Essay エッセイ
2022年02月04日

お花をどうぞ

<エッセイ その189>

以前、「花束をどうぞ」と題して、エッセイを書いたことがあります。


ちょうど2年前、サンフランシスコで過ごしたヴァレンタインデー(Valentine’s Day、バレンタインデー)の頃でした。


前置きが長いお話でしたが、一番のメッセージは「アメリカのヴァレンタインデーというと、男性が女性に花束やチョコレート、メッセージカードを贈る日」というもの。


そして、とくにサンフランシスコの街中では、女性が花束を抱える姿も見かけるので、これはきっと、女性から女性への贈り物なんだろう、というお話でした。


そう、サンフランシスコは、1950年代から同性カップルの方々が多く住む街として有名です。そんな街角では、いつもと違ってヴァレンタインデーに女性が花束を抱えているのを見かけても、「あら、お花きれいね」「いいわね」で片づいてしまいます。



そして、一年前の2月。日本に引き揚げてきて、両親のお墓参りに行こうと、懇意にしている花屋さんに立ち寄りました。


「母の日」や夏の母の誕生日のたびにお花を届けてもらっていたので、こちらの事情も良くご存じのお店です。


バレンタインデーも近いので、「お忙しいでしょう?」と尋ねると、意外にも「いいえ」とのお返事。


アメリカではバレンタインデーには男性がお花を贈るんでしょ? でも残念ながら、日本ではまだまだお花を贈る習慣は広まってないんですよ、とおっしゃいます。



まあ、何でもアメリカを真似れば良いというお話ではありませんが、バレンタインデーに女性が男性にチョコレートを贈る日本の習慣は、お菓子業界の「策略」のような気がしてならないのです。


もちろん、アメリカの「男性が女性に花を贈る」というのも、生花業界の策略かもしれません。


けれども、少なくとも、誰が誰にお花を贈ろうと、お花の代わりにメッセージカードやシャンペンやアクセサリーやレストランのお食事、それから自分なりに思い入れのあるものを贈ろうと、それはそれで立派に受け入れられます。


要するに、贈り手の心がこもっていれば、極端な話、路傍の雑草の花でも良いのではないでしょうか。「わたしは、あなたを想っております」というのが、バレンタインデーの贈り物の意味なのですから。


ですから、そろそろ日本でも、「バレンタインデーには誰が誰に贈ってもいいし、贈り物は何でもいいよ」という風にならないかなぁ、と思っているのです。


「誰が何をしなければならない」とか「(男だから、女だから)こうあるべき」といった既成概念を脱皮した方が、世の中も住みやすいかと思うんですけれど・・・。



そうそう、今年のバレンタインデーは、3連休が明けた月曜日ですね。


贈り物は、花束とかチョコレートといった有形のものでなくとも、「3連休に一緒に見に行った海の景色」でもいいのではないでしょうか?



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