Essay エッセイ
2007年08月13日

トルコの結婚式

前回、前々回と、このエッセイのコーナーでは、トルコのお話をいたしました。「不思議の国トルコ」のお話は、まだまだ続きます。

前々回、サンフランシスコからドイツ経由でイスタンブールに入ったあと、暑さと闘いながら、観光初日をなんとか切り抜けたお話をいたしました。

その日は、悪徳タクシーに出会い、大いに憤慨しながら、アメリカ資本のホテルへと逃げ帰ったわけですが、翌日は、ちょっとイスタンブール市街から逃げましょうということで、クルーズに出かけてみました。

すでにお話したように、イスタンブールは、エーゲ海からマルマラ海を通って、黒海へと抜ける「海の道」にありまして、貿易の観点からも、政治の観点からも、昔からとっても重要な港町だったわけですね。

今でも、貨物を積んだタンカーだとか、市民の足であるフェリーだとか、観光船だとか、それこそ、数えきれないくらいの船が忙しく海峡を行き来します。「よくぶつからないなぁ」と、見ていて感心するくらいの混雑度なのです。


わたしたちが乗った観光船は、イスタンブール旧市街の中心地あたりから出発し、ボスフォラス海峡という、黒海へ抜ける海の道をグルッとめぐります。

日中の暑さから逃れ、心地よい風を受けながら、海の上を走る。これは、なかなかの妙案なのです。

出航してすぐ、目の前には、新市街が広がります。そう、イスタンブールは、トプカプ宮殿やブルーモスクの集まる旧市街地と、比較的新しい新市街に分かれます。
 ほとんどの大型ホテルは、こちら側の新市街にあります。

見えている塔は、ガラタ塔。最初に建ったのは5、6世紀というから、昔からすごいものを建てていたものです。
 今は、展望台になっているので、高所恐怖症でない方は、360度の展望を思う存分楽しめるのです。

ちょっと行くと、新市街の急勾配の丘が、すぐそばに見えてきます。

「あ、うちのホテルの辺りだ!」と、まるで数年来ここに住んでいるかのように、親しみを感じてしまいました。


のんびりと行くクルーズ船からは、イスタンブール市内の喧騒(けんそう)とは、まったく違った風景を楽しめます。

なんといっても、建物が美しい。

まずは、ドルマバフチェ宮殿。後日この宮殿を訪ね、その豪華な内装を観賞させてもらいましたが、船から見る外観もまた、絢爛豪華のひとこと。

「これぞトルコ!」といった印象の、超技巧を施した建築様式なのです。

この宮殿は、もともと代々のスルタンが使っていたトプカプ宮殿が手狭だということで、新たに19世紀に建てられた宮殿です。

現在は、トルコ共和国政府の施設となり、重要なレセプションなんかに使われているそうです。それでも、もともとは宮殿なので、女性の館「ハレム」があるのが、何とも印象的ではあります。

(政府の建物ですので、ガイド付きツアーでないと中に入れませんが、トプカプ宮殿とは違った、ヨーロッパ文化の香りを楽しむことができるのです。)


さらに北へ進むと、じきに宮殿風の建物が見えてきます。

こちらは、チュラーン宮殿。19世紀後半にできた宮殿で、火災で焼失したあと修復され、今はホテルになっています。

そう、ここに泊まれるんです。チュラーンパラスホテルといって、トルコでは最高級のホテルと言っても過言ではないようです。なんでも、王族や国賓も泊まるスイートは、世界で5本の指に入るほどお高いとか!

海峡に面した絶好のロケーションを生かし、パラスホテルという名に恥じない美しさを誇ります。(スイートだけではなく、普通の部屋もあるようなので、ご安心を!)


さて、このボスフォラス海峡には、大きな橋がふたつかかっていて、ヨーロッパ大陸に属するイスタンブール(ヨーロッパサイド)と、アジア大陸に属するイスタンブール(アジアサイド)を便利に結んでいます。

橋は、市民の大事な足となっていて、船から見上げた限りでは、いつも交通渋滞のようでした。

橋のたもとには、イスラム教のモスク(ジャミィ)。街中いたるところに、ツンツンと立つモスクの尖塔を見つけます。

ここには、フェリーの発着所もあり、ボスフォラス海峡を右へ左へと、ヨーロッパ大陸とアジア大陸をしっかりと結んでいるようです。


どんどん行くと、ふたつめの橋のたもとに、要塞が見えてきます。なんとなく、ドイツ・ライン川から望む、丘の上の古城のイメージです。

ルメリ・ヒサールという名の要塞で、難攻不落と言われたコンスタンティノープル(今のイスタンブール)を攻略するために、オスマン・トルコ帝国のメフメット2世が、1452年に築いた要塞だそうです。

この海峡部分が要塞で封鎖されたため、武器や物資や兵士を輸送しようとした敵方ビザンティン(東ローマ帝国)軍は、ことごとく撃退されたといいます。そして、イスタンブールは、オスマン・トルコの手中に落ちる。

なるほど、ここに要塞を築いたメフメット2世は、かなりの戦略家だったわけですね。(それとも、誰か優秀な策士がいたのでしょうか?)


そんなトルコの歴史を垣間見ながら、お次は、トルコの人たちの生活へと目が移っていきます。なぜって、このボスフォラス海峡沿いには、高級住宅がたくさんあるから。

何もかもゆったりと造られ、イスタンブール旧市街の斜面に、しがみつくように建てられた住宅群とは、まったく違った印象です。

きっと道路には水売りの少年もいないだろうし、建物の前で内職をする女性のグループもいないのでしょう。

海が見える丘には、大きな邸宅が多い。これは、どの国にも当てはまることのようですね。

どことなく、ノルウェーの首都オスローを思い起こすようでもあるし、サンフランシスコからゴールデンゲート橋を渡った先のサウサリートのようでもあります。

そう、ここは、平均以上の人たちの住むところ。


さて、クルーズの旅を束の間楽しんだ夜は、先ほど船から眺めたチュラーンパラスホテルに出かけました。

トゥーラという名の、宮廷料理を食べさせるレストランがあるのです。

7時の予約でしたが、6時過ぎにはホテルに到着し、庭とホテルを散策してみます。いやはや、実際に歩いてみると、その美しさにまた感動してしまうのです。

ここは、海峡を望み、ゆったりと時間の流れる別世界。う~ん、一度、泊まってみたい!


7時からの営業に一番乗りしたわたしたちは、テラスにある一番いい席に通してもらいました。
 そして、それから2時間、宮廷料理とも創作料理とも言える、繊細なお味を堪能させていただいたのでした。(料理については、後日フォトギャラリーでご紹介いたしましょう。)

ここで、シェフの力作に特別な味覚を添えてくれたのが、真下で繰り広げられる結婚式。

暗くなってから厳かに始まった式典は、まるでわたしたちもお呼ばれしたみたいに、はっきりと見て取れるのです。

「99.8パーセントはイスラム教徒」と言われるこのトルコで、きっと彼らは、少数派のキリスト教徒だったのでしょう。カップルの装束も、壇上で繰り広げられる女性司祭の儀式も、まるっきり西洋風でした。

ちょっと普通と違うのは、壇上に着席するふたりが、その場で書類にサインし、そのあと、ふたりとも列席者に向かってスピーチしたところでしょうか。
(女性の方が主役みたいで、たくさんスピーチしていましたよ。)

けれども、なんといっても驚いたのが、その派手さ。

ふたりが座るひな壇の背後には、大きなカメラクレーンがニョキッ。何百人という列席者を、くまなくアップで撮影しています。まるで、映画の撮影みたい。

そして、式典が始まる前、大きな大理石の階段に花嫁が姿を見せると、フラワーアレンジメントに仕掛けられた花火が、ゴーッと一斉に燃え上がる。
 これがまた、日本の「ゴンドラにドライアイス」に負けないほど、目を引くのです。

それから、きわめつけは、海上にパンパンと打ち上げられる花火!

ちょうど隣の席に座っていたアメリカ人レディーが、「きのうここで見かけたファッションショーのモデルが、あそこにいるわぁ」と言っていたので、誰かしらセレブの結婚式かと思っていたんですよ。

でも、ちょっとおしゃべりしたホテルの担当者が、「いや、お金さえあれば、誰だってこんな結婚式挙げられるよ」と言っていたので、きっと一般の家庭の結婚式だったのでしょう。

それにしても、派手さにかけては、日本にも負けていませんね。

こちらのレストランは、お食事も雰囲気も(お値段も)最高のものではありましたが、本物の結婚式という凄いおまけが付いて、思い出に残る、格別な行事となったのでした。


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