Life in California
ライフ in カリフォルニア/歴史・習慣
Life in California ライフ in カリフォルニア
2006年04月19日

サンフランシスコ大地震100周年

4月18日は、サンフランシスコ大地震から、ちょうど100周年でした。

1906年4月18日未明、サンフランシスコ西の海底を震源として、マグニチュード7.9の地震が起こり、サンフランシスコや周辺の街が大きく破壊されるという惨事でした。

サンフランシスコ市内では、亡くなった人は3千人を超え、倒壊した建物は3万にものぼったそうです。地震による被害も大きかったものの、その後の火事が災いし、3日後ようやく火を消し止めてみると、街の大半は壊滅していました。
 サンフランシスコより南では、サンノゼやサンタクルーズの街が甚大な被害を受け、北には、サンタローザが壊滅状態にありました。

そんなカリフォルニアでは、地震国・日本と同じく、地震は常に頭を離れないものなのです。現に、1989年、またまたサンフランシスコで大きな地震があり、市の北部は特に大きな被害を受けました。

キャンドルスティック・パークでは、ちょうどメジャーリーグ野球のワールドシリーズをやっていて、地元のサンフランシスコ・ジャイアンツと、お隣のオークランド・A’s(アスレチックス)の対戦中、突然、試合と全米への生中継が中断されてしまいました。

だから、他国で起きる地震のニュースにも、カリフォルニア人は敏感なのです。11年前、「神戸は大変だったねえ」と言ってくれる人もありました。


100年前の大地震を忘れるなと、記念日に向かって、さまざまな行事が開かれていました。

記録写真の展覧会や、地震の専門家を囲む催しなど、科学的なものが目立ちますが、100年前の災害と復興活動を再現した演劇などもあります。
 テレビでも、当時のフィルムを使ったドキュメンタリー番組だとか、地震のメカニズムやカリフォルニアに走る地溝についての教育番組だとかが、連日放映されていました。

そうなんです。サンフランシスコ・ベイエリアには、サンフランシスコからロスアンジェルスを突っ切るサン・アンドレアス地溝帯(the San Andreas Fault)を始めとして、数多くの地溝がウジャウジャと縦断しているのです。

真面目な話、いつ大地震が起きてもおかしくないんですね。向こう30年のうちには、確実に「大きなヤツ(“the Big One”)」が来るぞ! ともいわれています。 地震を避けて日本を脱出したい方には、ベイエリアは向かないかもしれません。

カリフォルニア全体でも、州民の4人に3人が、一番怖い天災は「地震だ」と答えるほどなのです。そのくせ、家を持っていても、お金がかかるからと地震保険には入らない人が多いし、ビルや住宅の耐震対策も後手にまわっているのが現状です。
 この辺には、1階が全部駐車場という構造のビルやアパートも多いのですが、そういうのは、ほんとに怖いですよね。


さて、100周年を迎えるさまざまな真面目な取り組みの一方で、何でも楽しみに変えてしまうアメリカ人は、大災害の記念日にも明るく振る舞うのです。

記念日の前夜、サンフランシスコの名物・フェリービル(San Francisco Ferry Building)では、市長さんがライトアップのスイッチを入れました。このフェリービルは、1898年に建てられ、1906年と1989年の大地震を両方とも生き抜いた「つわもの」なのです。
 まさに街の象徴ともいえるフェリービルは、ピンクやブルーのライトで照らし出され、100周年を表す「100」という文字が壁に映し出されました。

記念日当日には、午前4時半から、過去85年間の伝統となっている記念祭が開かれ、黙祷のあと、午前5時12分には、街中の消防署のサイレンと教会の鐘が鳴らされました。そう、地震が起きた時刻なのです。

何も知らずに市内に宿泊していた観光客は、突然の大きな音に、さぞかしびっくしたことでしょうね。
 この記念祭の開催場所となった、マーケット・ストリートの「ロッタの噴水(Lotta’s Fountain)」は、はぐれた家族への連絡メモを掲示する場所だったそうです。

この日は、目抜き通りのマーケット・ストリートで、パレードも開かれました。消防本部が主催したパレードで、昔式の大きな車輪の消防車もパレードに参加しています。


サンフランシスコ大地震は100年も前のことですが、この1906年の「大事件」は、詳しく今に伝えられているのです。ひとつに、まだまだ生存者もおりますし、当時のフィルムや写真、記録などもたくさん残されているからです。

昔の記録の中には、こんなものがあります。日本人が描いた漫画です。
 ヘンリー木山義喬(きやまよしたか)氏の手になる、12コマ漫画の作品集です。

原著は、1931年(昭和6年)サンフランシスコで販売されましたが、7年前、アメリカ人の漫画研究家によって復刻版が出されています。(Kiyama, Henry Yoshitaka. The Four Immigrants Manga: a Japanese experience in San Francisco, 1904-1924. Translated with an introduction and notes by Frederik L. Schodt. Berkeley, California: Stone Bridge Press, 1999.)

ヘンリー木山氏は、1904年(明治37年)、絵を学ぶために19歳で鳥取県から渡米し、アメリカ人家庭でハウスボーイ(お手伝い)をしたり、畑で農作業をしたりと、苦労しながら絵の勉強を続けました。おかげで、10年後には、彼の絵は美術館に展示されるほどになっています。

彼の漫画作品集『漫画四人書生』は、真面目な画学生ヘンリー(作者自身)と、アメリカでの成功を夢見る日本人の友達3人が、失敗を繰り返しながら過ごす20年間を、とても緻密に描いています。何の飾りもないので、当時の日本人移民の様子を知るには、最適なドキュメンタリーともなっているのです。

サンフランシスコ大地震についても、4つの作品が入っていて、その中に、こんなものがあります。(同書70~71ページ掲載の「The Great San Francisco Quake」より)

地震にたたき起こされた二人が、とりあえず布団を肩に背負い、火の手の上がる街を逃げ回ります。食べることも飲むこともできず行き着いた先は、市の北端プレシディオ(軍隊の駐屯地)。
 ここで二人が食べ物を要求すると、「まずは働け」とシャベルを手渡されます。言われるままに、深い溝を掘ってみると、兵隊がその上にテントを張っています。いったい何になるのかと眺めていると、それは女性専用のトイレなのでした。

いやはや、新天地アメリカで、食べ物と引き換えにトイレを掘ったとは、これは、孫に語り継ぐべき話になるわい!と、二人は大笑いするのです。

大地震後、ここプレシディオやゴールデンゲート公園のような広い場所には、ずらっとテントが張られ、何ヶ月も避難所として使われていたのですね。


こんなお話も語り継がれています。

地震後の火災が手もつけられないほどに広がる中、軍隊は、ダイナマイトや火薬を使ってビルを破壊し始めました。
 立て込んだ街中で、ビルからビルへと引火しないように、防火壁を築くためなのです。

それを聞いたホータリング地区(今の金融街の一部)の住人は、自分たちでビルを守るから、どうか爆破しないでと軍隊に申し出ました。第一、この地区にあるホータリングビル(Hotaling Building)には、たくさんのウイスキーが貯蔵されており、引火したらひとたまりもないじゃないかと。これには、軍隊も一応納得します。

幸いなことに、普段は西から北に吹く風もそのうち南向きに変わり、ビルに迫り来る炎の壁は、間もなく自然鎮火していきました。

建物は焼け落ちたものの、辛くも焼け残った教会の説教壇からは、牧師がこう言い放ちます。この地震は、サンフランシスコの邪悪に対する、神の天罰だと。すると、誰かがこう反論します。

もしそうだとしたら、どうして神は自分の教会を焼き捨て、ホータリングのウイスキーを救ったんだ?

ちょっと補足説明:サンフランシスコという街は、1848年のシエラ・ネヴァダ山脈の金の発見で、急激に栄えた所なんですね。金鉱堀の男たちが、サンフランシスコの港に大挙して押し寄せたのが、街の起こりともなっています。
ということは、街が大きく発展する過程で、独り身の男たちを相手にするバーやギャンブル場なんかもたくさん生まれたのでした。そして、今はおしゃれなユニオン・スクウェア(Union Square)の裏には、娼婦街すらあったのです。
 写真は、ユニオン・スクウェア裏手のメイドゥン・レーン(Maiden Lane)という通りです。今でこそ、高級ブランドショップが建ち並ぶおしゃれな通りですが、当時は、娼婦街だったのですね。
 
 「サンフランシスコの邪悪」と牧師が言い放ったのは、華やかな街の繁栄の陰にある、こういった退廃した一面を指していたのですね。

この娼婦街のあったメイドゥン・レーンですが、その「乙女(Maiden)」というネーミングに何やら意味深なものを感じます。これには、サンフランシスコの大地震後、ここから娼婦街をなくそうという願いの表れだったという説と、1920年代に通りの名を変更したときには、市側は昔の歴史を知らなくて偶然に付けた名前だったという説と、諸説あるようです。

それから、大地震の直後、誰の命も受けずに、勝手に街に出動した軍隊ですが、彼らがビルを爆破したせいで、新たな火事がたくさん起こったともいわれています。


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