年末号: 激動の2008年でした

Vol.113

年末号: 激動の2008年でした

 


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シリコンバレーも、近頃はずいぶんと寒くなりました。冬は雨季となりますので、雨の日が多いのですが、先日は寒気団がやってきて、遠くの山にはたっぷりと雪が積もっていました。

そんな寒い年の瀬がやってくると、世の中はどこも混んでいます。プレゼントを買いに集るショッピングモールだけではなく、スーパーマーケットもずいぶんと混んでいるので、「普段、手料理には縁遠いアメリカで、どうしたことか」と驚いています。
きっと、例年は親戚の家に行ったり、バケーションに出かけたりしていた人たちが今年は自宅で過ごすようになって、「いったい何を買ったらいいのだろう?」と、みんなでウロウロと店内を歩き回っているのでしょう。

さて、今回は年末号ということで、2008年を振り返ってみることにいたしましょう。例年のことではありますが、頭の中には10や20と一年のトピックが浮かんできて、選ぶのに大変苦労するところです。仕方がないので、思い付いた順に並べていくことにいたしましょうか。

 

<わたしの一年>

のっけから恐縮ではありますが、まずは、わたしの一年を簡単にまとめさせていただこうかと思います。

3月:執筆を担当した本の原稿を書き終え、月に2、3回しか家から出ない生活にようやく終止符を打つ。
4月:さっそく引越しがしたいと、近所の家を物色し始める。なかなか適当な物件見つからず。
7月:「家を見に来たのに、どうして買ってくれないのかと理解に苦しむ」との手紙を持ち主から受け取り、そのうちに誰かに訴えられるのではないかと恐くなり、家探しをあきらめる。(もちろん、訴えられることはないけれど、住宅価格はもっと下がるはずという読みもあった)
8月:北京オリンピックを祖国で観戦し、水泳、体操、ソフトボールと、日本人選手の活躍に大いに感激する。
9月-10月:金融危機で、401(k)(退職後の貯蓄)ががっくりと下がり、我が家もがっくりと肩を落とす。
11月:いつまでも市場好転の兆しが見えないので、「下がったものは、そのうち上がるさ」と悟りを開く。
12月:「ははは、実は米国経済は昨年12月から不景気に入っていました」との経済学者の間抜けな発表を耳にし、「ふん、誰も何もわかってはいないのさ」と悟りを開く。
12月末:新しい年をひかえ、「なんとかなるさ」と悟りを開く。

というわけで、お次は、流行語のお話です。

 

<やっぱり経済がホットでした>

先日、久しぶりに我が家のファイナンシャル・アドバイザーに会うと、彼は憔悴(しょうすい)しきった面持ちでした。それはそうかもしれません。9月中旬、突然に全世界を襲った金融危機(the global financial crisis)のお陰で、「俺の金をどうしてくれるんだ!」と、顧客からさんざんやり込められているのかもしれません。
それに、顧客の資産が目減りしたということは、歩合制である自身の給料も一気に下がるということ。踏んだり蹴ったりとは、まさにこのことかもしれません。金融危機という化け物を連れて来たのは、人ひとりのせいではないのに。

そんな悪名高き金融危機は、今年、たくさんの流行語をも産み出しました。まず思い付くのが、「メインストリート(Main Street)」。これは、金融の中心地であり、金融エリートたちがひしめく「ウォールストリート(Wall Street)」に対し、わたしたち庶民の生活の場という意味です。
「ウォールストリートのあんたたちと違って、メインストリートでは、明日の暮らしの糧(かて)にも困っているんだよ」と、たっぷりと皮肉をこめて使います。

それから、「マットレスの下(under the mattress)」。金融危機直後の秋頃は、「大恐慌時代のように銀行が次々とつぶれる恐れがあるので、銀行なんか当てにしないで、自宅のベッドのマットレスの下に現金を隠しておこう」という意味でした。
それが、12月に入ると、政策金利が限りなくゼロパーセントに近くなったせいで、「どうせ銀行に預金しても利子がつかないから、マットレスの下に隠しておこう」という具合に、微妙な変化が見て取れるのです。
いずれにしても、すでに銀行同士ではほぼ無利子でお金を貸し借りしていたそうなので、今回のゼロ金利政策は、象徴的なものでしかありません。そのわりに、一般の住宅ローンの利率は下がらないし、貸付は厳しくなるばかりだし、庶民としては、なんとなく煙に巻かれたような気分なのです。(たとえば、30年ローンの金利は、いまだに5パーセントをちょっと越えていますが、これでも、1971年以来、最低の水準だといわれています。)

それから、「ゴールデン・パラシュート(golden parachute)」つまり「金色にぴかぴか光るパラシュート」という言葉も大流行いたしました。なにやら、落下傘部隊がキラキラと輝きながら飛行機から降りてくる構図を想像いたしますが、これは、大企業のマネージメントが解任される際、たっぷりと餞別(せんべつ)をもらうことを指します。
退職金に特別ボーナス、福利厚生にストックオプション(自社株購入の権利)と、いろんな形でいただくことになるのですが、とくに「ゴールデン・パラシュート」として取り沙汰されるのは、会社が米国政府から公的資金を投入されているにもかかわらず、退職するマネージメントが常識では考えられないほどの「さよならボーナス」をもらうことです。

一般的に、アメリカでは、大企業のCEO(最高経営責任者)の平均サラリーは、一般の従業員の90倍といわれていますが、これにストックオプションやボーナス、一生涯続く健康保険などと様々な恩恵を入れると、数百倍に上るともいわれます。
その上、どうして「さよならボーナス」なのか、ボーナスは業績ベースではないのかと、庶民の理解を超越する論理展開となっているわけですが、憤懣をあらわにする市民からは、「ゴールデン・パラシュート」ならぬ「プラチナ・パラシュート」という表現すら聞こえています。

年の瀬も迫った今日の新聞に、こんな風刺漫画が載っていました。(by David Horsey – Seattle Post-Intelligencer)


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題名は、「数字で見る公的救済措置」

30:自動車会社の従業員が無給休暇を強いられる日数

16億:2008年に銀行の重役たちがサラリー、ボーナス、その他の恩恵としてもらったドルの額(約1600億円)

 

けれども、こういう批判にはおもしろい反論もあって、もしウォールストリートのマネージメントたちがボーナスをもらわなくなったら、国に支払う所得税が減って、めぐりめぐっては庶民が困るのだというのです。
「彼らのボーナスが10億ドル(約1千億円)減るのに対し、2千万ドル(約20億円)の国の歳入減となる」と試算するアナリストもいるようです(便宜上、換算レートは1ドル100円といたしました。あしからず)。

それから、公的資金をもらった会社が建て直しを計ろうとした場合、あまりに条件を厳しくして、サラリーやインセンティヴ(各種報償)を極端に減らすと、有能な経営者が集らないという困った現象が起こり得る可能性もあります。

アメリカの場合、「実績に合わせて、相応の報酬をする」というのが常識となっているわけですが、「実績は見せかけではないのか?」また「相応の報酬とはいったい何なのか?」といった基本的なことを、真面目に考える時期に来ているのでしょう。
過去8年のブッシュ政権下では、取り締りが緩み、やりたい放題がまかり通ってきた現実があります。そろそろ手綱を締め直してもいい頃なのでしょう。

 

追記:シラキュース大学の研究グループによると、今年は、司法省による証券取引法違反の立件数が過去18年間で最低だったそうです。あの悪名高いエンロンやワールドコムのスキャンダルのあった2002年は、企業の取り締まりが一気に厳しくなったわけですが、その後は、「テロ対策」の名の下にホワイトカラーの取り締まりが緩和され、今年の立件数は、2002年の4分の1に激減しています。犯罪が減ったとは到底考えられないので、これは、とりもなおさずブッシュ政権下での「野放し状態」を表しているのでしょう。

 

<愚妻(ぐさい)と豚児(とんじ)>

なんだ、この題名は?とお思いのことでしょうが、最近、ひどく感心したことがあったのです。


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11月4日の米大統領選挙では、めでたく次期大統領に選ばれた民主党のバラック・オバマ氏でしたが、いよいよ12月15日には、全米の選挙人団の投票も無事終了し、正式に次期大統領(President-elect)となりました。
そのオバマ次期大統領は、一般投票の3日後には、早々と経済政策の指針についての記者会見を開き、国民の不安や動揺を少しでもやわらげようと努めておりました。ほどなく、次期政権の主要ポストの任命という激務も終え、今はハワイでバケーション中です(そしてスリムな水着姿が、「まあ、かっこいい」「いや、ロシアのプーチンが上だよ」と、大いに話題となったのでした)。

他でもない、その主要ポストに任命された方々のあいさつを聞いていて、感心してしまったのです。まあ、単なるごあいさつですから中身が濃いわけではないのですが、おもしろいことに、みなさん一様にこうおっしゃるのです。
「この重大な任を受けるにあたり、わたしのワイフ(ハズバンド)と子供たちが理解を示してくれたことに心より感謝します」と。

いえ、アメリカでは、「25年連れ添った、わたしの素晴らしいワイフ(my wonderful wife of 25 years)」などと、いけしゃあしゃあと公言するのが慣わしとなっているのです。まあ、心でどう思っていようと、表向きは、身内をべたべたと褒めそやしておくのですね(仲間内になると、手の平を返すように悪口も飛び出すようですが)。
その一方で、日本にはその昔、「愚妻(ぐさい)」とか「豚児(とんじ)」という言葉が存在いたしました。文字通りの意味でいくと、「愚かな妻」と「豚の子供、つまり愚かな息子」というわけですが、それは、身内をわざと卑下する、つつましやかな行為の表れなのです。今となっては、そこまで謙る(へりくだる)ことはないだろうと死語になりつつあるわけですが、謙る心だけは、脈々と生きているのではないでしょうか(ま、今の世の中、愚妻とか豚児などと発言したら、翌日は目のまわりが真っ黒になっていることでしょう)。

冗談はさて置いて、実は、わたしが「オバマ氏嫌い」であったことは、ご存じの方もいらっしゃるでしょう。「ヒラリー(クリントン上院議員)支持」を明言していたわたしは、彼女が敗北宣言をしたときは、もう、べそをかきそうでした。
どうしてそこまでオバマ氏を毛嫌いしていたかといえば、彼にはなんとなく「エリート意識」が見え隠れしていたことと、何よりも、彼自身が大いに迷っていたからです。当初、大統領候補に出馬した頃は、「僕はいったい何をしたらいいんだろう?」と、はっきりと顔に書いてありました。心の定まらない者に、一国をたばねることなどできるわけがないではありませんか。
けれども、そこは賢いオバマさん。選挙戦で練磨されるうちに表情にも自信がみなぎるようになり、まさに大統領にふさわしい顔つきに変わっていったのでした。

しかし、いつまでも、オバマ氏を認めたくない人もいるのですね。たとえば、共和党支持者のわたしの知り合いは、熱心にこう主張するのです。「オバマ氏は、実は生まれながらのアメリカ人ではないので、米国憲法上、大統領にはなれないはずなのだ」と。

まるで「陰謀」のようにも思えるのですが、現在、オバマ氏の出生届が偽物であることをあばき、彼を次期大統領の座から引き摺り下ろそうという動きがあるのは確かです。
これには、オバマ氏は父親の故郷であるケニアで生まれたとか、継父と同じインドネシア国籍だとか、いろんなフレーバーがあるのですが、要するに、米国憲法では、生まれながらのアメリカ人でなければ大統領にはなれないという条項があって、オバマ氏はこれに反するようだから、大統領にはなれないと主張するものなのです。(米国憲法第2条、セクション1-5に、大統領は a natural born Citizen でないとダメと明記してあります。外国で生まれた場合であっても、アメリカ人である親がしかるべき手続きをすれば、米国籍となります。)
しかも、あきれたことに、この仮説をもとに実際に何件かの裁判が起こされているようで、オバマ氏の出生届を保管するハワイ州の当局が「届けは本物で、彼は生まれながらのアメリカ人である」と宣言しても、いまだに懐疑心を捨てようとしない一派もいるのです。
知り合い曰く、「これが最後の望み」なのだそうです。(ちなみに、オバマ氏の父親は英国籍であり、オバマ氏の二重国籍は憲法に反するのだという訴えは、12月に入り、連邦最高裁判所で棄却されています。)

いずれにしても、大部分の国民は、そんな陰の動きとはまったく無関係であるのは確かです。12月に行われた世論調査でも、オバマ氏を支持する人が82パーセント、支持しない人が15パーセントと、国民は圧倒的なオバマファンになっています。共和党支持者であっても、実に6割が「オバマ氏で幸せだ」と答えているのは、驚きに値するかもしれません。
選挙で誰に投票したかはすっかり水に流して、大多数のアメリカ人が、オバマ氏を選んだ自分たちを誇らしくも思っているようです。

思えば、オバマ氏には、多くの国民が夢を託しているのでしょう。そう、「彼が大統領になれば、世の中は変わるんだ」と。それは、もしかするとアメリカ人ばかりではなく、世界中の人たちがそう信じているのかもしれません。

そのひと筋の希望が残されているからこそ、世の中はまだ真っ暗にはなっていないと思うのです。

 

<地球の静止する日>

12月に封切りになった映画に、『地球の静止する日(The Day the Earth Stood Still)』というのがありました。キアヌ・リーヴス(映画『マトリックス』で主演)が、主人公である宇宙人を演じる映画です。
ご存じの方も多いとは思いますが、この映画には、1951年の同名の元ネタがありまして、先日、このオリジナル白黒映画をテレビで観ていたわたしは、「うまいな!」と大いに感心したのでした。

 


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わたしは現代版を観ていないので、そちらの方はわかりませんが、オリジナル版はとにかく設定がおもしろくて、わが地球よりも文明の進んだ星の宇宙人が、わざわざ地球人に意見をするために、何億マイルもはるばると旅してやって来るというストーリーなのです。
いったいどうしてなのか?答えは、宇宙人が地球を去る直前に、全世界から集った科学者たちの前で明らかにされるのです。「地球人が互いに殺し合い、傷つけ合うのは構わない。けれども、その地球人の暴挙や攻撃性を地球の外に持ち出してくれるな」と。

このオリジナル版ができた1951年というのは、第二次世界大戦が終焉を迎えたわずか6年後。ちょうどアメリカとソヴィエト連邦という超大国が、にらみ合いを続けていた「冷戦」の時代です。朝鮮半島が北と南に分断された朝鮮戦争のさなかでもありました。まさに一触即発の緊張の中、いつ核戦争が起きてもおかしくないと多くの地球人が恐れ、「こんな地球でいいのか?」と自問していた時代でもありました。
オバマ次期大統領から防衛省長官の続投を任されたロバート・ゲイツ氏も、ごく最近、こんなことをおっしゃっていました。「長年、アメリカ軍は冷戦に向けて備えられていたために、(2001年10月)アフガニスタンに侵攻したときは、ゲリラ活動に対抗する術(すべ)を持たなかった」と。(12月17日放映『Charlie Rose』より)
それほど、冷戦以降のアメリカは、「対ソヴィエト(対社会主義、共産主義)」に没頭してきたということでしょう。

そんな軍事力が幅を利かせていた時代に、涼しい顔をした宇宙人が、物を申しにやって来る。「殺してもいいから、宇宙人を捕らえろ!」という軍隊から必死に逃れながら、最後の望みである科学者に自分が本物であることを納得させるには、大きなワザを披露しなければならない。それが、「地球の静止」という離れ業・・・。

この『地球の静止する日』という映画が、近頃、ちょっとした話題になっておりました。もしかすると、今のようにめちゃくちゃになった地球に送り込まれたのは、実は、次期大統領オバマ氏その人ではなかったのかと。
いえ、べつにオバマ氏が宇宙人というわけではありません。ふと世界を見渡してみると、イスラエル・パレスチナ、インド・パキスタンと、いまだに長年のにらみ合いを続けている地域はたくさんあるではありませんか。そんな問題だらけの地球でも、オバマ次期大統領の下では、地球人全体が一致団結できるのではないかという淡い期待があるのでしょう。

そういえば、こんな風刺漫画がありました。(by Mike Luckovich — Atlanta Journal-Constitution)


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場所は、オバマ氏の第44代大統領就任宣誓式。
そこでオバマ氏は、こう宣言するのです。「アメリカ人たちよ、わたしが大統領となった今、君たちに発表しよう。わたしは、惑星ゾーフからやってきた者で、君たち地球人は我らの食料源となるのだ。」

それを観ていた男性は、奥さんにこう言うのです。「ほら、だから言ったじゃない、オバマ氏のハワイ州の出生届は偽物だったって。」

 

まあ、宇宙人であろうと何であろうと、オバマ氏に任せてみる価値は充分にあると思うのです。

 

<おまけのお話:やりましたね、フェイさん!>

9月号のおまけ話でご紹介いたしましたが、今年大ヒットしたティーナ・フェイさんという方がいらっしゃいました。サラ・ペイリン氏の物真似で全米の人気をさらったお方です。


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覚えていらっしゃいますでしょうか、ペイリン氏というのは、共和党の副大統領候補に突然指名され、大統領候補のジョン・マケイン氏とともに全米行脚(あんぎゃ)の旅に出て、一躍有名になった方でした。一応、アラスカ州知事という肩書きを持っているのですが、政治にはまったくの素人で、「アラスカからはロシアが見える」から、ロシア外交には精通していると発言した御仁です(こちらの写真は、本物のペイリン氏)。

その見事なまでのペイリン役が認められ、フェイさんは、AP社が主催する「今年のエンターテイナー賞(The Associated Press’ Entertainer of the Year)」を受賞することになりました。今月行われた選考投票では、全米の新聞編集者や放送プロデューサーたちの圧倒的な支持を受けたそうです。


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ペイリン氏が副大統領候補に指名された途端、「あら、ちょっとわたしに似てるかしら。だったら、ちゃんとお勉強しなきゃ」と、さっそくペイリン観察を始めたフェイさん。ペイリン氏の口癖である「You betcha(当然でしょ!)」も、完璧に板に付いていました。(ペイリン役のフェイさんの隣は、ヒラリー役のエイミー・ポウラーさんです。パロディー番組『サタデーナイト・ライヴ』より)

フェイさんは今年、自ら制作し、主演する「30 Rock」というコメディーシリーズでエミー賞を3つも受賞しているし、まさにノリノリのお方なのです。分野はまったく違うけれど、オバマ次期大統領と並んで、「2008年の顔」ともいえるかもしれません。

「11月の選挙が終わったら、もうペイリン氏の真似なんかしたくはないわ」と明言するフェイさんでしたが、彼女の願った通りになって、ほんとに嬉しい限りです。

フェイさん、ぜひまた別のキャラクターを開拓して、お腹が痛くなるまでみんなを笑わせてください!

  笑う門には、福来る!

 

夏来 潤(なつき じゅん)

列福式

はて、なんだろう? とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、列福式というのは、「れっぷくしき」と読みます。

キリスト教のローマ・カトリック教会の儀式で、「福者(ふくしゃ)」を「列する」、つまり、生前に優れたことを行った信者を、福者の仲間につらねる儀式のことです。
 福者というのは、「聖者」になる一歩手前とされ、とても徳のある信者というわけですね。

どうして藪から棒にカトリックの儀式のお話を書いているのかというと、ごく最近、日本で初めての列福式が開かれたからなのです。

わたし自身はカトリック信者でも、何教の教徒でもありませんが、通常カトリックの総本山ヴァチカン市国で開かれる列福式が、日本で開かれたというのはすごいことだと思うので、ぜひ書かせていただこうと思った次第です。もうすぐ、キリストの誕生を祝うクリスマスということもありますしね。


そもそも、日本で列福式が開かれたということは、日本人の信者が福者となったということなのですが、「聖者」や「福者」、その辺りのお話からいたしましょうか。

キリスト教徒ではない方でも、「聖者(聖人)」という言葉はご存じのことでしょう。英語でセイント(saint)といいますが、「聖者が街にやって来た(Saints Go Marching In)」というアメリカの賛美歌でも歌われているように、信者にとっては、とてもありがたい存在なのですね。

聖人となると、村や町の守り神になったり、教会の名前になったりもいたしますが、それはなにも西洋のことばかりではなく、日本にも、日本の聖人の名をいただく教会があるのですね(そうなんです、日本にも聖人がいるのです!)。長崎県長崎市にある聖フィリッポ・デ・ヘスス教会、通称・日本二十六聖人記念聖堂がそうです。

「日本二十六聖人」というのは、1597年、安土桃山時代の終わりに権力を誇った豊臣秀吉が、長崎・西坂の丘での処刑を命じた二十六人のキリシタン殉教者のことです。この殉教者たちは、1862年に当時のローマ教皇ピウス9世によって列聖され、聖人(二十六聖人)となりました。

この二十六人のうち二十人は、イエズス会やフランシスコ会の日本人信者でした(イエズス会、フランシスコ会というのは、カトリック教会の修道会のことです)。そのほとんどは京都と大阪で捕らえられ、極寒の中、長崎まで徒歩で連行されました。このうち、最年少のルドビコ茨木はわずか12歳で、彼の他に13歳と14歳の少年もいました。

そして、残りの六人は、はるばる外国からやって来たフランシスコ会の司祭や修道士でした。教会の名前となった「聖フィリッポ・デ・ヘスス」は、メキシコ人の24歳の若き修道士です。フィリピンで司祭になる勉強をしたあと、帰国途中に日本に立ち寄った際、京都で捕らえられました。

列聖百年記念となった1962年、殉教地である西坂には、メキシコからの寄付で聖堂が建てられたため、この教会は聖フィリッポに捧げられることになりました。そして、西坂の丘は公園として整備され、二十六聖人記念碑と殉教者の資料を納める記念館も建てられています。(西坂から離れ、南山手にある国宝・大浦天主堂も、江戸時代末期に二十六聖人に捧げる教会堂として建てられています。正式名称は、日本二十六聖殉教者聖堂。)

そもそも、秀吉が西坂の地を処刑場所に選んだのは、長崎港を開港したキリシタン大名の大村純忠が、長崎をそっくりとイエズス会に寄進したことがあるのでしょう。
 「これはまずい!」と、外国と結託しそうな新興勢力を弾圧しようとした結果なのかもしれません。

昔はイエズス会の神父という変わった経歴を持つ、わたしの大学院時代の恩師も、アメリカ人ではあるものの、「長崎」とか「二十六聖人」という言葉はよくご存じのようでした。もちろん、恩師が司祭の教育を受けていたこともありますが、一般的に、二十六聖人は、日本国外の人たちに知れ渡っているようではありますね。そして、西坂の丘というのは、カトリック信者にとっては聖地でもあるのです。


さて、日本でのキリシタン殉教者というのは、この西坂の処刑で終わることはありませんでした。秀吉のあと、徳川家康がキリスト教の禁教令を発布し、三代将軍家光の頃には、キリスト教徒への弾圧はますます激化します。
 迫害は、その後もえんえんと続き、ようやくキリスト教の信仰が許されたのは、明治期に入った1873年(明治6年)のことです。

西坂の処刑から禁教令の撤回までの270余年、日本のキリスト教徒の多くは、禁教令に屈することなく、体制から逃れて信仰を守り続けようとしていました。
けれども、迫害が激化する中、初めのうちは日本全国に散らばっていた信徒たちも、そのうち、長崎県下の村や離島、近隣の天草諸島などに、いわゆる「隠れキリシタン」として潜伏するようになりました。
 ひとつに、西国には外国との接触を持つキリシタン大名が多かったことと、地理的に江戸から遠いため、中央政府の手の届き難い場所だったことがあるのでしょう。

潜伏するキリシタンたちは、「オラショ」と呼ばれる祈りを捧げ、日本古来の年中行事や信仰の形を模しながら自分たちの祭事を行い、ひたすら救い主が現れるのを待ち続けていました。


このキリスト教弾圧の時代に殉教した人たちが、今回、福者となったのです。江戸時代が始まった1603年から1639年の間に、日本全国で処刑された188人の日本人殉教者です。

その多くは、長崎、島原・雲仙、生月、有馬、八代と、今の長崎県や熊本県で殉教していますが、遠く離れて、京都の殉教者が52人、米沢の殉教者が53人も含まれています。

188人のうち、5人はイエズス会と聖アウグスチノ修道会の司祭・修道士ですが、その他は、家族で入信した一般の信者たちです。ですから、生まれたばかりの乳飲み子や、幼年の子供たちも数多く含まれているのです。(カトリック中央協議会編 『日本188殉教者名簿』 を参照)

そして、この188人を福者に列する列福式は、先月の11月24日、長崎市の県営野球場で開かれました。

ちょうどその頃、長崎に行っていたわたしは、準備の様子をちょっとだけ覗かせていただくことができました。(きっと、このとき長崎に行っていなかったら、わたしは列福式の存在すら知らなかったかもしれません。)

それにしても、たくさんの椅子が並んでいること! フィールドには折りたたみ椅子が所狭しと並べられていて、いったいどこから運んで来たのだろうと驚いてしまいました。
 なんでも、当日は、3万人の方たちが国内外から集ったそうですが、教会関係者や信者に混じって、福者となる殉教者の末裔の方たちもいらっしゃったということです。

こちらは、赤い絨毯です。たくさん積まれていますが、教皇ベネディクト16世の代行としていらっしゃる、マルティンス枢機卿が座する壇上に敷かれるのでしょう。

赤というのは、ローマ・カトリック教会の色でもあるようですね。そういえば、先の教皇ヨハネ・パウロ2世のお葬式のときには、たくさんの赤が使われていた記憶があります。結婚式でもないのにと、意外な感じがしたのを覚えています。

こちらは、会場の野球場の前面に張られた幕です。「ペトロ岐部(きべ)かすい」というのは、今回福者となった、大分県国東半島出身の日本人司祭です。日本からマカオに追放されたあと、ローマの教会で司祭となって帰国し、9年間の潜伏生活を経て、江戸で殉教しています。日本人で初めてエルサレムに巡礼したお方でもあるそうです。
 188人の中には、同じく日本人司祭のジュリアン中浦がいます。この方は、13歳の頃、天正遣欧少年使節としてヨーロッパに向かい、3年後の1585年に、日本贔屓(びいき)だった教皇グレゴリオ13世に謁見したという方です。40歳のときにマカオで司祭となり、二十数年の九州各地での潜伏生活ののち、西坂で殉教しています。

そして、こちらは、列福式の前日に、会場に向かうシスターたち。この日はきっと、式典の予行演習が行われていたのでしょう。

わたしが会場を覗いたときにも、騒然とした作業の裏では静かな賛美歌が流れておりましたが、当日の儀式は、さぞかし荘厳な雰囲気に包まれていたことでしょう。


こうやって、日本のキリスト教信仰の歴史を振り返ってみると、ものすごい軌跡だったのだなと実感するわけですが、その一方で、世界の歴史に目をやってみると、カトリック教会が迫害に手を染めていたこともあるのですね。

たとえば、カトリックの教えに対し、改革の新しい動きが出てきたとき、ヨーロッパでは、厳しい異教審理(Inquisition)の時代が続きました。宗教裁判にかけられた中には、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイがいるのはよく知られています。(この行いに対し、先の教皇ヨハネ・パウロ2世は深く謝罪をされています。)

そして、そのキリスト教の教えさえも、誕生した頃は、異端の宗教であると迫害を受けた歴史があるのです。

いつの時代にも、時の為政者は新しい動きを握りつぶそうとするし、そんな中でも、命を賭(と)して信仰を貫こうと殉教していった人たちがたくさんいるのです。

街にきらめくクリスマスのライトを眺めながら、何を信じてもかまわない、自由な世に生きる喜びを、思う存分に味わってみたい。そんな気分になったのでした。

主な参考文献: 長崎・天草の教会と巡礼地完全ガイド(長崎文献社編、カトリック長崎大司教区監修、長崎文献社)、日本とヴァチカン~フランシスコ・ザビエルから今日まで(結城了悟氏著、女子パウロ会)、かくれキリシタン~歴史と民俗(片岡弥吉氏著、日本放送出版協会)

著者の結城了悟氏と片岡弥吉氏は、おふた方とも故人ですが、日本のキリシタン研究では第一人者ともいえる方たちです。
 結城神父は、ディエゴ・パチェコとしてスペインに生まれ、30年前に日本に帰化されています。二十六聖人記念館の館長を開設から40年余り務めましたが、列福式が開かれるわずか一週間前に他界されました。日本初の列福式を心待ちにされていた中のおひとりだったことでしょう。

それから、「キリシタン潜伏時代」という厳しい時代を描いた小説に、故・遠藤周作氏の『沈黙』があります。「沈黙」という題名は、想像を絶するほどの迫害を受けた信者や聖職者たちが必死に神に祈りを捧げても、神は固く沈黙を守られたままだったという悲しい事実を表しているのですが、ご自信もカトリック信者だった遠藤氏は、信仰を貫く厳しさを実に見事に描いていらっしゃいます。

この時代の四十万ともいわれる日本の信者には、殉教した方々もいれば、迫害に耐え切れず棄教した方々もいます。棄教した方々であっても、同じ苦しみを味わったのではないかと、『沈黙』を読んで考えさせられたことでした。

宝物

もうお気付きになっていらっしゃるとは思いますが、こちらのエッセイサイト「夏来 潤のページ」では、ごく最近、新しいセクションが加わりました。
 「シリコンバレー・ナウ(Silicon Valley NOW)」という、ちょっとだけ毛色の異なるシリーズ物です。

http://www.natsukijun.com/svnow/

ご存じの方もいらっしゃることでしょうが、この「シリコンバレー・ナウ」というのは、8年前の2000年12月から連載している、月刊のコラム・シリーズとなっております。原則的には、ハイテク産業のメッカであるシリコンバレーについて書く場所ではありますが、ときには、あちらこちらの旅行記なんかを書いたりしておりますので、お題目から大きく外れていることもあります。

この12月からは、「シリコンバレー・ナウ」シリーズは、こちらの「夏来 潤のページ」に統合されたわけですが、このお引越しが、思いもよらぬ「大事業」になってしまいました。なぜかというと、だいぶ前に書いた記事を移行するのが、かなり厄介な作業となったからなのです。

わたし自身はウェブサイトを構築するスキルもセンスもありませんので、3年前に「夏来 潤のページ」を立ち上げるときも、プロのデザイナーの方にご依頼していたのですが、今回、いざ新しく「シリコンバレー・ナウ」の移動場所を作っていただいたところ、あまりにデータのお引越しが煩雑なので、急遽、別のデザイナーの方にバトンタッチということになりました。

そこでふと思ったのですが、きっと過去の記事なんて、「厄介なお荷物」なんだろうなと。

それでも、書いた本人としては、8年前に書いた第一号から漏れなく保存しておきたいと願ってしまうわけなのですね。そして、それはどうしてかというと、どんな昔に書いたものでも自分にとっては宝物だから。

それは、今読み返すと、「あーでもない、こーでもないと、よく飽きもせず書いたものだ」とか、「よくもまあ、こんな(ひどい)文章で書いたものだ」と思うこともありますよ。けれども、どんなにおかしな部分があったにしても、一生懸命に書いたことに変わりはないですものね。


不思議に思われる方もいらっしゃることでしょうが、そもそも、どうしてこのエッセイサイト「夏来 潤のページ」を運営しているのでしょう。自分でも、ときどき「なんでこんなに一生懸命やってるんだろ?」と考えてみることがあるのです。

それは、多分、どなたかひとりでも楽しんでいただける方がいらっしゃるのではないかと思うからなのでしょう。
 世の中にたったひとりだけでも「あ~、おもしろかった、読んでよかった」と思ってくださる方がいらっしゃるのなら、それはもう、わたしとしては大成功なのです。

ちょっと大袈裟だなぁと思われるかもしれませんが、それほど、人の心に触れるのは難しいことだと思うのです。

でも、それだけではなくて、何よりも、書いていて自分が楽しいということもあるんですけれどね。

先日、お気に入りのラジオ局を聴いていてびっくりしたことがありました。すっきりとした美声が魅力的な、ジャズシンガーのキャット・パラさんが、こんなことをおっしゃっていたのです。

たくさんいる聴衆の中で、たったひとりの心に触れることができたら、わたしの仕事はもう完了よ、そう思うことにしているの。

If I can touch only one person, I know I’ve done my job.

そうかあ、似たような(子供じみた)ことをおっしゃるエンターテイナーもいらっしゃるんだなぁと、ちょっぴり安心したのでした。

Repeated number (連続する数)

最近、ちょっと自分で不気味に感じることがあるんです。

ふとデジタル時計を見ると、ほとんどの場合、同じ数がずらっと並んでいるんです。

たとえば、1時11分、2時22分、3時33分といった具合に、ある数字が連続しているのです。
 まあ、6時台のように、66分があり得ない場合は、6時11分と、分の部分だけでも連続しているんですね。

音楽を聴こうと CD をかけていても、ふと経過時間を見ると3分33秒だったりと、ここでもずらりと並んでいるのです。

この2、3週間、こういったケースは、時計に目をやるうちの9割ほどに達していて、「何事かあるのだろうか」と薄気味が悪いのです。

以前、何かの雑誌に、「最近、時計を見るといつもゾロ目なんですが、これはどういう意味ですか?」という相談が寄せられていて、答えはずばりこうでした。「それは、近頃、あなたの感覚が研ぎ澄まされているということです。何か良い事が起こるサインでしょう」と。

とはいうものの、わたしの身の上には、何も良い事は起きてはいないですけれど。(ただ、身近な人が次から次へと夢に登場してきて、その夢がいやにリアルだということはありますね・・・何か関係でもあるのでしょうか?)


そこで、思ったんですが、この「ゾロ目現象」のことを英語では何というのだろう?と。

まず思い付いたのが、ひとつの数が連続するという意味の repeated number

これは、1111 とか、22222 とか、ある数がゾロ目でできている場合や、数字の羅列の中で、ひとつの数字が連続する箇所があるような場合を指しますね。

その一方で、もともと日本語の「ゾロ目」という言葉は、複数のサイコロをふった場合、一斉に同じ目が出るという意味です。

そういう意味での「ゾロ目」は、repeated number とは言わないようですね。

どうも、こちらは、単に「同じ数」という意味の same number となるようです。

だから、「ふたつのサイコロでゾロ目になる」ことは、get the same number on both dice になります。たとえば、こんな風に使います。

What is the probability of getting the same number on two dice?

(ふたつのサイコロでゾロ目が出る確率は何でしょう?)


とすると、冒頭のケースのように、時計がゾロ目になる場合は、same number ではなく、repeated number とか、repeated digits (連続するケタ)ということになりますね。

あるウェブサイトでは、repeated pattern of digits(連続するパターンのケタ)とも表現してありました。ちょうど、こんな風に。

The probability of looking at a digital clock and seeing a symmetrical or repeated pattern of digits is about 8%.

(デジタル時計に目をやって、数字が対称になっているとか連続している確率は、およそ8パーセントです。)

注: ここで、対称になっている数字というのは、212、313、1001、1221 などの場合です。111、222、1212 のように、単純に数字が連続しているケースは全部で8通り、対称になっているケースは全部で42通りあります。厳密にいうと、ここでは自然数の羅列、たとえば 123、234、345、1213 などの8通りも入れているので、合わせて8パーセントの確率ということになっています。いうまでもなく、母数は、12 x 60 = 720 となりますね。ちなみに、自然数の羅列を入れないとすると、およそ7パーセントの確率、それから、単に数字が連続する「ゾロ目」のケースは、およそ1パーセントといったところでしょうか。
(出典:http://www.eadon.com/coincidences/zzqbitcoinclockmaths.php)

してみると、「ゾロ目」の中でもあまり美しくない 1010 と 1212 を除いて、111、222、333、444、555、1111 といった「純然たるゾロ目」に出くわす確率は、およそ0.8パーセントということになりますよね。

そんな低い確率であるはずなのに、デジタル時計を見たときに頻繁に「ゾロ目」に出くわすって、いったいどういうことなんでしょ???


さて、ちょっと不思議に思ったのですが、日本語では「ゾロ目」なる言葉が存在するのに、英語では単に「同じ数(same number)」といった味気ない表現しか存在しないのは、いったいなぜなのでしょう?

まあ、こればっかりは、言語学者にしかわからないことかもしれませんが、ほんの少し手がかりになることといえば、日本では文化的に「連続する数」が尊ばれていることがあるのではないでしょうか。

たとえば、日本国内の聖地・霊場に詣でる巡礼には、「西国(さいごく)三十三所巡礼」とか、有名な「四国八十八ヶ所」があります。前者は和歌山県から岐阜県にかけて、後者は四国四県を巡るものですね。
 また、全国のあちらこちらには、三十三所や八十八ヶ所の霊場巡りがあるそうです。
(写真は、和歌山県那智勝浦町にある那智滝を望む青岸渡寺(せいがんとじ)。西国三十三所巡礼のスタート地点です。)

八十八という数には、「夏も近づく八十八夜」もありますね。現在の暦では5月2日頃だそうですが、だいぶ暖かくなったわりに、晩霜(おそじも)が降りて農作物に被害を与えることがあるので、昔は、この日を目安に農作業を始めたりしたそうです。

それから、女の子の幸福を願う「ひな祭り(桃の節句)」は、3月3日ですし、男の子の無事な成長を願う「端午(たんご)の節句」は、5月5日ですよね。
(こちらの鯉のぼりの写真は、神話のふるさと島根県美保関町で撮ったものです。)

良いことばかりではなくって、厄年の中には、女性に災難がふりかかる年とされる三十三歳もありますね。これは、女性の大厄(たいやく)だそうですが、男性の大厄の四十二歳は「死に」、女性の三十三歳は「散々(さんざん)」の語呂合わせだという説があるそうです。
 まあ、昔の尺度からすると、女性はだいだいこの頃に子供を産み終え、体の不調がどっと出るという、ライフサイクルからきているのかもしれませんね。

(巡礼、八十八夜、厄年に関しては、丹野 顯氏著 『常識として知っておきたい日本のしきたり』 PHP研究所発行 を参考にさせていただきました。)

こんな風に、日本では「ゾロ目」が尊ばれてきたわけですが、そうやって考えてみると、英語圏でのゾロ目は、文化的にあまり意義のないことなのかもしれません。だって、ゾロ目で喜ぶのは、カジノのクラップス(craps)くらいなものでしょうから。

サイコロをふたつ投げて、出た目のコンビネーションで遊ぶクラップスでは、ゾロ目が出難いので、ここに賭けることを「hard way(難しい賭け方)」なんていいますものね。ゾロ目が出ると、果敢に挑戦したご褒美として、配当をたくさんもらえるのです。

ゾロ目を尊ぶ日本と、「ま、偶然でしょ」と片づける英語文化圏。どうして国によってゾロ目に対する意識が違うのかは謎のままですが、もしどなたかご存じでしたら、ご指南くだされば嬉しい限りです。

追記: サイコロをふたつ投げて出た目の確率というのは、結構みなさんの関心を引く話題のようですね。
 実は、上でご紹介した英語の文章「 What is the probability of getting the same number on two dice? (ふたつのサイコロでゾロ目が出る確率は?)」は、ヤフーサイトの「Yahoo Answers」という質問コーナーから引用したものなのです。
 けれども、何はともあれ、それに対する答えが驚きに値するものでした。合計8人が答えているのですが、正解の「6分の1」というのは、たったひとりだったのです。
 あとは、「36分の1」が3人、「21分の6」が2人、そして意味不明が2人。やっぱり、アメリカ人は算数がひどく苦手なのです!

それから、最後に出てきたカジノのクラップスというゲームですが、日本の方には馴染みが薄いということで、僭越ながら、簡単に解説させていただいたことがあります。もし興味がおありのようでしたら、こちらをご覧くださいませ。
 わたしはギャンブルが好きなわけではありませんが、みんなでワイワイとやるクラップスは、一種独特の雰囲気があって楽しいと思うのです。自分でサイコロを投げて、勢い余って場外に飛び出したとしても、それはご愛嬌といったところでしょうか。

シーズン・オヴ・ギヴィング、与える季節

日本に比べると暖かいシリコンバレーでも、厚地の毛糸のセーターが必要な季節となりました。

とくに、この週末は、今年一番の北からの寒気団(Arctic cold)がやって来ているので、寒がりなわたしは、家の中でもセーターの重ね着をしています。

そして、久しぶりにクローゼットから出してきた毛糸のカーディガンを見て、ふとあることを思い出していました。

わたしが住んでいる家のすぐそばにはクリーニング屋さんがあって、30年ほど前に韓国からやって来た夫婦が経営しています。この夫婦は、同じアジア人のわたしを見るとニューヨークにいる娘を思い出すようで、いろいろとわたしと話をするのを楽しみにしています。

アメリカのクリーニング屋さんですから、ここでは洋服の手直しや繕いもやっているのですが、あるときわたしが差し出した毛糸のセーターを見て、奥方のスーさんがこう言うのです。「あらまぁ、穴が開いてるわよ。いいわ、クリーニングする前に、わたしが繕ってあげるから」と。

毛糸のとっくりセーターって、タートルネックと身ごろの間に穴が開きやすいでしょ。きっと、かぶるときにエイッて引っ張るんでしょうね。そんな小さな穴を見つけて、スーさんがボランティアで繕ってあげると言うんです。もちろん、自分でも知っていて無精していたんですが、せっかくのご提案なので、快くお願いしたのでした。

そんなことを考えていると、似たような話があったなと、またまた思い出したことがありました。

昔、サンフランシスコのサンセット地区(Sunset District、中国系住民が多く住む静かな住宅街)に住んでいたことがあるのですが、近くのタラヴァル通りにあるクリーニング屋さんによくお世話になっていました。あるとき、ここでジャケットを差し出すと、店主がこう言うのです。「あれ、裏地の縫い合わせが解けてるよ。クリーニングする前に縫っといてあげるから」と。

ここの店主は、はるばるオーストリアはウィーンから来た方で、お店の名もVienna Drycleaner (ウィーン・クリーニング)というような名前だったと記憶しています。この方は、ウィーンでは仕立て屋さんをしていたそうで、複雑なジャケットの裏地の縫い合わせも、とてもきれいにやってくれました。もちろん、「繕いのお代なんかいいよ」と、クリーニング代だけで済みました。


こんなお話をすると、まるで繕いなどできない人間だと思われそうですが、決してそんなわけではありません。ただ忙しいのです(と、言い訳をしておきましょう)。

けれども、とにもかくにも、ボランティアで繕いを申し出る気になるほど、わたし自身が人から見ると「頼りない人間」に映るのかもしれませんね。自分では、頭の中にいろいろたくさん詰まっているなんて思っているものの、人から見ると、ぽっかりと抜けているのかもしれません。

そして、助けてくれたあちら様にしたって、「助けてやろう」なんて大層に考えているわけではなくて、「何か相手の役に立ったら嬉しいな」くらいにしか考えていないのでしょう。

そうやって考えると、この世の中は、ごく小さな「助け合いっこ」で成り立っているのかもしれません。決して恩着せがましく「俺様が助けてやろうじゃないか」というのではなく、「まあ、持ちつ持たれつですから、お困りなら手を貸してあげましょうか」というような、ほんの軽い気持ち。


助け合いっこといえば、12月に入った金曜日、ちょっとびっくりしたことがありました。

我が家では、年末になると、家の中にたまった不要な物品を寄付することにしているのですが、この日は、サンノゼ市の日本街の近くにある「救世軍(the Salvation Army)」に向かいました。

日本でもお馴染みだとは思いますが、救世軍というのは、19世紀中頃にイギリスの牧師夫婦によって組織されたキリスト教系の慈善団体で、アメリカでは一般市民からお金や物品を募って、さまざまな形で地道に社会貢献を続けています。
 全米のあちらこちらで、安売りショップ(Thrift Store)も経営していて、所得の低い人たちでも、安価に生活必需品を手に入れられるようになっています。

この日、我が家が寄付したのは、おもに不要となった衣服の類ですが、シリコンバレーに引っ越して来たときから使っていた掃除機(vacuum cleaner)や炊飯器(rice cooker)、それから、代替わりとなった無線LANルータ(WiFi router)と、種種雑多な寄付をいたしました。

建物の脇には寄付を受け付けるテントが張られていて、そばに車を停めると、「こんにちは、寄付がしたいの?」と、すぐにおじさんが寄ってきます。このおじさんは、厳格な慈善団体というイメージからは程遠い感じの、とてもにこやかなお方で、こちらが手渡すものをテキパキと分類していきます。
 これはちょっと壊れた部分があると掃除機を指差すと、「なあに、ここにはちゃんと修理する人がいるから問題ないよ」と、快く受け取ってくれました。炊飯器なんかは寄付が少ないので、結構喜んでくれたみたいです(カリフォルニアでは、電器屋さんには必ず炊飯器が置いてあります。お米を食べるのは、日本人やアジア人ばかりではないですからね)。

そして、引渡しが完了すると、おじさんは物品受け取りのレシートもシャカシャカッと手際よく書いてくれるのです(寄付をした金銭や物品は、アメリカでは税金控除の対象となるので、相手から領収書をもらうことが必要となります)。


こんな風に、お堅いイメージを逸脱した、感じの良いおじさんにもちょっとびっくりではありましたが、何が驚いたって、ここに寄付をしようと集った車の数! まあ、金曜日の夕方ということで、みんなの心に余裕のある時間帯だったのでしょうが、引きもきらず、次から次へと車がやって来るのです。

他の車の邪魔になってはいけないので、その場で観察する余裕などありませんでしたが、結構若い人もやって来て、何かしらおじさんに手渡しています。ここはIT産業のメッカ、シリコンバレーですから、きっと衣服だけではなく、電化製品やハイテク製品もたくさんあったことでしょう。

それにしても、このご時勢、やれ不景気(recession)になっただの、次から次へと従業員解雇(employee layoff)が発表されるだのと、悪いニュースばかりが続いているではありませんか。そのわりに、この日、寄付をしようとやって来た車の多さに、わたしはびっくりしてしまったのでした。

もちろん、我が家がやっているように、寄付というのは年末の税金対策のひとつではあるのですが、きっとそればかりではないのでしょう。近頃、悪いニュースばかりを耳にするから、少しでも余裕のある人間は、進んで手を差し伸べるべきである、そう思っている人もたくさんいることでしょう。

そして、多くがそんな風に思えるようになるのには、きっと何か理由があるのでしょう。

それは、人に手を差し伸べる(to give)というのは、誰かに与えるばかりではなく、自分にも何かしらを与えることだから。

そう、人に手を差し伸べるということは、ちょうど、自分自身に対してお誕生日やクリスマスのプレゼントをあげているようなものではないでしょうか。

Dead fish (死んだ魚)

いきなり変な言葉ですみません。

はい、「dead fish」というのは、そのままストレートに「死んだ魚」という意味ですね。

どうしてこんな言葉を書きたいと思ったかというと、ふとあることを思い出したからです。

大学を卒業して、一時期生まれ故郷に住んでいたことがあったのですが、そのとき出会ったアメリカ人が、たどたどしい日本語でこう言ったのです。

「死んだ魚の目のようですね。」

それを何年もたった今、ふと思い出したのです。アメリカで暮らしていて、こんな表現はあんまり聞いたことがないけれど、厳密にはいったいどういう意味なんだろうと。

調べてみると、「死んだ魚(dead fish)」には、「何も感情を表さない人」という意味があるようです。だから、元気がないとか、感情の起伏がないとか、何を話しかけても張り合いのない人とか、そんな意味が含まれているのでしょう。

いえ、別にわたし自身が「感情を表さない人」と言われたわけではありません。わたしの握手の仕方が「元気がない」と言われたのです。

なんでも、世の中には「死んだ魚の握手( ”dead fish” handshake)」なる表現が存在するそうで、わたしの出会ったアメリカ人は、わたしが軽く遠慮がちに、まるで「死んだ魚」のように握手したのが気に食わなかったのでしょう。

握手というものは、しっかりと手と手を握り合い、互いの目を見てにこやかに交わすものと、彼は固く信じていたようです。その基準からすると、わたしの握り方はちょっと弱過ぎたのですね(でも、血流が無くなるほどギュッと握ってはいけませんよ)。

とすると、彼が口にした日本語は、「死んだ魚の目」ではなくて、「死んだ魚の手」だったのかもしれませんね。あまりお上手な日本語ではなかったので、わたしには「手」が「目」に聞こえたのかもしれません。
 そう、きっと彼は、「死んだ魚の手(握手)のように、まるで元気がありませんね」と言いたかったのでしょう。まったくの英語の直訳ではありますが、日本語には無い、なかなかおもしろい表現ですよね。


ちなみに、fish(魚)を使った表現の中に、fishy というのがあります。

形容詞で「魚くさい」、つまり「何だか匂うな、怪しいな」と、懐疑心を表す言葉となっています。きっと fish を使った表現では一番ポピュラーなものだと思います。

こういうのもあります、fish out of water 。こちらも、比較的よく耳にする言葉ではないかと思います。

文字通り「水から出た魚」のように、「居心地が悪い(feel out of place)」とか「どうも仲間に入れない(don’t belong)」といった意味合いがあります。

それから、調べてみると、fish を使ったこんなことわざがありました。

The fish will soon be caught that nibbles at every bait.

「毎回餌に食い付く魚は、そのうちに獲られる」(nibbles at bait は「餌をつっつく」という意味)

つまり、「いつも興味津々でいると、あまり良い事はない(そのうちに自分の悪口を耳にすることになるだろう)」

こうやってみてみると、魚を使った英語の表現には、あまり好印象のものはありませんね。まあ、もともと英語文化圏では、アジア文化ほど魚に縁がないからかもしれませんが、それに比べると、日本語には魚関連のことわざが結構たくさんあるようですね。

ことわざ辞典をめくってみると、たとえば、「魚心(うおごごろ)あれば水心(みずごころ)」「漁夫(ぎょふ)の利」それから「雑魚(ざこ)の魚(とと)まじり」なんかが目につきました。
 魚の名前が出てくることわざには、「鰯(いわし)の頭も信心から」とか「蝦魚(えび)で鯛を釣る」などがありますね。


さて、ふと思い出した「死んだ魚の目(手)」ですが、人間というのは不思議なものでして、何年もたって答えを突然思いつくことも度々ありますよね。

昔、英語の勉強をしていて、どうしても聞き取れない単語がありました。

ひとつは、temperamental という形容詞でした。「感情が激高しやすい(興奮しやすい)」とか「気まぐれな」という意味ですが、名詞形 temperament(気性、もしくは、感情の起伏の激しい気性) から派生した形容詞になります。

いやはや、早口な米語で言われると、最後の「タル(~ tal)」という部分が「ロウ」と聞こえてしまうのです。だから、「テンパラメンロウ」っていったい何だぁ?と、長年疑問に思っておりました。

こういうのもありました。「オルメリ・キャーノプナー」。

もうこっちになると、何のことやらわけがわかりません。

ところが何年もたって、ある朝フロリダで目覚めたら、ぽっかりと頭に浮かんできたのです。あ~、automatic can opener のことだったんだって。
 そう、automatic 、つまり電動の缶切り(can opener)のことだったのですね。

もうアメリカ人にかかると、「オートマティック」が「オルメリ」に聞こえてしまうんです。
 それに、缶切りだって「キャン・オープナー」ではありません。「キャーノプナー」なんです。フランス語ほどひどくはないけれど、英語だってリエゾン(連音)することも多々あるのです。

(ちなみに、日本ではあまりお目にかかりませんが、ものぐさなアメリカ人は、電動の缶切りをよく使うようです。かなり大がかりな機械から、手元でウイ~ンと動くものまで、いろいろとあるようです。日本では縁が薄い道具なので、名前が聞き取れたにしても、実物を想像し難いこともありますよね。)

何はともあれ、何年もたってこの答えを思いついたときは、ほんとに嬉しかったですねぇ。自分の脳がどのように働いていたかは知りませんが、きっと意識化でカリカリと模索していたのでしょう。

「死んだ魚」と「オルメリ」。この言葉のトリックを、わたしは一生忘れはしないでしょう!

追記: お魚の写真は、沖縄県那覇市の魚屋さんで撮りました。南洋の産物らしく、実にカラフルな魚です。
 海の写真は、シリコンバレーから小1時間南下した海岸沿いで撮影したものです。冒頭にあるのは、モントレーとカーメルのふたつの街を結ぶ「17マイル・ドライブ(17-Mile Drive)」の途中。ここは、ドライブするだけで楽しい、風光明媚なルートとなっています。そして、最後の写真は、カーメルからちょっとだけ南下した、ポイント・ロボス州立保護区(Point Lobos State Reserve)です。この日は天気が良くて、海が真っ青でした。

それから、蛇足とはなりますが、日本語のことわざ辞典をめくっていてびっくりしたことがありました。上でご紹介した英語のことわざ「 The fish will soon be caught that nibbles at every bait 」には、日本語でも似たようなものがあるのですね。
 「淵中(えんちゅう)の魚を知る者は不祥(ふしょう)なり」
 意味は、「あまり察しがよいと、かえって身の災いになる」ということだそうです。つまり、淵の中にいる魚がわかるように、人並み以上に察しがよいと、時には、こちらの秘密を察しはしないかと疑われ、ひどいめにあうことがあるということ(福音館書店『ことわざ・故事・金言小事典』より引用)。
 どうも中国に由来することわざのようですが、英語でも言い伝えられているように、何事も必要以上に詮索をすると、痛い目にあいますよ、ということでしょうか。
 まあ、そうまでおっしゃるなら、頭の隅に入れておきましょう。

Under the mattress (マットレスの下)

いきなり変な表現ですが、「under the mattress」。

訳して、「マットレスの下」。

これには、何のひねりもありません。文字通り、「ベッドのマットレスの下」という意味です。マットレスを2段お使いの方には、「マットレスの間」という意味にもなりますでしょうか。

9月中旬、あっという間に、アメリカのウォールストリートから世界中に広まった金融危機ですが、この大恐慌以来の惨事に直面して、「マットレスの下」という言葉が巷(ちまた)で大流行しているのです。

たとえば、こんな風に使います。

Keep your cash under the mattress.

そう、大銀行の倒産などを受けて、銀行がもう信じられなくなったから、「ベッドのマットレスの下にお金を保管しておきましょう」という意味ですね。

日本の場合は、「タンスの引き出しに隠す」というのが常套手段なのかもしれませんが、アメリカの場合は、「マットレスの下」というのが隠し場所の常套句となっているのです。

まあ、本当にマットレスの下にお金を隠している人が多いのかはわかりませんが、実際、銀行に預けていても倒産する可能性があるので、「こういうときは、現金を少し手元に置いておいた方がいいよ」というのが、一般的なアドバイスでもあるようですね。


そうそう、9月に金融危機が起きてすぐ、深夜コメディー番組なんかでは、さっそくこんな風刺的なスキットもありましたよ。

ここの銀行の名は、「First Mattress Bank(ファースト・マットレス銀行)」。言うまでもなく、マットレスの金庫で現金を保管しているし、みんながキャッシュを引き出すATM(自動現金預け払い機)だって、本物のマットレスを利用しているのです。
 銀行員も預金者も、「これほど安心できるシステムは無いでしょう」と、にっこりなのです。

(銀行や金融関係の会社には、「First 〜」と名付ける場合が多いのですね。日本で言うと、さしずめ「第一 〜」といった感じでしょうか。)

それから、雑誌『ニューヨーカー(The New Yorker)』には、こんな風刺漫画も掲載されていました。残念ながら、写真はないのですが、ニューヨーカー誌で漫画編集を手がける、ロバート・マンコフ氏が描いたひとコマ漫画です。

どこかの銀行のファイナンシャルアドバイザーが、顧客に対して電話でこうアドバイスしています。

Right now I think the wisest strategy is to diversify among your mattresses.

「今現在は、あなたの家のいくつかのマットレスに分散させるのが一番賢い戦略だと思いますよ。」

皮肉なことに、この文章にある「diversify(分散する)」という言葉は、ファイナンシャルアドバイザーが大好きな言葉なのです。普通の状況では、株だけではなく、国債や公債、それから各種ファンドや先物取引、はたまた不動産と、分散して投資しておくのが良いという意味ですね。
 けれども、こんな状況になったら、どこに投資しても資産は目減りするばかりなので、いっそのこと現金をあっちこっちのマットレスに分散しておきましょう、というブラックユーモアなのです。


いやはや、連日、株式市場は急激に下がったり、上がったりで、会社の業績が良かろうが、悪かろうが、そんなことはまったく関係がありません。今までの市場の理屈なんていうのは、まったく通らないのです。

そんな中では、ハロウィーンやクリスマスと、いろんなイベントの度に消費者の財布のひもを緩めてもらうことが、景気回復の起爆剤となり、ひいては市場の安定に繋がるのかもしれませんね。

先日のハロウィーンの直前には、こんな予測も出ていましたよ。

今年のハロウィーンには、58億ドル(約5800億円)の経済効果が見込めるだろうと。なにせ、子供たちに配るお菓子には、国民一人当たり20ドルが使われるそうなので。

「ハロウィーンは子供たちのお遊びさ」などと、決してバカにはできませんよね。

そうなると、プレゼントを買いあさるクリスマスには、もっとたくさんの経済効果が期待できるのでしょうか?

(銀行が信用できないとなると、「使っちゃえ!」というのもアメリカ人のお得意なところでしょう。)


さて、お金を隠す場所は「マットレスの下」というのが常套句になっているというお話をいたしましたが、こんな実話もありました。

バスルームの壁の中に隠す!

ちょっと作り話みたいな実話なのですが、五大湖のエリー湖に面した街、オハイオ州クリーヴランドでは、家を改築しようとバスルームの壁をぶち抜いたら、年代物の緑色の薄型金庫が出てきたのでした。

金庫はふたつ、薬棚の裏の壁の中に針金で吊るされていて、中には18万2千ドル(約1820万円)もの札束が入っていた!

実は、この家は、83年も前の1925年に建てられたもので、その直後に起こった大恐慌のときに、持ち主のビジネスマンが、当時の紙幣をたくさん金庫に入れて、壁の中に隠していたのです。
 このビジネスマン、パトリック・ダンさんは、新聞社も持っていたような成功者でしたが、大恐慌で次々と銀行が倒産する中、さすがに銀行が信じられなくなったのでしょう。「マットレスの下」ならぬ「壁の中(inside the wall)」を隠し場所に選んだのでした。

ところが、話はこれだけでは終わりません。

この家の現在の持ち主は、パトリックさんとはまったく関係のない、アマンダさんという女性。彼女は高校の同級生だったボブさんに家の改築を依頼します。
 そこで、話がややこしくなるのです。つまり、家の持ち主はアマンダさんだけど、発見者はボブさん。
 アマンダさんが「10パーセントをあげるわ」というのに対し、ボブさんは「僕が見つけんだから、40パーセントをよこせ」と要求するのです・・・そして、ふたりの間では、揉め事が起きる。

お金が見つかったのは一昨年の2006年。それから一年ほど喧々諤々のいがみ合いが続き、話はどんどん大きくなって、昨年末には新聞ネタにまでなりました。
 すると、黙っていないのが、パトリックさんの末裔たち。調停の結果、ダン家の子孫21人もおすそ分けにあずかることになりました。

いやはや、ふたりが内密に合意していれば、ふたりで山分けできたものを、23人で分けるとなると、一人分たったの8千ドル(約80万円)なり!

おまけに、改築業を営むボブさんは、まわりの人から「あいつは欲の皮がつっぱっている」と噂され、前ほどお客さんが来なくなったとか。まさに、踏んだり蹴ったりとは、このことなのです。

教訓: 金は天下の回り物です。今は貧しくとも、いつかはお金を手にすることもあるでしょうし、たとえ目の前にお金がぶら下がっていたとしても、いつかはパッと消えて無くなるのかもしれません。

ちなみに、リチャード・ギアとジュリア・ロバーツ主演の映画 『プリティ・ウーマン(Pretty Woman)』 では、ジュリア・ロバーツがアパート代にする現金をトイレの水槽に隠しているシーンが出てきましたよね。バスルームの壁やトイレの水槽の中、これも人気のある隠し場所なのかもしれません。

画伯の絵の具

ちょっと前に、「色」というエッセイを書いてみました。

日本からカリフォルニアに戻ったとき、辺りがあまりに輝いて見えたので、「光が金色!」と思ってしまったお話でした。

その光の色から発展して、日本画の巨匠である故・東山魁夷(ひがしやま・かいい)画伯が書かれた瀬戸内海のエッセイや、フランス印象派の巨匠、クロード・モネ(Claude Monet)の「光」に対するこだわりなどをご紹介したのでした。

そのときの東山画伯のエッセイには、「群青(ぐんじょう)」、「緑青(ろくしょう)」、「白群青(びゃくぐんじょう)」と、いろんな色の名前が出てきておりましたので、今日はちょっと絵の具のお話をいたしましょうか。


わたし自身は日本画の経験がないので、こんなことを書く資格はまったくないのですが、なんでも、群青と緑青というのは、日本画で使われる岩絵の具(いわえのぐ)の中でも、最も重要で華麗なものだそうです。

そういえば、日本画と聞いてまず思い出す色は、「群青色」と親しんできた鮮やかな青い色と、こんもりとした木々の「青々とした緑」、つまり緑青なのかもしれませんね。
 東山画伯は、瀬戸内海を船で航行したときの印象を、「群青と緑青の風景だ」と書かれていたのでした。

こちらは色が薄すぎてあまり良い例ではありませんが、一番下が群青、そして、真ん中が緑青となります。2年間のドイツ留学から戻った画伯にとっては、このふたつの色が、まさに日本を代表する色に思えたのですね。

そして、一番上の色が白群青です。群青をちょっと白っぽく、薄くした色となります。

画伯ご自身は、いくつかのエッセイで青い色について語られているのですが、西洋の絵画では青が「悲哀」や「沈静」を表すのに対し、日本の青である群青や紺青(こんじょう)というのは、むしろ華麗な輝きを持ち、「高く鳴り響く青」なのだそうです。
 とくに金地におかれた場合は豪華であり、桃山時代の障壁画や琳派(りんぱ)の作品には、群青の大胆な使用が装飾的効果を発揮するとも書かれています。

青というと、西洋では寒色系の性質を持っているけれど、日本では、いくぶん温かみを帯びた緑の持つ性格に変化している。でなければ、はつらつとした「青春」を「青い春」とは呼ばないでしょう。

なんでも、群青や紺青という岩絵の具は、孔雀石と呼ぶ酸化銅の美しい鉱石を粉末にしたもので、分子が粗いほど鮮やかな色だそうです。これを細かくすると、薄群青となり、さらに細かくして白群青ができるわけですが、分子の細かい絵の具ほど、穏やかな沈静した色になるということです。

(以上、講談社文芸文庫 『泉に聴く』17〜23ページ「青の世界」を参照)


画伯は、瀬戸内海をこう書いておられました。「海は青かった。しかし、地中海のコバルトやウルトラマリンではなく、白群青や群青という日本画の絵具の色感だった」と。

外国に行くと、「海の色がまったく違うな」と驚くことが多いわけですが、それゆえに、宝石のラピズラズリに見る青(ウルトラマリン)や、さらに青を加えたコバルトブルーという色は、日本人にとってはエキゾチックで、魅了される色なのです。

こんな風に強烈に青いエーゲ海を見ていると、誰もが吸い込まれそうな気分になることでしょう。

それに比べて、日本の海には派手さがなく、落ち着いた、穏やかな、温かみのある色にも思えますね。きっと画伯には、華麗な輝きを放ちながらも穏やかな青を秘める群青と白群青の海が、何よりも安堵感を与える故郷の色に思えたのでしょう。

そんな日本の海は、まさに、日本画の絵の具にはぴったりの色なのです。

と言うよりも、日本の自然を描こうとしたから、独自の絵の具ができ上がったのでしょうけれどね。

たとえば、こちらは、日本画の顔彩(がんさい、絵の具のこと)18色です。この色のコンビネーションが、いかにも日本の自然をうまく表現してくれそうに思えませんか。
 いろんな青に加えて、緑青あり、白緑あり、黄草あり、濃草ありと、緑もずいぶんと充実しているのです。

私たちが小学校で使っていた西洋の水彩絵の具とは、まったく違うトーンと発色ですよね。


こんな風に、日本独自の風土の中で培われてきた日本画ですが、ここで、東山画伯の絵と文章の美しい取り合わせをひとつだけ紹介させていただきたいと思います。

画伯が1968年に描かれた「花明かり」という作品を、その翌年に「円山(まるやま)」というエッセイで描写されています。

花は紺青に暮れた東山を背景に、繚乱(りょうらん)と咲き匂っている。この一株のしだれ桜に、京の春の豪華を聚(あつ)め尽したかのように。
 枝々は数知れぬ淡紅の瓔珞(ようらく)を下げ、地上には一片の落花も無い。
 山の頂が明るむ。月がわずかに覗き出る。丸い大きな月。静かに古代紫の空に浮び上る。
 花はいま月を見上げる。
 月も花を見る。
 桜樹を巡る地上のすべて、ぼんぼりの灯、篝火(かがりび)の焔、人々の雑踏、それらは跡かたもなく消え去って、月と花だけの天地となる。
 これを巡り合わせというのだろうか。
 これをいのちというのだろうか。

自然と親しみ、日本画の真骨頂を体現なさった巨匠には、まさに美しい文章というものを教えていただいたような気がいたします。

(『泉に聴く』147〜148ページ「京洛四季・円山」を引用。最後の文章では、「いのち」の部分に句読点がふられています。作品「花明かり」は、今年3月〜5月に東京国立近代美術館で開かれた『生誕100年・東山魁夷展』のパンフレットを撮影いたしました)

補記:ご参考までに、文中に出てきた「岩絵の具」というのは、日本画で最もよく使われる(プロ用の)絵の具で、鉱物をすりつぶして粉末にしたものです。水には溶けないので、膠(にかわ)を水に溶かしたものを合わせます。(膠というのは、動物の骨の髄から抽出したたんぱく質のことで、これを混ぜることによって絵の具を画面に固定するばかりでなく、発色もよくなるそうです。)

そして、東山画伯が好まれた群青と緑青の岩絵の具ですが、たとえば、画伯が皇居南ロビーに完成した大壁画「朝明けの潮」は、そのほとんどを群青と緑青だけで描かれたものだそうです。波が岩に砕け散る様子を描いた躍動感のある海の壁画ですが、混ぜ方の度合いや、粒子の粗さ・細かさによって複雑な色相を出せるので、二種類の絵の具でも緻密な部分を表現できるそうです。
 不思議なことに、緑青は、焼くと黒味がかってくるそうですが、これに群青を混ぜると、岩の黒い色なども描けるということです(エッセイ「朝明けの潮」より)。

まあ、絵の具を焼くなんて芸当は、自然の鉱物を粉にした岩絵の具だからできることですが、動物の膠を使うとか、絵の具を焼いてみるとか、日本画はとにかく奥が深いものなのですね。
 それに比べて、写真にあった18色の顔彩セットは、初心者用に作られたもので、簡単に水で溶かせるようになっています。でなければ、初心者にはとても扱えるものではありません。

それから、海の写真ですが、一枚目はエーゲ海に浮かぶサントリーニ島からの眺め、そして二枚目は、和歌山県南紀白浜の海です。

ハッピーハロウィーン

ご存じ、10月31日はハロウィーン(Halloween)でしたね。

そういえば、ハロウィーンについては、今まであまり書いたことがありませんでした。アメリカを代表するようなイベントなのにと、ちょっと不思議に思われたかもしれませんが、それは単にハロウィーンのときに日本にいることが多いからなのです。

毎年、ハロウィーンともなると、東京のお店を借り切ってハロウィーン・パーティーを企画するというのが、連れ合いとスタッフの年中行事となっていて、わたしも例年それに参加させてもらっているのです。
 ハロウィーンを始めた頃は、オフィスで細々とやっていたのですが、年々規模が大きくなって、今年は80人がコスチュームに身を包んで登場しました!


けれども、今回のハロウィーンは、わたしはサンノゼの家でお留守番。

久しぶりのアメリカのハロウィーンとなりましたが、今年はしっかり「居留守」を使わせていただきました。いえ、べつにチョコレートを買うお金を惜しんだわけではありません。ひとりとなると、ちょっと恐いのです。

なぜって、何年か前、我が家で子供たちにお菓子配りをしていたときに、ヒヤッとする思いをしたからです。

ピンポーンと音がするので、かわいい子供たちかと思って勢いよくドアを開けたら、そこにはティーンエージャーの男の子と女の子が十数人、みんなでしゃがんでジ〜ッとこちらを見ていたのです!

中には「死神」みたいなコスチュームもいたので、暗い中で見るとギョッとするではありませんか。一瞬、心臓が止まるかと思いましたよ。

よく見てみると、この子たちはみんなアジア系で、女の子のひとりは日本の浴衣(ゆかた)を着ていたりと、それなりに親近感は沸いてくるのです。それに、お菓子をあげるとひとりずつお礼も言うし、べつに恐いティーンたちではありませんでした。

でも、悲しいかな、女の子の着物が右前になってる!(ちょっと注意しようかとも思いましたが、面倒くさいのでやめました・・・それにしても、困ったもので、アメリカ人にはこの勘違いが多いですね!)


こんな風に、ハロウィーンの晩に子供たちが家々を練り歩く「Trick or Treat(いたずらか、お菓子か)」ですが、シリコンバレーの人たちは比較的お行儀がいいので、こちらが全部電気を消して「居留守」を使っていると、あちらも深追いはしません。黙って隣の家へと行き過ぎていきます。

「お菓子をくれないなら、いたずらするよ!」という根性は、さすがに無いみたいです。

まあ、「居留守」を使うにも、なんとなくルールがあるみたいで、玄関のポーチの電気を点けているかどうか、家のまわりや前庭に飾り付けをしているかどうかが、ハロウィーンに参加しているのか、それとも不参加なのかの意思表示になるようですね。

やはり、キリスト教徒の中にはハロウィーンを好まない人もいるみたいなので、そういう人は参加しないし、そんなことには関係なく楽しみたい人は参加する、といった感じでしょうか。

何と言っても、もともとハロウィーンは、キリスト教徒からすると「邪教」の習慣から来たものですからね。

そうなんです、ハロウィーンは、あの世とこの世の垣根が薄くなって死者の魂が徘徊(はいかい)すると信じられていたケルト人の新年(グレゴリオ暦では10月末)に由来するものなのですが、これがカトリックの万聖節(諸聖徒や殉教者の霊を祭る日)の前夜ということもあり、Eve of All Hallows(すべての神聖な者の日の前夜)、つまり Halloween となったのですね。

カトリックの長い歴史を振り返ると、その教えには常に、人を惑わす「悪い霊魂」と神から使わされた天使の「聖なる魂」の戦いみたいな部分がありますから、そういったキリスト教的な教えを思い起こすと、いかにお遊びのイベントとはいえ、悪い霊魂を呼ぶようなハロウィーンはしっくりと感じない人はいるのかもしれませんね。

(ちなみに、「Trick or Treat」の写真は、Pottery Barnのカタログです。とってもかわいいので、撮らせていただきました。「死神」の方は、サンノゼにあるレストランです。)


ハロウィーンの「Trick or Treat」は、だいたい午後7時から9時がプライムタイムとなるのですが、今年はシリコンバレーでは、雨が降ったり止んだりの生憎のお天気だったので、きっと出足はかなり悪かったのではないかと思います。

ほら、天気予報士の方も「嵐が来ているよ」と言っていたくらいですから。
(天気予報士ジョンさんのネクタイが、オレンジ色のパンプキン!)

でも、出足が悪いことにかけては、もっとすごい場所があるのです。

そう、フロリダなんです。カリフォルニアとは逆の大西洋岸の南端にある州ですね。なぜ出足が悪いかって、フロリダにはおじいちゃん、おばあちゃんのリタイア(退職)組が多いから。当然のことながら、子供が極端に少ない!

わたしは以前フロリダに住んでいたことがあるのですが、ある年のハロウィーンのこと。ピンポーンと音がしたので、チョコレートを持って玄関に飛んでいったら、そこにはもう子供の姿は無い。「え〜、待って〜っ」と叫びそうになりながら、かわいい白鳥のコスチュームをむなしく見送っていたのでした。

その晩、ピンポーンを聞いたのは、その一回きり。

なぜその子がすぐに行ってしまったのかと言うと、フロリダには冬の間だけ北のニューヨークやニュージャージーから来る(お金持ちの)退職組が多くて、10月末にはまだ空き家が多いのですね。だから、「やっぱりここもいないのかしら」と、子供はすぐに消えてしまった・・・(ちょっと早過ぎです・・・)


逆に、カリフォルニアには、いやに出足がいい場所があります。来なくていいって言うのに、大人がみんな喜んで集って来るような所。

そう、サンフランシスコのカストロ通り(Castro Street)です。ゲイやレズビアンの聖地とも言える場所ですね。

その昔、サンフランシスコに住んでいた頃、わたしは子供たちへのお菓子配りなど放っておいて、いそいそとカストロ通りに向かっていたものでした。毎年、この通りで行われるハロウィーン仮装パーティーは、それはそれはすごいものでして、呼ばれもしないのに、ソレッとばかりに何万人と集って来るのです。

コスチュームも奇抜なものが多くて、通りを歩いているだけで充分に楽しめるものなんですが、きっと、ゲイやレズビアンの方々は、クリエイティヴ(創造性たっぷり)なんでしょうね。それに、かなり勇気がおありなので、すごいコスチュームも恥ずかしげもなく堂々と披露なさっているのです。

こちらは、ヒッチコックの有名な映画 『鳥』 をモチーフにしたもの。

男性が血を流していたり、女性の肩には大きな鳥(カモメ?)が止まっていたりと、かなり気合が入っていますよね。

それから、こちらは、ゲイの人たちの看護婦さん!

中にはひとりだけ本物の女性がいるようですが、他の方々はみんな、ボリュームたっぷりの看護婦さんです。

この写真に写っているのは7年ほど前のハロウィーンなのですが、この年を最後に、カストロ通りでの仮装パーティーは「禁止」となりました。が、それでも、言うことを聞かずに、みんな集って来るのです。

一昨年はここで数人が銃で撃たれたりと、いよいよ物騒になってきたので、今年は警察もかなりの厳戒態勢を布いていたようです。車道に出ないようにと、柵も置かれていました。
(それまでは、みんなで車道をふさいで大騒ぎでした。)

でも、やっぱり、今年もすごい人出だったみたいですよ。ダメって言われると、余計に集りたくなるのが人情なんでしょうか。

たとえば、こちらのお兄さん。なんだかすごい髪の毛ですが、まつげも負けずにクリッ!

それから、こちらの男性。そんなに若い方ではないようですが、高校生のチアリーダーに扮装。

もう男だろうが、女だろうが、そんなことは関係ない!って感じですよね。


今年は、カストロ通りに人が集まらないようにと、わざわざサンフランシスコ市が野球場にパーティー会場を準備したのです。でも、そちらの方はガラガラ。何万人かを予想していたのに、子供たちや同伴の親がたった数百人くらいしか集らなかったとか。

とにもかくにも、新しい伝統を作り上げるなんていうのは、とっても難しいことなのです。

(今年のハロウィーンの様子は、NBC系列局KNTVのローカルニュースを撮らせていただいきました。)

ま、どこでパーティーをしようと、どこを練り歩こうと、子供たちにとっては楽しいイベント。それがハロウィーンですよね。

そうそう、こんなにかわいい写真を見つけました。近所に出回っているコミュニティー新聞に載っていたのですが、なんと、ピンク色の「ダースベイダー」なのです!
(言うまでもなく、映画『スターウォーズ』に出てくるダースベイダーは真っ黒ですよね。)

でも、ヘルメットが大き過ぎて、お菓子がよく見えない・・・もう一生懸命に覗き込んでます。

もしもこんな子が現れたら、コスチューム大会では文句なく一等賞をあげたいと思います。

Silicon Valley NOW 2008年10月号〜その3. 大統領選挙編

Silicon Valley NOW 2008年10月号

Vol.111(その3)

さて、テクノロジー編に引き続き、3部作の最終話では、政治のお話などをいたしましょうか。

<第3話: 脳と政治>

世の中には、ざっくり言って、ふたつのタイプの人間がいるのでしょう。ひとつは「かっこいい、クールな」商品を目ざとく見付けて、そちらに釘付けになるタイプ。そして、もうひとつは「かっこ悪い、ダサい」商品を見付け出し、そちらの方にどうしても気を取られるタイプ。
 これは、ファンクショナルMRI(fMRI)を使って人の脳の働きを研究しているカリフォルニア工科大学のグループの研究成果でもあるのですが、脳の無意識の反応によって人間を大別すると、瞬時にかっこいい物を識別し、「ああいうのっていいなあ」と好感を抱くタイプと、逆にかっこ悪い物に反応し、「ああいう風にはなりたくないものだ」と拒絶を示すタイプと、ふた通り存在するということです。

前者は、「あんなクールな物を持ってると、人にかっこよく見られるよなぁ」と感じるタイプ。そして後者は、「あんなダサい物を持ったら、みんなにかっこ悪いって思われるじゃん」と決め込むタイプ。そう、人間は社会動物であるがゆえに、人にどう見られているのかが頭の隅でいつも気になっている生き物なんですね。

このような人の分類は、昨今注目を浴びつつある「ニューロマーケティング(Neuromarketing、脳に直接訴えかけるマーケティング)」の研究テーマのひとつでもあるのですが、個人的には、この二種類の人の大別は、政治の世界にも通用するのではないかと思っているのです。
 つまり、世の中には、かっこいいものに強く反応するタイプの候補者と、かっこ悪いものに強く反応するタイプの候補者と、ふた通り存在するのではないかと。

すなわち、有権者に向かった選挙キャンペーンにおいても、自分の「かっこいい」政策を打ち出し、自らのクールさを訴えるのか、それとも相手の「かっこ悪い」弱点をあげつらい、相手のダサさを攻め立てるのか、候補者がどちらのタイプかによってキャンペーンの仕方がまったく異なってくると思うのです。


いよいよ11月4日に迫るアメリカの大統領選挙ですが、現在、両候補が採っているアプローチは、きれいに二手に分かれると見ています。
 民主党のバラック・オバマ氏は前者、つまり自分のクールな政策を主に打ち出すタイプ。そして、共和党のジョン・マケイン氏は後者、つまり相手のダサい弱点をあげつらうタイプ。

たとえば、オバマ氏は、こう訴えます。ここで8年も続いたブッシュ政権のしがらみを打破しよう!そのためには、金持ちを優遇する不公平な税制を改革し、中流階級や低所得層の負担を軽減しようじゃないか。自分にはそれを実現する具体案もあるし、実行力もあるのだと。

それに対し、マケイン陣営は、「オバマ氏は危険なほどに青二才で、彼じゃ大統領になっても何もできないんだよ」と、否定的に訴えます。
 そして、金融危機の嵐がアメリカ中を襲い、いよいよ経済音痴のマケイン氏が形勢不利になってくると、「オバマという奴は、1960年代にFBIがテロリストの地下組織と認定したグループと深い付き合いがあったのだ」と、テロに対する有権者の恐怖心を扇動する心理作戦に出ます。
 さらに、オバマ氏が経済救済策の理念を説くと、「彼は銀行を国営化しようとしている社会主義者だ」と、アメリカ人の大嫌いな「社会主義」という言葉を巧みに駆使するのです。

今では、マケイン支持者の間では、オバマ氏に対する「危険人物」「テロリスト」「アラブ人(イスラム教徒を示唆する言葉)」「社会主義者」「共産主義者」といったレッテルが独り歩きしています。

よくもまあ、恥ずかし気もなくウソを並べ立てるものだと、こちらは不快感を通り越して感心すらしてしまうわけですが、アメリカという国は、とにかくでっかい不思議な国でして、ひと口で「こうだ!」とはステレオタイプ化などできないのですね。だから、有権者も実にいろいろ。
 たとえば、アメリカの各種研究機関は、ノーベル賞を受賞するような優れた研究者を育む素地を持ち、そこには天才ともいえるような卓越した人材が集ってきます。わたしの知り合いの男の子などは、たった14歳でコミュニティーカレッジを卒業し、コンピュータを人間の脳に近づける研究をしているグループに招かれ、この秋、カリフォルニア大学バークレー校の3年生に編入しています。
 その一方で、一桁の足し算や引き算も危うい人や、「地球は5千年前に神によって7日間で造られた」と、本気で信じている人もたくさんいるのです(共和党副大統領候補のサラ・ペイリン氏などは、このクチですね)。
 そして、後者のタイプの人たちは、自分の脳細胞で独立独歩に物を考えようとしないから、選挙キャンペーンの扇動にコロッと乗せられてしまう・・・


けれども、そんな悪口作戦は、もう風前の灯(ともしび)かもしれません。現時点での世論調査からいくと、前回2004年の大統領選挙で共和党のブッシュ大統領に傾いた州でも、今回は民主党のオバマ氏支持に翻(ひるがえ)りそうな州はたくさんあるようです。

そういった寝返り現象は、そのまま、今回の選挙に対する有権者の関心の高さを表しているのでしょう。今までは、ともすると、若い人や有色人種、そして社会の底辺にいるような人たちは、投票する関心や機会がないケースが多かったのです。けれども、そんな風に投票に縁のなかった人たちも、今回ばかりは有権者の登録(voter registration)を済ませ、実際に投票する意気込みでいるようです。

カリフォルニア州のような大きな州でも、実際の投票率(turnout)は、登録者の85%まで伸びるのではないかと期待されています。(写真は、シリコンバレーのあるサンタクララ郡の広告で、有権者に投票を促すもの。)

そう、昔は、投票率は高かったんですね。カリフォルニア州では、1952年から1976年の間に行われた7回の大統領選挙では、すべて8割を超えていたそうです。
 ちょうどその頃は、アメリカ自体が大きな変革を遂げている時代でした。第二次世界大戦後のソビエト連邦との冷戦、ひと筋の明かりだったケネディー大統領の暗殺、黒人の権利と平等を訴える公民権運動の激化とキング牧師の暗殺、そして、ヴェトナム戦争。まさに荒海とも言えるような世相だったのでしょう。だから、多くの有権者が、投票して世を変えたいと望んでいた。

そして、今回も、荒海の真っただ中なのかもしれません。そう、金融危機と社会・経済構造に対する信用失墜の荒波。
 そんな世相を反映して、国中の投票率はグンと伸びるのでしょうが、伸びた分のほとんどは、民主党のオバマ氏に流れることでしょう。「ストレート・トーク(まっすぐに物を言うこと)」で知られるマケイン氏が悪口作戦に出るなんて、幻滅を感じる国民も多いでしょうから。

思えば、今のブッシュ大統領という人は、歴代の大統領の中でも最も悪運の強いお方なのでしょう。2005年8月にルイジアナ州を襲ったハリケーン・カトリーナが、もしもその前年に起きていたのならば、2004年の大統領選挙では彼が再選されることはなかったでしょう。
 しかし、あの大惨事とそれに続く政権の大失態は、ブッシュ大統領の二期目が始まった後に起こった。これはまさに、神の悪戯(いたずら)としか言いようのないタイミングでした。

けれども、今回は、金融危機という未曾有の大混乱が全世界を襲い、経済構造の根本的な建て直しが迫られている。そんな中では、庶民の味方とのイメージが強い民主党が中心となって政治を進めることが望まれているし、経済政策にも明るいオバマ氏が大統領候補としての名声を高める結果ともなっています。
 しかも、皮肉なことに、8年間に渡るブッシュ大統領の悪政が、オバマ氏の大きな追い風ともなっているようです。

今回ばかりは、勝利の女神はオバマ氏ににっこりと微笑んでいるのでしょう。

〜10月号終わり〜
夏来 潤(なつきじゅん)

Silicon Valley NOW 2008年10月号〜その2. グーグル編

Silicon Valley NOW 2008年10月号

Vol.111(その2)

さて、経済に続きましては、テクノロジーのお話に移りましょう。

<第2話: グーグルさんのG1>

ご存じのとおり、10月22日の水曜日、アメリカでは待ちに待ったグーグルさんの携帯電話が売り出されました。
 名付けて、「T-Mobile G1」。携帯キャリアのT-Mobile(ドイツ・テレコムの子会社)が提供しています。色は黒と茶色の2種類です。

言うまでもなく、G1は、グーグルさんが新しく開発した携帯電話OS「アンドロイド(Android)」を搭載しているわけですが、ハードウェアの方は、台湾のメーカーHTC製となっております。
 HTCは、マイクロソフトのウィンドウズモバイルOSを搭載する端末をたくさん手がけてきた、スマートフォン分野のベテランとも言えるメーカーです。なんでも、HTCの社長であるピーター・チョウさんが、グーグル・モバイルプラットフォーム部門ディレクターのアンディー・ルービンさんと親しかったことから、両社のコラボレーションが実現したのだとか。

長い間「Gフォーン」というニックネームで取り沙汰された、栄えあるグーグルケータイ第一号機を作ったメーカーとしては、さぞかし鼻が高いことでしょう。


全米での発売に先駆け、前日の夕方、サンフランシスコのT-Mobileショップには、一足先にG1を購入しようと、たくさんの人たちが詰め掛けました。ショップの前の長蛇の列は、きっとネットでご覧になったこともあるでしょう。

けれども、その翌日、「いよいよG1をゲットするぞ」と近くのT-Mobileショップに出掛けた連れ合いは、がぜん拍子抜けしてしまいました。だって、ショップの中には、人っ子一人お客がいないのですから!!

え、誰もG1には興味がないの?

そんなわけで、行列に並ぶこともなく難なく手に入れたG1ですが、連れ合い曰く、「これって、しょせんアップルのiPhone(アイフォーン)のコピーでしょ!」

いえ、さすがにグーグルさんの作だけあって、ネットアクセスは快適です。それに、グーグルさんのメールやコンタクツ(アドレス帳)やカレンダー(予定表)のシンクロ(パソコンとケータイ間のデータの同期)はとってもうまくいくのです。
 でも、それ以外は、「あんまりうまくできていない」というのが、G1をチョイといじってみた感想だそうです。

まあ、見た目も、メニューのラインアップも、アップルさんの真似と言われても反論できない感はあるのですが、そのわりに、本家本元ほどうまくできていない、というのが正直な評ではないでしょうか。

たとえば、基本的なボタンの使い方がわかり難い。連れ合いは、電源の入れ方がわからず、マニュアルを見て探し当てたそうです(右端の赤いボタンです)。それから、メールなどを操作していて、メニューの奥深くにどんどんと入って行った場合、「前に戻る」のボタンを発見するのに、えらく時間がかかったとか(電源の横の矢印ボタンです)。
 わたしは、電源ボタンはすぐにわかりましたが、カメラのシャッターに使うボタンがわかりませんでした。最初、間違って電源ボタンを押してしまって、画面が真っ暗になってしまいました。次に「これだろう」と真ん中のポッチを押してみたら、3秒ほどたって、ようやくカシャッと写真が撮れました(反応が遅くて、途中で動かしたのが悪かったみたいです。普通はもうちょっとスピーディーに撮れるようです)。

個人的には、日常的に使う電子機器は直感的でなくてはならないと思っているので、何のボタンであれ、マニュアルを見ないと操作できないようなものは、あまりできが良くないと思うのです。

デザイン的には、なんとなく、同じくT-Mobileがティーン向けに出している「SideKick(サイドキック)」に似ていて、タッチスクリーン画面がパカッとスライドして、キーボードが出てくるようになっています。
 けれども、物理的なキーボードがあって良いかというと、必ずしもそうとは限らない。なぜなら、いちいち画面をスライドしてキーボードを出さないと文字が打てないから。でなければ、とっさにネット検索すらできないのです。おまけに、右側にある突起が邪魔になって右端のキーが打ち難い。
 だったら、無理してキーボードなんか付けないで、iPhoneのように、画面上でタッチするバーチュアルキーの形式でいいのではないか?とも思えるのです。

画質も、iPhoneの方が格段にいいですね。たとえば、こちらはYouTubeで見た同一のビデオクリップですが、左のiPhoneの方が、画面が断然きれいです。(すみません、画面に指紋が付いていて見辛いですね・・・)

G1には、ネットを利用し易くするために、iPhoneのようにワイヤレスLAN(WiFi)機能も付いています。しかし、標準設定は3Gネットワーク接続となっているので、設定を変更しないと、近くにWiFiステーションがあっても、そちらには繋がらないのです(言うまでもなく、iPhoneの方は、WiFiを自動的に検知するようになっていますね)。
 すると、うっかりそれを知らないで、海外に行ってローミングしているなんてことが起きるかも・・・(あとで請求書を見てびっくり?)

それから、ちょっと盲点かもしれませんが、iPhoneではうまく生かされているアクセレロメーター(ジャイロスコープみたいに方向を検知する機能)が、G1では有効利用されていないのですね(内蔵はされているそうですが)。
 だから、iPhoneを縦横に動かすと、画面が自然と縦長になったり横長になったりするところが、G1は、物理的にパカッとスクリーン画面をスライドしないと横長の画面にならないんです。
 iPhoneの場合は、この機能を使って、ゲームを楽しむこともできますよね。


けれども、わたしは、この場でG1の悪口を言うためにこれを書いているわけではないのです。なぜなら、G1というグーグルフォーンがどんなものであれ、グーグルさんにとっては、その売れ行きはあんまり関係ないんじゃないかと思うから。

そりゃあ、グーグルさんにもチャレンジしなければならない課題はありますよ。たとえば、アップルさんのiPhone、iTunes、App Storeのように、ハードウェアとソフトウェアがシームレスに動き、もっとスムーズにサービスを提供するようにならないといけないと思うのです。
 G1にも、アプリケーションやゲームを買えるMarketや、音楽を買えるAmazon MP3はあるけれど、「かゆいところに手が届く」までには到達していませんから。

しかし、そんな細かい部分はどうであれ、グーグルさんにとっての最大のチャレンジは、ケータイソフトのアンドロイドを出したぞってところにあるのではないでしょうか。だから、オープンソースのソフトウェアでもあることだし、あとはグループ(Open Handset Alliance)のみんなが頑張って良くしてくれればいいやと思ってる部分があるんじゃないでしょうか。

アップルさんと違って、グーグルさんはケータイで儲けようなどとはまったく考えていないでしょう。第一、アンドロイドはロイヤルティー(ソフト使用料)を取っていないんですから。だから、長い目で見ると、一号機のG1が売れようが売れまいが、グーグルさんにはあまり関係のないことかもしれません。

きっと彼らにとっては、新しいことを成し遂げること自体が、楽しいチャレンジなのでしょう。たとえば、アンドロイドのように、自分の息のかかった新しいケータイソフトを世に広めて行くこともそうでしょう。現に、HTCに続いて、ケータイメーカー世界第3位のモトローラもアンドロイド採用を表明していますし、もしかすると、広まるのは時間の問題なのかもしれません。
 けれども、もっともっと大きなこと、たとえば、月に探査機を打ち上げるとか、映画『2001年宇宙の旅』に出てきたHALみたいなコンピュータを作り上げるとか、そんなことも彼らにとってはワクワクする楽しいチャレンジのひとつなのでしょう。

そういうことですので、現時点でG1をうんぬんするのは、あまり意味がないような気もしているのです。

というわけで、お次の第3話・大統領選挙編は、こちらへどうぞ。

Silicon Valley NOW 2008年10月号〜その1.経済編

シリコンバレー・ナウの読者のみなさまへ:

2000年12月から毎月連載を続けている『Silicon Valley NOW(シリコンバレー・ナウ)』ですが、今後は、こちらのウェブサイト「夏来 潤のページ」に統合いたします。
もちろん『シリコンバレー・ナウ』の内容は、のんびりとした、きままな「夏来 潤のページ」とは異なりますので、ウェブサイトの中に新しく専用のセクションを作成いたします。現在、ウェブサイトを改築中ではありますが、残念ながら、今月号(10月号)には間に合わなかったで、急遽こちらの「エッセイ」の欄に3部作として掲載させていただきます。
11月号からは、従来の『シリコンバレー・ナウ』のスタイルで掲載いたしますので、来月からもどうぞご愛読ください。

「夏来 潤のページ」の読者のみなさまへ:

そういうわけですので、この「エッセイ」のセクションには、3つだけ毛色の変わったお話が出てきます。これは、今月だけのことと予定しておりますので、どうぞご了承くださいませ。

Silicon Valley NOW 2008年10月号

Vol.111(その1)

さて、10月号3部作のトップは、やはり、経済のお話にいたしましょうか。

<第1話: いったい誰が払うの?>

9月中旬、ウォールストリートを震源地として全世界に広まった金融危機は、困ったことに、庶民の間にも確実に広がりを見せているようです。
たとえば、比較的経済が安定しているシリコンバレーでも、個人破産をするケースが増えていて、7月から9月の四半期では、前年に比べてほぼ倍のペースとなっているそうです。お陰で、昨年一年間で4千件強だったところが、今年は9月の時点で、すでに5千件を軽く越えているのだとか。
ざっくり言って、シリコンバレーの人口は2百万人くらいなので、年間数千件の個人破産と言っても、決して無視できる数字ではないでしょう。その多くは、住宅バブルに乗って購入した家の価値が、抱えているローン額を大きく割り込んだことによるもので、貸し渋りをする銀行側ともローンの借り直し交渉がうまく行かず、仕方なく破産となってしまうようです。

そして、そんな不動産物件はどんどん市場に出回り、ますます値崩れを起こす・・・

破産とまでは行かなくとも、株式市場の壊滅的な暴落のお陰で資産が大きく目減りし、そのことが人々の心に大きな翳を落としています。すでにリタイア(退職)している人からは「また働かなくっちゃ食べていけない」という不安の声がもれていますし、ティーンエージャーを抱える親たちからは「希望の大学ならどこでも行っていいよと、子供に自信を持って言えない」といった悲観的な声も聞こえています。

投資の神様であるウォーレン・バフェット氏は、「今は、下がりに下がったアメリカ企業の株が買い時だ。わたしはどんどんアメリカ株に投資する」とおっしゃっているのですが、そうしたくても、庶民にとっては、株を買うお金もありません。

下手に投資なんかすると、日に日に目減りするので、「ベッドのマットレスに隠した方がいいや」と、ジョークとも本音ともつかないようなヤケッパチの発言を耳にしたりします。(アメリカの場合は、お金の隠し場所はタンスの引き出しじゃないんですね!)


ジョークと言えば、わたしの大好きな深夜コメディー番組『ジェイ・レノー・ショー(The Tonight’s Show with Jay Leno)』では、ホストのジェイ・レノーさんがこんなことを言っていました。
「あなたがチョンボすると、あなた自身が尻ぬぐいをする。しかし、彼らがチョンボすると、やっぱりあなたが尻ぬぐいをすることになるんだよね。(If you screwed, you pay. If they screwed, you pay.)」

レノーさんが言う「彼ら」というのは、ウォールストリートの銀行屋さんのことですが、彼らが好き勝手にやって(世界中の)経済をめちゃくちゃにしたのに、彼ら自身ではなく、税金を払ってる庶民がツケを払うことになる、という熱いメッセージなのです。

連邦議会では、財務長官の音頭取りに乗って、少なくとも7000億ドル(約70兆円)の公的資金の投入を決めたわけですが、この論理は、庶民にとっては、自分たちの血税から銀行屋に対して信じられない額のサラリーやボーナスを払っているとしか映らないのですね。
たしかに、破綻が決まって、何十億円という「さよならボーナス」をもらった銀行トップはたくさんいて、どうしてそうなるのかと、頭を抱えるしかないのは事実です。

けれども、わたしにとっては、そもそもいったいどこに金融界に投入するお金があるのかと、疑問視せざるを得ないのです。もちろん、公的資金は必須だとは思いますが、その出所はいったいどこなんでしょう?

ブッシュ大統領になって、早8年。その間に、アメリカの財政は急激に悪化し、今は、毎年赤字に次ぐ赤字という状態です。
9月末に終わった2008年度には、史上最悪の財政赤字(budget deficit)となる4550億ドル(約46兆円)を記録しています。これは、イラク戦争を始めたせいで、それまでの赤字記録となった2004年度の4130億ドルを塗り替える結果ともなっています。

お陰で、国が抱える負債(national debt)はどんどん膨らみ、現在は10兆ドル(約千兆円)という規模。今の時点で、負債の比率はGDPの7割にもなっているのに、新たに7000億ドルの投入を行えば、もっともっと負の財産が増えていく・・・これって、アメリカがどんどん借金地獄にはまっていくってことでしょう。


この困った状況をジ〜ッと睨んで、おもしろい事を言い出した人がいます。「いっそのこと、金持ちがみんなでお金を出し合ったら?」と。

これは、シリコンバレーの地元紙、サンノゼ・マーキュリー新聞のコラムニストであるマイク・キャシディー氏が書いていたことなのですが、フォーブス誌が発表した「金持ちトップ400」のリストを眺めていて、こんなことを思い付いたそうです。
この400人全員が自分の資産の半分を出し合ったら、ちょうど公的資金の7000億ドルになるじゃないかと。
なんでも、400人の総資産は、実に1兆5700億ドル(約157兆円)。だから、みんなが半分ずつ出し合ったら、7000億ドルなんて軽いものでしょうと。(ちなみに、1兆6000億ドル近くなんて額は、クリントン大統領時代のアメリカの国家予算に匹敵するものなのです!!!)

普段、わたしは、このキャシディー氏の意見には賛同しないことが多いのですが、このときばかりは、「なるほど、妙案だ!」と、膝を打つことになりました。
だって、このリストの中で一番「貧乏」な人でも、資産は13億ドル(約1300億円)。半分に目減りしたって、6億ドル(約600億円)は手元に残るんですよ。そんな額は、一生かかったって使えやしません。
まさか墓場に札束を持って行くわけにはいかないし、それだったら、いっそのこと、困っている国民のためにポンと出してあげたらいかがでしょう? そうすれば、自分だって、「人助けをしたぞ」と、いい気分になれるでしょうに。

残念ながら、そんな奇特な人はほとんどいないとは思いますけれど、自分の資産の8割をビル&メリンダ・ゲイツ財団に投げ出した、ウォーレン・バフェット氏という実例だってあるではありませんか。

経済構造がここまでゆがんでしまった以上、誰かがまともなことをしないと、どうにもならないところまで追い詰められていると思うのですけれど・・・

さて、お次はガラッと話題が変わり、グーグルさんの新しいケータイ「G1」のお話をいたしましょう。こちらへどうぞ。

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