遺伝子とあなた:応用もいろいろ

2005年5月23日

Vol.70
 

遺伝子とあなた:応用もいろいろ


 突然ですが、今、我が家では玄関が使えません。正しくは、正面のドアを開閉できないのです。別にドアが壊れたわけでも何でもなくて、ドアに掛けたリースに、小鳥が巣作りしてしまったのです。何年か前もそういうことがあって、そのときは、雛が巣立つまでまったく気付きませんでした。ところが、今年は、ドアの外がやけに騒がしいと、巣作りの途中で気が付きました。かしましい鳥夫婦なのです。
 そのつがいは今、数個の卵を温めているところです。近寄っただけで親鳥は逃げてしまうので、そっとしておくのが一番です。人間の出入りはというと、ガレージで充分なのです。玄関はもともと、新聞を取りに行くときにしか使いませんので。(写真ではわかりにくいですが、リースの底の部分に巣があります。シルクフラワーを器用にアレンジして、カモフラージュしています。)

 さて、今月号は、取り上げた話題が多岐にわたっています。最初のふたつはのんびり派、次の三つは科学派、そして、最後はのんびり科学派とでも言いましょうか。


<iPodと身の安全>

 何やら日本では、アップル・コンピュータのiPodを「着る」のが流行っているそうですが、ユーザのひとりとして、なかなかいい案だと思っています。今度日本に行ったら、かわいいポケット付きのおしゃれなiPodウェアを買って来ようかなとも思っております。
 そこで、ひとつ気になるのが、利用者の安全です。日本ではどうしても、歩行者と車が狭い空間に混在します。イヤフォンで音楽を聴きながら自分の世界に入り込んでいる間に、車に衝突ということがないとも限りません。

 ふと、中国のシルクロードの起点、西安の街中を思い出しました。あそこは、本当に怖いところです。道を渡るのが命がけなのです。だいたい中国は、車も人も我先に進みたがるのですが、特に西安では、城壁の中の旧市街は車で大混雑。歩行者用の信号なんてほとんどありません。車の往来が切れたところで小走りに道を渡るのですが、タイミングを見計らうのがもう大変。ちょっと躊躇すると、永遠に道は渡れません。
 そこで、道を渡ろうとしているグループの真ん中に入って、彼らと一緒に渡るすべを覚えました。万が一、両方向から車がぶつかって来ても、真ん中なら被害は少ないはずです。街歩きが怖いのが、西安ただひとつの欠点ですが、勿論、iPodウェアなんて論外です。
 あ、そうそう。ニューヨークの地下鉄では、近頃、iPod を聞いていると悪者に狙われるそうです。今年に入って、数十件の盗難がありました。あの白いイヤフォンが、ターゲットなのです。狙われないように、イヤフォンだけ目立たないものを使う人もいるとか。やっぱり、街中でiPodを着られるのは、日本くらいなものでしょうか。


<日本古来の表現>

 何やら日本では、「もったいない」という言葉が流行っているそうですが、筆者にもこの言葉には大いなる思い入れがあるのです。「もったいない」は、日本が世界に誇れる崇高な精神だと。

 筆者がシリコンバレーで通う歯医者さんは日系人です。彼は、両親が日本から来たので、日系2世になります。ところが、こちらで育ったせいか、日本語は下手くそで、英語で話した方が的確に物事が伝わります。
 そんな彼ですが、絶対に日本語で表現する言葉があります。そうです、「もったいない」です。せっかく埋めた歯を削り過ぎると、最初からやり直しになるので「もったいない」そうです。きっと彼の両親も、しょっちゅう「もったいない」を口にしていたのでしょう。
 英語では、"It's such a waste"とでも言うのでしょうか。でも、これでは、「もったいない」の裏側にある、「何でも大切に扱わなくてはいけない」とか「与えられたことに感謝をする」という含蓄が伝わらないではありませんか。

 筆者が小さい頃、紙箱に入った24色の色鉛筆を買ってもらったことがあります。姉にはスティールケース入りの色鉛筆だったので、「どうして?」と母に尋ねました。すると、「あなたは物を大切にするから、紙箱でいいの」という答え。子供ながらに、正しい評価だと満足していました。
 一般的に、農耕民族のような周りとの和を重んじる社会では、「けち」と呼ばれることを非常に嫌います。しかし、「もったいない」と「けち」は、まったく違った精神に基づいています。「もったいない」がもっと世に広まればいいなと思っています。


<Pharm米>

 昨年4月に、遺伝子組み換えの米の話をいたしました(「食べ物は薬?」というお話)。カリフォルニア州都サクラメントにあるバイオテック会社が、lactoferrinとlysozimeという2種のたんぱく質を含んだ新種米を開発し、今年の春から試験的に栽培したいと州に申請していたものです。これらたんぱく質は、人間の母乳や涙、唾液に含まれるもので、下痢や貧血に対し効果があります。米として大量生産できれば、発展途上国の子供たちにも有益だという会社側の主張です。
 これに対し、州農務省は、今春の試験栽培を却下していたのですが、開発したVentria Bioscienceはあきらめきれず、州から出て行くこととなりました。お引越し先は、ミズーリ州です。カリフォルニア州からケチを付けられたこともあるでしょうが、ミズーリは土地も水も安いし、第一、現地のミズーリ州立大学とpharm農業の協力体制を築いたというのが、お引越しの理由だそうです(Pharmingとは、遺伝子組み換え操作で、植物や動物を医療に有益な細胞の生成工場とすることです)。
 Ventriaが州から出て行ったことで、とりあえず、カリフォルニアの穀倉地帯では遺伝子組み換え種が混入する恐れはなくなったわけです。しかし、ミズーリ州では試験栽培が行われているわけだし、カリフォルニアにもVentriaのような会社はいくらでもあるわけです。一難去ってまた一難というところでしょうか。

 Pharmingは何もアメリカの独壇場ではなく、どうやら日本でも、pharm米の開発が行われているようです。スギ花粉によるアレルギーの対抗策にしようと目論んでいるのです。
 アレルギー反応は、体が覚えている抗原(アレルゲン)に対し、血中のプラズマB細胞が大量の抗体を放出することによって起きます。過剰な抗体と抗原が、血中の肥満細胞からヒスタミンの分泌を促し、それが刺激となって、くしゃみや鼻水が出てしまいます。
 今開発中の米には、スギ花粉の遺伝子が入っていて、アレルギーシーズンが始まる3、4ヶ月前から食することによって、アレルギー反応のメカニズムを弱める効果があるそうです。一日に一杯、味はまったく普通だとか(独立行政法人・農業生物資源研究所、National Institute of Agrobiological Scienceが開発中)。
 実用化は数年先だそうですが、米が主食の日本で遺伝子組み換え種というのも、何となく不気味ですね。

 蛇足となりますが、pharmingという言葉には、近頃、別の意味も加わっています。新手のインターネット犯罪を指します。フィッシング(phishing)と類似し、ユーザを偽のWebサイトにおびき寄せ、口座番号や暗証番号などの個人情報を入手する手口です。フィッシングは、ユーザのメールアドレスに送られたスパム(偽のお知らせ)をクリックすることによって、偽のサイトにたどり着くわけですが、ファーミングはもっと悪質です。ユーザが銀行やお店の正規のサイトを訪れたところを、無理やり犯人の偽サイトに導きます。一人ひとりをチマチマと騙すのではなく、多くをいっぺんに騙すのです。
 今の時代の合言葉。いかなる場合も、pharmingには要注意。


<Only in California>

 昨年3月、ベイエリアの北にあるメンドシーノ郡の勇気ある決断をお伝えいたしました。海岸線のきれいなこの郡は、有機農業でも有名で、その名を汚すなと、すべての遺伝子組み換え種を禁止することを住民投票で採択したのです。
 これに気をよくした郡は、今年2月、州の農務省に対し、こんなリクエストを出しました。マリファナにもオーガニックの認定をして欲しいと。

 実は、このマリファナは合法的なもので、カリフォルニア州で認められている医療用マリファナ(medical marijuana)なのです。がんなどの重い病気を持つ患者が、痛みや薬の副作用である吐き気や食欲不振に悩まされているとき、マリファナの含む成分が諸症状を軽減し、食事がのどを通るようになるのです。
 マリファナを薬として医者が処方できるよう、1996年、州の住民投票で法律が定められました(マリファナを吸うと、手当たりしだいに食べ物を口に入れたくなるというのは広く知られた話ですが、医学的にも、医療用マリファナの効果は認められつつあるようです。多発性硬化症やてんかん、緑内障に効くという説もあります。カナダでは、4月、マリファナ成分入りの多発性硬化症・痛み止めスプレーが認可されました。アメリカでの合法化は、カリフォルニア、アリゾナ、オレゴンなど一部の州内だけの話で、連邦政府はいかなるマリファナも違法という見解を崩していません。1976年、法廷で医療用マリファナが認められて以来、国対州の論争は耐えません。ちなみに、マリファナに酷似する成分は人の脳内にも存在し、記憶に関与します)。

 メンドシーノ郡は、州の中でも有数のマリファナ生産地で、州内各地のマリファナ薬局(cannabis club)に納入しています。それだったらいっそのこと、害虫駆除剤や抗カビ剤を一切禁止し、オーガニックという冠を付けて売り出そうじゃないか、郡の責任者はそう考えたのです。利用者にとっても、その方がいいに決まっている。
 一方、マリファナを医療用に使うことにも反対する一派は、州がオーガニック認定をしたら、麻薬であるマリファナ自体を合法化してしまうことになると批判しています。
 今のところ、州農務省の審判は下されてはいないようですが、医療用マリファナが州内で合法なら、オーガニック・マリファナが出てきてもおかしくありませんよね。


<流行りの遺伝子>

 遺伝子ついでに、近頃アメリカで話題となっているお話です。自宅でできる遺伝子テスト(genetic testing)です。
 遺伝子(gene)は、細胞内の46本の染色体の基本成分であるDNA(デオキシリボ核酸)に含まれます。5年前、ヒトが持つDNAを解明する遺伝子地図(DNAの塩基配列)が完成して以来、毎日のように、遺伝子に関する発見が続いています。ヒトの遺伝子は3万2千個ほどだということもわかってきました。
 遺伝子に変異(mutation)が認められれば、病気になる可能性を秘めていることになります。そういった病気は4千種を越えると言われます。現在、遺伝子の変異を検知する検査方法は、数十種確立しています。そんな遺伝子科学の進化を反映し、自分で簡単にできる遺伝子テストを売る会社が、雨後の竹の子のように出てきているのです。

 たとえば、サンフランシスコのDNA Directという会社があります。2百ドルから3千ドルのアラカルトメニューを提供し、病気にかかりやすい遺伝的素質があるかを判断します。たとえば、血栓形成傾向、血色素症(鉄分過多)、嚢胞性線維症(肺や膵臓、肝臓の粘液による機能低下)、AAT欠乏(血中のたんぱく質Alpha-1 Antitrypsinの不足により、肺と肝臓に障害が起きる病気)が対象です。今まで病院でしかできなかった乳がん・卵巣がんの遺伝子テストも、DNA Directが初めて一般に提供し始めました。
 利用者は、送られてきたキットを使ってサンプルを集め(口の中を綿棒でぬぐったり、少量の血液を採取したり)、会社に送り返します。テストの結果は、後日Webサイトでわかるようになっています(勿論、秘密厳守です)。もし陽性が出れば、カウンセラーが生活改善や更なるテストなどの今後を指導してくれます。病院で行う遺伝子テストと違って、カルテに残ることもありません。
 病気になることを防ぐ "preventive medicine(予防医学)" ならぬ、病気になる要素があるかを占う "predictive medicine(予測医学)" なのです。

 以前もお話したことがありますが、アメリカの病院では、遺伝カウンセリングというのが一般的に行われています(2001年6月29日号の第1話その2)。ちょっと大袈裟に "注文キッド(子供のオーダーメイド)" などのお話をしたわけですが、特に、女性が妊娠したときは、遺伝カウンセラーとのコミュニケーションも密になります。
 そのほかに、乳がんに関する質問も多く、依頼の多いテスト項目となっています。アメリカ女性の間では、皮膚がんに次いで最も多く診断されるがんです。年間20万人が新たに乳がんとの診断を受け、一年で4万人が亡くなるとも言われます。
 乳がんの遺伝子テストは、1996年、Myriad Geneticsが出したものが主流となっているそうですが、需要は衰えを見せません。上記のDNA Directでも、Myriad社の乳がんテストを数種提供しています。
 乳がんテストは、おもにBRCA-1とBRCA-2という遺伝子の変異を調べます。しかし、これらの遺伝子は、平均的な遺伝子より塩基対が多く、知られている変異も何百とあるので、テストは複雑を極めます。変異の兆候が1割ほど見落とされる可能性もあります。更に、DNA Directも警告している通り、BRCA遺伝子の変異で起きる乳がん・卵巣がんは、全体の5~10%に過ぎません。がんを起こす可能性のある変異が認められても、すべてが発病するわけではないし、変異があるとわかっても、完全に有効な予防策はありません。結果をどう判断するかは、非常に難しいわけです。

 遺伝子の変異は親から子へ受け継がれるものなので、身内のがん経歴には要注意と言われます。アメリカには、家族(母や姉妹、祖母、叔母)の病歴を恐れるあまり、遺伝子テストで陽性結果が出ただけで、健康な乳房の切除手術(prophylactic mastectomy)を受ける女性までいます。こういった女性が生涯で乳がんになる確率は、80%を超えると言われてきたからです(80%は高すぎるという異論もあります。一方、アメリカの一般女性人口が生涯で乳がんになる確率は、11~12%と言われます)。
 しかし、実際には、遺伝の要素に加え、本人の年齢、生活習慣、病歴、環境などが複雑に影響するわけです。たとえば、第一子を遅く持った人や、まったく授乳しなかった人はリスクが高いと言われます。また、最近の研究では、低脂肪の食生活は、ある型の乳がん(女性ホルモン・エストロゲンに影響されないタイプ)の再発を抑制する可能性があるとも言われます。
 何と言っても、がんの90~95%は遺伝ではなく、後天なのです。遺伝子テストで何らかの結果が出たとしても、自分にとって何が正しいのか、ますます判断に悩むところです。予測医学としての遺伝子テストは、決して病気の診断ではないのです。


追記:がんの遺伝的要因が5~10%という説は、米National Cancer Instituteに従いました。これには異論があって、30%という説もあるようです。また、一口に遺伝子テストと言っても、予測だけではなく、病気の診断、タイプ・治療法の判断に使われる遺伝子テストもあります。


<ペンギンさん、がんばって>

 趣を変えて、南極のお話です。あちらでは今、ちょっとした異変が起きているのです。南極の氷が割れて、大きなかたまりがペンギンさんたちを脅かしているのです。
 このかたまりは "氷山B-15" という名前で、5年前南極大陸のロス海沿岸から切り離されました。記録に残る中では一番大きな氷山で、カリブ海のジャマイカほどの大きさです。誕生には9年かかっています。半年後、このB-15はふたつに割れ、ひとつは南太平洋に向け沖に流され、もうひとつはロス海沿岸をゆったりと流されていました。
 問題なのは、このロス海に留まったB-15Aなのです。形はマンハッタン島によく似ていますが、大きさは何十倍もあり、含まれる水は、ナイル川を80年潤すほどと言われます。これが奇妙な時計と逆まわりの反転をして、ロス海に面する湾をふさぐ形となっているのです。南極の夏である昨年末頃から恐れられていましたが、ついに4月中旬、湾に突き出た氷の浮遊岬(the Drygalski Ice Tongue)に氷山の先端が衝突し、湾に蓋をしたのが衛星写真で確認されました。

 ふさがれている湾には、アメリカのマクマード基地とニュージーランドのスコット基地があり、近くにはイタリアのテラ・ノヴァ基地もあります。そして、何よりも、南極ペンギン(アデリー・ペンギン)の4つの群棲地のうち、ふたつがここにあるのです。
 南極基地の方は、夏の間どうにか食料や燃料の補給が行われ、今すぐに困ることはありません(砕氷船が50キロメートルの水路を作り、基地に到達したそうです)。しかし、ペンギンの方は、夏に孵化した雛の大部分が、飢え死にした恐れがあります。
 と言いますのも、今まで餌である魚を楽に取りに行けたのに、氷山が邪魔するお陰で、親鳥が遠距離を泳がなくてはいけなくなったのです。ひとつの群棲地ロイズ岬では、往復で180キロの行程となり、疲弊した親鳥は、雛にたどり着く前に、喉の袋に貯めておいた魚を食べてしまうのです。
 ここには、3千組のつがいがいて、雛は全滅すると予想されています。もうひとつの群棲地バード岬では、5万組のつがいのうち、1割しか雛を育てられないと言われます。南極は、4月下旬から8月下旬まで日の射さない冬となるため、科学者はペンギンたちの運命をまだ確認できていないようです。

 お騒がせB-15Aは、現在ゆっくりした速度で動き始め、浮遊岬から離れつつあるようですが、再度衝突する可能性もあるということです。大きな氷山が相手では、ペンギンが無傷であることを祈るしかありませんね。


夏来 潤(なつき じゅん)

 

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