことが言える、自由なアメリカに戻りつつあるのかもしれないと、多少の喜びを感じたところです。

 ブッシュ政権に変わって、早7年。もともと、なりふり構わず、やりたいことをやる大統領ではありましたが、国民の支持率は下がり、政権下の親しい人間は次々と去り、お仲間の共和党の国会議員や次期大統領候補者からも冷たい視線を向けられるうちに、貝のようになったブッシュ大統領は、以前にも増して、自分のやりたいことを意固地に繰り広げています。連邦議会が文句を言えば、イヤイヤと拒否権を発動すればいいし、自分のやりたいことが通らなければ、「頭が高い!」と大統領の行政命令を振りかざせばいいと、勝手気ままにやっています。

 その結果、際限なく吊り上げられるイラク、アフガニスタンでの戦闘費用は、明らかに孫子の代への巨大な負の遺産となっています。国内でも、「テロ対策」を名目に、一般市民に向かってもスパイ活動の魔の手が伸びています。人々の人格すべてがデジタル化され、民間企業に管理されている今、どこの誰にどんなメールを出したとか、どこに旅行して何をしたとか、そんな市民の素行調査はわけもないことなのです。
 「能無し政権」と現政権が嘲笑されるわりに、その実、日に日に状況は悪化しているような気がします。来年あたりには、国民の権利を守る憲法修正第4条(理不尽な捜索や押収の禁止)なんかは有名無実化している頃でしょうか。「溺れる者は藁をも掴む」ともいいますが、藁をも掴もうとする者ほど恐いものはないのかもしれません。

 そんな中でも、言いたいことを言う人たちが出てきたということは、喜ばしい限りではあります。少し前まで、「イラク戦争に反対する者は、アメリカ人にあらず」みたいなプロパガンダが流れていて、それこそ、第二次世界大戦中のヨーロッパにおける反ユダヤ主義の洗脳の感がありました。けれども、大方の国民はその愚かさから目が覚め、ようやく軌道修正に努めているところなのかもしれません。

 今から考えると、あのクリントン政権下の大騒ぎが心から懐かしいです。モニカがどうしたのと、皆がクリントン大統領の答弁のひと言ひと言に釘付けになっていた、あの頃が。あんなに「楽しい」問題だったら、歓迎すべきことなのかもしれませんね。なぜなら、問題が愉快であればあるほど、それは、国が平和である証拠だから。

 あんな愉快な問題が起きる世の中に戻ってほしいなあと、切に願っているところです。

 というわけで、お次は、ガラリと話が変わります。


<おまけのお話:それはないでしょ、スティーヴさん!>
 ちょっとちょっと、アップルのスティーヴさん、それはないんじゃない?「iPhone(アイフォン)」発売のわずか2ヶ月で200ドル(約2万円)も下げるなんて。それじゃあ、 まるで、600ドルも払ったアップルファンがバカみたいじゃないですかぁ。

 と思ったのは、世の中のほぼ全員の人でして、あまりの反響に、当のスティーヴ(ジョブス)さんは、「わかった、わかった、僕が悪うございました。だから、今までアイフォンを買った全員に、アップルショップのクーポンを100ドル分あげるよ」ということになりました。ま、現金でなく、お店のクーポンというところが心憎いですよね。

 あの突然のアイフォンの値下げ(8GBモデルを599ドルから399ドルに、さらに4GBモデルを中止)に、大方の評は、目標である3ヶ月100万台に大きく届かないのではないかというものでした。しかし、そこは、スティーヴさん率いる大御所アップル。そんなことあるわけがありません。その数日後、涼しい顔で「アイフォン100万台をわずか74日でクリアした!」と発表したのです。

 いやはや、これにはさすがに驚きました。だって、あの超人気「iPod(アイポッド)」だって、100万台突破には2年かかっていますからね。まさに、アップル熱、留まるところを知らずといった感じでしょうか。  アップルに触発された「スマートフォン」の分野は、BlackBerryのリサーチ・イン・モーションしかり、携帯端末世界シェア一位のノキアしかり、日に日に株価はどんどん上がっていきます。

 なんでも、今、アラブ首長国連邦のデュバイに、iPodの形をしたビルが建っているそうですね。クレードルにささったiPodみたいに、タワーが6度傾いているんだとか!
 ビルの名前は「iPad(アイパッド)」というそうですが、なんだか、それ、昔シリコンバレーの造語コンテストに出てましたよ。以前もご紹介したことがありますが(2005年12月号)、padには家という意味があって、造語コンテストの「iPad」は、アップル製品にすっかり占拠されてしまった居住空間という意味でした。デュバイのiPadは、きっと内から外からアップル製品に占拠されてしまうのでしょうね。

  2009年のiPad完成の暁には、iPhoneやiPodを持って、アップルファンがデュバイに集合!といったニュースが流れるのでしょうか。

 アップルさん、やっぱりスティーヴさんが戻って来て良かったですね!


夏来 潤(なつき じゅん)

ページトップへ