死者の日:メキシコから来たお盆

2001年11月14日

Vol. 26

死者の日:メキシコから来たお盆

  
 先日11月1日と2日は、メキシコで伝統的に祝われている"死者の日(スペイン語でLos Dias de Los Muertos)" でした。ちょうど日本のお盆のような祭日で、この間、死者を暖かく迎え、もてなし、手厚くお送りするという一連の行事が行なわれます。

 まず、10月31日の深夜、子供達の魂がこの世に戻り始め、翌日、大人達が戻ってきます。そして、この世に残した家族と楽しい食事の時間を過ごし、11月2日に自分達の世界に戻って行くと信じられているのです(メキシコの伝統的思想では、人は死後も現世の姿形や職業をそのまま持ち続けると考えられており、家族の元に戻った時も、すぐに誰だか見分けがつくのだとされています)。
 メキシコで始められたこの習慣も、メキシコ系移民の増加に伴い、アメリカでも徐々に知名度を得ているようです。最近は、住民の3分の1がラテン系というカリフォルニアでは、死者を迎える仮設祭壇を設けるカトリック教会まで出ています。

 もともとこの祭日は、古代アステカ歴の10番目の月、"死者の小祝宴" に由来します。グレゴリオ歴で言うと7月末から8月初旬に当たり、死の女神が司り、子供と死者に捧げられる期間とされています(死者を尊び、祖先から子孫へと生命の存続を祝う意味があります)。
 1521年、アステカ王国の首都テノチティトランが征服された直後、カトリックの神父達がメキシコでの布教を始めました。その古来の信仰とキリスト教との融合化の過程で、11月1日のカトリックの祭日、"万聖節(諸聖徒・殉教者の霊を祭る日)" と、その翌日の "万霊節(信者の霊を祭る日)" に合わせて、"死者の日" は11月の初めに移されました(この習慣は、必ずしもアステカの文化を受け継ぐ住民だけのお祝いではなく、メキシコ南部に先住するマヤ系や、その他の住民にも広がっているようです)。

 Silicon Valley Nowのシリーズ第一弾、"ハロウィーン" でちょっと紹介しましたが、この万聖節の前夜がEve of All Hallows(Hallow'e'en)となり、異教徒ケルト人の習慣がハロウィーンに変身しました。メキシコにルーツを持つ "死者の日" も、カトリックの静粛な祭日と言うよりも、ハロウィーンのように、古来の伝統を保ちつつ、なおかつ楽しい祝日のようです。
 まず、お墓は、大小を問わず、きれいに磨き上げられ、黄色やオレンジ色の花で飾られます(アステカの昔、"四百の命の花" と呼ばれていたマリーゴールドや、菊などの鮮明な色彩が使われます)。そして、亡くなった家族が好きだったご馳走を並べます。また、お墓の脇で一晩中バンド演奏を続け、死者をにぎにぎしく迎える家族もあるようです。普段は頻繁に会えない親戚が一同に会し、思い出話に花を咲かせるのも、墓地でのご近所さんと親しくなれるのも、このファミリー・ピクニックのお陰です。街ではパレードが行なわれ、ブラスバンドの演奏や、着飾った少女の騎馬行進でムードを盛り上げます。
 家では祭壇が設けられ、生前の写真、花、好物の料理やテキーラなどが捧げられます。渇きを癒す水、お腹を満たすパン、食べ物の味付けと清めのための塩は、祭壇に欠かしてはいけないものです。他界した家族を表すろうそくが一晩中灯され、邪鬼を追い払うため、アステカの頃から神に捧げられていた香が薫かれます。祭壇や香は、死者の魂を迷わず家に導く役目も果します。
 元来、この祝日は死をモチーフとしているので、砂糖でできた骸骨や頭蓋骨を祭壇に飾ったり、家族や友達に贈ったりします。骸骨に自分の名前が書かれていたりすると、喜びも倍増です。伝統的な慣習を保つ地域ほど、死者との祝宴は豪勢になり、都市部などでは、簡単に済ます意味で、骨のクロス模様の付いたパンを買って来て、それでお祝いする所もあるようです(この丸いパンの中に隠される、プラスティックの骸骨に噛り付いた人には、幸運が訪れるとされています)。

 今年の死者の日は、一部のメキシコ人やメキシコ系アメリカ人にとって、異例な日となりました。それは、去る9月11日に米国東海岸を襲ったテロ攻撃に起因しています。事件当時、被害者のほとんどが出たニューヨークの世界貿易センターでは、たくさんのメキシコ人が働いていました。メキシコ政府によると、公称18人とされていますが、不法移民を入れると、何百にものぼる人達が命を失ったと言われています。ところが、犠牲者の遺体は、大多数が回収不能だと考えられています。
 けれども、メキシコ人にとって、遺体を受け取り、手厚く葬ることは、亡くなった人の "完全な死" を意味します。その段階なしでは、他界した人の人生が完結しないし、残された人の心は、穏やかにはなれません(メキシコの伝統では、人は三つの死を経験すると言います:一つめは、肉体的な死、二つめは、地中への埋葬、母なる大地への回帰、三つめは、死者を思い出す人が現世からいなくなり、この世との繋がりを絶った時。死者の日とは、二つめの死を迎えた大切な家族を思い出し、彼らがまだ魂としてこの世に繋がりを持つことを知らしめる、重要な行事なのです)。

 今回のテロ事件で、"二つめの死" を経験できない犠牲者の家族のために、メキシコやニューヨークでは、死者の日に合わせ、さまざまな援助活動が行なわれました。ニューヨークでは、メキシコ系移民援助団体のネットワークが、オフィスに豪華な祭壇を設け、行方不明者の家族を招きました。メキシコ・シティーでは、ある一家が、アメリカ大使館の近くに死者の祭壇を寄付しました。先に孫達がニューヨークで出会った消防士達のほとんどが、貿易センタービルで殉死してしまった事を知ったからです。祭壇には、メキシコ人の犠牲者だけではなく、これらアメリカ人の消防士も祭られました。
 また、メキシコ政府は、ニューヨークで犠牲になったと確認されている人の家族を被災地に招き、追悼式に出席するだけでなく、貿易センターの焦土を持ち帰るという計らいをしました。この土は、先祖とともに家族の墓地に埋葬され、これから毎年11月に、残された家族が訪れてくれるようです。

 けれども、不幸な事に、多くの犠牲者の家族は、自分達自身も不法移民であるため、米国移民局の摘発を恐れ、正式に名乗りを上げていないようです。不法滞在し、ビルの清掃や食べ物の配達などに携わっていた行方不明者は、どのリストからも漏れ、身元確認の対象にはなっていないようです。現在、アメリカでは、人口の8分の1がラテン系となっていますが、そのうち6割は、メキシコからの移民とその子孫で占められます。ただし、これはあくまでも国勢調査の結果で、数に表われない不法移民は、アメリカ中で推定7百万人とされます(最新の2000年の国勢調査では、アメリカの人口は約2億8千2百万人と発表されています)。
 その不法移民の大部分は、近年の好景気に誘われ、メキシコや中米から国境を渡って来たとされています。行き着く先は、大都会が多く、多国籍のニューヨークも絶好の働き先となっていたようです。そういった中で、いったいどれくらいの人が新天地アメリカで犠牲になってしまったのかは、誰にもわかっていません。でも、少なくとも、今年の死者の日は、事件に巻き込まれ、永遠に行方不明となってしまった人の家族を、若干でも慰める役目を果したようではあります。

 元来のケルトの伝統、ハロウィーンも、メキシコの慣習とカトリックが融合した死者の日も、あの世に行ってしまった人を思い出し、戻って来た魂と親しむという意味があります。日本のお盆もこれに似ていますが、人は死んでも、この世から完全に消えてしまうわけではない、というのが世界共通の考えのようです。
 メキシコの場合は、特に、生きる事は難しく、不確かな事とされていたので、時に救いともなる死と、子供の頃から慣れ親しんでおく必要があったようです。頭蓋骨のお菓子や切り紙細工が飾られ、子供達が骸骨のマリオネットと遊ぶ光景は、ちょっと異質な感じがしますが、死と遊び、ジョークの種とし、死を祝うことは、いつの日か訪れる後の世代へのバトンタッチを、ちょっとだけ予行演習しているだけなのかもしれません。


夏来 潤(なつき じゅん)

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