ギリシャ:エーゲ海に初挑戦

2006年5月31日

Vol. 82

ギリシャ:エーゲ海に初挑戦


 日本ではゴールデンウィークが終わったばかりの5月上旬、2週間ほどギリシャに行ってきました。ギリシャは初めてでしたが、それゆえに、強い印象を受けて帰って来たのでした。  先月に引き続き、旅行記となってしまいますが、今回は、ギリシャの旅のお話にいたしましょう。


<首都アテネ>
 今年のギリシャは、例年よりもちょっと肌寒いようです。もう5月というのに、摂氏20度を少し越えるほどでした。暖かい春を期待していたので、ちょっと予想外。
 それでも、雨に降られることはなく、ひとたび雲が去り太陽が照り付けると、肌にじりじりと熱を感じます。そして、日が落ちると、とたんに冷える。カリフォルニアによく似た気候なのです。

 ギリシャの最初の目的地は、首都アテネ。2年前、オリンピックが開かれたことをきっかけに、街はずいぶんときれいに整備されたようです。各種スタジアムがあちこちに建設されたばかりではなく、既存の建物や公園もドレスアップされ、地下鉄もずいぶん便利に延長されたようです。

 アテネといえば、やはり遺跡。いうまでもなく、パルテノン神殿のあるアクロポリスの丘は、街の目玉。アクロというのは「尖ったもの、突き出たもの」、ポリスというのは「都市」という意味だそうで、アクロポリスとは、尖った先端にある都市。ここには、アテネの守り神アテナを祭る寺院や、街の財宝や武具が収められる建物が置かれていました。



 このアクロポリスでは、1983年から、ギリシャ政府、国連、各国の団体を中心として復元工事が続けられていて、今も、石工さんが丘の上でトントンと石に細工を施しています。容赦なく照りつける太陽に、石工さんも早めの昼休み。壮大な建物を相手に、実に気が長いプロジェクトなのです。

 


 アクロポリスばかりではなく、アテネは、街中いたるところに遺跡がころがっている感があります。地元っ子は、もう少しきれいに遺跡を復元したらいいのにと思っているふしがありますが、外から来たものにとっては、大きな石柱が草むらに横たわっている様が趣もありますし、時代も感じます。何千年もそのままの姿で放置されているというのは、驚きでもあります。きっと、各時代で、石材は勝手に再利用されてきたのでしょうが、それでも、あれだけの遺跡が街のそこここに残っているところがすごいのです。

 遺跡を見るのも、タイムマシンに乗り過去を訪ねたようなものですが、遺跡からの出土品も、古代の生活を知るのには不可欠なものです。 市内にあるアゴラの遺跡では、出土品を展示する博物館があって、彩色土器やら装飾品、粘土の小像に混じって、日常品の数々が収められています。丘の上のアクロポリスとは対照的に、ここアゴラは、法廷、評議場、市などが立った市民生活の中心地。


 たとえば、紀元前6世紀に使われていたバーベキューセット。形といい、大きさといい、今でも充分に使えそうな、よくできたグリルです。きっと、現代の名物料理・スヴラキ(Svoulaki)みたいに、肉や野菜を串刺しにして焼いていたのでしょう。何千年たっても、お気に入りの料理法に変わりはないのです。

 

 





 そして、赤ん坊を座らせていた座椅子。お尻の部分に穴が開いていて、便器椅子のような機能も果たしていたのかもしれません。これにしたって、現代の日用品と言われても、まったくおかしくありません。
 
 

 


 アテネ市内には、観光目玉がたくさん。シンプルでおいしいギリシャ料理と、民族音楽やダンスを楽しめるプラカ地区。きれいな公園を中心に、国会議事堂やショッピング街が広がる中心地シンタグマ。ちょっと北には、市民の台所である中央市場。そして、山の手地区をケーブルカーで登ると、アテネ全体を一望できるリカヴィトスの丘。ここからは、アテネの大きさをパノラマで実感できるのです。  
 けれども、なんといっても印象深いのは、夜のアクロポリス。夜間ライトアップされる遺跡群は、幽玄そのもの。オレンジに光を放つアクロポリスは四方から眺望でき、まさにアテネの中心といった存在なのです。

 何千年の歴史を受け継ぐアテネ。アクロポリスは、そのアテネっ子たちの誇りなのかもしれません。


 
<エーゲ海>

 エーゲ海。どことなく神秘的な響き。この紺碧の海の名がどこから来たのか、アテネから南にアポロコーストを案内してくれた人が、こう解き明かしてくれました。

 その昔、アテネはエーゲ海第二の都市。その頃は、クレタ島の勢力が大きく、アテネは、クレタ島に貢物をしなければなりませんでした。
 貢物とは、優れた男の子を7人、女の子を7人、9年ごとに贈るというものでした。クレタ島の怪物、牛頭人身のミノタウロスに食われるために。

 アテネの王アイゲウスには、ひとりの息子がいました。生まれてすぐに父王から離されたので、自分が王の息子であることは知りません。
 けれども、16歳になったとき、父王から贈られていた金の剣を見つけ、自分の素性を母から知ることとなります。道すがら、数々の怪物を倒しながら父王の前に現れ、王の方も、この立派な若者テセウスが息子であることを悟ります。
 再会の喜びもつかの間、父アイゲウスから貢物の悩みを聞いたテセウスは、それなら自分をミノタウロスの元に送ってくれと言い出します。自分が怪物を退治するからと。

 さっそくテセウスは、黒い帆を張った死の船で、他の13人とともにクレタ島のミノス王の元へ送られます。そのテセウスは、ひとり堂々として、王にこう要求します。早く怪物のところに案内しろ、成敗してやるからと。この威勢のよさに、ミノス王の娘アリアドネは心惹かれます。
 そして、なんとかしてテセウスを助けたい一心で、アリアドネはこうアドバイスします。ミノタウロスがいる迷宮ラビュリントスは、造った者でさえ迷うほど入り組んでいる。そこから無事に脱出する方法は、糸巻。入り口に糸の端をしっかりと結び、糸巻を持って歩けば、それを手繰りながら迷わずに戻れる。そう言って、テセウスに糸巻を手渡します。

  翌日、傷を負いながらも、めでたくミノタウロスを倒したテセウスは、アリアドネと13人の少年少女を船に乗せ、一路アテネへと向かいます。 けれども、ここで、父王アイゲウスとの大事な約束を忘れていました。見事ミノタウロスを倒した暁には、白い帆を船に揚げるようにと。

 遠くに船を見つけた父王アイゲウスは、はやる心で帆の色を確認します。それは、期待していた白ではなく、黒でした。
 そして、再会したばかりの息子を亡くした失意のうちに、アイゲウスは、海に身を投じるのです。
 それから、この海は、アイゲウスの名をとって、エーゲ海(Egeo)と呼ばれるようになったのでした。

 アテネのあるアティカの半島の先端は、スニオン岬と呼ばれます。ここには、紀元前6世紀頃に建てられた、ポセイドンへ捧げる神殿があります。
 ポセイドンとは、ゼウスの兄(弟)で、海の神。同じ海神ネレウスの娘を妻とし、海底の珊瑚の御殿に住んでいます。竜馬に二輪車をひかせて海の上を走れば、海の動物たちが喜んで傍らに集まり、三叉のほこを岩に突き刺せば、海は荒れ狂う。そのポセイドンは、馬をつくったので、陸では競馬の守り神ともなったそうです。

 なんでも、クレタ島の牛頭人身の怪物ミノタウロスは、ミノス王の后パシパエが、このポセイドンの送った牛と交わって生まれた怪物だとか。

 あるときは鏡のように穏やかで、あるときは強風で荒れ狂うエーゲ海。このエーゲ海には、神と人が生まれ、そして近しく営んできたのです。


追記:神話の詳細は、串田孫一氏著「ギリシャ神話」(筑摩書房)を参考にさせていただきました。


<ミコノス島>
 アテネから向かったのは、エーゲ海に浮かぶミコノス島。そこから、サントリーニ島、クレタ島と足を延ばします。

 アテネから空路わずか20分のミコノス島。降り立って驚いたのは、島の地形とか小ささとか、そんなことではありません。小さな祠(ほこら)みたいな教会が無数に存在するのです。特に、空港のまわりは人の住まない場所と見えて、飛行機は、この小さな祠の群れに着陸する感があります。
 さっそく出迎えた人に聞いてみると、この島には、実に700もの教会があるとか。わずか人口6千ほどの島に、それだけの教会があるとは。もしかすると、一族にひとつ教会を建てる習慣でもあったのかもしれません。
 アテネの人が、ミコノス島やサントリーニ島には珍しくカトリック教徒が多いと言っていましたが、気のせいか、祠はギリシャ正教というよりも、カトリック的でもあります。

 翌日、レンタルしたスクーターで島中を走り回りました。この島はもともと、やけに風が強くて、スクーターの向かい風は身を切るようです。けれども、端から端までわずか20分の島。車よりも、小回りのきくスクーターの方が便利なのです。

 ホテルのある海沿いから島の中心に向かうと、だんだんと民家が少なくなって、丘陵地帯に入ります。アノメラと呼ばれる地域です。そこには、いくつかの修道院が置かれていて、そのうちのひとつパナギア修道院に立ち寄りました。
 門の前に立つと、中庭に置かれたベンチで、神父さんがのんびりと日向ぼっこをしながら、観光客を眺めているのが見えます。ギリシャ正教なので、神父さんと言うべきなのかはよくわかりませんが、白いひげがお腹に達するくらいの、恰幅のいいお方です。 

 不思議なことに、わたしたちが門をくぐり、聖堂の玄関までたどり着くと、この神父さんはおもむろにベンチを立ち、先導するように聖堂の中に入っていきます。そして、連れ合いが中に入ると、まるで待ち望んでいた友を歓迎するかのように、しっかりと握手をしてくるのです。そして、わたしが続いて中に入ると、わたしの左のほほに、力強く2回口付けをしてくれました。この上ないほどに力強く。
 これには、わたしたち自身も驚きましたが、もっと驚いていたのは、傍にいた白人の観光客。どうしてこの東洋人たちは歓迎を受けるのだろうと、首をひねっていた様子。明らかに、正教徒などではないのに。
 そして、この神父さん、わたしたちが聖堂の中の見学を終わると、出口でもう一度かたく握手を交わし、別れのごあいさつをしてくれました。あちらは英語なんかわからないし、こちらはギリシャ語なんてわかりません。けれども、言葉を越えたごあいさつなのでした。 

 いまだに、たくさんいた観光客の中で、どうしてわたしたちだけに歓迎のあいさつをしてくれたのか不思議なのです。東洋人を遠来の客と思ったのならば、隣にいた中国人の家族にもあいさつをしてもよさそうなものです。
 それとも、わたしが修道院の門の前で、仰々しくヘルメットを脱ぎ胸に抱いていたからでしょうか。教会の中で帽子をかぶるのは失礼なので、自然と脱いだまでですが、神父さんには、それが好ましいしぐさに見えたのでしょうか。

  いずれにしても、神父さんの歓迎のおかげで、なにかしら暖かいものが胸の中に灯ったことは確かです。 それまでは、風が強くて、寒くて、ちょっとみじめな思いをしていたミコノス島ですが、この出来事のあとは、落ち着いて島を楽しむことができました。
 この島の目玉は、リゾートホテルのプライベートビーチと、迷路のようなミコノスタウン。地図を持っても必ず迷う街角の探索やショッピングは、大方の観光順路。
 けれども、わたしにとって印象深いのは、アノメラの丘陵。修道院のまわりには、古代の石壁やビザンチンの中世の城跡も静かに広がります。長い年月を経てまわりの自然に溶け込み、人のにおいをほとんど感じさせません。
 風と祈りの島、ミコノス。この島は、なんとなく沖縄の宮古島にも似ているな、そう思っていたのでした。
 



<エーゲ海でインターネット>

 2週間も旅をするとなると、インターネットアクセスは必需品となってきます。とくに、最近ソーシャルネットワーキングの仲間入りをしたので、毎日とはいわないまでも、友達に近況報告をしたくなってきます。「どっかで野垂れ死にしてるんじゃないか」などと心配をかけたくないですし。また、自分のウェブサイトにしたって、2週間もなしのつぶてで、放っておくわけにはいきません。
 そういった、ちょっとした脅迫観念にかられて、旅の報告をちょくちょく書いたりしていました。

 そういう点では、旅は順調に進んでいました。まず、サンフランシスコからフランクルフトに向かう飛行機の中で、インターネットに接続します。そして、ギリシャに向かっていることを友達にご報告。
 ルフトハンザ航空でしたが、ボーイングが提供するConnexionというサービスが利用できるようになっています。チーフパーサーの方が、30分タダのクーポンを2枚もくれたのでした。まあ、地上ほど速くはありませんが、目的は充分に達します。
 けれども、連れ合いがSkypeで通話し始めるやいなや、アテンダントが血相を変えて飛んで来るのです。航空機器に障害が出るので今すぐに止めろと。多分、他の人が利用しにくくなるので止めてくれということだったのかもしれませんが、ものすごい剣幕でした。

 ギリシャに到着すると、首都アテネでは、ビジネスマンがコンファランスに使うような大型ホテルだったので、部屋には無論ブロードバンドが完備されています。定額料金さえ払えば、一日中使いたい放題。でも、一日27ユーロ(約3700円)はちょっと高いです。

  4日間のアテネが終わり、ミコノス島へ移った頃から、状況が変わってきます。もともとミコノスはリゾート地。リゾートホテルには、意図的にブロードバンドを置かないのです。
 けれども、仕事が忘れられないワーカホリック達のために、最終手段は準備されています。ロビーの脇にビジネスセンターなる小部屋があり、ここだけには、ブロードバンドが設置されているのです。
 土曜だろうが、日曜だろうが、この部屋は大人気。ひとつしかないポートに人々が群がります。わたしが順番待ちをしていたのは、アメリカ人のティーンエイジャー。メールかチャットか知りませんが、没頭した彼女はなかなか出てきてくれません。母親も「早く出かけるわよ」と、プレッシャーをかけているのに。
 ようやく、"Sorry(ごめんなさ?い)"と出てきた彼女のあとで、準備しておいた短い報告を送ります。けれども、待っている間、ロビーに待機していたポーターが相手をしてくれたので、それなりに楽しいひとときではありました。さすがに彼は、プロフェッショナルなのです。

 エーゲ海三つ目の訪問地クレタ島では、ちょっと不便でした。各部屋のブロードバンドが不具合ということで、わざわざ遠く離れたロビーに出かけて行って、Wi-Fiを使うことになります。2時間6ユーロのアクセスカードを調達し、ちょっとだけアクセス。
 もともとこの立派なリゾートホテルには、36時間しか滞在しなかったので、そんなに自由時間もありませんでした。

 意外だったのが、エーゲ海二つ目に訪れたサントリーニ島。ミコノスやクレタで泊まったホテルのように立派ではありませんが、ここには、ブロードバンドが各部屋に完備され、なおかつタダ。他の場所ほど速くはない難はありますが、それでもロビーに出かけて行って、などという面倒くさいことがありません。

  このサントリーニ島、実際に訪れてみないと想像が難しいほど、人々はちょっと異常な場所に住んでいます。

 この島は、西側に人口が集中しているのですが、こちらは断崖絶壁。だから、岩の上に家を建てるというよりも、岩の中に横穴を掘って、その上にお印程度に屋根を付け、それを積み重ねていくような感じ。まさに人々は、岩壁に張り付くように、身を寄せ合いながら住んでいるのです。
 実際、わたしたちの部屋は、島一番の街フィラへ向かう遊歩道の真下。ときおり、行き交う人の足音や談笑が鈍く響きます。そして、バスルームは、岩穴のかなり奥まった部分。こんな中に、シャワーや水洗トイレが完備されていることさえ不思議なくらいです。朝、目を覚ますと、教会のコシック様式を思わせるような丸天井。なんだかエスキモーのイグルーにでもいるみたいです。
 そんな穴の中の生活にも、うまく工夫がなされているのです。たとえば、各部屋の通気がいいように、家の中にも小さな天窓が開いていたり、ベッドのマットレスを置くコンクリートの台には、通気抗が空けられたりしていました。通気坑がいったいどこへ向かっているのかは、覗いてみたけれどわかりませんでした。部屋には直射日光もなく、ワインの貯蔵などには、さぞかし最適なことでしょう。

 なんとなくひんやりとした湿気のある生活。そんな穴ぐら生活にブロードバンド。とってもちぐはぐな取り合わせではありますが、なかなか便利で快適な生活ではあるのです。

 そして、サントリーニは、絶対にもう一度行ってみたい場所なのです。断崖絶壁から望むエーゲ海と夕日。 沈む夕日に、現地でしか飲めない特産ワインを傾ければ、いやなことなんかどこかへ吹っ飛んでしまうのです。


後記:ギリシャ旅行の写真は、個人的なウェブサイトの方にも掲載しております。エッセイやフォトギャラリーのセクションにいくつか載せておりますので、興味がありましたら、ぜひこちらへどうぞ。
http://www.natsukijun.com/


夏来 潤(なつき じゅん)

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