住宅事情(パート2):買いたくても買えない

2001年2月 2日

Vol. 7

住宅事情(パート2):買いたくても買えない


 前回に引き続き、シリコンバレーの住宅事情のお話です。

 "マイホームは一生の夢" というのは万国共通のことのようで、家を持つことは、アメリカンドリームの重要な要素となっています。アメリカの事情が日本とちょっと違うところは、ひとつの家にこだわらず、ライフスタイルが変わったら住み替える、ということのようです。
 たとえば、子供の数が増えたら、より広い、庭付きの家に引っ越し、子供達が巣立ち定年を迎えたら、手のかからない、小さめの平屋かマンションに引っ越す。これが、伝統的な家の住み替えのスタイルと言えます。

 しかし、シリコンバレーでは、第一歩であるはずのひとつめの家が買えないという人が増加し、社会問題に発展しています。社会経済的な格差の激しいアメリカでは、収入の底辺層に位 置する人達には、どの地域にいても、家が高すぎて買えないということも勿論あります。しかし、他の地域だったら充分に家が買えそうな人でも、シリコンバレーではとても手が出ない、というのが実態です。  

 12月に発表された、カリフォルニア不動産協会の統計によると、シリコンバレーの中心地、サンタクララ郡(Santa Clara County)では、たった18パーセントの人しか平均的な家が買えない状態だそうです。前年は29パーセントの人が買えたそうで、事態の悪化が如実に統計に表れているようです。
 また、昨年末の状況を他と比較すると、カリフォルニア州全体では30パーセントの人が、全米で見ると54パーセントの人が普通 に家が買えたそうで、シリコンバレーの特異な現象がよくわかります。サンフランシスコ・サンノゼを中心とした、いわゆるベイエリア(the Bay Area)では、地域全体の中間値である46万ドルの家を買おうとすると、世帯年収は、13万ドル(約1430万円)必要だそうです。17パーセントの人達しか、これに当てはまりません。
[ 注: 統計に興味のある方のために、この指数はthe Home Affordability Indexと言い、20パーセントの頭金、統計時での30年住宅ローンの利子(2000年は約8パーセント)、固定資産税、保険等を想定し、どのくらいの世帯が、その年間世帯収入で、地域の平均的な家を買えるか(the median home price=中間値を払えるか)を計算したものです。]  

 シリコンバレーに限らず、ベイエリア全体で若干17パーセントの人しか家が買えない状況とすると、それでは、残りの8割強の人はどうすればいいのか? そのことが、行政を含めた地域社会全体の最重要課題になっています。立派に稼ぎがあっても、マンションや一軒家には手が出ない。日本のような "社宅" という概念が伝統的に存在しないアメリカでは、残る選択肢は、アパートを借りる、教会や福祉団体の各種施設でお世話になる、ホームレスになる、または、いっそ他の地域に引っ越してしまう、ということになります。  

 最後の選択肢に纏わり、気の毒な話をひとつ。サンフランシスコとサンノゼのちょうど中間地点に、サンカルロス(San Carlos)という街があり、ここの市長は、28歳のインターネット関連会社に籍を置く男性です。奥さんは、サンノゼ近郊で小学校の先生をしています。でも、共働きだったとしても、ここでは家が欲しくても買えない、とベイエリアで育ったふたりは以前から嘆いていました。
 そこで今回、思いきって市長を辞任し、州都サクラメントの郊外に引っ越し一戸建てを買う、と決心したそうです。彼の会社がちょうど近くに移転して来る、という好条件も働きました。それにしても、2003年末まで任期があるのに、2001年1月末ですっぱり辞任してしまうのか、とまわりは驚いてしまいました。本人達にとっては熟考の末の結論でしょうが、サンカルロス市民としては、同情半分、諦め半分というところではないでしょうか。

 しかし、大部分のベイエリアの住人にとって、長く住みなれた故郷とも言うべき土地を離れるのには大変抵抗があり、それは避けたいと考えます。特に、住民が日頃自慢しているように、気候、文化、地域社会等の点で住みやすい土地だったら、尚更のことです。また、当然のことながら、施設入居やホームレスというのは、普通 に会社勤めしている人達にとっては、何としても回避したい状況です。とすれば、残る方法は、賃貸物件を探すしかありません。
 しかし、それも慢性的な物件難が続き、見つけるのは至難の技です。ひとたび空きがでると、数十人で奪い合いの状態になります。また、民間人や業者が経営しているアパートでは、契約期間中であったとしても、維持費の高騰や市場とのバランスの名目で、賃貸料をどんどん吊り上げていく。そういう、借り手の足元を見たゆゆしき行為が、珍しくなくなっています。現入居者が逃げてしまっても、借り手はいくらでもいる、と貸す側は強気なのです。
 ちなみに、サンノゼ市では、1979年9月以前に建てられたアパートでは、年間に8パーセント以上賃貸料を上げてはいけない、という条例がありますが、シリコンバレーの大部分の都市では、まったく規制がないようです。  

 このような、にっちもさっちも行かない状況の中、事態を重く見た雇用者の中には、従業員の保護に乗り出したところもあります。低金利の定額住宅ローンを提供したり、住宅購入時の契約料や、アパートの賃貸料の一部を肩代わりしたりする会社が出てきたのです。
 また、直接自分達の従業員に補助を支給するだけでなく、サンタクララ郡の住宅基金(the Housing Trust of Santa Clara County)等の公的資金に寄付し、賃貸料の低いアパートの建設や、始めて家を買う人達のための低金利ローンに貢献する、といった幅広いアプローチを取る会社もいくつか現れてきました。

 たとえば、サンタクララ市に本社のあるインテル社(Intel Corp.)では、市の統合学区(the Santa Clara Unified School District)とジョイントベンチャーを設立し、学区内の先生達が家を買う手助けを始めました。月々のローン支払いを軽減するため、一人当たり毎月5百ドル(約5万5千円)づつ、5年間にわたり補助するというプログラムです。
 この仕掛けは、インテル社が1千万ドル(約11億円)の学区の公債を5年分割で購入し、毎年その購入金額を投資に廻し、それによって得た利子を先生達に分配するというものです。計画では、毎年、少なくとも10人から15人の先生に補助を支給できるということです。

 熟練した先生であっても、ハイテク産業の従業員に比べ低い給料で働いているので、先生達にとって、住宅事情はより深刻な問題です。サンタクララ郡の先生の平均年収は、3万7千ドル(約415万円)と言います。子供達の将来を握る優秀な先生達が、生活改善を望んで、郊外の学区や違う職業に逃げてしまったら、学校の質が低下する恐れがあります。また、卓越した人材を求めて、全米各地から先生を採用しようとしても、異常とも言える住宅事情を嫌って、誰も来てくれなくなります。

 そこで、サンタクララ市の統合学区でも、独自に、区内840人ほどの先生達に、救いの手を差し伸べ始めました。学校の跡地に40世帯のアパートを建て、これを安く貸し出すことにしたそうです。今はまだ計画段階ですが、2002年春には、抽選で当たった幸運な先生達が、格安の賃貸料で真新しい住処に入居できるそうです。これをお手本に、サンノゼ市やサンフランシスコ市でも、同種のアパートの建設が予定されています。  

 幼稚園から高校だけではなく、大学でも、優秀な教官が地域を去ってしまったり、新しい人材を全米から採用できなかったり、といった共通 の悩みを抱えています。そこで、大学の先生達が、地域社会に深く根を下ろし、安心して研究や教鞭に集中できるよう、ベイエリアのほとんどの大学が、公立、私立を問わず、何らかのプログラムを提供し始めています。おおまかに分類して、大学が持つアパートや集合住宅の安価での貸し出し、住宅手当の支給、民間アパート賃貸料の一部援助、住宅ローンの利子免除または援助、などがあるようです。

 一般的に、私立大学の方が公立よりも待遇が良く、たとえば全米屈指の私立、スタンフォード大学(Stanford University)では、数種のプログラムを提供し、向こう5年間で8千5百万ドル(約94億円)を使う計画だそうです。この中には、700戸のスタッフ用住宅の建設が含まれており、既存の職員住宅を倍増し、更に充実させる計画です。
 また、ユニークなプログラムとしては、教官が職員住宅を購入した場合、後に売却した利益を大学と半分ずつ分かち合うことを承諾するなら、無利子でローンを提供いたします、というのがあります。パロアルト(Palo Alto)に隣接した絶好の立地条件で、家の値段がどんどん上がっていく土地ならでは、の巧い計らいと言えます。

 また、私立に比べ少額ではありますが、州立大学各校でも、職員住宅の建設や金銭的援助など、公費の中、また限られた都市の敷地内で、できる限りの援助はしているようです。
 ちなみに、ベイエリアにある州立大学は、University of California系のバークレー校、サンタクルーズ校、医学校のサンフランシスコ校、そして、California State University系のサンノゼ州立、サンフランシスコ州立、州立ヘイワード、州立モントレー・ベイがあります。この中でも特に、サンフランシスコ・サンノゼの各校は、都市の立地による敷地の手狭さ、という深刻な悩みを抱えています。

 こういった、一連の教員援助プログラムは、単に金銭的な手助けに留まらず、特に駆け出しの教員にとって、勤めている学校や地域社会に暖かく歓迎されている、自分達も地域の学生・生徒達に充分還元していける、と実感できるきっかけともなるようです。そういった精神的な誘因は、公共の職場に限らず、民間企業にとっても、優秀な従業員を繋ぎ止めていく上でうまく働いているようです。それと同時に、転職が常識のアメリカではありますが、住宅に関する何らかの保護策を講じないと、シリコンバレー周辺では最初の1、2年すら従業員が居着いてくれない、という段階に来ているようです。

 最後に、おまけのこぼれ話をひとつ。シリコンバレー誕生の地(Birthplace of Silicon Valley)とも呼ばれ、カリフォルニア州の歴史文化財にもなっている、ヒューレット・パッカード社(Hewlett-Packard Co.)発祥のガレージが、昨年8月、HP社自身に買われたそうです。
 言うまでもなく、1938年、当時スタンフォード大学院生だったウィリアム・ヒューレットとデービッド・パッカードが538ドルで創設した会社がスタートした、パロアルトに位 置する車一台分のガレージですが、HP社は、これを170万ドル(約1億9千万円)で民間賃貸業者から購入したそうです。敷地内にある、パッカードが夫人のルシールと間借りしていた母屋と、ヒューレットが生活していた裏庭のコッテージもこの値段に含まれているそうです。売買時に住んでいた借り主は既に引っ越し、現在は空き家になっているようです。
 かの有名なガレージ(The Garage)は、1939年夏には会社として使われなくなり、その後車だけではなく、工作機械やボンゴなどもろもろのガラクタが歴代入っていたそうで、HP社が購入するまでは、"蜘蛛が嫌いな人は、決して入っては行けない開かずの間" だったそうです。また、ヒューレットとパッカード自身には、"価値のない掘っ立て小屋(a worthless shack)" だったとか。
 HP社は、近所迷惑になるとして、母屋を博物館にしたり、ガレージを一般 公開したりするプランはないそうですが、このガレージ購入のニュースが流れた途端、"空き家にしておくのはもったいないから、先生やお巡りさん、看護婦さんなど、困っている人を住まわせればいいじゃないか" という声が上がりました。未だに何に使うのかは耳にしませんが、一等地にある家を空き家にしておくのは、ちょっと、どころか非常にもったいない話ではあります。
 慈善家としても有名だったヒューレットとパッカードも、きっとこの提案に賛成していたのではないかと思います。

 さて、次回はシリーズ最終話として、シリコンバレーでの生活に窮している人達の住宅事情をお話します。


夏来 潤(なつき じゅん)

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