米国本土攻撃:シリコンバレーでの一日

2001年9月12日

Vol. 22

米国本土攻撃:シリコンバレーでの一日


 悪夢に何回もうなされた一夜が明け、二度目の攻撃がアメリカを襲っていないことに感謝しながら、翌日を迎えました。日本人にとっては大変抵抗がありますが、9月11日のテロ攻撃は、米国市民にとって、60年前の真珠湾攻撃を彷彿とさせる衝撃的なもので、それだけに、市民としての団結をいっそう強める出来事と言えます。
 また、今回の惨事は東海岸を襲ったものではありましたが、ハイジャック機が4機ともカリフォルニアに向かっていたため、ベイエリアでも犠牲者が出ています。そういう意味で、居住地に限らず、アメリカ全体が、自分達の事として悲しみを抱いているようです。

 西海岸の午前6時前に最初の惨事が起きた後、金融の中心地のひとつであるサンフランシスコでは、早々と、市庁舎、裁判所、連邦政府ビル、金融関係のビル(名物のトランズアメリカ・ピラミッドビル等)が閉鎖されることが決定されました。続いて、サンフランシスコ国際空港や市内のすべての学校も閉鎖されました。交通機関は平常通り運行しましたが、金融街から家路につく人達でごったがえし、一時は車が動かない状態だったようです。その後は、街はゴーストタウンとなってしまいました。州議事堂も閉鎖され、送電基地や水源地、ゴールデンゲイト・ブリッジなどの主な橋の警備が強化されました。

 ピア39、アルカトラス島などの観光地や、ベイエリアすべてのショッピング・モールも閉鎖され、オペラ、シンフォニーなどの催し物も延期となりました。メイジャー・リーグ野球は全米で延期され、少なくとも9月14日までは再開しません。1963年のケネディー大統領暗殺の二日後には、早々と試合を再開したフットボール・リーグも、今回ばかりは、週末の試合を決行するかは、まだ判断していません。

 デイビス・カリフォルニア州知事が、"今日は一日、家族と一緒に、家で静かに過ごしてください" と促したこともあり、シリコンバレーのエンジニアの間では、家で仕事をするように変更した人も多かったようです。ヒューレット・パッカード社では、重役以外はテレコミュート(在宅勤務)が指示されたようです。テクノロジー会社では、FBIと協力し、テロ活動に向け、システム強化を試みたようです。全米中の飛行場が閉鎖されたお陰で、出張先から戻れない人も続出し、一部の人は、レンタカーでの大陸横断を試みています。エンジニアの友とも言えるスターバックスも店を閉め、この日ばかりは、皆お好みのカフェイン飲料をあきらめました。テレビに釘付けになり、家で仕事が手につかなかったエンジニアも少なくないと思われます。

 アメリカ本土に向けたテロ活動は、かえってアメリカ人の愛国心や隣人愛をかき立てたようで、惨事の起きたマンハッタンに限らず、全米中で献血活動がすぐに始まりました。復興に向けた基金も設立され、募金活動も始まりました。また、夕方から各地の教会でミサが行なわれ、見ず知らずの犠牲者のため、冥福を祈る人達が集まりました。コミュニティーの仲間を思う心を、何かかたちのあるものにして表したい、ということのようです。ショッピング・モールや、ディズニーランドなどのレジャー施設が閉鎖されたのも、たくさんの人が集まる場所で、テロのターゲットとなり易いこともありますが、犠牲者を尊重するという意味もあるようです。生き埋めになっている人達の救助活動が行なわれている時に、自分達だけが楽しむのは不謹慎だ、という気もあります。

 でも、中には不謹慎そのものと言える人もいて、eBayやYahooのオークション・サイトには、世界貿易センターに飛行機が突っ込むビデオテープや、崩壊したビルの破片をオークションにかける人が続出したそうです。さすがに、両社とも、すぐにそういった品物は、サイトから排除したそうです。また、オクラホマ州などでは、ガソリンの値段が急騰し、1ガロン5ドルと、2倍以上に跳ねあがったそうです。皆がガソリンスタンドに殺到し、供給が間に合わないという理由だそうですが、それも怪しいものです。レンタカーで家路を急ぐビジネスマンを相手に、レンタル料を2倍に吊り上げた会社もあるそうです。ロスアンジェルス空港では、レンタカー自体が一台もなくなったそうで、数倍高くても払う、というお客もいたのかもしれません。でも、こういった人の足元を見た行為は、あくまでも例外のようですし、いつまでも続くことはないようです。

 一夜明け、救助活動が引き続き行なわれているマンハッタンや首都近郊以外は、静かな一日となりました。カリフォルニアでも、さっそくオフィスや学校に戻ったり、店を開けたりと、平常通りとなりました。でも、さすがに皆表情も硬く、あまり笑い声も起きない雰囲気のようです。何となく、皆で喪に服しているようでもあります。

 シリコンバレーの会社の中にも、犠牲者が出た会社がありました。サン・マイクロシステムズでは、貿易センターでの雇用者は皆無事でしたが、センターに激突した飛行機で、ひとりを失ったそうです。シスコ・システムズでもひとりを失い、今後の救助・復興活動のため、7億円を寄付しました。
 また、ペースメーカーなどを作る医療会社では、重役のひとりが、サンフランシスコへ向かう途中、命を失いました。正義感の強い彼は、奥さんとの携帯電話で、一時間前に起こった貿易センターでのふたつの惨事を知り、他の数人と協議した結果、ハイジャッカーを襲うことにしたらしいです。それを知らせた4回目の会話の後間もなく、ピッツバーグ郊外に飛行機は墜落しました。彼らの決断がなければ、ホワイトハウスもまた、炎上していたのかもしれません。

 今回の惨事では、国籍を問わず、世界貿易センター、国防総省、またはピッツバーグ郊外で犠牲になった方をご存じの方もいらっしゃるかと思います。心からご冥福をお祈りいたします。

夏来 潤

ページトップへ