Essay エッセイ
2008年08月01日

長い道のり

前回のエッセイで、結婚式や花嫁さん(と花婿さん)のお話をいたしました。

けれども、考えてみると、結婚というのはゴールじゃなくって、ほんとうはスタートラインなんですよね。

まあ、互いに他人のふたりが結婚というゴールにたどり着いたのは大変おめでたいことではありますが、実は、このゴールはまた新たなスタートになっていて、これから先、長い道のりにはいろんな「障害物」が出てくるわけですね。
 ある意味、結婚生活というのは、二人三脚でやる障害物レースみたいなものでしょうか。

(こちらの写真は、中国・上海市で撮影した屋外結婚式)


そうですねぇ、日本だけじゃなくって、アメリカでも結婚というのは婚約時代の暢気さとは大きく異なるものでして、やはり結婚ともなると、あちらの家とこちらの家の結び付きみたいな意味合いが強くなってくるのですね。そう、本人たちだけの問題ではなくなってくるみたいな。

わたしのお友達が、以前、こんな体験談を語ってくれました。5月に結婚した彼女は、その年の11月末の感謝祭に、ダンナさんの両親を新居にお呼びすることにしました。

最初の感謝祭であり、しかも初めて新居にお招きするということで、彼女は張り切ってお料理に挑戦しました。「お袋の味」を再現しようと、ダンナさんからお義母さんのレシピも聞き出したし、料理の本を買ってきて感謝祭ディナーの基本もしっかりと学んだようです。大きな七面鳥の丸焼きに加えて、ダンナさんの好物であるミートローフとマッシュポテトは絶対にはずせません。

彼女の頑張りの甲斐あって、感謝祭のディナーはおおむね良好に進んだようですが、食後のひととき、暖炉の前に立っていたお義母さんがこんなことを言ったそうです。「あらまあ、ここがきちんとお掃除できてないわぁ。」

お義母さんは、暖炉のマントルピースの上にうっすらとたまっているホコリを指摘していたのですが、そう言うお義母さんの方を見ると、「ほら」と言わんばかりに人差し指が立っていたそうです。そう、ツーッと人差し指をマントルピースの上に這わして、どれだけホコリがたまっているかチェックしていたとか!

わたしはこの話を聞いて、日本の障子を思い出してしまいました。義理のお母さんが新居にやって来ては、障子の桟(さん)に指を這わせ、「あら花子さん、ここにホコリがたまっているわよ」と嫁に指摘する構図を。
 いやはや、アメリカもまったく同じなんですねぇ。なるほど、日本の障子とアメリカのマントルピースは同じ役目を果たしているのでしょうか。

お料理に夢中だった彼女が、マントルピースにまで気配りができなかったのはよくわかるのですが、もしかしたら、彼女自身お掃除が苦手で、それをやんわりと(?)お義母さんが指摘していたのかもしれませんね。

彼女のダンナさんは、東海岸はボストン近郊の出身で、お父さんは自分で設立した会社を成功させた方だそうです。そんなわけで、今はお手伝いさんを雇う余裕もあるのでしょうが、結婚した当初は、お母さんが一生懸命に家事と子育てに専念なさっていたことでしょう。そういう「主婦業のプロ」からすると、彼女がいかにも頼りなげに見えたのかもしれません。


このように、新婚時代は義理の両親との「遭遇」があるわけですが、そのうちにまた別の問題が起きてきますよね。そう、子供の問題。

実は、アメリカでも「お世継ぎ」みたいな概念がありまして、男の子には跡継ぎの男の子が生まれて欲しいと願う人もたくさんいるようです。もともとアメリカは、イギリスから移住してきた清教徒の農耕文化をもとに発展した国ですものね。農家が男の子の跡継ぎを願うのは、ごく自然な伝統だったのかもしれません。

これに関しては、先日、新聞の相談欄にこんな悩みが掲載されていました。

わたしは17歳のときに、もう子供ができないと医者に告げられたのですが、4年前に結婚した相手はそれでもまったく構わないと納得してくれています。けれども、彼のお父さんが問題なのです。お義父さんはひとり息子なので、自分のひとり息子である主人に男の子を作ってほしいと願っていて、「死ぬ前には、孫息子の顔を見てみたいものだ」と、いつもプレッシャーをかけてくるのです。
 主人は正直に話すべきだと言うのですが、お義父さんたちに嫌われたくありません。それに、何か言われたら、わたし自身が悲しくなってしまうと思うのです。わたしはどうすればいいのでしょう。

それに対する回答は、「ご主人に賛成です」でした。ご両親にざっくばらんに事実を話すべきですと。
 お義父さんには、彼の言うことがどんなにあなたを傷つけているのか、理由を含めてちゃんと説明してあげてください。もしそれであなたが嫌われることになったら、それはあちら側の問題ではありませんか。それに、仮にあなたに子供ができたとしても、それが女の子でない保証などまったくないではありませんか。

そう、わたしも回答者に賛成でした。いくら願っていても、叶えられないことはたくさんあります。それで誰かに嫌われるかもと悩むのは、心の健康に悪いではありませんか。
 アメリカでは、日本以上に養子制度が発達していて、養子を取ること(adoption)を「あっぱれなことだ」と歓迎する風潮もあります。そんな国だからこそ、この方だって養子を考えてもいいのになと思ったことでした。


と、結婚というスタートラインを踏み出したカップルが直面しそうなことを書いてみましたが、ある程度、結婚生活が続いてくると、互いの心にも少しずつ変化が訪れてきますよね。

そう、だんだんと落ち着いてくるような感じ。

実は、おもしろい学説があって、新婚当初は、人間の体の化学作用も大いに結婚生活の助けになっているというのです。

これは、ドイツのマックス・プランク研究所のアンドレアス・バーテル博士という若い研究者がおっしゃっていることですが、人が恋に陥ると、ふたつのことが脳の中で起きるのだと。
 ひとつは、恋心を感じることで、脳の中で幸せを感じる物質がどんどん分泌され、幸福や喜びや刺激をもっと強く感じるようになる。そして、それと同時に、冷静に判断を下す部分の働きが鈍り、客観的な判断を下せなくなる。

要するに、恋をするとフワ〜ッと感じると同時に、相手のことが何でもいいように見えてくるということでしょうか。英語のことわざにもこんなのがありますよ。Love is blind(愛は盲目)。日本語ではこうでしょうか。痘痕(あばた)もえくぼ。

どうして、こんな風な化学作用が起きるのかというと、結婚して子供が生まれた場合、お父さんとお母さんが仲良くふたりで子育てができるように、種の保存のメカニズムになっているのだということです。
 そして、この作用が続くのは、最初の2、3年だけ。そう、2、3年経つと、この「Love is blind」マジックは消えてなくなるのです。

すると、そこで愛は消えてなくなるのでしょうか。いいえ、多分、そこからは本当の愛情が生まれるのでしょうね。

そうそう、結婚70年のイギリスのおじいちゃん、おばあちゃんが、とってもいいことをおっしゃっていましたよ。
 「一時的なのぼせあがりが消えてなくなると、そこに初めて本物の愛情が生まれるものだよ (When infatuation settles down, that’s when love comes)」と。

毎日ケンカを繰り返しながらも、70年も一緒に暮らした方々がそうおっしゃるのですから、結婚とはきっとそんなものなのでしょう。


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