Essay エッセイ
2018年08月20日

タクシー運転手のちょっといい話

今年は、カリフォルニアも猛暑続きで、例年とは違った夏になっています。



いつまでも太陽がギラギラと輝き、暑さが尾を引きます。



そんな夏の早朝、変わった夢を見ました。



小説家になって、短編を書き始めるという夢。



主人公は、二十歳くらいの女のコ。彼女には仲良しのお父さんがいて、そうだなぁ、年の近いパパではなくて、ちょっと年上の60代にしておこうかな、と修正を入れながら、文章を書いています。



日ごろ、書きかけの記事のアラを夢で見つけて、翌日にあわてて修正することがあるのですが、夢の中とはいえ、ちゃんと文法や論理展開にも気をつけて、一文ずつ丁寧に書いていきます。(残念ながら、段落ひとつを書き上げたら、夢が消えてしまって、短編は未完のまま・・・)




このときは、なぜか英語の小説を書いていたのですが、さすがにアメリカにいると、英語でしゃべったり、文章を書いたり、という夢はたくさん見ます。



が、不思議なことに、日本に何日間か滞在していると、「自分は英語が話せたかな?」と首をかしげるくらい、まったく英語が出てこなくなります。



きっとそれは、耳から何語を聞いているか? によるのだと思いますが、だとしたら、日本では日本語以外の言葉があまり聞こえてこないので、外国語を学ぶには必ずしも最適な環境とは言えないのかもしれません。



けれども、すごいタクシーの運転手さんがいらっしゃったんですよ。



6月の梅雨の晴れ間、東京のホテルから羽田空港に向かうタクシーの中で、運転手さんにこんなことを聞いてみました。



「もうすぐ東京オリンピックがありますが、何かタクシー会社として英語のお勉強をさせられていますか?」と。



すると、会社からは特別な指示はないけれど、日ごろから英語のコミュニケーションに留意しているという運転手さんは、こんな話をしてくれました。



この方は、よく外国人が泊まるホテルからお客さんを乗せるそうですが、ある晩、六本木のレストランに連れていってくれと男性に地図を見せられて、車を出しました。



大きな道を北西に進み、六本木通りで左に曲がったころ、レストランのある場所には直接右折して入れないので、もしも行ったことのあるレストランなら、六本木通りで車を降りてもらって、横断歩道を渡った方が早いだろう、と考えをめぐらせました。



とっさに、「Have you been here?(このレストランには行ったことがあるの?)」と口をついて出てきたのですが、彼の答えは「ノー」でした。



そうなると、少々回り道をしてもレストランの前まで連れて行ってあげないといけないと思った運転手さんは、ちょっと先で右折して、少し遠回りをしてお店の前に車を止めました。



そこは、誇り高き日本のタクシー運転手。遠回りして料金が若干高くなったので、どうしても説明をして納得してもらわなくてはなりません。



そこで、しどろもどろになりながらも、「この道は traffic regulations(交通規則)で右折箇所が限られています。あなたが初めてのレストランだとおっしゃったので、ちょっと遠回りになりましたが、右折できるところで曲がって、お店の前に車をつけました」と報告しました。



すると、お客さんは、その心配りによほど感動したのか、グッと言葉につまりながら目頭を押さえ、半ば涙声で「ありがとう、助かったよ。おつりはいらないから」と、2千円を運転手さんに押し付けて、早々に車を降りて行かれたとか。



なんとなく、あの缶コーヒーの宣伝に出てくるアメリカの俳優さんに似た紳士だったそうですが、涙を見られるのがいやだったのかもしれない、と運転手さんはおっしゃっていました。




こちらのタクシー運転手さん、べつにこれといって英会話教室に通われているわけではありませんが、普段から、耳で聞くことを心がけていらっしゃるとか。



そして、お父様が英会話の得意な方で、昔から「英語の教科書に出てくる文章を丸暗記しなさい」と教育されていました。おかげで、英語の点数はいつも良かったそう。



実は、わたし自身もこの方法が理にかなっていると感じているのですが、文章を丸ごと覚えていると、何かのときに、シチュエーションに合わせて、サッと自然に文章が口から出てくるはずなんです。



そう、とくに慣用句などは、理屈を考えないで、サラッと出てくればいいものでしょう。ですから、何回も復唱して、文章の丸覚えで会得するのが一番ではないかと感じているのです。



この運転手さんだって、教科書のどこかで覚えていたから、Have you been here ?(Have you been to this restaurant ?)という、ちょっと高級な表現が正しい文法でスラスラと出てきたのでしょう。



そして、何よりも、「遠回りをして申し訳なかったけれど、あなたのことを考えてレストランの前まで来ました」と誠意を持って説明をしたからこそ、相手だって納得して、予想もしなかった心配りに感じ入ったのではないでしょうか。



まあ、相手によっては、誠意が通じなかったり、誠意がかえって面倒くさいと感じたりするお客さんもいることでしょう。ですから、こちらも相手を見極めなから、接し方を変えることが肝要となりますが、まずは、誠意がコミュニケーション手段の第一歩ではないかと思っているのです。



というわけで、東京オリンピックを控えて、日本全国で、何かと国際語・英語のコミュニケーションが増えていくことでしょう。



一番大切なことは、英語の出来そのものではなくて、伝える内容と心だと思うのです。



偶然にお会いしたタクシー運転手さんは、そういう点では、立派な「国際親善大使」とお呼びできるのはないでしょうか。




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