WebMDの苦悩:医療業界オンライン化(2)

2000年12月15日

Vol. 3

WebMDの苦悩:医療業界オンライン化(2)


 前回は、病院の側から医療現場のオンライン化についてほんの少し触れてみました。今回はそれより大きな視点に立って、業界全体の動向について、ひとつのスタートアップ会社の浮き沈みを通 して書いてみることにします。

 米国では分野に限らず、ビジネスのコンピュータ化が進んでいるので、どんな小さな病院でも会計管理、スケジュール管理などの効率化が図られています。ところが、それらはまだスタンドアローン(コンピュータ単体)の状態を脱しきれておらず、各病院と保険会社のやりとり、たとえば患者が本当に保険に入っているかの照会、診察・治療に対する保険会社からの認可、費用の払い戻し等の折衝は、まだ大部分ファックスや郵便など、書面で行われているようです。

 実はこれらの事務手続きには驚くほど多くの労力を使っており、米国の保険会社全体で、年間700億ドル(約7兆円)も費やされているという統計があります。もしこれら手作業の一部だけでもオンライン化すると、保険会社にとって実に多大な節約になると考えられています。病院側にも当然同じことが言え、ここに医療業界全体の無駄を省くという大事業、もしくはビジネスチャンスが控えていると、以前からいろいろな会社が改善を試みています。
 また、改善すべきことは何も保険会社と病院間の事務手続きばかりではなく、病院と患者、また保険会社と被保険者の間にもシステム化が求められています。たとえば、患者に関するカルテ、レントゲン写真、過去の病歴などの情報をオンライン化し、担当医の診療をやりやすくする。また、患者がいつでも自己の情報にアクセスし治療に自発的に参加できるようにしたり、病院を替わった場合、新しい病院が以前の病症の記録を自由に手に入れたり、と情報共有の場とする。
 一方、保険会社・団体では、病院、開業医、患者に対し治療や処方薬の補償範囲を明示したり、被保険者の健康を推進するため、医学情報提供や簡単な相談の窓口となったり、とオンラインの可能性は広がります。
 こういった自然発生的な要求からだけではなく、行政の点からも、1996年に制定されたHealth Insurance Portability and Accountability Actという、病院の患者への情報公開義務を定めた法律などが、医療業界におけるデジタル情報共有を目指したオンライン化に拍車をかけています。

 このような状況に生まれたWebMDという会社は、医療現場効率化の旗手としては代表的なひとつと言えます。この会社のWebサイトWebMD.comは、医療関係者や一般消費者に向け多岐にわたる医療・健康情報を無料で提供するポータルとして、DrKoop.comなどの類似サイトを大きく引き離し、常に医療分野一位の人気を保っています。
 今年2月には、最大のコンペでAOLなどとも提携していたOnHealth.comという健康情報サイトを買収し、医療関係のWebサイトとしてまず皆の頭に浮かぶのがWebMD.com、というくらいにまで知名度を確立しました。ひと月にこのサイトを訪れる数は、250万人と言われます。
 しかし、会社の事業内容はそればかりではなく、インターネットを利用した医療分野の効率化という大きな柱のもと、一般消費者、病院、開業医、保険会社をメンバーに持ち、病院と保険会社間の事務手続き改善、病院と患者間の情報共有などを目指して活動しています。

 OnHealth社買収以前からこの会社は複数の会社の集合体と言え、前身は、シリコンバレーに1995年に設立されたHealtheon社と、ジョージア州アトランタに本社のあるWebMD社でした。
 Healtheon社の創立者は、インターネットブームの立役者でありNetscape社の創始者のひとりでもある、ジム・クラークです。彼は元スタンフォード大学のエンジニアリング教授で、コンピュータ・グラフィックスのチップを開発し、映画ジュラシックパークの恐竜を映像上可能にした、Silicon Graphics社(現名称SGI社)の設立に寄与した人としても有名です。
 Healtheon社もWebMD社も、インターネット上での医療事務処理システムの構築と目指しているものは同じだったので、昨年5月に合併の運びとなりました。そして、今年2月には、最大のコンペであったニュージャージー州のMedical Managerという病院事務ソフトウェアの会社を買収し、その後ソフトウェア会社を中心として計12社の吸収合併を経て、医療分野のドットコム会社として確固たる地位 を手に入れました。名称もHealtheon/WebMD社からWebMD社とし、単一性を強調させるものにしました。

 しかし、新生WebMD社としての事業実績は必ずしも芳しくなく、役員だったジム・クラークの退陣、全米で6100人いる従業員の中から1100人を解雇し221箇所のオフィスのうち65箇所を閉鎖するという発表、また11月中旬に報道された予想以上に大きかった第3四半期の赤字、と悪いニュースが続きました。業績不振の理由は、立て続けに行われた吸収合併による財政的負担や組織再編成の難しさにもあるようです。
 けれども、そればかりではなく、医療事務オンライン化を浸透させる上での業界の敷居の高さも指摘されています。

 これまでWebMD社は、インターネットを媒体として、現状の種種雑多な診療に纏わる事務手続きのフォーマットを業種を超えて統一化し、医療分野全体の効率化やそれに伴う業績向上をうたってきました。しかしこれがかえって、病院・個人開業医の現場や多くの事務処理をかかえる保険会社から、今まで使い慣れていたシステムと違う未知のもの、新たな設備投資を生むもの、また事務関係の職を脅かすものとして煙たがられ、推奨するアーキテクチャ(基本概念)がなかなか広まらなかった、という厳しい現実に直面 せざるを得なかったようです。
 現CEOのマーティー・ワイゴッドによると、今年第3四半期に医療分野で行われた5億ほどのコンピュータ事務処理のうち、インターネットを介しておこなわれたものは、わずか1400万件のみだったという状況です。
 これではWebMD社にとって朗報とは到底言えず、今後はインターネットにこだわらず、既に広く医療分野に受け入れられている旧来のデータ交換システム(今年1月に買収したEnvoy社のもの)を前面に押し出してマーケットシェアを獲得し、これを基に更なるオンライン効率化を推進する、とワイゴットは経営方針転換を発表しています。これだと既に、全米4500の病院、25万の開業医、900の保険会社にバックエンドのシステムとして受け入れられているという実績があり、ユーザー開拓を一からやり直す必要がありません。また、ユーザーに目新しいテクノロジーとして鼻から嫌われる心配も少なくなります。
 度重なる吸収合併に労力を取られ、新生WebMD社として目的の遂行にかなりの支障があったわけですが、試行錯誤の末、今後の経営課題は明確になり、あとはそれに向かって実行という段階まで漕ぎ着けたようです。

 しかし、業界の敷居の高さ、風当たりの強さは、何もWebMD社自体の経営方針の甘さのみに起因しているわけではなく、新しい会社が既に確立された業界に参入し、今までのやり方や常識を変更しようとすると必ずぶつかる障壁でもあるようです。新参者はなかなか仲間として受け入れてもらえないのです。
 11月中旬に発表されたニュースによると、米国内医療保険会社の最大手7社(Aetna、Cigna、PacifiCare他)が、医療事務サービスのジョイント・ベンチャーを設立したのです。
 MedUniteと呼ばれるこの新システムは、まさにWebMD社が提唱してきたように、インターネットによって保険会社と病院・開業医間の照会・会計事務処理の簡略化を実現しようとするものです。医局だけではなく、処方箋薬局や各種検査室の事務処理もカバーされ、これにより今まで何週間もかかっていた保険会社からの払い戻しが、数日でできるようになる、というメリットがあります。
 しかも、被保険者には何の手続き変更や負担もないし、既存の関連ビジネス(たとえば医療・健康商品の小売業や宣伝で収入を稼ぐ医療情報Webサイト)を脅かす心配もないので受け入れられやすい。また、サービスに参加するとしている大手保険会社7社は既に合計6千万人の患者数を確保している、とWebMD社には脅威とも取れる内容です。
 今までWebMD社のようなインターネット関連スタートアップ会社達が苦労して新しいシステムを売り込みに行っていた先の大手保険会社達は、実は陰で独自の仕組みを立ち上げようとしていたわけです。

 MedUniteの実現は早くとも来年6月からという計画ですが、実現が多少後手に廻っても業界大手が数やコネにものを言わせて勝つのか、それとも先発隊のWebMD社が今までの実績を踏まえて善戦するのか、医療業界オンライン前線は、今後活動が更に活発化するようです。

 先日WebMD社退陣後初めてマスコミのインタビューに応じたジム・クラークは、San Jose Mercury紙上、こう回顧していました。"僕達は業界に精通していないという点で、少しうぶだったのかもしれない。医療業界は驚くほど政治が物を言う世界だった。僕はもう二度とこの分野にはチャレンジしないだろう。"
 また、カリフォルニア大学バークレー校のビジネス・スクールの学生たちに向け、こうも語ったそうです。"これからビジネスの世界に飛び出していく君達に贈れる教訓は、非能率的に見えるすごく大きな業界があっても、それが必ずしもビジネスとして狙うべき最適分野であるとは限らない、ということだ。"
 インターネットの立役者として尊敬を集めるクラークにとって、WebMD社での過程は "長い、辛い道のりだった" そうです。しかし、これに懲りることなく、今後は遺伝子リサーチやデジタル写真分野などのテクノロジー・スタートアップ会社に対して、相談相手やベンチャー・キャピタルとして務めていきたいということでした。

 ジム・クラークを欠いたWebMD社の今後の活躍振りは、シリコンバレーのスタートアップから大きく発展していった会社のひとつとして注目に値します。また、保守的とも言える巨人、医療業界を相手に、どこまで改革の旗手たり得るのか、彼らのビジネスは新たな段階に突入しているようです。


夏来 潤(なつき じゅん)

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