Essay エッセイ
2021年10月13日

世界遺産で1万歩

<エッセイ その187>

こちら福岡では、10月になっても、夏のような暑いお天気が続いています。


10月に入ると、我が家では結婚記念日があるので、毎年どこに行こうかとプランするのですが、今年はギリギリまで計画が定まりませんでした。


いえ、夏の間に行き先は決まっていて、ホテルも予約していたのですが、新型コロナの「緊急事態宣言」が解除されない限りは、ホテルレストランもお酒を出せないというではありませんか! せっかくのフレンチのコース料理なのに、ワインも口にできないとなると、楽しみも半減です。


そんなわけで、事態のゆくえをハラハラと見守っていましたが、10月から午後7時半まではお酒を出しても良いことになり、いったんキャンセルした予約を一泊旅行にしてお出かけしました。


行き先は、同じ福岡県内にある宗像(むなかた)市。2017年に『「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群』としてユネスコの世界遺産に登録された地です。


玄界灘に浮かぶ沖ノ島(おきのしま)は、昔から「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」という厳しい掟(おきて)に守られ、まったく手つかずの自然が残ります。全島が天然記念物でもあり、国の自然保護区にも指定され厳格に守られています。


そして、「神宿る」といわれるほど、「島全体が神さま」という神々しい存在でもあります。世界遺産登録とともに沖ノ島への入島は厳しく制限され、今では神職の方しか入れないようになっています。(沖ノ島の写真は、宗像大社のホームページより)


この沖ノ島には「沖津宮(おきつぐう)」に祀られる「田心姫神(たごりひめのかみ)」が、沖ノ島と宗像の間に浮かぶ大島(おおしま)には「中津宮(なかつぐう)」に祀られる「湍津姫神(たぎつひめのかみ)」が、そして本土の宗像大社には「辺津宮(へつぐう)」に祀られる「市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)」がいらっしゃいます。(写真は、宗像の辺津宮。宮の読み方と神の表記は、宗像大社に準じます)


お三方は三姉妹で、沖ノ島の田心姫神が一番のお姉さま。宗像三女神(むなかたさんじょしん)とも呼ばれ、海外交易の「海の案内人」となった豪族・宗像氏がお祀りした海の神さまです。


9月10日頃からひと月ほど、沖ノ島のお姉さまは真ん中の湍津姫神を訪ねられて中津宮で過ごされたあと、10月1日に執り行われる「みあれ祭」で、お二人そろって、本土の辺津宮に妹の市杵島姫神を訪ねられます。


この「みあれ祭」では、大漁旗を掲げた100隻以上の漁船団がお二人をお守りして、大島から併走するそうですが、残念ながら、昨年と今年は神官の乗るお船4、5隻がひっそりとお二人をお連れしました。(写真は、例年の「みあれ祭」の様子を伝える大島の観光バス)


我が家が宗像大社を訪れた10月3日は、ちょうどこの「秋期大祭」の最終日でしたが、神事は一般には公開されないので、いつもの日曜日の午後といった静かな時間が流れていました。


大社では辺津宮にお参りしたあと、ちょっと高台まで登って、荘厳な雰囲気の「高宮祭場(たかみやさいじょう)」でお参りする方も多いです。


ここは、市杵島姫神の降臨の地とされる神聖な場所。福岡市東区の香椎宮(かしいぐう)にある沙庭斎場(さにわさいじょう)を思わせるような、露天祭祀の場となっていて、よりプリミティヴな雰囲気の中、自然に宿る神々が集うお姿が見えるような気分にもなります。


ちなみに、香椎宮の沙庭斎場(写真)の「サニワ」という言葉には、巫女のそばでご神託を聴き、神意を解釈する者という意味があるそうです。

宗像の高宮祭場では、毎月の月次祭や10月3日の夜神楽が開かれますが、こういったお祭りも、もとは神の言葉を聴く神事から発展したのではないでしょうか。



宗像大社の境内には、沖ノ島の長年の発掘調査で見つかった奉献品の数々を収納する「神宝館」もあり、ここは歴史好きにとっては、ぜひ立ち寄りたい場所でしょうか。


玄界灘の孤島・沖ノ島では、4世紀後半から9世紀末の間、ヤマト王権が朝鮮半島や中国に使節を遣わしたその帰り、無事に航海できたことを神に感謝するために王権に下賜された貴重な品々が奉献されました。


あの有名な『魏志』倭人伝(ぎしわじんでん)にも、船で航海に出るときには、「持衰(じさい)」と呼ばれる航海の呪術師が選ばれ、船が無事に戻れば「生口(せいこう)」と呼ばれる奴隷や財物のご褒美を与えられ、船に災難があれば殺されるとあります。海を渡ることは、船に乗る当事者だけではなく、関係者にも多大な影響を与える一大事だったのです。


ですから、船が無事に沖ノ島まで戻って来ると、祭祀を行って、いただいてきた「お宝」を惜しげもなくお供えしていたわけです。その宝の数々は、今は8万点の国宝となって神宝館に収蔵され、ごく一部が一般公開されて、当時の貴重な美術品を堪能できるようになっています。古墳時代の発掘品を展示する博物館は多々ありますが、より「格の高い」品々を見学できるのです。


こちらは、馬につける雲珠(うず)。日本には4世紀末から5世紀頃に馬が渡来したそうですが、沖ノ島では馬を飾る馬具も数々見つかっています。

こちらの雲珠は、鞍から尻尾にかける革帯につけた金銅(こんどう)製の装飾品(歩揺付雲珠(ほようつきうず):7号・8号遺跡出土、6〜7世紀)。


いろんなスタイルがありますが、馬が歩くとキラキラと輝くだけではなく、チリチリと可愛らしい音もしたのではないでしょうか。


当時、馬は貴重な存在だったはずですから、そんな「お馬さま」を飾り立てる習慣もできあがって、細工師たちがより美しい馬具をつくろうと腕を奮っていたことでしょう。


こちらは、金銅製の龍頭(りゅうとう:5号遺跡出土、6世紀)。一対の龍は酷似しますが、微妙に歯の数が違っていたりするそうです。

一見すると机上に置く装飾品のようですが、こちらは意外にも実用的な品。


その昔、高貴な方が外出するとき、日光が当たらないようにと蓋(かさ)をさしかけていましたが、従者が持つ竿の先に龍頭を取り付け、そこに蓋を吊るしていたそうです。中国・敦煌の洞窟にある唐時代の壁画にチベット王妃にかざす蓋が描かれていて、それで用途がはっきりしたとか。


もしかすると、龍頭をいただいて「これって何に使うんだろう?」と不思議に思いながらも、ありがたい龍だし、美しいから神にお供えしよう! ということになったのかもしれませんね。


こちらは地味な感じですが、鉄製の雛形斧(ひながたおの:8号遺跡出土、6〜7世紀)。「雛形」というのはミニチュアという意味で、当時は武具や工具、鏡や楽器のミニチュアが数多く奉献されていたようです。


隣には、実際に布を織ることができるほど精巧な金銅製ミニチュア織機も展示されていましたが、こちらの鉄製のミニチュア斧は、どことなくユーモラスで、親しみがわきますよね。


開墾や農耕に使われた斧。「豊作になりますように」と、ひとつひとつ心を込めて、雛形をつくったであろう作り手の姿が見えるようでもあります。


そして、こちらが有名な金製指輪(7号遺跡出土、5〜6世紀)。「海の正倉院・沖ノ島」を紹介する際に、必ず引き合いに出される純金製の指輪です。


神宝館の展示会場の入り口に収められていて、絶対に見逃すことのない逸品です。

4つの花びらを持つお花が現代的で、今この指輪をしていても違和感がないですよね。(写真は、神宝館前の看板を撮影したもの)


宗像大社前にある「海の道むなかた館」では、この指輪のレプリカをはめられるようになっていて、実際に指につけてみると、「あ、女性の指にはちょっと大きい!」と思いました。もしかすると、男性用につくられたものでしょうか、それとも、ユニセックス(男女兼用)なんでしょうか。(小指につけているのがレプリカの指輪)


ついでに卑弥呼が好きだったと伝えられる鏡(三角縁神獣鏡)のレプリカも持ってみましたが、当時の鏡はずしりと重くて、ちょいと片手に持って後ろ髪を映す、なんてことはできません。自分用ではなく、祭祀に使うしかない・・・とも感じました。


ちなみに、このレプリカ体験は、今年7月に始まった新企画。いずれのレプリカも、その素材、大きさとほぼ実物のように模してあるので、昔の人々の気分を味わえる面白い体験になっています。



というわけで、宗像大社を訪れた翌日は、三姉妹の真ん中・湍津姫神(たぎつひめのかみ)がいらっしゃる大島に向かいました。


宗像市神湊(こうのみなと)にある渡船ターミナルからフェリーが出ていて、15分ほどで大島の港に到着です。


フェリーを降りて海岸線を左に折れ少し行くと、右手に中津宮(なかつぐう)の鳥居が見えてきます。鳥居の奥の階段を上った先に、歴史を感じる茅葺きの本殿があって、規模は小さいながらも、宗像大社の辺津宮と類似した造りになっています。


正面の拝殿から門を振り返ると、その先には穏やかな漁港が広がり、静かな境内には鳥の鳴き声が響いていました。質素であるがゆえに、より厳かな気分にもなります。


ここはまた、「七夕(たなばた)」の発祥の地ともいわれていて、中津宮の鳥居の左手には、こぢんまりとした織女神社(しょくじょじんじゃ)があります。


ちょっとした崖の上、木々に隠れて見落としそうですが、小さな祠(ほこら)があって、七夕に登場する織姫をお祀りしています。


お相手の彦星はどこかな? と思っていると、鳥居をはさんで逆側には牽牛神社(けんぎゅうじんじゃ)が置かれています。織女神社の足下には「天の川」と命名される小川も流れていて、織姫さまと彦星さまは、ここでも天の川を隔ててお互いを見つめ合っているのです。


この小さな、飾りけのない素朴な祠を眺めていると、昔は織姫と彦星のお二人が実在し、亡くなったあとも、地元の人たちがお祀りしてきたのだろう、と妙に納得してしまうのです。



大島にあるのは、中津宮や織女神社ばかりではありません。さらに北の海岸線へと歩いていくと、沖津宮遥拝所(おきつぐうようはいしょ)というのがあります。


海に面した小高い丘の上に小さな社(やしろ)があって、ここからは、一般人が足を踏み入れることのできない沖ノ島に向かって拝むことができます。


そう、沖ノ島にある沖津宮の出張所みたいなものですね。ここでお参りをすると、三姉妹のお姉さま・田心姫神(たごりひめのかみ)にご挨拶できるようになっています。もともと沖ノ島は「女人禁制」ですから、昔から女性の信者はここでお参りされていたようです。


港近くの静かな住宅地を抜けて北に向かうと、島の真ん中は、小高い山の登り坂。テクテクと歩いていくと、ほんの少し農地が開けていて、そこからは海に向かって下り坂。海岸線まで行き着くと、左手の丘に鳥居と社が見えてきます。


本来は、天候に恵まれると、社からは遠くに沖ノ島が見えるそうです。けれども、この日はお天気が良いわりに、水平線にはうっすらと雲がかかって、大島から30キロ先にある沖ノ島を臨むことはできませんでした。


そんなわけで、ここから山の上の展望台(風車展望所)まで歩いても沖ノ島は拝めないので、海辺でひと休みしたあとは、フェリーターミナルのある集落へと戻ります。


この日は、気温が30度まで上がる真夏のような照り返し。30分かけて丘を上り下り、ようやく沖津宮遥拝所までたどり着いたものの、またまた丘を上って、下ってテクテクと歩かなければなりません。


途中、行き交う人はおろか、車もほとんど通りません。わたし達を追い抜いて行ったのは、島の観光マイクロバス1台と小型トラックが2台。


後ろから小型トラックのエンジン音が近づいてくると、よほど「乗せてくれませんか」と頼もうかと思ったほど、炎天下のお散歩は大変でした。


けれども、まわりの山々や田んぼ、道ばたの草花を見ていると、そんな辛さもやわらぎます。そして、ふと思い出したのが、母の小さい頃のお話。


港のそばの商店街に育った母は、子供の頃から泳ぎが得意で、夏休みともなると、毎日のようにバスに乗って海水浴場まで通っていました。


バスは目の前の通りを行き来するのですが、バス停は、商店街の突き当たりにあって、ちょっと遠い。それで、時々は乗りたいバスが先にバス停に着いてしまって、逃すことがあるのです。


そこで、ある日、家の前に近づいてきたバスの運転手さんに向かって、「止まって、止まって!」と大きく手を振ったら、運転手さんがほんとに止まってくれて、バスに乗せてくれたそう。


母からは何回か聞いたことのある思い出話ですが、まあ、のどかなお話ですこと。今では、どんなに乗りたい人がいても、バス停とバス停の間で止まってはいけない規則になっているのでしょうから、絶対に無理。


社会の秩序ができあがって、規則がたくさんできるのも自然の流れですが、昔ののどかさも、時にはうらやましく感じられます。


そんな思い出話がふっと頭によぎり、ひととき現実を忘れるのも、お散歩の醍醐味なのかもしれません。おかげで、この日は、大島だけで、1万歩を達成しました!


一泊旅行なのに、中身の濃い旅をさせていただいた宗像の地。ここには、古墳群をはじめとして、ほかに見るべきものもたくさんあります。


また宗像を訪れたら、周辺の古墳群や、海女(あま)さんの発祥の地ともいわれる鐘崎(かねさき)漁港にも足を伸ばしたいと思っています。

追記:

ちなみに、大島をまわるには、徒歩のほかに観光バスやレンタサイクル、レンタカーがあります。タクシーは1台しかありませんので、船が港に着くと、すぐにいなくなってしまいます。

沖津宮遥拝所からは観光マイクロバスに乗ろうと思いましたが、1時間に1本ほどしかないので、歩いて戻ることになりました。もっと涼しくなったら、ハイキングも楽しいと思います。


そして、こちらの写真は、潮がひいた時だけ現れる海の道。カップルで歩くと、二人の仲を深めてくれる恋愛パワースポットとのこと。港のすぐ近くなので、大島ではぜひ訪れたい場所でしょうか!



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