Essay エッセイ
2009年05月18日

枇杷(びわ)

ゴールデンウィークを東京で過ごしました。

おおむね、さわやかなお天気で、お休みにはぴったりの気候でした。

若葉も目に染み入るほどの緑色を放ち、花々もここぞとばかりにあでやかな姿を見せてくれます。

そんな春爛漫のゴールデンウィークに、珍しいものを手に入れました。

初夏の味覚、枇杷(びわ)の実です。

ホテルの集いの場に置いてあったものをちょいといただいて来たのですが、もう枇杷が出ているなんて、ちょっと驚きではありませんか。まだ5月なのに。


そんな枇杷の実ひとつを手に持って、ふらっと食事に出かけました。

まるで梶井基次郎の短編小説「檸檬(れもん)」のように、テーブルの上に目立つように置いておいたのですが、やはりお店の方も「何だろう?」と思ったようです。

それは、枇杷ですか?と、さっそく興味の目を向けてくれました。

今頃、珍しいでしょと言うと、あちらもうなずきながら、子供の頃、親戚の家に大きな枇杷の木があって、そこによじ登って実を食べてましたよと、なつかしそうに語ってくれました。

果物屋さんに並ぶような、今どきのおしゃれな枇杷と違って、自然のものは種がやたらと大きくて実が肉薄で、食べるところはちょっとしかないんだけれど、甘くておいしいんですよねとおっしゃいます。

それを聞いていると、ふと思い出したことがありました。わたしも子供の頃、庭に枇杷の木があって、夏になるとせっせとよじ登っては実を取っていたなと。枝から実をもぐのは、まるで「収穫」しているみたいで、子供ながらに嬉しいものなのです。

そして、もちろん、収穫のあとの「試食」も楽しみなものではあります。

でも、わたしの場合は嫌な体験があって、パクッとかじりついた実の中に、先客がいたことがあったんです。そう、白い虫の先客が・・・。

それ以来、大人になるまでの長い間、枇杷が食べられなくなってしまいました・・・。

その話をすると、お店の方も、なるほど、それは嫌な思い出ですねと同情してはくれましたけれど、結局のところ、虫も食べないような実は自然のものではないし、農家の方のようにひとつひとつ袋をかけない限り、虫に食べられてもしょうがないでしょと。虫に食べられないまでも、あまり完熟を待ち過ぎると、今度は鳥さんに食べられてしまうので、その収穫のタイミングが難しいのですと。

たしかに、自然のものは、人間さんのものばかりとは限りません。みんなで分かち合わなければならないことも多々あるのです。


食事が終わると、今度は夜のお散歩に出かけました。

大都会の真ん中にある広々とした公園。その隣にそびえ立つビルの群れ。ここは、オフィスやお店や高層ホテルの複合施設で、東京の目新しいアトラクションとなっています。けれども、夜はさすがに行き交う人も少ないのです。

そんな広々とした空間で、言葉を交わしました。

手を洗っていたわたしの洗面台の荷物置きに、重そうなバッグをどさっと置いていた方がいらっしゃいました。この「スペースの侵害」を同行の友人に指摘され、彼女はさっそく「ごめんなさい」と謝っていらっしゃいましたが、枇杷の実ひとつしか持っていないわたしにとっては、3センチ四方ほどの空間があれば十分なのです。

そこで、「わたしはこれだけしか持っていませんから」と、彼女たちに黄色い実を見せてあげました。

え、枇杷ですか? 珍しいですねと、ふたりとも驚いていたようですが、そのうちにひとりがこう声をかけてくれました。

「ありがとうございました。今日は、いい日になりました。」

たぶん、季節外れの珍しいものを見せてもらったので、縁起がいい日でしたという意味でおっしゃったのだと思いますけれども、そう言ってもらったわたしも、すっと心が軽くなったのでした。

そのあと、気持ちのいい夜風に当たりながら、広い公園を通って「ねぐら」に戻ったのですが、心が軽くなったついでに、わたしもちょっと声を出してみたくなりました。

そう、ここは、ある有名人の「真夜中の叫び」で話題になった公園なんですけれど、若者は心が軽くなったとき、叫んでみたくなるものなのでしょうね。


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