Essay エッセイ
2010年05月25日

不意の来客

ゴールデンウィークを日本で過ごしたあと、5月中旬にアメリカに戻ってまいりました。こちらのお話は、日本に旅立つ前日に起こったお話です。

この日は、いつもよりちょっと早起きをいたしました。

大きな音で目が覚めたのです。

夢現(ゆめうつつ)でいたところ、何かしら、バタバタと激しい羽音が聞こえてくるのです。鳥の羽が何回も、何回も物体にぶつかっている音が。

こういう音は、よく外からも聞こえてきます。我が家のまわりには鳥が多いので、ときどきベッドルームの窓に鳥の羽やくちばしが当たる音が聞こえてくるのです。

けれども、今朝の音は大き過ぎる! 何やら、家の中から聞こえているのです。しかも、かなり大きな物体が音を立てている。

そろりそろりと階下に下りると、玄関のドアが大きく開け放たれています。

まるで、たった今、誰かが入って来たばかりのように。

そして、玄関脇のダイニングルームの窓には、事もあろうに、ハトの姿が!


いったん二階のベッドルームに逃げ帰って、ちょっと冷静に考えてみます。どうして玄関のドアが開いているの? もしかして、泥棒が入った? すると、賊はまだ家の中に?

いやいや、誰もいる気配はないし、泥棒じゃない。とすると、今朝連れ合いが玄関を開け閉めしていたから、そのときにドアをしっかりと閉めなかった。そして、風で自然と開け放たれたドアから、ハトが入って来た。

だって、今朝は雨もよいの寒いお天気。ハトも暖を求めてテクテクと家の中に入ってみたのかもしれない。

でも、ちょいと雨宿りしたのはいいけれど、出る方法がわからない。ハトは明るい南の方へと必死に出ようとするけれど、窓ガラスが行く手を固く阻んでいる。

逃げよう、逃げようとバタバタとするうちに、何回もガラスに激突して、その大きな音でわたしが目を覚ました・・・

そんなシナリオが読めてきたのでした。そう、おっちょこちょいの連れ合いが、考え事をしながらドアを閉め忘れたことに端を発する出来事なのでした。

まあ、我が家のまわりはのんびりしているので、玄関のドアが何時間か開け放たれていても、誰も気にはいたしません。「家の中に何か運び込んでいるのかしら?」と、簡単に片付けてしまうのです。(これが危ない地域だと、すぐに警察に連絡されて、パトカーやら調書やらと大騒ぎになるところです。)


それにしても、大きな鳥じゃなくて、よかった。我が家のまわりには、野生の七面鳥(ワイルドターキー)だってたくさん住んでいますので、もしそんなものが「こんにちは~」と玄関から入って来たら、それこそびっくり仰天なのです。

けれども、いったいどうやってハトを逃がしましょうか?

実は、4年前にも、小鳥が家の中に入って来たことがあって、そのときは、太極拳で愛用していた棍棒(こんぼう)で威嚇して、窓から逃がしたのでした。

すばしっこい小鳥は、棍棒を見たらもう殺されるかと思って、一目散で逃げて行ったのでした。

この武勇伝は「夜の訪問者」というエッセイでもご紹介したことがあるのですが、残念なことに、今回は、棍棒はうまく行きませんでした。

ハトという生き物は、小さな鳥ほどすばしっこくはないですし、度胸も座っています。棍棒で威嚇しようにも、「ハ~?」という冷たい視線で横目に見て、右にジリジリ、左にジリジリと二、三歩横歩きするくらいで、驚きもしません。

困ったなぁと思いながら、いったんベッドルームに退散し、再度作戦を練ります。

よしっ、もうこれしかない!

と思い立ったのは、ハトを手で捕まえて逃がすこと。

だって、翌日からは日本で3週間も過ごすのです。その間に、ハトが干上がって、ミイラになっていたら・・・と思うと、何が何でもがんばらなきゃ! という気になるのです。

そこで、高い窓にとどく脚立を持って来て、窓の前に据えてみます。手には薄いゴム手袋をして、指の自由が利くようにしておきます。

そろりそろりと脚立を登って、ハトと視線が同じ高さになると、あちらは「あれ?」という顔をしています。
 目が合った所で、こちらがエイッと捕まえようとすると、一旦は横跳びに逃げたものの、二度目にはおとなしく捕まってくれました。

右手でしっかりと胴体を掴むと、「どうしたのかしら?」という困惑顔でこちらを見上げています。それがとってもつぶらな瞳だったので、こちらもひどく気の毒になって、「大丈夫だから、大丈夫だから」と日本語で声をかけてみたのでした。

すると、言葉がわかったのでしょうか、あちらは安心したような顔をして、手の中でおとなしくなりました。それでも、薄い手袋を通して、心臓がコトコトと速い鼓動を打っているのがわかります。

外に出してあげると、最初のうちは足がもつれていたようですが、そのうちにテクテクと歩いて行きました。きっと窓に何回も激突した疲れが残っているのでしょうが、じきに元気になることでしょう。

あれがもっと大きな鳥だったら、ひどく苦労していたかもしれません。個人の手には負えなくて、最終的には、野生動物の専門家(animal control)を呼ぶハメになっていたかもしれません。

幸い、ナゲキバト(mourning dove)というおとなしい種類のハトでしたし、しかも血気盛んなオスではなくて、女のコのようだったので、わたしの手のひらで何とかなったのでしょう。


そんなご縁のあったハトですが、日本から戻って来て、まだ一度も見かけてはいません。いったい元気にしているのかしらと、少々心配しているところではあります。

我が家のまわりには、チョウゲンボウ(kestrel、小型のタカ)などの猛禽類(もうきんるい)もいますので、ハトだって暢気にしていられる環境ではないのです。

自然界に生きるのも、なかなか大変なことのようですね。

それにしても、わたしは一度も鳥を飼ったことがないので、この日まで鳥を掴んだ経験などありませんでした。

ですから、あの手のひらの暖かい感触とコトコトという鼓動が、とても新鮮に感じられましたし、懸命に生きている生命というものを身近に感じたのでした。

そして、もう一度会いたいなと思うのです。

いえ、家の中ではなくて、お外でね。


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