Essay エッセイ
2019年11月16日

アヴィニョンの思い出

エッセイ その180



前回のエッセイに引き続き、フランス南部の旅のお話です。



この旅で訪れたのは、ニースに代表される海沿いの「コート・ダジュール(Côte d’Azur)」と、ローヌ川周辺のワイン産地で有名な「プロヴァンス(Provence)」。いわゆる「南仏」と呼ばれる、暖かい地方ですね。



前回は、海を臨むニースから足を伸ばした ヴァンス(Vence)と エズ(Eze)をご紹介いたしました。ヴァンスでは、画家アンリ・マティスが手がけた礼拝堂を見学して、エズでは迷路のような街のつくりに「迷子」になったというお話でした。



ニース周辺は、明るい太陽と美しい海に恵まれ、見どころ満載。前回ご紹介したヴァンスの隣街、サン・ポール・ド・ヴァンス(St-Paul-de-Vence)も、城壁に囲まれた石造りの街で、わたしが迷子になったエズと同じように、迷路のような古い集落です。



ホテルスタッフに「ここだけは行ってみてよ」とフランスなまりの英語で勧められただけあって、近隣にある中世の集落の中でも人気が高いようです。おしゃれなギャラリーが集まる石畳の街並みは、明るくて雰囲気も良く、とっても印象に残る街でした。



ニースから南に下った海沿いには、アンティーブ(Antibes)という街があります。



こちらの海は、ニースよりも濃い青に輝きます。緑色(碧、へき)の混ざった紺碧(こんぺき)というよりも、群青(ぐんじょう)とか瑠璃(るり、ラピスラズリ)と呼んでみたい、深みのある青です。



この街は、海辺のリゾート地ではありますが、パブロ・ピカソの美術館があることでも有名です。お城のような石造りの建物が、威風堂々と海に向かって建ち、ピカソの絵画や素描、焼き物や彫刻がたくさん展示されています。



裏庭から臨む紺青の海は、「さぞかし創作のインスピレーションを与えてくれたことだろう」と実感。あまたの芸術家たちが南仏を愛した理由もよくわかるのです。



ニースやアンティーブの海岸は、砂浜ではなく石ころで埋め尽くされます。だからこそ水の濁りも少ないのでしょうか、釣り糸を垂れて、のんびりと魚がかかるのを待っている人たちも見かけました。



この日はちょっと風がありましたが、「日がな一日、美しい海に向かって釣り糸を垂れる」というのも、ぜいたくな時の過ごし方かもしれませんね。




そんなわけで、海沿いが好きなわたしは、「このコート・ダジュールにずっといたい!」と思ったのですが、その後の滞在先はすでに決まっています。



ですから、やむなく海にさよならして、今度はプロヴァンス地方へと向かいます。



プロヴァンスで滞在したのは、アヴィニョン(Avignon)と エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence)。



アヴィニョンは、かの有名な「アヴィニョンの橋」がある城壁の街(写真中央が橋)。そして、エクス・アン・プロヴァンスは、ポール・セザンヌが生まれ育った街として有名なところ。一度はパリに移ったセザンヌは、故郷に舞い戻って制作を続け、ここで生涯を閉じたのでした。



訪れる場所の尽きないプロヴァンスですが、世界遺産に登録されるアヴィニョンは、誰もが訪れる観光地でしょうか。コート・ダジュールの明るい蜂蜜色とは違って、重みのある灰色の石畳と城壁の街。城壁の中を歩いていると、街の長い歴史が自然と肌から染み込んでくるようです。



中でも有名な観光スポットは、「アヴィニョンの橋で踊ろうよ」の歌で知られる、サン・ベネゼ橋。



いえ、わたしは「サン・ベネゼ橋(Pont Saint-Bénézet)」という正式名称は知らずに、「アヴィニョン橋」だと信じ込んでいました。サン・ベネゼというのは、「聖ベネゼ」という人の名前。なんでも、1177年、羊飼いの少年だったベネゼが、神から橋を築くようにとお告げを受け、大人も持ち上げられないような重い石を川に投げ込んで基礎を築いた、という言い伝えがあるそうです。



この橋は、川の真ん中で途切れていることで有名ですが、わたしは、またまた勘違い。これは、ナポレオンの時代か何かに戦争で破壊されたのか? と思いきや、実は、洪水という自然の力で壊され、いかに復元しようと試みても、ついに再建はかなわなかったそう。



そう、橋のかかるローヌ川は、今でこそダムのおかげで穏やかに流れていますが、昔は魔物のように荒れ狂う川として知られていたそうです。何度も、何度も、ローヌ川が氾濫して、アヴィニョン一帯の集落や農地が流された厳しい歴史があるとか。



1957年2月にも大きな洪水があり、周辺流域は広範囲にわたって水没したそうですが、その後、ダムが整備されて氾濫がなくなり、穏やかな川になったとのこと。今では、サン・ベネゼ橋の向かいに見える中島はキャンプ場となっていて、週末ともなると、家族や友人たちとピクニックや日光浴を楽しむ憩いの場となるのです。



そんな自然の猛威ともいえる川に、石橋を築いたことだけでもすごいのに、実は、この石橋はローヌ川の中島を超えて、川の対岸の街へと延々に続いていたんだとか!



今では、アヴィニョン側の橋の一部しか見ることはできませんが、昔は対岸の街(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)まで続いていたそう。考古学的な発掘調査をしたところ、今は4本しか残っていないアーチ型の橋桁は、もともとは22本あったことが判明。橋を描いた昔の絵画は、「絵物語」ではないことが証明されました。



しかも、橋はまっすぐではなく、なんとなく曲がっていた。橋を支える橋脚を築きやすいようにと、川底の足場がしっかりした場所を選んでいったので、カーブのある形をしています。



さすがに最初は木で橋を造ったか、もしくは橋脚の基礎を石で築き、その上に木の橋を架けたのではないかと言われています。が、だんだんと技術が進歩したのでしょうか、13世紀ころには石造りの美しい橋が築かれた、ということです。



けれども、さすがに自然の力に争(あらが)うことは難しい。14世紀ころには「プチ氷河期」ともいえる寒い期間となり、雪や氷で凍てつく寒さに見舞われます。川の水も凍る寒さだったようですが、すると、水中の氷の粒が、橋脚の礎石に入り込んでダメージを与え、もろくなった橋脚は、川の氾濫が起きるたびに流されるようになりました。



何度も、何度も橋が流され、そのたびに再建工事を施したそうですが、17世紀中ごろになると、再建不能なほどに橋が壊れ、ついにはそのまんま。今の風景となったのでした。



と、そんなことを橋の地下室で放映されるビデオで学んだのですが、ビデオは順路の最後になっていて、「最初にお勉強していたら、もう少しじっくりと橋を見物できたのになぁ」と、ちょっと残念。そう、詳しくお話を聞くと、昔の人の苦労もよくわかるのです。




そんなわけで、アヴィニョンには「橋」もありますが、もうひとつ有名なことは、ローマ・カトリック教会の教皇庁が置かれていたこと。



ちょうどサン・ベネゼ橋が美しい姿を誇っていたころ、カトリック教会にはフランス人の教皇が誕生し、このクレメンス5世からグレゴリウス11世までの7代の間(1309〜1377年)、教皇庁はローマではなくアヴィニョンに置かれたのでした。



歴代の教皇に対してはフランス王が多大な影響を与えていたため、このアヴィニョン教皇庁の時代を「アヴィニョン捕囚」とも呼ぶそうな。教皇がフランスに囚(とら)われの身となっていると、ローマの人々は嘆いたのでしょう。



アヴィニョンで泊まったホテルのバルコニーからは、ピッカピカの聖マリア像が見えていたのですが、これが、教皇庁宮殿の教会のてっぺんにいらっしゃるマリアさま(写真の左端に見えています)。実際に宮殿の真ん前まで行くと、その大きさにびっくりです。



そう、教皇庁の建物が「宮殿」というのは違和感がありますが、実際に「教皇たちの宮殿(Palais des Papes)」と呼ばれています。それほど大きく立派だということでしょうが、宮殿の中を見学すると、ますますその規模を実感。



教皇や枢機卿、王や貴族たちが会する広間の壮大さもさることながら、地下には財宝を隠すための秘密の部屋があったり、鮮やかな壁画には、当時の富裕層の狩の様子や豊かな収穫の様子がカラフルに描かれていたりして、まさしく「富」の象徴ともいえる贅を尽くした空間なのです。



そんな様子を、iPadみたいなデバイスをかざしてヴァーチュアル(擬似)体験できるようになっているのですが、ここで、わたしは大失敗!



そう、手には見学用のデバイスを持ち、耳にはヘッドフォンをつけているので、頭にかぶっていた帽子は片手にひっかけ「邪魔だなぁ」と思いながら見学します。



しかも、この宮殿は広大なので、中を歩くだけでもう大変。ようやく宮殿の端っこの礼拝堂までたどり着き、そこから階段を登って、見晴らしの良い塔へと到達します。



ホッとしたところで、塔の上からアヴィニョンの街並みとローヌ川を眺めたり、写真を撮ったりしていると、いつの間にか、帽子がなくなっていることに気づいたのです!



え〜、これから先、まだまだアヴィニョン観光もあるし、明日は遠出してワイナリー見学もするし、帽子がないと大変! しかも、あの帽子はお気に入りだったのに・・・



と、半分泣きそうになりながら、それでも帽子を探そうと、順路を逆にたどることにしました。だって、ついさっきまでは「帽子が邪魔ねぇ」と思いながら、歩いていたじゃない。そんなに遠くでは落っことしていないはず・・・



と、いろいろ推理をしながら、塔の階段を早足に降りて、さきほどの礼拝堂に向かいます。



すると、礼拝堂に戻ってすぐ、壁際のベンチに座っていたレディーと目が合うと、彼女が片手でわたしの帽子を持ち上げ「これかしら?」とジェスチャーするのです。



あ〜、それそれ、と喜び勇んで近づいたわたしは、「Oh, you remembered me! Thank you very much! I really appreciate it!(わたしのことを覚えていてくれたんですね、ありがとうございます。ほんとに感謝します)」と、お礼の言葉を連発しました。



そう、彼女と夫、もうひとりのご婦人の三人組とは、見学のペースが同じで、途中で目が合ってニッコリとした記憶がありました。それで、あちらのご婦人も、わたしと帽子のことを覚えていらっしゃって、「あら、忘れ物ね。彼女が塔から戻って来るまで、ここで待ってましょう」と、ベンチで中休みされていたようです。



いえ、お三方ともニコニコされるだけで何もおっしゃらなかったので、果たしてフランスの方なのか、それとも外国からいらっしゃった方かはわかりません。栗色の髪に鮮やかなブラウスをお召しになっていたので、なんとなくロシアの方かとも思いましたが、どこの国の方であろうと、彼女たちの親切に、こちらはただただ感謝するのみでした。



この日は、良く晴れた日曜日。良いことがあった場所も、お三方の笑顔も、ひどく記憶に残った一日なのでした。




いよいよアヴィニョンを去る日、西に30分ほど足を伸ばして、世界遺産の「ポン・デュ・ガール(Pont du Gard)」に行ってみました。



街から少し離れて自然の中にあるものの、さすがに世界遺産だけあって、それまで訪れたフランスの街のどこよりも、日本人の方をお見かけしました。それだけ有名な橋なのでしょうが、その巨大な、堅固な造りにはびっくりです。



その昔、ローマ人が山からニーム(Nîmes)の街に水を引こうと建造した水道橋だそうですが、お風呂好きの彼らの「ゆったりとお風呂に入る」ことへの情熱と技術には驚かされるのです。美しく修復されていることもありますが、「100年前にできました」と言われても、疑わないかもしれません。



歩き疲れたところでお昼を食べようと、敷地内のテラスレストランに入りました。



サラダを食べて満足したところで、さあ、席を立ちましょうと帽子を探すと、さっきまで椅子の背にかけてあった帽子がなくなっています!



あの教皇庁宮殿で出会ったレディーが、せっかく見つけてくれた帽子なのに!!



と、やっきになって探していると、連れ合いがこう言うのです。ほら、あなたの頭の上にあるじゃない、と。そう、風で飛ばされないようにと、ランチの途中で頭の上にのっけていたのを、すっかり忘れていたのでした・・・。



これを見て、お隣のテーブルのオランダ人夫妻と、そのお隣のアメリカ人母娘が大笑い。物静かなお母さんも「メガネだって気をつけないと、頭の上にあるのを忘れてしまうわね」と、なぐさめてくれるのです。



いえ、みなさんに笑いを提供できたのは光栄なことではありますが、帽子を失くさなかったのはもっと喜ばしいことでした。



まだ暖かなアヴィニョン近郊は、温かな心の触れ合いの場となりました。




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