Silicon Valley NOW シリコンバレーナウ
2020年12月25日

「シリコンバレーナウ」最終回:20年分のありがとう!

Vol. 239



<シリコンバレーにさようなら>

2000年12月にスタートした、こちらの『シリコンバレーナウ』シリーズ。今月で満20周年を迎えました。

そして、突然ではありますが、今月が最終回となります。書いている本人としては、さすがに愛着がありますが、長年にわたるアメリカ生活に終止符を打ち、日本に戻るため、続けられなくなったのでした。

いえ、べつに新型コロナウイルスが怖くて、アメリカを逃げ出すわけではありません。すでに一年前から日本の「移住先」も決まっていて、そのために住み慣れたサンノゼ市の自宅を売ったり、サンフランシスコ市の小さなマンションに引っ越したりと、着々と準備をしてきたのでした(こちらは、西側上空から眺めたサンフランシスコ市)。

 

思い返せば、この20年の間『シリコンバレーナウ』のスポンサーを続けてくださった方からは、いつもこんな風にご紹介いただいておりました。

テクノロジーなんかの小難しいことは、いろんなニュースサイトで詳細に紹介されているけれど、シリコンバレーに住む人たちがどんな風に暮らしていたり、どんなことを考えたりしているかは、実際に現地に住んでいる人間にしかわからない。だから、住民の視点でざっくばらんにシリコンバレーという土地を紹介しているシリーズなんです、と。

そして、いつも引き合いに出されるのが、記念すべきシリーズ第一話「ハロウィーン:Trick or Treatの社会学」。その頃は、日本には広まっていなかったハロウィーンの習慣をお伝えしようと、ハロウィーンの成り立ちとともに、今は亡きアップルの共同創設者スティーヴ・ジョブスさんや、元サンフランシスコ49ersの名クウォーターバック、スティーヴ・ヤングさんの家ではどんな対応をなさっていたかを紹介したもの。

書いている本人にとっては、他に力作はいくらでもあるものの、たぶん、その後の20年、この第一話ほど面白く感じられたものはなかった、ということなんでしょう・・・。



そして、わたし自身が『シリコンバレーナウ』をご紹介してみると、「あ〜、あの時々旅行記を書いているやつですね」と反応が返ってくることもありました。本人にとっては、旅行記以外に記憶に残らないのかな? と複雑な気分ですが、シリコンバレーをご紹介するはずのコーナーにヨーロッパや日本を旅する話が出てくるのも変な話ではあります。

そこで、今回は最終回ということで、地元をご紹介してみましょう。



わたし自身は、40年前に初めてサンフランシスコにやって来て、25年前には「シリコンバレーの首都」と自負するサンノゼ市に引っ越して来ました。ですから、通算32年のアメリカ生活の中で、サンノゼ市に暮らした年数が一番長いということになります。

けれども、サンノゼ(San Jose)と聞くと、ディオンヌ・ウォーウィックのポピュラーソング『サンホゼへの道(Do You Know the Way to San Jose)』を思い出すくらいで、アメリカ人でも知らない人が多いくらい。

そう、「シリコンバレー(Silicon Valley)」はイメージとは違って、なんとなくだだっ広い、平屋のオフィスが建ち並ぶ、昔は「喜びの谷間(the Valley of Heart’s Delight)」と呼ばれていた農業地帯だった場所という方が正しいです。

ですから、そんな「退屈な」シリコンバレーの代わりに、「絵になる街」サンフランシスコをご紹介いたしましょう。4カ所出てきますので、お好きな場所をどうぞ。



<サンフランシスコあれこれ〜4つの観光名所>

まずは、渋いところで、グレイスカテドラル(Grace Cathedral)。なんとなくパリのノートルダム寺院に似ているので、カトリック教会かと思いきや、こちらはイギリス国教会系のエピスコパル(Episcopal、米国聖公会)教会。

英国国教会系なので、アメリカの新しい宗派、たとえば福音派(Evangelical)とは違って、儀式にはカトリックっぽい要素も残されています。教会の正面には、イタリアの有名な「天国の門(Gates of Paradise)」を模した美しい扉もあり、荘厳なゴシック様式の教会ではあります。

場所も、サンフランシスコで一番美しいとされるノブヒル(Nob Hill)の丘にあり、フェアモントやマークホプキンス(現インターコンチネンタル)といった高級ホテルや瀟洒なヴィクトリアン様式の住宅に囲まれます。ノブヒルには、サンフランシスコ名物のケーブルカーも通っていて、観光客が好んで訪れる地区でもあります(現在は、ケーブルカーは運行停止)。



それで、どうしてグレイスカテドラルかというと、故スティーヴ・マックイーン主演の映画『ブリット(Bullitt)』(1968年公開)に出てくるから。『ブリット』はサンフランシスコが舞台の刑事物で、市内で撮影された映画の中でも、最も有名な作品。急な坂道をぐるぐると走り回るカーチェイスでも有名で、ハリウッド映画のカーチェイスの三本指にも入る作品。

わたしが好きなマックイーン主演で、大好きな街が舞台ということで、お気に入りの映画のひとつですが、主人公ブリット警部補の上司が家族とともに日曜礼拝に向かおうとするのが、このグレイスカテドラル。冒頭から出てくる連邦上院議員がなんとなく邪魔な存在である中、捜査続行に理解を示してくれる上司の存在にほっとする場面で、こちらの教会が出てくるのです。

今はコロナ禍で立ち入り禁止となっていますが、教会の内部も美しく、ステンドグラスから射すカラフルな光を浴びながら、ほっとできる静寂の空間となっています。

ちなみに、この映画では、シカゴの出入国管理局から犯人とおぼしき人物のパスポート写真を送信してもらうシーンがあって、電話の受話器をファックス機(テレコピア)の上に置いて、画像を受信しています。ファックス通信に使う「音響カプラ」の仕組みですが、文字通り受話器を置いたり、熱転写シートを外して顔写真を眺めたりと、歴史が感じられて興味深いです。



サンフランシスコ市警の刑事物といえば、『ダーティハリー(Dirty Harry)』(1971年公開)を忘れてはいけません。クリント・イーストウッド主演の1970年代を彩るヒット作。イーストウッド扮するハリー・キャラハン刑事が悪者を追い詰めていくアクション物で、キャラハンのやり口に、見ている側もハラハラ、ドキドキ。「ダーティ(Dirty)」という名の通り、型破りな捜査を繰り広げるキャラハンなのです。

この映画で最も印象的なシーンが、こちらの十字架。日も沈んだ薄暮の中、犯人を追い詰めていくシーンだったと記憶します。

いえ、見ている側にとっては、なんでもないシーンかもしれませんが、実は、ここは大変な場所。サンフランシスコで一番高い「マウント デイヴィッドソン(Mount Davidson)」という山の上にあって、足で登らないとたどり着かない場所なのです。ですから、物語上はスリルのあるセッティングかもしれませんが、実際の撮影はとても大変だったのではないか・・・と、裏を知ってみると観客も心配するような労作です(なんでも、山頂は霧もかかりやすく、撮影は忍の一字だったとか)。



そう、サンフランシスコはコンパクトな街ですが、その中に40もの山(丘)がひしめき合っています。ですから、上ったり、下ったりと急な坂道が多い。だいたいは数十メートル級の小高い丘ですが、街一番の高さを誇るのが、283メートルのマウントデイヴィッドソン。見晴らしの良いことで知られる「ツインピークス(Twin Peaks)」よりも、鼻ひとつ高い。街のほぼ真ん中(ちょっと南寄り)にあって、てっぺんの十字架は広域から臨むことができます。

昔わたしが住んでいた住宅街からもよく見えていましたが、実際に行くとなると、どこから登るのか知らない人が多いのです。それは、登り口が山の上の住宅街に隠れているから。市営バス「36番」ルートのバス停の裏が登り口ですが、そこからえっちらおっちらと足で登らないといけません。「僕、あそこの山に登ってみたよ」という友人を奇異なヤツだと眺めた記憶がありますが、ネーチャートレイルのハイキングやマウンテンバイクを愛する人たちの集合場所になっています(山の裏手は、奈落の底のような下り坂。あまりの急勾配に、電気自動車テスラが発電を始めて消費電力がマイナスに転じた箇所。ここに住んでいる人たちの気が知れない!)。

山のシンボルである十字架は、上記グレイスカテドラルの司祭が1923年に建てたのが最初のようですが、1930年代には「イースター(復活祭)」の儀式を開くためにコンクリート製の立派な十字架になったそう。まあ、街のどこからも見える場所に十字架があると、「宗教(無宗教)の自由」に反するということで、近年は裁判が起きたりしましたが、現在は、20世紀初頭のアルメニア人虐殺(Armenian Genocide)の犠牲者に捧げるものとして、民間団体が所有します。



ちなみに、映画『ダーティハリー』というと、こんなセリフが有名ですね。十字架の下に追い詰めた犯人に向かって、主人公がクールに吐く「Go ahead, make my day」。「俺を楽しませてくれ」と粋な邦訳になっていたと記憶しますが、「やれるもんなら、やってみろ。俺が楽しんでやるから」といった感じでしょうか。自分だって撃たれるかもしれないのに、どこまでも、凄みのあるキャラハン刑事なのでした。

この映画は、圧倒的な人気から第5作までシリーズ化されていて、いずれかの作品に海沿いの街サンタクルーズ(Santa Cruz)が出てきます。シリコンバレーからは山を越えた海辺にあって、今は、キレイに洗練された街となっています。が、当時は、改造したホットロッドをブイブイ走らせるギャング崩れの若者が暴れ回る街、といった印象でした。わたしが知っている1980年代も、まだまだドラッグなど危険な要素の残る街でしたが、そういった変遷を映画から学ぶのも面白いですよね。



一方、サンフランシスコのシンボルといえば、やはりゴールデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge、金門橋)でしょうか。ゴールデンゲートというのは、広い太平洋からサンフランシスコ湾に面した港(写真右奥のダウンタウン地区)に入ってくる海峡の名前です。狭い海峡なので、いつも強い風が吹いていて、天候も変わりやすいです。

ゴールデンゲートブリッジが開通したのは、大恐慌時代の1937年。そんな厳しい時代にでっかい橋を作ろうなんて、スケールがでかいです。

もう一本の大きな橋、ベイブリッジ(San Francisco-Oakland Bay Bridge)も同じ年(1933年)に着工し、こちらの方は半年ほど早く開通。どちらも大恐慌時代の建設ということで、当初はセーフティネット(転落防止網)すらなく、命がけで工事に携わっていた、とのこと。

ゴールデンゲートブリッジは、吊り橋の美しいフォルムと鮮やかな赤い色で印象的です。橋脚は海面から230メートルも突き出していますが、当時は身ひとつでペンキ塗りに従事していて、「風が強いから寒くて大変だったけれど、晴れた日はもう最高だったねぇ」という思い出話も伝わります。当時は仕事があるだけでありがたかった時代なので、与えられた環境で仕事を楽しむ術(すべ)を編み出されていたのでしょう。



それで、ゴールデンゲートブリッジが出てくる映画で思い出すのが、アルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい(Vertigo)』(1956年公開)。警察を辞めた元刑事(故ジェームズ・ステュアート主演)と謎の美女(キム・ノヴァック)が織りなすサイコスリラーの名作です。

昔の友人から妻の素行調査を依頼され、主人公の元刑事が尾行する最中に「妻」が投身自殺を図る。辛くも彼女を海から助け出す舞台が、ゴールデンゲートブリッジのすぐ足元。冷たそうな荒波と背後の赤い橋脚が印象的なシーンです。

こちらの写真で、橋の足下に見えている建物は、1861年(南北戦争勃発の年)に米陸軍が完成させたレンガ造りの歴史的建造物(Fort Point)。ここは、太平洋からやって来る敵の艦船から街を守る要所ですので、スペイン人統治時代から兵隊の駐屯地となっていました。

そう、ゴールデンゲートブリッジを渡る手前の一帯は、プレシディオ(Presidio)と呼ばれるでっかい陸軍の駐屯地となっていました。クリントン政権下の軍事力縮小政策で、プレシディオは国立公園化され、順次市民にも公開されるようになりましたが、それまでは独立記念日に打ち上げる花火を楽しむため、年に一回だけ駐屯地を通ってビーチ(Crissy Field)に入ることが許されていました。

同様に、今は海軍が撤退して、兵舎が市民の集合住宅へと改造されているトレジャー島(Treasure Island:ベイブリッジの途中から降りた先の人工島)も、昔は海軍の正面ゲートまでしか入ることができず、サンフランシスコの夜景を存分に楽しむこともできませんでした。そう、ダウンタウンのスカイラインを楽しもうとすると、ここからの景色が一番のお勧めですが、昔は軍人たちの特権だったわけです。

まあ、サンフランシスコというと、観光地のイメージが強いですが、歴史的に西海岸の代表都市だったこともあり、古くからガチガチの軍事的要所といった方が正しいでしょうか。内海のベイブリッジ側の埠頭では海軍の軍艦が造られ、ゴールデンゲートブリッジ側の外海は陸軍で防備を固め、万全に軍隊に守られた要塞都市でした。

そして、ゴールデンゲートブリッジを渡った北の海岸線には、谷間に隠れて無数の軍隊の駐屯地が点在し、小高い丘の上には、レーダーやミサイルが配備されていたのでした。第二次世界大戦では、日本からの攻撃に、冷戦時代にはソヴィエト連邦(ロシア)からの攻撃に備えていたわけですが、ポスト冷戦時代の今も、そういった歴史の遺物をあちらこちらで見学することができます。



と、ちょっとお話がそれましたが、サンフランシスコの名所で最後にご紹介しておきたいのが、ベイブリッジ。このコロナ禍の自宅待機でどこも行くところがないので、毎日のようにお散歩するのが、こちらのベイブリッジ。この景色には、とっても愛着があるのです。

ベイブリッジが出てくる映画といえば、クラシック映画の代表作『卒業(The Graduate)』(1967年公開)でしょうか。若きダスティン・ホフマン扮する、なんともハッキリしない青年が、土壇場になって恋人を結婚式から「盗み出す」という、はちゃめちゃなストーリー。この「花嫁強奪」に乗り出そうと、真っ赤なアルファロメオを駆るのが問題のシーン。

大学街バークレーから南カリフォルニアのロスアンジェルスに向かい、恋人とすれ違いになったあと、夜通し運転してサンフランシスコ側からバークレーに戻るというシーン。ここでベイブリッジを渡るアルファロメオの航空映像が流れますが、これは間違いなんです!

実は、二階建てのベイブリッジは、サンフランシスコからバークレーに(写真では右に)向かうのは下の階、逆方向が上の階となっていて、映像を正しく見ると、バークレーからサンフランシスコに(左に)向かっていることになるのです。まあ「絵にならないから勘弁してよ」というところですが、地元っ子にとっては、なんとも気持ちの悪いシーンなのでした。



ちなみに、ベイブリッジの近くには、ピア3(3番埠頭)があって、通常はここからディナークルーズなど遊覧船が出ています。今は停泊したままの「サンタローザ号(Santa Rosa)」(写真では右手の船)はフェリー会社Hornblowerのオフィスとなっていますが、これがまた、1927年進水の歴史的な船。

ベイブリッジができる前は、サンフランシスコ湾を渡るには、鉄道会社が所有するフェリーを利用していました。サンタローザ号は、サザンパシフィック鉄道のために地元で造られた最先端のフェリー。「スチール・エレクトリック級(steel electric-class)」と呼ばれるフェリーで、どうやらディーゼル発電で電気モーターを動かしていたよう。

1940年代にワシントン州のフェリー会社が譲り受けた際、パワーのあるディーゼルエンジンに改修したそうですが、昔の人も現代の「ハイブリッド船」みたいに電化の夢を持っていたのでしょうか。

地元では同時期に6隻建造された同型フェリーですが、今となっては、唯一形をとどめるのが、こちらのサンタローザ号。どことなく郷愁を誘われるのは、丸みを帯びたアール・デコ調の美しいシンメトリーに加えて、そんな物悲しい背景があるからかもしれません。



そう、サンフランシスコという街は、歴史的建造物のオンパレード。1906年の大地震で壊滅的な被害を受けましたが、街は見事によみがえり、それから114年の間に守るものは守り、再生するものは再生してきたのです(写真は震災直後、グレイスカテドラルの建つノブヒルを撮影したもの)。

とくにダウンタウン地区は、さまざまな建築様式の屋外展示場のようでもありますので、散策なさる際は、ショーウィンドウばかり眺めていないで、上を向いて歩かれることをお勧めいたします。



<日本へ移住!>

というわけで、駆け足でサンフランシスコを巡ってみましたが、そんなに愛着のある街なのに、いったいどうして日本に戻るの? と思われることでしょう。

最大の理由は、わたしの目。左目の網膜の調子が悪く、物が歪んで見えたり、遠近感がなくなったりと手術しても治らず、車の運転が難しくなってきました。そう、アメリカでは車がないと生きていけませんので、「そろそろ日本に戻ろうよ」ということになったのでした。



それと同時に、アメリカという国が変わってきたことも、要因のひとつかもしれません。

日本ではトランプ政権の報道は日々耳にしますが、政治によって国自体や住民の生活がどのように変わったかについては、ほとんど報道されていません。意外なことではありますが、アメリカという国は、トップが変わると国がガラッと変わってしまいます。そんなことは、首相が交代しても何も変わらない日本では実感がわきませんが、アメリカは大統領が変わると、閣僚や政府機関、議会や法廷との関係と、何もかもがトップダウンで変わってしまって、その影響が国の津々浦々まで浸透し、住民の日々の生活までインパクトを受けることになります。

そんなこんなで、2017年1月に就任したトランプ大統領の(悪)影響は甚大なもので、「人々の心がヤスリのようにガサガサとささくれだってしまった」という印象を受けています。リベラルなことで知られるカリフォルニア州の街中でも、「あんたは国に帰れ!」とアジア系住民が罵倒されることがありました。人を思いやる心を持つアメリカ人の間で、「俺たち」と「あいつら」という分断ができてしまったように思います。

こういった分断は、インターネットを通してますます増長しているよう。ネットでは何が正しいかではなく、何が人の目を引くかが第一条件となりますので、人々の憶測が報道の顔をして横行します。人間は「自分が耳にしたいこと」を信じようとしますので、やっぱり俺は正しいんだ! と、「俺たち」と「あいつら」の分断も、もはや修復不能なところまできているのかもしれません。

「無理が通れば道理がひっこむ」。大きな声で無理を主張すれば、科学や論理は吹っ飛んでしまう。そんなことは理解している人も多いのに、「王様の耳はロバの耳」と教えてあげる人がいなかったのでしょう・・・。



と、そんなこんなで、私事から国のあり方と、いろんな要因があって、住み慣れたカリフォルニア州を後にすることになったのでした。

日本の「移住先」は、福岡市。数回しか訪ねたことはありませんが、とっても住みやすい街だと思いますので、少しずつ慣れていって、新しい生活スタイルを築いていけると期待しております。

いつかまた、福岡から情報発信をすることもあるかもしれませんので、その際は、画面上で再会できることを楽しみにしております。



長い間、稚拙な文章につきあってくださって、心より感謝しております。

みなさま、どうぞお元気で良い新年をお迎えください!

Have a Healthy & Safe New Year!



2020年クリスマス、サンフランシスコにて

夏来 潤(なつき じゅん)



カテゴリー

  • お知らせ (5)
  • 仕事 (3)
  • 政治・経済 (28)
  • 教育 (8)
  • 旅行 (20)
  • 業界情報 (86)
  • 歴史・風土 (23)
  • 社会・環境 (59)
  • 科学 (7)
  • © 2005-2021 Jun Natsuki . All Rights Reserved.