デイライト・セーヴィング・タイムってなあに?


なんだか長い名前ですが、デイライト・セーヴィング・タイムは、簡単にいえば、「夏時間」のことです。英語では、Daylight Saving Time、略して DST ですね。
 たまに、サマータイム(Summer time)と言ったりもします。

夏の間、遅くまで日の光が差すように、1時間進める制度のことです。日本ではまだ馴染みがないですが、アメリカだけではなく、ヨーロッパなどでも採用されていますね。

アメリカでは、例年、4月に1時間時計を進め、10月に1時間遅らせて、もとの時間に戻します。
 現在、夏時間の採用期間となっているのは、4月の第1日曜日から10月の最終日曜日で、これは1986年に改定されたものです。
 それまでは、始まりは4月の最終日曜日で、ちょうど半年間となっていました。省エネ対策にいいからと、期間を延ばしたそうです。

そして、間もなく、更にひと月間延長する、という話も聞きました。


夏時間になると、いきなり初夏がやってきたような気になります。それまでよりも、日没が1時間遅くなるからです。

特に、真夏はいつまでも明るいので、夕方、遅くまで外で遊べるし、庭のバーベキューパーティーもやりやすくなります。
 カリフォルニアあたりでは、真夏は午後9時くらいまで薄明るいのです。だから、花火大会も、午後9時半までは開催できません。
 きっと夏の間、省エネに相当貢献していることでしょう。

でも、ひとつ欠点があるとしたら、夏時間に変更するとき、1時間失うことでしょうか。今までよりも早起きしなければなりません。
 それまでの午前7時が8時になってしまうので、朝7時に起きる人は、前日までの6時に起きることになるのです。
 おまけに、もう起きる時刻なのに、あたりが暗かったりするので、寝床から這い出しにくいのです。

まあ、時間が変わるのは、いつも日曜日の未明と決まっているので、いきなり出勤や登校をするわけではありません。でも、慣れるのに何日かかかるので、翌月曜日には、結構つらかったりします。

外国に行ったときの時差ほどではありませんが、「ミニ時差」といえますね。


逆に、10月にスタンダードタイム(Standard time)に戻るときは、なかなか嬉しいものなのです。起きるのは、今までよりも1時間遅くていいのですから。
なんか得した気分になって、その余分な1時間で何をしようかなと考えたりします。

その代わり、夜になるのは本当に早いのです。「秋の日はつるべ落とし」と言いますが、突然、本格的な秋がやってきたという感じです。

午後6時で真っ暗になったりすると、自然の摂理とはいえ、なんとなく憂鬱でもあります。


「ミニ時差」といえば、アメリカ大陸は大きいので、東から西に向かうにつれ、時間帯(time zone)が変わりますね。

アメリカ本土内は、東海岸の Eastern、中部の Central、ロッキー山脈周辺の Mountain、西海岸の Pacific と、4つの時間帯に分かれます。それに、アラスカとハワイが加わり、計6種類の時間帯が存在します。
 だから、新年の「蛍の光」も、国内で6回歌われることになります(アメリカでは、「蛍の光」は、年が明けたときに歌うものなのですよ)。

ハワイは常夏なので、場所によって、夏時間の制度があったりなかったりします。
 ホノルルは、夏時間はありません。だから、カリフォルニアとの時差は、通常2時間で、カリフォルニアが夏時間になると、時差は3時間に拡大するのです。

山岳地帯の Mountain 時間帯の中でも、アリゾナ州のように、夏時間を採用しない場所があります。
 昔、このマウンテン時間の地域を旅行したあと、グランドキャニオンにたどり着いたら、ホテルにチェックインできなかったことがありました。午後3時だと思っていたのに、夏時間のないアリゾナ州グランドキャニオンの現地は、まだ午後2時だったからです。

お陰で、近隣のホピ族やハヴァホ族の工芸品をゆっくり観賞できたので、悪くはなかったですけれど。
(どうも、厳密には、アリゾナ州の中でも、北部のハヴァホ族の地域では、夏時間を採用しているそうです。なんとも複雑な・・・)


ちなみに、時間の表し方に、こんなものがあります。

2:30 p.m. EST Monday” とか “2:30 p.m. PDST Monday

前者は、東海岸のスタンダードタイム(EST)で、月曜午後2時半。後者は、西海岸の夏時間(PDST)で、月曜午後2時半という意味です。
 西海岸と東海岸の人を両方入れてミーティングを設定する場合は、どこの時間帯なのか、明記することをお忘れなく。

それから、もうひとつ。時計を1時間進めるとか、遅らせることを、こういいますね。

Set your clocks one hour ahead” とか “Turn your clocks back one hour

夏時間の始まりをうっかり忘れないために、

Circle your calendar (カレンダーに丸印をつけてね)!

ラトヴィアからの友人

以前、ある雑誌でこう書いたことがあります。アメリカにいて大変なことはたくさんあるけれど、世界中から集まった人たちに会えることは、とても嬉しいことですと。

今までアメリカでは、数えきれないくらいの外国出身の人たちに出会いました。学校や職場の友人たちを合わせると、彼らの出身地は、まさにオリンピックのようです。
韓国、中国、台湾、香港、タイ、ヴェトナム、マレーシア、インドネシア、フィリピン、インド。アジアを離れて、イラン、リビア、サウジアラビア、イスラエル、ヴェネズエラ、メキシコ、アルゼンチン。ヨーロッパでは、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、ポルトガル、スウェーデンなどなど。

ヴェトナム、フィリピン、メキシコなど、アメリカへの移住者が多い国もありますし、スウェーデンのように、あまりたくさん見かけない国もあります。でも、そういった様々な地域から来た人たちが、アメリカという新世界で、英語という共通語でしっかりとつながっているのです。


中でも、ラトヴィアから来た友人は、とても親しくしてもらっているひとりです。ラトヴィアって、あまり聞いたことがないと思いますが、どこにあるかご存じでしょうか。
もともとソヴィエト連邦のひとつだったので、現在のロシア連邦に近いのですが、意外とヨーロッパ寄りなのですよ。
ノルウェーやスウェーデンのあるスカンディナヴィア半島がありますよね。その半島の、バルト海を挟んだ反対側といえばわかりやすいでしょうか。リトアニア、ラトヴィア、エストニアの「バルト三国」の一員ですね。2004年春、三国はヨーロッパ連合(EU)への加盟も許されていますので、名実ともに、ヨーロッパというところでしょうか。

友人ナターシャ(仮名)は、ラトヴィアで生まれ育ちました。だから、ラトヴィアが祖国といえます。けれども、どうしてもアメリカに来なければならない理由があったのです。
それは、ソヴィエト連邦の崩壊です。


ラトヴィアの歴史は古く、北海やバルト海を中心に活躍したハンザ同盟の商業で栄えた国です。首都のリガは、バルト海のパリとも称された街だそうです。このため、民族的にも、もともとのラトヴィア人に加え、お隣のリトアニア系やロシア系など、いろんなヨーロッパ民族が入り混じる構成となっていました。

1917年、ロシア革命でロマノフ王朝の専制政治が倒れ、ロシアに強大なソヴィエト政権が樹立しました。しかし、バルト三国は、社会主義に反する立場を貫き、それぞれ独立国家となりました。

1940年、第2次世界大戦が始まるとすぐに、ラトヴィアは、ソヴィエト連邦に支配されることとなりました。ロシア化政策のもと、ロシア人やウクライナ人が労働者として国内にたくさん移入し、ロシア語が公用語とされました。人々の生活にも文化にも、ロシアのものが色濃く影響するようになったのです。50年にわたるソヴィエト連邦の支配下で、首都のリガでは、もともとの住人であるラトヴィア系は、3割にも満たない少数派となっていたようです。

そして、1991年、ソヴィエト連邦の崩壊にともない、ラトヴィアは共和国として独立しました。ラトヴィア人にとっては、今までの半世紀にわたる支配から離れ、自由を満喫できる環境となったのです。ところが、これは、すべてのラトヴィアの人に当てはまることではなかったのです。

独立以降、ラトヴィアでは政策が一変し、このままでは消滅するといわれていたラトヴィア語が公用語とされ、ロシア語やロシア的な文化活動は排除される動きが出てきました。国民の多くがロシア語を話し、ロシア文化を踏襲するにもかかわらず。
そして、ラトヴィア系でない人たちは、この地で生まれても市民権をもらえないという悲劇が起きました。最大の少数民族であるロシア系は、国民の3割にも達しますが、その6割が市民権を得られなかったといいます(ラトヴィアは、スカンディナヴィア半島に近いため、金髪の人が多いなど、身体的特徴も北欧に近いのです。ですから、ロシア系で濃い髪の人の場合、見た目でも区別がつきやすいようです)。


ナターシャは、ロシア語を話すユダヤ系です。そのため、今まではソヴィエト連邦の国籍を持っていたのに、ラトヴィアの誕生とともに、彼女と家族は全員、無国籍となってしまいました。国籍がないので、正規のパスポートも取れません。
そんな仕打ちを受けた人の多くは、外国に移住することを決意しました。ナターシャは、夫とふたりの息子とともに、シリコンバレーに移りました。家族はみんなコンピュータ関連のエンジニアだったからです。両親と姉家族は、イスラエルに移っています。アメリカとイスラエルには、昔のソヴィエト連邦のパスポートで逃げることができたようです。
そして、数年前、ナターシャはめでたくアメリカの市民権とパスポートを手にし、初めて外国に行けるようになりました。もう誰にもはばかることなく、世界中を行き来できるのです。

ラトヴィアの政策に、内外から厳しい非難が向けられていましたが、最近になって、ようやく制度が変わり、無国籍の人もテストを受ければ国籍を獲得できることとなりました。アメリカなんかで市民権を取るのと似ていますね。歴史のテストや公用語での面接などに合格して、新しい祖国への忠誠心を誓うという。
けれども、ラトヴィアの場合は、みんなラトヴィアで生まれているのに、市民として認められていなかったわけです。ですから、中には、怒りに燃え、絶対に市民権のテストなんか受けないぞとがんばっている人もいるそうです。そうすると、市民としての優遇措置を受けられないわけではありますが、そんなことよりも、不快だという意思表示をすることが大切なようです。頑固一徹なご仁は、どの世界にもいるものなのです。

そしてもうひとつ、奇妙なことが起こりました。無国籍化した人が国外へ移住したあと、今になって、ラトヴィアに昔持っていた家やアパートを取り戻すことができるようになったのです。街並みがあまり変わらないヨーロッパの場合、住む場所は何世紀もそのままという所もあります。そこで、ソヴィエト連邦の支配が始まる以前、1930年代の昔に持っていた住み家を、今になって取り戻すことができるようになったのです。
しかし、事はそう単純ではありません。現在、その場所に住んでいる人たちはどうなるのでしょうか。ナターシャのラトヴィア系の親友も、そんな目に遭いました。ある日、ドアを開けたら、見ず知らずの人が立っていて、自分がこれからここに住むから出て行ってくれと通達されたのです。仕方がないので、移転先を必死に探し、間もなく引っ越すことになっています。勿論、いくらかの補償は支払われます。けれども、そんなものはいらないから、今までの平穏な生活を守らせてよというのが本音でしょう。

どうやら、これら一連の制度改革は、どのラトヴィアの人にとっても、憤懣が残る結果となったようです。


このお話は、アメリカに移住して12年、2005年の夏、初めて祖国に戻ってみたナターシャが、問わず語りに話してくれたものです。長い間、母国を訪れることができなかったので、旅に出る前、それはそれは楽しみにしていたものでした。
そして、写真をたくさん撮って戻って来たナターシャは、生まれ故郷である首都リガに一週間しかいられなかったことが、ちょっと残念な様子でした。けれども、大学時代の勉強仲間だったご主人と初めてデートしたカフェだとか、有名な先生の講義を聴いた教室だとか、思い出の場所をいくつも廻ったり、昔からの大切な友達をひとりずつ訪ねたりと、充実した一週間だったようです。往年のプリマバレリーナ、マヤ・プリセツカヤの80歳の誕生祝いで、彼女自身がリガの舞台を踏み、優雅な舞を披露したと、興奮気味に語ってもくれました。


バルト海のパリ・リガは、さすがに首都だけあって、堂々とした古い街並みがそのままの姿で残されているようです。あちらこちらに雰囲気のいいカフェがあったり、噴水や芝生の整備された広々とした公園があったりして、スウェーデンの首都ストックホルムにも似ているなと、写真を見て思いました。やっぱりスカンディナヴィアとは文化圏が近いのかもしれません。
その一方で、新しく開発された区画では、どんどん目新しいビルが立ち並び、昔の面影はほとんど留めていないようです。

リガ郊外には、ナターシャがアメリカに来るまで十数年間住んでいたアパートが、今でも残っているそうです。懐かしいから行ってみたんだけど、あれから誰も外壁を塗り直してないし、補修工事もまったくしていないから、もうがっくりくるほどビルが傷んでいたわ、ともらします。確かに、写真を見せてもらうと、遠くからでも外壁の一部が朽ち落ちているのがわかります。持ち主である市当局がちゃんと管理をしていないのよ、と不服そうです。

そして、その前にナターシャが住んでいたアパートも、そっくりそのまま残っています。戦後間もなく、ナターシャが5歳のときに、ウクライナから来た両親が移り住んだアパートです。ナターシャはここで育ち、大学に通い、そして、ご主人と出会いました。結婚してからも、数年間はここに住んでいたのです。
白い外壁の瀟洒なアパートですが、中はそんなに広くはないといいます。アメリカ式にいうとワンベットルーム、つまり、ベッドルームひとつに居間、それにキッチンが付いているだけです。姉は先に結婚して出て行っていたので、ナターシャと夫がベッドルームを使い、両親が居間を使うという部屋割りだったそうです。ナターシャの息子はふたりとも、このアパートにいたときに生まれました。

それはアメリカの家のように広くはないけれど、父が発電所のエンジニアだったから、こんな中級のアパートに住むことができたのだと、ナターシャはいいます。もっと狭いアパートに住むしか選択がなかった人たちも大勢いたのだそうです。
でも、どんなに余裕のない生活であっても、ギューギュー詰めの暮らしであっても、なぜか楽しい毎日だった。うまくは説明できないけれど、何となく幸せな日々だったのよね。祖国から戻ったナターシャは、ぽつりとこう語ってくれました。

遠い国、ラトヴィア。でも、遠いばかりではありません。あちらでは、ソバの実を好んで食べたりもするそうです。別にお蕎麦にするわけではなくて、お米のように炊いて食べるそうですが、不思議と日本と似ているところもあるのですね。

Silicon Valley NOW:満5歳となりました!

Vol.77

Silicon Valley NOW:満5歳となりました!

早いもので、このSilicon Valley NOWのシリーズも、今月で誕生5周年を迎えました。2000年12月1日に掲載された「ハロウィーン:Trick or Treatの社会学」なるものが、シリーズ・デビュー作となります。

思えば、5年前、Intellisync Corporationの日本支社の方から、何かシリコンバレーについて書いてみませんかと誘われたのが、すべての始まりでした。特にテクノロジー分野にこだわらず、現地に住む人の目でシリコンバレーの生活を書いてみてください、それがご依頼でした。

第一作目は、インターネットバブル崩壊期の様子を「ドットコムの将来は?」と題し、3部作で書いてみました。が、ちょっと気張りすぎて、業績の数字なんかが先行し、面白みに欠ける試作品となってしまいました(さきほど読み返そうとしましたが、途中で挫折)。
シリコンバレー在住のインテリシンク株式会社の社長さんに試しに読んでいただくと、「だめだめ、ぜんぜんおもしろくないよ」のひとこと。おまけに、たとえに出していたアメリカの人気番組も、日本の人には何のことだかまったく伝わらないよと、完全なダメ出しでした(その頃はまだ、「サバイバー」やら「ミリオネア」なんかの話題作が日本に渡来していなかったのです)。
そこで、思い直して電光石火で書いたのが、デビュー作「ハロウィーン」です。すると、社長さんからは、「あんなクソおもしろくもないものから、よくまあすぐにこんなのが書けるねえ」と、ヘンな褒められ方をされ、とりあえず合格となりました。もともと自分の誕生日に近く、おとなも子供もみんなが楽しめるお祭りなので、ハロウィーンが大好きだったことも幸いしました。やはり、お題目を愛さなければ、いいものは書けませんからね。それ以来、今でも、社長さんが抜き打ちで品質検査をするので、手が抜けないのです。

まあ、ハロウィーンのあとの2作は、いきなり医療業界のオンライン化などと、ちょっと気張った内容になってしまっていますが、基本的には、シリコンバレーに住む人たちが感じていることを書くのが、ここのテーマなのです。時には、シリコンバレーを大きく飛び出し、カリフォルニアやアメリカ全体、そして、日本やヨーロッパやアフリカのお話が出てきますが、シリコンバレー在住のライターから見るとこうなります、といったところでしょうか。
今年は、最初にサンフランシスコに引っ越してきて、25周年記念でした。その間、ずっとカリフォルニアに住んでいたわけではなく、日本やフロリダに住んでいた時期もあります。けれども、振り返ってみると、ところどころ記憶は抜けていますが、ずっとサンフランシスコ・ベイエリアに住んでいたような、そんな気もしています。もう充分に、第二のふるさとかもしれません。

途中でこのシリーズの存在を知った方が、最新作だけでは飽き足らず、連載第1回までさかのぼって読んでしまったと、おっしゃってくださることがあります。それは、書く者にとって、最高の賛辞だと思っております。
たったひとりでも「あ~、おもしろかった、読んでよかった」と言ってくださる方がいれば、それは大成功なのです。そして、満足していただける方がひとりでもいらっしゃる限り、自分のベストを尽くそう、そう思いながら書いています。いつも必要以上に物事をほじくり返すのは、そういったこだわりがあるからなのです。まあ、知りたがり屋の性格ということもありますが。

いつか、毒舌家の友人が、「どうして小説は書かないの?想像力がないから?」と尋ねたことがありました。う~ん、鋭い!と思いながらも、「いや、小説って、自分の内面を大型スクリーンに投影するようなものでしょう」などと、理屈をこねてみました。まあ、言葉が隠れ蓑となる詩と違って、小説は逃げ場がないと思っているわけですが、それと同時に、世の中の出来事ほどおもしろい、摩訶不思議なことはないと信じていることもあります。まさに、事実は小説より奇なりなのです。そして、毒舌を吐く友人は大事にしなければと思うわけです。

このシリーズを掲載するにあたって、いろんな方にお世話になってきました。この場をお借りして、お礼を申し上げたいと思います(記事の内容や編集に関しては、筆者個人が全責任を負うものです)。
それから、発案してくださった小林さん、なんとか5年間続けてまいりました。そして、Silicon Valley NOWという素敵な名前を、どうもありがとうございました。これからも、品質検査にひっかからないように努力いたします。


<アメリカの一年>

今年もいろんなことがありました。おもな出来事を思い出すままにリストにしてみると、残念ながら、いいことよりも悪いことの方が先行します。

アメリカでは、2001年9月のテロを境に、急に世の中が暗くなったわけですが、昨年11月ブッシュ大統領が再選し、お仲間の共和党議員が大勝利をおさめたあたりから、ますます暗く、重苦しい世の中になっています。宗教原理主義をベースとした政治がまかり通り、それは政策のみならず、世論にも反映されています。今まで論理で抑えられていた黒い力が台頭してきているのです。
国内では、生物界の基礎である進化論や、幹細胞研究、末期医療、女性の生む権利といった生命に関する思想への攻撃がさかんになり、国際的には、HIV/AIDS援助プログラムが大幅にカットされています。"Faith-based(信仰に根ざす)"ポリシーのもと、自分たちの神の定めるモラルや教義が最優先なのです。科学は軽視され、世の出来事や現象はすべて曲がったレンズで解釈されます。地球の温暖化も科学者の妄想とされ、京都議定書にはそっぽを向きます。環境汚染に関する科学者の報告書も、上からのプレッシャーで、省庁のお役人が堂々と改ざんします。環境保護庁などの省庁を辞めた科学者は、今までたくさんいます。

いつまでも終結しないイラク情勢も、影を落とす要因となっています。今年に入って、ようやくイラク介入に反対する声が大きくなり始めましたが、国民の大部分は、反戦のスローガンは米兵の士気を妨げ、好ましくないと信じています。カリフォルニアでは、死亡した米兵を表す十字架が海岸を埋め尽くし、"西のアーリントン墓地(Arlington West)"として、その日の仮の祈りの場となりますが、多くの地域では、そんなことは馬鹿げて映るようです。そして、当のアーリントン墓地では、若くして命を落とした兵士の墓石に、"イラク解放作戦(Operation Iraqi Freedom)"などと、政府のPRフレーズが刻まれます。
"No child left behind(すべての子供が取り残されないように)"という教育政策のもと、政府の補助金をもらう公立学校では、軍隊のリクルート要員を校内に入れなければならないという規則ができあがっています。軍隊に入れる18歳に満たない子供たちを相手に、リクルート活動をするのです。志願者が軒並み定員割れしており、軍も必死なのです。入隊を約束してくれたら、ボーナスや大学の奨学金を差し上げます、そんな甘い言葉で誘います。アメリカ国籍を持たない移民でも大丈夫。CIAやFBIには入れなくとも、軍隊には志願できるのです。戦地に赴けば、国籍取得という特典もあります。有名私立に通う政治家の子供たちには、そんなことは関係がありません。どうせ下層階級の事ですから。

天変地異も多い年でした。ハリケーン・カトリーナはその最たるものでしたが、温暖化現象のせいか、今年はハリケーンの数が異常に多かったようです。なんでも、大西洋で起こった13のハリケーンというのは、154年の観測史上最多だそうです。ヨーロッパでは、夏の干ばつに続き大洪水も起こり、パキスタンでは大地震です。アフリカ諸国では、干ばつと害虫の被害で食糧危機に陥り、ニジェールでは、今でも3百万人が飢えに瀕しています。
災害の後は、復興が遅れます。ニューオーリンズでも、住民がなかなか地元に戻れず、5万世帯が全米のホテルで避難生活を続けています。人が戻り始めたのは、フレンチクウォーターのある中心部だけで、70万の人口は、現在6万人となっています。街を囲む堤防のあちこちに構造的な欠陥が見つかり、簡単に修理はできないようです。堤防工事が完了しなければ、25万戸の住宅を建て替えるわけにはいきません。遺族の心痛はつのるばかりで、家族に戻された仏様は、わずか5百体のみです。救助活動の遅れで遺体の損傷がひどく、返そうにも、返す先が見つからないのです。1927年、市の中心部の白人居住区を守るため、黒人の貧困地区に向け、堤防が破壊されたことがありました。人々の心に、そんな歴史がよみがえります。
そういった庶民の苦しみの裏で、ハリケーンを名目に高騰したガソリンや天然ガスのお陰で、せっせと札束を懐に入れている人もいます。議会が動き出すと、途端に小売価格が下がり始めるのは、どう見ても不自然です。政権にコネを持つのは必須のようです。なにせ、石油業界の献金の8割は、大統領率いる共和党に注がれているのですから。
天災と人災はいつも隣り合わせですが、有名なアメリカの小説家、カート・ヴォネガット氏は、多発する災害をこう表現します。地球の免疫が、人類を毒素として排除しようとしているのだ。

経済界で今年一番の話題となった本に、"The World is Flat"というのがあります。ニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、トーマス・L・フリードマン氏の大作です。シリコンバレーを中心とする原動力によって、西や東だとか、先進・後進だとか、地理的位置だとかは、もはや関係がなくなりつつある。世界が平らになり、人や物が自由に迅速に流れるようになると、アメリカのあり方も変わるべきだと示唆しています。
昨今、アメリカでは、1千1百万人ともいわれる不法移民対策が声高に唱えられ、国境地域で武装した民間自警団が生まれています。ビジネス界やアカデミアでも、合法的移民へのビサ発行数が最低限に抑えられています。テロ対策という大義名分もありますが、その影に、こういったアメリカ人の不安が隠れているようです。中国やインドにすべてを持っていかれる前に、今国内にあるものは、是が非でも守り抜かなくてはというヒステリアが。
しかし、そのことで犠牲にしているものには気が付いていないようです。アメリカは、移民で豊かになった国です。世界中から人が集まり、自由な斬新なアイデアが生まれる場となるのです。職場や大学が外国人を歓迎しなくなったら、活力の源が枯渇してしまいます。国に垣根をめぐらせば、頭脳明晰な学生がアメリカの高等教育を避けるどころか、頭脳の流失が起きてしまいます。
現に、規制の厳しい幹細胞研究の分野では、イギリスやシンガポールに居を移す科学者が出てきています。昨年11月、全米に先駆け、住民投票で30億ドルの資金提供が決まったカリフォルニアの幹細胞研究ですが、間髪入れず、条例の不当性を訴える申し立てが2件起こり、一年たった今も、資金調達の公債発行は凍結されたままです。今は、細々と民間の寄付でまかなわれているのが現状ですが、その間にも、研究者は次々と逃避行しています。

現政権はあと3年続きます。2008年が終わる頃には、世の中はどうなっているのだろう。そんな風な危機感を持つのは、どうやら筆者ばかりではないようです。
たとえば、インドを始めとして海外に大きな投資を続けるIntelですが、会長のクレイグ・バレット氏は、こう語ります。ヨーロッパは現在、経済の空洞化で失業率が非常に高く、アメリカよりも状態は悪いわけだが、このままでは、あと何年後かにアメリカも同じになってしまう。それを防ぐためには、今以上に頭脳を失わない必要があるのだと(11月30日、CNBCとのインタビュー談)。
自身もヨーロッパからの移民であるIntelの創業者のひとり、アンディー・グローヴ氏は、かなり手厳しい見方をしています。科学や起業の分野で世界のリーダーシップを保つほど、アメリカには創造性がなくなってきていると。天地創造説の再来を始めとする国内の"反科学"の動きや、世界の"グローバル化"が挙げられています。知識労働者というものは、もはや世界の日用品になっているのだと(10月12日、インタビュー番組"Charlie Rose"での談話)。


<今年の流行語は?>

日本では、「小泉劇場」やら「想定内(外)」が流行語大賞に選ばれたようですが、アメリカでは今年、そこまで流行った言葉はなかったような気がします。あえていうなら、「ポッドキャスティング(podcasting)」でしょうか。ご存じの通り、「ポッド」はアップル・コンピュータのiPodを指し、「キャスティング」は放送を表す「ブロードキャスティング」から来ています。ラジオ番組のような音声を、従来のラジオではなく、インターネットを介してパソコンやiPodに自動的に配信し、いつでも、どこでも自分のスケジュールで番組を楽しめる、そんな新たなメディアのあり方を実現したものです。
これだと、大手ラジオ局チェーンだけではなく、誰もが、みんなの欲する情報の発信者となれるわけです。たとえば、一日中、大好きなワインの話を発信する人もいますし、野球のことなら任せてよという人もいます。そんな人気に乗じ、新聞や雑誌のコラムにも、音声発信が広がっています。テレビのニュース番組だって、あとから音声で聞けるので、見逃したって大丈夫。
ポッドキャスティングは別にアップルが始めたわけでもないですし、ポッドキャストを受けるデバイスは、何もiPodに限らないわけです。しかし、さすがに今四半期9百万台の売り上げが予想されるiPodは、その勢いで、流行語まで生み出すのです。

そんな話題の「ポッドキャスティング」に続けとばかり、シリコンバレーの住人たちは、年末の造語コンテストで独自の表現を編み出します。
以前一度ご紹介しましたが、サンノゼ・マーキュリー新聞が募集するこの造語コンテストは、正規の単語のスペルにアルファベットをひとつ足したり、変更したりして、まったく新しい意味の単語を作り出し、一年をうまく表現するというものです。以下に、5つの部門から代表作をご紹介しましょう。

まず、今年もiPodが目立ちます。たとえば、bipod。これは、耳から電線をぶらさげ、二本足で闊歩する動物のことです。二足歩行の動物を指すbipedから来ています。お次は、podfast。ティーンエージャーの娘や息子にiPod を買ってあげなかったので、親への抗議のために起こされたハンストのことです。これはpodcast(ポッドキャスト)の変形版で、fastというのは、breakfast(朝食)にもあるように、断食を指しますね。
そして、iPad。アップル製品に完全に占拠されてしまった居住空間のこと。Padは、古語で家の意味です。このiPadは、前回話題となったMicrosofa(マイクロソファー)に類似しています。家具屋のショールームで見るとちょうどよかったのに、家に入れるとだんだんと自己主張し始め、そのうち、互換性(協調性)を保つため、テレビも含め、他の家具を全部入れ替えなければならなくなるソファのこと。

栄えある大賞に選ばれたのは、hubridsです。ハイブリッド車を表すhybridsの転換語です。ハリブリッド車の代表選手、トヨタのプリウスを持つがゆえに感じる、過剰なプライドのこと。ちょっと難しいのですが、どうも、ギリシャ語源のhubris(ごう慢)からきているようです。
今年アメリカでは、ガソリン価格の高騰で、いきなりSUVからハイブリッドに人気が移ったのは確かです。そして、アメリカ人全体の車のローン額が10月時点で減少しているところを見ると、夏から秋にかけて、車の買い控えも起きているようです。

大賞は逃したものの、kung fluも堂々とトップページに掲載です。人を完全にノックアウトしてしまうアジア型の意。おわかりのように、kung fu(カンフー)とavian flu(鳥インフルエンザ)をかけています(avian fluは、bird fluとも呼ばれます)。
外国からどんどん人が入ってくるアメリカでは、夏あたりから鳥インフルエンザの脅威を感じていて、タミフルなどの薬の備蓄や鳥インフルエンザ・ワクチンの開発が急がれています。なんでも、史上一番ひどかったインフルエンザの大流行、1918年?19年のスペイン風邪(Spanish flu)は、ウイルスの遺伝子を復元調査してみると、鳥インフルエンザだったことが判明しています(今年10月、科学ジャーナルNature誌とScience誌で発表された、科学者2チームの長年にわたる研究結果。当時の感染者の肺の細胞から、ウイルスの遺伝子配列とウイルス自体が復元されています)。
ネズミの実験から、このウイルスは、現代のH5N1型と違って、伝染性が非常に高かったことが明らかになっています。が、H5N1型にしても、今後の変異が心配の種ではあります。備蓄したタミフルが、変異した鳥インフルエンザに効く保証もないですし。

政治の世界からひとつ。カリフォルニアのシュワルツネッガー知事をおちょくった、referendumb。知事の大好きな「住民投票」referendumに、「おバカさん」のdumbがくっついています。これは、多くの反対を押し切って行われた11月上旬の州住民投票で、知事が完全に敗退したことを表しています。知事個人が出した提案四つは、すべて住民に却下されました。庶民の味方である学校の先生や看護師さん、消防士さんなんかを敵に回すと、勝ち目はまずありません。
この中には、州内を牛耳る敵対勢力・民主党をけん制するための、選挙区改正案などもありました。現在、議会が定める選挙区の区分けを、無作為に選ばれた元裁判官三人にゆだねるものです。昨年のテキサス州の選挙区改正で、これが反対勢力の撃退に有効であることは証明済みです。ゆえに、州外からの関心も高く、有名な他州選出の共和党連邦議員も、提案賛成のテレビコマーシャルに友情出演しています。ディスカウントチェーン最大手のWal-Mart(本社アーカンソー州)も、キャンペーンへの献金を欠かしません。民主党がカリフォルニア州を管理していては、商売がやりにくいようです。
現在、ノックアウト寸前のシュワルツネッガー知事ですが、州民の支持は3割と低迷しています。ごく最近、民主党の中から補佐官を選ぶなど、お仲間・共和党の聞こえもよくないようです。それでも、来年の州知事戦には出馬する意欲を表しており、今後の展開が楽しみではあります。

そして最後に、ポップカルチャー部門からは、sexpectation。これは、先月号でご紹介したABCの超人気テレビドラマ、"Desperate Housewives"の視聴者が、毎回ドラマに抱く密かな期待感。期待を表すexpectationの変形ですね。
先月は、"Desperate Housewives"を始めとして、ABCやDisneyチャンネルのテレビ番組が、アップル・コンピュータのiTunesミュージックストアで購入できるようになったことをお伝えしました。放映の翌日に1ドル99セントで購入し、パソコンやビデオiPodで観賞できるのです。発売開始8週間で、3百万本ものビデオコンテンツがダウンロードされています。
これに負けじとNBCは、人気の犯罪捜査ドラマシリーズ"Law & Order"や、若い層に絶対的支持を受ける深夜コメディー番組を、同様にiTunesで発売すると発表しています。
一方、残る三大ネットワークCBSは、アメリカ最大のケーブルテレビ配給会社Comcastで、人気番組のオンディマンド配信を始めることを発表しています。一押しの犯罪捜査ドラマシリーズ"CSI"や、リアリティー番組の王様"Survivor(サバイバー)"などが、一話99セントで1月から購入可能となります。
オンディマンド方式としては、NBCも衛星テレビ配給会社DirecTVと契約を結び、ご自慢の"Law & Order"や、系列USAチャンネルの刑事コメディー番組"Monk"などを、オンディマンド配信する予定です(ComcastとDirecTV、いずれの場合も、オンディマンドに対応するセットトップボックス(STB)が必要となります。けれども、現行のデジタルビデオ録画機には、STB機能が付いているものが多いので、この場合、新たにデバイスを追加する必要はありません)。

先月号でもご紹介したケータイでのテレビ画像配信ですが、Verizon WirelessのVCast対応機種であるSamsung a950は、感謝祭の翌日から3日間、50ドルという破格の値段で売られました。その翌日からは、今度はLG VX8100が100ドルに値下げされています(いずれも元値は250ドルで、2年契約に基づくキャンペーン価格)。歳末商戦はバラ色と、キャリア陣はほくそ笑んでいるやもしれません。

テレビ、パソコンに引き続き、iPod、ケータイと、火のついたビデオコンテンツ配信ではありますが、きっと来年も熱い視線を集めることでしょう。そのうち、衛星ラジオのXMやSiriusも、ビデオコンテンツに乗り出すことでしょう(周波数帯域の買収などのインフラの面では、XMが一歩リードしているようではあります)。
1月9日から、ラジオ界の超大物パーソナリティー、ハワード・スターン氏を起用するSiriusですが、彼の番組などは、画像があった方が、受けがいいこと間違いなしです。なにせ、宣伝文句は「自由を打ち鳴らせ!ストリッパーによって打ち鳴らすのだ!」ですから。このスターン氏、ラジオ界では最もたくさん罰金を科せられたご仁なのです。今までラジオ局がFCC(連邦通信委員会)に払った罰金は3億円以上だそうな。どうなることやら。


夏来 潤(なつき じゅん)

お楽しみケータイ:アメリカの娯楽ケータイ最新事情

Vol.76
 

お楽しみケータイ:アメリカの娯楽ケータイ最新事情

今まで、この場では携帯電話のお話をほとんどしたことがなかったので、今回は、ちょっと目先を変えて、アメリカの娯楽ケータイ新サービスなどをご紹介いたしましょう。


<楽しいケータイ:音楽編>

原始時代のケータイをそろそろ買い換えようと思って、いろいろと探しているところです。近頃は、アメリカのケータイもずいぶん楽しくなってきて、一般消費者に向け、いろんな付加価値を付けてくれています。どうしても、お金になるビジネス向けサービスが先行してしまう米国のケータイ事情ですが、ここに来て、大変革を遂げつつあります。

まず、音楽です。9月上旬、あのアップル・コンピュータが超薄型iPod nanoを発表したのと同じ舞台で、MotorolaのRokr(ローカー)が大々的にお披露目されました。Rokr E1は、ちょっと大きめのケータイにアップルの音楽管理ソフトiTunesが載ったもので、お気に入りの歌を最大100曲、ケータイに入れて持ち運ぶことができるのです。いわば、ケータイとiPodのハイブリッドですね。携帯キャリア最大手のCingular Wirelessが、サービスを独占提供しています。
着メロ以来、MP3プレーヤ付きの端末はあまたあったものの、ようやく気軽にケータイで音楽が聴けるようになったわいと、一同ぬか喜び。しかし、その実、新しい歌を携帯ネットワークからダウンロードできるわけではなく、自分のパソコンからUSBケーブルで"移す"というものでした。100曲というRokrの許容量も、なんとなく生ぬるい感じではあります。
けれども、若者層に強いCingular Wirelessは、さっそくiPodみたいなおしゃれなコマーシャルを流し、ティーンの注目を集めたのは確かです(激しい音楽をイヤフォンで静かに聴きながら、一方で、影の分身は音楽に合わせて踊っている。でも、着信すると会話に切り替わるので、大事な友達の電話をミスってしまうことはない)。マドンナなんかのセレブがわんさか出てくる、とってもお高いCMバージョンもあります。
発売から3ヶ月、Rokrの人気はじわりじわりと上がりつつあるようで、立ち寄ったショッピングモールのCingularキオスクでは、「昨日の日曜日、5台も売ったのよ」とセールスギャルが語ってくれました。でも、その代わり、デモに使っていた彼女自身のRokrが盗まれてしまったとか(GSM/GPRSを採用するCingular では、SIMカードを差し替えれば、誰でも使えるのです。ですから、紛失や盗難の際、遠隔地から大事なデータを消すなどの機能が必須となってくるのです)。

このCingular Wirelessは、昨年AT&T Wirelessを買収し、それまで最大だったVerizon Wirelessを契約者数で抜き、アメリカで一番大きなキャリアとなっています。もともとCingularは、ひと月に残った会話時間を翌月にまわせるプラン(roll-over plan)を生み出し、若い層に支持を広げていました。
一方、AT&T Wirelessは、ティーンに絶大な人気を誇るテレビ番組"American Idol(アメリカン・アイドル)"で、自分の大好きなアイドル候補者にテキストメッセージで投票できるというシステムを導入しました。ティーンは、大統領選挙なんかよりも、アメリカン・アイドルの方に投票するといわれるくらいの大成功をおさめています(5ヶ月間の勝ち抜き戦で、何千人の応募者の中からたったひとりのアイドルを選ぶ番組です。佳境に入ってくると、毎回、数千万の投票数を誇ります。ちなみに、本物の投票は18歳からできます)。
CingularとAT&T Wirelessの合併は、若い層を獲得して伸びるという路線上では、なかなかいいものといえるようです。iTunesソフトを提供したアップルとも、そういう点ではしっくりいくのかもしれません。

CingularのRokrが、音楽を直接ダウンロードできなかったのに対し、Sprint Nextelは、10月末、Sprintミュージックストアというサービスを発表し、アメリカで初の本格的ケータイ音楽サービスを始めました。11月に入り、テレビでもちょっと地味なコマーシャルが流れるようになっています。
このサービスは、EMI、Sony BMG、Warner、Universalの大手レーベルが提供する25万曲の中から、一曲2ドル50セントでダウンロードできるものです。今月出たばかりのSanyo 9000とSamsung SPH-A940が対応機種となっています。ダウンロードもとっても速いとか。メモリーを1GBにすると、最大1000曲まで入れられます(Rokrの場合は、一曲のファイルサイズが大きいので、512MBで最大100曲)。
音楽をダウンロードするためには、従来の通話プランに加え、ひと月15ドルから25ドルで、Sprintパワーヴィジョンというデータプランに加入する必要があります。これに入ると、テキストメッセージや写真送付といったベーシックな機能に加え、EV-DOネットワークでウェブアクセスできたり、衛星ラジオのシリウスの人気番組や、いろんなジャンルのテレビ番組がストリーミングで楽しめるようになります(衛星ラジオのシリウスは、車内以外のモバイル性という点で、競合のXMに負けていたので、Sprintとは良い組み合わせとなるようです。テレビに関しては、次のコーナーでご説明します)。

Sprint Nextelは、今年8月、プッシュトークで有名なNextelをSprintが吸収合併してできたものです。ですから、今まではどちらかというと、ビジネス環境に強いカラーを持っていました。しかし、近年、ハイスピード・データネットワークの構築に10億ドルを投資するなど、新事業展開にも力を入れています。大手キャリアの中では、メディア・エンターテイメント系として一番インフラが整っているともいわれています。

けれども、今回のSprintミュージックストアに関しては、不満が多いのも確かです。まず、一曲2ドル50セントとは、いったい何を考えているんだ?というものです。アップルのiTunesミュージックストアでは、一曲99セントで、しかも、2百万ものレパートリーから選べるではないか。
この批判に対し、Sprintの重役は、これは便利代だよと答えています。コンビニで何かを買うと値段が高いのと同じだと。でも、iTunesの2.5倍はないんじゃない?と、アナリストは一様に口をとがらせます。
2年契約の割引が付いて、端末が250ドル近辺というのも、ひんしゅくを買う原因となっています(CingularのRokrは、クリスマス商戦で150ドルに値下げ)。500曲入る512MBのメモリーだって、数十ドルは下らないわけだし。それに毎月、通話プランとデータプランの料金がのっかるわけでしょう。
ウォールストリート・ジャーナル紙の看板アナリスト、ウォルター・モスバーグ氏は、金持ちや忍耐のない人は別として、僕はこのサービスをお勧めできないと語ります。

まあ、Cingularを超える新サービスの展開に、Sprintのがんばりは認めますが、どうしてもiTunesやNapsterのお手頃な人気オンラインサービスと比べてしまうのは人情です。ビジネスの観点からしても、著作権を持つレコード業界を含め、ちょっと欲張り過ぎの感があるのも否めません。iTunesとNapsterの2社で、合法的音楽サイト市場の8割を占めるわけですから(iTunes7割、Napster1割)、彼らのサービスモデルから逸脱すると、ちょっと難しいかもしれませんね。


<楽しいケータイ:画像編>

音楽もいいのですが、筆者が結構ひかれているのは、画像です。今まで、アメリカでは、ケータイにテレビ番組をストリーミングするMobiTVや、短いビデオクリップをオンディマンドで配信するGoTVといった、スタートアップ会社のサービスはありました。でも、知名度はいまいちというところです。
これに対し、キャリア大手のVerizon WirelessやSprint Nextelが本腰を入れ始め、ようやく裾野が広がる動きが出てきています(おもしろいことに、シリコンバレーでは、こういった先端サービスの恩恵にあずかるのは、全米の都市部でも後ろの方になります。なぜなら、この界隈のみんなが殺到し、パンクする恐れがあるからです。Qualcommのお里サンディエゴなんかは、よくテスト市場に選ばれますね)。

シリコンバレーで8月末に登場したVerizon Wirelessの新サービス、VCastは、ウェブアクセス、メール、データシンクなど、EV-DO(CDMA2000 1xEV-DO)ネットワーク上で提供されるサービスの総称です。しかし、何といっても、消費者にとって一番目を引くのが、ケータイ用に編集されたテレビ番組のオンディマンド配信です。ニュース、スポーツ、お天気、ミュージックビデオなど、300チャンネルが準備されています。
ひと月15ドルの定額料金ですが、一部のミュージックビデオや、NBAプロバスケットやNASCARカーレースの試合ハイライトなど、各々1ドルから2ドルで購入するものもあります。

これに対し、Sprint NextelのSprint TVは、ビデオクリップのオンディマンドに加え、今年9月から、ニュース、スポーツ、コメディー、教育などのテレビ番組のストリーミングが楽しめるようになりました。ストリーミング19チャンネルが加わり、30チャンネル以上が提供されています。EV-DO対応のマルチメディア機種としては、先述のSanyo 9000とSamsung SPH-A940があります。コンテンツの多くは、MobiTVから提供してもらっています。
Sprintは2年前から、ほとんどのデータサービス対応機種(CDMA2000 1xRTT)で、MobiTVを利用できるようにサービス展開してきました。その地道な努力に対し、今年8月、テレビ界のアカデミー賞であるエミー賞は、両社にエンジニアリング部門賞を授けています。
Sprint TVの料金は、ベーシックサービスの場合、テレビ利用料にひと月10ドル、データプラン加入料に10ドル、計20ドルかかります。更に、CNNやFox Sportsなどのプレミアムチャンネルに加入すると、各々月に4ドルから10ドルかかります。

残る大手Cingular Wirelessは、今のところ独自のサービスは打ち出していませんが、多くの端末でMobiTVを楽しめるようになっています。25チャンネル提供されています。現在は、EDGEネットワークでのストリーミングなので、VerizonとSprintのEV-DOに比べ、画質は劣るようです。Cingularは、サンフランシスコ・ベイエリアでは、年末までにUMTS/HSDPAネットワークを展開する予定です。
Cingular のMobiTV料金は、月10ドルの定額利用料金に、データサービス加入料の5ドルから20ドルが加算されます。

先日、Verizon WirelessのVCastを店頭で試してみましたが、なかなかの画質でした。画像も思ったよりスムーズな動きで、充分観賞に耐えられます(テレビが一秒30フレームに対し、VCastは一秒最大15フレーム。Sprint TVもEV-DO対応機種では同等)。現時点では、LG VX8100を始めとして、LG、Motorola、Samsungから計4機種ほど出ています。価格帯は、2年契約で250ドル以上とハイエンドです。
オンディマンドのせいか、各々の番組にアクセスするのに、何十秒かかかるのがちょっと気になります(ストップウォッチで計ったわけではありませんが、待ち長く感じます)。デモを見た端末の音質も、ボリュームを上げると音が割れるという難点もありました。
しかし、ニュース番組のジャンルは、トップニュース、米国、世界、エンターテイメントなどとわかり易く分類され、好感が持てます。MSNBCやCNNなど、ケータイ用に短く編集された1、2分から数分のニュースも、常時アップデートされているようです。世の中の動きは、どこにいても常に把握できるのです。

画像といえば、10月中旬、ビデオも観賞できるiPod新モデルの発売にともない、アメリカのiTunesミュージックストアで、ビデオコンテンツも買えるようになりました。たとえば、Walt Disney傘下にあるABCの超人気ドラマ"Desperate Housewives"や"Lost"、Pixarの短編映画やミュージックビデオなど、ティーンを含め、比較的若い層に支持を受けているものです("Lost" は無人島に不時着する"失踪"、"Desperate Housewives"は、"必死な、なりふり構わぬ主婦"のお話といったところでしょうか)。
このビデオiPodとテレビ番組発売にあたって、こんな評が聞こえていました。いくらコマーシャル抜きにした番組であっても、テレビで放映した翌日に、ひとつ1ドル99セントも出して番組を買う人間がいるはずがない。今の時代、TiVoみたいなデジタル録画機もあるわけだし、絶対に失敗するぞと。
ところが、蓋を開けてびっくり。発売からたった19日間で、百万本もの映像がダウンロードされています。テレビの力をあなどることなかれ!(白状しますと、筆者は"Desperate Housewives"などは一度も観たことがありません。かなり毒性の強いドラマなようなので。しかし、これがまたティーンには大人気だそうです。大人向けの番組なのに。そして、親方Walt Disneyも、第4四半期の業績発表の中で、DVDの売り上げは減少しているものの、ABCやスポーツチャンネルESPNのお陰で、放送部門の収益は4割も伸びていると述べています。げに恐ろしきは、中毒性のあるドラマなり。)

これまで、ビデオiPodの分野では、Creative TechnologiesやiRiverなどから、ポータブル・ビデオプレーヤ(PVP)はいくつも出ているのに、なかなか成功していない背景があります。Archosなどは、映画やテレビ番組のオンライン配信サイトCinemaNowとパートナーを組んでいても、あまり話題にはなっていないようです。
それが、ビデオiPodとiTunesの強力コンビの出現で、一夜にして変わろうとしています。そして、間髪入れず、メディア巨人であるNBC UniversalがPeer Impactとパートナーを組み、合法的なファイルシェアリング(P2P)サイトで映画やテレビ番組を配信すると発表しています。ハリウッド映画会社のジョイントベンチャーであるMovielinkにも、新たにTwentieth Century Foxが加わり、大手映画会社6社の作品をオンラインで気軽にアクセスできるようになります。
テレビの側でも、News CorpのFoxチャンネルや、ViacomのMTVが、ケータイに特化したドラマやアニメシリーズをプロデュースし始めています。上記のWalt Disneyも、Verizon Wirelessに向け、ドラマ"Lost"の2分間ミニシリーズを制作中です。一方、iPodから流行ったポッドキャスティングにしても、一般視聴者からどんどんおもしろいビデオが発信されつつあります。

現時点では、日本でモバイルデバイスへの画像配信があまり流行っていないことを考えると、モバイルテレビはアメリカでも難しいのかもしれません。たとえば、アメリカでは、ほとんどの人が電車通勤はできないので、車を運転しながら映像を見るわけにもいきません。また、出先では、ドラマをじっくり観賞するのも難しいわけです。
アメリカでモバイルテレビが流行るためには、デバイスにしても、サービスにしても、もうちょっと値段が下がる必要がありますね。そうすれば、テレビやビデオが大好きで、しかも、何もできない待ち時間(down time)が大っ嫌いというせっかちな国民性から考えると、日本よりも流行る素地は持っているのかもしれません。ビデオiPodから始まったトレンドは、次はケータイに。これは、充分に考えられるシナリオではあります。


<おまけのお話:スターウォーズを求めて>

11月1日、アメリカ全土で、映画「スターウォーズ エピソード3:シスの復讐」のDVDが販売開始となりました(日本では、11月23日の発売と聞いております)。ご存じ、ジョージ・ルーカス監督の大作「スターウォーズ」の完結編です。
勿論、筆者は映画館でエピソード3を見ております。が、スターウォーズ世代の一員としては、今回も発売当日にDVDを買わないわけにはいきません(なにせ、エピソード1に出てきた悪者、ダースモールの華麗な武器さばきに魅せられて、棍棒を教えてちょうだいと師匠におねだりしたくらいですから)。

DVD発売に先立ち、新聞の日曜版のチラシとにらめっこし、お店を選びます。とりあえず、電化製品販売の大手チェーンCircuit CityとBest Buy、そして大手ディスカウントチェーンのTargetとWal-Martを候補に選びます。しかし、よく見ると、「おまけ」に違いがあるではありませんか。
Best Buyでは、スターウォーズのビデオゲームも買えば、ダースベイダーの顔がアップのリトグラフが付いてくる。う~ん、まあまあかな。Targetでは、やっぱりダースベイダーの顔のコレクター・コインが付いてくる。悪くはないな。Circuit Cityはというと、おまけなし!DVDの価格はふせてあるけれど、多分他と同じ14ドル99セントなんだろうなぁ。ケチッ!
そして、めでたく筆者のお眼鏡にかなったのは、Wal-Martでした。なぜって、Wal-Martでしか手に入らないおまけのDVDが付いているからです。ロボットのC-3POとR2-D2がシリーズ全体を解説する1時間番組だそうです。

発売当日の夕方、はやる心を抑え、近所のWal-Martに行ってみました。以前ここでは、人に頼まれてお買い物したことがありますが、それっきり一度も行ったことがありません。なんとなくWal-Martには行く気がしないのです。第三世界の貧しい子供を搾取しているだの、従業員に組合の結成を認めないだの、過半数を占める女性従業員を差別しているだのと、よからぬ批評が続くからです。けれども、その一方で、Wal-Martは、過去20年で21万の雇用を全米で生み出しているし、その安売り商法によって、昨年、一世帯につき2千ドルの消費節約を実現するなど、米国全体への貢献度が大きいのも確かです。
そんな複雑な気持ちでWal-Martの中に入ってみると、まあ、その広さに圧倒されます。アメリカに出回る商品のすべてがここに揃っているんじゃないかと思うほど、いろんなジャンルの商品が所狭しと大きな棚に並びます。日本の激安ショップ・ドンキホーテを、横方向に押し広げた感じでしょうか。なんか昔、Wal-Martの中で生活していた若者の映画があったような気もしますが、まさにそれも可能かなという感じです。でも、Targetの方が、ちょっと小ぎれいかな。

あっちこっち迷いながら、電化製品のコーナーにたどり着くと、なかなかスターウォーズのDVDが見つかりません。いつもこの手のDVDを買うBest Buyを想像していたからです。店のど真ん中に、話題のDVDを積み上げ、専属の店員を貼り付けるという。ところが、この店の場合、小さな仮設テーブルの上に、以前のエピソードも含め、たった何十枚しかありません。「おまけDVD」の付いた最新パッケージはいくつかありますが、従来サイズの画面用(full screen)だけで、肝心の薄型テレビ用(wide screen)がありません(拡張性のある「薄型テレビ用」が欲しいではありませんか)。
「きのうのハロウィーンでは、母さんのお手製マントを身に付け、アナキンになったんだ」という若者といっしょに、薄型テレビ用を必死に探します。見つからないので、店員に尋ねると、「おまけDVD」は通常サイズのDVDとしかパッケージになっていませんよと答えます。
そんなはずはないと、若者は、すかさずその場の端末機で調べ始めます。Wal-Martには、随所に端末機が置いてあって、商品のタグをかざして値段を確認したり、インターネットでWalMart.comに接続し、取扱商品の一覧をチェックしたりできるのです。それを見て若者は、「ほーら、やっぱりおまけは両タイプのDVDに付いてくるんじゃないか」。(アメリカの店員は、よく調べもせず自信たっぷりにウソを言う場合があるので、要注意。)
結局、店員に確認してもらったところ、この店舗には探していたパッケージの在庫はないけれど、近くの別の店舗に置いてあることが判明。でも、その店はあまり治安のいい場所ではないのです。そこで、若者は、「もういいや、配達に時間がかかるけど、インターネットで買おう」と、その場を立ち去ります。筆者も別の店舗に行く気はしないので、すごすごと家に戻りました。その間も、おまけ付きDVDは、仕事帰りのお父さんたちにどんどん売れていました。

今回の教訓。映画はおまけなんかに惑わされず、やっぱり中身で勝負なのです。

まあ、今さらいうまでもなく、スターウォーズの醍醐味は、特殊効果や凝ったアクションだけではなく、東洋哲学にも根ざした光と影の戦いのストーリーでもあります。随所に出てくるジェダイマスター・ヨーダの教えは、仏教や道教の思想ともオーバーラップしていますし、力を持ちながら、暗黒世界に転じたダースベイダーやカウント・ドゥークーなんかは、実世界でもよくある話ですね。
"Let go"、すなわち、何ものにもとらわれぬこと。否定的な感情は、悪に導かれるきっかけとなる。これは、ヨーダが若きアナキンに繰り返し忠告していたことでした。愛する人を失う恐れは、暗黒世界への入り口となる。なぜなら、恐れは怒りに通じ、怒りは憎しみに通じ、憎しみは苦しみに通ずるから(エピソード1より。エピソード3にも類似の忠告あり)。そして、苦しみこそ、悪の世界が最も好むことなのです。この教えに、東西の思想の垣根はないんじゃないでしょうか。

後日談:やっぱり「おまけDVD」があきらめきれないので、"治安のよくない場所にある店舗"に行ってみることにしました。土曜日のまっ昼間で安全ではあるのですが、車の中にいても、筆者の血圧は200くらいに上がります。そうやってたどり着いてみると、例の店員が教えてくれた場所には、店が存在しないではありませんか!
ここであきらめるわけにはいかないので、カーナビで探して、隣のミルピータス市にある店舗にでかけました。すると、ありました、ありました。通常画面のおまけパッケージの後ろに、まるで隠されているかのように薄型テレビ用パッケージが6つ。こういうときは、思わず天を仰ぐものですね。
おまけパッケージを無事に購入し、ちょっと気分のよい帰り道、今度はBest Buyに寄ってみました。さすがに、入り口にはスターウォーズ関連グッズが何種類か置いてあって、つい、スターウォーズPEZの9種類セットを買ってしまいました(ペズというのは、キャンディーみたいなもので、これのディスペンサーがいろいろ凝っていて、恰好のコレクターアイテムなのです)。このスターウォーズPEZは、25万セットの限定販売で、通し番号も付いています。今度、日本に帰るときにおみやげに最適と思ったのですが、気が変わって、自分で大事に持っていることにしました。

さて、肝心のおまけDVDですが、中身はアナキンとルークのスカイウォーカー親子の冒険を、エピソード3を除いて、かいつまんでお話しているものでした。これを見てエピソード3を観賞すると更に楽しめる、そういったものでしょうか。ナレーターであるC-3POとR2-D2のロボット同士のかけあいも、いつもながら楽しめるものなのです。でも、おまけの分は、ちゃんとWal-Martに5ドル払わされましたよ。

 


夏来 潤(なつき じゅん)

ベイエリアにて:Weird-7サンノゼでお披露目!

Vol.75
 

ベイエリアにて:Weird-7サンノゼでお披露目!

なんとも世知辛い話ですが、10月から、ベイエリアのガス代が、去年に比べ7割も値上げされました。今年の冬は、平均すると4割の高騰と予想されていて、年金で生活しているおじいちゃん、おばあちゃんの悲鳴が聞こえています。
原因は、ハリケーン・カトリーナだそうです。カトリーナとそれに続くリタは、メキシコ湾沿岸の天然ガス産出を8割近くストップしました。カリフォルニアが調達する天然ガスは南部とは無関係なのですが、全米で取り合いとなり、値上げのとばっちりを受けているのです。天然ガスは、ほとんどが国内生産なので、ちょっとしたことで供給不足に陥るのです。
ガソリンの次は天然ガスと、予想通り、庶民にとっては悲惨な展開となっています。その上、カリフォルニアの電力の4割は、天然ガスから生み出されているそうで、今後の電気代の高騰も想像に難くありません。
消費者の自由になるお金(discretionary spending)が減ってくると、せっかく上向きの経済に、少なくとも短期的にはマイナスの波及効果を与えることでしょう。

さて、そんな暗い話題はさて置いて、今回は、カリフォルニアっぽいお話をならべてみましょう。


<デジタルFM>

以前、ケーブルテレビComcastの新サービスに加入したお話をいたしました。DVR機(デジタルビデオ録画機兼デジタル放送受信機)をタダで顧客に配布していたので、デジタル放送に加入したぞというお話です(今年2月号の第2話「Comcast対TiVo」)。
この中で、デジタルテレビ放送が見られるようになったばかりではなく、充実したデジタル音楽放送も楽しめるようになり、ジャズ好きの筆者を大いに満足させてくれている話もご紹介しました。
コマーシャルフリーで、テレビ画面で選曲をお知らせするので、24時間、絶え間なくご機嫌な音楽が流れています。以前ご紹介したときは45あった音楽チャンネルも、今は55に増えています(Comcastのデジタルチャンネルは、1から999番まであり、音楽チャンネルは900番台にまとめられています。将来の拡張性を考えチャンネルを割り振っているので、すべてが使われているわけではありません)。

そして、9月末、Comcastは従来の音楽サービスをアップグレードし、地元のFMラジオ局のデジタル放送も始めました。地元の人気FM局30局を選び、ケーブルを介し、いろんなジャンルのラジオ番組をデジタルの音質で放送しているのです。
実は、Comcastのデジタル音楽放送が手に入った頃から、ひとつの不満が芽生えていました。贔屓にしているジャズ専門のFM局、KCSM 91.1をもっといい音色で聴きたいと(公共放送KCSM局に関しては、今年3月号の第3話「2.4GHzの恐怖」でご紹介)。これがComcastの音楽放送に組み込まれたら、どんなにいいだろうと思っていたのです。だって、今までだと、空中を漂う放送をアンテナで受信するか、インターネットのストリーミング放送に頼るしかなかったわけですから、音質が悪いのです。だから、ケーブルのデジタルFM放送は、とっても嬉しいアップグレードなのです。
まあ、この新サービスは、従来のFM局の番組をそのままケーブルで流しているので、曲の紹介やトーク、コマーシャルなんかが入っているし、Comcast独自の音楽チャンネルと違って、選曲リストやアーティスト紹介がテレビ画面に出ない難はあります。何も出ない画面というのも味気ないし、暗がりで見ると、何か出てきそうで不気味でもあります。でも、音質はとにかく抜群なのです(写真は、デジタルFMチャンネルを表示するテレビガイド。右上の真っ黒な画面が、普段FMチャンネルで見えている画面)。
そして、音色から察するに、FM局自体のデジタル化も、かなり進んでいるようです。ちなみに、テレビの方は、2009年4月7日をもって、全米のアナログ放送をぷっつり止めるそうです。

今回、地元FM局、しかもいつも聴いているKCSMがメニューに加わったことで、筆者の中でのComcast株はぐんと上がりました。勿論、Comcastに対し不満がないといえば嘘になります。それどころか、いつか不満特集でも組もうかと思っているくらいです。けれども、事音楽放送に関しては、満足度は非常に高いのです。
生きていればいいこともあるのね、そんな気持ちでいっぱいです(ずいぶん大袈裟だなあとお思いでしょうが、幸せってそんなものではないでしょうか。庭のバラがきれいに咲いたとか、今日は夕日がきれいだとか、そういう小っちゃなことの積み重ねなのです。「電車男」じゃあるまいし、世の中、そんなに劇的な毎日ではありません)。


<みんな集合!>

10月上旬、サンノゼで開かれた"おたくの祭典"、RoboNexus(ロボネクサス)に行ってきました。名前の通り、ロボット好きのエキスポで、今年は第2回になります。開催3日目の土曜日、会場のサンノゼ・コンベンションセンターは、"ロボットおたく"と"おたく予備軍"の子供たちでいっぱいでした。
ロボットに関しては何の知識もありませんが、新聞に載っていた広告にひかれて、エキスポ参りしてみたのです。なんだかかわいい、鉄腕アトムみたいなロボットが、胸を張って"おいで、おいで"しているように見えたのです。

会場に入ると、いきなりアメリカとアジアが混在しています。まず、入り口に一番近いブースを、アメリカのiRobotが占拠しています。以前ご紹介したこともある、お掃除ロボット「Roomba(ルーンバ)」の生みの親です(2002年12月号の第2話「おそうじロボット」でご紹介。この時は、一般的な発音からローンバと表記しました)。
近頃は、Roombaくんの改良版も出され、お掃除の予約設定ができるらしいです。床をゴシゴシ洗ってくれる「Scooba(スクーバ)」という仲間も登場しています。RoombaくんもScoobaくんも、ロボットとはいえ円盤状で、床をノコノコと這い回るタイプです。さしずめ、太った三葉虫でしょうか。会場では、実演コーナーも設けられ、これが結構な人気でした。やっぱりアメリカ人は、実用性を追及するのかも。

iRobotブースの後ろには、HiTEC RCDが出展します。韓国に本社のある会社です。ここではいきなり、「Robonova-I(ロボノヴァ-I)」数体でバレエの実演が始まりました。アンドレア・ボチェリのテノールの歌声に合わせ、みんなで手を波のように動かしたり、左右に分かれて側転したり、片足でバランスを取ったりと、きれいに統率の取れた踊り(プログラミング)を披露します。バレエのシークエンスの最初で、両足の屈伸なんかをしているので、ウォーミングアップでもしているのかと思えば、屈伸は、ロボットの大会では規定演技のひとつらしいです。
この会社は、もともと無線ラジオやサーボモータのメーカーだったようですが、今や、ロボット界では有名企業です。日本でも、Robonova-Iの組み立てキットが9万8千円で売られているのですね。

会場の中心は、日本ブースで占められています。やはり、ロボットといえば、日本なのです。今回の目玉は、昨年大阪に設立されたロボットプロダクションRobo-Pro(ロボプロ)が出展する、「Chroino(クロイノ)」と「VisiON NEXTA(ヴィジオン・ネクスタ)」です。両方とも二足歩行ロボット(ヒューマノイド)の"有名人"です。筆者が魅了された新聞広告には、実はChroinoが登場していたのです。

おめめパッチリのChroinoくんは、京都大学の学内入居ベンチャー、Robo-Garage(ロボガレージ)の高橋智隆氏の製作です。高橋氏自らがデモしてくれましたが、とにかく動きが滑らかで、ボール蹴りなんかもお上手にできます。ボールを蹴ったあとは、ご機嫌にイェ~イ!とばかり、高橋氏と"ハイファイブ"なんかしています。
昨年アメリカのTime誌で、一年で一番クールな発明品にも選ばれたそうで、そんなChroinoくんのお披露目に、子供たちは大喜び。デモが終わって、彼らが最初に質問したことは、"いつになったら売り出されるの?"でした。残念ながら、現時点では、市販の予定はないそうです(それにしても、高橋氏の英語はかなりなものでした。日本に住んでいてあれだけになるとは、やっぱりお利口さんなんだろうなぁ)。

Chroinoくんに続いて、VisiONくんの登場です。という予定でしたが、何かしらの不具合で、デモは残念ながら取り止めとなりました。オペレータであるRobo-Proの今川拓郎氏も腕を組みます。
VisiONは、大阪大学を中心とする産学官連携コンソーシアム、チーム大阪の開発です。ロボットによるサッカー競技で有名な、ロボカップ2004リスボン世界大会と、ロボカップ2005大阪世界大会で、連続して世界制覇しているヒューマノイドの名士だそうです。今年は全3種目を制し、ベストヒューマノイド賞も獲得しています。
デモが見られずザワつく観客に、"制御ソフトがのっかるWindows OSが、ウイルスにやられているかもしれない"との説明。"そうか、Windowsかぁ"と、一同ひとまず納得します。でも、実際に動きが見られなかったのがとても残念でした。


<誰でも作れるロボット>

RoboNexus会場を歩いていると、なんと、知っている顔が出展しているではありませんか。「あれっ、寺崎さん、何してるんですかぁ?」と声をかけると、彼はすかさず、ご自慢の自作ロボットを差し出します。
この「寺崎さん」、いや、「かづひさん」は、その道ではかなり有名な方のようで、相棒のロボット「Weird-7(ウィアード・セブン)」は、日本のロボット大会でも話題騒然となったそうです。どうしてって、二足歩行ができるわりに、誰でも簡単に作れそうなロボットだからです。

「かづひ」こと寺崎和久氏は、高校生の頃から自分でパソコンを改造して製品化するような、いわゆる"コンピュータおたく"でした。今は、シリコンバレーに在住する趣味の発明家とでもいいましょうか。たとえば、HP200LXを日本語化したのは彼なのですが、その他Palm Pilotのスクリーンに貼るキーボードの製品化とか、電源不要の小型ネットワーク・ハブの商品化とか、いろんなことにチャレンジするご仁なのです。
ロボットに関しては、特に詳しかったわけではないのですが、まだ黎明期にあった二足歩行ロボットの競技大会、第1回ROBO-ONE(ロボワン)を見て、"ふ~ん、俺でもできるかな"と思い、ロボットに初挑戦。それこそいろんな二足歩行ロボットが参加している中で、彼の狙い目はいたって簡単。"俺だったら、実にシンプルに、おもしろいロボットを作ってやるぞ"。
そこで取り出したのが、ノコギリとドライバー。近くで調達した木材をノコギリでゴキゴキ。どうして木かって、自分で簡単に加工できるでしょ。そして、できあがった木製部品を木ネジとプラスティックバンドで固定し、あとは、一番安いサーボモータを9個、制御用マイコンボードや、単三電池ボックスなんかを取り付ける。
第1号機は、土日で完成し、月曜の夜、オフィスから戻ってプログラムを書いてみた。試してみたら、いきなり歩いた!少なくともモータ(自由度)は16個、しかも、すぐには動いてくれないのが世の常識。それを見事に打ち破る。

自作ロボットでROBO-ONE参加を目指す以上、いろんな規定ルールを守らなければなりません。そこで考えたのは、何でもルールの範囲ぎりぎりで作ってやること。たとえば、足のサイズはできるだけ大きく。安定感が増すのです。そして、ROBO-ONEが格闘競技である以上、何かしらの攻撃手段が必要です。それは、器用に動く上半身と、みんなから「くちばし」と呼ばれた長?い腕です。それで相手をポンッ。
歩行のメカニズムにも意外な盲点がありました。それまでのロボットは、スムーズな歩行を意識したがゆえに、足首が自由になるようにモータが取り付けられていました。ところが、歩く際の負荷で、足首が壊れるハプニングが続出。それなら、足首からモータを取ってしまえ!けれども、それでは大きな足の裏が地面につっかえ、歩行できないではないか。そこで考えたのが、体を左右に振りながら片足を浮かすという独特の動き。思わず笑みがこぼれるユーモラスな歩き方は、ここから生まれたのです。
もともと体を大きく左右に揺らす構造なので、Weird-7はカニの"横歩き"も得意。そして、仰向けに寝転がった姿勢から"起き上がり"もできるし、なんと、その頃は前代未聞だった"前転"という大技も持っているのです。ぎこちない動きのわりに、体は意外としなやかなのです。ROBO-ONE会場では、"オ~ッ"という驚きの声とともに、みんなから、親しみのこもった「キョロちゃん」という愛称までいただきました。

大技を見てみたいという方には、IT情報ポータルITmedia上で、こばやしゆたか氏の記事の中に、最適な映像があります。
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0510/11/news054_4.html
一方、実際に動かしてみたいという方は、寺崎氏ご自身のサイトでどうぞ。インターネット経由で、赤の他人が、ご自宅に置いてあるWeird-7に指示が出せるという、二足歩行ロボットとしては世界初の試みです。1時間に1回は、誰かしらアクセスしているそうです。これを立ち上げて2年半となりますが、いまだに壊した人はいないとか。
http://www.kaduhi.com/weird-7/remote.html

そして、第3回ROBO-ONE(2003年2月)に登場したWeird-7は、今年9月、待望の組み立てキットとして販売開始となりました。ROBO-ONE会場で、寺崎氏が宣言したとおり、3万円を切るという破格の値段です(共立電子産業より税込み29,988円。制御プログラムと組み立てマニュアルが入ったCD-ROM付き)。その安さに、あっという間に発売5日で売り切れ、すぐに増産されています(写真は、右が製作1号機、左が市販の組み立てキット)。

Windowsベースの制御プログラムも、とても簡単にできています。制御画面左下のメニューでは、プログラム組み込みの動作を走らせることができます。前後左右に歩くとか、左右に旋回とか、"起き上がり"の技とか。画面の右側では、自分で好きな姿勢をキャプチャしながら、自由に動作のシークエンスを作っていくことができます。モーションの合間は、自動的に補完してくれるので、スムーズな動きとなります。ひとつひとつの動きに違った速度を設定するなど、いろんな楽しみ方があるのです。

この愛嬌たっぷりのWeird-7が登場したお陰で、半年後、ROBO-ONEにはジュニア部門が新たに誕生しました。お父さんと子供、兄弟同士など、身内が集まって二足歩行ロボットを作り、中学生以下の操作で競い合う部門です。モータ数が少ない比較的簡素なロボットでも、アイデア次第でいかようにもできるというのがモットーなのです。Weird-7の貢献度高し!
小さい頃、外を駆け回り、家にこもってレゴやプラモデルに凝ることもなかった筆者ですが、もしかしたら、Weird-7を完成できるかもしれないなぁ。

追記:ロボットのお話は、さらに「おまけの話」で続きます。


<ブリンって何?>

"ロボットおたく"のコンベンションの翌週、久方ぶりにウィンドーショッピングに出掛けてみました。サンノゼ市で一番大きな、バレーフェア(Valley Fair)というショッピングモールです。ここは、スタンフォード大学のお隣にある、スタンフォード・ショッピングセンターと同じくらいの売り上げを誇る、大型モールです。最近、改造計画も完了し、きれいになって、売り場面積も倍増しました。向かい側には、おしゃれなレストランやブランド店と、ヨーロッパ風の居住空間が混在するサンノゼの新名所、サンタナ・ロウ(Santana Row)なんかがあります。

このバレーフェアには、シリコンバレーでも有名な宝石屋さんがあるのですが、その店の前で、美術館の宝飾コーナーよろしく、うやうやしく飾られる腕時計を眺めていると、後ろから若いカップルの声が聞こえてきます。「あ~ら、ここにブリンがあるわぁ」と女の子。すると、彼氏が「うちの親父が、こんなの持ってるんだよね」と答えます。
このブリンとは、いったい何でしょう?実は、ブリンは、正しくはブリン・ブリン(Bling-Bling)と言います。昨年大流行した言葉で、金銀やダイヤモンドなんかが、ギラギラ、ピカピカ輝くことを言います。たとえば、音楽の世界で、ラッパーが太い金のネックレスやら、大きなビカビカ光るペンダントやらを首から下げている、それがブリン・ブリンの代表例です。
バレーフェアの若いカップルは、ダイヤが散りばめられた純金のロレックスを指し、ブリン・ブリンと表現していたのです。彼らにとっては、ラッパーであろうが、弁護士や会社の重役であろうが、ピカピカするものを身に付ければ、それはブリン・ブリンなのです。
そして、どうやら最近は、そのブリン・ブリンを省略し、ブリンと言うらしいのです。筆者は初めて聞きましたが、確かにブリンは、効率を求めるティーンにはぴったりな表現ですね。

11月からレギュラーシーズンが始まるプロバスケットのNBAですが、9月末、リーグはこんなお達しを出しました。プロの選手たるもの、ひとたび試合が行われるアリーナに足を踏み入れたら、帽子やブリン・ブリンは脱ぎ捨て、きちんとスーツに身を包むように。
8割方アフリカン・アメリカン(黒人種)の選手が占めるNBA。当然、選手からはブーブーと文句が出ましたが、リーグ側は再度お達しを出します。「ダメダメ、ちゃんとスーツじゃなきゃ」。地元の白人スポーツキャスターからは、これは人種的偏見であり、人権の侵害であると、すかさず批判の声が上がります。

一方、シカゴWhite Soxが制覇した大リーグのワールドシリーズですが、シリーズ開幕を前に、White Sox井口資仁選手のバッティング練習をテレビで見かけました。なんと彼は、サングラスメーカーOakleyの出す音楽プレーヤ、"Thump(サンプ)"を愛用しているではありませんか(昨年の歳末商戦に登場した製品で、カラフルなサングラスのつるに、小型音楽プレーヤとイヤホンが付いています。オリジナルの256MB4種に加え、今年、120曲入る512MB3種が追加されています)。
多分、Thumpそのものはブリン・ブリンじゃないと思いますが、野球選手だって、目立つものには目がないのです。派手なことで有名な新庄選手じゃありませんが、やっぱりプロというもの、目立ってナンボの世界ではないでしょうか。


<おまけの話:ロボット好きの方へ>

サンノゼのRoboNexusエキスポに出展していたiRobotですが、この会社は、家庭用ロボットだけではなく、軍事用ロボット「PackBot(パックボット)」も作っています。ご存じ、火星探査機スピリットみたいな形のロボットで、人間になり代わって、敵地の偵察や爆弾処理をします。制御ユニットのモニターを見ながら、人間が遠くから無線でコントロールします。
米国国防総省は、このPackBotがいたく気に入り、今年初め、150台(約20億円分)を追加注文しています。今まで殉職したPackBotは、"PackBot129号、2004年4月8日イラクで没す"と、iRobot本社の壁面に奉られているのです。
そして、次世代の軍事ロボットは、人間が1台を制御すれば、数百台もが同時に働いてくれるようになるそうです。敵地に散らばったロボットが、ゴショゴショと互いに連絡を取り合い、自分たちの裁量で動くようになるのです。そして、敵地で見てきたことを、漏れなく人間にご報告です。

一方、近頃、すっかり話題にのぼらなくなった火星探査機スピリットですが、双子のオポチニティーとともに、いまも元気に火星で活躍しています。ふたりの近況報告をどうぞ。
昨年1月3日、ファンファーレとともにグーセフ・クレータへの着陸が報道されたスピリットは、さっそく写真撮影をしたり、分光計で成分分析をしたりと、重大なミッションに就いたわけです。その後ちょっと不調な時期もありましたが、めでたく回復し、半年かけてグーセフの平野を3キロ歩き続けたのち、昨年6月から、コロンビア・ヒルズの登山に挑戦しています。このあたりは、どうやら火星誕生の秘密を持った場所らしいのです。
そして、今年1月、コロンビア・ヒルズ最大級の丘、標高200メートルのハズバンド・ヒルへ登り始め、8月末、見事てっぺんにたどり着きました。ここでパノラマ写真を撮ったり、あたりを探索したりのお仕事のあと、現在は、ハズバンド・ヒルのあちら側に下山を始めているところです。
まあ、ひとことで登山といいますが、岩がゴロゴロの火星の表面、障害物と格闘しながら、なおかつ急な斜面を上り下りというのは、ロボットの身には並大抵のことではありません。パノラマカメラと巡行カメラを収める長い首で、重心が高いので、ころげ落ちないように体を前後に動かしながら、そろりそろりと歩を進めます。こうして山の頂に立つスピリットは、まさに、孤高の人なのです。

スピリットにも増して、オポチュニティーは波乱万丈な人生を送っております。昨年1月24日、メリディアーニ平原にあるイーグル・クレータに着陸したオポチュニティーは、お得意の写真撮影や探査を行いながら、ふた月後ここを無事に脱し、南東方向にあるエンデュアランス・クレータにたどり着きました。昨年6月、クレータを下り始めましたが、半年かかって、この直径130メートルのクレータを脱出しております。
今年前半は、先達の探査機にあやかったヴァイキング・クレータやヴォエジャー・クレータを訪れ、表面の調査をしたりしていましたが、その後、砂丘につかまって、大ピンチ!一時は車輪が半分砂にめり込み、40日間立ち往生しながらも、自力で何とかここを抜け出し、今はまた別のクレータ、エレバスのまわりを注意深く走行しているところです。このクレータは、直径300メートルの大物です。
最初に降り立ったイーグル・クレータの科学データを地球人が解析した結果、火星には太古、水が存在していたことがほぼ確実となりました。その後、地球以外の惑星で初めての隕石の調査も行うなど、オポチュニティーのお手柄は続きます。

当初は3ヶ月といわれた寿命ですが、ふたりの壮健ぶりに、地球人はびっくり。今まで走行した距離は、スピリットが5キロ、オポチュニティーが6キロを超えています。
二度と地球には戻って来ないふたりに、どうか、一日でも長生きしてちょうだいと願うのは、NASAの探査チームだけではないのです。

追記:火星探査の立役者、コーネル大学のスティーヴ・スクワイヤーズ博士は、今年8月、探査プロジェクトの誕生から昨年9月までの探査機の探検を描いた本を出しました。Roving Mars: Spirit, Opportunity, and the Exploration of the Red Planet (Hyperion Books, August 2005)です。本の7割近くは、探査機が打ち上げられるまでの苦労話に費やされているそうで、彼の情熱がひしひしと伝わってくる作品だそうです。

夏来 潤(なつき じゅん)

味覚の世界:スコヴィルとワイン

Vol.74
 

味覚の世界:スコヴィルとワイン

9月7日、待望のApple Computerの新製品、iPod nano(2GB、4GBモデル)が発表されました。日本でも同時リリースされ話題となっていますが、かの有名なデジタル音楽プレーヤiPodの超小型版です。フラッシュメモリー採用で小型化を実現しているのですが、さっそく遊びに行ったアップルショップで実物を見てびっくり。テレビの宣伝で見るよりも、更に薄くて小さいのです。テレビに映るとiPodちゃんも太って見えるのねと、妙に納得。
カラー画面も美しく、恋人や家族の写真を持ち歩くにも最適ですが、残念ながら、4GBモデルは初日で売り切れてしまったようです。そしてその夜、"iPodのなる木"が夢に出てきたのでした。

iPodちゃんはさて置いて、今回は、まず先月号の補足から始めます。そして、その後ふたつは、味覚に関する話題にいたしましょう。今月も、最後にちょっとシリアスなおまけの話が付いています。


<ハイブリッド・フィーバー>

まず、先月号に関して、補足説明です。先月アメリカのハイブリッド車事情をお伝えしたとき、今年4月に米国市場で販売開始となった高級ハイブリッドSUV、レクサスRX400hを挙げました。これは、日本市場では、トヨタ「ハリアー・ハイブリッド」と呼ばれるものです(SUVは、スポーツタイプ多目的車とも呼ばれ、多くは四輪駆動の大型車)。
8月末、日本でもトヨタのレクサスブランドが立ち上がりましたが、筆者はRX400hもレクサスとして発売されたものと勘違いしておりました。実際の日本での販売は、旧アリストのGS、旧アルテッツァのIS、旧ソアラのSCシリーズのみです。説明不足となり、申し訳ありませんでした。
ちなみに、元サンフランシスコ市長で現連邦上院議員のダイアン・ファインスタイン氏は、さっそくダイムラー・クライスラーのJeepからRX400hに買い換えたそうです。

ついでと言っては何ですが、ハイブリッド車ブームのお話をもう少し追加いたしましょう。カリフォルニアの環境保護団体シエラ・クラブ(the Sierra Club)は、9月上旬、サンフランシスコで「環境エキスポ」第一回を開催しました。中でも、目玉はハイブリッド車を展示したコーナーで、11月に米市場登場予定のホンダ・シビックハイブリッド2006年モデル(4ドアセダン)や、10月に生産開始予定のフォード、マーキュリー・マリナーSUVハイブリッドが注目を集めています。
シエラ・クラブの代表者はその挨拶の中で、「ガソリン大量燃焼車(gas guzzler)を製造するメーカーは、それによって死滅するだろう」と明言しました。そして、GM(ジェネラル・モータース)を名指しし、彼らが出しているハイブリッド小型トラックは名ばかりのハイブリッド車だと、強烈な批判を浴びせます(そのGMは、先月、ダイムラー・クライスラーとのハイブリッド車共同開発を発表し、これにドイツのBMWも加わることになっています。これに対しドイツ陣営は、フォルクスワーゲン、アウディ、ポルシェが協力体制を築いています)。
一方、先述のレクサスRX400hは、トヨタの代表者が列席していたため、この場はそしりを免れたようです。シビックハイブリッド2006年モデルが、街中とハイウェイで燃費50mpgを実現したのに対し、RX400hは街中でも31mpgしかないので、環境保護団体の受けは芳しくないようです。SUVとしては、立派な数値ですが。
同じトヨタでも、プリウス2005年モデルは、街中60/ハイウェイ51mpgと優等生です(mpgは、1ガロン当たりの走行マイル数。たとえば、50mpgは、リッター当たり21キロメートルとなります。電気モーターとガソリンエンジンのハイブリッド車は、通常、街中を走った方が燃費は良いのです。ちなみに、米環境保護庁と日本の国土交通省には燃費テスト方式に違いがあり、日米燃費データは比較できません。近年、米燃費データは甘すぎるという批判があり、スピードを上げる最近の運転志向や、寒冷地の使用などを鑑み、年末までに検査方式を変更するようです)。
ところで、ドイツのDW-TVによると、9月25日まで開催されたフランクフルト・モーターショーで、レクサスが340馬力のハイブリッドセダンを出展したそうですが、これなんかは環境団体の受けはどうなのでしょうか。

ハイブリッド車は、燃費がいいだけではなく、ガン誘発物質排出量は通常車の5パーセントと、環境にも大変やさしいわけです。しかも、先月号でご紹介したように、カリフォルニアでは一人で優先車線も運転できます。おまけに、レオナルド・ディカプリオを始めとして、ハリウッドのセレブもたくさん乗っています。「私は環境問題に真剣よ」と、世に意思表示もできます。そんなこんなで、近頃売れ行きも上々なハイブリッドですが、それは数字にも如実に表れています。
昨年8月と今年8月の全米販売台数を比較すると、ホンダ・シビックハイブリッドとトヨタ・プリウスは、倍の売れ行きとなっています。一方、今まで路上を君臨してきたSUVは、その燃費の悪さから敬遠され、軒並み減少しています。フォードの人気SUVエクスプローラやエクスペディションは4割減、GMの軍用トラック改造車ハマーH2も4割近くの減少となっています。今年6月GMが始めた「従業員価格販売」の安売り合戦は、翌月にはフォードとダイムラー・クライスラーにも広まり、全体の販売台数はどの三大メーカーもぐんと上がっているはずなのに。どうやら、ここ数年来のSUV人気も、ようやく下降線をたどり始めたようです。
それにしても、近頃、車の燃費の悪さが目立ちます。アメリカで売られるすべての2005年モデルの燃費平均値は21mpgで、これは過去最高だった1987年(22mpg)を下回っています。本来なら、このご時勢、燃費は毎年向上するべきものではないでしょうか。車を叩き売りしている場合ではないのです。


<スコヴィルはいかが?>

突然ですが、スコヴィル(Scoville)という言葉をご存じでしょうか。今我が家では、ちょっとした"スコヴィル旋風"が巻き起こっているのです。

実は、スコヴィルとは、唐辛子の辛さの単位なのです。1912年、ウィルバー・スコヴィルさんという人が作った"辛味の物差し"なのです。初めは個人の感覚で辛さの値を決めていたそうですが、今は高性能液体クロマトグラフィーで構成物質を検出し、科学的に数値を計算するそうです。このスコヴィル数値が高ければ高いほど辛いということになります。
たとえば、自然界の唐辛子を例に取ると、ニューメキシコという品種が500-1,000、辛いことで有名な緑のハラペニョ・ペッパーが2,500-10,000、そして、その上を行くのが、ハバネロという品種の80,000-300,000。この小ぶりでオレンジのかわいい唐辛子は、577,000という前代未聞の数値を記録したことがあるそうです(自然界のものなので、唐辛子の個体により差が出てくるのです)。

そもそも、唐辛子の辛味とは何ぞや?それは、混合物質カプサイシン(Capsaicin)の働きなのです。正式には、カプサイシンとはカプサイシノイド(Capsaicinoids)という化学物質の仲間で、唐辛子科の植物に存在します。カプサイシノイドの仲間は5つあるそうですが、カプサイシンが一番多く、辛いそうです。なんでも、カプサイシンは、バニラや生姜に含まれるバニロイド系の混合物の一種だとか。
カプサイシンを口に含むと、これが口内のリセプターに付着し、刺激を演出します。このリセプターとは熱による痛みを感じる場所で、だから唐辛子を食べると、口の中が燃えるような感覚に襲われるのです。カプサイシンを何度も経験すると、このリセプターがだんだん減り、辛味も平気になってきます。
そして、この辛味による痛みは、下垂体や視床下部からエンドルフィン(endorphin)を分泌させ、なんともいい気持ちになってくるのです。エンドルフィンは、体内の自然のモルヒネのようなもので、その鎮痛作用とともにボ~ッとするわけですね。
カプサイシンは、辛味のお楽しみを提供するだけでなく、外用クリームとして関節炎やリューマチの鎮痛剤に使われたり、警察などが使うペッパースプレー(顔に噴きかけ、相手の叛意をそぐ刺激スプレー)に使われたりもします。中米のマヤ族は、その昔、戦いに元祖ペッパースプレーを使用していたとか。日本では、近年、体脂肪の燃焼作用に着目し、ダイエット食品としても人気が出てきています(副腎からアドレナリンを分泌させ、エネルギー代謝を促進するそうです)。

どうして我が家で"スコヴィル"や"カプサイシン"が流行っているかというと、東京のあるお店で教わったからなのです。響きもなんとなくかっこいいですし。名古屋から東京に飛び火したもつ鍋のお店「赤から」には、東京・六本木に支店があって、辛いものに凝るここのマスターが、日々"スコヴィル道"の研鑽を積んでいるのです。そして、「かなぶん」という少年の日を思い起こさせるようなネーミングの焼酎を片手に、お客もみんなで"スコヴィル談義"に花が咲くのです。
ここには、"Viper(毒蛇)"という怖~い名前の真っ赤な唐辛子ソースがあって、我こそはという勇敢な方々は、爪楊枝の先でお試しさせてもらえるのです。かの有名なタバスコ・ソースなんてかわいいものではなく、間違ってもスプーン1杯という量を食してはいけません。なぜなら、タバスコのスコヴィル数値がたったの2,500に比べ、この毒蛇ちゃんは、驚きの2,000,000だからです。
Viperには、"The Source(源)"という上手がいて、こちらは真っ赤なソースなどではありません。辛いものがドロドロに煮詰まり、液状を留めず、色もおどろおどろしい真っ黒なのです。爪楊枝の先の微量を試した人は、皆一様にふさぎ込みます。あまりにも口内が痛くて、もしかしたら、この痛みは一生消えないんじゃないかという不安に襲われるからです。この不安は、3、40分間は消えてくれません。こちらは、スコヴィル数値7,100,000です。
そして、横綱は、誰もがひれ伏す"純粋カプサイシン"です。これはもはや自然界の物質ではなく、化学室で生成される白い結晶です。製品として一応は販売されているのですが、これはもう毒の域に達するもので、何かに使うにしても、何千倍に薄める必要があります。冗談を軽く超える"純度100%カプサイシン"は、スコヴィル数値16,000,000(1千6百万)です。これは、スコヴィルの理論的最高値です(間違っても、そのまま口に含んではいけません。即、救急車で病院送りです)。

実は、この"純粋カプサイシン"、ガラス容器は蝋でしっかりと封印されているのですが、こんな警告が付いています。"封印を解くときは、保護手袋と安全ゴーグルを忘れずに"。
以前、National Geographic誌で読んだ話を彷彿とさせます。ダートマス大学の化学教授が、間違ってゴム手袋の上にジメチル水銀(dimethylmercury)をたらし、5ヵ月後に急死したというものです(脳細胞の破壊が原因)。この水銀は、ゴム手袋すら透過する揮発性があったそうですが、何となく、カプサイシンもそんなイメージがあります。感染率が高い伝染病患者を扱うときは、お医者さんは二重手袋にするそうですが、それくらいの心構えが必要なのかもしれません。喉を守るため、防護マスクもお忘れなく。

何を隠そう、筆者にとって、辛いものとは天敵なのです。甘口のカレーすら食べません。"スーパーテイスター"を自認する身の上では、刺激に耐えられないし、味音痴にもなりたくないですし(スーパーテイスターとは、舌の味覚芽が発達し、味にうるさいと思っている人のことです)。別に、唐辛子なんかでハイにならなくても結構です。

追記:カプサイシンについては、英ブリストル大学の化学部学生、マシュー・ベルリンガーさんのインターネットサイトを一部参考にさせていただきました。


<カリフォルニアワインをどうぞ>

9月といえば、ワインを製造するワイナリーにとっては、一番忙しい時期です。そうです、ブドウの収穫期だからです。この忙しい9月を前に、夏の間、あるワイナリーが主催するディナーに参加しました。

ご存じの通り、カリフォルニアはワイン産地として有名です。日本でのワインブームはちょっと下火になったようですが、アメリカから海外に輸出されるワインの95%をカリフォルニア産が占めます。輸出額も年々伸び、昨年は前年に比べ、3割の成長を記録しています。米国内のワイン市場でも、カリフォルニア産は全体の消費量の3分の2を占めています(Wine Institute発表データ)。
人気の理由は、何といっても、値段の割に質が高いことが挙げられると思います。国内の消費者にとっては、輸入物に比べ、輸送中の品質の劣化も少ないですし。ナパ(Napa)、カーネロス(Carneros)、ソノマ(Sonoma)、パソ・ロブレス(Paso Robles)といった名高いブドウの産地が州内に散在し、おのおのの特性をかもし出しています。
一方、カリフォルニアには味にうるさい消費者も多く、ワイナリーの方も切磋琢磨されるのかもしれません。以前一度書きましたが、この界隈には、ワインの味がわからなくなるのを嫌い、コーヒーのような刺激物は一切口にしない人もいるくらいです(こういったセミプロには、カプサイシンなんてもってのほかですね)。
味わうだけでは飽き足らず、自宅の裏庭にヴィニヤード(ブドウ畑)を作り、ワイン生産を始める人すらいます。フィギュアスケートの往年のチャンピオン、ペギー・フレミングさんは、そういったひとりです。お医者さんを退職したご主人とともに、シリコンバレー・ロスガトスで、Fleming Jenkinsという銘柄を立ち上げました(ブドウは他の生産地からも仕入れ、実際の醸造は、近くのワイナリーを借りて行われます。ご夫婦とも、ワインをかなり勉強したそうです)。

そんなカリフォルニアでは、いろんなワインに接する機会は多く、遠くのワイナリーに出向かなくても、地元で気軽にお試しできたりします。たとえば、レストランでのワイン・ペアリングがあります。シェフご自慢の料理に合うワインの銘柄をコース品目ごとにペアリングしてくれます。
地元のワイナリーが主催するワイン・ディナーもあります。歴史あるワイナリーのひんやりとした石蔵で、キャンドルライトのもと、コース料理と自信作のワインを数種提供してくれます。時には、ワイナリーがゴルフクラブのレストランに出張し、コースディナーとのペアリングを共同開催したりします。小さめのワイナリーにとっては、知名度を上げるいい機会なのです。いずれの場合も、ワイナリーの苦労話や自慢話が披露され、裏側を覗き見るようでおもしろいものなのです。

前置きはさておき、8月上旬、筆者が参加したワイン・ディナーは、シリコンバレーの南端にあるClos La Chance(クロア・ラ・シャン)というワイナリーのディナーでした。すでにこのワイナリーの"ワイン・クラブ"に所属し、定期的に彼らのワインを購入している筆者宅は、ある程度の知識はあるものの、このディナーは特におもしろいものでした(ワイン・クラブとは、ワイナリーのクラブメンバーとなり、定期的にワイナリーが出す白や赤やスパークリングを数本ずつ購入する制度です。通常、参加費は無料で、メンバー割引の特典もあり、ワイナリーでのパーティーにも無料参加できたりします)。
何がおもしろかったって、ひとつの丸テーブルに集う4組の夫婦が、最初は何者かさっぱりわからないことです。どうやって、話を進めましょうか。アメリカでは、ワイン・ディナーに限らず、あらゆる社交的な集まりには、ある種の暗黙のお約束があります。それは、原則として、仕事の話はタブーなことです。初対面でいきなり仕事の話では、場がしらけるではありませんか。同様に、宗教や政治は避けるべき話題の筆頭に挙げられます(勿論、親しくなれば、別の話です)。
この場合、ディナーがワイナリーに隣接するゴルフクラブで開かれたので、自然とゴルフの話でスタートします。「ここではゴルフやったことあるの?」から始まって、右側に座る2組の夫婦がご近所同士で、ゴルフ仲間、スパ仲間であることがわかります。ところが、左に座る夫婦のダンナさんは、「いや、ゴルフなんかしないし、やるとしたら、冬にスキーをちょっとするくらいかな。今は子供ができてそんな時間もないけど」と言います。いったい何者?、と残る3組が思いをめぐらしながら目の前のワイナリーのカタログを広げてみると、なんと彼の写真が載っているではありませんか。なになに?ワインメーカー?あの、ブドウを栽培して、ワインを作る専門家?(日本酒の酒蔵でいうと、米の栽培も担当する杜氏さんみたいなものです。)道理で、ゴルフなんかしている暇はないんだと、一堂納得。

ワイン・ディナーには何度か出席した筆者も、ワインメーカーその人と同席したことは一度もなく、まず、一番気になっていたことを聞いてみました。それは、ブドウを栽培する上で、一番大事なことは何かということです。たとえば、日当たり、気温、日較差なのか。彼曰く、それは水はけだそうです。いい苗木を植えても、水はけの良し悪しで収穫物がまったく異なり、たとえば、長方形の敷地に同じ優秀な苗を植えても、品質の点から見ると、ひょうたん型の敷地となったりするそうです。
そして、いいブドウを作るためには、クローン・テクニックを使うといいます。なんでも、いいものを追い求め、現在、20種ものブドウを育てているそうです。"クローン(clone)"と聞くと、誰でも、実験室で植物を切り裂いて遺伝子を取り出し、その遺伝子を他の植物に挿入するというイメージがありますが、彼の指す"クローン"とは、早い話"接ぎ木"のことです。植物にも個人の特性みたいなものがあり、ひとつの個体の上に、もっといい個体から枝を接ぎ木し、より健康な、おいしい実をつけるブドウに変身させるそうです。園芸の世界でも、バラの接ぎ木はポピュラーなものですね。

接ぎ木といえば、彼の上の娘がまだ2歳の頃、寝ぼけながらこう言ったそうです。「白がChardonnayで、赤がCabernet sauvignonよね、むにゃ、むにゃ」。血は争えないものです。


<おまけの話:ハリケーン・カトリーナ>

8月末、ルイジアナとミシシッピ州を襲ったハリケーン・カトリーナは、まさに想像を絶する被害をアメリカ南部にもたらしました。昨年9月号でご紹介したとおり、それまで史上最大といわれたハリケーン・アンドリューをフロリダで体験した筆者にとって、カトリーナの異常さは痛いほどわかる気がします。

カトリーナに関し一番悔しい点は、この災害は天災であるとともに人災であるということです。18世紀初頭、フランス人がニューオーリンズを中心として、南部湿地帯(ミシシッピ・デルタ)を開拓し始めて以来、都市を囲む堤防は、人々を悩ませる最大の弱点でした。
湿地を都市に変え、人口が増えるに従って、街を高潮から守る湿地帯は消え、地下水は汲み上げられ、地面はどんどん沈下していく。都市を守るために建設されたミシシッピ川沿いの堤防は、デルタを保持する堆積物の流入を絶ち、メキシコ湾沿いでさかんに行われる原油・天然ガスの採掘も、デルタ破壊に拍車をかけます。湿地が消え、堤防や水路が完備し、土壌が乾くと、都市はますます沈下する、そういった悪循環が形成されているのです。今のままでは、1世紀もしないうちにニューオーリンズの街は海の底となる、そういった科学者の警告も公にされていました。たとえば、Scientific American誌2001年10月号では、"Drowning New Orleans(溺れるニューオーリンズ)"と題して、警告の論文が掲載されています。
これに対し政権は、科学者の苦言や、湿地復元に必要な地方自治体の公共事業費の申請を無視し続け、今回の災害に至ったのでした。政権がカットした事業費は、申請された金額の9割に上るといわれます。あまりにひどいと、連邦議会がカットの一部を戻し、昨年初頭、要求額の6分の1を予算に計上した経緯もあるとか。水の被害を食い止める意思があったならば、実際の被害は大幅に縮小されていたことでしょう。

ニューオーリンズのあるルイジアナ州も、同じく被害に遭ったミシシッピ州も、アメリカでは最も貧しい地域です。ルイジアナのミンクという田舎町では、今年初めて電話が通じたくらいです。ニューオーリンズの都会に住んでいても、車などの避難手段がなかったり、週末働いていて、ハリケーンのことなどまったく知らなかったりと、貧しさゆえに被害が拡大した要因もあります。
そして、その多くが、白人ではなかったわけです。ゆえに、救助も遅れるし、彼らが生きる道を模索し、食料や衣料を店から失敬すると、それは"略奪(looting)"とレッテルを貼られます。ルイジアナのケナードという街では、最初に水と食料を持って現れたのは、赤十字でも連邦緊急事態管理庁でもなく、ディスカウントチェーンWal-Martだったそうです。前もって避難・救助体制が組織されていたら、犠牲者は激減していたことでしょう。それが証拠に、直後にルイジアナ、テキサスを襲ったハリケーン・リタでは、軍隊を派遣し避難を徹底させたため、直接の犠牲者はたったふたりでした。
どんなに綺麗ごとを並べても、苦境に立たされていたのが大部分白人だったならば、救助はもっと迅速だったに違いありません。あのパンパンにお腹を膨らませた黒い肌の仏様も、いつまでも水面にプカプカと浮いていることはなかったでしょう。大統領はカトリーナの上陸したこの日、5週間の休暇の最後を利用し、カリフォルニア・サンディエゴの高級リゾートで過ごしたあと、カリフォルニア、アリゾナと、支持者の資金集めに廻っていました。

これに対し、一般市民のがんばりは、政府の落ち度を補うもののようです。遠く離れたサンフランシスコ・ベイエリアでも、さっそく8歳の男の子が救援物資を募り始め、お母さんと一緒に南部に向かうトラック輸送を組織しました。自分の家に、40人を超える被災者を住まわせる人も出てきました。いくら広い家とはいえ、40人も集まれば足の踏み場もなく、普段の生活の平穏さは失われます。ベイエリアの消防署からは数十人のレスキュー隊が派遣され、南部での救助にあたりました。家族を残して出動する隊員は、「辛いけれど、こういう時のために、我々は何ヶ月も厳しい訓練を受けてきたんだ」と言います。そういった隊員が、アメリカ全土から集いました。
このような、他人のために私を二の次とするアメリカ市民の反応を見ると、この国もまだまだ捨てたもんじゃないなと思うのです。アメリカの強さは、巨大な軍事力でも、経済力でも、外交力でもなく、実は、こういった一般市民の底力なんじゃないか、そういう気がするのです。

一度でもニューオーリンズを訪れたことがある人は、南部の温かいおもてなしに感謝したことと思います。早くジャズがフレンチクォーターに戻り、あの有名なカーニヴァル、マーディ・グラ(Mardi Gras)で観光客を呼び戻して欲しいものです。
マーディ・グラのテーマとも言える奇妙な骸骨は、「生きている間に、楽しもうよ」という、生きる人への戒めだそうです。何度も辛い歴史に遭遇した、その南部の底力で、早く立ち直ってもらいたいものです。


夏来 潤(なつき じゅん)

日本とアメリカ:両国の架け橋、野球

Vol.73
 

日本とアメリカ:両国の架け橋、野球

今回は、夏の余韻も続く中、どちらかというとのんびりとした話題にいたしましょう。まずは、野球のお話からです。そして、その後は、車の話などが続きます。一転して、最後のおまけ話は、非常に真面目なお話となっております。


<日系社会と野球>

昔、サンノゼ市に、Asahiという野球チームがありました。早稲田や慶応大学と何度か試合をしたこともあります。1935年、アメリカに遠征した東京ジャイアンツと対戦という、意外な歴史も持っています。Asahi(朝日)という名前からご想像のとおり、これは、日系のアマチュア野球チームです。

そのAsahiチームの歴史について本が出版され、7月下旬、サンノゼ市の真新しい図書館で、お披露目とサイン会がありました。"From Asahi to Zebras: Japanese American Baseball in San Jose, California"という本で、著者は、この図書館に勤めるラルフ・ピアス氏です。発行元は、サンタクララバレーの日系人の歴史を伝える、サンノゼ日系博物館です(サンノゼの日本街にある歴史博物館で、昨年6月号"シリコンバレー今昔:戦争と日系の人々"でご紹介したことがあります)。

意外なことに、著者であるラルフさんご自身は、日系の血が混じっているわけではありません。れっきとした(?)青い目の"ガイジンさん"です。けれども、ラルフさんが育ったサンノゼ市は、昔からご近所に人種が入り混じった所でした。お向かいさんはアイルランド系、斜め前はポーランド系、そして、右隣は日系のカワサキさん一家といった様子でした。そんな環境に加え、お隣のカワサキさんにサンノゼの日本街や夏のお盆祭りを紹介されたこともあり、いつしか日本の文化にも興味を持ち始めたようです。結婚したエメリーさんは、日系の血を受け継いでいます。
そのラルフさんは、子供の頃から、プロ野球選手のカードなど野球に関するものを集めるのが趣味だったようです。そして、十数年前、日本野球の本を読んだことや、一部日本の血が流れる息子マイケルくんが誕生したことをきっかけに、日本の野球選手やチームの歴史にも興味が広がりました。いつしか両国の野球事情に精通することとなったラルフさんは、日本野球に関するニュースレターを発行していたほどです(相手国の野球事情に興味を持つのは、何も日本人ばかりではありません)。
そして、1993年、偶然スタジアムで隣り合わせた人にニュースレターを手渡したところ、自分の祖父が日系野球チームでプレーし、サンノゼの試合で、東京ジャイアンツのヴィクター・スタルヒン投手からヒットを打ったのだと教えてくれたのでした。この驚くべき事実を契機に、ラルフさんはチームの元選手や関係者にインタビューを始め、この度の出版に漕ぎ着いたのでした。
この本は、25人のインタビューを軸に、Asahiチームの成り立ちから解散まで、そして各シーズンのメンバー構成や対戦結果を実に克明に再現してあります。今までアメリカの日系野球全般に関する本は発行されたものの、ひとつのチームにフォーカスを当てた本としては唯一のもののようです。残念ながら、現時点では日本語訳が出版されていないので、ここに一部をご紹介いたしましょう。

野球が初めて日本に紹介されたのは、1870年代のことです。日本では馴染みのないチームスポーツですが、ゆっくりと、しかし確実に全国に広まっていきました。一方、1890年代中頃、日本からアメリカへの移住が本格的に始まり、新天地アメリカで、移民たちは野球の楽しみを知りました。朝から晩まで畑で過ごす毎日が続く中、たまに仲間とプレーする野球は、唯一の息抜きだったのです。練習日と試合のある日曜日だけは、農作業を早めに切り上げます。ハワイやカリフォルニアは勿論のこと、オレゴン、ワシントン、ワイオミング、そして、カナダやメキシコにも日系チームが結成されました。
日系移民の多い北カリフォルニアでは、20世紀初頭、各地で日系一世の野球チームが結成されていました。その中に、サンノゼに誕生したAsahiがあります。当時、朝日という名前は最も人気が高く、あちこちに"Asahiチーム"が存在したようです。1913年、一世を集めて結成されたサンノゼAsahiは、1917年には二世に代替わりし、北カリフォルニアの日系リーグNCJBL(the Northern California Japanese Baseball League)で何度も優勝するような、強豪チームに成長していきました。

アメリカに誕生した日系野球チームは、早くも1914年には日本で親善試合をしていたようです。サンノゼAsahiも、前年サンノゼで負かした明治大学に招かれ、1925年日本に赴き、東京六大学を始めとして全国各地で試合をしています。
最初の4試合(対早稲田、明治、慶応、帝國大学)は惨憺たる敗北でした。どうも、使用するボールが原因だったようです。"アメリカと同じ大きさのボールだけれど、牛皮で滑るんだよ。投手はカーブなんか投げられないし、他の選手もうまく投げられない。だからうまくプレーできなかったんだ"と、選手のひとりは回顧します。しかし、5試合目でボールを日本式からアメリカ式に変えた途端、ほとんどの試合に勝つようになりました(当時アメリカでは、馬の皮が主流だったようです)。日本遠征が終わってみると、32勝6敗という素晴らしい成績でした(各試合、日本で購入したMizunoのスコアブックに克明に記録されています)。

1930年代に入ると、サンノゼAsahiは次々と若い選手に代替わりしましたが、相変わらず、強豪アマチュア野球チームとして知られていました。そして、1935年、日本の野球ファンにも名を馳せることとなりました。
前年、ベーブ・ルースをチームマネージャとする大リーグ選抜(アメリカンリーグ・スターズ)が日本を訪れ、東京六大学を中心とする全日本選抜と対戦し、15試合全部に勝利していました。それを契機に、17歳で大リーグ選抜相手に健闘した沢村栄治投手や、子供の頃ロシアから亡命した長身のヴィクター・スタルヒン投手などを集め、大日本東京野球倶楽部(通称・東京ジャイアンツ)が結成されました。そして、1935年2月、このチームは、はるばるアメリカまでやって来たのでした。
翌月27日、サンノゼを訪れた東京ジャイアンツは、Asahiのホームグラウンドで彼らと対戦しました。この日は"休日"と称され、Asahiチームの家族は老いも若きもみんなで試合を見に行ったようです。
ジャイアンツの先発はスタルヒン投手、そしてAsahiの先発は、長年チームを勝利に導いてきたベテラン、ラッセル・ヒナガ投手。両投手の好投が続く中、8回が終わったところで、2対1とジャイアンツが辛くもリードします。9回表、疲れを知らないヒナガ投手は、ジャイアンツをヒット1本に抑えました。
そして迎える9回裏、ヒット、四球、四球の無死満塁。次のバッターのバント処理をジャイアンツの捕手が手こずる中、三塁走者が生還し、2対2の同点となりました。二死となり迎えるバッターは、この日好投を続けるヒナガ投手。チーム一小柄のヒナガは、それまで3打席ノーヒット。1ストライク、1ボールの3球目、力いっぱい振り切ったヒナガの打球は二塁を超え、その間、三塁にいたエイドリアン・オニツカ選手が逆転サヨナラのホームを踏み、試合終了となりました。
Asahiの選手は勿論のこと、スタンドで見ていた家族も"東京ジャイアンツに勝ったぞ!"と、もう大喜びです。そして、その夜は、Asahiとジャイアンツの懇親会が開かれました。この試合に負けたジャイアンツではありますが、この時のアメリカ遠征では、110試合中75勝1引き分けと素晴らしい成績を残したのでした。日系二世チームでジャイアンツに勝ったのは、サンノゼAsahiとロスアンジェルスNipponsだけだったようです。
翌年、再びアメリカに遠征した東京ジャイアンツは、プロチーム・サンフランシスコSealsに5対0と勝利したあと、サンノゼを訪れました。この時は、9回裏のスタルヒン投手のヒットで、ジャイアンツが3対2とAsahiを下しました。

1941年12月、日本軍のハワイ真珠湾攻撃を境に、日本とアメリカは戦争に突入しました。そして、1942年初頭、日系人たちは国籍を問わず、アメリカ各地の強制収容所に入れられました。しかし、収容先でも野球は忘れられていません。たとえば、ワイオミング州ハート・マウンテンの収容所では、収容後すぐに、サンノゼのソフトボールチームZebrasを土台として、野球のZebraチームが結成されています。収容所のトップチームだったZebrasは、アリゾナ州のヒラ・リヴァー収容所にも遠征し、親善試合をしています。収容所には鉄条網が張られ、柵を超えることは固く禁じられていますが、野球遠征の時だけは、外に出ることを許されたようです。
戦争が終結し、1946年サンノゼに戻って来た選手たちは、夏になると、サンノゼZebrasを再結成しました。先代のサンノゼAsahiと同様、北カリフォルニアの日系野球リーグでは、エリート集団として何度も優勝しています。そして、1961年、後継者不足に悩む中、リーグとともにチームも解散となりました。
見ず知らずの土地に移住し、言葉も文化も不慣れな生活を送る日系一世にとって、野球は心の支えでした。次世代を担う二世とともにプレーしたいし、若者に近隣の中華街で流行るギャンブルなどに染まってほしくない。そんな願いを聞き届けてくれた二世たちを、一世や家族たちは、グラウンド建設や日本遠征の実現など物心両面で支え続け、いつの間にか野球は、単なる娯楽から日系社会を結ぶ共通項となっていました。世代を重ねるごとに、日系人はアメリカ社会に溶け込み、生活も多様化し、いつしか野球は"唯一のスポーツ"ではなくなってしまいましたが、いつかまた、サンノゼAsahiやZebrasが復活する日が来るかもしれません。

サンノゼ市の図書館で開かれた出版記念会では、ラルフさんのあいさつの後に、元選手や家族への本の贈呈も行われました。インタビューを行ったものの、すでに他界している元選手も何人かいて、ラルフさんは声を詰まらせながら、ひとりひとりの名前を紹介していました。もうちょっと早く出版できていたら、そんな思いからかもしれません。(写真は、1935年の東京ジャイアンツ戦で、逆転のホームベースを踏んだエイドリアン・オニツカ氏です。)
長年地元のボリビア音楽のグループとチャランゴ(小型の十弦の民族楽器)を演奏する音楽家。そして、水彩画が大好きで、コミックを雑誌に掲載し、仕事場でデザインを担当するアーティストでもあるラルフさん。この風流人は、今も元選手とのインタビューを続け、第二巻の発行を夢見ています。

追記:こちらのウェブサイトで、ラルフさんご自身の紹介記事や、当時の貴重な写真を見ることができます。"View Exhibit Photos!"をクリックしてみてください。古いグラウンドの写真では、レフトフィールドに鉄道が走っているのが見えます。
http://thediamondangle.com/archive/jan04/sjnb/


<高校野球が見たいっ!>

先日、夏の全国高校野球が幕を閉じました。どんなスキャンダルがあろうと、駒大苫小牧高校の夏の連続優勝は、たいしたものだと思います。北海道出身の連れ合いなどは、決勝戦が行われる土曜日の午後1時(米国西海岸時間・金曜日の午後9時)が近づくと、何やらそわそわし始め、おもむろにパソコンに向かいます。
期間中、いろいろインターネットをサーチした結果、検索サイトgooの高校野球速報が一番充実しているようでした。お陰で、駒大苫小牧と京都外大西の決勝戦も、アメリカにいながら、最初から最後までリアルタイムで試合の成り行きがわかりました。
しかし、残念なことに、このサービスは画像のストリーミング放送ではなく、イラストでのプレゼンテーションなので、一球ごとの球種や打球の方向はわかるものの、どうしても緻密さや迫力に欠けます。音声がないのも玉に瑕です。

メジャーリーグ(MLB)の昨シーズン、シアトル・マリナーズのイチロー選手がシーズン最多ヒットの輝かしい記録を打ち立てましたが、この試合は、地元のオークランドA’sとの対戦ではなかったため、ベイエリアでは放映されていませんでした。けれども嬉しいことに、MLBのウェブサイトで各試合のストリーミング中継をしているため、テレビほど画質は良くないものの、パソコンで記録達成の瞬間を見ることができました(MLB.comでは、一試合4ドルで観戦できます。勿論音声もちゃんと入っています。今シーズンは、これに加え、ケーブルテレビのComcastで、全米のテレビ中継をひと試合ずつ購入できるようになりました。試合ごとに有料チャンネルが振り当てられています)。
そこで考えるわけですが、日本の高校野球もNHKがインターネットでストリーミング放送すべきなのです。海外に住む人は勿論のこと、平日に行われる出身地の試合などは、オフィスのサラリーマンも気になると思うのです。需要はたくさんあるはずなので、そろそろテレビ・ラジオ以外に、新手の中継手段を採用すべきなのです。
個人的には、MLB.comのように、ひと試合100円ほどで販売すればいいと考えます。そうすれば、NHKにとっても、受信料による歳入が減少する中、いい収入源になるのではないでしょうか。というわけで、NHKさん、いかがでしょうか。日本にパソコンを置いて画像を録画し、海外からアクセスして観賞する方法などもありますが、それではNHKさん、あなたの懐に観戦料が入らないでしょう。


<ハイブリッド車をどうぞ>

連日、原油価格が最高値を更新する中、こうガソリンが高くてはたまったもんじゃないと、アメリカの消費者は怒り半分、あきらめ半分。気温の低い夜間にガソリンを給油すると、昼間よりたくさん入るなどと、根拠の無いでたらめも巷を賑わすこの頃です。

そんな中、何でも他州の一歩先を行きたいカリフォルニアでは、資源問題でもちょっとだけリードしようとしています。たとえば、電気とガソリンで走る燃費のいいハイブリッド車の奨励があります。その骨子として、前政権のデイヴィス州知事の頃から、フリーウェイの"カープール・レーン(carpool lane)"の使用をハイブリッド車に認める案が協議されていました(これは、フリーウェイの左端にある優先車線のことで、通常、午前5時から9時、午後3時から7時までは、二人以上乗った車でないと使用できません。それを、ハイブリッド車だったら、一人でも使用可とするものです。渋滞のひどいカリフォルニアでは、なかなかいい餌になるわけです)。
これに関し、州議会ではとっくの昔に承諾されていたのですが、上で長いこと引っかかっていました。全米のフリーウェイに関する変更には、州を超え、連邦議会の承認が必要なのです。ようやく7月末、夏休みに入る直前の連邦議会で許可が出され、それを受け、電光石火でカリフォルニアの運輸局で申請受付が開始されました。最初の7万5千人のみに特権が与えられ、現時点で1万6千人が申請をしています(早くしないとダメなのよと、ハイブリッドステッカーをちらつかせながら、みんなを促しているのです。条例の方は、2007年末までと期限付きです。連邦政府によるハイブリッド税金控除額も、今年2千ドルから、来年5百ドルと縮小されます)。

しかし、何にでも厳しいカリフォルニアのこと、すべての"ハイブリッド車"がカープール・レーンの使用を認められるものではありません。一部の"ハイブリッド車"は、燃費が州の基準を下回るからです。現時点で純粋なハイブリッド車とされるのは、ホンダ・シビック(ハイブリッドモデル)、ホンダ・インサイト(2005年モデルを除く)、そして、トヨタ・プリウスのみです。ホンダ・アコード(ハイブリッド)、フォード・エスケープ(ハイブリッド)、そして初のハイブリッド高級車・レクサスRX400hなどは対象外です。
これに加え、7年前に出されたホンダ・シビックの天然ガスモデルは、以前からカープール・レーンの一人使用を認められていました。けれども、ベイエリアに20ほどしか燃料スタンドがなく、個人ユーザには人気は高くありません。

現在、アメリカで売れ筋のハイブリッド車は、トヨタのプリウスです。今年上半期の全米ハイブリッド販売台数(約9万2千台)の6割近くを占めています。一時期、入手困難で、1年近く待つとも言われていましたが、最近ようやく供給が追い付き、売り上げも昨年の2倍以上となっています(ベイエリアでは、トヨタの看板として、49ersの元クウォーターバック、スティーヴ・ヤング氏が盛んにプリウスを宣伝しています)。
レクサスRX400hなどは、昨年から5千ドルの手付金を払って待ちリストに入っている人もいて、今年4月の発売開始時点では、1年待ちの状態となっていました。現在は、8ヶ月ほどだそうです。フォードのSUVエスケープも、同じくSUVのRX400hと販売台数で張り合っています。やはり、アメリカ人のSUVや大型車好きは、そう簡単に治るものではありません。

このハイブリッド優遇措置は、7万5千人と上限があるものの、その数はすぐには埋まらないようです。現在、カリフォルニア州全体で登録されているハイブリッド車数は6万台で、そのうちすべてに申請資格があるわけではないからです。
それでも、こうガソリンが高くては、ハイブリッド車に乗り換える人も増えるのかもしれません。そういう風潮に乗ってプリウスなんかを買ったら、自分はどうせ7万5千1人目になるんだろうなと思うのです。


<おまけのお話:日本とアメリカ>

このおまけの話は、いつもと違って、たいそう真面目なお話です。心して読んでいただくようにお勧めいたします。

アメリカ人と結婚している友人が、こんなことを言っていました。毎年、8月になると、決まってダンナと大喧嘩になると。原因は、原爆投下です。彼女は、広島の人と街が一瞬にして破壊し尽された三日後、長崎に二発目が落とされたのは人道的ではない、と主張します。ダンナは、いや、両方落としたからこそ日本があわてて降伏し、アメリカ・日本両国のその後の犠牲が食い止められたのだと、教科書通りの主張をします。

今年8月、原爆投下60周年を迎えましたが、これに対するアメリカと日本の深い溝はいまだ埋められてはいません。
アメリカの観点からすると、日本にはハワイ真珠湾を奇襲攻撃された深い恨みがあります。世界の前で恥をかかされたじゃないかと。そして、その相手の日本はというと、アジアを植民地化し、占領下の大東亜共栄圏で、数々の暴力と殺戮を行っている。太平洋戦で捕虜となった自国の兵士は、ジュネーブ協定を無視する日本軍によって、強制労働や拷問の虐待を受けている。そして、日本が1945年7月のポツダム宣言を受諾し無条件降伏する決断を先延ばしにする中、ライバル・ソビエト連邦も参戦する気配を見せている。沖縄本土戦で多くの米兵が没したことを鑑みると、これ以上戦争を長引かせないためにも、11月に予定される日本上陸を避けるためにも、ここで新型爆弾を落とすしかない、そう論理付けたのです。
一方、日本人からすると、ただ一言。原爆を落とすなんて人間のすることではない。

スタンフォード大学の歴史学教授が、日本人は原爆の悲惨さばかりに焦点を当て、それ以前の罪は全部忘れてしまっていると、論文の中で指摘していました。また、あるジャーナリストは、「中国で原爆の体験談をしようとしたら、ものの10分で中断させられた」と被爆者が語ったことを書いていました。自分たちに何をしたのかを自覚するのが先決だと、中国人は怒ったのです。確かに、日本に原爆が落とされたのには、それなりの歴史的経緯があったのであり、単に空から降ってきたわけではありません。
しかし、一方で、原爆の悲惨さは、他のすべてのものを日本人の心から消し去ったといえるのかもしれません。退院を明日に控え、顔のケロイドを悲観し、病院で自殺を図った乙女がいます。「人間らしく死なせてやることもできなかった」と、生存者は肉親に涙します。毎年夏になると、蝉の声が「水をくれ」と死んでいった家族の声に聞こえるという人もいます。入退院を繰り返し、「アメリカを一生恨み続けます」と明言する人もいます。広島で被爆した「帰米」日系アメリカ人は、「日本が降伏しないと信じるほど、アメリカはバカじゃなかったはず。その頃はもう、日本には食べる物も何もなかったんだから」と訴えます。
諜報活動に長けていたアメリカ軍は、東京から発信される情報はすべて瞬時に傍受していたといいます。長崎の投下日8月9日に、降伏を協議する最高戦争指導会議が開かれようとしていたことも、アメリカには筒抜けだったのかもしれません。この日未明のソ連の満州侵攻が日本の降伏を早めるであろうことも、アメリカには充分わかっていたはずです。いまだ試されていないウラン爆弾を、無傷に残しておいた広島に投下した後、ひと月前ニューメキシコ州アラモゴード空軍基地で実験したばかりのプルトニアム爆弾を、小倉か長崎にもう一回実戦で落としてみる、そういうシナリオが書かれていたようです(真珠湾を奇襲した魚雷は、長崎の三菱兵器製作所で製造されたものです)。20億ドルかけたマンハッタン・プロジェクトを無駄にしないためにも。

東京大空襲の後も、沖縄本土戦の後も、「神の国」にふさわしい神風が吹き、必ず戦争に勝つと信じていた日本。しかし、原爆を境に、敗戦間もなく「鬼畜米英・一億玉砕」のスローガンは崩れ去りました。「死は鴻毛(こうもう)より軽し(いのちは鳥の毛よりも軽い)」と「軍人勅論」で説かれていたことも、すっかり忘れ去られてしまいました。
それに比べて、アメリカはいまだに、「原爆は必要悪」のマイドコントロールから解き放たれていません。ひょっとしたら、広島投下を指し「これは歴史上最も偉大な出来事だ」と言ったハリー・トルーマン大統領を始めとして、原爆を悪だと実感する人は少ないのかもしれません。
広島に原爆を落としたB29「エノーラ・ゲイ」機を操ったポール・ティベッツ氏は、今年2月、90歳の誕生日を迎え、まわりからはヒーロー扱いでした。「あなたは、間もなく戦地に送られる私の命を救ってくれた」と、どこに行っても感謝されるそうです(爆弾の威力を目の当たりにしたティベッツ氏が、広島投下と二発目の間隔を、予定の5日から3日に短縮するよう促したともいわれています)。

しかし、時が経つにつれ、アメリカ人の心が変化していることも事実です。広島・長崎直後の1945年の調査では、85%のアメリカ人が原爆投下を支持していました(反対10%、どちらでもない5%)。今は、投下は避けられなかったとする人は6割に上るものの、支持者は48%に減り、不支持は46%に増えています(今年7月発表のAP・共同ニュース世論調査)。支持者は戦争を知る高齢層に多く、35歳以下の若い層では、54%が不支持となっています。
これまで地道に続けられた被爆体験の啓蒙活動は、決して無駄にはなっていないのです。そして、これから先、戦争を経験した世代が少数派となる中、非体験者にとっては、単に教えられるのではなく、自分から追い求める能動的な学習が必要となってくるでしょう。20世紀最大の哲学者・数学者バートランド・ラッセルは、学校の歴史の教科書には外国の本を使うべきだと主張したそうですが、これは、互いの過ちを正当に評価する最適な方法かもしれません。

最後に、アララギ派の歌人でもあり、当時、長崎医大物理的療法科教授だった永井隆博士の歌を、ひとつだけご紹介しましょう。
新しき朝の光さしそむる 荒野(あれの)に響け長崎の鐘」(聖母の騎士社発行・聖母文庫「新しき朝」より)。
原爆が上空で炸裂した長崎の浦上地区は、16世紀末から19世紀末までの3百年間、隠れキリシタンが潜伏した地域でした。カトリック信者でもあり、その後原爆症で亡くなった永井博士が「長崎の鐘」と表したのは、この浦上の丘に建つ浦上天主堂の「アンゼラスの鐘」のことです。

そして、原爆投下60周年の今年、サンフランシスコのグレース大聖堂では、広島・長崎の現地時間に合わせ、祈りの鐘が高らかに打ち鳴らされています。


追記:原爆投下に関しては、今まで読んだ数々の文献に加え、以下のドキュメンタリーフィルムを参考にさせていただきました。
英BBC制作 "Hiroshima: the decision to drop the bomb"(1995年)。このフィルムは、トルーマン大統領が原爆投下を指示するに至った歴史的経緯を、マンハッタン・プロジェクトに関わった科学者とのインタビューを含め、克明に追っています。
米Oregon Public Broadcasting制作 "Rain of Ruin: the bombing of Nagasaki"(1995年)。このフィルムは、広島に続くアメリカの原爆投下計画、ポツダム宣言に対する日本の反応、満州侵攻によるソ連の参戦など、8月9日を前後に、複雑に絡み合う長崎投下の要因を詳細に分析しています。
BBC制作 "Hiroshima/Mass Destruction"(2005年)。このフィルムは、最新のCGを使い、原爆の炸裂と破壊力を再現したもので、アメリカ軍関係者と被爆者の両視点から広島を語ります。


夏来 潤(なつき じゅん)

科学と宗教:そのちょっと微妙な関係

Vol.72
 

科学と宗教:そのちょっと微妙な関係

執拗に続くロンドンのテロ事件もさることながら、車が必需品のアメリカでは、石油価格も市民生活を脅かしています。現在、原油1バレル当り60ドル前後となっていますが、25年後には、少なく見積もって125ドル、ひょっとすると200ドルとも推定されています。中国は大丈夫だろうけど、ヨーロッパはこの先どうなるのだろうと、海の向こうでは心配の声が上がっています。スペインやポルトガルでは、今夏の干ばつの被害で、それどころではないようですが。
2年前、1バレル30ドル近辺をさまよっていたとき、30ドルあれば、石油業界は充分に利益が上げられるとアナリストが言っていましたが、現時点の残りの30ドルは、いったいどこに消えているのでしょうか。

さて、資源問題はさて置き、今回は、ちょっと眉間に皺寄せるような、アカデミックなお話から始めましょう。そして、真面目なお話がふたつ続いた後は、リラックスいたしましょう。


<科学が危ない! その1>

端的に申し上げて、アメリカでは今、科学が脅かされているように思えます。国民に広がる科学に対する認識不足が、大きな脅威となっているのです。
その脅威の最たるものが、進化論に対する攻撃です。地球とあらゆる生物、そして人類とその文化は、ダーウィンが最初に提唱した進化論(evolutionism)の概念体系に基づいています。およそ140億年前に宇宙が誕生した後、46億年前に地球が生まれ、その6億年後に最初の生命体である微生物が誕生した。以来、長い時間をかけて環境に適応する過程で、現在の動植物界や人類の形に進化してきたと説明します。
ところが、アメリカには、この進化論に異論を呈し、子供たちに科学として学校で教えることに、執拗に反発してきた一派が存在します。その動きは、早くも1920年代に生まれ、南部の5州では、進化論を教えてはいけないという法律までできたほどです。その度に、法廷の場で争われてきたのですが、近年はその力を盛り返し、19の州議会で、進化論に相対する理論も教えるべきだと、熱心に討論が繰り広げられています(1999年に教育委員会によって進化論が禁止されたカンザスでは、2001年にはカリキュラムに戻され、現在また、激しい論争が再燃しています。中・南部の州に限らず、北部のオハイオ州でも、進化という言葉は禁句とされています)。

元来、アメリカはキリスト教国と言えます。国民の8割がプロテスタントかカトリックとされます。大部分の国民にとって、宗教は日常生活の大事な部分を占めており、無神論者は数パーセントにも達しません。ティーンエージャーでさえ、7割は週に2、3回ひとりでお祈りすると言います。そして、聖書(旧約聖書の最初に出てくる「創世記」)の天地創造説(creationism)を史実と勘違いしている人は国民の半数近くいます。地球と生物は、6千年ほど前、神が7日間で創り賜うたものであり、化石などというものは、古生物学者の想像の産物であると。
しかし、科学者との討論の中で、そんなことを言っていたら小バカにされると気付く者も出始め、この理論自体が進化を遂げてきました。「インテリジェント・デザイン(intelligent design)」と呼ばれる、新手の創造説の登場です。残念ながら、この理論が何であるかを明確に説明できる推奨者はほとんどいないのですが、おおまかに言うと、こういうことのようです。
個々の細かな生物進化(microevolution)は、大方認めることにしよう。物的証拠もあるようだし。しかし、進化論では、どうして生物が今の複雑な高等な形に進化し得たのか、説明がつかないではないか。唯一説明できるのは、進化の裏側には、神の偉大なご計画があったからということだ。
この理論の第一人者は、カリフォルニア大学バークレー校の法学名誉教授、フィリップ・ジョンソン氏です。1991年に"Darwin on Trial"という本を発表して以来、彼の支持者は増え続け、科学者の間にも広がっています。国民の7割が、進化論と創造説の両方を教えた方が良いとする調査もあるほどです。

最も粗野な創造説を唱える人を見ると、どっと疲れが出る筆者も、インテリジェント・デザインは心情的にはわからないでもありません。大学院で人骨のクラスを取っていたとき、頭蓋骨の精巧さに驚異を覚えたことがあります。ヒトの頭蓋骨は22の骨の部品で成り立っているのですが、鼻のまわりは特に緻密にできあがっています。そのパズルのように複雑に絡み合う骨を手にしながら、これは偶然の産物であるはずがない、何者かの意思が働いたに違いないと思ったほどです。
しかし、心情的にどうであれ、インテリジェント・デザインは科学ではありません。科学的な手法に基づき、証明できる理論を科学と呼ぶのであって、自分の理論に合う物的証拠を都合よく選りすぐり、自説を主張するのは疑似科学なのです。更に、インテリジェント・デザインが提起する疑問は、科学の範疇を大きく超えています。疑問を持つのは結構なことですが、神の意思があったかどうかなどと、人が科学的に知り得ることのできない仮説は、神学的、哲学的領域に入るわけです。

残念なことに、人間にとって、知ることには大きな制限があります。物的証拠にいつも恵まれるとは限りません。人類の進化論にしてもそうです。たとえば、ヒト科(hominid)で最も古いとされる数百万年前のアーディピシカス(Ardipithecus)属ですが、更に古いオロリン(Orrorin)属やサヘランスロパス(Sahelanthropus)属がヒト科の祖先なのかどうかは、意見が分かれるところです。発見される化石が不完全だし、第一、何をもってヒト科と断定できるのかコンセンサスが取れていないからです(たとえば、二本足歩行なのか、犬歯の大きさなのか?)。
一方で、人の「知る」という行為自体にも概念的な制限があります。そんなハンディを背負い、天動説(geocentric theory)から地動説(heliocentric theory)と現象を観察するレンズを取り替えながらも、今まで知り得たことをこつこつと築き上げ、科学と称する「知」の体系としてきました。けれども、科学理論は決して完結したものではなく、絶えず欠ける部分があります。知れば知るほど、新たな疑問が次から次へと湧いてくるからです。時に、レンズを替える必要も出てきます。ゆえに、短絡的な答えを求め、進化論などの科学理論を攻撃する一派がいつまでも存続するのです。

ここで、反進化論者が認識すべきことは、神に関する討論と科学は敵対するものではなく、存在する場が違うということかもしれません。欧米に多いキリスト教徒の科学者は、それをよく理解しています。彼らは、人の「知」の領域を充分に認識しているのです。だから、「知」を教える学校に、「知」の外にいる神を持ち込んではいけないのだとします。
そしてもうひとつ、聖書や経典に書いてあることを、文字通り史実であると信じる軽率さに気付く必要があるようです。象徴は、決して物自体ではないのですから。火星の表面に写る「白兎」は、実は、探査機オポチュニティーの着陸用エアバッグなのです。


<科学が危ない! その2>

インテリジェント・デザインもさることながら、始末に終えないことに、政府も科学の脅威に一役買っています。米国憲法で定められる政教分離(separation of church and state)の原則が、必ずしも守られていないからです。
驚くことに、アメリカでは、どこにでも神(God)が顔を出します。法廷での宣誓も聖書に手を置いて行うし、大統領を始めとして、政治家や役人の任命式でも神に誓いを立てます。紙幣にも"In God We Trust"と書いてあるし、毎朝学校で子供たちが星条旗に向かって行う、忠誠の誓約(the Pledge of Allegiance)にも、"under God"という言葉が入っています。よくご存じの通り、野球場でも"God Bless America"を皆で歌うし、選手も試合後のインタビューで、"God bless!"と締めくくります。

忠誠の誓約に関しては、以前、法廷で大騒ぎがありました。カリフォルニア州都サクラメントのお医者さんが、娘が学校で毎朝"神のもとに"などと誓いを立てさせられるのは、憲法違反だと訴えました。リベラルな第9連邦巡回上級裁判所は、無神論者の彼の主張を認め、1954年に連邦議会がこの言葉を誓約に挿入したのは違憲であり、学校での復唱は禁止されるべきであるとしました。
しかし、その後、争いは連邦最高裁判所まで持ち込まれ、昨年6月、そもそも父親は離婚後親権を持っていないので、娘を代表して訴えを起こすことはできないと、肩すかしを食うような判決が言い渡されました。国民の大部分は、誓約に神が出てくるのは正しいと思っているので、結局、うやむやのうちに関心は薄れてしまいました(ちなみに、離婚した奥さんの方は敬虔なクリスチャンで、"神のもとに"は、抵抗はなかったようです。そんな基本的なことが食い違うようでは、うまくいくものもいきませんね)。

同様の論争もあります。旧約聖書の「モーセの十戒」を公共の場に示すのは憲法違反かどうかというものです(十戒とは、「出エジプト記」第20章に記述される、神の他に何ものをも神としてはならない、殺してはならない、云々という十の戒律です)。
3年前、アラバマ州の法廷から十戒の石碑が撤去され、信者一同が泣き崩れたことがありましたが、つい先月も、連邦最高裁判所からこんな判決が下されました。テキサス州議会の庭にある十戒の石碑は合憲だが、ケンタッキーの法廷に飾られる十戒の額は違憲であると。前者は40年前に建てられ、他の石碑と混じり宗教性も薄いが、後者は明らかに宗教の推奨を念頭に置いて掲げられたものだ、という理由です。

いずれの場合も、対象となっているのは、米国憲法修正第1条の「信仰と言論と報道の自由」です。この中に、議会は宗教の創立を尊重するような法律を作ってはならないとあるのです。しかし、この条項の解釈は、上記のようにケースバイケースになりがちで、国民の間に混乱を招く結果ともなっています。
議会や公共の集まりでのお祈りに関しては、1983年、政教分離の原則には抵触しないという連邦最高裁判所の判決が下され、これがその後のお手本ともなっています。前述のサクラメントの医師は、今年1月のブッシュ大統領再任式でお祈りを阻止しようと訴えましたが、軽く却下されるというエピソードもありました。

実は、神は、アメリカの独立宣言(the Declaration of Independence)にも顔をのぞかせています。人は創造主により平等に創られ、生命、自由、幸福の追求の権利を与えられたのだと。これを起草したトーマス・ジェファーソンや、初代大統領のジョージ・ワシントンにとって、人と神は絶対に切り離すことのできない関係だったのです。建国当初は、議会の場が宗教儀式に使われる慣習すらあったようです。
この人と神の深い交わりは、アメリカの政治に脈々と受け継がれ、政教の境がいつの間にか曖昧模糊となったようです。


<アフリカが危ない!>

7月上旬のG8サミットに同期し、世界中で同時開催されたライブエイトのコンサートでは、アフリカの貧困に立ち向かおうという熱いメッセージが送られました。そのアフリカでは今、新たな深刻な問題が起きています。

アフリカ大陸南東の内陸部にジンバブウェという国があります。20世紀初頭、イギリスの植民地となり、1965年、少数派の白人政権のもと、ローデシアとして独立しました。その後、内部紛争を経て、1980年にジンバブウェとして合法的に独立したのですが、以来25年間、ロバート・ムガベ大統領の独裁制が敷かれています。
この国では、5月以降、首都ハラレのスラム街がことごとく破壊されつつあります。命じたのは、ムガベ大統領です。破壊は周辺の町々まで広がり、150万人の下層階級の人々が、その貧しい家や露店を失いつつあると推測されています。
現地のショナ語で「ごみをなくせ!」と名付けられた政策は、税金を払わない闇市場や、不法に人の土地に掘っ立て小屋を建てる輩を一掃するのが目的とされています。しかし、実のところ、長い独裁政権に不満を抱く下層階級を、お膝元から都合よく追い出すのが狙いだと言われています。
ブルドーザーは人々の制止を振り切り、家や露店を押しつぶし、警察は抵抗する者を次々と連行し、殴りつけます。逃げ遅れて押しつぶされた子供は、ひとりやふたりではないようです。2歳の女の子を失くした夫婦は、瓦礫の中から子供の遺品を探します。
イギリスのBBCニュースは、いち早く事の仔細を報道し始めましたが、数日後、国外退去を命じられました。国連は視察団を派遣しましたが、それに対しムカベ政権は、2008年までには家を失った者のために新しい家を建てると約束したようです。

アフリカのサハラ砂漠にニジェールという国があります。今ここでは、昨年の干ばつと害虫の被害で食料危機に陥り、国民の3人にひとりが飢えに瀕しています。このままでは、15万人の子供たちが死んでしまうといわれています。
事態は特に南部地方で深刻で、「国境なき医師団」によると、「今年前半だけで、1万人の飢えた子供たちが救援センターに押しかけたが、これはスーダンやアンゴラの状態よりもひどい」ということです。7月20日の時点で、BBCは、どの国の政府もいまだ援助の手を差し伸べていないと報道していました。
今この国では、1日に1ドルあれば、たくさんの子供たちが栄養失調になるのを防げたのに、ここまで待ったために、ひとりの命を救うために1日80ドルが必要だといわれています。なぜかというと、栄養失調(malnutrition)は、単に飢え(hunger)のひどいものではなく、体中の生化学反応が複雑に絡み合った現象だからです。治すには、それなりの治療が必要となってくるのです(ひどい状態に陥ると、新陳代謝や免疫機能が働かなくなり、ちょっとしたことで感染症を起こし、取り返しのつかないことになります)。
困ったことに、伝統的な生活を営む社会だけではなく、先進諸国でもこのことを理解していない人は多いのです。だから、援助が後手にまわってしまうようです。

ここで一般市民ができることは、義援金などの具体的な援助を提供することでしょう。しかし、ひとつ気を付けるべきことは、組織を過信しないということです。たとえば、上記ジンバブウェでは、食料の配給ルートは、すべて大統領のもとにコントロールされています。こういった状態では、正規(政府対政府)のルートでアフリカ諸国に援助をしても、助けを一番必要としている末端の人々には何も行き渡らないでしょう。
また、世にあまたある慈善団体にしても、自分の主義にそぐわないものもたくさんあります。たとえば、宗教団体が主催するものの中には、援助に換え、宗教を置いてくるものもあるでしょう。もし、宗教的に中立でありたいのなら、こういった団体は避けるべきです。
末端の人々に正しく援助が行き渡るのか、それを厳しく吟味するのも、援助する者の責任の一環なのです。


<ショートストーリーふたつ>

7月1日は、カリフォルニア州の新年度ですが、この日施行された州法や地方条例もいくつかあります。その中に、サンフランシスコの禁煙令があります。公共の場では、屋外であっても一切禁煙となります。公園の散歩やスタジアムでの野球観戦も、タバコは禁物です。
もともとカリフォルニアでは、人が集う屋内は禁煙なので、今となっては、喫煙者は16パーセントと少数派です。サーフィンのメッカ、サンタ・クルーズでは、5月1日からビーチも禁煙となりました。今後、サンフランシスコでは、喫煙は自宅のみとなってしまうようです。初回罰金は100ドル(約1万1千円)、次は200ドル、その次は500ドルだそうなので、旅行者も気を付けた方が無難のようです。

7月ともなると、子供の夏休みも真っ盛りです。特に、夏休みが長いアメリカでは、この時期をどう過ごすかが鍵となります。ある者は、ハンバーガー屋やビーチのライフガードとして働きお金を貯めるし、ある者は合唱団の一員として他市で公演し、経験と見識を積みます。高校生ともなると、いろんな選択があるわけですが、子供がまだ小さい頃は、サマーキャンプ(summer camp)が人気です。
キャンプファイヤや乗馬、アスレチックスと伝統的なサマーキャンプのプログラムに加え、近頃は、時代を反映し、プログラムの特化が目立ちます。そして、お泊りが伴うとは限りません。たとえば、ベイエリアらしく、言語のサマーキャンプがあります。2週間にわたり、中国語、フランス語、スペイン語などの外国語に親しみ、料理教室を通して他国の文化にも触れるというコースです。
スタンフォード大学では、数十のキャンプメニューを提供していますが、その中に、スポーツ選手として成功するためのコースがあります。スカウトは選手に何を求めているのか、アカデミックとスポーツを両立するにはどうするのかといった、具体的なアドヴァイスを専門家に受けます。近頃は、子供がプロスポーツ選手となり、お金持ちになることを夢見る親も多く、2、3歳の頃からスポーツのスパルタ教育が続きます。
何でも、こういったサマーキャンプの概念は、ドイツにも波及しているらしく、移民家族の子供たちに正しいドイツ語を教えるコースがあるそうです。ドイツ語の複雑な規則を、演劇やゲームを組み合わせ、楽しく習得できるのです。
アメリカの子供たちは、学年の切り替わる夏休みの間、平均1?2ヶ月分の学業の遅れを取るといいます。傾向から言えば、今後、お勉強中心のサマーキャンプがどんどん増えるのかもしれません。


<おまけのお話:ハイテク男性の出会い>

日本もそうですが、ハイテク産業には男性従業員が多いです。インターネットでは、友達を繋げるソーシャル・ネットワーキングのサイトはたくさんありますが、やはり何と言っても、オフィスは大事な出会いの場です(アメリカ人の4割がオフィスロマンス経験者ともいいます)。ゆえに、シリコンバレー界隈は独身男性でいっぱいなのです。花の独身女性に向け、Caltrainの列車通勤をすると、収入の安定した適齢期の男性に出会えますよと、甘い呼び声も聞こえてきます。
ところが、山を隔てた海沿いのサンタ・クルーズには、好条件の男性は皆無に近いと、以前から独身女性の間で不満がもれていました。ここにいるのは、大学生かサーファーか、お金のない駆け出しのアーティストなのよと(ちなみに、ここの大学とは、カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校です。自由な雰囲気に満ち溢れ、天文学や物理学で有名な大学です)。
そんなレディーたちのご不満にお答えして、この"サーフ・シティー"にハイテク人間をお呼びしましょうという会が催されました。日頃、ハイテク男性たちは、"nerd"だの"geek"だのと揶揄されていますが、この際、そんなことは関係ありません(nerdやgeekは、"おたく"とか"ちょっと普通と違う人"みたいな意味です)。
サンフランシスコ近郊のAmerican Singles Educationという団体が主催した親睦会だったのですが、蓋を開けてみると、山を越えてやって来たハイテク人間はごく数人。あとはみんな地元の男性で、洗練されたハイテクガイ目当てにやって来た女性参加者は、ちょっとがっくり。団体責任者は、"う~ん、5千人にメールを送ったんだけどなあ。みんな忙し過ぎるのかなあ。よし、次回は、バスを仕立てて男たちを連れてくるぞ"と、抱負を語ります。

サンノゼ・マーキュリー新聞のビジネス欄を読んでいると、ハイテク男性に向けて、"日本女性と仲良くなりたくはありませんか?"という広告を見かけます。アメリカ各地に支店を持つ、出会いコンサルタント会社の広告です。昨年、30~34歳の日本女性の4割が独身という調査結果が発表されましたと、説得力充分です。
実は、カリフォルニアには、ひそかに日本女性と結婚したいと思っている男性は多いのです。東海岸と比べ、日本文化に接する場面が多いので、日本人についてある程度知識があります。ゆえに、日本人はいいなあと思うのです。
まったく非学術的な筆者の調査からすると、日本女性は、まず、きれいだそうです。肌も美しく、お化粧も身なりも整っている(日本への出張者の多くがそう発言します)。なおかつ、きれい好きで、家の中もきちんとしている(そう言えば、近所では掃除は業者任せが多いなあ)。そして、過度の自己主張がない。ある人がこう言っていました。自分の母は沖縄から来たのだが、父の妹がいろいろと入れ智恵するうちに、カリフォルニア人になってしまったと父が嘆いていた。

勿論、これは男性側の勝手な主張であり、どこの国民にも、男にも女にも(その中間にも)、良さと悪さが兼ね備えられているわけです。けれども、日本とアメリカはどこか違うなと感じる中に、何かしら新鮮な魅力を発見するようなのです。女性から見ても、きっと同じことでしょう。
日本の独身男性、危うし!


夏来 潤(なつき じゅん)

 

高野山と熊野三山:和歌山ってどんなとこ?

Vol.71
 

高野山と熊野三山:和歌山ってどんなとこ?

世の中、いろいろ騒がしいですが、こういう時こそ、一息入れましょう。先月号の巻頭で、小鳥の巣作りのお話をいたしました。我が家のドアにかけたリースに巣が出来上がり、親鳥が卵を数個温め始めたというものです。その後、5月下旬から2週間日本に滞在したのですが、その隙に、めでたく雛がかえっていました。
ドア越しに、ぴよぴよという雛の食事の催促を聞きながら、写真の一枚も撮ってやろうと思っていましたが、筆者が時差ぼけでボーッとしている間に、みんな巣立ってしまいました。雛が育つのは早いものですね(実は、この話には後日談があって、巣をリサイクルする動きが見られたのです。やっぱり玄関が使用できないと不便なので、あわてて巣を撤去させていただいた次第です)。

さて、今回の帰国の目的は、日本の祭を見てみようというものでした。ところが、筆者が東京に着いたのは、京都の葵祭や浅草の三社祭(さんじゃまつり)の直後で、金沢の百万石まつりや各地の田植え祭には早すぎる時期でした。ちょうどこの時期は、「農閑期」ならぬ「祭閑期」とも言える季節です。そこで、祭は望めないものの、和歌山を訪ねてみました。今回は、その時の印象などを綴ってみたいと思います。


<高野山>

旅先を和歌山としたのに別段深い意味はなく、目的地を選ぶにあたり、和歌山には城があるというのが鍵となりました。本屋でガイドブックを見てみると、県内には高野山もあるし、熊野古道や白浜温泉といった魅力的なスポットもあることがわかり、出立の前日、急いで宿や飛行機の手配をしたのでした。

最初の目的地・高野山に関しては、今まで誤解が多かったことがわかりました。京都の比叡山と並び称されるためか、筆者は、高野山も京都近辺にあり、高い、険しい山の上に、大きなお寺がひとつ存在するのだと思っていました(日本の地理に詳しい連れ合いでさえ、高野山は奈良県だと思っていました。和歌山県民のみなさん、申し訳ありません)。
ところが、関西空港から南海電鉄とケーブルカーを乗り継ぎ山頂に来てみると、どうして、人口3千人の立派な町なのです。有名な高野山大学もここにあり、聖職者は千人にものぼります。大小含めてお寺の数も多く、各地にある寺町を大きくした感じです。

ここに来て宿坊に泊まらない手はないと、この晩は、高野山で一番大きな宿坊、福智院にお世話になりました。宿坊では、配膳もお坊さんが行い、朝は早くからお勤めがあると聞いていたので、前日、デパートの食品売り場をぶらついていた時、手土産に菓子折りのひとつも持っていくべきかと迷いましたが、結局、手ぶらで赴きました。行ってみると、思ったよりも広いお寺で、中庭も料亭のように美しく整い、どこかの旅館かと見まがうばかりでした。檀家の方かもしれませんが、宿坊には番頭さんや女中さんもいて、近代的に分業化されていました。
けれども、お坊さんとの接触も多く、やはり宿坊の醍醐味はここにあると実感したしだいです。たとえば、部屋に通されてすぐ、千葉から修行にやって来た尼僧さんに茶室まで案内され、旅の疲れを癒す、薄茶の御手前の歓迎を受けました。

夕食も朝食も、聞いていた通り、若い修行僧が部屋まで運んで
くれました。夕食担当の修行僧はちょっと小太りで、お膳を持っての階段の上り下りに息を切らし、傍で見ていて申し訳なく思いました。けれども、これも修行のうちなのかもしれません。昔は、ひとたび高野山に入れば、3割しか生きて戻れなかったといいます。それに比べれば、何でもないことかもしれません。それにしても、精進料理の美味なこと。高野山にいる間、二度と肉など食べるものかと思っていました。

何と言っても、朝のお勤めはいい経験です。筆者も、菓子折りを持参すべきかと迷っていたほど、お坊さんに会えるのを楽しみにしていました。翌朝、5時には自然に目が覚め、露天風呂でまず身を清めます。頭のすぐ上で、小鳥が実にいい声で鳴いていました。
そして、6時から本堂でお勤めです。宿泊者の大半はヨーロッパからの観光客で、本堂も外人さんでいっぱいです。彼らと同じくらい、筆者もお経の内容などわかりません。唯一認識できたのは、「般若心経」だけです。でも、住職さんと前夜会った尼僧や修行僧など、数人で唱える真言密教のお経は、迫力のあるものでした。鐘や鉦、鈴などを打ち鳴らし、その賑やかさは他の宗派とは異なります。頼りなげだった修行僧も袈裟に身を包み、きりりと見えます。馬子にも衣装、坊主にも袈裟でしょうか。
残念ながら、住職の静琴盛氏とは直接お話する機会はありませんでしたが、お勤め後のお説教は、庶民的でおもしろいと思いました。「般若心経」には、わずか278文字の中に、深い意味が込められており、宇宙のように壮大な世界が広がっている。また、ありがたいことに、読経はボケ防止にも役立つとのこと。以前、般若心経の解説書にトライしたことがありましたが、この際再挑戦してみようと誓ってみました。


<空海>

高野山の主、空海さんとは、妙なえにしがあります。昨年11月、中国・西安を旅したとき、個人ツアーのガイドさんに黙って連れて行かれたのが、空海が修行した青龍寺でした。筆者が神奈川に暮らしたと聞き、空海の出身地である香川(讃岐国)と勘違いし、同郷のよしみできっと喜ぶに違いないと早とちりしたようでした。
筆者はこのとき、「空海って誰だっけ?」と、まるで5歳児のように心の中で叫んだのですが、説明を聞いているうちに、昔の歴史の授業を思い起こし、これは大層すごい所に来たもんだと、合点が行ったわけです。804年の空海の入唐後1200年が経つということで、2週間前には、日本から千人の信者がこの寺にやって来たということでした(804年、空海と同じ遣唐船に乗った中に、比叡山の最澄上人もいます)。ここには立派な空海記念塔も建立されており、筆者たちも訪問者の記帳をして来ました。
そんなわけで、ひょんなことから高野山に行くことになったのには、不思議な力を感じるのです。中国の旅が、ようやくこの地で完結したような。

空海は、青龍寺の恵果和尚(けいかわじょう)のもと、千人の弟子の中から選ばれ、密教の第八祖となりました。師の恵果和尚は、「大日経」というお経を中心とした西インドの密教と、「金剛頂経」というお経を中心とした南インド密教の二派を統一した、偉いご仁だそうです。空海が選ばれ、まわりの弟子からは異邦人のくせにと妬まれたようですが、恵果和尚には、「あなたが来るのは前からわかっていて、長い間待っていましたよ」と言われたそうです。
帰国後、807年、大和国久米寺で「大日経」の講讃をし、この日をもって、真言宗の開宗とするそうです。空海34歳のことでした。そして、816年、高野山に修禅道場として金剛峯寺を開きます。
835年、空海は62歳で高野山に入定(にゅうじょう)するわけですが、彼の死に関しては、いろんな説があるようです。一般的には、結跏趺坐(けっかふざ)のまま御入定なさった、つまり、不死の境地につかれたと言われているわけですが、仏陀と同じく、病没なさった後、火葬もしくは土葬に付されたという説もあるようです。
唐で幅広く知識を身に付けた空海は、錬金術や金属を用いた治療にも長けており、その毒素にあたり中毒死したという説もあるようです。そもそも、高野山を選んだのは、この地に水銀の含有量が高かったせいだともいいます。当時、水銀は、金とのアマルガムで仏像の金箔に使われ、薬や顔料、防腐剤にも用いられたそうです(佐藤任氏著「空海のミステリー」より)。

空海が高野山を選んだのは、唐から五鈷杵(ごこしょ)を投げ、それが当たった所だという伝説もあるそうです(五鈷杵とは、空海が右手にする密教法具で、仏が集まる金剛界の智恵を表すものとされます)。空海にはミステリアスな部分が多く、ゆえに伝説を含め諸説が混在するのかもしれません。けれども、筆者は、高野山に実にシンプルな印象を受けました。それは、空海さんのもとには、生きた人も死んだ人も大勢が集うということです。
生きた人というのは、「同行二人」をいただき高野山に詣でる信者たちです。同行二人とは、誰かとふたりでお参りすることではなく、弘法大師空海の仏としての尊い力に帰依し、現世での幸福を頂くことだそうです。大師とともに人生を歩むという意味なのでしょう。巡礼者の中には、若い信者カップルもたくさんおり、「即身成仏」の教えは脈々と受け継がれているのです(即身成仏とは、生きながらにしてミイラになることではなく、修行により現世で仏と成ることです)。
ここに来る限り、仏教は形骸化された宗教などではないのです。「高野山心の相談所」や、「ひきこもり相談電話」まで開設されています。
一方、死んだ人が集うというのは、ありとあらゆる人が奥の院の参道に眠っているということです。織田信長、明智光秀、武田信玄に上杉謙信と、それこそ、歴史に登場する有名人のオンパレードです。


参道には、有名人に混じり、一般の人も数多く墓標や慰霊塔を建てていますが、目を引いたのは、有名企業の慰霊の塔です。在籍中に他界した従業員のためのものだと思われますが、日産自動車、フクスケ、ヤクルトなど、一流企業が並びます。UCC上島珈琲の一画には、コーヒーカップの形をした門柱もあり、各企業の碑を見て回るだけでもおもしろいものです。害虫駆除の協会は、今まで退治したシロアリのために鎮魂の碑を建てていて、日本人らしい心だと思いました。

いよいよ聖地に近づくと、ろうろうとした声でお経が聞こえてきます。まさか録音じゃないよねなどと不謹慎なことを思っていると、大師御廟と参道を隔てる川の中で、お坊さんが首まで水につかり、読経の修行をしているところでした。近くのお堂では、黄色の袈裟を纏った僧が、無言で経を読み、念珠や法具を扱い何かしら儀式を行っています。密教というと、どうしても特権階級が病気の治癒祈願や呪詛に使うものというイメージが伴います。しかし、ここでは、純粋な修行のあり方を見たような気がしました。
川を渡り、燈籠堂を越えると、その奥は空海が眠る大師御廟です。森を背に、あたりの空気は凛と張り詰め、すぐ後ろにいる観光客の声もかき消されるほどです。聖地中の聖地である御廟に間近に寄れる寛大さに、誰とはなしに感謝していました。

高野山全体は、何かしらありがたい空気に包まれ、俗人の心も洗われるようです。無駄な殺生をしてはいけないと、虫を殺すのさえはばかられます。そんな雰囲気が、この霊山には立ち込めているのです。


参考文献:
新居祐政氏著「真言宗の常識」朱鷺書房、2001年


<和歌山名物>

和歌山名物といえば、梅ですね。なんでも、あの大きな梅は、南部(みなべ)の高校の先生が作り出した品種だとか。それまでは、中国から伝来し、紀州・田辺藩の頃に奨励された小ぶりの梅しか存在しなかったそうです。
昨年は申年でしたが、申の梅を食べると、長生きできるという言い伝えがあるそうです。中でも、昨年の甲申(きのえさる、Wood Monkey)の梅は、60年に一度という大変貴重な梅だそうです。今出回っている梅干は申の梅が多いので、がんばって食べましょう(梅酒でもいいのかも)。
梅は、中国でも体によいものとされています。西安郊外のレストランで、「喉にいいからお食べなさい」と、乾燥梅の袋を渡されました。ちょっと砂糖でコーティングしてありますが、甘酸っぱくて、日本人の口にもよく合います。「活梅肉」という名前が気に入って、西安でも上海でも、喉の痛み防止にぱくついていましたっけ。

あまり知られていないようですが、醤油と金山寺味噌も和歌山名物です。和歌山市の南、湯浅という町が日本の元祖となります。この小さな町は、熊野古道・紀伊路が縦断する歴史的な町で、時代劇の一こまのように、昔ながらの街並みが続きます。
13世紀の初め、和歌山県由良町のお坊さんが、留学先の南宋から金山寺味噌の製法を伝え、その製造過程で生まれたのが、たまり醤油だそうです。湯浅の水は醸造に適し、江戸時代には、92軒もの醤油屋さんがあったそうです。
金山寺味噌の老舗に立ち寄ってみると、店は開いているのに、誰もいません。仕方がないので、メモと650円を残し、パッケージをひとついただいて来ました。あとでまた寄ってみると、「ちょっとそこの道まで、おそうじに出ていたんですよ?」とのこと。
湯浅の金山寺味噌で作る「もろきゅう」はお勧めです。醤油の方は、アメリカに持ち帰るわけにはいかないので、試しておりません。残念しごくです。

いつ頃できたのかは知りませんが、うすかわ饅頭も名物のひとつのようです。紀伊半島の最南端、串本という町の海岸線に、橋杭岩(はしくいいわ)という奇岩が並びます。醜いあまのじゃくが、弘法大師に橋を架けることを許されますが、途中一番鳥が鳴いたので、未完に終わったという天然の架け橋です。これを望む一等地に饅頭屋さんがあって、ここのうすかわ饅頭が有名だそうです。白浜温泉から案内してくれたタクシーの運転手は、ここを通るときは必ず買うんだと言います。
筆者もホテルに持ち帰り食してみたのですが、甘味が上品におさえられていて、もっとたくさん買えばよかったと後悔しきり。串本出身のホテルの仲居さんによると、実は、あそこの支店よりも、商店街の本店の方が出来立てでおいしいとのこと。その場で、お抹茶と饅頭が楽しめるらしいです。
一方、饅頭が嫌いという方には、高野山の酒、般若湯(はんにゃとう)をお勧めします。日本三大漆器の里・黒江が生んだ、黒牛(くろうし)という地酒も捨てがたいです。いい酒は、魚がおいしい土地にはなくてはならないものです。
おいしいのは魚だけではなく、熊野牛もしかり。普段牛肉を口にしない筆者をうならせました。仲居さん曰く、この特別な牛は、熊野古道やそれに沿う国道311号線からは隠れた、どこか奥地で育てられているとか。

食べ物ではありませんが、読みにくい地名も立派な和歌山名物です。朝来と書いて「あっそ」、朝来帰と書いて「あさらぎ」と読むそうです。どちらも、南紀白浜の近くにあります。「朝に来て帰る」とは、いったいどんな由来なのでしょうか。
なんでも、地球旅行研究所のサイトによると、朝来帰は、改葬による両墓制で知られる場所だそうです(改葬とは、埋葬後数年で別の場所に埋めかえることで、もともと埋葬した地である「埋め墓」と、寺院内に移した「詣り墓」を両墓制と言うそうです。葬地の穢れを嫌うため、両墓制が成立したとも言われます)。けれども、改葬と地名が関係するかは不明です。
一方、和歌山らしく、「紀伊~」という冠がついた地名・駅名も多いです。少し長いし、勘違いし易くもありますが、美濃加茂しかり、大和郡山しかり、漢字で四文字の都市名は、歴史の重みを感じます(ちなみに郡上八幡は、郡上市八幡町だそうです)。
今の流行は、市町村の合併の後、ひらがなやカタカナで突拍子もない名前を付けるようですが、それでは地名の由来や土地の歴史が消え去ってしまうようで、寂しい限りです。今年11月、和歌山市東の5つの町が集まって「紀の川市」となる予定ですが、まあ、これは良しとしましょうか。


<熊野の信仰>

失礼ながら、だいたい何の教徒でもない筆者は、熊野信仰など意識下にもなく、今回、白浜温泉から駆け足で熊野三山を回った後も、正直なところ、印象は薄かったのです。
ところが、旅から戻って調べてみると、日本の信仰の歴史上、実に重要な位置を占めていたことがわかりました。熊野は、日本書紀にもイザナミノミコトが葬られた地として出てくるらしく、古代、大和の人間にとって、死者の国に近い土地だったそうです。三山には、もとは神々が祀られていたのですが、神仏混合や浄土信仰の隆盛で、本宮は阿弥陀如来の西方極楽浄土、新宮は薬師如来の東方浄瑠璃浄土、那智は千手観音の南方補陀落(ふだらく)浄土と、現世にある浄土となったそうです。
熊野詣では、院政期の上皇や貴族の参詣に始まり、後に庶民にも大流行したのですが、大和地方に限らず、遠く奥州・平泉からも藤原家が詣でたようです。苦労して歩き、わざわざ神仏の前に出向くことに、ありがたみがあったわけです。

昨年、世界遺産に登録されたこともあり、今でこそ熊野古道は有名になりましたが、昔は、地元の人でも明確な場所を知らなかったそうです。人が通わなければ、道はすぐに自然に還ってしまうのです。1960年代、宮司を中心として保存の動きが出始め、今は大方の古道が復元されています。
筆者も、雲取越えの一部、那智大社に通じる大門坂を登りましたが、観光客用に整備された石畳の道でさえ、登るのは難儀でした。美しい杉並木の下を、ゆっくりと20分かけて歩きましたが、トントンと降りて来る観光客グループを横目に、何で登らなきゃならないのと、案内したタクシー運転手を逆恨みしていました。けれども、途中、世にも不思議な、玉虫色に輝く大ミミズを見つけ、元気を取り戻したのでした。


那智大社の境内には、樹齢800年の大楠があり、幹の空洞を通り、胎内くぐりができるようになっています。最初に木のお札に願い事を書き、それを持って胎内をくぐり、出た所でお札を奉納するようになっています。木の中に入ってみると、暖かく包まれ平和な気分になりました。病気平癒の霊力を持つ、ありがたい木と言われるそうです。

ご存じとは思いますが、サッカーの日本代表チームの胸にあるロゴは、三本足のカラスです。これは、熊野三山に伝わる神の使者「八咫烏(やたがらす)」なんです。また、熊野の険しい山々には、薬にも毒にもなる薬草が生い茂っているそうな。この辺りには、人を寄せ付けない厳しさと、何かしら背筋をゾクゾクさせるような魅力があるのです。


参考文献:
インターネットサイト「み熊野ねっと」。「熊野を歩く」JTBキャンブックス、1999年。細谷昌子氏著「熊野古道:みちくさひとりある記」新評社、2003年。「にっぽんの旅:南紀・伊勢・熊野古道」昭文社、2004年


<おまけのお話:アメリカの弔事>

先日、日本から戻ってすぐ、追悼式(memorial service)に参列しました。太極拳の師の母上が亡くなり、サンフランシスコの教会で親族や友人の集う会が催されたのです。長年アメリカに住んでいて、結婚式には参列したものの、別れの会に出たことはありませんでした。この初めての経験に、ちょっとびっくりして帰って来ました。なぜかと言うと、少し不謹慎に聞こえますが、何かしら楽しいイベントにでも参加したような、すがすがしい気分でその日一日を過ごせたからです。

こちらの告別式・追悼式は、一般的に、故人の生涯を祝うもの(celebration of life)とされ、死を悲しむだけの涙の儀式とは異なります。今回出席した追悼式も、式全体は教会の牧師が取り仕切るものの、進行役は、故人の甥で牧師である、コメディアンみたいな明るい男性が務めました。
彼が駄洒落まじりのお説教(Homily)で皆を笑わせ、場を和ませたあとは、親族全員で壇上のキャンドルに火をともします。そして、歌の得意な親族が「アメージング・グレイス」を歌ったあとは、集まった人が手を挙げて、発言する機会が与えられます。多くは、言いたいことを紙にまとめて来たようでした。故人は、人がどのように逝くべきかを身をもって示してくれたと回顧する友人もいました。
勿論、家族にとっては楽しい行事であるはずもありませんが、娘や息子全員がお母さんの短い思い出話をつづり、甥の牧師が披露してくれました。そんな断片から、列席者は故人がどんな人柄であったかを知ることができます。独立心や人への思いやりが強く、最後まで人に迷惑をかけることを心苦しく思っていた。反面、子供たちには厳しい母親で、ご飯を全部食べ終わるまで、決して許してもらえなかった(「中国には飢えている人がたくさんいるのよ」というのが口癖だったようです)など、家族が明かすほのぼのとしたエピソードが続きます。その中で、チベット仏教の修行をした師は、母に捧げるマントラ(真言)を唱えました。
続いて、甥の牧師がギターの弾き語りで賛美歌を歌い、教会の牧師が祝祷(Benediction)を行い、式が締めくくられました。終わってみると、30分の予定が、1時間を軽く越えていました。故人の遺志もあり、親族や列席者全員参加の、手作りの会という印象でした。

式に参列するにあたり、故人の息子である師に会ったら、何と言おうかとちょっと迷いました。けれども、先に電子メールでざっくばらんなお悔やみを申し上げているし、紋切り型のあいさつも嫌なので、礼拝堂の入り口に立ち列席者を迎える師に、"I’m so sorry"とささやき、短い抱擁を交わしただけでした。"Please accept my condolences"といった表現はありますが、そんなかしこまった間柄ではないし、第一、どこからか借りてきたような文句に聞こえます。大事なことは、自分の思ったことを自分なりに表現することかもしれません。
もうひとつ、何を着るべきかにも迷いました。けれども、喪服など持っていないし、黒っぽい、目立たない服なら何でもいいそうなので、単に黒い服を着ていきました。実際、列席者はいろんな装いで、黒、紺、白が目立つものの、中には茶色や紫のTシャツだとか、黒のドレスに赤い花柄のショールだとか、格別強いこだわりはないようでした。自分が良しとすれば、何でもいいようです。

新聞の身の上相談を読んでいて、こんなものがありました。同僚が母君をがんで失くし、"花などはいらないから、がん協会に寄付をしてください"という故人の遺志を知る前に、花を送ってしまった。花を送るとき、遺族からは、故人の息子が親族の晩餐を計画しているので、デザートでも送ったらいかがですかと言われてしまった。何がいったい正しいの?というものです。
これに対する答えはこうでした。亡くなった人たちに敬意を表するのは、彼らがまだ生きているときです。葬式や儀礼は、遺族を慰めるためのものなのです。


夏来 潤(なつき じゅん)

 

遺伝子とあなた:応用もいろいろ

Vol.70
 

遺伝子とあなた:応用もいろいろ

突然ですが、今、我が家では玄関が使えません。正しくは、正面のドアを開閉できないのです。別にドアが壊れたわけでも何でもなくて、ドアに掛けたリースに、小鳥が巣作りしてしまったのです。何年か前もそういうことがあって、そのときは、雛が巣立つまでまったく気付きませんでした。ところが、今年は、ドアの外がやけに騒がしいと、巣作りの途中で気が付きました。かしましい鳥夫婦なのです。
そのつがいは今、数個の卵を温めているところです。近寄っただけで親鳥は逃げてしまうので、そっとしておくのが一番です。人間の出入りはというと、ガレージで充分なのです。玄関はもともと、新聞を取りに行くときにしか使いませんので。(写真ではわかりにくいですが、リースの底の部分に巣があります。シルクフラワーを器用にアレンジして、カモフラージュしています。)

さて、今月号は、取り上げた話題が多岐にわたっています。最初のふたつはのんびり派、次の三つは科学派、そして、最後はのんびり科学派とでも言いましょうか。


<iPodと身の安全>

何やら日本では、アップル・コンピュータのiPodを「着る」のが流行っているそうですが、ユーザのひとりとして、なかなかいい案だと思っています。今度日本に行ったら、かわいいポケット付きのおしゃれなiPodウェアを買って来ようかなとも思っております。
そこで、ひとつ気になるのが、利用者の安全です。日本ではどうしても、歩行者と車が狭い空間に混在します。イヤフォンで音楽を聴きながら自分の世界に入り込んでいる間に、車に衝突ということがないとも限りません。

ふと、中国のシルクロードの起点、西安の街中を思い出しました。あそこは、本当に怖いところです。道を渡るのが命がけなのです。だいたい中国は、車も人も我先に進みたがるのですが、特に西安では、城壁の中の旧市街は車で大混雑。歩行者用の信号なんてほとんどありません。車の往来が切れたところで小走りに道を渡るのですが、タイミングを見計らうのがもう大変。ちょっと躊躇すると、永遠に道は渡れません。
そこで、道を渡ろうとしているグループの真ん中に入って、彼らと一緒に渡るすべを覚えました。万が一、両方向から車がぶつかって来ても、真ん中なら被害は少ないはずです。街歩きが怖いのが、西安ただひとつの欠点ですが、勿論、iPodウェアなんて論外です。
あ、そうそう。ニューヨークの地下鉄では、近頃、iPod を聞いていると悪者に狙われるそうです。今年に入って、数十件の盗難がありました。あの白いイヤフォンが、ターゲットなのです。狙われないように、イヤフォンだけ目立たないものを使う人もいるとか。やっぱり、街中でiPodを着られるのは、日本くらいなものでしょうか。


<日本古来の表現>

何やら日本では、「もったいない」という言葉が流行っているそうですが、筆者にもこの言葉には大いなる思い入れがあるのです。「もったいない」は、日本が世界に誇れる崇高な精神だと。

筆者がシリコンバレーで通う歯医者さんは日系人です。彼は、両親が日本から来たので、日系2世になります。ところが、こちらで育ったせいか、日本語は下手くそで、英語で話した方が的確に物事が伝わります。
そんな彼ですが、絶対に日本語で表現する言葉があります。そうです、「もったいない」です。せっかく埋めた歯を削り過ぎると、最初からやり直しになるので「もったいない」そうです。きっと彼の両親も、しょっちゅう「もったいない」を口にしていたのでしょう。
英語では、"It’s such a waste"とでも言うのでしょうか。でも、これでは、「もったいない」の裏側にある、「何でも大切に扱わなくてはいけない」とか「与えられたことに感謝をする」という含蓄が伝わらないではありませんか。

筆者が小さい頃、紙箱に入った24色の色鉛筆を買ってもらったことがあります。姉にはスティールケース入りの色鉛筆だったので、「どうして?」と母に尋ねました。すると、「あなたは物を大切にするから、紙箱でいいの」という答え。子供ながらに、正しい評価だと満足していました。
一般的に、農耕民族のような周りとの和を重んじる社会では、「けち」と呼ばれることを非常に嫌います。しかし、「もったいない」と「けち」は、まったく違った精神に基づいています。「もったいない」がもっと世に広まればいいなと思っています。


<Pharm米>

昨年4月に、遺伝子組み換えの米の話をいたしました(「食べ物は薬?」というお話)。カリフォルニア州都サクラメントにあるバイオテック会社が、lactoferrinとlysozimeという2種のたんぱく質を含んだ新種米を開発し、今年の春から試験的に栽培したいと州に申請していたものです。これらたんぱく質は、人間の母乳や涙、唾液に含まれるもので、下痢や貧血に対し効果があります。米として大量生産できれば、発展途上国の子供たちにも有益だという会社側の主張です。
これに対し、州農務省は、今春の試験栽培を却下していたのですが、開発したVentria Bioscienceはあきらめきれず、州から出て行くこととなりました。お引越し先は、ミズーリ州です。カリフォルニア州からケチを付けられたこともあるでしょうが、ミズーリは土地も水も安いし、第一、現地のミズーリ州立大学とpharm農業の協力体制を築いたというのが、お引越しの理由だそうです(Pharmingとは、遺伝子組み換え操作で、植物や動物を医療に有益な細胞の生成工場とすることです)。
Ventriaが州から出て行ったことで、とりあえず、カリフォルニアの穀倉地帯では遺伝子組み換え種が混入する恐れはなくなったわけです。しかし、ミズーリ州では試験栽培が行われているわけだし、カリフォルニアにもVentriaのような会社はいくらでもあるわけです。一難去ってまた一難というところでしょうか。

Pharmingは何もアメリカの独壇場ではなく、どうやら日本でも、pharm米の開発が行われているようです。スギ花粉によるアレルギーの対抗策にしようと目論んでいるのです。
アレルギー反応は、体が覚えている抗原(アレルゲン)に対し、血中のプラズマB細胞が大量の抗体を放出することによって起きます。過剰な抗体と抗原が、血中の肥満細胞からヒスタミンの分泌を促し、それが刺激となって、くしゃみや鼻水が出てしまいます。
今開発中の米には、スギ花粉の遺伝子が入っていて、アレルギーシーズンが始まる3、4ヶ月前から食することによって、アレルギー反応のメカニズムを弱める効果があるそうです。一日に一杯、味はまったく普通だとか(独立行政法人・農業生物資源研究所、National Institute of Agrobiological Scienceが開発中)。
実用化は数年先だそうですが、米が主食の日本で遺伝子組み換え種というのも、何となく不気味ですね。

蛇足となりますが、pharmingという言葉には、近頃、別の意味も加わっています。新手のインターネット犯罪を指します。フィッシング(phishing)と類似し、ユーザを偽のWebサイトにおびき寄せ、口座番号や暗証番号などの個人情報を入手する手口です。フィッシングは、ユーザのメールアドレスに送られたスパム(偽のお知らせ)をクリックすることによって、偽のサイトにたどり着くわけですが、ファーミングはもっと悪質です。ユーザが銀行やお店の正規のサイトを訪れたところを、無理やり犯人の偽サイトに導きます。一人ひとりをチマチマと騙すのではなく、多くをいっぺんに騙すのです。
今の時代の合言葉。いかなる場合も、pharmingには要注意。


<Only in California>

昨年3月、ベイエリアの北にあるメンドシーノ郡の勇気ある決断をお伝えいたしました。海岸線のきれいなこの郡は、有機農業でも有名で、その名を汚すなと、すべての遺伝子組み換え種を禁止することを住民投票で採択したのです。
これに気をよくした郡は、今年2月、州の農務省に対し、こんなリクエストを出しました。マリファナにもオーガニックの認定をして欲しいと。

実は、このマリファナは合法的なもので、カリフォルニア州で認められている医療用マリファナ(medical marijuana)なのです。がんなどの重い病気を持つ患者が、痛みや薬の副作用である吐き気や食欲不振に悩まされているとき、マリファナの含む成分が諸症状を軽減し、食事がのどを通るようになるのです。
マリファナを薬として医者が処方できるよう、1996年、州の住民投票で法律が定められました(マリファナを吸うと、手当たりしだいに食べ物を口に入れたくなるというのは広く知られた話ですが、医学的にも、医療用マリファナの効果は認められつつあるようです。多発性硬化症やてんかん、緑内障に効くという説もあります。カナダでは、4月、マリファナ成分入りの多発性硬化症・痛み止めスプレーが認可されました。アメリカでの合法化は、カリフォルニア、アリゾナ、オレゴンなど一部の州内だけの話で、連邦政府はいかなるマリファナも違法という見解を崩していません。1976年、法廷で医療用マリファナが認められて以来、国対州の論争は耐えません。ちなみに、マリファナに酷似する成分は人の脳内にも存在し、記憶に関与します)。

メンドシーノ郡は、州の中でも有数のマリファナ生産地で、州内各地のマリファナ薬局(cannabis club)に納入しています。それだったらいっそのこと、害虫駆除剤や抗カビ剤を一切禁止し、オーガニックという冠を付けて売り出そうじゃないか、郡の責任者はそう考えたのです。利用者にとっても、その方がいいに決まっている。
一方、マリファナを医療用に使うことにも反対する一派は、州がオーガニック認定をしたら、麻薬であるマリファナ自体を合法化してしまうことになると批判しています。
今のところ、州農務省の審判は下されてはいないようですが、医療用マリファナが州内で合法なら、オーガニック・マリファナが出てきてもおかしくありませんよね。


<流行りの遺伝子>

遺伝子ついでに、近頃アメリカで話題となっているお話です。自宅でできる遺伝子テスト(genetic testing)です。
遺伝子(gene)は、細胞内の46本の染色体の基本成分であるDNA(デオキシリボ核酸)に含まれます。5年前、ヒトが持つDNAを解明する遺伝子地図(DNAの塩基配列)が完成して以来、毎日のように、遺伝子に関する発見が続いています。ヒトの遺伝子は3万2千個ほどだということもわかってきました。
遺伝子に変異(mutation)が認められれば、病気になる可能性を秘めていることになります。そういった病気は4千種を越えると言われます。現在、遺伝子の変異を検知する検査方法は、数十種確立しています。そんな遺伝子科学の進化を反映し、自分で簡単にできる遺伝子テストを売る会社が、雨後の竹の子のように出てきているのです。

たとえば、サンフランシスコのDNA Directという会社があります。2百ドルから3千ドルのアラカルトメニューを提供し、病気にかかりやすい遺伝的素質があるかを判断します。たとえば、血栓形成傾向、血色素症(鉄分過多)、嚢胞性線維症(肺や膵臓、肝臓の粘液による機能低下)、AAT欠乏(血中のたんぱく質Alpha-1 Antitrypsinの不足により、肺と肝臓に障害が起きる病気)が対象です。今まで病院でしかできなかった乳がん・卵巣がんの遺伝子テストも、DNA Directが初めて一般に提供し始めました。
利用者は、送られてきたキットを使ってサンプルを集め(口の中を綿棒でぬぐったり、少量の血液を採取したり)、会社に送り返します。テストの結果は、後日Webサイトでわかるようになっています(勿論、秘密厳守です)。もし陽性が出れば、カウンセラーが生活改善や更なるテストなどの今後を指導してくれます。病院で行う遺伝子テストと違って、カルテに残ることもありません。
病気になることを防ぐ "preventive medicine(予防医学)" ならぬ、病気になる要素があるかを占う "predictive medicine(予測医学)" なのです。

以前もお話したことがありますが、アメリカの病院では、遺伝カウンセリングというのが一般的に行われています(2001年6月29日号の第1話その2)。ちょっと大袈裟に "注文キッド(子供のオーダーメイド)" などのお話をしたわけですが、特に、女性が妊娠したときは、遺伝カウンセラーとのコミュニケーションも密になります。
そのほかに、乳がんに関する質問も多く、依頼の多いテスト項目となっています。アメリカ女性の間では、皮膚がんに次いで最も多く診断されるがんです。年間20万人が新たに乳がんとの診断を受け、一年で4万人が亡くなるとも言われます。
乳がんの遺伝子テストは、1996年、Myriad Geneticsが出したものが主流となっているそうですが、需要は衰えを見せません。上記のDNA Directでも、Myriad社の乳がんテストを数種提供しています。
乳がんテストは、おもにBRCA-1とBRCA-2という遺伝子の変異を調べます。しかし、これらの遺伝子は、平均的な遺伝子より塩基対が多く、知られている変異も何百とあるので、テストは複雑を極めます。変異の兆候が1割ほど見落とされる可能性もあります。更に、DNA Directも警告している通り、BRCA遺伝子の変異で起きる乳がん・卵巣がんは、全体の5~10%に過ぎません。がんを起こす可能性のある変異が認められても、すべてが発病するわけではないし、変異があるとわかっても、完全に有効な予防策はありません。結果をどう判断するかは、非常に難しいわけです。

遺伝子の変異は親から子へ受け継がれるものなので、身内のがん経歴には要注意と言われます。アメリカには、家族(母や姉妹、祖母、叔母)の病歴を恐れるあまり、遺伝子テストで陽性結果が出ただけで、健康な乳房の切除手術(prophylactic mastectomy)を受ける女性までいます。こういった女性が生涯で乳がんになる確率は、80%を超えると言われてきたからです(80%は高すぎるという異論もあります。一方、アメリカの一般女性人口が生涯で乳がんになる確率は、11~12%と言われます)。
しかし、実際には、遺伝の要素に加え、本人の年齢、生活習慣、病歴、環境などが複雑に影響するわけです。たとえば、第一子を遅く持った人や、まったく授乳しなかった人はリスクが高いと言われます。また、最近の研究では、低脂肪の食生活は、ある型の乳がん(女性ホルモン・エストロゲンに影響されないタイプ)の再発を抑制する可能性があるとも言われます。
何と言っても、がんの90~95%は遺伝ではなく、後天なのです。遺伝子テストで何らかの結果が出たとしても、自分にとって何が正しいのか、ますます判断に悩むところです。予測医学としての遺伝子テストは、決して病気の診断ではないのです。

追記:がんの遺伝的要因が5~10%という説は、米National Cancer Instituteに従いました。これには異論があって、30%という説もあるようです。また、一口に遺伝子テストと言っても、予測だけではなく、病気の診断、タイプ・治療法の判断に使われる遺伝子テストもあります。


<ペンギンさん、がんばって>

趣を変えて、南極のお話です。あちらでは今、ちょっとした異変が起きているのです。南極の氷が割れて、大きなかたまりがペンギンさんたちを脅かしているのです。
このかたまりは "氷山B-15" という名前で、5年前南極大陸のロス海沿岸から切り離されました。記録に残る中では一番大きな氷山で、カリブ海のジャマイカほどの大きさです。誕生には9年かかっています。半年後、このB-15はふたつに割れ、ひとつは南太平洋に向け沖に流され、もうひとつはロス海沿岸をゆったりと流されていました。
問題なのは、このロス海に留まったB-15Aなのです。形はマンハッタン島によく似ていますが、大きさは何十倍もあり、含まれる水は、ナイル川を80年潤すほどと言われます。これが奇妙な時計と逆まわりの反転をして、ロス海に面する湾をふさぐ形となっているのです。南極の夏である昨年末頃から恐れられていましたが、ついに4月中旬、湾に突き出た氷の浮遊岬(the Drygalski Ice Tongue)に氷山の先端が衝突し、湾に蓋をしたのが衛星写真で確認されました。

ふさがれている湾には、アメリカのマクマード基地とニュージーランドのスコット基地があり、近くにはイタリアのテラ・ノヴァ基地もあります。そして、何よりも、南極ペンギン(アデリー・ペンギン)の4つの群棲地のうち、ふたつがここにあるのです。
南極基地の方は、夏の間どうにか食料や燃料の補給が行われ、今すぐに困ることはありません(砕氷船が50キロメートルの水路を作り、基地に到達したそうです)。しかし、ペンギンの方は、夏に孵化した雛の大部分が、飢え死にした恐れがあります。
と言いますのも、今まで餌である魚を楽に取りに行けたのに、氷山が邪魔するお陰で、親鳥が遠距離を泳がなくてはいけなくなったのです。ひとつの群棲地ロイズ岬では、往復で180キロの行程となり、疲弊した親鳥は、雛にたどり着く前に、喉の袋に貯めておいた魚を食べてしまうのです。
ここには、3千組のつがいがいて、雛は全滅すると予想されています。もうひとつの群棲地バード岬では、5万組のつがいのうち、1割しか雛を育てられないと言われます。南極は、4月下旬から8月下旬まで日の射さない冬となるため、科学者はペンギンたちの運命をまだ確認できていないようです。

お騒がせB-15Aは、現在ゆっくりした速度で動き始め、浮遊岬から離れつつあるようですが、再度衝突する可能性もあるということです。大きな氷山が相手では、ペンギンが無傷であることを祈るしかありませんね。


夏来 潤(なつき じゅん)

 

テクノロジーと社会:使い方にはご用心

Vol.69
 

テクノロジーと社会:使い方にはご用心

3月末の復活祭以降、あたりに他州の車が増えたような気がします。ワイオミング、カンザス、オクラホマと、普段は見かけない田舎の車です。春の陽気に誘われて、カリフォルニアにやって来たのでしょうか。連日、全米でガソリンが最高値を記録する中、はるばるここまでやって来るのも庶民にとっては大変です。(ちなみに復活祭とは、イエス・キリストの復活を祝う祭で、クリスマスと並び、キリスト教では最も重要な祭礼のことです。)

さて、本題ですが、今月もまた、全体的にテクノロジー調のお話となっています。5つ目の締めくくりは、まったく趣の異なるお話になっています。


<エイプリルフール>

今年は日本各地で桜の開花が遅れ、4月1日の入社式には満開とはいかなかったようですが、この日はまた、楽しいエイプリルフールでもあります。このSilicon Valley Nowシリーズを掲載してくださっているインテリシンク株式会社では、ちょっと笑えないいたずらを社長さんがしかけたそうです。
インテリシンク株式会社(東京都千代田区二番町)は、シリコンバレー・サンノゼにあるIntellisync Corporationの100パーセント子会社なので、バリバリの外資系です。ですから、あまり厳しい規則もなく、みなさんのびのびと、自由闊達な雰囲気でお仕事なさっているのです。
そこで社長さん、みんなをびっくりさせてやろうと、こんな電子メールを配布しました。"朝は9時に出勤し、毎日朝礼を欠かさないこと。昼休みも45分とし、会社持ちの宴会などは一切禁止、云々"と、細かい就業規則をずらりと箇条書きにしています。これを見せてもらった筆者も、冗談にしてはちょっと念が入り過ぎていると、冷や汗が出てきたほどです。本気にして、"わたし会社辞めます!"と言い出す人が出てくると思ったのです。

ところがどっこい、若干2名これを本気にした人がいた以外、"ふん、どうせ冗談でしょ"と、みんな冷静沈着だったそうです。おまけに、4月上旬にお花見をするから、今度シリコンバレーから日本に来る時は、ナパのワインを持参するようにと、社長さんに指示が飛んだそうです。
社長さんも社長さんですが、いたずらを物ともしない社員も大物ですね。


<行動追跡>

昨年8月、RFID(radio frequency identification)の具体例のお話をしたとき、学校に通う子供にRFIDタグを付けるのは、プライバシーの観点から、欧米では嫌われるだろうと書きました。さっそく出ましたよ、実例が。
ちょっと前の話になりますが、今年2月、カリフォルニア州都サクラメントの北西にあるユバという田舎町で、7年生と8年生が、RFIDタグ付きの大きな名札を首から下げるよう、試験的に義務付けられました(従わないと退学処分という脅し付きで)。
生徒たちは、登校時から名札を首に下げ、教室に足を踏み入れた途端、出入り口の真上に設置された読取装置で、名前、学年、顔写真のデータを読み取られます。データは、学校の中枢サーバを介し、先生たちのPDAに伝達され、どの生徒が教室内にいるかわかる仕組みになっています。
アメリカでRFIDというと、どうしても家畜や犬猫のペットに取り付けるものという印象があります(2002年8月号で、ペットにタグを埋め込む話をいたしました)。そのRFIDで人間を追跡するなんて、全体主義国家を彷彿とさせます。
しかも、保護者への通達や了解なしに制度が導入されたので、またたく間に喧々諤々の議論を呼びました。保護者ばかりではなく、あちらこちらのプライバシー・人権グループも参加し、テストを即刻中止するよう学校に迫りました。
これに対し、学校側は、制度はあくまでも出席簿の代わりであり、個人情報を悪用はできないと主張しています。

そして、2週間後、この学校に装置一式を納入していたInComというスタートアップ会社は、突然、完全撤退を発表しました。プライバシーの問題もありますが、どうやら、会社の創設者と学校側との深い繋がりを取り沙汰されたことも、撤退の理由のひとつだったようです。何はともあれ、カリフォルニア初のRFID学校導入例は、テスト段階であえなくお流れとなったのでした。

日本でも、横浜の市立小学校とその学区内で同様の制度が導入されたりしていますが、RFIDは、子供の居場所を把握するには有効な手段なわけです。しかし、少なくとも理論的には、読取装置さえあれば、見ず知らずの他人でもタグから個人情報を入手できます。名前で呼びかけ子供をひるませ、誘拐することも可能なのです。上記のユバの例でも、この点が挙げられました。
また、8月からアメリカで導入されるパスポートへのRFIDチップ付加も、同様の懸念があります(まずは外交関係者に適用され、一般市民向けには来年あたりから導入されます)。
このチップには、氏名、パスポート番号、顔写真など、パスポートに記載される情報がすべて入っています(偽造防止のための写真データには、現時点では、2次元の顔面認識テクノロジーが使われています)。こんなパスポートを持ち歩くアメリカ人は、"私はアメリカ人よ" と世間に宣伝しているようなもので、テロ組織の恰好のターゲットとなる恐れがあるのです。
これに対し、米国政府は、4インチ(10cm)以内の至近距離でないと、チップの情報を正確に読み取れないとしています。しかし、数フィート(約1.5m)離れても読み取り可能だったとの、民間の実験結果も発表されています。

これから議論は更に白熱化すると思われますが、テクノロジーが進むにつれ、個人のプライバシーが希少な存在となっていくのは避けられないようです。
なんでも、InComがユバから撤退したあと、同社には全米の学校から問い合わせが殺到したとか。


<情報発掘>

4月1日、日本では個人情報保護法が施行されたそうですが、さっそくシュレッダーの売り上げが激増しているようで、データ保護に関する市民の関心の高さを物語っています。中でも、ハードディスクに保存されたデータを強力な磁気で消去する装置が売れているそうで、これなどは、機密情報を扱う場所には最適な製品かもしれません。
ハードディスク上のデータを消すのは、思ったほど簡単なことではなく、ちょっとやそっとでは消えてくれません。よほど特別なコマンドを使わない限り、普通にデータを削除しても、保存場所を示すポインターがなくなっただけで、データ自体はしっかり生き残っています。ハードディスクを丁寧にフォーマットし直しても、データの残留信号はいくらか残ります。ハードディスクをハンマーで叩いてもダメだし、火災で焼けても、データは壊れずに残る場合があるとか。完全に消そうと思ったら、ディスク自体を粉々に砕くか、熔解する必要があるそうです。上記の製品のように、強力な磁気も有効なわけです。
勿論、一般ユーザは、そこまで神経質になる必要はないわけですが、パソコンを捨てるときなどは、個人情報が残っていないか、ちょっと気にした方がいいですね。

アメリカでは、今、コンピュータ犯罪科学(computer forensics)が花盛りです。文字通り、コンピュータを使った犯罪を捜査する手法です。たとえば、ある会社が不正を働き、警察が踏み込む前に一切の裏取引データを消したとします。しかし、警察やFBIの特殊捜査官たちは、消されたデータを楽々と取り戻し、不正を立証します。
中でも、会計処理上の不正を暴く分野は、犯罪科学会計(forensic accounting)などと呼ばれ、重宝がられています。エネルギー取引で、空前絶後の詐欺を働いたエンロン社の不正が白日の下に晒されて以来、違法性のある取引や、利益を膨らましたかに見える決算書などは、すぐに捜査の対象となっています。隠された数字は、決して嘘はつかないのです。
来年の裁判に向け現在も捜査中のエンロンに加え、保険会社AIGの大規模な不正会計なども近頃ホットな話題となっています。子会社を隠れ蓑とする裏取引と決算書の粉飾が問題となっているAIGのケースでは、米司法省、米証券取引委員会、ニューヨーク州司法局と保険部がこぞって捜査に乗り出しています。日に日に進化する不正に対峙し、捜査陣の方も、着々と腕を磨いているのです。


<数学ドラマ>

2月号で、ComcastのDVR(digital video player)のお話をした時、筆者が好きになるアメリカのドラマは、たいてい一シーズンで打ち切られると愚痴を言いました。実は今、はまっているドラマがあって、もうそろそろ行方が気になっている季節です。

このドラマは、今年1月下旬にデビューした、"Numbers" というCBSの犯罪捜査ドラマです。"数字" という名前からしてちょっと意外な響きですが、ロスアンジェルスにある工科大学の若き数学教授が、兄であるFBI捜査官の事件解決を数学の力で助けるという新手のドラマシリーズです。
好き嫌いは別として、身の回りには、あらゆる所に数学がころがっています。天気予報だとかロケット打ち上げもそうですが、犯罪捜査にしても、過去の犯罪の統計化、犯人のプロファイル化、犯罪予測など、数学が使われる場面は多岐にわたっています。たとえば、犯罪発生現場のパターンから、犯人の住む場所を特定するとか、伝染病の広がり具合から、病原菌の震源地を見極めるとか。

たとえば、こんなエピソードがありました。ある時、女の子が自宅から誘拐されたのですが、その子のお父さんは、過去15年間、リーマン仮説(the Riemann hypothesis)を証明しようと、ずっと家にこもって研究している人でした(リーマンは、19世紀のドイツの数学者で、リーマン幾何学で有名な人です)。もしかしたら、犯人のお目当ては、この仮説の証明にかかっている懸賞金百万ドルじゃないかと、FBI捜査官たちは推論します。しかし、主人公の数学教授は、それは違うと宣言します。インターネットのエンクリプション(暗号)を開ける鍵に関係していると。
インターネット上のやり取りは、セキュリティーの観点から暗号化されるわけですが、これを解くには、大きな桁数の数字の鍵が必要です。この鍵は、未知数の素数の掛け算で構成されていて、これら素数に因数分解する方法がわかると、鍵を手に入れたことになります(忘れた方のために、素数prime numberとは、1と自分自身でしか割れない正の整数のことで、2、3、5、7など、不規則な間隔で無限に存在します)。
ところが、この因数分解が大変な作業で、たとえば、127桁の数字の因数分解に、何百人がかりの手作業で17年かかると、かつてScientific American誌で論じられたこともあるくらいだそうです(だからこそ、暗号化の意味があるわけです)。
そこで登場するのが、リーマン仮説です。どうも、この仮説の証明の仕方がわかると、複雑な素数の組み合わせを見つけ出す方法がわかるらしいのです(詳細は筆者にはまったくわかりませんが、少なくとも、ドラマのストーリーはそうでした)。そして、誘拐犯グループは、この方法を使って、連邦準備理事会が定める新たなプライムレートを発表前に盗み出し、大儲けをしようとたくらんでいたのでした。
結局、誘拐された女の子の父親は、リーマン仮説の証明には到達していなかったものの、主人公と協力して偽の鍵を犯人に渡し、偽のファイヤウォールに侵入したところを逆探知し、犯人逮捕に持ち込んだのでした。めでたし、めでたし。

毎回、このドラマは、頭を使いながら見るものなのですが、この回は特に、DVR録画を何回か巻き戻しながら観賞しました(意識下で学生時代を思い出したのか、その夜、論文の再提出を24時間以内に求められている怖~い夢を見ました)。実際、撮影現場には、カリフォルニア工科大学の数学の学部長が待機し、ドラマの数学的現実性を厳しくチェックしているとか。
けれども、そのチャレンジングなところが大きな魅力となっていると、筆者なんかは思っています。ただ、アメリカにいっぱいいる数学アレルギーたちにとっては、"数字" というタイトルを見ただけで、身の毛がよだつのかもしれません。

もしかしたら、夏頃には、"Numbers" はもう過去のドラマシリーズになっているのかなあ。


<Life Goes On>

話はガラリと変わります。4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が他界されました。
思えば、法王という存在を認識したのは、1978年10月、システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がったときでした。ヨハネ・パウロ2世が法王に選ばれたときです。なんか変わった儀式があるもんだと、強烈な印象が残っています(おまけにあの長い煙突は、コンクラーヴェの儀式用に継ぎ足されるというではありませんか)。
筆者は何の教徒でもありませんが、何となくヨハネ・パウロ2世が気に入っていて、毎年のクリスマスイヴ、全世界に向けて放映されるヴァチカンのクリスマスミサは、欠かしたことがありません。そして、実際に、法王を見たことがあるのです。

2000年8月、イタリアを旅行したとき、ローマにも立ち寄りました。いつもの通り、特別なプランもなく、ふらっとヴァチカン市国を訪れてみると、サンピエトロ広場は、一面人で埋まっています。この日は、法王が広場の信者を祝福する日曜日ではなく、水曜日でした。どうしたのだろうと人の波の向こうを眺めてみると、サンピエトロ寺院の正面で、婚姻の儀式が執り行われているところでした。
儀式の最中、広場は外界から隔離され中に入ることはできませんでしたが、広場を囲む大きな柱の陰から、法王が20組くらいの若いカップルを次々と祝福しているのが見えました。ごま粒くらいにしか見えませんでしたが、見たことに変わりはありません。

儀式が終わり、法王が黒いオープンカーで建物の中に入っていくと、いよいよ、広場の信者は寺院に入ることを許されます。この頃になると、柱の外で待っていた人々も、何万人とも知れない広場の信者に混じり、寺院へ向かいます。
それこそ世界中から巡礼に訪れた信者の集まりで、さまざまな言葉で祈りを捧げながら、寺院に向かって足を運びます。地から湧くような低い声で、日本の念仏のようにも聞こえます。寺院に入りたいという願望は同じなので、言葉や文化や信条を超え、彼らには不思議な連帯感さえ抱きました。

アメリカに戻って、カトリックの友達が言うに、法王を見ると、それまでの罪はすべて償われるということです。カトリックであろうとなかろうと、それは俗人にはありがたいことかもしれません。この旅以来、自宅の居間には、望遠レンズで撮った法王の写真が飾られています。
この年は、キリスト降誕二千年を祝う年であり、法王という立場で聖地エルサレム・ベツレヘム訪問も実現し、法王にとっても記念すべき一年だったようです。

ヨハネ・パウロ2世は、ナチス占領下、それに続く共産体制のポーランドで若い頃を過ごした影響で、民主化を推進し、自由や人権、社会正義を強く擁護する人でした。過去二千年の教会のさまざまな過ちを認め、正式謝罪したのも彼だし、ユダヤ教やイスラム教との深い対話を求めた初の法王でもありました。
しかし、その一方で、保守的な面も併せ持っていました。離婚、妊娠中絶、尊厳死、同性愛、女性の聖職授任を断固として否定し、節制と貞節を説き、AIDS撲滅運動の一環である避妊具さえ禁止していました。晩年は特に教義を守り抜く姿勢を固持し、ともすると欧米の教会と見解を異にしていました。
けれども、この改革と保守の二面性は、彼の中では相反することではなく、ひとつの論理に貫かれたことでした。

法王はまた、スキーやハイキングを愛するスポーツマンである一方、十数ヶ国語を操る詩人・文人であり、神学と哲学の博士号を持つ学徒でもありました。反ナチスを唱える地下劇団の俳優でもあり、独特のユーモアの持ち主でした。
ある時、スペインの若い神父が、病気で衰えた法王に会い、もう二度とあなたにお会いすることはできないでしょうと、その場で泣き崩れました。すると、法王はこう言ったそうです。"どうしてですか、あなたは病気なのですか?"。苦しみは生きていることの証と悟っていた法王は、病気に立ち向かう姿を世に示したとも言われます。

子供が大好きで、心の底から若者に親しく話しかける法王を慕って、お葬式には世界中から大勢が駆け付けました。頭に "Viva Il Papa(法王万歳)" と書かれたバンダナを巻く子供や、"Santo Subito(早く聖人に)" の横断幕を掲げる若者もたくさん見られました。彼ら若い層を指し、"JP II (John Paul II)ジェネレーション" という言葉まで存在するのです(1585年、間もなく84年の生涯を閉じることになる親日家グレゴリオ13世にローマで謁見した天正少年使節の4人も、きっと現代のJP II世代の若者と同じ感銘を受けていたのかもしれません)。
3時間に及ぶ葬礼では、何度も拍手が沸き起こり、最後の賛美の際は、式を進めるラツィンガー枢機卿(現ベネディクト16世)の祈祷が5分間中断される場面もありました。

カトリック教徒の多い筆者の生まれ故郷に、法王が訪れたことがあります。まだ寒さ厳しい二月末のことでした。法王をお迎えする支度の総仕上げは、突然前夜から降り始めた雪でした。当日、あたりは一面純白の絨毯に覆われ、まるで、地上の醜さをすべて包み込むようだったと聞いています。

今年の復活祭で無言の祝福を与えた直後、法王がいよいよ危篤となって、世界中の人が気を揉んでいるとき、シリコンバレーでは、今まで見たこともないような不思議な蝶の大群が見られました。
南からの渡りの途中なのか、何千、何万という蝶が一方向に向かって飛んでいくので
す。

もしかすると、これは新しい生命を誕生させるための旅だったのかもしれません。

 

夏来 潤(なつき じゅん)

 

あなたのお気に入りは?:iPod、Yahoo!、ワイヤレス

Vol.68
 

あなたのお気に入りは?:iPod、Yahoo!、ワイヤレス

3月が来ると、心うきうきとします。長雨の中休み、太陽の光が今までより急に強くなったのに気付き、あたりの緑に、野生の花々が顔を覗かせます。"西部魂(Western identity)とは何か"のシンポジウムに出席したコラムニストは、アプリコットやカリフォルニアポピーの花がほころびるとき、それが西部に住んでいることを実感するときだと発言したそうですが、なるほど自分が感じていたことはこれだったんだと悟りました。今まで気にもとめなかった在来の花の名前を覚えたとき、その地は故郷となるそうです。

さて、本題の方ですが、今回も前回に引き続き、テクノロジーっぽいお話に仕上がっています。最後に、ちょっと風変わりなおまけも付いています。


<iPodの波>

なんと、iPod miniを買ってしまいました。言わずと知れた、アップル・コンピュータのデジタル音楽プレーヤー、iPodの小型版です。昨年1月にデビューした、4GBマイクロドライブ内蔵のモデルです。だいたい、誰もが持つiPodなんぞ買うもんかという主義でしたが、思いもよらぬ展開です。
実は、事情があって、iPod miniを7つ緊急に購入することになったのです。ところが、実際出掛けてみると、サンノゼのアップルショップでも、大型家電チェーンのBest Buyでも、すべて売れ切れでした。アップルショップにいたっては、"iPodも、iPod miniも、(今年1月に出たばかりの)iPod shuffleも、iPodと名の付くものは全部売れ切れだよ"と、得意そうに胸を張ります。彼は"オンラインで買ってみたら"と言いますが、歳末商戦では、"オンラインショップよりも、店舗の方が在庫の確立が高い"というお達しでした。そこで、近くのCompUSAというコンピュータショップに出向き、ようやく実物にありつきました。
ところが、事態は急転直下、購入したiPod miniは必要なくなり、返品することとなりました。悔しいので、iPod miniの箱でピラミッドを作り、記念写真を撮ったりしているうちに、青りんごのような、すがすがしい緑色に魅了され、手元にひとつ置いておくことになったのです。

そして、その二日後、"ずるいよ、自分だけ"と言っていた連れ合いは、ディスカウントチェーンのTARGETで、ライトブルーのiPod miniを購入しました。TARGETは何でも屋さんですが、ここでは、"名前は知ってるけど、iPodって何なの?"と、隣の若い女性客に質問されました。シリコンバレーの客層もいろいろあるものです。
ちなみに、筆者がiPod miniを250ドルで買った直後、6GBのiPod miniが同じ値段で発表され、従来の4GBモデルは、200ドルと値下げになりました。だいたい新手の製品を買うと、こんなことが起きますね。アップルは特に、口が堅いですし。

実際、箱を開けて使ってみると、ちょっと不満な点もありました。たとえば、iPodのハードディスクの初期化がいつまで経っても完了しません。そこでそれを無視して、パソコン上でiTunesプログラムのインストールを続行すると、なぜか初期化は完了し、iPodは準備OKと言うのでした。だったら最初からそう言ってほしいところですが、ここでつまずく初心者もいるんじゃないかと、ちょっと心配になりました(事実、新手のビジネスにFeedMyPOD.comというのがあって、iPodの使い方がわからない人のために、手持ちのCDを一枚99セントでiPodに入れてくれるのです。中には、医者や弁護士、会社の重役と、時間がもったいない人たちも活用しているそうです)。
また、こんなハプニングもありました。連れ合いは、喜び勇んで真新しいiPod miniを出張に持って行ったのですが、旅先でデータが全部消えてしまったのです。実は、旅先の東京で修理に出していたラップトップが戻って来たので、iTunesをインストールしたところ、お気に入りの音楽がいっぱい入ったiPod miniを、何もない音楽リストで上書きしてしまったのです。つい"Enter"を押してしまう、おっちょこちょいの連れ合いが悪いのですが、本人は、"シンクロ機能が不親切だ!"とおかんむりです。かわいそうに、iPodちゃん、旅先のホテルで、なすすべもなく躯(むくろ)となって横たわっていました。

まあ、いろいろあるけれど、音はなかなかいいし、データ転送も速いし、いい買い物をしたことは否めません。贈る側にとっても、貝合わせのように微妙な音楽サイトとMP3プレーヤーの相性を気にしなくてもいいので、楽な選択ではあります。
ちなみに、筆者が最初に入れた曲は、勿論、U2の"Vertigo"です。12月号でご紹介した、iPodの超人気コマーシャルソングです。U2は、自国アイルランドでの6月のコンサートチケットが50分で完売するなど、更なる人気も見られます。
アップル・コンピュータの方も、iPod人気にあおられ、昨年10月あたりから株価が高騰し、過去一年間で4倍となっています。昨年12月末までの四半期には、会社の歴史上、一番大きな売上と収益を記録しています。この期は、U2限定バージョンを含め、実に460万台のiPodが売れています(昨年一年間には830万台、そのうち4割はiPod miniだったと、リサーチ会社NPD Groupは推測します)。

それにしても、アップルさんとU2さん、これほど互いがいい思いをした共存関係は珍しいでしょう。"Win-win situation"とは、まさにこのことですね。


<iPodのおなかの中>

iPodに部品を提供するお陰で、一躍名を馳せた会社もあります。チップのSigmaTelもそうですし、iPodのトレードマークともなっている、丸いスクロールホイールを提供するSynapticsもそうです。
しかし、筆者の中でのスターコンポーネントといえば、やはり、iPod miniに入っているマイクロドライブです。直径1インチ(2.54cm)、10円玉大のディスクを内蔵する、超小型ハードディスクです。オリジナルモデルでは4GB、1000曲分の貯蔵スペースを持ち、最新モデルでは、6GBを誇ります。

このマイクロドライブは、日立の傘下にあるHitachi Global Storage Technologiesが提供していますが、もともとは、IBMが作りました。1990年代前半から、サンノゼ市南部にあるIBMアルマデン・リサーチセンターが基礎研究を担当し、日本IBMのハードディスク開発グループと共同で、6年ほど前、コンパクトフラッシュ型のリムーバブルな記憶装置として商品化しました。その頃は、340MBの容量でした。
1インチディスクのマイクロドライブは、技術的には画期的な製品だったものの、その用途となると、引く手あまたとはいきませんでした。パソコン、PDA、デジタルカメラなど、一部の製品に採用されたものの、いまだ、デジタル音楽プレーヤーなどの小型ライフスタイル製品が、市民権を得ていなかったのです。

折しも、2002年12月、日立は世界各地のIBMストーレッジ・グループを吸収し、Hitachi GSTが設立されました(サンノゼ市南部にあったグループ本社を本拠地としています)。家電分野にも強い日立は、その手腕を発揮し、iPod miniというマイクロドライブにとっては理想的な相手も獲得しました。そして、iPod miniの尻上がりの人気に伴い、マイクロドライブの生産を倍にするとも発表されています。
日立の傘下に入ったストーレッジ事業は、収支的にも大幅な改善が見られます。今後、音楽プレーヤーに留まることなく、キャムコーダー、ゲームコンソール、携帯電話など、超小型ハードディスクを内蔵する小型パーソナル製品の大幅な伸びが予想され、更なる事業拡大も期待されています。リサーチ会社InStat/MDRによると、2008年には、出荷されるハードディスク製品の3分の1は、家電に組み込まれるとも予想されています。
少しの間に、340MBから6GBに成長したマイクロドライブ。小さくて軽く、それでいて大容量のiPod miniの人気を支えているのは、やっぱりマイクロドライブではないでしょうか。


<2.4GHzの恐怖>

先月号で、衛星ラジオXMの話をしましたが、筆者自身の車には衛星ラジオは付いてないので、贔屓にしているジャズ専門のFM局、KCSMを聞いています。勿論、ジャズが好きだということもありますが、ここは公共放送局なので、コマーシャルなんて風情のないものは存在しないし、スタジオに招いたジャズミュージシャンとのトーク以外、余分なおしゃべりもありません。ひたすら、極上のジャズ放送に徹しています。
おもしろいことに、ベイエリア・サンマテオにあるKCSM局は、インターネットでもストリーミング放送しているので、それこそ世界中で聞くことができます(KCSM.orgです。メディアプレーヤーは、Real Player、Windows Media Player、Quick Time Playerなど複数に対応し、かかった曲名のプレイリストも完備です)。
年に何回か、寄付を求めるキャンペーン放送をするのですが、アメリカ中と言わず、世界中から寄付が集まってくるのに驚かされます(KCSMの年間予算の8割は、視聴者の献金でまかなわれています。公共放送局は、どこでも似たような財政事情なのです)。

そんな気のきいたFM局なので、やはり先月号でご紹介した、ケーブル会社Comcastのデジタル音楽放送と同じく、筆者にとってはなくてはならないものになっています。たとえば、台所のテーブルで物を書いているとき、背景でストリーミング放送を流しながら、気持ちよく仕事できます(なぜ台所かって、ここは一番日当たりがいいのです)。
ところが、ある時、穏やかなジャズの流れが、突然中断してしまいました。おやつを食べようと、台所の電子レンジを使った途端、ぷっつりとストリーミングが切れてしまったのです。
実は、我が家では、Linksysのワイヤレスルータを利用していますが、IEEE802.11g規格なので、2.4GHzの周波数が使われます。ご存知の通り、これは電子レンジやコードレスフォンと同じ周波数帯なので、電波干渉の問題が出てくるわけです。
現に、2台ある我が家のコードレスフォンのうち、2.4GHzの方を使い出すと、途端にインターネット接続が切れてしまうし、お隣さんが電話で話し始めると、やはり同じことです(よほど、5.8GHzの電話に買い換えろと、Linksysの親玉Cisco Systemsに勤めるお隣さんに言おうかと思ったほどです)。
噂には聞いていましたが、電子レンジもやっぱりダメなんだなあと、実感です。
今の生活はとても便利で豊かな反面、こんな原始的な不便さもあるのです。どうしてみんなで同じ周波数を使っているのでしょうか?

蛇足ですが、いろんな医学研究が発表されるアメリカで、こんなものがありました。電子レンジを使うときは、人体への影響を鑑み、2、3メートル離れるようにと。う~ん、そうかもしれないなあ。


<Yahoo!10周年>

3月2日、世界的な人気を誇るインターネット・サービスサイト、Yahoo!(本社サニーヴェイル市)が10周年を迎えました。この日、10歳の誕生日を祝い、全世界のBaskin Robbinsでアイスクリームが利用者に配られたり、Yahoo!三人衆が株式市場ナスダックの開始ベルを鳴らしたりと、お祝いムードに包まれました。

1994年2月、当時スタンフォード大学のエンジリアリング博士課程にいたジェリー・ヤン氏とデイヴィッド・ファイロ氏が、インターネット上のお気に入りサイトのリンクリストを作ったことが、今のYahoo!の原型となりました。いつしか、こちらの方が本業となり、翌年の3月に会社が設立されました。以降、インターネット普及の波に乗り、現在の大企業に成長したわけです。4年前、Warner Brothersからテリー・セメル氏をCEOとして招き、メディアとの結び付きも一層深めています。一昨年のオンライン広告会社Overtureの買収で、業績もぐんと上がっています(上記Yahoo!三人衆とは、創設者のヤン氏、ファイロ氏、そして現CEOのセメル氏を指しています)。

このお祝いの前日、今はYahoo! Chiefと名乗る創設者のひとり、ジェリー・ヤン氏がインタビュー番組に出演したので、ここでちょっと、気になる部分をご紹介いたしましょう(公共放送局WNETニューヨーク制作のインタビュー番組"Charlie Rose"から抜粋)。

インターネットサーチ(検索)と言うと、グーグルもあるし、最近はマイクロソフトも力を入れているし、Yahoo!と三つ巴の戦いになるねという質問に対し、ヤン氏はこう答えています。
サーチの分野は、すごく大きなスペースなんだ。現在の方式は、検索欄に調べたいことを入れて、満足するかどうかは別として、何か答えが返ってくる。これに対し、今起きていることは、サーチはもはや単純な作業ではなくなって来ている。サーチは、他の作業、たとえば音楽検索だとか電話帳だとかに組み込まれるようになる。たとえば、音楽サイトで曲を聴いていて、歌詞が知りたいとか、このアーティストは他にどんなアルバムを出しているのかを知りたくなる。電話帳で調べたレストランにしても、どんな評があるのかを知りたくなる。そんな時に、サーチが必要となり、ユーザも無意識のうちにサーチしている。こんな風に、純粋な検索サイトをバーティカルに展開というよりも、メールサイトだとかコンテンツサイトだとか、バーティカルな分野にサーチ機能が深く浸透していく。
また、サーチのパーソナル化もある。使えば使うほど自分の癖を覚えてくれて、一からスタートする必要のないことを指す。ただ、これに関しては、まだまだ長い道のりだ。そして、最近よく言われているのは、マルチメディア検索がある。もはやテキストに留まらず、ビデオ、オーディオのマルチメディアデータを検索してくれる。
このように、サーチとは多面的で、ものすごいスピードで変化している。インターネット自体も、音声認識の改良等で、携帯デバイス上でも使い易くなるし、そのうち、時計やヘッドフォンにくっ付いたりもする。メディアとテクノロジーの融合化も進む。そんな中、今後、サーチの分野では、Yahoo!、グーグル、マイクロソフト三者三様の対応が出てくるだろう。大きな市場であるがために、3社にとっても大きな焦点となるが、どんな対処の仕方をするかは見ものだ。Yahoo!には、今までの経験から優位性があると信じているが。競争からは、たくさんの新たなアイデアが生まれるだろう。
(補足:米国Nielsen/NetRatingsの発表では、現時点では、利用者数でグーグルがYahoo!を一歩リードしているものの、目的に応じ、複数のサーチサイトを併用するユーザが多く、一社がユーザの忠誠心を勝ち取っている状況ではないとしています。)

一方、自らの能力と機会をうまくマッチさせ、今まで大成功を収めて来たわけだけれど、これからどんな人生を送るつもりですかという質問には、こう答えています。
これを言うと、多くの人が意外に思うのだけれど、僕の情熱とゴールは、Yahoo!がどう成長して行くか見届けることなんだ。家族もいるから、それがすべてというわけではないけれど、自分がまだ情熱を持ち続け、会社も僕を欲しているなら、5年、10年、20年先も、Yahoo!の成長する過程を見守っていきたい。この起業家(自身)は、それを夢見ているし、自分にとって意義深いことだとも思っている。

この10周年記念の日、ローカルテレビ局KNTVにヤン氏とともに出演したファイロ氏は、スタンフォードでの第一日目から、ふたりの議論は絶えたことがないと言います。もしかしたら、これがふたりの枯渇なき情熱の源なのかもしれません。ふたりとも、スタートした頃より今がもっと楽しいし、これから先はもっと楽しくなると、口を揃えます。


<ブログにはご注意を>

もうすぐ4月、日本では新入社員の季節ですね。桜の花が舞う中、みんな希望に胸をふくらませ、入社式に出席するのでしょう。そういった新入社員さんたちにひとこと。ブログには気をつけましょう!(blogは、以前も何回かご紹介しましたが、Web上に載せた個人的な日記のようなものです。)
そうなんです。ブログでは一歩進んでいるアメリカでは、今、ブログが新たな社会問題を生んでいます。

たとえば、インターネットのサーチエンジンで有名な、グーグルの例があります。サンフランシスコ在住のマーク・ジェンさんは、22歳の"テクノロジーおたく"で、グーグルに勤めていることがとっても自慢でした。何と言っても、テッキーな人たちにとっては、憧れの企業ですから。
ところが、暇を見つけてはブログに励むマークさん、突然、解雇されてしまったのです。マークさんが、ブログの中で、"僕たちの会社はすごくよくやってるよ(we’re doing really well)"と書いたのが、グーグルのお気に召さなかったのです。株式市場に公開されている企業である以上、社員が株価を上下させるような内部情報を暴露してはいけないのです(まあ、"すごくよくやっている"という情報がどれだけ具体性があるのかという、哲学的な問題は残りますが)。
これに懲りたマークさん、世のブロガーたちに、こうアドヴァイスします。もしブログをやっているんだったら、まず、会社の人事とか法務にブログに関する規則を確認すること。そして、もし規則がなければ、新しく作るよう働きかけること。

にこやかな、物腰のやわらかなマークさん、ショックを受けながらもブログに励み続け、今はその"口コミ"の力で次の働き先を探しています。


<おまけの話:サンフランシスコのゴールデンゲート・ブリッジ>

最後に、テクノロジーからかけ離れたお話です。数あるサンフランシスコの名所のうち、最も絵になるのがゴールデンゲート・ブリッジです。市内と北のマリン郡を結ぶ、赤い吊り橋です。筆者も若い頃サンフランシスコに引っ越し、最初に案内された名所がここでした。雨季も終わり、晴れ上がった5月下旬のことでした。太陽の輝く中、ゴールデンゲートを渡り、対岸の山や見晴台から見るサンフランシスコの街は、また格別なものです。

そんな人気の高いゴールデンゲート・ブリッジです
が、ここはまた、悪名高き場所でもあります。自殺の名所でもあるのです。橋の上には遊歩道があり、歩いたり自転車に乗ったりして橋からの風景を存分に楽しむことができます。そして、景観を損なわないために、高いフェンスなどはありません。
欄干を乗り越え、ここから飛び降りたら最後、まず助かることはありません。落下する間、気を失うこともなく、70メートル下の海面に打ち付けられ、壮絶な死を遂げるのです。そして、橋の下で渦巻く速い潮流に乗り、マリン郡まで流されます。
そんな効力を知ってか、今まで、たくさんの自殺志願者が引き付けられてきました。いつしか統計は秘密となりましたが、1937年の開通以来、1350人と言われています。橋のたもとには、自殺ホットラインにかかる電話も設置されていますが、あまり効果はないようです。
つい先日も、サンフランシスコ在住の若い女性が飛び降り、それを機に、人が乗り越えられない、頑丈なフェンスを作ろうという案が再燃しました。女性の両親も、サンノゼ市から公聴会に駆けつけています。結局、2億円をかけて、デザインや環境へのインパクトを検討しようと決定されましたが、建設プロジェクト自体の行方は定かではありません。命を救う天秤のもう一方に、観光名所の景観があるのです。過去半世紀、いやというほど議論し尽くされてきました。


筆者は自殺の権威ではないので、何とも専門的なことは言えませんが、ひとつアドヴァイスがあるのです。それは、もし生きることに疲れたなと思ったら、とりあえず、すべてをほったらかしにして、どこか遠い所に行ってみることです。どこか広い野原に行って、草花を揺らすひんやりとした風に吹かれるのもいいし、小川でアメンボウや蛙が泳ぐのをぼーっと眺めるのもいいと思います。帰って来たら、世の中がまったく違って見えているかもしれません。

ゴールデンゲート・ブリッジから飛び降りた人のうち、今まで25人が奇跡的に助かっています。その25人中、再度自殺を図ったのは、たったひとりです。残りの24人は、助かったことに深く感謝しています。欄干を乗り越えた瞬間、後悔の念が頭を駆け抜けたと言います。

痛みのピークはいつしか治まり、完治すべくもない深い傷にも向き合うことができるようになるのです。

 

夏来 潤(なつき じゅん)

 

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