ヨーロッパ旅行記:観光スポット以外のいろんなお話

2003年8月28日

Vol. 49
 

ヨーロッパ旅行記:観光スポット以外のいろんなお話


 スタミナがない、外食が嫌い、体の調子を崩しやすいと旅行嫌いの三拍子が揃っているのに、一所にいると、体がむずむずしてきます。そろそろ外に出て来る時期かと、8月にヨーロッパに行ってきました。ノルウェー、スウェーデン、スイスを訪ねる16日間の旅でした。
 ヨーロッパで印象に残ったことは、枚挙にいとまがないほどですが、今回は、できるだけ簡潔に、あれこれと綴ってみたいと思います。


<暑い夏>
 今回の旅の目的は、ドイツからスイスに引っ越し、かれこれ17年になる姉を訪ねることでした。彼女に会うのは、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカといつも他の国で、筆者がスイスに出向くのは、初めてのことです。ノルウェーを選んだのは、連れ合いの "フィヨルドが見たい!" という理由からで、スウェーデンはそのついでに選ばれました。ずれも初めての国なので、予備知識ゼロです。
 例年、ヨーロッパは異常気象に見舞われ、夏の間暑くなるのか、寒くなるのか、まったく予測ができない状況にあるそうですが、ご存知の通り、今年は暑い方に傾きました。お陰で、"フィヨルド見学用に" と持って行った毛糸のとっくりセーターも、ボストンバッグの肥やしとなってしまいました。 

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 8月になると北欧には秋の気配が忍び寄るということで、スイスの先にスカンディナヴィアを旅したわけですが、最初の目的地オスローに着くと、その明るい陽光と、ベンチや階段で日光浴を楽しむ若者たちにびっくりでした。
 着いた日は摂氏27度で、前の週は33度という日もあったというホテルの人の説明でした。夏とは言え、北欧がこんなに陽気な明るい場所なのかと、認識を新たにしました。

 ストックホルムに移った頃は、若干涼しくなっていましたが、柔道を愛するクロアチア出身のタクシー運転手が、子供たちから "エアコンを買って" とせがまれ困っているという話をしていました。
 今年は、北欧諸国でも電力の消費量が多く、猛暑に襲われたフランスに電力供給がしにくい状況に陥っているそうです。イタリアのトリノでは、250年来の暑さを記録し、ドイツでは、ごみの腐敗を防ぐため、ごみ収集車を朝5時から起動させたり、溶けやすい チョコレートの運搬を中止したりしたそうです。スイスでも、名高いマッターホルンを始めとして、氷河の後退が顕著なようで、地球の温暖化は確実に進んでいるのかもしれません。

 とは言え、筆者は旅行初日に風邪をひいてしまい、思った通りの展開となりました。オスローで泊まった老舗ホテルのエアコンが旧式で、絶えず流れる冷たい空気に夜間あたったのが原因です。老舗のホテルに泊まるのも考え物のようではあります。
 

<テクノロジー>
 北欧と言うと、さぞかし携帯電話文化が進んでいるのだろうと期待して行きましたが、筆者が感じる限り、これと言って驚くことはありませんでした。勿論、携帯電話の普及率はかなり高いのですが、使い方はごく普通で、携帯一個で何でもOKという段階には達していません。携帯内蔵のデジカメも、あまり普及してはいないようです。
 けれども、あちらでもテキストメッセージは大流行のようで、電車を待っている真面目風なパイロットが、しかめっ面でメッセージを打っているのには、笑ってしまいました。ヴァイキングの子孫の大きな指では、さぞかし打ちにくいのでしょう。

 携帯の機種としては、スウェーデンでは予想通り、地元のEricsson(エリクソン)ブランドが幅を利かせているようでした。ストックホルムにある有名なグランドホテルのロビーでは、時代がかったショーケースの中に、宝飾品の代わりにEricssonの各種モデルが鎮座していて、ちょっと滑稽に見えました。"おらが村の何とか" といった感じです。
 一方、ノルウェーでは、フィンランドを本拠とするNokia(ノキア)の方が主流のようで、やはり、スウェーデン以外の北欧諸国では、Nokiaの勝ちとなっているようです。まったく知りませんでしたが、1967年に設立されたNokiaは、製紙と電気ケーブルやタイヤ製造で大きくなった会社だそうですね。Nokiaブランドの衛星テレビアンテナをたくさん見かけましたが、携帯以外にもノウハウは持っていたのですね。

 ちょっと驚いたのは、ストックホルムで乗った電車が長いトンネルに入っても、通話がまったく途切れることがなかったことでしょうか。その点は、さすがに充実しているようです。車内での携帯使用も禁止ではないようです。

 電車と言えば、ストックホルムの空港から市内に向かう電車が、発車して間もなく、トンネルの中で止まるというアクシデントがありました。電気系統の問題だったようですが、電源を一旦シャットオフし、真っ暗になった状態で再度立ち上げ、事無きを得ました。
 "電車のリブート" など前代未聞ですが、問題が起きた際のアナウンスも既に録音されたもので、ちゃんとスウェーデン語と英語で流れたのには苦笑いでした。電車のトラブルはかなり頻繁に起きるものなのかもしれませんが、筆者の頭の中では、重い荷物を引き摺り、暗いトンネルを380メートル出口方面に向かい、さらに炎天下に次の駅へと歩いて行く構図が浮かんでいました。
 そうしてたどり着いたホテルは、最近内装工事を済ませた、モダンなビジネス系ホテルでしたが、翌朝シャワーを浴びて驚きました。浴槽に溜まった水が、バスルームの3分の1ほどにあふれているのです。浴槽の排水パイプを通り、排水溝に流れきれない水が床にあふれる構造になっているのです。
 もともとそういう設計だったようですが、衛生上問題があるし、利用者への配慮に欠けると、ちょっと憤慨でした。こんなメンタリティーでハイテク製品を作ってほしくないなと、痛感した次第です。

DSC01252.jpg 電車といい、バスルームといい、スウェーデンは好ましい印象でスタートしたわけではありませんが、北欧の名誉回復のために一言。大小14の島に広がる、水の都ストックホルムは、世界の首都の中で最も美しいと言われるだけのことはあります。博物館や美術館、公園なども驚くほど充実していて、文化的な面も併せ持っています。
 また、ノルウェーが生んだムンクの、かの有名な "叫び" を展示するオスローの国立美術館は、入場無料の上に、写真撮り放題と、太っ腹なところを見せています。
 北欧ではきっと、人がおおらかで、細かいことに頓着しないのかもしれませんね。 



<言語と人>
 今度の旅でちょっと驚いたのは、北欧ではどこでも英語が通じることでした。こちらが外国人と見ると、何の違和感もなく、英語で話しかけてきます。現地の言葉など、あいさつ程度も知らないのに、そんな非礼は気にもしないといった感じでした。
 いつかホテルの朝食で、旅行予約のWebサイトTravelocityの競合とおぼしき、アメリカ人ビジネスマン三人組と隣り合わせましたが、彼らのひとりが仲間とこんな話をしていました。あるスウェーデン人の英語の発音がとても流暢で、アメリカの俗語などもよく使うので、どこで習ったのかと尋ねると、テレビで頻繁に流れるハリウッド映画で学んだと答えたそうです。このビジネスマンにとっては、妙に砕けた英語の会話が、奇異に写ったようでしたが、筆者が観光で接した範囲では、全般的に発音も良く、きちんとした印象を受けました。
 街中では、いろんな表示も現地語と英語、両方でしてあるので、迷うこともあまりありませんでした。また、英語圏外の観光客も、皆英語を使うことになるので、やはり英語は世界の公用語かと感心していました。

 ところが、一転して、スイスに移動した後、言葉がわからないのには苦労しました。姉がバーゼル空港まで迎えに来てくれていたし、スイスでの行動は常に一緒だったので、にっちもさっちも行かないということはありませんでしたが、言葉がわからない不安は、いつも付きまといます。

DSC01427.jpg  スイス北端のバーゼルは、フランスとドイツとの国境近くに位置するので、空港はスイス側とフランス側に分かれ、市内に向かう空港バスも、柵に仕切られたフランス領を通ります。姉も時々、自転車でフランスにあるレストランに食べに行くのだとか。
 逆側のドイツ国境近くになると、今度はドイツ鉄道の駅が現れ、そこから乗る先はドイツ領となります。
 そんな立地条件から、ドイツ語圏のバーゼルでは、ドイツ語とフランス語の両方を話せる人が多いようです。スイス鉄道の車掌さんになると、更にもうひとつの公用語のイタリア語、そして英語も必須となるそうです(スイス第四の公用語、レト・ロマン語を話す人は、国民のごく一部です)。
  バーゼルからは列車でスイスを縦断し、マッターホルンを望む、標高1600メートルのツェルマットに向かったのですが、高山病にかかりやすい筆者は、到着直後に、小型酸素ボンベを購入しなければなりませんでした。
 その使用説明書もドイツ語、フランス語、イタリア語でしか書かれていなかったので、姉がいなければ、"鼻から2秒吸い込み、3、4秒待ち、2秒で吐き出し、また3、4秒待つ" といった正しい使用方法もわからなかったことでしょう(8リットル入り、約2千円の銀のボトルは、まさに救世主でした。道行く人にはジロジロ見られましたが)。

DSC01547.jpg 時代の流れには勝てず、北欧もスイスも、ヨーロッパ以外の地域からの人の流入が増えています。たとえば、スウェーデンでは、1960年代からトルコ人やパキスタン人の労働者が入り始め、1980年代になると、更に中近東のイスラム教国からの移民も増えました。
 今となっては、イスラム教は国で二番目の宗教となり、ストックホルムにもモスクがいくつか存在します。そんな中、スウェーデンの国会では、移民か移民の子が占める議席が28となっているそうです。
 スイスでも、昔から隣国ドイツ、フランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国からの移入が多かったわけですが、近年トルコなどのイスラム教国や、アフリカからの移民を受け入れており、人種構成も複雑化する過程にあります。現在、スイス人口の4分の3ほどは、いずれの国からの移民とその子孫に分類されるということです。
 とは言うものの、筆者は、特に北欧では白人種以外の住民をほとんど見かけず、やはりアメリカほど人種が混ざってはいないことを痛感しました。スイスでも、黒人種やアジア系は数少なく、バーゼルほどの都市でも、日本人は目立つ存在でした。ともすると保守的とされるスイスでは、外国からの移民を受け入れまいとする動きも見られるようです。

 保守的と言えば、姉が12年前に結婚する時、バーゼルの役場に、"この者たちふたりは結婚するが、異論がある者は申し出るように" といった張り紙が出され、8週間の掲示期間の後、初めて結婚が正式に受理されたという話がありました(今はもう、その制度はなくなったようですが)。
 数年前までは、女性に参政権のなかった県(kanton)もあったそうで、精密機械の進んだイメージとは裏腹に、大きな時代錯誤があったようです(そういった地域では、男性住民が屋外の議場に集い、挙手のもと村の重要事項が決定されたようです。女性はと言えば、家で男どものために料理を作るのが当たり前となっていたとか)。
 女性の進出と、社会の自由度という点では、北欧とスイスは好対照なのかもしれません。北欧では、同性のカップルをよく見かけましたし、ストックホルムの市議会では、女性議員が101人中53人と、過半数を占めています。


<物価>
 今回の三ヶ国の旅は、考えてみると、世界中で最も物価の高い場所をピンポイントして行ったようなものでした。お陰で財布の中身はからっぽです。何が高いって、税金やらサービス料が何もかも値段に含まれていて、レストランで食べるのも、水を買うのも一様に高いです。ノルウェーみやげのセーターを買ったら、出国時に、買い値の13パーセントも戻ってきました。きっと、税金がすべからく相当に高いのでしょう。
 ノルウェーの列車で出会った、シアトル在住のオーボエ奏者曰く、"私の大好きなスイスが、世の中で一番物が高いと思っていたけれど、今回スウェーデンに2週間いて痛感したわ。北欧の方がもっと高いって。"

DSC00942.jpg アメリカに戻ってきた翌日、ニュースで知りましたが、オスローは今や、世界で一番物価が高い都市となっているそうです(UBS銀行の発表。二位は香港、三位は東京)。
 道理で、オスローでは、水のボトルが20クローネ(約2.6ドル、307円)、マクドナルドのハンバーガーが19クローネ(約2.5ドル、290円)といった値段が、公然と成り立つわけです。
 ノルウェーは国が豊かなため、EU(ヨーロッパ連合)にも加入していません。まさに、スウェーデンの上を行くわけです。いや、恐れ入りました。



<歴史>
 ヨーロッパの歴史など何も知らないに等しい筆者が言うのもおこがましいですが、ヨーロッパはどの国に行っても、歴史の重みと伝統を感じます。
 オスローから鉄道、フェリー、バスを乗り継ぎ訪ねた、フィヨルドの街ベルゲンにも、DSC01180.jpgユネスコの世界遺産に登録される木造りの家並みが、港に面して残ります。ベルゲンは、12、3世紀にはノルウェーの首都として繁栄した所で、14世紀にはハンザ同盟にも加わり、ドイツの商人たちが貿易基地として商館を置いた街です。

 港近くの旧市街はブリッゲン地区と呼ばれ、ここに小さな博物館があります(ブリッゲンとは、埠頭を意味します)。12世紀中期の建物跡の発掘現場に建てられたもので、当時の生活ぶりを伝える興味深い展示があります。

 ブリッゲンでは、13世紀の後半には、ホーコン王が石造りの壮大な宮殿を建てていたわけですが、庶民の方は、二階建ての木造りの長屋に住み、ここに間借りする独り者や使用人も多かったようです。当然のことながら、上水、下水施設などの基本的な衛生設備は不十分で、ひとたび赤痢、天然痘、ハンセン病などが起きると、次々と広がっていったようです。
 子供の頃に命を落とすことも多く、ゆえに平均寿命となると、20-30歳だったと考えられています。けれども、中には40歳、50歳に達する人たちもいたようです。

 そういう比較的長生きだった人の中に、ある女性がいました。彼女は、当時の多くの女性がそうだったように、織物を編む仕事を生業としていたようですが、博物館に展示された彼女の骨盤を見て驚きました。骨盤には、座骨部分に大腿骨を入れるソケット(acetabulum)があるのですが、ここは通常、滑りがいいようにスムーズな表面になっています。が、彼女の場合は、関節炎のためか、ボツボツとソケット中に小さな突起ができているのです。
 背丈ほどの垂直の織り機を使う立ち仕事から、手も足もひどい関節炎になっていたと思われますが、これでは神経を刺激し、さぞかし痛かっただろうと、時代を越え、同情するしかありませんでした。

 ヨーロッパでは古来、ペストの流行など、当時の医学ではどうしようもない病気がはびこっていたわけですが、そういった重病から逃れたにしても、健康に不安を抱える人たちはたくさんいたようです。ブリッゲン博物館に特別展示してある無名の人たちの骨を見て、現代に生きていてよかったと実感した次第です。


<後記>
 牛たちの首に下げられた、カウベルのカランコロンというのどかな音や、寝るときにうるさくて窓も開けられず、うらめしかった15分置きの教会の鐘も、今となってはなつかしいものとなりました。あんなに訳もわからなかったドイツ語にも、ちょっとは耳が慣れたらしく、アメリカに戻って来ると、やけに数字が聞き取り辛かったです。
 今はいっぱしのヨーロッパ通の気分で、旅のアドヴァイスもたくさんです。ノルウェーでは、ベルゲンからオスローへの帰路、フィヨルドを上から眺める30分の空路もお勧めですし、スイスで食べ過ぎたと思ったら、現地の養命酒、Appenzeller(アッペンツェラー)を飲みましょう。

 カリフォルニア州知事のリコール戦に映画俳優が出馬したことは、アメリカから遠く離れたベルゲンの地で知りましたが、これほどカリフォルニアが奇異に写ったことはありませんでした。やはり、筆者の家の夢となっている12ヶ月で12ヶ国のヨーロッパ滞在を、いつか果たしてみたいものです!


夏来 潤(なつき じゅん)

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