Essay エッセイ
2007年03月08日

百貨店めぐり

ある日、東京は強風でした。空は鈍色(にびいろ)。雨も降ると予想され、こういうときは、お散歩なんかしたくありません。

でも、悲しいかな、ホテル住まいをしていると、お掃除のために一日に一回は外出しなくてはならないのです。こんな日は、ずっとお部屋でゴロゴロしていたいのに。

そこで、外を歩かなくていい経路を考えます。まず、地下鉄・大江戸線で新宿の本屋さん、というのは却下です。だって、大江戸線の駅までは、外を歩かなくちゃいけません。

だとすると、ビル続きの日比谷線で銀座でしょうか。でも、いつも銀座へは行っているので、ちょっと食傷気味なのです。

そこで、銀座で銀座線に乗り換えて、日本橋方面へ。いつもは三越前まで乗って、行きつけのヘアスタイリストさんのお店を訪ねたり、三越本店をぐるっと見てまわったり。でも、この日は、ひとつ手前の日本橋でふっと降りてみました。


日本橋。なんとなく懐かしい響き。以前、日本に住んでいた頃は、よくここまで足を伸ばしていました。

この街は、父の学生時代のお気に入りの場所。たまに日本橋に出てきては、丸善で本を探し、高島屋をまわるのがお決まりのコースだったのです。

父がそう教えてくれたとき、梶井基次郎の短編小説「檸檬(れもん)」を思い出しました。黄色い檸檬を持った基次郎は、丸善で華やかな画集の上に檸檬を置き、店を出てくる。それが自然な構図だったから。

それ以来、丸善と高島屋コースは、わたしのお気に入りとなったのでした。


この強風の午後、丸善は省略して、高島屋に入ってみました。ここのエレベーターホールは、昔ながらの立派な大理石の造りになっています。多分、父の頃とあまり変わっていないはずなのですが、それがちょっと嬉しくもあります。

とくに目的があったわけではありませんが、催し物会場の8階まで上ってみました。「加賀百万石の味めぐり」なんて、とってもおいしそうな催しがあるそうなので。

ところが、エレベーターが8階に着くと、案内のお姉さまが、唯一の客のわたしに向かって、「名家百画展」は右のつきあたりでございます、と教えてくれるのです。何やら展覧会をやっているようで、せっかくの好意を無駄にしてはいけないと、ついつい足がそちらへ向いてしまいました。


「名家百画展」。現代の百人の画家たちの作品を集め、展覧会と頒布を兼ねているものです。日本画60作家、洋画40作家と、なかなかのバラエティーの豊富さでした。

中には、平山郁夫画伯のように、超有名な画家もありましたが、不勉強なわたしにとっては、名前を知らない方がほとんどでした。けれども、そんなことにかかわらず、壁に並べられた色とりどりの作品は、背筋がぴりっと伸びるような刺激を与えてくれたのでした。

油絵かと思われるような、斬新な色とフォルムの日本画。大胆に白を基調とした作品で、重ね塗りでもしているのか、卓上のデフォルメされた花が、立体的に目に飛び込んできます。

一方、こちらは具象の風景。緑の山間(やまあい)には豊かな水が流れ、水面(みなも)は淡い緑色に染められています。静けさが広がるこの作品は、名前もまた美しく、「静かに流る」。北野治男氏という京都の方の作品です。

子供の頃から、東山魁夷画伯が大好きだったわたしは、やはり日本画はいいなと思うのです。静かな木立、森に遊ぶ白馬、月の映える湖面。いったい風景画なのか心象風景なのか、画伯の作品は、まさに別世界への誘い(いざない)という言葉がぴったりでした。

時に、本物よりもリアルに心に訴えかける絵。

ほんの小一時間、展示会を眺めていただけなのに、そんな絵が大好きだった頃の自分を取り戻したような気分になったのでした。


そういえば、昔はよく、百貨店で展覧会がありましたよね。わざわざ美術館に出かけて行かなくても、お買い物ついでに気軽に芸術に接することができる。なんとも贅沢な、とってもいい企画だと思います。

歴史的にみると、明治42年に高島屋京都店と大阪店で開催された美術展が、民間初のものだったとか。以来、高島屋美術部は、間もなく100周年。

もともと京都でスタートしたお店は、その頃、「たかしまや 飯田呉服店」と呼ばれていたんですね。飯田は創業者の名、呉服商の飯田新七。


そんな素敵な百貨店の展覧会。近頃は、数字重視の経営方針からか、お金と手間のかかる展覧会はどんどん姿を消していっています。そして、お店のあり方すら変化している。

能装束や絵画・工芸のコレクションを今でも大事に保存する高島屋は、珍しい存在なのでしょうね。

何が出てくるのかわからない玉手箱。それが百貨店の醍醐味でしょうか。子供の頃、一番上等な服を身に着けて出かけた、そんな場所。

こういう玉手箱は、「デパート」と呼んではいけない気がするのです。

追記:文中の絵(最後の写真)は、京都在住の版画家、ミナコ・カワウチ氏の作品です。温かみあふれる「どくだみ」という作品の花の部分を、アップで撮らせていただきました(『京の花ごよみ』青幻舎発行より)。
 この方は、西陣帯の図案の描き手を経て、海外で日本の伝統技術を駆使したインテリアデザイン・制作にも携わった方だそうです。

それから、梶井基次郎が檸檬を置いてきた本屋さんですが、これは、東京ではなく、京都の丸善が舞台となっているそうです。その京都・丸善も、惜しまれながら閉店したということでした。
 閉店する直前、京都河原町店には、基次郎よろしく、檸檬を置いていく人が相次いだそうです。店員さんの目の届かないところに、そっと檸檬を置いていく。早世した基次郎に、そして長い歴史に幕を閉じた本屋さんに、敬意を表する檸檬なのでした。


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